第十三話 シェリーの決意 Act04:朔の夜に
魔法の練習を終えたアルトリスと入れ違いに、風呂上がりのレナとシェリーが練習場にやって来た。
おかげで、昶の“温泉に入る”という目的は果たせなくなったわけである。
「あんた、アルトリスさんとなにか話してたの?」
「いや、特になにも。シャルルの話が本当なのか聞かれたけど。しばらくそこで火の玉撃ってただけ」
湿った髪の毛とか、それが頬やら首やらに引っ付いているのが、やたら艶めかしい。
昶は風呂上がりでやたら色っぽいレナから目を伏せながら、アルトリスが火球を撃ち込んでいた的を指差した。
まあ、魔法文字でガードされた的なので、跡なんて全然わからないのだが。
「そういえば、もう使用人たちの間で噂になってたわね。シャルルが、なんかボロボロに負けたらしいって。あのバカにはいい薬よ」
「あんた、自分の弟なんだからもうちょっとマシな言い方があるでしょ」
「いいのよ。学年次席で調子に乗ってたんだから」
と、まるでウォルテスのような発言をするシェリー。
ペットは飼い主に似るとよく言われるが、使用人にも当てはまったりするのだろうか……。
まあ、恐らくはウォルテスだけだろう。
「それにしても、少しキツすぎないか? 俺が弟なら泣きたくなるぞ?」
「いいのいいの。どのみち、今のままじゃ王都派遣組の蒼銀鎧の下っ端がいいとこなんだから、もっと上達してくれなきゃ。頑張る方向間違えてんのよ、あいつは。私に勝つこと目指しても、大して意味ないってのに」
だが、そこはやはりお姉さん。
厳しい言葉の裏には、そのような思いが込められているのだ。
昶としては、それが本心であることを願いたいばかりだ、同じ弟の身として。
「って、シャルルの話はいいのよ別に! それより、さっさと魔力を察知する練習するわよ。さっきセインの感覚借りて、なんとなくわかったような気がするから」
「感覚を借りた?」
シェリーの言葉に、首をかしげる昶。
レナはそんな昶を指で小突くと、魔力の供給路を使った念話で話しかけた。
『主とサーヴァントが、互いの技術や権能を貸し借りできる術で、セインの魔力や精霊を感知する能力を借りたのよ』
『そりゃまた、えらい術を身に付けたな。って、なんで念話なんだよ?』
『シェリーから口止めされてるのよ。特にあんたに』
『あぁ、そうなんだ』
はた目には、目と目で会話しているように見える昶とレナ。
ここが学院の教室なら、お前らもう付き合っちゃえよ、いやむしろ結婚しちゃえよ、みたいなことになるのだが、ここにいるのはシェリーだけだ。
昨夜の一件もあることだし、ここは黙って見逃してやるのが大人の女というものだろう。
というわけで、シェリーはその光景を心の中に留めるのだった。
それからしばらく魔力を察知する練習をしていたレナとシェリーであるが、気付けばだいぶ日が暮れていた。
真冬だけに、日が落ちる時間も早い。
時間も忘れるほどに、二人は練習に熱中していたようだ。
だが、ついに成果が出始めた。
レナは午前中の成功した時の感覚を、シェリーはセインの魔力察知を借りた時の感覚を思い出しながら。
まだかなりの集中力を要するが、練習中に何度か互いの魔力を感じ取ることができたのである。
ここまでくれば、あとはじっくりと時間をかけて精度を上げていくだけだ。
「まずは、第一段階完了、ってとこかな」
抱き合いながら喜ぶレナとシェリーの姿に、昶もつい口元を緩ませる。
レナ達の成長が、なぜだか自分のことのように感じられて、とても不思議な気分だった。
「寒くなってきたし、そろそろ戻るとしますか」
シェリーは親指で出入り口の方を指しながら、昶に爽やかな笑顔を見せる。
昨日の、壊れる一歩手前みたいな危うさはない。
完全にいつも通りの、昶の知っているシェリーの姿だ。
「あぁ。ここって、俺のいたとこよかずっと寒いからな。また風邪なんかひいちまったらたまんねぇよ」
昶は軽く返しながら二人と並んで出口へと向かう。
大砲の訓練をしていた兵士達も道具をしまい始め、剣や槍の訓練をしていた兵士達も入念に武器の手入れをしている。
彼らの邪魔にならないよう、練習場の端を通って出入り口に向かっていると、昶の感覚が魔力でない反応を察知した。
「どうしたの?」
「火精霊の気配」
レナの質問に、昶はすぐさま返す。
しかもこの火精霊の気配の感じ、個体にも心当たりがある。
だが、これはいったい……。
「セイン、いるんだろ?」
昶はシェリーのサーヴァントに呼びかけた。
「セインいるの!? いるなら出てきて!」
昶に釣られて、シェリーも自らのサーヴァントに呼びかける。
ほどなくして、なにもない空間から像を結ぶようにして、セインが姿を現した。
ずっと近くの火山にこもって火精霊を収集していたのか、身長がほんの少しだけ伸びているようだ。
しかし、その面持ちは明らかに暗い。
普段は無表情(それでも心が顔に出やすい)を貫いているセインなのに、今は取り繕うことすらできていなかった。
「さっきはどうしたのよ。いきなり、いなくなったりして」
シェリーは宙にたたずむセインの下まで歩み寄り、深紅の瞳をのぞきこむ。
最上級の力を持つ上位階層の精霊とは思えないほど、その瞳は危うい儚さを湛えていた。
「……主。見たの、ですよね」
セインは感触を確かめるように、ゆっくりと口を開く。
火精霊の気配が、不自然なほどにざわついている。
セインの緊張の度合いが、昶には明確にわかった。
今セインが話そうとしているものの内容は、それほどのプレッシャーを感じるものなのだろう。
「見たって、なにを?」
シェリーもセインの反応をうかがいながら、聞き返す。
話すと決心したから、こうして戻ってきたのだろう。
セインは目を伏せながら、今にも消え入りそうな声で告げた。
「私の、記憶を……です」
セインは辛そうに顔を背け、宙を滑ってほんの少しシェリーから遠ざかる。
やはりその話だったか、とシェリーは昼間の出来事を思い出した。
辺り一帯が全て熔岩で埋め尽くされた、この世のものとは思えぬ景色。
甲高い悲鳴、絶えぬ絶叫、数え切れぬ怨嗟の声……。
映像と同時に流れ込んできた、圧倒的な負の感情。
あれはやはり、セインの記憶が流れ込んできたものらしい。
いったい、セインの過去になにがあったのだろうか。
辛いことがあったのなら、自分にも話して欲しい。
昨日のレナと自分に重ね、シェリーはそんなことを思った。
辛いことでも、話せば少しは楽になる。
半分こするなんて単純な話でもないが、実際シェリーはそれで楽になったのだ。
だったら、今度は自分が誰かにしてあげたい。
だが、その言葉が出てこなかった。
セインの表情が、それを否定していたのだ。
今は聞かないで欲しい、といった風に。
「明日には、お話しできるかと。申し訳ありませんが、今日だけは、ご勘弁願います。まだ、心の整理が出来ていませんので」
「別に、話さなくてもいいわよ。話したくなったらでいいから」
「いえ、いつかはお話ししなければと、思っておりましたので」
セインは恭しく一礼すると、空気の中へ消えていく。
物質化を解除したのである。
以前と比べて簡単に物質化したり解除したりするようになったのは、火精霊の量がそれなりに戻ってきて状態が安定してきたからなのだろう。
それ自体は喜ばしいことであるが、今度は別の問題が出てきたようだ。
セインの過去に、いったいなにがあったのだろうか。
三人は暗い気持ちのまま、練習場を後にした。
朝と昼の食事に続き、夕食もそれはそれは険悪なムードの中で進められた。
原因はもちろん、現在徹底交戦中のロベリアーヌとシェリーだ。
レナとアルトリスは慣れた感じで食事を進めるが、気の小さいシャルルを始めとした使用人達やこの手の雰囲気に慣れていない昶には、非常に胃に悪い。
それはもう、穴が開くんじゃないかというほどに。
もしこの場にリンネがいれば、あまりのプレッシャーに足腰が立たなくなっていることであろう。
いや、もしかしたら気絶したり、なんてのも十分にあり得る。
とにかくそれくらいピリピリとした緊張感が、グレシャス家の食卓を支配していたのだ。
「それでシェリー、いつになったらそのはしたない格好をやめるのかしら?」
「さあね。まあ、風呂上がりには寝間着に着替えるわよ。それに、学院の制服のどこがはしたないってのよ。ママみたいなの一日中着てたら、逆に疲れちゃうじゃない。私はわざわざ疲れるために、帰ってきたわけじゃありません」
とまあ、二人の関係は修復とは真反対の、険悪化の一途をたどっているのである。
「まあまあ、ロベリアーヌさん。今は夕食の時間なんですから、そういった話は別の時間にでも。怒ってばかりいては、美味しい料理も美味しく感じられなくなってしまいますよ」
アルトリスが間に割って入ってくれているからまだいいものの、明日の朝には帰ってしまうのだ。
シェリーがロベリアーヌと仲良くなればそれがベストなのだが、その可能性は絶望的に低い。
昶が、明日からレナの付き人として入室させられているのを、断ったりはできないだろうか。
なんて考えていると、
「ごちそうさま」
高価な銀食器をテーブルに叩きつけ、シェリーは席を立った。
そのままマントのすそを翻し、使用人達の開けた扉から悠々と出ていく。
扉の閉じた瞬間、張りつめていた空気が一気に弛緩した。
特に昶と年の近そうな使用人の女の子なんかは、思いっきりため息なんかついてグレイシアに怒られている。
「はぁぁ、まったくあの子ったら……」
ロベリアーヌは深いため息をつきながら、悲しげな表情を浮かべた。
ついさっきまでは、昶でもぞっとするほど厳しい表情をしていたのに。
今はとても怒ったりするような人には見えないほど、優しそうな表情をしていた。
「女の身で家督を継ぐことが、どれだけ大変なのか知ってるのかしら」
「たぶん、知らないと思いますよ」
ロベリアーヌの何気ない独り言に、レナが答える。
やっぱり、といった風にロベリアーヌは顔を伏せた。
なにも、夢を持つことを悪いとは言わない。
だが、当主を夢見ることと、当主になることでは、大きく意味が異なる。
当主になれば、家の存続させる義務はもちろん、全領民の生活に対して責任を負わねばならない立場となる。
領内や王国の政について議論しているだけでも忙しいというのに、周囲の貴族達から舐められないように立ち回らなければならないとなると、その疲労は並みではない。
ロベリアーヌとしては、シェリーにそのような苦労は負わせたくないのだ。
「けど……」
しかし、先の言葉を否定するように、レナは続けた。
「シェリーったら、ロベリアーヌさんに似て頑固ですから。一度決めたら、なにがなんでも絶対にあきらめませんよ。現に、あたしの時もそうでしたから」
「……レナちゃん」
「それに、シェリーは自分の決めたことを、あとになってから後悔するような性格じゃありません。どんなに辛くても、その時々で最善を目指す。そんなやつですから」
レナは最後に紅茶を一口含んでから、ナプキンで口をぬぐう。
「今日のディナーも、美味しかったです」
にっこりとロベリアーヌに微笑んでから、静かに席を立つ。
レナは昶を伴って、あてがわれた部屋へと帰っていった。
完全に日が落ち、月光すら届かぬ新月の夜。
グレシャス領付近の森林地帯から、不審な影が多数浮かび上がる。
まるで統一感のない九つの影は、完全に夜の闇に溶け込んでいて見つけることはできない。
九つの影は徐々に速度を上げていき、グレシャス領へと近付いてゆく。
――風精霊共、仕事の時間だぜ。
暗黒の静寂に吸い込まれる、一人の青年の声。
九つの影はそのわずかな影すら消し去り、一路グレシャス領を目指す。
「はっくしっ!? あぁくそ、やっぱ真冬の夜はさみぃなぁ」
昶は自分の肩を抱きながら、朝昼を過ごしたグレシャス家の練習場へと来ていた。
もちろん、正規の入り口はしっかりと施錠されているので、立派な不法侵入である。
ちなみに侵入経路はというと、階段状になっている外壁を登っていくという、普通に考えればかなり危険なルートだ。
また、内側に降りる時も同様に。
昶はそのまま魔法による射撃場の位置まで移動し、的から一番遠い五〇メートルの位置で立ち止まった。
昼間アルトリスが、魔法の練習を行っていた位置でもある。
「火炎――急々如律令」
明かり代わりに護符をほんの少し燃やし、地面に放った。
オレンジの明かりが頼りなく揺らめき、夜の闇の中うっすらと的を照らす。
術で起こしているので普通の火よりは長持ちするが、それでも十数秒と保たない。
昶は肩幅より少し両足を広げ、大きく腰を落とした。
そして、ズボンの左ポケットから三枚の護符を抜き取る。
昼間の時よりも、はるかに早い。
護符を取り出した腕をムチのようにしならせながら、指先へと霊力を送り込んだ。
「撃ち抜け、黒鴉!!」
速度はだいたい、プロ野球のピッチャーが全力で投げるストレートくらい。
放たれた護符は空中で大雑把な鳥へと容を変え、前方にある三つの的へ直進した。
「っはぁぁ、やっぱ難しいなぁ……」
結果は、真ん中のは見事ど真ん中に命中、しかし左のはギリギリ端をこすって通り過ぎ、右のは脇の下を通る完全なハズレコース。
一瞬で適切な霊力を注ぎ込む能力と、高速で動く式神を上手く制御する能力。
特にトラウマのある式神の練習はサボりがちだったので、両方に難がある。
黒鴉は主に攻撃と偵察に用いられ、消費霊力が低いのが特徴の式神だ。
今朝、レナに見せたお遊びの式神とは違う。
戦闘時、実際に用いる式神である。
それだけに、命中率が三割ちょいでは、いくらなんでも心もとない。
「まだまだ、ってことだな。式神の練習は」
術で起こした炎も消え、辺りは再び夜の闇へと飲み込まれる。
数を増やすより、命中率を上げた方が賢明かもしれない。
元々草壁流は近接戦闘に特化されたきらいがあるので、こういう遠距離攻撃系の術とは相性が悪いのである。
力の強い家ほどその影響がもろに出てしまうらしく、昶がなかなか式神の召喚数を増やせない原因にもなっている。
「天燕」
昶は護符を一枚取り出して式神に変えると、自分の周りをぐるぐると飛ばした。
ただし、先ほどの式神と比べて、速度は段違いに早い。
それでも、最高速の三割ていどだが。
それから徐々に速度を上げていき、そよ風ていどだった風は突風並みに力を増していく。
「……っと!?」
速度を増していた式神が、いきなり失速した。
昶が制御を誤ったのではない。
よく知った気配を感じて、慌てて術を停止したのである。
「アキラ~、こんな時間に、こんなとこでなにやってんの~?」
頭上から降り注ぐのは、元気いっぱいのシェリーの声だ。
手の先には人の頭ほどの炎があり、夜の闇を切り裂くように煌々と輝いている。
それに、もう一人。
『ごめん、シェリーに捕まっちゃって……』
シェリーに腰をがっちりとつかまれているのは、昶の主こと、レナであった。
相変わらず、杖で空を飛ぶのだけは上手い。
レナは抜群の安定感を見せながら、シェリーを乗せたまま昶の近くまでゆっくりと降下してきた。
「入り口鍵してあったでしょ。どうやって入ったの?」
「いや、外壁伝って」
レナに問いつめられて、びくつきながら答える昶。
やっぱりというかなんというか、悪いことをしている自覚はあったようである。
「あぁ、それ昔やったわ。普通に登るとかなりキツいんだけど、肉体強化が使えればけっこう楽に登れるのよ。まあ、それで昔怒られたんだけどね」
当のグレシャス家のお嬢さまは、既にやっていたようだ。
「そういえば、それでよくロベリアーヌさんに怒られてたわね」
「門が開いてても壁伝って入ってたからねぇ。いやぁ、あの頃は若かったなぁ……」
と、シェリー、遠い目。
昶とレナはその様子を白けた目で見ながら、はぁぁ、とため息をつく。
昨日はあれだけ人に心配をかけておきながら、今朝にはもうケロッとしやがって、なんて。
「それで、こんな夜更けにうちの練習場でなにしてたわけ?」
「ちょっと剣振ってただけだよ。今日はシャルルだっけ? あいつの相手しただけだし」
「あぁ~、悪いわねぇ。うちの愚弟の相手なんてしてもらっちゃって」
「でも、ちゃんとやってればお前よか上手くなるぜ。お前と違って、丁寧な剣筋してるからさ」
昶の評価にシェリーは、ほほぅ、とにやつきながら、下から昶の顔をのぞき込む。
その近さに、昶は思わず顔面に血が集まる。
鼻と鼻まで、十センチもないのだ。
これで緊張するなというほうが、どだい無理な話だろう。
「た、ただ……。剣が上手いことと、マグスとしての強さは違う。魔法も含めたら、お前の方が上だよ。だいぶ雑だけど」
「なるほどなるほど。とりあえず、褒め言葉として受け取っておくわ」
ウィンクを一つしてから、シェリーは昶から離れる。
お褒めの言葉がもらえたのが嬉しかったのか、鼻歌まで歌いながらその場でくるくると回り始めた。
「で、そっちこそなにしに来たんだよ?」
今度は昶が質問する番である。
自分が言うのもなんだが、わざわざ自分で明かりを灯してまで、施錠された練習場までなにをしに来たのであろうか。
「なんとなくよ。ほら、ここって誰もいないから、静かじゃない」
「鍵がかかってるから、そりゃ誰もいないでしょうよ」
「っさいわね。いいじゃない、自分家なんだし。だから、一人でいたい時とか、よく来てたのよ」
と、シェリーは苦笑いを浮かべた。
「私ってさぁ。こんな性格だから、一度“こうだ”って決めちゃったら、悩むことなんてないんだけど。でも、今回って自分だけの問題じゃないじゃない。決心が鈍っちゃうっていうか、これで本当によかったのかなぁって。すごく不安になるのよ」
「婚約のこと、だよな。アルトリスさんとの」
昶の問いに、こくん、とシェリーは頷いく。
それからスカートや手が汚れるのも気にせず、地面にゆっくりと腰を落とした。
昶とレナも、両側からはさみこむようにして座る。
それと同時に、先ほどまで三人を照らしていた炎も消失した。
今日は月明かりすらないので、相手の顔をはっきり見ることはできない。
だが、不思議とシェリーが今どんな表情をしているのか、二人はなんとなくわかった。
「今朝はママの前であんな啖呵切っちゃったけど、アルトリス兄さんには、やっぱり悪いなぁって。だってさ、二年も待たせたあげく、私が結婚断っちゃったら、なんのために待ってたんだろうって、そうなるじゃない。その二年間の内に、もしかしたら良い人に巡り会うチャンスがあるかもしれないのに。私のマガママのせいで、さぁ」
自分で決めた“待ってもらう”という答えを、今更後悔している自分が情けない。
だが、アルトリスに自分の答えを受け入れてもらえた嬉しさもある。
自己嫌悪と喜びがごっちゃになった、微妙な表情をしているのだろう、と。
昶は思案した。
昨日はかけてやることのできなかった言葉を、今ここでかけてやらねばならない。
友達として、自分はどんな言葉をシェリーにかけてやればいいだろうか。
――ま、どうせ気の利いたことは言えないんだし、素直に言っとくか。
「本人がいいって言ったんだ。気にすることないって」
「でも!! でも、さぁ……」
「アルトリスさんってさ、男の俺から見てもむちゃくちゃかっこいいんだぜ。あんなイケメン、女の方がほっとかないって」
「それは、そうかもしれないけど……」
「それに、アルトリスさんがそんなこと気にする玉かよ。あの人は、そんな小さなこと気にしないって。まあ、俺の見た目の印象でしかないんだけど」
「はぁぁ……。な~んだ、アキラの勘かぁ。信用した私がバカだった」
昶への呆れから、シェリーは深いため息をつく。
だが、
「でも、レナにもそう言われたのよね」
にこりと笑って、今度はレナの方を振り向いた。
「『アルトリスさんがそんなこと気にするわけないでしょ』ってね」
当たり前じゃない、とレナは済ました調子で言う。
「バルトシュタインの魔法教導院で首席とってて、あんなに人間のできてる人が、今更婚約が二年伸びたくらいでどうこう言うわけないじゃない。それとも、あんたの好きになったアルトリスさんは、そんなことを気にするくらい、小さな人だったのかしら?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
シェリーはレナにぐいっと顔を近付け、精一杯否定する。
「でしょ?」
見事レナの誘導尋問にかかったシェリーは、額から首まで真っ赤にして体育座り。
あまりの恥ずかしさに、膝を思い切り抱きかかえて、そこに顔をうずめてしまった。
――うん、そうよね。二人の言う通り、よね。
アルトリスのこともそうだが、今はそれ以上に学院での生活が大切だ。
それをわかってもらおうと決めて、アルトリスはそれでいいと言ってくれた。
あとは自分の言葉の通り、学院で自分を徹底的に磨き上げる。
それが、シェリーのワガママを聞き入れてくれた、アルトリスへの礼儀というものだ。
うじうじ悩んでいる暇があるなら、マグスとしての腕を磨くべきである。
揺らぎ始めていた思いは、再び固い決心へと戻った。
「ありがと、二人とも。なんか、元気でてきたわ!」
シェリーは勢いよく立ち上がり、満天の星空を仰ぐ。
月の光がない分、今日はいつも以上に輝いて見えた。
「え?」
――――ドォォオオオオオオオォォォン!!!!
その星の綺麗な夜の静寂を引き裂くように、とてつもない轟音が三人に襲いかかった。
続いて訪れた激震に、三人は身構える。
一瞬であったが、すさまじい揺れであった。
そして、互いにの顔がはっきり見えることに、三人は驚いた。
三人はすぐさま光の差し込んでくる方向を振り返る。
すると壁の外側から、強烈なオレンジの閃光が差し込んでいたのだ。
しかも、轟音はそれだけで終わらなかった。
――――ドォガァァアアアアアアアアアアァァァァン!!!!
少し間を置いて、再びとてつもない震動が襲いかかった。
それも、巨大な爆発を伴って。
「砲撃!? どこからなの?」
「シェリー、落ち着いて。今はそれどころじゃないわ。早く屋敷に戻らないと!」
周囲をキョロキョロ見回すシェリーの手を引き、レナはすぐに飛行体勢に入った。
「アキラ、急いで戻るわよ」
「わかってるから、早く行け!」
「レナ、お願い」
突然の砲撃に混乱する頭を落ち着かせながら、三人はグレシャス邸へと急いだ。
「お嬢さま!? いったい、今までどこにおられたのですか!!」
屋敷に戻って一番最初にかけられた言葉は、心配と叱責の入り混じったグレイシアの一言であった。
こんな事態になっているのだ。
恐らくは、ウォルテス辺りが屋敷中を探し回っている頃だろう。
屋敷の中はてんてこまいで、使用人達の一部はすでに避難を開始していた。
「いったいなにがどうなってるのか、わかりやすく説明して」
「国境付近の警備に当たっていた艦が襲撃を受け、撃沈しました。襲撃者の戦力は全くの不明。今の砲撃は、恐らく彼等によるものかと」
「艦が襲撃を受けたって……。いったいどこの誰が」
「申し訳ありませんレナ様。現在、情報の全くない状態で。ただおかしなことに、乗組員の話だと、なにもない所からいきなり砲撃を受けたと」
全くわけがわからない。
いったい、なにが起こっているのだろうか。
国境の警備に当たっている艦は、就航した年こそ古いが軍艦だ。
簡単に落とせるような代物ではない。
しかも、乗組員は相手の姿は見ていないという。
これでは、手の打ちようがないではないか。
「グレシャス領に駐屯する機動艦隊並びに、竜騎士隊全隊は準備のできた順に出撃。暫定司令部をここの後方に設置して、迎撃に移るそうです。付近の国境警備隊とも連絡を取り、駐屯地に滞在中の部隊を応援に向かわせると、先ほど連絡がありました」
グレイシアは早口に、状況説明を済ませた。
既に各方面との連絡を済ませ、対応に乗り出しているようだ。
バカは多くとも、さすがは選りすぐりの兵達なだけはある。
「お嬢さま方は早くお逃げを。屋上に竜籠が準備してありますので、皆様方はそちらに…」
「なに言ってんの。私も出るわよ。全体の指揮をとってる人のとこに連れてって」
「なにを仰っているのですか!?」
シェリーの言葉に、グレイシアは声を荒げた。
「兵以外の者には、すでに避難命令が下っています! 建物の周囲には対魔法・物理障壁が張られていますが、ここもいつ砲撃されるかわからないのです。ですから…」
「魔法兵つったって、王都派遣組の蒼銀鎧は何人いるのよ? 言っとくけど、私、束になった赤銀鎧より強い自覚はあるわよ。蒼銀鎧の下っ端にもね。使える戦力は少しでも多い方がいいじゃない」
「ばかなこと言ってんじゃないわよ!」
シェリーの無茶な考えに、レナもとっさに止めに入った。
「あんた一人入ったくらいで、状況が好転するわけないじゃない。戦艦が一隻沈んでるのよ?」
「そんなの関係ない。私はまだ魔法兵じゃない学生だけど、そこらの魔法兵より戦力になる。できる人間が、できることをする。それだけのことじゃない」
シェリーはグレイシアとレナの制止を振り切り、屋敷の奥へと向かう。
全体指揮をとっているのは、恐らくグレシャス領に派遣されている魔法兵だろう。
だったら、まだ屋敷の中にいる。
後方へ司令部を移すとなると、残り数名の士官と共に竜籠で移動するはずだ。
シェリーはど真ん中を突っ切り、玄関へと急ぐ。
だがそこで、思いもよらない人物とでくわした。
「シェリー、なにをしているのですか!? 早く来なさい!」
「そうだよ姉貴、早く逃げないと!」
血相を変えたロベリアーヌと、完全に青ざめたシャルルである。
二人とも、シェリーが来るのを待っていたのだ。
「丁度よかったわ。レナとアキラをお願い。私は別の人に用があるの」
シェリーは二人の言葉には全く聞く耳を保たず、そのわきを素通りしていく。
今は一刻も早く指揮者とあわなければならないのだ。
だが、それを阻む者がいた。
がっちりとシェリーの手首を、ろくに握力もない手が握ったのである。
シェリーは威嚇するような鋭い目つきで、自分の手を握る誰かを振り返る。
「行ってはだめです」
ロベリアーヌだ。
シェリーを行かせまいと、必死の形相でぐっと手首を握っている。
「あなたが行くのはこっちよ」
「ちょっとママ!? 離してよ!!」
「シャルル、あなたも手伝って!!」
「は、はい!」
右手をロベリアーヌが、左手をシャルルがそれぞれ握り、強引に竜籠が止めてある屋上へと昇ってゆく。
レナと昶も暴れるシェリーを押さえつけ、一緒に上を目指す。
「レナとアキラまで、なにすんのよ!!」
「関係のない人間が行ったって、邪魔になるだけでしょ」
「それに、要人が逃げなきゃ戦線下げられねぇだろうが。頭つぶされたら、集団戦は負けるんだぞ」
そして、そこに更にもう一柱加わった。
「主、ここはどうか……」
さすがに四人と一柱が相手に、シェリー一人ではどうしようもない。
昶とシャルルは肉体強化が使えるので、力ではどうしても負けてしまう。
逆にレナやロベリアーヌは、下手に暴れたらそれだけで怪我を負わせてしまうかもしれない。
シェリーは下唇をぐっと噛みしめながら、されるがままに屋上へと向かった。
シェリーの部屋やレナにあてがわれた部屋から、更に二つ上のフロアに上がると、昨日グレシャス領に来た時に使われた籠が目に入った。
四匹の竜は籠を吊したまま滞空状態にあり、乗り込みしだい出発できるようになっている。
「お急ぎください!」「ここも、いつ砲撃されるかわかりません」「すぐに出します!」「また来るぞ!」
最後の竜騎士の絶叫に、五人と一柱は床に伏せった。
それと間髪を置かずして、激しい震動と爆発の衝撃が襲いかかる。
それらをどうにかやりすごすと、ロベリアーヌは籠の扉を開いた。
「シェリー、シャルル、早く! レナちゃん達も!」
促されるままに、シャルルは籠の中へと飛び込んだ。
レナもきゅっとシェリーの手を握り、籠へと引っ張っていく。
だが、シェリーの足が急に止まった。
「そういえば、アルトリス兄さんは?」
あまりの事態に、今まで失念してしまっていた。
レナ同様に、客人であるはずのアルトリスの姿が、どこにも見えないのだ。
「アルトリスくんなら大丈夫よ。彼ならきっと、自分で切り抜けられるわ」
「そうよ。アルトリスさんが、こんな所で死ぬわけないじゃない」
ロベリアーヌとレナに言われるまでもない。
自分だって、本気でそう思っている。
だが、実際に自分の目で見なければ、安心できるはずもない。
「アキラ、セイン! アルトリス兄さんがどこにいるかわかる?」
シェリーはレナに手を引かれながら、自分の後ろにいる昶を振り返る。
「一応やってみるけど、あの人、気配遮断のローブ着てるから、見つかるかどうか……」
「とりあえず、探してみます」
昶とセインは神経を研ぎ澄まし、周囲を漂う魔力の気配を探る。
魔法兵も多数投入されているらしく、大きな魔力の気配があちこちにある。
しかし、レナやシェリー、シャルルやロベリアーヌのような大きな気配は、近辺からは感じられなかった。
有名な魔法学院の首席を取るくらいなのだから、魔力の大きさもかなりのものになるはずなのだろうが。
あるとすれば、屋敷からだいぶ離れた地点。
艦隊の停泊してある港や、出撃中の竜の繋留してある建物とかだ。
だが、変わりに別の気配を見つけた。
高密度の火精霊の気配。
そんなもの連れている人間など、この場には二人しかいない。
一人はセインの主であるシェリー。
もう一人は、
「いた。すぐそこだぞ」
「こちらの方角からです」
イリアスの主であるアルトリス。
「どこなの?」
取り乱した心をなんとか落ち着かせながら、シェリーは昶につめよる。
襟首をつかみ、その顔を自分の方にぐっと引き寄せた。
「すぐ下だ!」
昶とセインは気配がする方へと向かう。
シェリーとレナも、その背中を追いかけた。
落下防止に設けられた手すりから乗り出し、三人は眼下の景色へと目を落とす。
「いた! あそこ!」
オレンジの炎と大量の黒煙が立ち上る中、レナが一点を指差した。
確かにそこには、すすけたローブを頭からすっぽりとかぶった人物と、赤い髪の少女の姿があった。
「アントリス兄さぁあああああん!」
シェリーはお腹の底から精一杯叫ぶのだが、気付いた様子はない。
砲撃こそ次弾までにかなりの時間があるが、撃ち込まれた榴弾があちこちで火の手を上げているのだ。
それらの爆音と熱風にかき消されて、シェリーの声が届かないのである。
「なあ、あれおかしくないか?」
だが、昶はアルトリスの行動に違和感を覚えた。
「どこがよ?」
「……全然、慌ててる様子がない、よな? あれ」
レナの問いかけに、昶は自分でも信じられないといった風に、一言一言、言葉を噛みしめながら答える。
レナとシェリーも、昶に言われてから改めてアルトリスを見やった。
確かに、周囲ではあちこち火の手が上がっているというのに、アルトリスに慌てた様子はない。
その足取りはよどみなく、まっすぐ自分の竜を留めている建物へと入っていく。
「確かに、全然急いでる様子がないのは、変……よね」
「はい、私も、そう思います」
「レナにセインまで、なんてこと言ってるのよ!! 飛竜で脱出するつもりなん…」
だが、シェリーは全てを言うことができなかった。
アルトリスの入っていった建物が、内側からいきなり爆発したのだ。
高熱を伴った衝撃波が三人と一柱に襲いかかり、後方へと大きく吹き飛ばされる。
「アルトリス兄さん……。レナ、早く!」
「わかってる。行くわよ」
「っておい、俺を置いていくなって!」
「私もお供いたします」
レナはアキラを杖に乗せ、セインはシェリーを飛行力場で持ち上げ、地上へと降下していった。