第十三話 シェリーの決意 Act02:弟たち
レナ達の食事の後、別室でグレイシアら使用人達と食事を済ませた昶は、一見すると闘技場にも見える場所に来ていた。
四〇〇メートル走のトラックも、一つ分は軽く取れそうな広さがある。
ただし、観客席はない。
壁面には防御を意味する魔法文字が一面に刻まれているので、よほどの威力がない限り壊れることはないだろう。
ここはグレシャス家の誇る、大規模な練習場なのだ。
なぜこんな場所に来ているのかと言えば、レナの魔力察知の練習のためである。
室内でもできる練習ではあるが、こういう場所でやるほうが集中力が増すのだ。
ネフェリス標準時で四時半――地球で言えば九時を過ぎたばかりであるが、すでに百人そこそこの兵士達が訓練に励んでいた。
長槍で編隊を組んでいる者達や、木剣で打ち合っている者達、実物の砲台を使って砲撃の練習をしている者達もいる。
一番多い時には、千人は軽く超えるであろう。
レナと昶は兵士達の邪魔にならないよう防壁沿いに移動しながら、練習場の一番奥へと向かった。
そこにあるのは、五メートル刻みの石灰のラインが十本と、防御の魔法文字が刻まれた三〇個の金属製の的である。
魔法による射撃場だ。的は大雑把な人間の形――高さはだいたい一八〇センチほど――をしており、下位程度の魔法なら耐えられるように作られている。
ちなみに、中位以上になると、アンカーを打ち付けてある地面ごと的が吹き飛ぶので、使うことはできない。
もっとも、下位の魔法であっても殺傷力は過剰なほどあるのだが。
レナは魔法文字の刻まれた壁を背に、射撃場が見える位置に腰を下ろした。
乾燥した土が、塵となってふわりと浮き上がる。
昶もなんとなく、レナの隣に立って壁に背を預けた。
そしてそのまま、じぃぃぃぃっと的を見つめる。
「なに? あんたやってみたいの?」
不意に耳を打った声に横を振り向くと、自分を見ているレナの顔が目に入った。
「べつにぃ」
やってみたいかと言われれば、当然やってみたい。
最近再開した符術や式神の精度が、どれくらいなのか気になる。
いざと言うとき、使い物にならなければ意味はないの。
だが、昶はあくまでレナのサーヴァントであって、マグスではない。
それも使っている術式は、レイゼルピナに存在する魔法ではないのだ。
対人外・対魔術師戦闘用に物騒な方向へと進化を続けてきた流派、草壁流に名を連ねる陰陽術の一派。
そのせいもあって、術の攻撃力はレイゼルピナの魔法と比べて、苛烈なほどに強力である。
大衆の前で、おいそれと見せられるような代物ではない。
もしそれが王国の重鎮達の耳に入れば、いったいどんな目に遭うかわかったものではないのだから。
まあ、これも全部レナの受け売りであるが。
「じゃあ、夜中にでもこっそり来てやりましょ。使用後に整備するなら、自由に使えるから」
「……あ、うん」
昶の単純な思考など、レナにはお見通しらしい。
この辺りは、さすが主と言ったところか。
昶はふと、胸の内ポケットにしまった人形を思い出した。
ラズベリエで一泊した時、誰もいなくなった――実際にはセンナが盗み聞きしといた――部屋で、レナに渡された人形である。
レナそっくりの、手作り感満載の人形だ。
『御守りみたいなもの。あたしの命の次に大切なものだから。だから、絶対になくさないこと。いいわね? なくしたら、ゆるさないんだから』
そう言われながら渡された、レナの大切な人形。
そして同時に、自分のした約束も思い出した。
『だから、約束の内容を変える。俺はこれからも、レナや、シェリーや、リンネや、アイナ。ミシェルやミゲル、センナさん。あと、カトルにソニスだったけ、リンネのサーヴァントは。あと、必要ないと思うけどセインも。みんなを守るために戦う。でも、絶対に帰ってくる。それなら約束する』
無茶をするなと言われて、でも無理だと断って、昶が自分から言い出した約束である。
今思い出してみると、死ぬほど恥ずかしい台詞だ。
だが、嘘偽りは一切ない。
全部守って、自分も生きて、全員でハッピーエンドを向かえる。
誰が欠けてもいけない、自分を含めた全員でなければ意味がないのである。
生き汚なかろうが、泥臭かろうが、生き残った者が勝ちなのだ。
「どうかした? なにボーっとしてんのよ」
レナに呼ばれて、昶はふと思考の世界から現実に引き戻される。
「ちょっと、ラズベリエでのことを、です、はい」
なぜか敬語口調の昶である。
そんな昶はそっぽを向きながら、内ポケットにしまってある人形を、レナに見えるようちらりと出す。
レナもようやくあの時のことを思い出して、瞬時に顔が赤くなった。
なぜあの時、あんな行動を取ったのだろうか。
言い方なら、もっとあったはずである。
無茶をしないで欲しい。
命のかかった戦いをしないで欲しい。
昶を家族の元へ、帰さなければならないのだから。
たったそれだけ伝えるだけなのに、あんな、まるで……。
――ちちちちちちがうわよ! あたしとアキラは、こっ、ここここ、こぃ…………全然そんなんじゃぁ……!
「おい、どうした……?」
全く反応のないレナを心配して、今度は昶がレナの肩をちょんちょんとつっついた。
昶同様、思考の中に埋没していたレナの意識も、現実に引き戻される。
ただし、思考の種類は大いに違っていたが。
「な、なんでもない。あたしも、その。思い出してた……だけ、で」
最後の方はだんだん小さくなっていったので、昶に聞き取られることはなかった。
しかし、それはそれ、これはこれ。
レナは頭のスイッチを切り替え、練習モードに身体を移行させる。
約束はもちろん大切だが、今はそれよりも魔力を感じられるようになることが先決だ。
これが魔力を上手く制御するための、第一歩となるのだから。
レナは数度深呼吸すると、周囲の気配へと注意を向ける。
それを見た昶も、レナが自分の気配を察知できる目印になるよう、霊力の放出と停止を始めた。
今日は人目があるので、安易に霊力の物質化ができないのだ。
相変わらずであるが、レナが気付いた様子はない。
だが、それもすぐに飽きた。
いよいよやることもなくなって暇になってきた昶は、その場に座りむとズボンのポケットから護符を一枚取り出す。
初めてエルザに会って護衛を任された日、フィラルダで買ってもらった紙の束――その加工品である。
村正ではさすがに危ないのでシェリーからナイフを借り、リンネからペンを借りて自作したものだ。
ちなみに、レナには借りると理由をしつこく聞かれそうなので、はなから話してはいない。
あの時はまだ、昶が陰陽師だと知らなかったのである。
昶は護符の両端を折って切り取り、まずは正方形を作った。
それから、対角線上に三角形に折り、またその三角形を半分にするよう半分に折る。
十本の指がせわしなく動き、平面の正方形だった紙がどんどん立体としての形を持っていく。
そして……、
「久々でも、けっこうできるもんだなぁ」
出来上がったものを、昶はぽんっと目の前に置いた。
真っ白な鶴である。
姉に大怪我を負わせてしまったことを思い出して、自嘲気味か、あるいは苦笑気味な笑みを浮かべる。
和紙と比べて紙が柔らかいので、注意が必要であったが、問題なく完成した。
頭の部分が多少よれているが、そこはご愛嬌ということで。
式神の最初の練習は、こうしてあらかじめ容を与えているものに、力を注ぐところから始まるのである。
力を込めて容を変えるのにはそれなりの修練が必要なので、初めは誰しも折り紙から入るのだ。
昶は折り鶴を手に乗せ、わずかに霊力を注ぎ込む。
すると、折り鶴の羽がパタパタと動きだした。
本気になれば飛ばすこともできるが、それはまた人がいなくなってから。
これをレナが見たら、いったいどんな反応をするだろうか。
昶はちらりと、隣に座るレナの方に視線をやった。
静かに目をつむったままで、ぴくりとも動かない。
これなら…………。
昶はうっすらと笑みを浮かべながら、二枚目の護符で鶴を折り始めた。
それが済んだら三枚目、四枚目と、どんどん数を増やしていく。
そしてちょうど七枚目の護符に霊力を注ぎ込んだ所で、レナがいきなり振り向いた。
その視界の中に、呆けたままボーっとしている昶の姿と、両方の羽を昶に持たれたままぱたぱたと羽ばたいている、鳥の形をした紙細工が映り込んだ。
「わかったのか?」
昶の一言に、レナはこくこくと頷く。
「ちなみに、今は感じ取れるか?」
今度は、ふるふると横に振る。
「でも、はっきりは感じられたんだよな?」
こくこくこく、と今度は力強く頷いた。
「って、ちゃんとしゃべれよ」
「あッ……」
あまりにびっくりしすぎて、しゃべることすら忘れていたらしい。
まあ、その気持ちはわからないでもない。
「なんか、頭の中が透き通って、そしたらなんか、覚えのある気配がしたから。なんか、すごく不思議な感じ」
「その不思議な感じに、自分で思った時になれるようになったら、やっとこの練習は終わり」
「なんか、随分先になる気がするわ」
「まあ、一回できたんだから、コツはわかっただろ。マグスってのは、やたら魔力垂れ流してるから、慣れればけっこうわかるようになるぞっと。……よし、できた」
と、昶は両手でいじくっていた式神の折り鶴を、地面に置いた。
レナの視線も、釣られて下の方へと移動する。
すると、
「わぁぁ……!!」
両目を輝かせて、その光景に見入った。
紙を折って作られた七羽の鳥が、羽をぱたぱたと動かしたり、あるいは首を振ったりしていたのである。
まるで生きているかのような、滑らかな動きだ。
レナは上体を伏せて近くに寄ると、紙の鳥達は一斉に頭を向け、喜んでいるかのように勢いよく翼をはためかせる。
「ねぇねぇ、これってどうなってるの?」
まぶしいほどに両目を輝かせて、レナは昶を見つめた。
その眼力に耐えかねて顔を背けながらも、昶はおずおずと話し始めた。
「い、一番簡単な式神だよ。こっち風に言えば、紙でできた、ゴーレムみたいなもん。霊力注いだら後は自立して動くから。これなら、俺でもいくらでも作れるんだよ」
「これなら? じゃあ、違うやつだったら?」
「普段使ってるのだと、……この前三つになりました」
「ちなみに、お姉さんはいくつくらい?」
「俺が知ってるのだと、最低でも…………十五、六、くらい、かな」
単純計算で、昶の五倍以上である。
「あんた、元の世界じゃホントにダメだったのね……」
「いいだろ別に。式神使えなくたって、やれるんだから。ってそれより、早く魔力察知が自由にできるようになれって。やらなきゃいけない練習なんて、まだまだいっぱいあるんだからな」
「はいはい、わかりましたよー」
自分は魔法が下手なのを棚に上げて昶をからかい終わると、レナは再び目を閉じて練習を再開した。
七体の式神は、その様子を見守るかのように頭を上げる。
そうしていると、昶の見知った二つの気配が近付いてきた。
昶は式神に動かないよう指令を送ると、背後を振り返る。
「レナにアキラじゃない。いったいなにやってるの?」
身の丈ほどもある大剣を軽々と背負うシェリーと、その後ろからふわふわと宙を漂うセインの姿が目に入った。
「レナの魔力察知の練習に付き合ってるの」
昶は折り鶴を集めて元の平面の紙に戻しながら、シェリーの問いに答える。
とりあえず護符はもう使わないので――と言うより使えないので、くしゃくしゃにしてポケットにしまった。
「いいなぁ~。ねぇ、私にも教えてよ。最近レナがべったりで聞くに聞けなかったんだからさ。ね! ね!!」
二人のそばまで駆け寄ると、シェリーは一気に昶をまくし立てる。
すると、その隣で静かに集中していたレナが、カッと目を見開いた。
「べ、別に! べったりとかそんなんじゃないわよ。アキラ以外に聞ける人がいたくて、それだけで……」
「いいえ、べったりでした! べたべたでした! くっついてました!」
二人の視線が空中でぶつかる。
若干後ろめたい感のあるレナの方が、少々押され気味である。
確かに、今思えば朝から夕方までべったりであった。
食事は別々だが寮を出てから食堂までは一緒、講義中も部屋の後ろで他のサーヴァントと静かにじゃれ合っているし、午後からはずっとレナの練習に付き合ってくれていた。
今まではシェリーやリンネ、アイナ達と一緒だった午後の時間を、二人だけで過ごすようになったのだから、べったりだと言われても仕方がない。
と、ついに根負けしたレナが、シェリーから視線をそらす。
かくして、二人の対決? は、シェリーが勝利を収めたのであった。
「それよかさ、今朝のあれってなんだよ? いきなりすぎて、いったいどうなってんのか全然わかんなかったんだけど……」
レナの敗北を横目に見ていた昶は、朝食時の出来事についてつっこんだ。
「あぁ、うん。ごめんねぇ。なんか、言い出すタイミングがなくて、さぁ……」
これには、シェリーも頭をかきながら苦笑を浮かべる。
なにせ、昨日ロベリアーヌに婚約の話しを持ちかけられてから、そのことで頭がいっぱいだったのだ。
そんな余裕なんて、なかったのである。
昨日レナの部屋を訪ねた時なんか、昶のことを認識できなかったくらいに。
なにも説明がないまま食事中にいきなりあんな話をされれば、理解できる人間なんてむしろいないであろう。
「実は、昨日レナとアキラを追い出してから、ママに婚約しろって迫られたのよ。アルトリス兄さんと」
「あぁ、あの紳士なイケメンのお兄さんね」
昶の中では、アルトリスはそういう認識になっている。
たぶんうちのバカ姉と同じくらいの年のはずなのに、ずっと落ち着きがあって物腰も柔らかで、まるで大人と子供くらい差だ。
なんて思っている昶にとって、アルトリスはまさに憧れのような存在なのである。
その上顔立ちも知的な上に爽やかで、通っている魔法学院での成績は首席。
非の打ち所がないほどの、超優良物件といっていいだろう。
「まあ、アルトリスさんからは、返事は卒業までいいって御墨付きももらったんだし。ロベリアーヌさんの思惑も、これでおじゃんね」
「ほんと、ママったらなんでシャルルにあんな肩入れするのかしら。全然わかんないわ」
「シャルルって、シェリー似のちょっとひ弱そうなあいつか?」
「誰がひ弱だって?」
相変わらず無口なセインを含めた三人と一柱の所へ、別の誰かが乱入してきた。
短く切りそろえられた明るい赤紫系の髪に、ほんの少し紫味を帯びた青い瞳をしている。
可愛いらしい顔つきをした、シェリー似の男の子。
シャルル=ラ=アーシエ=ド=グレシャス。
年齢は、シェリーの一つ下である。
そのシャルルが、びしっと昶を指差していた。
「あんた、こんなとこになにしにきたのよ?」
「剣の稽古以外、なにがあるっていうんだよ」
呆れ顔で聞くシェリーに、シャルルは真剣な面持ちで答える。
シャルルの言うように、背中にある大ぶりな剣の他に、手には木製の長剣が二本あった。
長さはだいたい一メートルと五〇センチほど。
ちょうど、シェリーとシャルルが背負っているのと同じくらいのサイズだ。
「ふぅぅん。じゃあ、その辺で勝手にしてれば? 私達は私達で、勝手にやってるから」
「って、そうじゃないだろ!」
自分を無視して話を切り上げようとする姉に、シャルルは声を荒げた。
そして再び、視線をシェリーから昶に戻す。
「王立メルヴィル魔法学術院の一年生次席の俺に向かって、ひ弱ってどういう意味だって聞いてるんだ!」
「あぁ、悪い」
と、頭をぽりぽりかきながら、詫びをひとこと言う昶。
正直、なんたら学院とか言われても、どうすごいのかよくわからない。
まあ、次席だからすごいのはすごいのだろうが。
「……全然誠意の欠片もないやつだなぁ、キミは」
「シェリーと、あとロベリアーヌさんだっけ? 今朝二人の間に挟まれてビビりまくってたから」
「やっぱり全然悪いなんて思ってないじゃないか!」
シャルルは全く悪気のない昶に対して、怒りを露わにする。
もっとも、元の顔が可愛いだけに迫力はイマイチだ。
女装をさせたら、それこそ女の子と見分けがつかないような気がしないでもない。
それでも、トレーニングはしっかりやっているらしく、細身だが見事に引き締まった身体をしている。
まあ、細さなら昶も負けてはいないが。
健康診断なんかで身体計測した時は、目標体重より十キロ近く軽かったような気がするのだ。
「じゃあどうする? その木剣で俺のことぼこぼこにしてみるか?」
「……へぇぇ、この俺に喧嘩を売ろうだなんて、いい度胸してるじゃないか。グレシャス家の秘術が肉体強化だってこと、知らないのかな?」
「いや、俺も使えるし。サーヴァントの能力で」
真っ赤な嘘である。
「ふん、いいだろう。先に相手に一撃入れた方が勝ちでいいよな?」
「勝手に決めりゃいいだろ。どうせ、結果は見えてるし」
「ふふふふふっ、そうだね。グレシャス家の肉体強化は国内最強。俺の勝ちは揺るがないさ!」
シャルルは二本持っていた木剣の一本を昶に渡すと、足を広げて両手持ちで構えた。
昶は片手で持つと、全身をだらりと弛緩させてシャルルの全身を見つめる。
放出される魔力量は、シェリーの八割程度。
シェリーより少し少ないが、地力はかなり高そうだ。
構えもシェリー似で、スキも少ない。
さすがは姉弟といった所か、恐らく師も同じなのだろう。
「ねぇ、止めなくていいの? シャルルってあんたより弱いんでしょ?」
「うん。まあ、いつもと違う人と打ち合うってのは、それだけでいい練習になるし。それに高位の肉体強化が使える上に、剣の腕も立つとなるとそんなに人もいないから、やらせてみましょ。アキラなら、シャルルに怪我させることもないだろうし」
一方レナとシェリーの方は、勝手になにか始めた二人を見ながら、ひそひそ話し始める。
「さっきの、完全に図星突かれて焦ってる時の反応よね」
「経験者は語るってやつね」
「うっさいわね。それより、早く練習始めるわよ。魔力察知って、地道にやってコツをつかむしかないらしいから」
「なるほどねぇ。シャルルの前であっちの練習するわけにもいかないし、私にも教えてね」
「『あっち』って?」
「ナイショ」
シェリーは人差し指を立てた手を唇に当てる仕草をする。
オマケとばかりにウィンクも追加。
それをレナは白けた目で見ながら、こりゃいくら聞いても話さないわね、と額に手をやった。
「わかったわよ。とりあえず、“力”の“流れ”を意識しろって」
「“力”の“流れ”ねぇ。りょうかいしやした」
シェリーは片手を額に当てて敬礼すると、レナと一緒に瞑想を始めた。
レナとシェリーが二人で練習を始めた所で、昶は注意をシャルル一人に向ける。
「どうした? さっさとかかってこいよ」
わざと挑発するような口調で、昶はシャルルをあおる。
さて、いったいどれくらいの実力があるのやら。じっくり見せてもらうとしよう。
「なんだい、わざわざ待ってやってたのに。それにも気付かなかったのかな?」
「だ~か~ら~、んな気遣いいらねぇって……。こっちがわざわざスキ見せてやってたってのに」
昶の軽薄な態度に、シャルルの目尻が釣り上がる。
「言わせておけば……。まあいい。宣言通り、勝たせてもらうさ!」
シャルルの身体が、ばっと弾け飛んだ。
体勢を低くして、強靭な脚力から生み出されるエネルギーを、全て前進の力へと変換する。
まるでいっぱいに引き絞られた矢でも、飛んできているかのようである。
だが、
「スピードはまずまず」
シェリーと比べれば、ツーテンポほど遅い。
昶は上段から振り下ろされる剣先をじっと見つめながら、ぎりぎりの所で半身をそらしてかわす。
ついさっきまで昶の身体があった空間を、シャルルの身体が通り過ぎた。
シャルルはすぐさま反転して、昶を追撃する。
振り下ろした木剣を握り替え、斜め上方へと斬り上げた。
しかし、それも想定の範囲内。
昶は上半身を後ろにそらして回避した所で、後方に大きく跳んで距離をとる。
姿勢を大きく崩したシャルルは、体勢を整えながら昶を見すえた。
「なるほど、確かに少しはやるようだね」
「はぁぁ……。そんなんどうでもいいから、さっさとかかってこいって。口開くだけ、時間の無駄だろうが」
「こいつめぇ、言わせておけば!」
シャルルは木剣を低めに構えたまま、昶を追って再び前へと踏み出す。
斜め上に、真横に、まるで生き物のように木剣は宙を舞う。
シャルルの動きは、肉体強化で一般人には不可能な動きを強引に実現させる昶よりも、ずっと洗練されたものだ。
しかし、その太刀筋が昶の身体を捉えることは、ついになかったのであった。
まだ山から姿を現したばかりだった太陽は今、天の頂で煌々と輝いている。
地球時間に換算すれば、二時間半ほどになるだろうか。
その間昶は一度も木剣を振らないまま、シャルルの攻撃を全てかわしていた。
まるで風に揺られる柳の如く、シャルルの猛攻を受け流す。
そしてついに体力の限界に達したシャルルが、膝を屈した。
両手を地面に突き、乱れた息を懸命に整える。
「くそっ、なんで打ち込んで来ないんだよ……!」
悪態をつきながら、シャルルは立ち上がった。
額から汗をしたたらせ、肩を激しく上下させている。
この辺りが限界だろう。
放出される魔力も早々に尽きており、肉体強化も維持できていない。
シェリーに負けたくないという精神力だけで腕を振るってきたが、ついに身体も付いてこられなくなったようだ。
「いや、怪我させちゃ悪いと思って。それに、よく知らない相手との練習は、なかなかいい経験になるからな。一瞬で終わっちゃ、もったいないだろう?」
「俺を……舐めるな!」
木剣を振り上げ、がむしゃらに突っ込んでくるシャルル。
だが最初と比べると、踏み込み速度がかなり落ちていた。
もはや、肉体強化も必要ない。
昶は涼しい顔をしたまま、ひらりとかわして見せる。
かわされたシャルルは、膝に手を当ててせわしなく呼吸を繰り返しながら、忌々しげに昶を見上げた。
「剣筋は、シェリーよりもずっと綺麗だ。あいつ、力任せに強引に振り回すくせがあるからな。あと俺も。肉体強化の強度をもっと上げて、技の組み立てがうまくなりゃ、その内シェリーに追い付けるだろ。追い越せるかどうかは、保証できねぇけど」
「……どういう、意味だよ」
「見てればわかる。俺にも、むちゃくちゃ優秀な姉がいるからな。シェリーに追い付きたいって、顔に書いてある。だから、今の練習を続けてりゃ、その内追い付けるだろうって、そう言ってるだけ」
昶はシャルルの方に木剣を投げると、そのまま背を向けてレナとシェリーのいる方に向かう。
余裕は持っていたがかなり集中していたようで、気付いたら最初の位置からかなり移動していた。
「わかりきったような口を聞くな! お前に、俺と姉貴のなにがわかるって言うんだよ!」
シャルルは図星を突かれて、なぜか無性に腹が立った。
それくらい、自分でもわかっている。
自分の姉は、自分よりもずっと強くて、優秀であることくらい。
姉が父に憧れているように、自分は姉を目標としてきたのだ。
実力を付けるに従って、だんだん自分との差が自覚できるようになってきた。
かなわないかもしれないが、だからこそ一矢報いたいのである。
四肢に残った力を全て回し、ぎゅっと木剣を握りしめた。
叫びながら、シャルルは渾身の突きを昶にみまう。
文字通り、最後の力の込められた木剣は、最初の一撃をも超える速度で昶に迫った。
「優秀な姉を持った苦労くらいなら、わかるさ」
昶は木剣の刃の部分に左手を当てて上方にそらしながら、右手でシャルルの襟首をつかむ。
そして両足の間に腰を滑り込ませ、シャルルのダッシュした勢いをも利用して背負い投げた。
シャルルの身体が、勢いよく地面に叩きつけられる。
「左手に一撃喰らったから、俺の負けだ。マグス全体から見たら、お前は強い。ただ、シェリーの方が、ちょっとだけ多く努力してた。そんだけだ」
シャルルが悔しさに歪む。
先ほど勝負をふっかけた時、レナとシェリーの会話を聞いていたのだ。
たった今自分を簡単にあしらった少年は、自分の目標としている姉よりも強いということを。
だからこそ、勝負に勝って、姉に一泡吹かせたかったのに。
「ふざけんな。どう見ても、俺の負けじゃねぇかよ。一回も剣振らずに捨てるとか、ふざけた真似しやがって」
「知るかボケ。俺はな、無用な勝負事は嫌いなんだよ。ちょっと昔、色々あったからな」
「…………羨ましいよ、まったく。君みたいな腐った魚の目をしたような人間が、俺の姉貴よりも強いなんて」
「…………『羨ましい』か。こんな、壊すしか能のないような力が、なぁ」
シャルルは昶に対して嫌悪すると同時に羨望抱き、昶はシャルルの向こう側に未だ過去を乗り越えられない自分を見る。
壁として立ちはだかっているのが、姉なのか。
それとも忘れ得ぬ過去なのか。
自分とシャルルは、実はものすごく似ているのではなかろうか。
昶がそんなことを思い始めた頃、遠くから昼を知らせる鐘の音が響き渡った。