第十三話 シェリーの決意 Act08:黄金の秘宝
セインは、なにもできない自分が悔しかった。
イリアスにへばりつかれ身動きが取れず、炎弾の支援も激しく立ち位置の変わる状態では難しい。
やはり、自分が誰かを救おうなど、おこがましいのだろうか。
十一年前の惨劇を引き起こした張本人である、自分には。
シュバルツグローブの際も、上位階層の精霊でありながら闇精霊の使い手に痛手を受け、退却するしか手がなかった。
全員の避難には手を貸したが、直接的に脅威を撃退したのは、人間の少年である。
ようやく本来の姿を取り戻し、シェリーと共に戦うと心に強く誓ったはずなのに
「アルトリス、ジャマ、サセナイ。イリアス、ガンバル」
いったい、自分はなにをしているのだろう。
同じ上位階層の精霊ですらふりほどけず、目の前で戦っているシェリーを手助けすることすらできないなんて。
助けられないなんて、なぜ決めつける?
――決めつけるもなにも、現に今がそうなっているではないですか。
それは、あなたがそう思いこんでいるだけ。戦いはまだ、終わってはいません。
――しかし、イリアスに抱きつかれて、ろくに身動きが……。
つまりは、あきらめると、そういうことでしょうか?
――違う!! だが、この状態でどうしろと言うんだ!
願いなさい。
――願う?
強く、願いなさい。さすれば、その思いはあなたの力になるはずです。
――思いだけで状況が覆せるほど、戦いは甘くはありません。
まあ、それも真理の一つではありましょう。しかし、あなたは違うでしょ?
――違う? この、私が?
思い出しなさい、あなたの心を奏でているものが、いったいなんなのか……。
セインはふと、意識を呼び覚ました。
時間は、ほとんど経過していない。
イリアスは相変わらず自分の身体にしがみついているし、シェリーはカメリアの光をまとうアルトリスを、力業でねじ伏せようとしている。
だが、アルトリスの方が肉体強化の強度が高い以上、シェリーには圧倒的に不利だ。
――いや、諦めてはいけない、諦めるわけにはいかない。
シェリーはそんな不利な状況下にありながら、それでもなお必死に抗っている。
自分の憧れるままの、勇猛果敢な姿で。
だったら、自分の取る行動も決まっている。
どこまでもお供します、その言葉に嘘偽りはない。
シェリーが諦めない以上、いや、例え諦めたとしても自分は抗い続けよう。
『思い出しなさい、あなたの心を奏でているものが、なんなのか……』
セインはつかのまの幻想の中に聞いた、不思議な声を思い出す。
自分の心を奏でているもの、それは意思を持った精霊素では……。
「ッ!?」
いや、違う。
それは普通の精霊の話だ。
なぜ、今まで忘れていたのだろうか。
昼間シェリーに見られてしまった、重く苦しい記憶に上書きされていたのかもしれない。
思い出せ、自分は普通の精霊ではないではないか。
まだなにもない空っぽの自分。最初に触れたのは、小さな願いだった。
大切なあの子を守りたいという、小さな小さな女の子の思い。
まだ名前のなかったあの時、自分と同じ名前をくれたあの女の子の、暖かで純粋な魂。
その女の子の心を元に作られた自分の奏心術式が、刻み込まれたものは……。
「そうでした。私にあって、あなた達にはないもの。それが、これでしたね」
神話にも登場する神器の一つにして、マグスの祖が用いたと伝えられる至高の魔法具。
「私は……」
セインは強く念じた。
不可能を可能にしたこの魔法具が伝承の通りなら、セインの願いもきっと聞き届けてくれるはずである。
「主の、リシュリーの、勝利を……」
セインはただひたすらに、強く、強く願う。
シェリーの、シェリー=リシュリー=ラ=アーシエ=ド=グレシャスの勝利を。
自らの胸の内に眠る、至宝の魔法具に。
そして、
――きた。
願いは聞き届けられた。
セインの胸の一点から、黄金の光が溢れ出す。
魔力でも精霊素でもない、ただ美しいだけの光。
慎ましやかに、だが存在感をただよわせる神々しい光が。
「――けけれたけらふ、わがきみの……」
それと同時に、ひとりでに口が動く。
旧い精霊や、強大な精霊の使う、精霊にしか理解できない言葉ではない。
言葉は難しくとも、人間にも理解できる言葉である。
だがそれは、本来なら絶対、精霊には行使できるはずのないものであった。
「――やをらふるへし、かむあやめ!」
詠唱終了と同時に、唸りを上げて噴き出すシェリーの魔力。
バラバラのピースが一つの形を作り出し、まとまってゆく感覚がセインを支配する。
そして願いがちゃんと届いたことを、セインは己が目で確認した。
シェリーは覚悟を決めたつもりだった。
今のアルトリスの攻撃を受け止める自信など、針の穴ほどもなかったからだ。
戦闘中に目を閉じるなんて大失態をやらかしてしまったのも、仕方のないことと言える。
「嘘、だろ?」
だが、結果は違っていた。
これまでで一番の光を放っているカメリアの刃は、今日防いだ斬撃の中で最も重かった。
だがシェリーは、その止められるはずのないカメリアの刃を、確かに受け止めていたのである。
先ほどまでは呼吸すらままならない状態であったのに、今は余裕すら感じられるほど、アルトリスの斬撃が軽く感じられた。
――間に合ったようで、なによりです。
不意に、シェリーの脳裏にセインの声が飛び込む。
なにもできなかった申し訳なさの中に、深い安堵の思いを感じた。
それに混じって、戸惑いと自嘲の念も。
――セイン……、もしかしてこれって、あんたが?
シェリーは余裕を持って、カメリアの刃を払った。
突然シェリーの力が跳ね上がったのに驚きつつも、アルトリスは物質化を解いて大剣で再び斬りかかる。
十分な加速を得て振り下ろされる刃は、先にシェリーに防がれたそれよりも速い。
大剣の表面をカメリアの光が覆い尽くし、破壊のエネルギーをより一層引き上げる。
だがそれでも、
ギイィィンッ!!
シェリーを地に屈させることはできなかった。
炎剣を両手で持ち直したシェリーは、荒くなった呼吸を整えながら、易々と大剣を払いのける。
パワーで勝てないと悟ったアルトリスは、後方に跳んで大きく距離を取った。
その間に、シェリーはセインとの念話を再開する。
――自分でも、できるとは思いませんでした。まさか、精霊の身で魔法を行使できるなんて。
――じゃあやっぱり、肉体強化の強度が上がったのは……。
すると、シェリーの身体にも変化が生じた。
セインと同じく胸の中心部から、黄金の光が溢れ出す。
だが、アルトリスのカメリアの光と違い、魔力ではない。
魔力を察知する感覚が、なんの力もない光だと教えてくれる。
そして、その光が更に変形を始めた。
光の粒子が流動し、シェリーの身体に直線と曲線、そして魔法文字を描き始めたのだ。
――やっぱりこれ、魔法!?
――はい。どうやら、主の肉体強化を補佐する機能があるようです。
シェリーの全身に浮かび上がったのは、魔法陣の一種であった。
ただし、こんな魔法は見たことも聞いたこともない。
それどころか、レイゼルピナに存在するかどうか。
浮かび上がった魔法陣は、シェリーの内側に染み込むかのように、皮膚の下へと潜り込んでゆく。
同時に曖昧だった魔法の感触が、急速にその輪郭を浮かび上がらせた。
この術は、グレシャス家の秘術の全能力を、完全に使えるようにするものだ。
シェリーが使っていた肉体強化の強度は、全能力の六割から七割。
それが十割使えるようになったということは、約一.五倍ほど筋力が向上したことになる。
――よくわかんないけど、これでアルトリス兄さんに対抗できるわ。
――のちほど、昼間の件と合わせてお話しさせていただきます。
――うん。じゃあ、行ってくる。
――ご武運を。
シェリーは全神経を研ぎ澄ませ、大地を蹴った。
アルトリスの魔法を封じ、筋力でも完全に上回ったシェリーであるが、もうあまり時間は残されていなかった。
セインの発動させた、肉体強化の補助魔法。
その動力となる魔力はシェリーから供給されているのだが、とにかく魔力の消費が激しいのである。
恐らくは、持って標準時で一分半ほどだろう。
それに加え、魔力循環系も慣れない長時間の戦闘でぼろぼろだ。
内側から、ずきずきと鋭い痛みで限界を訴えてくる。
しかしなぜだろう。
それとは逆に全身に力がみなぎってくるのは。
シェリーは炎剣を振りかぶり、上段から袈裟斬りに振り下ろした。
「くそッ!!」
なんとか反応して防御するアルトリスだが、あまりのパワーに数メートル後退させられる。
踏みしめる大地をがりがりと削り、全身がきしみを上げた所でようやく止まった。
速い。速すぎる。
今受け止められたのも、ほとんど無意識下での行動だ。
カメリアの魔力で強引に強度を上げている肉体強化だが、それでもぎりぎりだった。
アルトリスは素早く後方に跳びながら、指先に魔力を集中させる。
だが、そこでようやく思い出した。
――そウだッた、魔法は封じられて……。
シェリーの行使している、精霊の権能。
それによって、この場にある火精霊は、アルトリスの制御下に置くことができないのである。
その刹那の思考の間に、シェリーはもうそこまで迫っていた。
肉体強化の能力を完全に使用しているシェリーの速度は、今までより二周り以上速い。
大剣では間に合わない。
アルトリスは斬撃の迫る方向に、物質化した魔力で盾を作る。
だが、今のシェリーにとっては紙同然。
炎剣の側面が叩きつけられ、木端微塵に砕け散る。
――ここで終わッて、たまるか!!
アルトリスの思念に応じ、カメリアの光は爆発的にその光量を増した。
シェリーの全身を包む黄金の光を、喰らい尽くさんばかりに。
これで、アルトリスも後へは引けない。
カメリアの魔力が尽きれば、身体は動かなくなる。
やはり、限界出力での使用は身体が耐えられないようだ。
だが、それでも……。
「ハァアアアアアアアッ!!」
アルトリスは渾身の力を込め、迫り来るシェリーの炎剣を迎撃する。
「もう、いいかげんに」
シェリーはアルトリスの横薙ぎを上方にはねあげ、がら空きの腹に蹴りをみまった。
「してください!」
吹き飛ぶアルトリスにむかって、シェリーは小さな火球を放つ。
精霊の権能を併用した、無詠唱の攻撃魔法である。
火球はアルトリスの周囲に着弾し、ドッと土煙を巻き上げた。
土煙に覆われて、アルトリスはシェリーの居場所を見失う。
だが、シェリーにはアルトリスの位置が手に取るようにわかる。
これも、魔力察知の感覚のおかげだ。
こんな便利なものが自由に使えるなんて、昶にもっと早く教わっていればよかった。
シェリーは炎剣に、最後の魔力を注ぎ込んだ。
――これで、決着をつける!!
注がれた魔力に呼応して、炎剣の表面は灼熱の炎に覆われる。
地面が爆発した。
シェリーが地面を蹴った反動である。
圧倒的な力によって押し出されたシェリーの身体は、土煙の中を一直線に突き抜けて、アルトリスへと迫った。
ろくに視界の効かない中で、アルトリスはシェリーの斬撃を下方へといなす。
まったくもって、目を見張る技量だ。
そのまま鍔迫り合う大剣を起点に跳び上がり、上下逆さまのままシェリーの頭部に回し蹴りを放つ。
しかし、その蹴りも片腕で防がれた。
舌を打ちながらアルトリスは反動で距離を取ろうとするが、シェリーはそれをさせない。
アルトリスが離れるより速く動き、炎剣の射程圏に収める。
「でやぁああああああ!」
灼熱の炎をまとった炎剣が、アルトリスの大剣とぶつかった。
しかし、今回は感触が違った。
二本の剣が嫌な音を立て、互いの足がずずずぅと地面に埋もれてゆく。
互の力が、拮抗しているのだ。
先に動いたのは、残り魔力の少ないシェリーだった。
一旦力を抜いて、アルトリスの力を受け流す。
後ろに倒れ込みながら剣を滑らせ、同時に後方へと回り込んだ。
しかし、アルトリスも簡単にはやらせない。
崩れたバランスを整えながら、半回転。
振り下ろされる炎剣の軌跡を完璧にトレースし、ぎりぎりの所をサイドステップでかわす。
そして炎剣が目の前を通過した直後、シェリーに向かって跳んだ。
大剣の切っ先を前方に向け、全力の刺突を見舞う。
艶やかな髪が一房切り落とされるが、シェリーはひるまない。
顔の横を通り過ぎる大剣を眺めながら、固く握った拳をアルトリスの鳩尾へとぶちこんだ。
内臓がひっかき回されるような衝撃に、思わず倒れそうになる。
だがそれでも、アルトリスは倒れない。
しかもそのシェリーの手を握ると、足払いと力のベクトルを操り、シェリーを地面へ叩きつけた。
そしてそこに、鉄でも簡単にへこむ鉄拳を、真上から叩き込む。
しかし、シェリーは四肢に力を込め、倒れたまま横に跳んでなんとかかわす。
そのまま流れるような所作で立ち上がると、間を置かずして再びアルトリスへと斬りかかった。
「アルトリス兄さん、もうやめて。勝負は見えたでしょ?」
「まだだ。まだ、終わるわけには、イかなイ!!」
アルトリスはシェリーの斬撃をぎりぎりでかわしながら、大剣の側面でシェリーのわき腹を強打する。
シェリーの表情が、苦悶に歪んだ。
肋骨が逝っていても、なんら不思議はない。
内側からハンマーで殴られたような痛みに耐えながら、シェリーはアルトリスの手首に炎剣の柄を振り下ろす。
寸前で大剣を引いて直撃は免れたが、皮膚が一直線に裂けた。
「魔法も封じた! 肉体強化も私が上! アルトリス兄さんの魔力も、もう限界でしょ!」
炎剣を這い回っていた炎が、もう一段階温度を上げる。
振り下ろした炎剣の軌跡をなぞって、特大の炎の刃が飛び出した。
「技術では、まだ俺の方が、だいぶ上だぞ」
アルトリスはそれを屈んでかわし、同時に足の溜めを解放。肩からシェリーに突っ込む。
今のシェリーに、勝るとも劣らない速度。
あまりの衝撃に、シェリーは一瞬だけ意識がとんだ。
だがすぐさま回復し、即座に距離を詰めながら灼熱の刃を振るう。
アルトリスは大剣で斜めに受け流し、威力を下方へと逃がした。
斬られた地面が溶け落ち、オレンジの光を放つ。
シェリーはそのまま勢いよく身体を回転させると、地面を切り裂いて再び上からアルトリスに斬りかかった。
「でも、いつも言ってたじゃないですか」
「なにヲかな?」
アルトリスはなんとか炎剣をはじいてわずかな距離を作ると、着地直後のシェリーめがけて猛ダッシュをかける。
「私達みたいなマグスは、肉体強化の強さが全てだって!」
だが、シェリーはすでに体勢を立て直していた。
重い斬撃を真正面から受け止め、衝撃が腕全体に伝わる。
「さァ、どウだッたかな……」
――そウイエば、そんなことも言ッてたッけ。
肉体強化系のマグスの役割は、その大半が敵陣の奇襲か強襲だ。
特に奇襲などは少人数での戦闘になるため、より多くの敵を相手しなければならない。
そうなれば最後に頼れるのは、小手先の技術ではなく純粋なパワーとなる。
普段は十分な距離を持って戦っているマグスは、近接戦には弱い。
そして普通の兵士達は、持ち前のパワーで蹴散らす。
なのでより速く、より確実に敵を仕留めるには肉体強化の強度が全てとなるのだ。
シェリーはアルトリスをはじいて自分も数歩下がると、残った魔力を全て炎剣に注ぎ込んだ。
これで、ホントのホントに空っぽである。
空気を焼き尽くさんばかりの勢いで、ボッと炎が吹き出した。
シェリーは精霊の権能を用いて、それらを炎剣の表面へと集約する。
まるで溶鉱炉から取り出したばかりの鉄のように、強烈な熱と光を放つ。
「はぁああああああああああああああ!!!!」
咆哮を上げた、シェリーは跳び出した。
度重なる急制動と急加速により、すでにブーツの底はすり切れている。
身体の内も外も、限界を超えた戦闘でぼろぼろ。
しばらくは、ろくに身体も動かせなくなるだろう。
それでも、シェリーは赤く燃える大地を駆ける。
憧れの人を、大切な人を止めるために。
「スヴァローク・グラティウス!」
音さえも置き去りにして、炎剣は振り下ろされた。
直視できないほどの光が溢れ出す。
その様は、さながら地上の太陽。
魔力と火精霊を極限まで使い切った、シェリー最大の一撃。
ぶつかった感触は、確かにあった。
だが、炎剣は完全に振り抜かれている。
キィィィィン…………、と軽やかな音色が耳を打った。
シェリーの瞳に、根元から断ち切られて宙を舞う大剣の刃が映った。
ドォォオオオオオオオン!!!!
シェリーの炎剣から、炎の刃が飛び出した。
反動で、シェリーの身体もアルトリスの身体も、大きく吹き飛ばされる。
シェリーの集中力が切れ、集約されていた炎が逃げ場を求めて飛び出したのだ。
重なり合うようにして、地面に身体を打ちつけるシェリーとアルトリス。
熾烈を極めた二人の若きマグスの戦いは、ようやくの集結を迎えたのだった。
「主、起きてください」
頬を打たれ、鼓膜を震わせる静かな声音に、シェリーは目を覚ました。
「……うわぁっ!?」
そして目の前にあったアルトリスの顔に、驚きながらもしっかり紅潮する。
あれだけの戦いをしておいてなんだが、やっぱり自分はこの人が好きでたまらないらしい。
爆発の衝撃に吹き飛ばされたシェリーは、なんとアルトリスに抱きすくめられるようにして気を失っていたのだ。
シェリーは両肩を抱きながら、そそくさとアルトリスの隣に腰を下ろした。
「主、発動体です」
「あ、ありがと」
アルトリスの発動体を両断した愛剣――ヒノカグヤギ――を受け取るシェリーであるが、
「痛たたたたっ!?」
あまりの激痛に、受け取った炎剣を地面に落とす。
いつものように肉体強化を使おうと思ったのだが、血管を内側から針で刺されたような痛みが、全身に広がったのである。
「魔力循環系を、かなり痛めているようですね」
「そうらしいわ。悪いけど、この鞘もお願い。剣まで差したら、多分重すぎて歩けないわ」
「承知しました」
ゆっくりとした動作で、シェリーは背負っていた鞘をセインに渡す。
しばらくは、レナと組み合っても負けてしまいそうだ。
「ん……、あぁぁ……」
シェリーの大きな声に起こされたのか、アルトリスもずるずると上体を持ち上げた。
すぐ隣には、すやすやと寝息をたてるイリアスの姿もある。
魔力を練ろうにも、シェリーと同じく魔力循環系へのダメージが大きく、意識の大半を痛みに占拠される。
カメリアの魔力どころか、もう普通の魔力も作れない。
――そういえば、負けたんだったな。シェリーに。
その光景は、鮮明にアルトリスの網膜に焼き付いていた。
神速と呼ぶに相応しい速度で振り下ろされた、紅蓮の軌跡を。
根元が折れ、砕け散っていった愛剣の最期を。
「アルトリス兄さん、今度こそ、私の勝ちで、いいですよね」
アルトリスは、声のした方を振り向く。
ぼろぼろになってもなお、凛とした姿を崩さないシェリー。
アルトリスは、
「あぁ」
と短く答え、再び地面に寝っ転がった。
「シェリーに追い抜かれないように身に付けた呈色化だけど、まさか君が学院を卒業する前に破られるなんて、思ってもなかったよ」
「呈色化っていうんですか。あの、目に見える魔力」
「あぁ。まだ、総合魔法学研究院で研究途中の技術さ。一定量以上の感情を核として生成される魔力は、普通に俺達の使っている魔力より、エネルギーが多いらしい」
つまりは、それがシェリーの肉体強化を凌駕するに至った技術である。
肉体の強度は、注ぐ魔力の量によって決まる。
これには上限があるらしく、それを超えた魔力を注ぐことはできないのだ。
だが、呈色化された魔力を使えば、同じ量でもより多くのエネルギーを用いることができ、肉体強化の強度をより高めることができる、ということらしい。
炎がカメリアの色を示したのも、その副作用だなんだとか。
「でも、一定量の感情って、いったいどうやって計るんですか?」
「さあな。ただ、俺の友人は、『理論感情値』って呼んでいたよ」
まだ謎が多いから、総合魔法学研究院で研究されているのだろう。
しかし、理論感情値という単語、さきほど聞いたような……。
「それよりアルトリス兄さん」
「……なんだい?」
「どうして、こんなことしたの?」
シェリーが一番聞きたかったのは、それだ。
「国のためだなんとかって言ってたけど、あれってホントじゃないんでしょ。そう思っているのは事実だけど、それが本当の理由じゃない」
「どうして、そう思うんだい?」
シェリーは顎に人差し指を添えて、ちょっと考えてみる。
どうして、そんな風に思ったのだろうか。
あの時は、嘘をつくときの仕草はしていなかった。
だったら、それもアルトリスの本音ではあるはず。
「女のカン、ですかね」
ちょっと考えてから、にへら~っとふやけた笑みを浮かべる。
なるほど、とアルトリスも苦笑しながら納得した。
それからしばらくは押し黙っていたアルトリスであるが、無言を貫いていた口が唐突に開いた。
「たぶん、止めて欲しかったんだろうな。俺は」
そう語る顔は、妙にすっきりとしていて、さっきまで戦っていた人物と同じ人とは思えない。
シェリーの知っている、いつものアルトリスの顔だ。
「俺のことを見ようとしない親父に腹が立って、仕返ししてやりたかったんだよ。あんたのせいで、こんなになっちまったってな」
アルトリスの父親は、いつも家にいなかった。
一年の大半を王都で過ごし、国の運営に尽力している。
母親は生まれつき身体が弱く、アルトリスを生んだ直後に死んでしまった。
なので、長年アルトリスは、親の温かみを知らないままだったのだ。
「でも、なんか怖くなっちまったんだよ。誘われたときは、なんとも思わなかったのにさ」
だが、シェリーやレナは違う。
シェリーは親との確執があるし、レナもレナで大きな問題を抱えていたが、親が家にいる光景は、幼い頃のアルトリスには随分と羨ましく思えた。
「だから、ありがとな。シェリー」
アルトリスは、シェリーの手を優しく握り、
「俺を、止めてくれて」
「……うん」
本当の思いを口にしたのだった。
「俺の方からも、質問させてくれ」
アルトリスは、シェリーからセインへと視線を移す。
自らのサーヴァント――イリアス――と同じく、上位階層の人間型火精霊の精霊へと。
「最後の、お前とシェリーの身体から出てた金色の光。あれは一体なんなんだ?」
それは、シェリーも聞きたかったことだ。
「そうですね。先ほど主にも、後で話すと言いましたし、ここでお話します」
セインは大きく深呼吸すると、その紅い瞳をイリアスへと向けた。
悲しそうな、でもどこか愛しそうな、形容し難い目でイリアスを見つめる。
「十年ほど前にローゼンベルグで行われていた戦女神計画は、またの名を“コード・セイン”というそうです」
それを聞いた瞬間、シェリーとアルトリスは時間が止まったように感じた。
息をするのも忘れ、その間にセインの言葉が全身に染み渡ってくる。
それはつまり、
「私は、戦女神計画の……、最初で最後の、成功個体なのです」
セインもまた、イリアス達と同じ人工精霊、ということだ。
「私以前の個体は、どれもこれも理論感情値が一定量を超えず、精霊としての姿を取ることはほぼありませんでした。完成したとしても、中位階層クラス。しかも、人の言葉すら理解できない有様でした」
十数年前、まだ心を持つ前の自分を思い出しながら、セインは語った。
研究所の風景と、そこで作られ廃棄されていった、多くの人工精霊達の姿を。
「なので、その個体を見たときは驚きました。一柱とはいえ、これほどまで己が感情を示す精霊を作っていたのですから」
拳がぎちぎちと音を立てるほど、セインは強く拳を握る。
双輪乱舞を使わなくとも、セインがどれほど怒っているのかはっきりわかる。
肌に突き刺さるピリピリとした空気に、シェリーもアルトリスも表情を曇らせた。
「ですが、同時に怒りも湧きました。人間はまだこんな、危険で愚かな行為をしているのかと。私達精霊を、実験動物のように弄ぶような」
だが、そこでアルトリスが口をはさんだ。
「そんなはずはない。戦女神計画は、失敗に終わったはず。ラグラジェル第三研究所で行われていた戦女神計画は、研究所の消失と同時に頓挫したはずだ」
「えぇ、その通りです。最終個体は暴走の末、全エネルギーを使い果たして消滅したとされています。研究所の消失以外にも、研究員の死亡や、ウラテス大森林も九割以上が炎上しました。ですが、暴走は余剰エネルギーの放出と同時に落ち着きました。私は、生き残ってしまったのですよ。燃やし尽くした大量の命と、引き換えにして」
セインは、それ以上なにもしゃべらなかった。
温泉でシェリーの中に流れ込んできた地獄絵図は、まさにその時のものだったのだろう。
見渡す限り火の海で、高熱に大地すらも溶け出していた、あの光景は。
肉の焼ける嫌な臭いも、耳を塞ぎたくなるような断末魔の数々も、それらを行ってしまった自分への憎悪も。
「……戦女神計画の最終個体には、その核にある一族の秘宝が使われていたそうだな」
口を閉ざしてしまったセインに代わって、アルトリスが口を開いた。
戦女神計画の個体の核、つまりはセインをセインたらしめているモノ。
精霊を作り出すという暴挙を現実のものとしてしまった秘宝とは、いったいなんなのであろうか。
「あの金色の光は、文献にも一致する」
「……よく、知っておられますね」
ようやく口を開いたセインに、アルトリスはなんでもないような口調で続ける。
「趣味で魔法史学を勉強していたんだ。ローゼンベルグに関係のあって、精霊を生み出すほどの魔法、そして金色の光。思い当たるものと言えば、一つしかない」
「アルトリス兄さん、それっていったい?」
「ローゼンベルグ建国の中枢メンバーであるアプリスプの一族が擁する秘宝、黄金の奇跡とも表現されている“パピルス文書”だ」
セインは、ただ静かに頷いた。
それは、シェリーも聞いたことのある単語である。
「それって確か、神話にも出てくる、あのマグス=パピルスが使ってたっていう、万能の魔法具ですよね。マグスの思い描いた魔法を、すべて現実に引き起こすっていう」
「あぁ。本当にそういう効果があるのかどうかは別にして、アプリスプの一族が“パピルス文書を所有している”っていうのは事実だ。その効果が本当だとすれば、恐らくシェリーの魔力が流れ込むことで、なんらかの術が起動したんだろう」
セインの中に、神話にも登場する秘宝が眠っているかもしれない。
シェリーはその現実離れした話に、ただ頷くだけである。
ふと、セインの方を見る。
不安そうに、自分のことを見つめていた。
「なーに不安そうな顔してんのよ」
だからシェリーは、いつも通りの口調で話しかけた。
「作られた精霊だろうがなんだろうが、あんたはあんたでしょうが」
ようやく笑った。
昼間からずっと不安そうな顔を崩さなかったセインが。
「これからも、よろしくね」
「はい、主」
セインは片膝を突き、深々と頭をたれた。
「あとは、アキラくんがなんとかしてくれることを、祈ろうか」
アルトリスは、王都の方角に向かって目を細める。
あそこにいるのは、人工精霊を作った張本人たるエザリアと、黒衣の集団。
王都の戦力がいかに強大といえど、討ち負かせる保証などどこにもない相手だ。
だが、王室警護隊に加え、連中の危険視している昶もいればあるいは。
シェリーとセインは、ただ昶とレナの無事を祈った。




