第十三話 シェリーの決意 Act07:カメリアの光燐
頭では理解していても、いざその場面に出くわしてしまうと、どうにもならないなんてことはよくある。
シェリーの今置かれた状況も、まさにそのような感じであった。
双輪乱舞を起動中のシェリーは、サーヴァントであるセインと同等の権能を行使できる。
シェリーは確かに、アルトリスの命令に応じる火精霊を、より上位に位置する命令で切り離したはずだった。
「アルトリス兄さん、なんで……」
感触は、確かにあった。
火精霊が炎に転じる寸前、シェリーの意思に応じて散り散りになってゆく感触が。
「なんで、魔法が使えるの?」
にも関わらず、シェリーの炎剣は、アルトリスの張った炎の盾によって防がれていたのだ。
「なんでって、それはこっちが聞きたいことだよ。なんでさっき、俺は魔法が使えなかったのかな?」
本能的な恐怖に駆られ、シェリーはアルトリスの間合いの一歩外まで後退する。
双輪乱舞は壊れていない。
その証拠に、シェリーは今も魔力や精霊の存在を、はっきりと知覚できている。
だったら精霊の持つ、精霊素に対する人間よりも上位の命令権も生きているはずだ。
なのになぜ、アルトリスは涼しい顔をして魔法を使っているのだろうか。
あれは、明らかに中位の防御呪文の一つ。
理論的には、絶対に使えるはずがないのに。
「もしかして、君が使わせなかった、とかなのかい?」
ドキリと、シェリーの心臓が跳ねた。
双輪乱舞のことは、レナにしか教えていない。
ロベリアーヌやシャルルはもちろん、グレイシアやエルミーナにウォルテス、そして昶にすら教えていない。
だが、アルトリスのあの余裕すぎる態度。
一瞬前に魔法が使えなかった理由を、知っているとしか思えない。
「双輪乱舞、だったっけ。主とサーヴァントの間にのみ許される、互いの技術や権能を貸し借りでき、しかも相手の経験を元にそれらの技術や権能を最大限発揮できる。ある種の、反則的な要素を持ってる術だよね」
そして、同時にもう一つの可能性も浮かび上がる。
人間よりも上位の命令をはねのけて、魔法を使えた理由。
すなわち、
「ほんと、シェリーはすぐ顔に出るね。そんな顔してると、はいそうですって、自分から言ってるようなものだよ」
アルトリスもまた、双輪乱舞を習得しているのではないか、という可能性が。
「もしかして、アルトリス兄さんも……」
シェリーは生唾をごくりと飲み込みながら、魔力と精霊素の流れに意識を傾けた。
その感覚が教えてくれている。
アルトリスから噴き出す魔力も、その周囲を渦巻く火精霊も。
不意にその火精霊が、アルトリスの掌に殺到し始めた。
セインの経験が、その流れは魔力による牽引ではないと教えてくれる。
出来上がったのは、直径が四センチほどの、火精霊の結晶。
人間には絶対作れないはずの、圧倒的エネルギーの塊。
それは昼間、シェリーが温泉でやって見せたものと同じ、精霊素の結晶化だ。
これではっきりした。
アルトリスは、双輪乱舞を使える。
これでシェリーのほぼ唯一の優位性は、完全に消え去ったというわけだ。
アルトリスは出来上がった結晶を、ぴんっとシェリーに向かって弾いた。
「ッ!?」
シェリーは反射的に、後方へと飛び退く。
一瞬前までシェリーのいた場所に落下した結晶は、見た目からは信じられないほどの爆発を引き起こした。
爆風にあおられ、シェリーは受け身もろくに取れないまま背中から地面に落下する。
だが、そのまま寝転がっている余裕はない。
強い敵対心を持った巨大な火精霊が、すぐ近くまで迫ってきているのだ。
「っとに、もう!」
シェリーは痛みを堪えて立ち上がり、下から上へ炎剣を力いっぱい斬り上げた。
「ざまぁみろ! ばーか、ばーか!!」
その炎剣に、とてつもないスピードでイリアスがぶつかる。
あまりの運動エネルギーに、受けとめたシェリーの身体が数メートル後退した。
頑丈なブーツが、地面をガリガリと削る。
普段はいているローファーなら、とっくの昔にボロボロになっていただろう。
ロベリアーヌへの反抗心からローファーでなくブーツを選択したのが、こんな所で役に立つとは。
「わたしのアルトリスに、おまえみたいなのが、かてるわけないもん!」
一本一本がシェリーの炎剣よりも大きな紅爪を再構成し、イリアスはシェリーを押し潰そうと飛行力場の力を跳ね上げた。
今度はずずずぅと、少しずつブーツが地面に埋まっていく。
弾き飛ばそうにも、力の拮抗している今の状態ではそのような真似もできない。
それを見越して、アルトリスが大剣を後方へと振りかぶり、猛スピードで接近してきた。
「射抜け! 火精霊!」
だが、間一髪でセインに防がれる。
巨大な炎槍を大量に構成し、艦砲の一斉射よろしくアルトリスに向け一直線に掃射する。
地面に突き刺さった炎槍は炎の壁を作り、アルトリスの侵入を阻んだ。
セインは更にイリアスの背後まで飛翔し、シェリーに押し付けている紅爪を握り潰す。
――イリアス、こっち。
――うん、アルトリス。
だが、そのままシェリーとセインを同時に相手することはせず、イリアスはアルトリスの指示ですぐさまその場を離れた。
セインの作り出した炎のフェンスを飛び越えていき、宙に浮いたままアルトリスの首にしなだれかかる。
一方で、シェリーとセインの方も、体勢を立て直すためにアルトリス達から大きく距離を取った。
「どうしよう、セイン……。アルトリス兄さんも、使えるがみたい」
「どうやら、そのようですね。魔法を封じられて驚かれているスキに昏倒させるという作戦も、どうやら使えなくなったようですし」
「あとアルトリス兄さんに勝ってるのって、肉体強化の強度くらいしかないわよ」
「結局最後は、力業ですか。主の得意分野ではありませんか」
「悪かったわね。どうせ私は、脳筋ですよ~だ」
口を尖らせてすねたように言うシェリーに、セインは小さく頷く。
やっぱり、自分のシェリーはこうでなくては。
例え不利な状況であろうと、そこで諦めず、全力で活路を見出すような。
負けを認めて退いた方がいい場合も無論あるが、ここは退いてはならぬ場所。
避難中の使用人や領民達、戦線を維持しようと必死で戦っている魔法兵達の元に、アルトリスを行かせてはならない。
「でもま、それでもやるしかないのよね」
「はい」
「セイン、行くわよ」
「どこまでもお供します、主」
シェリーは五体に力を込め、大地を踏み砕く勢いで跳び出した。
シェリーの出した結論は、至ってシンプルなものだ。
肉体強化の強度しか勝てる部分がないなら、そこで勝負すればいいだけの話である。
桁外れの腕力と脚力から生み出される、重い攻撃と並外れた移動速度。
そして双輪乱舞の念話による、セインとの濃密な連携攻撃。
通常の念話では不可能な情報量でも瞬時に伝えられる双輪乱舞でなければ、この連携攻撃は成立しない。
これが、今シェリーが唯一アルトリスに対抗できる方法だった。
最短距離を猛スピードで駆けてくるシェリーに、アルトリスは大剣を構えた。
あれだけの速度で突っ込まれれば、さしものアルトリスでも防ぎようがない。
ギリギリまで引きつけて、軌道修正が不可能な所でサイドステップしてかわす。
そう思って待ちかまえていた矢先、シェリーの身体が不自然なほど沈んだ。
その向こう側の光景に、アルトリスはイリアスの襟首をつかんで慌てて横に飛び退く。
一瞬前までアルトリスのいた場所に、セインの放った火球が着弾した。
地面がはぜ、小石や大粒の砂が全身を叩く。
威力は低かったので爆風にあおられることはなかったが、まさか射線を身体で隠すなんて芸等をしてこようとは。
力の制御にまだムラのあるイリアスでは、決して真似できない戦法である。
だが、着地したその先には、軌道修正を終えたシェリーがまっすぐに突っ込んできていた。
「よくここまで……!!」
アルトリスは大剣を斜めに構え、
「成長したもんだ」
シェリーの斬撃を側面へといなす。
腕にはまるで、鉄の塊でも殴っているような、重たい衝撃が伝わった。
可能な限り威力はそらしたはずなのだが、びりびりと腕に痺れが残る。
正面から受け止めていれば、跳ね飛ばされていたかもしれない。
「あぶない!」
イリアスがアルトリスを押し退け、片腕を宙に掲げた。
発生した炎の盾の表面で、数十個の小爆発が発生する。
たった今シェリーの駆けてきた方向から、セインが小さな火球群を放ったのである。
更に挟み込むようにして、アルトリスの横をすり抜けたシェリーが反転し、炎剣を振りかぶった。
「ファイアバレスタ!」
アルトリスは、中位の攻撃呪文を唱えた。
セインの放ったのと同程度の炎の散弾が、シェリーへと襲いかかる。
「ファイアサークル!」
負けじとシェリーも、中位の防御呪文を唱えた。
シェリーの前方に形成された炎の盾が散弾を防ぎ、速度を落とすことなく再接近する。
完全にアルトリスを射程に収めたシェリーは、炎剣の側面でアルトリスを叩こうと渾身の力を込めて振り抜いた。
しかしアルトリスはそれを予測していたかのように、炎剣の側面に足を着け、叩かれるままに同じ方向へと大きくジャンプしたのだ。
まるで軽技師のような曲芸に、思わずシェリーも面食らう。
それに加えて、
「きえろぉおおお!」
セインの弾幕を防いでいたイリアスが、空いている方の手で集めていた火精霊の結晶を爆発させたのだ。
指向性を持って爆発した結晶は、破壊のエネルギーを全てシェリーへと注ぎ込む。
「主!!」
「フレイムパイラス!」
またアルトリスは、セインがシェリーに気が取られているのを狙って、中位の攻撃呪文を唱える。
二〇近く出現した炎槍が、セインに向かって殺到した。
「ちっ!!」
セインはそれをかわし、あるいは物質化した火精霊で薙ぎ払いながら、空中で身動きの取れないアルトリスを撃ち落とそうと、空いている手に特大の火球を作る。
しかし、
「わたしを、むしするなぁあああ!」
凶悪な紅爪を振りかぶったイリアスが、下から襲いかかってきたのだ。
とっさにイリアスに向けて火球を放つも、片腕の一振りで呆気なく消し飛ばされる。
もう片方の腕を振り上げ、更に速度を増すイリアス。
「あぅっ!?」
だが、その背中でいきなり小爆発が起こった。
「さっきはよくもやってくれたわね、このちんちくりんが!」
イリアスの起こした爆煙の中から、一人の人影が飛び出す。
とっさに対魔法防御の施されたマントで、全身を包み込んでいたのだ。
明るい赤紫の髪はすすと土埃でぐちゃぐちゃ、マントに至ってはボロボロで修繕は不可能。
だが、その双眸に宿る闘志はいささかも衰えてはいない。
「フレイムホーン!」
シェリーは剣先に火精霊を集め、思い切り突き出した。
下位の攻撃呪文――収束された炎の塊が、イリアスに向かって宙を貫く。
そちらはなんとかかわしたものの、今度はセインに足首をつかまれ、イリアスは地面に向かって投げつけられた。
「イリアス!」
間一髪、アルトリスが受け止めるが、イリアスは完全に目を回していた。
上空ではセインが火精霊を集め、側面からは炎剣を振りかぶるシェリーが迫ってきている。
――仕方ない。精神的に疲れるから、本当は使いたくなかったんだけど……。
アルトリスが新たな魔力を生成する中、頭上から大量の火球群が降り注いだ。
アルトリスは、ある種の陶酔にひたっていた。
全身を駆け巡る、気怠くも力強い感触。
気性がだいぶ荒っぽくなるのが困りどころだが、気持ちがこれ以上ないほど高揚する。
やったことはないが、麻薬を吸ってハイになる感じとは、こんな感じかもしれない。
溢れ出す破壊衝動も、冴え渡る思考も、なにもかもが久しぶりだ。
「今のは、よかッた。今日見た中では一番かな。速さも、太刀筋も」
爆煙の晴れてゆく中、アルトリスの瞳に最初に映ったのは、驚愕に目を見開くシェリーの姿だった。
まあ、それはそうだろう。
十分以上の加速を得たシェリーの斬撃を正面から止めるなど、本来ならアルトリスにできるはずがないのだから。
理論的にみても、肉体強化の強度で劣るアルトリスが、シェリーの斬撃を受け止められるはずがないのである。
だが、アルトリスはその斬撃を受け止めたのだ。
それも片手で。
「なん……で」
シェリーは四肢により一層力を込めるが、アルトリスは余裕の表情を崩さない。
いくら炎剣を握る手に力を込めようと、アルトリスの大剣はぴくりとも動かないのだ。
肉体強化の強度では、シェリーの方が上なのに。
「さァ、どウしてだろウね」
ひょいっと、小首をかしげるアルトリス。
その時、アルトリスの身体を這い回る赤系の光が、シェリーの目に飛び込んできた。
ぞわぞわぁっと背筋を駆け抜けた寒気に、シェリーは思わず飛び退く。
その隣に、上空から砲撃を行ったセインも舞い降りた。
――どうなってんの? 私の攻撃、止められたんだけど。
――私の攻撃もです。直撃のものだけ、盾で弾かれました。魔力の収束時間も、ほとんどなかったはずなのですが。
――それになんなの、このねばねばしたような、気持ちの悪い魔力。しかも、なんかすごく嫌な感じがする。
――憤怒? いや、嫉妬でしょうか。負の情念が、魔力に色濃く現れている気がします。
冷や汗がどっと吹きだし、肌にべたべたとまとわりつく。
アルトリスの雰囲気というか、オーラのようなものがガラリと変わっている。
あそこにいるのが、本当にアルトリスか疑いたくなるほどに。
次第に土煙が晴れてゆき、アルトリスの姿が露わとなった。
その隣にイリアスが舞い降り、しなを作るようにして肩にもたれかかっている。
うっとりとアルトリスを見つめる目は熱っぽく、まるで屈強な雄を求める雌のよう。
だが、シェリーとセインは違う。
アルトリスの全身を這い回る光に、目が釘付けとなっていたのだ。
ピンク色を帯びた独特の赤い色は、まさにカメリアと言うに相応しい。
そのカメリアの光が、アルトリスの全身から発せられているのである。
ある種の神々しささえ感じる光であるが、その光の正体を感覚が教えてくれた。
だがしかし、
「まさかあれ、魔力なの!?」
「信じられませんが、そのようです」
それは常識的に考えて、有り得ないことだ。
「魔力が見えるのは、物質化した時だけのはずなのに……。でもあれ、物質化してない」
「えぇ。物質化した魔力が示すのは固体的な性質で、あのような流体のような性質は示さないはずです」
しかし、現実はそうではない。
アルトリスの身体を這い回るカメリアの光は、間違いなく魔力だ。
魔力を察知する感覚が教えてくれるのだから、まず間違いない。
しかもこの気配、普通の魔力でもないようだ。
先ほどまで感じていた魔力が水だとすれば、今はまるでどろどろとした油のよう。
ねっとりと感覚を撫でる気配は、生理的な嫌悪感を覚えるほどに気持ちが悪い。
そんな異様な魔力の気配に、シェリーとセインは身構えた。
「これ、使ッた後かなり疲れるから、アまり使いたくなかッたんだけど。でも、仕方なイ。シェリーが俺の思ッてイた以上に、ずッと強くなッてたんだからねェ」
息を荒くしたアルトリスの姿が、シェリーの視界から突然消えた。
否、消えたように見えた。
「そらァッ!!」
「くぅぅ……!?」
シェリーの握る炎剣に、これまでにないほどの衝撃が走る。
あまりの強さに、思わず手を放してしまいそうになった。
しかも、それだけではない。
肉体強化の強度では勝っているはずのシェリーが、完全に力負けしたのだ。
踏ん張りきれなかったシェリーは、そのまま後方へと大きく吹き飛ばされる。
ギリギリの所でセインが受け止めことなきを得たものの、シェリーは別のことで頭がいっぱいになっていた。
アルトリスのあのスピード、明らかにシェリーのそれを超えていた。
結論だけ言えば、今のアルトリスの肉体強化の強度は、シェリー以上、ということになる。
原因があるとすれば、カメリアの光を放つ魔力くらいだが、いったいどういう仕組みで……。
「イリアス!」
「ワカッタァ!」
はるか上空へと跳躍するアルトリス。
それに合わせて、イリアスが炎の奔流を呼び出した。
アルトリスの魔力を使っているからか、炎も通常のそれとは違う。
ピンク色を帯びた赤い、カメリアの炎。
今までの炎よりも、明らかに高い熱量を持っている。
「フレイムシールド!」
シェリーは自分の魔力とセインの権能を用いて、ありったけの火精霊を集めた。
時間が足りなかったので下位の防御呪文しか構成できなかったが、精霊の権能の効果もあってか、炎の盾の厚さは通常の倍近いものになっていた。
普段より防御力を増した盾に、真正面からイリアスの炎がぶつかる。
精霊の召喚した炎を人間が受け止めるなど、本来では考えられないような愚行である。
それだけ人と精霊の間には、越えられない差があるのだ。
イリアスの炎によって、ガリガリと削られていくシェリーの盾と精神力。
精霊の権能と引き換えに、こめかみのあたりにズキズキと激しい痛みが走った。
しかし、確実に防いでいる。
息も苦しくなるほどの炎に包まれているが、シェリーの盾はイリアスの炎を完全に阻んでいた。
だが、相手はイリアスだけではない。
セインは炎で感覚が狂わされる中、アルトリスの魔力を探す。
自分の主がここまで頑張っているというのに、なにもしないわけにはいかない。
ひどくノイズが走る感覚の中、セインはそれらしき反応を見つけた。
同時に、濃厚な魔力が収束されていく気配も。
セインは反射的に火精霊を集め、物質化した。
ズザァァァァァァアアアアアアアアアアアアァッ!!
新月の夜を照らすように、カメリアの光が一閃した。
空中の一点から伸びた光は、まばゆい残光を残しながら、焼けた空気を――そして灼熱の大地を真一文字に切り裂く。
ただ物質化した魔力を、大剣の剣先を起点として延長させただけの、単にそれだけの代物だ。
ただし、そのサイズがあまりに規格外過ぎた。
その長さは、優に十メートルを超える。
カメリアの残光をぱらぱらと散らしながら、長大な大剣は幻の中へと消えた。
アルトリスは自分の作った傷跡に落ちないよう、飛行術も使ってふわりと地面に着地する。
足下にはまるで雪山のクレバスを思わせるような、深い渓谷が刻まれていた。
落ちれば、足くらい折りそうだ。
自分でやっておいてなんだが、少々やりすぎな気がしなくもない。
もっとも、こういう所で加減が効かなかったり、やたら攻撃的になってしまうのがこの状態の副作用なので、それも仕方のないことである。
それにしても、武器の発動体で飛行術を使うのには、神経を使う。
発動体から離れた位置で飛行力場を発生させるのは難しく、蒼銀鎧の魔法兵の中でもほとんどいないほどなのだ。
一方で、イリアスの放つ火炎はようやく勢いを弱めていた。
アルトリスの魔力の副作用を強く受け、異様なほどハイになっているのである。
元からペース配分なんて考えるような子ではなかったが、今は普段に輪をかけてハイペースとなっている。
イリアスの魔力察知の感覚を用いて、シェリーの魔力を探した。
激しい炎のせいではっきりと捉えることはできないが、うっすらと感じることはできた。
そうしてついに、炎の奔流が途切れた。
イリアスの精神力が、限界に達したのだ。
長時間炎にさらされた大地は赤く染まり、それを上下に分断するようにアルトリスの作ったクレバスも現れる。
そして、シェリーが作り出した炎の盾も。
「けほっ、けほっ……。ったく、あのバカ精霊は。肺が焼けるかと思ったじゃない」
「こっちもです。危うく、アルトリス様に真っ二つにされる所でした」
セインの手には、火精霊を物質化して作った長剣が握られていた。
その剣で、アルトリスの巨大な斬撃を側面にいなしたのである。
盾が消えた瞬間、紅蓮の閃光が二つ煌めいた。
セインがイリアスとアルトリスに向けて、長剣を炎にして放ったのだ。
レーザー光のように空間を駆け抜ける炎の片方は、見頃イリアスの右肩を直撃する。
あまりに大きな力を使った反動で動けないイリアスは、回避する動作も見せぬまま盛大に倒れ込んだ。
だが、アルトリスは違った。
最小限の動きでかわしたと思ったら、次の瞬間にはセインに向かって走り出していたのである。
射線をスライドさせるが、向こうの動きが速すぎて間に合わない。
そう思われた矢先、セインの隣をつむじ風が通り過ぎた。
ギィィィン!
吹き飛ばされるのを懸命にこらえ、シェリーは炎剣でぎちぎちとアルトリスを押し返す。
長年の修練によって刻み込まれた動きが、考えるよりも先にシェリーの身体を動かしたのだ。
だが、耐えられたのは一瞬。
鍔迫り合いの末に炎剣をかちあげられ、がら空きの腹に大剣の柄が叩き込まれた。
膝をつきたくなるほどの鋭い痛みに加えて、胃の内容物が一気に食道を駆け上がる。
それだけはなんとか気力で堪えたものの、大剣の側面がすぐ近くまで迫っていた。
硬直から解放されない身体にやきもきする中、シェリーは突然襟首をつかまれてひっくり返される。
その上を、大剣の刃がさっと過ぎ去った。
すると今度は、編み上げのブーツをまとった長い足が、アルトリスに向かって跳ねる。
セインである。
アルトリスはとっさに物質化した魔力で防いだが、盾の上からでも問答無用にダメージを叩き込む。
空中で姿勢を正し、アルトリスは危なげなく足から着地した。
まだ余裕はあるものの、当初より真剣な面持ちとなっている。
それだけ、シェリーとセインを警戒しているのだろう。
その隣に、ふらふらのイリアスが侍る。
カメリアの魔力がやたら堪えるのか、飛行力場すら覚束なくなっている様子だ。
「アルトリスゥ、ナンカ、クラクラスル、ヨォ」
「もウちょッとだけ、がんばってくれなイか? アと少しで、終わりそウだから」
「ウ、ウン。ワカッタァ」
冷や汗をだらだらと流しながら、イリアスは片腕を真上に掲げた。
それに応じて、カメリアの火矢が空を覆い尽くさんばかりに展開される。
「イッッッッケェェエエエエ!!」
オーケストラの指揮者のように、イリアスは腕を振り下ろした。
打楽器や管楽器の代わりに、炎矢が空気を焼く音が一斉に奏でられる。
セインはシェリーを抱え、飛行力場を全開にして飛翔した。
鳴り止まない爆発の連続音が、セインとシェリーを追いかける。
「ニゲテモムダダヨ! ヤワ、マダイッパイアルンダカラ!!」
まるで狂気にでも駆られているように、イリアスは火矢を撃ち出す。
瞳孔は完全に開き切っており、全身からはカメリアの魔力が噴き出している。
それがイリアスをより一層、狂った姿へと変えていく。
狙いは甘いが、とにかく威力が高い。
速度も速く、いつ撃ち落とされてもおかしくない状況だ。
しかもシェリーとセインの手の出せない間に、アルトリスは火精霊を集めて大技の準備を進めていた。
恐らくは、上位クラスの大威力砲撃。
アルトリスの周囲から、燃え盛っていた炎がどんどん消えてゆく。
シェリーも一度だけ使ったことがあるが、精霊ほどではないにしろ、十分に戦術兵器と呼んでいいレベルの呪文だ。
少なくとも、今飛び交っている榴弾よりもその破壊力は大きい。
――セイン、アルトリス兄さんが撃ったら、すぐに私を降ろして。
――しかし、まだ火矢が……。
――いいから。
シェリーの強い意思を感じて、セインは了承の意を示す。
言葉では決して伝わらない意思の強さが、双輪乱舞を通してはっきりとわかる。
アルトリスを止めたい、その一心でボロボロの心と身体を懸命に動かすシェリーの心の内が。
セインはイリアスの火矢に注意を向けながら、アルトリスが術を発動するのを今か今かと待ち構える。
その瞬間は、すぐに訪れた。
無作為に集まっていた火精霊が、統率のとれた動きで複数ヶ所に収束し始めたのだ。
そして、
「トライデンゾルマ!」
アルトリスの周囲に計五つ、カメリアの炎でできた三叉槍が現れた。
一つの全長が約五メートル。
イリアスの火矢一本の数百倍の威力が秘められているのは、言うまでもない。
大剣を振りかぶり、号令をかけようとするアルトリス。
今まさに炎槍が撃ち出されようかというその瞬間、セインはシェリーを下方へと飛ばした。
上下が逆さまの、普段とは反対方向に働く重力。
弾丸のように飛び出したシェリーは、地面すれすれで反転。
しっかりと大地を踏みしめ、落下のエネルギーをも利用してアルトリスに迫る。
セインに炎槍を放った後ようやくシェリーに気付いたアルトリスは、残った魔力を剣先から伸ばして横薙ぎに一閃した。
五メートル以上に伸長したカメリアの刃は、しかし斜め上へといなされる。
こうなってしまっては、長いだけの剣など無用の長物。
即座に物質化を解除して、シェリーの斬撃を受け止める体勢に入る。
ガギィィィィッ!!
ザザザザァァァ……!!
アルトリスから発せられるカメリアの輝きが、より一層強くなった。
鍔迫り合う互いの刃が、オレンジの火花を散らし合う。
通常の刃物ならば、到底耐えられない衝撃と圧力。
これまで以上の速度を持って突貫したシェリーは、アルトリスを後方へと押し出した。
「アルトリスッ!?」
まさかの力負けに、慌てるイリアス。
そのスキを逃さず、セインは一気にイリアスとの距離をつめた。
更に驚くイリアスだが、焦りのせいで先よりも狙いは甘い。
セインはスピードを緩めることなくロールとスライドだけで火矢を回避し、イリアスの腹部に掌底を叩き込んだ。
すでに限界近かったイリアスは意識を失い、ぐったりとセインの肩に身体を預ける。
「どうします? イリアス、気絶しちゃいましたけど」
しかも同時に、アルトリスとイリアスの双輪乱舞も崩壊した。
精霊の権能を失ったアルトリスは、再び魔法を封じられてしまう。
「そウだねェ。でも……」
だが、それでもまだアルトリスの方が上だ。
より強度を増した腕力で、シェリーをはねのけた。
「まだ油断しちゃ、イけなイよ」
側面を向け、そのままシェリーの横っ腹めがけて振り抜く。
シェリーは身体を後方にそらす。
そのお腹の上を、アルトリスの大剣がすり抜けた。
シェリーはそのまま後方に宙返りしながら、炎弾を数発みまう。
だが、斜めに展開された物質化した魔力に阻まれ、アルトリスの向こう側で爆発した。
アルトリスは距離を取るシェリーに向けて、大剣を突き出す。
剣先からはカメリアの光が伸びるが、シェリーの右頬をかすめるだけ。
シェリーは身を屈めると、脚力を生かして一歩でアルトリスにつめ寄り、掌底を顎に向かって打ち込む。
しかし、その手はがっちりと受け止められた。
肉体強化中にも関わらず、つかまれたシェリーの手首は悲鳴を上げた。
なりふり構わず、もう片方の手に握る炎剣を振り回す。
アルトリスは簡単に手を離して炎剣を回避し、後退しながら魔力を物質化して杭を作り、シェリーに投げつける。
もちろん、魔法で構成された炎と比べれば速度は段違いに遅い。
だが、それらは確実にシェリーをアルトリスの真正面へと誘導していた。
シェリーがサイドステップで杭をかわした直後、アルトリスは再び前進に転じる。
踏み込まれた地面は榴弾でも爆発したかのようにはぜ、その反動でアルトリスを押し出した。
「ッ!?」
注意はしていたものの、アルトリスの速度はシェリーの予想を大きく超えていた。
一打目で炎剣は下方へとはじかれ、それに引っ張られてシェリーも前のめりにつんのめる。
バランスを大きく崩したシェリーの背中に、鉄拳を叩き込むアルトリス。
ハンマーで殴られた方が、まだマシであろう。
シェリーはとっさにセインの経験から飛行力場の制御法を引っ張り出し、横にスライドしてなんとか鉄拳を回避した。
地面をごろごろと転がり、素早く立ち上がる。
しかし、宙を滑ったシェリーを追従して、アルトリスはすぐそこへと迫ってきていた。
シェリーの頭部めがけ、伸長されたカメリアの刃――その側面が眼前を通り過ぎた。
あと少しでも刃が長ければ、まぶたを斬っていたかもしれない。
シェリーはセインの権能で火精霊を集め、多数の炎弾を撃ち出す。
呪文を口にする酸素すら、今のシェリーには無駄にできないのである。
空気が熱いのもあるが、息をするだけの余裕すらないのだ。
もっとも、ろくに収束していない炎弾など、今のアルトリスにはなんの意味も為さない。
身体の前方に展開された、円錐形の盾。
魔力を物質化させて作ったそれは、結合の緩い炎弾を次々と消し飛ばす。
更にアルトリスは炎弾をくぐり抜けると、盾に使っていた魔力を大剣へと変形させ、シェリーへと斬りかかった。
コマのように回転しながら、あるいは華麗なステップを踏みながら、左右の剣を休むことなくシェリーへと打ち込む。
物質化された魔力は、質量を持たない。
左右で全く重量の違う得物を持ちながら、アルトリスはそれを完璧に制御していた。
それ自体は素晴らしい技能であるが、それを繰り出されるシェリーからすれば堪ったものではない。
連続して繰り出される攻撃はスキがなく、防戦一方に追い込まれる。
しかもどんなトリックを使っているのか、肉体強化でもアルトリスに分があり、バランスを崩して反撃に転じるのも難しい。
限界出力ギリギリの連続使用に、シェリーの魔力循環系が悲鳴を上げ、全身――特に両腕にズキズキと痛みが走る。
セインも援護に向かいたい所なのだが、
「ジャマ、サセナイ。アルトリス、マモル」
イリアスが抱きついて離れないのだ。
炎弾で支援しようにも、立ち位置がころころと入れ替わるため、迂闊に攻撃することもできない。
セインは己の非力さに、キッと唇を噛み締めた。
自分の主すら助けられないで、なにがサーヴァントだ。
その間もアルトリスの連続攻撃を、シェリーは懸命に防いでいた。
経験のほとんどない二刀流を目の前に、剣の軌跡を、相手の身体運びに必死で目を凝らす。
腕は痛みと痺れがごっちゃになって、剣を握っている感触すら薄くなっている。
カメリアの剣はかなりの魔力を圧縮しているらしく、衝撃は大剣の攻撃を受け止めた時以上。
疲労から息は浅くなり、汗でブラウスがベッタリと肌にまとわりつく。
――このままじゃ、その内押し込まれる。
――その前に、なんとかしないと。
シェリーは連撃を防ぐ一方で、思考を巡らせる。
極限状態の中、鋭敏化した感覚が拾う情報から、わずかな可能性を求めて。
だが、やはりない。
少なくとも、シェリーの突けるスキは。
シェリーは鋭敏になった感覚を更に研ぎ澄ませ、連撃の間に活路を見出す。
決して悟られぬよう、慎重に魔力を貯める。
まだ早い。
これも違う。
ここでもない。
待って、待って、待って。
反撃したい衝動を押さえ、シェリーはその瞬間を待った。
そして、
――ここ!!
回転の際に背中を向ける一瞬、シェリーは跳び出した。
一撃目を炎剣ではじき、二撃目を物質化した魔力で受け止める。
回転を止められて、アルトリスもはっとなる。
まさかシェリーが、自分の一撃を受け止められるほどの強度を、物質化した魔力に持たせられるなんて。
だがその頃には、すでにシェリーの肩がアルトリスの胸へぐっさりと突き刺さっていた。
もしかしたら、トロール鬼のパンチと同程度の威力があったかもしれない。
一瞬、アルトリスの意識がとびかけた。
しかし、
――なんて、子なんだ……。
アルトリスは、その場に踏みとどまったのだ。
それどころか、逆にシェリーの身体を弾き飛ばし、決着をつけようと大剣を振り上げた。
剣先からカメリアの光が伸び、射程範囲を更に拡大する。
これまでで、一番の光である。
肉体強化の強度がもう一段階跳ね上がり、シェリーを叩き潰す準備を終える。
無論、殺すつもりはない。
心を砕き、反抗する意志を奪う。
――これで、終わりだ。シェリー。
「はァアアアアアアア!!!!」
ここまできて、アルトリスは初めて大きく声を荒げた。
そうでもしないと、カメリアの魔力を維持できないのだ。
つまりそれだけ、アルトリスはシェリーの秘めているポテンシャルを恐れているのである。
グレシャス家の肉体強化は、国内最強。
舐めてかかれば、痛い目を見るのは自分の方である。
アルトリスは、長大なカメリアの剣を、一息に振り下ろした。