第十三話 シェリーの決意 Act06:ツヴァインシンフォニア
昶とレナの姿が完全に見えなくなってから、アルトリスは唐突に口を開いた。
「ほんとによかったのかい? もしかしたら、嘘かもしれないのに」
「アルトリス兄さん、昔から嘘つくとき人と目を合わせようとしませんでしたから。あと、ほっぺもかくし。それがなかったから、本当だってわかったんです」
「そうだったんだ。初めて知ったなぁ、それ」
にこやかに答えながら、アルトリスはジュラルミンケースの鍵を開ける。
中に入っていたのは、巨大な二つの球体だ。
大きさは、人の頭よりも一回り大きい。
真っ赤な、まるでルビーのようなそれからは、並々ならぬ気配を感じる。
これも、魔力を察知する練習の成果なのだろうか。
とにかく、悪い予感がしてならない。
「さっきから気になってたんですけど。それ、なんですか?」
シェリーとセインは警戒を強めながら、赤い球を凝視する。
『火精霊の結晶のようにも見えますが、少し違うようです』
『でしょうね。それに、あんなサイズの結晶がもし爆発でもしたら、アルトリス兄さんだって無事じゃすまないもの』
『しかし、非常に大きな力を感じます。くれぐれも、油断しないでください』
『わかってる』
シェリーはセインと念話で話しながら、赤い球について分析する。
仮に火精霊の結晶だとしたら、あのサイズはグレシャス邸を丸々消し去ってお釣りがくるほど大きい。
そんな危険なものを、アルトリスが用意するとは思えない。
だが、火精霊の結晶以外に類似するものがあるかと問われれば、思いつかないのが正直な所だ。
アルトリスは『エザリア女史からの贈り物だよ』と言っていた。
シェリーやセインは知らないが、昶はエザリアという人物のことを知っているらしい。
これなら、少しくらいなにか聞いておけばよかった。
シェリーが昶達を先に行かせたことを若干後悔し始める中、アルトリスは二つの球を地面に転がす。
「まあ、ないものねだりしても、仕方ないわよね」
創立祭のように、誰かの助けは期待できない。
失敗の許されない緊張感に、早まる鼓動を懸命に押さえながら、シェリーはアルトリスの出方をうかがう。
「アルトリス=アレクトゥア=メルデ=アーシエ=ド=クレイモアの名において命ず。来たれ、エナ、ディオ!」
砲撃の轟音が鳴るさなか、それでもはっきりと聞こえる声でアルトリスは起動コマンドを唱えた。
すると次の瞬間、二つの球に変化が訪れる。
突然光り出したかと思うと、いきなり形が崩れ始めたのだ。
まるで押しつぶされた泥団子のように小さな山形へと変化すると、そこから上に向かってにょきにょきと伸び始める。
重力に逆らって上へ伸びたそれは途中まで二股に裂け、更に二つの枝を生やすと、外側に向かって膨らむ。
そう、まるで人間の形をした、風船でも膨らませるかのように。
そして、シェリーの予想は的中した。
頭が膨らみ、腕や足の先には五指が生まれ、胴体はきゅっと引き締まる。
「エナ、それにディオだ」
セインやイリアスと似た意匠の衣服に、赤い目と髪。
姿形はまるで人間だが、人間離れした美しい顔立ち。
「嘘でしょ、これ……」
「残念ながら、嘘ではないようです」
それは間違いなく、人間型火精霊――つまり二柱の精霊だった。
「精霊を結晶にしてたってこと? じゃあ、あれってやっぱり精霊なの?」
「……はい、間違いありません。しかも、ただの精霊ではなさそうです」
セインの拳が、ぎちぎちと音を立てた。
とんでもない力で、強く拳を握ったのである。
しかも極力無表情を貫いているはずのセインが、露骨に怒りを露わにしていたのだ。
あの精霊が、いったいどうしたというのであろうか。
シェリーは黙って、セインの言葉の続きを待った。
「あれは恐らく、人の手によって作られた精霊です」
セインはいったい、なにを言っているのだろうか。
シェリーは言葉の意味を理解するのに、標準時で五秒ほどの時間を要した。
「なによ」
だが、言葉の意味を理解するにつれて、現実味がどんどん希薄になってゆく。
「なんなのよ、それ」
常識では信じられない。
古来から現在に至るまで、付き合いは長くとも、その生態のほとんどが謎に包まれている精霊を、人間の手で作るなど。
「それが、あるんだよ。俺自身も、あれには度肝を抜かれたけどな」
しかし、現にそれは目の前にある。
普通の精霊とどこか違って見えるのも、彼らが本来とは違う生まれ方をしたからかもしれない。
例えば、人間の手によって作られた、とか。
「人の手によって創られた精霊。人工精霊、“アーティフィシャル・エレメント”って、エザリア女史は呼んでいたよ」
「アーティフィシャル……エレメント」
シェリーはオウム返しに、アルトリスの言葉を口にした。
人の手によって創られた精霊、アーティフィシャル・エレメント。
もしそんなことが可能なのだとすれば、王国に勝ち目はない。
魔力がなくとも、精霊はごく短い時間ならば全力を発揮できる。
たった一度の攻撃でも、精霊はマグスの行使する魔法の、数倍から数十倍の破壊をもたらすのだ。
そんなのをまともに受けて防ぐことができるとすれば、国内では近衛隊の上位メンバーくらいである。
「十年くらい前、ローゼンベルグで“戦女神計画”なんて、大それた名前のもの計画が実際に行われていたらしい。その記録を元に、エザリアが手を加えて創ったんだそうだよ。準上位階層級の火精霊。エナ、ディオ、行け」
「……」
「……」
二柱の人工精霊はバッと顔を上げると、返事もしないまま飛び出した。
本当に冷たい、作り物感の漂う瞳。
その瞳に映っていたのは、シェリーではなく、彼女のサーヴァントであるセインの姿だった。
「うぐっ!?」
「セインッ!!」
二柱の精霊――エナとディオ――は、セインの腕や足を乱暴につかむと、勢いに乗ったまま地面へと叩きつけた。
うつ伏せに組み敷かれたセインは、頭と腕、それに足を押さえ付けられ、完全に身動きを封じられてしまう。
安定してきたとはいえ、本調子でないセインに準上位階層級二柱は、さすがに荷が重すぎた。
「シェリー、よそ見はいけないよ」
「しまっ!?」
シェリーがセインに気を取られている内に、アルトリスとイリアスがすぐそこまで迫っていたのである。
手首をアルトリスにつかまれ身動きの取れないシェリーの腹に、イリアスの膝蹴りが打ち込まれた。
「……ッ!?」
とっさに腹筋に力を入れたものの、上位階層の筋力も伊達ではない。
あまりの衝撃に、一瞬意識が飛びそうになる。
「そぉぉぉれぇッ!」
ふわりと浮き上がったシェリーの身体に、更なる衝撃が加えられた。
イリアスの両手で組んだ拳が、シェリーの背中を思い切り打ち付けたのだ。
口の中に土の味が広がり、ようやく自分が地面にひれ伏しているのだと自覚する。
握っていたはずの炎剣も、いつの間にか手から消えていた。
「そして、そのエザリア女史の作った最高傑作が、この上位階層の人間型火精霊、イリアスだ。自我を持ち、己の感情を表現する、本物の精霊と限りなく近い人工精霊。それが俺のサーヴァントさ」
イリアスは嬉しそうに、にこにこと笑みを浮かべる。
火の海と化した、砲撃の行われているこの場所には、不釣合なほどに無邪気な。
この子がこんなに子供っぽいのも、人工精霊だからなのだろうか。
まるで状況を理解しているようでない、ただアルトリスに褒めてもらいたいだけの。
「シェリー、もう一度聞く」
アルトリスはシェリーの後ろ襟を持ち上げると、ゆっくりとその場に座らせた。
シェリーの落とした炎剣は、思ったより近くに落ちている。
少し手を伸ばせば、届きそうな距離だ。
しかし、その少しが限りなく遠い。
「俺達と一緒に、来る気はないか?」
レナの前で大口を叩いておきながら、なんというていたらく。
アルトリスは自分より格上の存在で、万に一つも油断の許されない相手だったのに。
人工精霊に驚き、セインに気を取られていたスキを突かれ、簡単に無力化されてしまった。
大好きな相手だから魔法の狙いが甘くなったとか、剣先が鈍ったとか、それ以前の問題である。
「ロベリアーヌさんが良い人なのは、俺もわかってる。でも、あの人は良い意味でも悪い意味でも、これまでの価値観に捕らわれたままの人だ。君が家督を継ぐのを断固として反対していることなんて、まさにそうさ。男とか女とか小さなことに捕らわれず、領地を治めるだけの器のある人間が、家督を継げばいい。俺はそう思っている」
やっぱり、無理だったのだろうか。
アルトリスに勝負を挑んで、勝ちを得ようなどと。
三柱の精霊に対して、たった一柱の――それも状態がベストでないセインと共に戦おうなどと。
いつも昶やリンネから図太い神経と言われているが、シェリーも気持ちは切れかかっていた。
アルトリスとの技量と経験の差と、自分への不甲斐なさから。
ここでアルトリスに屈するのであれば、いっそ共に行く方がいいのかもしれない。
アルトリスは、シェリーの思いを――考えを否定しない。
実の母である、ロベリアーヌと違って。
それはとても甘美な響きを伴って、シェリーの心の中を駆け抜ける。
そうだ、頷いてしまおう。
そうすれば、アルトリスと、もっと、ずっと、一緒にいられる。
このままずっと、家督を継げないのであれば、いっそ。
「主! 気をしっかり持ってください!」
だが、あと一歩で落ちていたシェリーの心を、セインがつなぎ止めた。
普段からは考えられないような、絶叫とでもいうべき大きな声が、シェリーの鼓膜を震わせる。
「アルトリス様達は、王家を滅ぼそうとしているのです! エルザ様が亡くなられては、レナ様が悲しまれます!」
そうだった。
そうさせないために、レナと昶は王都へ向かったのだ。
「たった一度屈したからといって、あきらめないでください!」
だったら自分の役割は、アルトリスをなんとしても止めること。
例え勝てないとしても、可能な限り消耗させる。
蒼銀鎧の魔法兵は、恐らく大半が国境警備隊を破った方への対応に追われているはず。
それに、残った者も全体指揮を行っている人物の護衛。
この人と人工精霊達の手にかかれば、蒼銀鎧の魔法兵でも蹴散らすのは簡単だろう。
アルトリスを相手にできる人間は、自分しかいない。
たった一柱でも、同じ上位階層の精霊と共にある、自分しか。
「私の選んだ主は、この程度の挫折で、全部あきらめるような人ではありません!」
最初から、こんな所で立ち止まっている暇などなかったのだ。
このまま簡単に負けを認めてしまっては、創立祭の時と変わらないではないか。
セインともっと上手く戦い、その上で己の能力を最大限に引き出さなければならない。
新しい自分に、レナや昶、そしてロベリアーヌにも、胸を張れるように。
――私は変わるんだ。
――今日、ここで!
「目を覚ましなさい! シェリー=リシュリー=ラ=アーシエ=ド=グレシャスゥゥゥウウウウウウッ!」
「……っさいわねぇ。ちゃっかり真名まで呼んでんじゃないわよ!」
シェリーはすぐさま、指先へと魔力を集中させた。
次の瞬間、指先から伸びた赤い刃が、アルトリスののど元を通り過ぎる。
アルトリスはとっさに後方に跳んでかわすが、シェリーはそのスキに自分の発動体を拾い上げた。
「セイン! 私にあんな大口叩いておきながら、そんな所で捕まってんじゃないわよ!」
正眼に炎剣を構えながら、シェリーはセインに怒鳴り散らす。
それを聞いたセインは、ようやく復活した主人公にくすくすと不敵な笑みを見せた。
そうだ、これこそ自分が主と認めた少女だ。
例え無理と言われようと、立ち止まらず、諦めず、誰かの為に本気で一生懸命になれる。
こう在りたいと願った、自分自身の姿が。
「すいませんが、魔力を……、ありったけの魔力を、私に、注ぎ込んでください」
「魔力を? でも、そいつらも火精霊だし、術はそんな効かないんじゃ…」
「信じて、ください。あなたの、サーヴァントの言葉を」
「……わかった」
シェリーはアルトリスと相対したまま、全力で魔力を練り始めた。
見えない力となってシェリーの身体から噴き出した魔力は、丸々セインに注がれる。
「……ア、アルトリスゥ」
「あぁ。さすがは、シェリーの親父さんが期待するだけのことはある」
もちろん、アルトリスに魔力を察知するような能力はない。
だが、肌を通してとてつもないプレッシャーが、全身に重くのしかかってくるのだ。
やはり、魔力の総量ではシェリーの方に部がある。
力押しでは、やはりどうにもならなかった。
「でも、量が多ければいいってものでもないけどね」
魔法の強さは、魔力の量だけで決まるものではない。
正確な制御と、多彩な技術。
その点では圧倒的にアルトリスの方が上だ。
セインがまだ身動きの取れない内に、シェリーを押さえ込もう。
そう思い、発動体の剣に手を伸ばした矢先、
「なにッ!?」
アルトリスの足下に火球が着弾した。
ギリギリの所で回避には成功したが、今のはいったいどこから。
シェリーは魔法を使っていない。
一瞬たりとも視線をずらさなかったのだから、それは間違いない。
そうなると、この場で火球を放てるのはただ一柱。
「まさかっ……!?」
アルトリスは信じられない思いで、セインの方を見やった。
するとそこには、今までシェリーとセインを驚かせ続けたアルトリスでさえ、信じられないような光景が広がっていた。
「エナ、それにディオまで……」
ついさっきまでセインの身体を押さえ込んでいた人工精霊のエナとディオが、あろうことか主人である自分に掌を向けているのである。
その後ろには、土埃のべったりついたセインの姿があった。
シェリーから魔力供給を受け、全身から魔力を吹き出すセインの姿が。
セインがにやりと口角を釣り上げると、エナとディオの掌に火精霊が収束した。
「理論感情値が低すぎます。これではまるで、制御を乗っ取ってくれと言っているようなものです」
ハンドボールほどに収束した火精霊が、火球となってアルトリスに放たれる。
「あぶない!」
イリアスの炎の盾が、火球を後方へと跳ね飛ばした。
目標を大きく違えた火球は、はるか彼方で巨大な火柱を上げる。
「アルトリスゥ、なんか、からだがむずむずするぅ」
アルトリスはイリアスを抱き寄せながら、セインをにらみつけた。
シェリーの魔力を使って、明らかになにかやっている。
現に、エナとディオの制御権を、セインに奪われているのだから。
「セイン、いったいなにをしたんだ? エナとディオ、それにイリアスにも」
「特になにも。主の魔力を使って、火精霊を引き寄せているだけです」
「火精霊を引き寄せているって、まさか……!?」
「そちらの個体は理論感情値がそれなりに高かったので無理でしたが、こちらの二個体はほぼゼロに等しかったものですから。案外、簡単に吸収できました」
その瞬間、エナとディオの肉体に変化が起きた。
四肢や頭部の先端から胸に向かって、身体が朽ち始めたのだ。
赤い光燐となって散った火精霊は、そのままセインの中へと流れ込む。
「ふぅぅ、この感じ。久方ぶりです」
炎の如き長髪をたなびかせ、ルビーの如き瞳でまっすぐにアルトリスを射抜く。
肩を大きく露出させ袖口が大きく開いた袖と、丈の短いベストを組み合わせたような赤と金を基調とした服は、色っぽくも気高さを感じさせる。
ウエスト部分を大きく露出しており、純白のパレオは上半身のベストとは違い、穢しがたい純潔さを漂わせている。
極細の金鎖とルビーよりも紅い宝珠でできた髪飾りは、まるで精霊の王たる象徴のようにも見えた。
人工精霊の火精霊を吸収することで、セインはようやく本来の姿を取り戻しのだ。
「お待たせしました、主」
セインは舐めるように地面スレスレを滑空して、シェリーの傍らにひざまずく。
「不肖セイン、ようやく主のお力になることができます」
「ったく。どうなるかと思って、ひやひやしたんだからね」
「どうやら、主の悪い部分が似てしまったようです。無駄に誰かに心配をかける部分が」
「よく言うわ。あんたの主でしょうが」
だが、ここからが本番だ。
セインと力を合わせて、アルトリスとイリアスという、国内でも上位に入る戦力と戦わねばならない。
勝てるなんてさらさら思っていないが、意地でも勝ちをもぎ取ってやる。
シェリーは胸に固く誓いながら、魔力を練り、剣を構えた。
サーヴァントに精霊を連れた者同士の戦闘は、これまでの歴史を紐解いても数えるほどしかない。
これはサーヴァント自体が珍しい存在で、しかも精霊が人間と積極的に交流を持つようになったのが、つい最近なせいだ。
つい最近といっても百年ほどだが、数千年と積み重ねてきた歴史の前ではほんの短い時間でしかない。
その少ない戦闘の結果、導き出された戦闘方法は二つ。
一つはマグスが遠方から精霊に魔力を送り、精霊だけを戦わせる方法。
命令権こそ上位に位置するも、精霊が単独で牽引できる精霊素には限りがある。
主であるマグスを倒されては、戦闘継続が事実上不可能であるので、マグスは徹底して隠れる必要があるのである。
もう一つは、マグスと精霊が一体となって戦う方法だ。
これにはマグスに高い機動性と運動性が求められるが、その代わり戦力は大幅に強化される。
相手の精霊を倒せる確率も、一気に向上するのだ。
そうすれば、あとはマグスをゆっくり調理してやればいい。
つまり、どちらか片方を先に倒した方に、そのまま軍配が上がる。
逆転はほぼ有り得ない。
今度こそアルトリスは、シェリーとセインの一挙手一投足に注意しながら、発動体の大剣を抜き放った。
シェリーのと同様、鞘の側面ががちゃりと開いて、巨大な刃が顔をのぞかせる。
「アルトリスゥ、あのひとたちこわい」
「あぁ、そうだね。イリアス。じゃあ、イリアスはどうしたい?」
「こわいの、きらい。こわいの、いなくなれ。こわいの……」
甘くささやきかけられたイリアスは、くしゃ~っと柔和な笑みを浮かべながら、元気いっぱいに言った。
「こわす!」
一番最初に動いたのは、イリアスだ。
指先から物質化した火精霊が、長大な紅い爪を構成する。
五本の紅爪を振りかざし、空間を貫いてシェリーに襲いかかる。
――アキラと比べたら……。
しかし、シェリーはイリアスが紅爪を振り下ろす一瞬前に懐へと飛び込み、
――遅い!
振り上げている腕を、炎剣でかち上げた。
「はぁぁああああ!」
がら空きとなったイリアスの鳩尾に、セインの膝蹴りが突き刺さる。
「げほッ!?」
肺の空気は強制的に追い出され、イリアスの身体はくの字に曲がって後方へとすっ飛んだ。
しかし、イリアスの身体の影に隠れて接近していたアルトリスが、シェリーとセインめがけて大剣を真横に振るう。
だが、セインがそれを真上から地面へと叩きつけ、シェリーはアルトリスの肩を蹴り上げた。
「っとと」
アルトリスは全身を屈めてシェリーの蹴りをかわすと、その足の下を通って反対側へと抜ける。
そこで剣先をシェリーとセインに向け、
「フレイムドーン!」
「もえろぉぉおおお!!」
下位の攻撃呪文を唱えた。
同時に、シェリー達を挟んで反対側にいるイリアスも火炎を放つ。
前後から挟まれる形で、火炎がシェリーとセインに襲いかかった。
「セイン!」
「承知!」
だが、火炎がシェリーとセインを捉えることはない。
それぞれが左右に跳んで火炎をかわすと、シェリーはアルトリスに、セインはイリアスに向かって突っ込んだ。
「でやぁあああああ!!」
上段から勢いと全体重をのせ、シェリーはアルトリスに斬りかかる。
アルトリスは大剣を横に構え、その一撃をもろに受け止めた。
術の発動直後で、回避が間に合わなかったのだ。
さすがのアルトリスもこれは重かったらしく、苦しそうに表情を少し歪める。
それぞれ最高位の硬化がかけられた剣同士は、火花を散らすほど激しく鍔競り合う。
そこで唐突、シェリーは力を抜いた。
押し込まれるがままに、後方へと倒れ込む。
だが、シェリーが視界から消えると同時に、今度は紅蓮の閃光がアルトリスの目を焼いたのだ。
「撃ち抜け!」
セインの掌に収束していた火精霊が、炎の槍となってアルトリスに射出される。
「ちっ!?」
アルトリスは斜め後方へとステップしながらこれをかわすが、もうそこにシェリーの姿はない。
「どりゃぁぁああああ!」
後方に倒れ込んでいたシェリーはそのまま後方へと跳び、イリアスを襲撃していたのだ。
力まかせに振るわれる紅爪を受け流し、開いている方の手で掌底をイリアスの顎へと叩き込む。
更におまけとばかりに、開いている腹部に蹴りを叩き込もうとしたのだが、その足首が不意に誰かにつかまれた。
「しまっ…!?」
セインの防壁を一瞬ですり抜けたアルトリスが、シェリーの攻撃を防いだのだ。
アルトリスは勢いを殺さぬまま力のベクトルを微調整し、セインに向かってシェリーを投げつける。
セインはシェリーを受け止め、アルトリスはイリアスを抱き寄せた。
両者は再び、最初の状態へと戻る。
「やっぱ、アルトリス兄さんはすごいわ。セインとのコンビネーションも、全然効かない」
「さすが、主が尊敬しているお方だけのことはあります」
「思ってた以上に技量を上げている。これも、あの男の子の影響かな」
「アルトリスゥ、おなかいたいし、あたまがくらくらするぅ」
アルトリスは半べそをかくイリアスの頭をそっと撫でる。
先の攻防では優勢気味だったシェリーとセインであるが、アルトリスはまだ余裕そうだ。
アルトリスがイリアスをなだめている内に、シェリーは術――双輪乱舞――の構築を開始する。
細心の注意を払いながら、しかし可能な限り早く。
今ならわかる。
自分からセインに流れ込む、魔力の奔流が。
だが、その中に別のイメージを浮かべる前に、アルトリスが斬りかかってきた。
狙いは別のことに意識を割いて、警戒の緩くなったシェリーだ。
切っ先をシェリーに向け、渾身の力で大剣をまっすぐ前に突き出す。
「させません!」
間一髪、その先端をセインが上方へと跳ね上げた。
セインの右手には、火精霊を細長い棒状に物質化したものが握られている。
「こんどこそぉ!」
しかし、アルトリスの背後から、両腕を上げたイリアスが飛び出してきた。
セインの頭上を軽々と飛び越え、左右そろえて十本の紅爪がシェリーに向かって振り下ろされる。
「甘いっての!」
炎剣に魔力を流しながら、シェリーはイリアスの紅爪を受け止めた。
アルトリスには反応できなかったが、こちらはなんとか間に合った。
刀身から炎を噴き出す炎剣は、物質化した火精霊を強制的に炎へと解体する。
だが、シェリーがそちらに気を取られている内に、セインをかわしたアルトリスがすでに懐へと潜り込んでいた。
アルトリスは大剣の柄を、シェリーの腹部に叩き込む。
すんでのところで腹筋に力を込めたが、とてつもない衝撃に苦悶の表情を浮かべる。
「主!」
アルトリスに抜かれたセインであるが、宙に浮くイリアスを地面に叩きつけ、シェリーを抱えて飛んだ。
シェリーの体勢を整えるのと双輪乱舞の構築に、砲撃を受ける覚悟で大きく距離を取る。
案の定、着地を狙ってアルトリスとイリアスが炎の弾丸を撃ち込んできた。
セインは火精霊を集めて、炎の盾を形成する。
シェリーの魔力を媒介にしているだけあって、たった一瞬で中位クラスの盾ができあがった。
弾丸は盾の前に簡単にはじかれ、シェリーはその内側で術の構築を続ける。
ここから先は、失敗すれば強烈な頭痛と吐き気にみまわれる所である。
だがそんなことなど忘れて、シェリーはイメージを急速に膨らませていった。
強く、はっきりと、魔力の中に意思の流れる管を意識する。
「火精霊!!」
シェリーが術の構築に専念する間、セインは大量に構成した炎の槍で接近するアルトリスとイリアスを迎え撃った。
弾丸とは比べ物にならないエネルギー塊を前に、さすがのアルトリスも容易に接近できない。
「イリアス!」
ならば、対抗できる駒を用いればいいだけのこと。
「わかったぁ!」
目には目を、上位階層の精霊には上位階層の精霊を。
「アルトリスをいじめるやつはぁ……」
前方にかざされたイリアスの両手に、巨大な炎塊が形成される。
セインが集めた火精霊と同等か、それ以上の物量だ。
「きえちゃぇぇえええええ!」
巨大な炎塊が、尾を引いてセインの盾へ放たれる。
セインはアルトリスとイリアスの迎撃に向かわせていた炎槍を、全て向かい来る炎塊へと撃ち込んだ。
集めた量は拮抗しているものの、セインは迎撃に使ってしまった分、総量はイリアスの方が多い。
セインは炎槍を操りながら、盾の面積を小さくして防御の準備を整える。
術の構築が最終段階に入っている今、シェリーを動かすことはできない。
着弾までの刹那の間、シェリーの魔力を用いてありったけの火精霊を牽引した。
ドォォォオオオオオォォオオォォォォン!!!!
威力としては、上位の一歩手前辺り。
アルトリスの予想していた以上の大威力砲撃が、シェリーとセインに襲いかかった。
あまりの威力にアルトリスは接近するのを中断し、爆風に飛ばさぬよう大剣を地面に突き刺す。
「頭ではわかっていたが、さすがにこれは……」
アルトリスの魔力を用いて火精霊を牽引したのだが、その量の凄まじいたるや。
同量の魔力を用いたとしても、アルトリスではあそこまで火精霊を引きつけることはできないだろう。
人工精霊であろうと、やはり上位階層は伊達ではなかった。
だが、それは相手も同じこと。
「あれに耐えるか……。やはり、精霊素の制御と服従させる力は、精霊には及ばないな」
対魔法・物量障壁を突破して周囲の建物まで巻き込んだ爆炎が、ゆっくりと晴れてゆく中、アルトリスは炎の盾を見つけた。
やはり、精霊同士が戦っていてもらちがあかない。
「イリアス、火の玉だ」
「うん!」
アルトリスは大剣を地面から引き抜き、勢いよく走り出した。
その上空から、多数の炎弾がセインに降り注ぐ。
その様は、まるで流れ星の大群でも見ているかのようだ。
しかし、受け止める側としては、美しさに感動している暇などない。
シェリーの魔力を媒介にしているとはいえ、莫大な量の火精霊を従えるには相応の精神力が必要になる。
先の攻撃を受け止めた直後で、上手く火精霊を制御できない中、懸命に盾の強度を保つ。
だが、おかげでシェリーは十分な時間が得られた。
――繋がった!
――はい。
互いの持つ技能や権能を貸し借りできる、双輪乱舞。
しかもより深度の深い念話も可能にするために、セインの疲労具合もシェリーには手に取るようにわかった。
頭全体が締め付けられるような、強烈な痛みである。
――セイン、盾解いて。アルトリス兄さんが来てる。
――わかりました。
セインの魔力察知の補助もあって、今のシェリーはアルトリスの位置も容易に把握できる。
イリアスの炎弾に釘付けになっている間に、アルトリスは一気に距離をつめてきていた。
速いには速いが、肉体強化の強度が高い分、昶の方がまだ速い。
セインの盾が霧散する中を突き抜けて、シェリーはアルトリスの横薙ぎを受け止めた。
寸前まで放たれていた炎弾が身体のあちこちをかすめ、小さな火傷を作るが、そんなことに構ってはいられない。
ギィィンと甲高くも重厚な金属音が響き、衝撃が互いの腕を痺れさせた。
――アルトリス兄さんに魔法を使わせて、意表をついて一気に決めるわよ。
――承知しております。双輪乱舞ですので。
同じ肉体強化を使うシェリーとアルトリスであるが、強度はシェリーの方が高い。
セインと念話で会話しながら、シェリーは強度の差で強引にアルトリスをはね飛ばした。
チャンスは恐らく一度きり。
アルトリスが魔法を使った瞬間に、精霊の権能を用いて火精霊の制御権を奪う。
現在はセインとイリアスの権能が拮抗しているため問題なく魔法を使えるが、シェリーもその権能を使えばアルトリスは魔法を使えなくなる。
その一瞬のスキをついて、アルトリスを戦闘不能に追い込まねばならない。
発動体を取り上げるか、気絶させるか、最悪身体の骨をどこか折ればなんとかなるだろう。
「こらぁ! アルトリスをいじめるなぁ!」
上空から炎弾を掃射していたイリアスが、シェリーめがけて一気に降下してきた。
両腕に紅蓮の炎をまとい、地面に突っ込むような勢いでシェリーにぶつかる。
シェリーは両足に力を込め、真っ向からそれを受け止めた。
炎剣は込められたら魔力に呼応して炎を吹き出し、イリアスの炎とぶつかり合い大量の炎塊をまき散らす。
押し潰そうとするイリアスと、弾き飛ばそうとするシェリー。
二つの力が拮抗し、月よりも明るい光と、莫大な熱量が放出された。
「こんのぉぉおおおおッ!」
だが、地上にいるシェリーの方が、わずかにイリアスを上回った。
イリアスが後方へと吹き飛ばされ、均衡が崩れ去る。
しかし、その時を狙っていたとばかりに、今度はトップスピードのアルトリスが迫ってきた。
セインは剣状に物質化した火精霊で横薙ぎを斜め上へといなし、そのままの体勢でアルトリスにタックルをみまう。
ところが、これも読んでいたかのように、アルトリスは身体をひねって見事にかわした。
更にひねった回転を利用して、アルトリスはそのままシェリーへと斬りかかる。
至近距離で、シェリーとアルトリスの目があった。
「シェリー、随分と強くなってるじゃないか。ちょっと嬉しいよ」
「どの口で言ってるのよ。シャルルやママの乗ってる竜籠、落とそうとしておきながら!」
押し込むシェリーに対して、アルトリスは同じ向きに跳んで大きく後退する。
反転したセインが、すぐ横から斬りかかってきていたのだ。
「もえろ! もえろ! もえろ! もえろ! もえろぉぉおおおおおお!!」
アルトリスの離れた直後、イリアスの作り出した火球がシェリーとセインに降り注いだ。
斬り込むと同時にアルトリスは指示を出し、イリアスに火精霊を集めさせていたのである。
魔力を介して牽引された火精霊は、それぞれ不揃いな球へと形を変え、散弾に近い勢いで撃ち込まれる。
ドッ!! ドドン!! ドォォン!!!!
地面がめくれ、土煙が立ち上り、炎になりきれなかった火精霊の光燐が舞い散る。
万にも届きそうな火球群は、付近一帯を焦土へと書き換えた。
対魔法・物理障壁をも打ち破り、グレシャス邸を半壊させ、自慢の温泉施設も爆撃で消し飛ぶ。
アルトリスの魔力という、他の精霊を圧倒するアドバンテージがあるとはいえ、やはりその火力は常軌を逸していた。
これが上位階層の精霊。
人の手によって――エザリアによって生み出された、人の形をした超兵器の一端。
自分が指示したことであるが、マグスとは文字通り桁違いの力にアルトリスは背筋がぞっとした。
やがて火球群の砲撃が止み、完全な静寂が訪れる。
避難は完全に終わっていたのだろう。
人の悲鳴は、ただの一つも聞こえない。
司令部を潰して戦線を混乱させる役割は果たせなかったが、グレシャス家の機動艦隊を含む国境警備隊の相手をしているのは、異法なる旅団を始めとした凄腕の傭兵達だ。
きっと、なんとかしてくれるだろう。
シェリーとやりあうとわかっていれば、数人ほど護衛と称してマグスを連れてきたのだが、まあいい。
今の砲撃を喰らえば、さしものシェリーといえどもただでは済まないだろう。
向こうも上位階層精霊を連れているのだから、無事ではあるだろうが。
だがしかし、準上位階層級の人工精霊を二柱も失ったのは痛い。
司令部の襲撃を担当したのも、三柱もの精霊を従えていたからだ。
まあ、イリアスだけでもなんとかなるだろう。
「さて、そろそろかな」
次第に土煙と熱気が晴れてゆき、改めて惨状が露わになる。
元通りにするには、大規模な土木工事が必要そうだ。
レイゼルピナ魔法学院の街道ほどではないにしろ、高低差が一メートル以上ある道を進んで使いたがる人間もいまい。
「フレイムホーン!」
土煙を突き抜けて、一筋の閃光が迸った。
高密度に収束した炎の塊が、アルトリスめがけて一直線に飛んできたのだ。
すんでの所でかわしたが、今のは危なかった。
近接戦闘に慣れたアルトリスの反応速度でなければ、そのまま喰らっていても不思議ではない。
だが、それだけでは終わらなかった。
「でゃぁああああああああ!!!!」
土煙を突き抜けて、シェリーは紅蓮に輝く大剣を振り上げる。
戦女神計画の由来となった女神がもしいるとすれば、こんな感じではなかろうか。
そう思わずにいられないほど、戦場のシェリーがアルトリスには凛々しく、そして美しく見えた。
だが、当の戦女神は自分の元にいるのだ。
勝ちを譲るわけにはいかない。
アルトリスがサイドステップでかわした所を、シェリーの炎剣が大きくえぐった。
肉体強化に物を言わせた強引な斬り込みだが、それ故に油断は許されない。
単純な筋力では、アルトリスはシェリーにはかなわないのだから。
シェリーはそのまま力業で炎剣を反転させ、アルトリスを追って逆袈裟に斬り上げる。
刀身は軽々とかわしたものの、飛び散った砂粒や小石がアルトリスの全身を叩きつけた。
イリアスに指示を出そうと目をやると、そちらにはセインが貼り付いており身動きの取れない状態となっていた。
やはり、完成して一ヶ月と少しでは、同格精霊の相手は務まらないか。
アルトリスは後方に大きくジャンプしながら、迎撃のために魔力を練る。
大剣の先端をシェリーに向け、周囲に小さな炎の玉が生まれた。
――いま!
しかし、それはまだ完全にシェリーの間合いだった。
渾身の力を込めて大地を蹴り、セインの持つ権能――精霊素に対する人間より上位の命令権を行使する。
「なにっ!?」
寸前の所で魔法をキャンセルされ、炎の玉はあっけなく消失した。
アルトリスの大剣の内側にもぐり込んだシェリーは、炎剣の面を向けてアルトリスに叩きつける。
キーーーン、という甲高い音に、シェリーとセインは戦慄を覚えた。