事件編(9)
雹は会議室の前の廊下で壁に凭れて座り込んでいた。
一連の事件はこれから決着が着く。だが、そこに至るまでにあるリスクは、見過ごせないほどにある。有体に言ってしまえば、これからどう転んでもおかしくない。
果たしてどうなることか。
やがて最後の住民が来た。
「あ、雹……えっと……」
菊蘭は相変わらず落ち着かない様子だった。雹は既にそんな彼女に慣れっこなので、気にせず会議室の入り口を指さして言う。
「お前が最後だ。入って、なるべく手前の方に座れ。命が惜しければな」
「えっ……ええっ?」
「……いや、何でもない、早く入れ」
想像以上に戸惑われた。少し悪い冗談だったか、と雹は内申ほくそ笑む。
あながち冗談ではないのだが。
菊蘭が入室した直後、見計らったかのようにマーユがやって来た。
「全員入ったぞ」
「うん。ありがと」
雹の報告に簡単に応える。その声にはいつものような調子が無かった。
「緊張でもしてるのか?」
「えっ……、そ、そんなわけないじゃん!」
「……」
「……」
不自然な沈黙。マーユがこんなあからさまな動揺を見せているところを、雹は初めて見た。別段、マーユはこういう土壇場に弱いキャラではない。それなのに、まるで菊蘭の自身の無さがうつったかのような立ち振舞をしているということは──
「……ふん、醜いと思っていた同胞が、実は白鳥だったと知った気分はどうだ」
雹は皮肉めかして言った。マーユは図星を突かれたように困った笑みを浮かべる。
「いやでも、あれだ、フェアじゃない。もう種族が違うじゃないの、白鳥とアヒルじゃあさ」
「苦しい言い訳だな」
「というか、引き合いが悪いよ! もっとからかうんなら、スマートな比喩をしなさいよ!」
マーユはぎゃあぎゃあと反論してくる。その様子を見るに、本当に怒っているらしい。つまり、それだけ本当に落ち込んでいたということになる。
やはりこいつは、と雹は思う。
──天性の弱虫だな。
「ま……、お互いにとって、都合の良かったことなんじゃないか?」
「……そうだけど」
マーユは拗ねたように言う。理性では納得しているが、その感情ではどこか納得ができていないのだろう。
「良い所を持っていかれたからって、拗ねるな。自分の役割は、最後まで真っ当に果たしてくれ。……お前が居ることが、大前提なわけだったんだから」
雹な機嫌をとるよう口調にだけ気をつけて、ただ素直に思っていることを言った。すると、マーユは驚いたふうに目を開くと、何かおかしいようにくすりと笑った。
「それ、慰めてくれてるの?」
「……お前がそう思うんならな」
されたくない絡み方をされたので、雹は横を向いて真意を隠す。
すると目論見通り、マーユは機嫌を取り戻してくれたらしい。
「まぁ、頑張るかー。これが終わったら晴れてまた拘束の身……かな」
契約の内容は『事態の収拾』。解決してしまえば、契約は達成されたことになり、またマーユは寝たきりの日々が始まるのだ。それなのに、それほどの拒否感を示していないからには、やはり、その生活にもある種の安息を見出しているのだろう。
死ぬことが無いという安息。
しかし、同時にそれは死の恐怖を忘れさせると同時に、死の恐怖をより鮮明に仕立て上げることでもある。その辺りをわかっているかどうか。
マーユは会議室の扉を押した。雹は敢えて無言でマーユの後に続いた。
会議室には《ニンギアル》の住民達が集まってマーユの話を待っている。そんな住民たちから離れて、後方にぽつんと粋人だけが一人座っていた。その違和感に、雹は眉を顰める。
「……」
「えーっと、これで全員?」
マーユが手近なところにいる桜葉に訊ねる。
「いえ、まだレインさんがいらっしゃっていません」
「レイン……ああ、鎧氏か。鎧氏なら他の仕事を頼んでるから、別に気にしないでいいよ。ってことはこれで全員かな?」
「他の仕事って何だよ」
マーユの意味深な発言に、すぐさまマティアスが突っ込んできた。
「そうねえ、まあ、後になればわかるから。とりあえず、私の話を聞いてよ」
諭すように言いながら、マーユはその場にいる全員の前に立った。「あぁ、どこから話したものか……とりあえず、ニノンの方から説明するね。状況から言うとニノンは殺害された後に天井、というか壁に吊るされているわけだけど、血の海には犯人の痕跡が一切ない。密室以前になんというか……怪奇だよね。まぁ、これには二つの説があるよ」
マーユは二本指を立てた。そこから一本たたんで続ける。
「ひとつめ、犯人がそれを平然とできる能力をバーターから手に入れてるやつ。……二重契約とか聞いたこと無いから多分、犯人は今皆が知ってるような能力をでっち上げて、他にそういう生々しい殺人技を隠し持ってるってことになるかな。防刃チョッキの上から刺し殺すなんていうラニエロ殺害の件ではっきりしてるけど、これはもう事実だと思う。でも、そうなるとまず、犯人を挙げるのが不可能だから、この説から攻めていくのはちょっと厳しい」
雹はセイディが目を不機嫌そうに眇めるのを見た。周りくどいぞ、と言わんばかりだ。
マーユはそんな視線は痛くも痒くもないとでもいった様子で、先ほどたたんだ指を起こす。
「もうひとつ。こっちのほうが超現実的、それは、あの血だまりが全てコトの済んだ後に作られたってやつ」
そう言って、パッと手を広げる。「それなら何も残らないでしょ?」
「なるほど……、ということは、その、血の海っていうのは実際は血じゃなかったってこと?」
アメリーが思案顔をして訊ねる。だが、マティアスが先に間へ入ってきた。
「そんな訳はない、あの部屋には……本当の血の臭いがしていた」
ニノン殺害の現場に住民は誰も近寄らせていないので、恐らくマティアスは勝手に行ったのだろう。外出は禁止されていた筈だが、何の臆面もなく歩きまわっていた彼なら、ごく当然のようにしているはずだ。
「うん、そう、あの血は作り物ではなくって実際にニノンの血だったんだろうね。──大半は」
そんなことは分かりきっているようで、マーユは別に大して驚きもせず返す。
「あの部屋にはニノンを吊るすのに使ったらしい脚立が置いてあったんだけど、その、足の底の部分にも血のようなものがついてたんだ。つまり血の海に置いて上って、ニノンを吊るしたわけなんだから、そこに付いているのが当然だけど……普通に考えてそれはおかしい」
「おかしいだろ……」
アンドレイが同調する。「それなら綺麗な血の海になるはずがない!」
マーユは頷いた。
「そう、何らかの跡が血の池の表面に残ってるはずなんだよね……、でも、血の池はそれは綺麗なものだった。底に血痕が付いているなら、その綺麗な表面を壊したってことだからね……だから、犯人はニノンを吊るした後、部屋に血をばらまいたんだ。……これは推測でしか無いけど、液体を溜められる袋か何かにニノンの身体から出た血を全部回収したんだと思う。きっと薬品か何かで予め眠らせて置いたんだろうね、あの備品庫は本当になんでもあるから」
「血を回収って、そんなことできるのかよ……」
マティアスが唸った。マーユは困ったような顔をして首を傾げる。
「さぁね、それは分かんない。だからあの密室を解決する説は二つあるって言ったじゃない。でも、超人かどっちかって言われたら後者のほうが現実味があると思わない?」
「……そうかよ」
「といっても、犯人がバーターの力を受けてる事は大前提だよ。普通の人間にラニエロの殺害は無理だから、そこは取り違えないでね。この中に能力を隠している人がいるっていうのは、確定的なことだよ」
マーユは言った。「まぁ、ニノン殺しの方はそういうことで説明つくからこれくらいにしよう。えっと次は……私は犯人の動機に関わる重要なことについて言いたいんだ。ね、雹?」
マーユがちらりと雹の方を見やる。その動作のタイミングのせいで、室内の視線が一斉に雹の方を向いた。視線を浴びることは苦手なのだが、それでも雹は平常心で言葉を返す。
「何故、今更私に確認を取るんだ」
「──いや別に、なんとなく」
マーユはそっぽを向いた。よく分からないフリは、緊張してのことか。それだけ、住民たちの表情は真剣そのものだ。
「えっと、存在しないと思われたラニエロのダイイングメッセージなんだけどね、遂に見つかって犯人確定に至ったんだ。その文面がこれ」
会議室というだけあるので、もちろんホワイトボードが設置されている。マーユはペンを取って、そこにラニエロの残した文面を書き起こした。
Der Stern can not sleep
下手くそな字だった。
「星は眠れない。星、はどこかの言葉で犯人を指すらしいね。犯人は眠れない。眠れないって……どういうことかな?」
マーユは舐めるように室内を見渡す。「性欲と食欲が無い人間がいるんだ……睡眠欲がない人間が居たって、おかしくないんじゃない? ね、雹?」
「……どうなんだ、セイディ」
「……なんで私に回すのよ」
セイディは苛立たしげに言った。雹が言いたかったセリフそのままだったので、だそうだ、という視線をマーユに送り返す。
「つまり睡眠欲を差し出して、脅威の殺人術を身につけてる人がいるってことだね。まぁ、ここまで来れば簡単だよね。もう答えは食べられるのを待っているようなものだよ」
マーユはにっこりと笑って言った。
「ね、桜葉氏?」
このタイミングで名前が挙げられるということは、その者が犯人だということになる。そんなことは、生きている人間なら誰にだって分かる。
当然、一斉に室内の注目が桜葉に集まった。驚きと疑惑が銘々織り交ざった視線が交錯する。
雹はその注目の輪には混ざらない。これはまだ、初手にしか過ぎないから。
桜葉は表情を失くして、口を開く。
「……どうして、私に回すのですか?」
「それはまぁ、眠そうだからさ。眠そう、というよりも、眠ってなさそう、のほうが正しいけどね、君の場合は」
マーユは桜葉をまっすぐに見ている。
「皆、君のことを心配していたんだ。この途方もなく大きな施設の管理を単身でやってるから、それに見合ったストレス、責務でなかなか疲れてる。それが窺えるから、心配だなあ、って。確かに不健康そうな笑顔をしてるな、って思ったよ。でもそれは、眠くならないからなんだね。それはまぁ、嫌でも顔に出るし、部屋のインテリアにも出ちゃうよね。──管理人室をそのまま、君の部屋として使ってるって聞いたけど、あの部屋は完全に事務室な感じで寝具が一切なかった。いくら、激務だからって仮眠を取るためのものがないのは変だよねえ。あ、唯一ソファは寛げそうだったね。仮眠にも持って来いだけどさ、私が聞き込みに行った時確認したんだけど、あれには埃が積もってたんだよね。使ってないんだなあ、って分かったよ」
そういう細かいところをいつの間にか確認しているところが、マーユのただならない点だ。ある種作為的なふてぶてしさに乗じて、ほぼ初対面の相手の部屋から手がかりを得るなど、常人にはなかなかできない。
「睡眠欲が無い人間に、睡眠をとるための道具を準備するという発想は出てこない。食欲、性欲と同じふうにね」
マーユのそんな指摘に、雹は丸切り反応せずに黙っていたが、セイディは抗議するように目を向けてきた。食欲が無くとも流石になにか食わなければ死んでしまうから、三大欲求の他の要素と同列するな、と言いたいのだろう。
睡眠も取らなければ死にそうだが、人間は疲弊さえしていれば油断すると眠る気が無くても眠ってしまえる。うたた寝を繰り返して、取れない睡眠時間を補っているのだとしたら? そう考えると、マティアスがラニエロ殺害の折、マスターキーを取りに桜葉の部屋へ赴いた時に返事がなかなか無かったのは、うたた寝の真っ最中だったからでは。他にも似たような経験は雹にもあったし、粋人もそんなことがあったと言っていた。
一応、辻褄は合う。
桜葉は深く椅子に腰掛けて、ひどく落ち着いてマーユの話を聞いていた。
「それだけのことで、私が犯人であると?」
「それだけって……十分じゃない?」
マーユは挑発的だった。対する桜葉は両手を肩の高さまで挙げる。
「どう考えても、十分ではありませんよ。それに怪しさならば、レインさんも分が悪いと思いませんか」
「あぁ、まぁそうだね。鎧氏は確かに顔が見えないから、ちゃんと眠れてるかどうかも分からない。でもね、人っていうのはどうしても大きな秘密を幾つも隠しきれるはずがないんだ」
「秘密……?」
「ウォルトは鎧を幾つも持っていて、日替わりで着てるらしい。でも、これって相当手間だよね。私だったら、一着でそのまま着回すよ。でも、何か拘りがあるのかいっぱい持ってる。……それにそもそもの話、どうして鎧を着る必要があるのか、っていう疑問もあった。それは力量を見せびらかすというよりは、姿を見られたくないからだよね。喋れないからって、姿を隠す必要は無いんだ。それで、何で姿を見られたくないのか……それはきっと」
マーユは指先をこめかみに当てて、言った。
「前世界にトラウマがあるからだろうね」
そして視線をマティアスに向けた。彼はじっと、何かを堪えるように眉間に皺を寄せている。いつ爆発してもおかしくない爆弾のようだ。ウォルトの不在が、彼の不安を加速させているのだろう。
それ以上の反応を得られなかったので、マーユは咳払いをしてから言った。
「それが何なのかは、ここで言及するのも変だから、まずはヒントを並べていこうと思う。私がここに到着したばかりの時、ウォルトに聞き込みに行ったんだけど、喋れないからってパソコンで証言を打ち出してくれたんだ。その言語は日本語だった」
マーユは懐からそのメモを取り出して、ひらひらと振る。
「ここに全部写してあるけど、どうして日本語だったの? 質問者の私が英語しか使えないのに、敢えて日本語だよ、粋人が居なかったらどうしてたんだろうね。でもね、それがある印象を植え付ける為にそうしたのだとしたら?」
分からない、という風に住民は首を傾げる。雹は黙ってそんな彼らを観察しながら、マーユの話を聞き流していた。
「部屋を物色した時もさ、いろんな鎧の詰まった棚はあって見てても何も言われなかったんだけど、お風呂にだけは入れてくれなかった。慌てた風に追い出されたんだ。あ、お風呂というか、洗面所かな。あそこには知られたらまずいようなものがたくさん入っるんだなあって、って思ったんだけど……、何だろうね、風呂に置くようなものって」
マーユはウォルトの証言が書かれたメモをぱっと離した。
「──で、極めつけは、事件発覚直前のマティアスの行動」
マティアスの顔に浮かぶ皺が険しくなった。それでも何も言わないあたり、もう自分が何を言おうと無駄だとわかっているのかも知れない。だからこそ、この場にウォルトがいないのだから。
何かしら文句を言われると思っていたのか、マーユは少し拍子抜けたように口を尖らせてから、
「あの状況でマティアスはウォルトの剛力を求めて、駆け回っていた。階段を鬼のように駆け下りている途中で彼が見たものは……備品庫から大量の荷物を担いで上ってくるウォルトの姿だった!」
「……それがどうかしたの?」
アメリーが首を傾げる。
「まぁ、その荷物がちょっとアレだったんだね、アレ。──そのコスメ品とか?」
「……え」
「それも、到底男が必要としないような、ね」
ここまで来たら、今までの話とこれまでの事実を繋げることができるはずだ。
ウォルト・レインは、女。
日本語で文面を書いたのは、『俺』という一人称、そして文章の口調からして男であることを強調するため。風呂には、男が必要としない身だしなみの道具がたくさん置いてあるのだろう。
「そういうデリケイトな物品を一杯持ってたところを、マティアスに見られちゃったから、慌ててそれらの物品を片付けて部屋に戻ってきた。動揺していたマティアスは、事件について証言する時に曖昧にはぐらかすようなことを言ってしまった……、そんなところだろうね」
これまで大事に大事に隠してきた秘密が、こういう事件の起こったタイミングで露呈するのは、人間の心理として避けたいと思うのは当然ではないか。それが事件に関係の無いことでも、だ。
恐らく、ウォルトはその秘密を墓場まで持っていくつもりだったのだろう。だからこそ、こちらの世界でも姿を鋼鉄で覆っていた。その記憶に対する姿勢は、どこか雹と重なるところがある。
それなら、と、雹は思った。
ここまで前世界の記憶に苛まれるのであれば、自分達は『大陸』で死んでおくべきだったのではないか。
「今回の犯人は洗練された技術で殺人をしている。その直後に、今までずっと隠してきた素性がバレるようなヘマは、絶対にしないはず。すると、ウォルト犯人説は弱くなる。マティアスが犯人っていうのも考えにくいよ。ウォルトを研究室フロアで見つけた、なんて矛盾したことを言ってるからね。今回の犯人はかなり狡猾に犯行を実行してる。えっと、それで、アンドレイは嘘つけないからシロ、セイディはニノン殺しが起こった晩は空腹でヘロヘロだったんだ、殺人なんてできないよ。菊蘭はもうそもそも、失ったものからして殺人なんて、できないでしょ?」
マーユの問いかけに、菊蘭は恐る恐るというように頷く。
「そういうわけで、消去法的にあなたが犯人なんだよ、桜葉氏」
その結論の言葉に、桜葉は目を細くした。雹はその動作に釣られないよう、静かに視線を彼に向け続ける。
「……あの、本当にそれが根拠なのですか?」
整った唇の間からは、呆れたような口調。
マーユはたじろがなかった。
「苦しいと思う?」
「私を犯人と断定した根拠が、被害者によるダイイングメッセージしかないじゃないですか。その他はほとんど後付のような説明です。説得力がありません。それに、私は歴とした米国の職員として派遣されてきているのです、祖国を裏切ってまで殺人をするメリットが、私にない」
この施設は、アメリカによる全面的なバックアップで成り立っているため、その目的に反するような今回の事件は、彼の言うように祖国への裏切りにあたる。
雹はほとんど無心で、そんなことを語る桜葉を凝視していた。
良く猫を被っているものだ。こんな男が、独断で今回の事件のようなことをする筈がない。
桜葉は言葉を続けようとする。
「それにですね──」
「あの、ちょっといい?」
しかし、唐突に粋人が声を上げたために、桜葉は話を止めることになった。
室内の注目が一斉に、驚いたように彼の方へ集まる。全くの新参者で自分の能力についての自覚すら無く、これまで目立った発言をしてこなかった少年が、突然発言したことは意外だったのだろう。
雹は微動だにせず、眼だけで粋人を見た。粋人は一瞬、それに応えるように視線をこちらに
「え……あ、なんかごめん……。あの、変な音が聞こえない?」
「変な音?」
マーユが聞き返す。雹は視線を粋人から外し、床に目を向けた。
粋人は彼の捉えた感覚を必死で整理して、なんとか言葉にしようとしていた。
「そう……、何かが流れるような音が……、……あ……」
しかし、彼はふいに喉の奥が詰まったような声を漏らす。
そして、次の瞬間には苦しげに口から血を吹き出した。液体が床へ弾ける音。白目を向いて手で口を抑え、地へ引っ張られるように昏倒する。どたり、と、硬質な音が室内に響いた。
「粋人!」
アメリーが真っ先に叫び、彼に近寄った。
「いきなりどうしたってんだよ……!」
マティアスも血相を変えてそちらへ駆け寄る。他の住民たちはあまりに突然の出来事に身動きがとれないようだった。
粋人はアメリーの腕の中で、何度か痙攣を繰り返した後に、完全に動かなくなった。
その姿を一見するだけで分かる。もう、彼は既に──
「死んでるわ」
腰を浮かしたセイディが、威嚇するような鋭い目付きを桜葉へと向ける。
「……また、霊が殺したの?」
「見なかったんですか、彼は突然死んだんだ……私が手を下せるはずが──」
桜葉は顔を歪めて唸る。
突然舞い降りた死は、会議室に混沌をもたらした。困惑と恐怖が入り混じったような空気が、どこかから流れこんできたようだった。
雹はそんな様子を外から眺めるように壁に凭れ、懐に手を伸ばして得物の柄を指先で撫でた。マーユは表情を硬くして、どう収拾をつけようかと思案しているようだった。
そこへアメリーが呆然とした様子で、言った。
「──確かに、変な音が、する」
「……本当だ、なんだ、これ……」
同じく粋人のもとへ駆け寄っていたマティアスも、顔を上げて肯定する。
「マーユ・ヴェストレーム……、何を考えているんです?」
桜葉は、マーユを睨めつけて言った。すると彼女は、全く予想外のところから矢が飛んできたかのように、目を丸くして答える。
「何って……ちょっとあんま話しかけて欲しくないんだけど、すげー色々考えててもうごっちゃごちゃなんだ。平たく言えば混乱中」
声が震えている。雹は無表情に、そんな彼女を見ていた。その表情に表れているのは、恐怖や不安ではない。
畏怖。
そのまま倒れなかったのは幸いだった。
「…………リリーさんとハッシさんは早急にそこから退いて下さい」
明らかな焦燥が見て取れる声を上げて、桜葉は立ち上がった。




