道徳の授業
この作品は新出中学校・2年3組での道徳の時間の一部始終をまとめたものである。
これはマツデテノヒラムシ。
私が子供の頃は、雑木林に行けばそこらじゅうにいてね。カブトムシを捕まえたかったのに、この虫がたかってきたものだから、断念せざる得なかったなんて思い出もあった。
でも、近年になってからは、個体数は急激に減少。現在は、絶滅危惧種にも指定されています。みんなも先日の特別番組で特集されていたから知っているかもしれないかな。
そう語りながら、細長い茶色の虫の写真が貼られたボードを生徒達に見せる。
カブトムシのような猛々しさも、チョウのような可憐さもない。ただの地味な虫。絶滅危惧種でさえなければ、注目を浴びることもなかったであろう。
私は口を開く。
みんなは、絶滅危惧種の生物と聞いて、どんなイメージを抱くだろうか…いや、別に生物でなくてもいいんだ。廃れつつある文明や言語でもいい。とにかく、失われつつあるものに対してどういう考えを持っているのか、聞かせて欲しい。
生徒の一人が挙手をする。それは生真面目で通っている優等生だ。彼の意見は、「絶滅してしまったら、もう二度と蘇ることはない。それは、地球の財産を失うことに等しい」というものだった。
彼らしい小難しい、やたら大げさな主張だ。他の生徒達は彼の言い分を理解してはいないだろうが、おそらく正しいのだろうと考え、頷き合う。
地球の財産…ねえ。思わず顔を引きつらせてしまう。それを察知した敏感優等生が、眉をひそめた。「何か文句でもあるのか。この100点の模範解答に」と顔に書いてある。
一応のため、他の意見はないかと聞いてみたものの、生徒は沈黙を保つばかりだ。優等生はしたり顔をし、自分に酔っている。
・
授業は中盤にさしかかる。
どうしてこの虫は絶滅危惧種になったのだろう。理由がわかる人はいるかな。私が君達と同じくらいの年だった時は、まだたくさんいたんだよ。ここ20年で急激に減少したんだ。
先生って何歳なの、という女子生徒の質問をスルー。他の生徒からの意見を聞こうとすると、またしても例の優等生が挙手をする。「他に意見がある人はいませんか」と聞いてみるも、完全に優等生頼み。色んな人の意見を知りたい私としては、困った展開となった。仕方なく彼に当ててみると、堰を切ったように語り始めた。
近年の環境悪化は目に見えて進行しています。フロンによるオゾンホールの生成、大気汚染による肺疾患の増加。この虫も、都市開発に伴う森林の伐採によって住処を失ってしまったのでしょう。全ては私たちが便利さを求めていった弊害なのです。だから私たちは自然と共存していくために、努力していかなくてはならないのです。
生徒達は彼の演説に惚れ惚れしていた。優等生は「台本通り」に言えたのが嬉しいのか、ニヤケが止まっていなかった。
…よくもまあそんな弁舌ができるものだ。本来は終盤で私が言うべきセリフなのだろうが、見事に奪ってくれたものである。しかし、まあ…なんというか…
見れば見るほど滑稽だな。
「無駄な努力、お疲れ様」と、誰にも聞こえないようにボソリとつぶやいた。
・・
サトシ君、発表ありがとう。彼の意見はとてもしっかりしていますね。みんなもあれ位しっかり喋れば、テストで悪い点をとっても、お母さんお父さんには叱られずに済むでしょう。
私がそう言うと、クラスのみんなはクスクス笑い始めた。随分と辛辣な冗談を言ってしまったものだと、少し反省する。
優等生…サトシ君は、私の言い方が気に食わなかったのか、もっと褒められると思ったのか、不機嫌になり始める。どうやら立派な天狗鼻を折ってしまったようだ。
生徒一人にかまってはいられないので、授業を再開する。
さて、マツデテノヒラムシが絶滅危惧種になってしまった理由について語りましょう。
サトシ君は環境破壊と言っていましたが、実際は少し違います。環境そのものは破壊されていません。実際、私の故郷は、現在も山に囲まれ木が生い茂るド田舎です。バスだって1日に1本くるかどうかなんですよ。
「それは過疎化によって国に見捨てられたからだろ」…拗ねてしまったサトシ君が何やら独り言を吐いている。
それで、どうして絶滅危惧種になったのか。
理由は簡単です。マツデテノヒラムシは、農作物を食い荒らす害虫だったからです。あれは私が高校生になった時でしょうか。全国で害虫を一掃しようという活動が起こって、作業着を着たおじさん方が草むらに薬物を散布してましたね。
…そして以降、この虫を見ることはありませんでした。茶色い地味な虫でしたけど、いざなくなると虚しさがこみ上げてきたものです。それから現在になって、この虫が絶滅の危機ということでメディアに特集された時、私はどうしてもこの話をあなた方に教えるべきだと思ったのですよ。
「結局人間が悪いんだろ…俺の言った通りじゃないか」サトシ君の独り言はまだ治まっていなかった。生徒達も異常に気付いたらしく、気味悪がっている。
「先生、サトシ君に謝ったらどうですか」…その発言者は、サトシ君と一緒に学級委員をしているノゾミさんだ。彼女はサトシ君に比べれば柔軟な対応が出来る。まあ、サトシ君が常に出しゃばるので、彼女に日の目が当たることはあまりない。
まあ、サトシ君が機能不全だから、自分がフォローしようと考えたのだろう。クラスの代表がいじけてしまっては、クラスの将来にも影響が出る。
彼女の発言によってクラス中はざわつき、サトシ君は私を睨みつける。ノゾミさんはこの状況を早く終わらせまいと忙しなく手を動かしている。
はあ…
・・・
私だって先生ですから、自分に非があれば認めます。サトシ君、少し言い過ぎたようですね。すいませんでした。君ならもう少し耐えられると思ったけど、私が間違っていたようです。これからは気をつけますね。
心にもないことをペラペラと喋る。少しトゲが入ってしまったのは性格上どうしようもないのだが、それに例によってサトシ君が噛み付いてくる。
「それが本当に謝罪だと思っているんですか」
一触即発。これは授業になっていない。刻々と過ぎ去る時間。残りは10分になってしまった。残念ながら、こいつと腹を割って話せる時間は用意されていないようだ。
…誰が、環境破壊を訴えるためにこの題材を用意したと言ったのですか。私はこの虫がメディアで特集された時、実のところ、こう思ったのですよ。「そんなのどうでもいいじゃないか」と。
クラス内が凍りつくのを認識しつつ、話をすすめる。
サトシ君。いや、クラス内の誰でもいい。この虫を飼ったことがありますか、この地味な虫を。カッコイイわけでも、綺麗なわけでもない。私は飼ったことがあります。このボードの写真の通りスズムシに似てはいるものの、見てくれだけで美しく鳴いてはくれません。これといった特徴もなく…それはそれは退屈なものでしたよ。
番組に特集されるまで、マツデテノヒラムシという名前をほとんど誰も知らなかったしょう。それどころか、過去に殺虫剤を散布されている害虫だったんですよ。もしかしたら、コイツのせいで絶滅した植物があるかもしれないのに。手のひら返して「守りたい」だとか、「ヒトが悪い」だとか。冗談ではありませんが、虫が良すぎだとは思いませんか。
この道徳の授業で伝えたかったことは唯一つ。「人間は状況によって、簡単に意見を変えてしまう」ということです。少し早いですが、これで授業を終わります。
・・・・
「ちょっと待ってください。そんなんで、みんなが納得すると思っているんですか」
案の定、噛み付いてきたか。サトシ君の他にも、何か言いたげな顔をしている生徒が数名。その中にはノゾミさんも含まれている。無論、クラス内の調和を取り戻すために動いているのだ。
ノゾミさんもその「事なかれ主義」がなければ、もっと大人になれるのだが。
「俺に論破されたのが悔しいからって、強引にまとめただけですよね」
論破…したのか。確かに君にはそんな風に見えているんだろうな。サトシ君は運動会の選手決めでも、自分と違う意見を頭ごなしに否定している。その度に「論破した」と言って、意見交換の場を破壊する。
君がいれば意見には困らない。だが、君がいる限り、意見は一つしか生まれないだろう。正しい、間違っているではない。多くの意見を出し、その中から新しい見解を見つけ出していく。これが、今回の授業の本当の目的になるはずだった。
本当はこの手段を使いたくはなかったのだが…どうやら、やらなくてはならなくなったらしい。
私は教師用の机の引き出しから、虫かごを取り出した。その中には、葉っぱと、それを貪る茶色の虫が一匹だけ入っている。
「それって、マツデテノヒラムシじゃないですか!?」
サトシ君が素っ頓狂な声を出す。クラスのみんなも声には出ていないが、驚きを隠せてはいないようだ。私は無言で頷き、それをサトシ君の机の上に置く。彼は口を開けたまま、虫かごと私を交互に見つめている。
それは、私が前からずっと育ててきたものだ。年に1回は卵を産む。とてもつまらなく退屈な生き物だが、君がそんなに環境問題に関心を持っているのなら渡そう。なに、きっちりと餌を与えて、温度管理をしっかりすれば生きていけるさ。この虫はデリケートだから、しっかり飼育したにも関わらず、これしか残っていないけどね。
番組で絶滅危惧種だと分かったとき、「どうでもいい」とは思ったものの、貴重な生き物を殺してしまうかもしれないと思うと、やはり恐ろしかった。外に逃がしても生きていけるか分からない。
君だったら、恐らくあの番組を見て、知識を持っているだろう。だから、この授業が来るまで、ずっと机の引き出しの中でこっそり飼育していたのさ…君に譲るためにね。
さあ、サトシ君。私が間違っていて、君が正しいというのなら、この虫を「正しく」育てて見せてくれ。
クラス中に尋常でない沈黙の波が押し寄せる。
「サトシ君だけじゃなくて、み、みんなでこの虫を育てましょうよ…」とノゾミさんは必死のフォローを入れる。
…けれど残念。「事なかれ主義」は最後の最後でボロが出る。
「俺は嫌だぜ」「私もいやだ」「絶滅危惧種を殺したなんてなったら、冗談じゃない…」
クラスメートはどんどん敬遠していく。彼女の最後の尽力も、この状況を突破するには至らない。
サトシ君はというと、色々深く考え過ぎているのか、思考停止している上に半べそ状態。
絶滅危惧種を飼育しろと言われ、肝心の仲間に見切られた。プライドの高い優等生からすればこれまでに味わったことのない衝撃だったのだろう。
授業終了時刻。
隣のクラスから様子を見に、生徒が大勢やってくる。
サトシ君は、ふらふらと席を立ち、人混みの廊下を歩いて行った。ノゾミさんはその後を追いかけていく。
私はサトシ君の机の上に置いてあった虫かごを回収し、教室を出て行った。
こうして、事件の関係者は全員抜けた。混乱に渦巻く教室を残して。
・・・・・
あれからサトシ君は変わりました。
あれだけ自分の意見を押し通そうとしていたのが、今となっては他の人の意見を積極的に取り込むようになりました。
事件直後は、とても居た堪れない空気でした。私やクラスメートも、先生を憎たらしく思ったほどです。
でも、数日経った時に話を聞くと、「あの時、自分は何も知らなかった。ちょっと情報を持っただけで知ったかぶりして、人より偉いと思い込んでいた。自分の言うことをなんでも聞いてくれると思っていた」と話してくれました。
先生については、「嘘をついたことは今も許せないけど、こっちにも非があるので、早く戻ってきて欲しい」らしいです。
それでは。
以上の文章は、私の家の郵便受けに入っていた、ノゾミさんからの手紙である。
私の方はと言うと、事件の責任を取らされて自宅謹慎である。
お互いにとって手痛い教育方法になってしまったが、結果的にはサトシ君はグレずにすんだようで、よかった。
さて、こいつとももうお別れかな…。
丸机の上の虫かごを持って、ベランダへと出て行く。
虫かごを開き、虫を外へと出す。お前には楽しませてもらったよ、ありがとう…
私は、ピョンピョンと跳んでいく事件の主役…スズムシを見送った。
混沌オチ。




