第十二話 冬休み Act06:婚約
屋敷の中が使用人でごった返す中、シェリーとレナ、そしてオマケの昶は、自分達がやって来た時と同じく玄関の前までやってきた。
その背後には、グレシャス家の使用人達が道を作るように、男女で別れて並んでいる。
これには家の力を暗に示す意味合いもあるため、準備にかり出されている最低限を除いて全員が参加するよう義務づけられているのだ。
始めは人数を数えていた昶であったが、五〇人を超えた所で面倒になってやめた。
「あれか……?」
木行を強化した昶の目が、まだ点のように小さい飛竜を捉えた。
竜籠ではなく、一匹の飛竜を。
小さな点だったものはだんだんと大きくなり、その全貌が露わになる。
暗い赤の重厚な甲殻に覆われた、四本足の巨大な生物。
飛竜の中でも特に火竜と呼ばれる、火属性の竜だ。
その背中には、確かに人影のようなものが見える。
「アルトリス兄さん、いっつも飛竜で来るのよねぇ。その方が早いからって」
「あたしは、会うのは二年ぶりくらいかなぁ」
「私は学院の入学前に会ったから、八ヶ月ぶりくらい」
「あんた、アルトリスさんにべったりだっちもんねぇ。会いたくて仕方ないんでしょ?」
すると、珍しくシェリーの顔がぼっと赤くなった。
「…………ほ、ほっときなさいよ」
「なるほどねぇ、その服もアルトリスさんに見せるためってわけかぁ。いっつもアルトリスさんが来るたびに、エルミに可愛い服用意するよう言ってたし」
言い返せなくて、シェリーは顔を伏せて顔を伏せる。
レナとシェリーの立場がいつもと逆転しているのがおかしくて、昶は肩を震わせて小さく笑った。
恨めしくにらんでくるシェリーの視線も、この時ばかりは可愛らしくて仕方がない。
いじることには慣れていても、いじられることには慣れていないのだ。
羞恥心に顔全体を赤らめて、うるうると目を潤ませている。
どこからかウォルテスの、お嬢さま俺もう死んでもいいです、という言葉が聞こえてきたので昶が振り返ってみると、恍惚とした表情を浮かべるウォルテスの姿があった。
警察に通報すれば、すぐにでも逮捕されそうな変質者ぶりである。
「気に入ってもらえると良いわね。その格好」
「…………」
まるでリンネのように、シェリーは小さくこくんと頷く。
二人のやりとりから察するに、今からやって来る客人は二人の幼馴染みのようだ。
レナやシェリーのような関係とは違い、あまり頻繁には会っていなかったようであるが。
そしてついでに、その相手にシェリーは少なからぬ好意を抱いている、と……。
視力を強化しなくても良いほど近付いてきた飛竜は、緩やかに速度を落としていく。
見上げる昶達の上で完全で完全に停止すると、軽くホバリングして位置を微調整し、ゆっくりと降下してきた。
こうして間近で見ると、改めてその偉容を理解できる。
全長は十メートルを軽く超え、背中までは二メートル以上の高さがある。
そして、その高い背には、目深にフードをかぶり全身をすすけたローブに包まれる二つの人影があった。
飛竜が屈むと同時に、二つの人影はふわりとした動作で降り立つ。
片方は身長一八〇弱、もう片方は一五〇と少しある。
するとまず、背の高い方がフードを取り払った。
「やぁ。久しぶりだね、シェリー。そしてレナも」
現れたのは、シェリーと同じ赤紫の髪をした青年だった。
ローブに隠れているので長さはわからないが、うなじの辺りで一房にまとめられている。
深緑を湛える瞳は鷹のように鋭く、見るからに切れ者といった風貌だ。
シェリー同様、背中にしょっているのは発動体である大剣なのだろう。
一メートル半を軽く超えるそれは、もはや常人に扱える重量ではない。
「アルトリス兄さんも、お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
アルトリスの言葉に、シェリーとレナも笑顔で返す。
特にシェリーはほんのりと頬を上気させ、目にいっぱいのお星様を浮かべていて、完全に恋する乙女状態と化していた。
「もう学院生活にも慣れてきただろう。調子はどうだい?」
「少し不便なこともありますけど、毎日楽しいです。レナもいますし」
「シェリーには、いっつも振り回されてばっかりですけど」
ちょっとぉ、とシェリーは慌てた風にレナに言う。
いつもいじられてばかりなので、仕返しのつもりなのだろう。
いい気味だわ、と言わんばかりに、レナは澄まし顔でシェリーをちらりと見やった。
「と、とりあえず、中にどうぞ」
シェリーの台詞を継いで、こちらです、とグレイシアが先頭に立って歩き始める。
両側に道を作る使用人達が深々と頭を下げる中、アルトリスを迎えた面々は屋敷の中へと向かった。
先ほどまでレナとシェリーのくつろいでいた客間は、たった今の間に完全に掃除されていた。
食器類だけでなく、紅茶やカップケーキの匂いすら消えている。
レナとシェリーの向かいにアルトリスが座る形で、三人はソファーに腰かけた。
そしてレナの背中には昶が、アルトリスの背中には彼の連れてきた人物がそれぞれ立つ。
すると、始めにアルトリスが口を開いた。
「ところで、その少年は?」
深緑の瞳は、まっすぐに昶を見つめている。
しかも、ただ見ているだけではない。
全身の筋肉の付き方、重心の位置、そして腰からぶら下がる二振の武器を確認しているのだ。
昶自身も初対面の人間にはよくするので、視線の動きからなんとなくわかる。
もはや職業病と言ってもいいだろう。
「あたしのサーヴァントです。色々と事情があって」
「ふむ、人間のサーヴァントか」
「えぇ。肉体強化が使えるんで、けっこう役に立つんですよ」
「そうなのか。なかなかレアな能力を引いたね。それで、調子の方はどうなんだ?」
っと、これはレナではなく、昶に向けてだろう。
さっきまでレナを見ていた目は、まっすぐに昶を見つめている。
「まぁ、ぼちぼち、です……」
と、頬を軽くかきながら、昶は伏せ目がちに答えた。
後ろめたい所があるわけではないが、やってることがやってることだけに、言いにくいものがある。
その辺の盗賊から、第三級危険獣魔やその危険獣魔を片手間に瞬殺する闇精霊の使い手まで、まったく節操のない。
もっとも、アルトリスの目を欺けるとは到底思えないが。
現にぷっと短く吹き出すが、詳しくは聞かないから安心していいよ、という空気を全身で醸し出している。
「じゃあ、私のサーヴァントも紹介します。セイン」
「はぃ、主」
シェリーが呼びかけると同時に、空間の一部に不自然な陽炎が立ち登った。
空間の一点に火精霊が急激に収束しているからである。
妙な閉塞感を覚えるほどの、圧倒的なエネルギーの塊。
そして気付いた時には、一つの小さな精霊がシェリーの背後に控えていた。
背丈は一四〇を超えた程度だが、凛としたルビーと見紛うばかりの瞳に、炎の如きセミロングの髪をした少女。
戦装束にも見える長衣を彩るは、火の粉を散らす紅蓮そのもの。
まるで、炎が人間の形をしたような少女は、シェリーのサーヴァントを務める精霊。
上位階層の人間型火精霊こと、セインであった。
「お初にお目にかかります。主のサーヴァント、セインと申します」
右手を左の肩に添え、セインは恭しく一礼する。
「アルトリスだ。よろしく、セイン」
「こちらこそ」
と、そんな一幕を昶がほけ~っと見ていると、
『あんたもしときなさいよ、自己紹介』
レナから念話が飛んできた。
そういえば、まだしていなかったっけ。
気付けばアルトリスも、君の名前は? と首をかしげていた。
「昶、です。草壁昶」
「アキラか。よろしく」
「こちらこそ」
おずおずと、昶も頭を下げる。
年齢はそれほど違わないように見えるが、そこらの大人よりだいぶ中身ができている印象を受ける。
学院の三年生でも、ここまで人間のできた人はそう多くないはずだ。
いや、講師の中でもいるかどうか怪しい。
少なくとも、精神的にはゴリさんの方がよっぽど子供のような気がする昶であった。
「じゃあ、僕のサーヴァントも紹介しておこうか。おいで、イリアス」
「うん!」
アルトリスの後ろに控えていた人物が、ぎゅうっとその首に抱きついた。
勢いでフードがめくれ、その下の素顔が露わとなる。
「上位階層の…………火精霊?」
肌をちりちりと焼く感じと、この力の規模。間違いないだろう。
めったに見かけない上位階層に驚き、そんな言葉が昶の口から転げ落ちる。
「すごいなぁ。どうしてわかったんだい?」
「えっと、勘……です」
そうか、勘か、とアルトリスはくすくすと笑った。
なんだか、心の中まで見透かされていそうな気がする。
そんな昶の胸の内には目もくれず、アルトリスは火精霊の少女の頭を、くしゃくしゃと撫でた。
「イリアス、自己紹介はできるね?」
「じこしょぉかい?」
「自分のことを、みんなに教えてあげることさ」
「うん、わかった!」
火精霊の少女の身体が、不自然に浮かび上がった。
飛行力場を使ったのである。
少女はアルトリスの首に腕を回したままその頭上を飛び越え、真ん中に置かれたテーブルの上でピタリと静止した。
「わぁッ」
力の制御を誤ったのか、まとっていたローブが一瞬にして消失する。
その下から赤と金を基調とした、戦装束にも見える長衣が姿を現した。
身体にフィットしたタートルネックのベストは華奢な肩と背中を大胆に露出させ、真っ白な腕を赤に金細工の施されたアームグローブが覆う。
アームグローブは掌まで続いており、そこから五本のぷにぷにした指がのぞいていた。
二重布になっている薄桃色のロングスカートには腰まで深いスリットが刻まれ、頑丈そうな編み上げのロングブーツがちらりと見える。
可愛らしいツーサイドアップのテールが空気を撫で、時折ぱちぱちと小さな火花を散らす。
「えっとぉ、わたしのなまえはぁ、イリアスっていいます。それからぁ、アルトリスのサーヴァントです! アルトリスがだいすきです!!」
上位階層の人間型火精霊、個体名はイリアス。
精神面はカトル以上に幼い感があるが、それも恐らくは個性の一つなのだろう。
無垢という言葉がぴったり似合うほど、その笑顔はあどけなくて無邪気である。
「まったく、気配隠蔽のローブが台無しじゃないか。せっかく飛竜が怖がらないよう、総合魔法学研究院の友人に頼んで作ってもらったのに」
アルトリスは苦笑しながら、やっちまったかぁ、と言わんばかりにに額を押さえた。
実は、昶も不思議に思っていたのだ。
上位階層クラスにもなれば気配でわかるはずなのに、フードを外すまでそれがわからなかったことに。
つまりは、たった今燃え尽きたローブに、その秘密があったらしい。
「ごめんなさぃ、アルトリスゥ」
しゅんとなって、空中で正座したまま指をもじもじさせ始めるイリアス。
だがアルトリスは怒るようなことはせず、イリアスの手を取って自分の隣に引き寄せる。
「いいさ。僕の着てるもう一着があるから、帰りはこれを着れば」
「うん! アルトリス、だいだいだいすきぃ!!」
アルトリスはイリアスの頭を優しく撫でながら、耳元でそっとささやく。
それが嬉しくって、イリアスは思いっきりアルトリスに抱きついてその胸に顔をうずめた。
頭を撫でられ、あごを撫でられ、まるで子猫のようにイリアスはアルトリスにじゃれつく。
その様をシェリーが羨ましそうに見ているのを横目で確認しながら、昶はレナに念話で語りかけた。
『なぁ、アカデミーってなんなんだ?』
『王立レイゼンレイド総合魔法学研究アカデミーの通称。魔法を使った新しい技術を開発・研究したり、新しい魔法を探したりしてるの。飛行術や空を飛ぶ船も、精霊素の結晶の運用方法も、他には全身武装鎧も、総合魔法学研究院が確立させたものなのよ』
『へぇぇ……。すげぇとこなんだなぁ』
『気配隠蔽も、その内の一つ。人間や精霊から漏れる魔力や精霊素の発する圧力みたいなものは、少なからず周囲に影響与えちゃうから。だから馬車とか籠とか、人乗せて移動するものには、たいてい気配隠蔽の魔法がかけられてるの』
つまり、イリアスの発するプレッシャーで飛竜が怯まないよう、たった今燃え尽きたローブがイリアスの気配を遮断していたのだろう。
上位階層と言うだけあって、イリアスの発する圧力は相当なものだ。
小さくなる前のセインと比べても、なんら遜色のないほどに。
だがその時、ガチャンと乱暴に扉が開かれた。
扉の向こうに現れた人物に、レナは素早く立ち上がって向き直り、アルトリスもその場に立って一礼する。
昶もその場の空気に飲まれ、アルトリスに倣って礼をした。
そんな中、シェリーだけが瞳孔をかっと開き、犬歯を剥き出しにしてその人物をにらみすえる。
「いったいなんの用で来たの? ママ」
シェリーの母親にして、グレシャス家当主の妻であるロベリアーヌがそこにいた。
「おじゃましております、ロベリアーヌさん」
レナの挨拶に、ロベリアーヌはにっこりと微笑み返した。
「久しぶりね、レナちゃん。休暇中は、ゆっくりしていくといいわ」
背丈はシェリーより少し低いくらい、一六〇と少々。
青味の強い紫の髪を背中まで流し、流麗な目ではダークレッドの瞳がひっそりと自己主張している。
目元や口元には小ジワが刻まれており、ロベリアーヌの優しげな印象を作るのに一役買っていた。
髪と合わせた薄い紫を基調としたドレスを着ている。
そして、その後ろにはもう一人の人物がいた。
「シャルル、あんたも来てたのね……」
「あぁ、姉貴」
こちらは、ほとんどシェリーと瓜二つと言っていい。
短く切りそろえられた明るい赤紫系の髪に、ほんの少し紫味を帯びた青い瞳をしている。
人懐っこそうな可愛らしい顔で必死に険しい表情を作っているのは、シェリーに対して気を張っているからなのだろう。
背中には、シェリーやアルトリスと同じく大剣を背負っているのは、シャルルもまた肉体強化の秘術を有するマグス見習いだからだ。
王立レイゼルピナ魔法学院の制服とは、少し違ったデザインの物を着ている。
「アルトリスくんはここに居て。聞いてもらいたい話があるから。グレイシア、悪いけど、レナちゃんを部屋まで案内してあげて」
「かしこまりました」
グレイシアはエルミーナに指示を出し、エルミーナも、こちらですとレナに促す。
ただならぬ気配を察したレナは、ロベリアーヌとシャルルの方を見ながら、小さく昶を手招きする。
レナと昶は、グレイシアに連れられて客間を辞した。
シェリーの座っていたソファーにはロベリアーヌとシャルルが腰かけ、シェリーはアルトリスの隣へとかける。
二人の背にはそれぞれセインとイリアスがひかえ、ロベリアーヌの背ではグレイシアが複雑な表情で姿勢を正している。
「魔法学院での成績、あまり芳しくないようですね」
ぴんと張りつめた空気を作り出しているロベリアーヌが、最初に口を開いた。
シェリーの学院での成績について、言っているのだ。
「私、勉強は苦手なんです。だからその分を、実技で稼いでるだけです。それがどうかしましたか?」
シェリーは敵意を剥き出しにして、突っかかるようにロベリアーヌに告げる。
レナが実技の分を座学でカバーしているように、シェリーも座学の分を実技でカバーしているのである。
なので、シェリーも進級に関しては、あまり余裕がない方なのだ。
「実技……。まさか、剣を振るうなんて殿方のするような真似を、しているわけではないでしょうね?」
「なにバカなこと言ってるんですか。パパと同じで、大剣をぶん回すような真似をしてますよ。それが、グレシャス家の戦い方なんですから」
柔らかだったロベリアーヌの表情が、キッと鋭いものに変わる。
イリアスはびくんと肩を震わせ、アルトリスの首にしがみつく。
それだけ強烈なプレッシャーだったのである。
「剣を取るなど女のすることではないと、どれだけ言えばあなたはわかるのですか!」
「永久にわからないわよそんなこと! 私はね、うんざりしてるのよ! パパがいない時は家で剣の練習を禁止されて! レナんとこのダールトン隊長に剣習ってるの知ったら今度は見張りなんか寄越して! 挙げ句の果てに剣をやめて女らしい作法や教養を身に付けろって、強引にそういう学校に入学させようとしたり! 私がマグスになるの、そんなに気に入らないわけ!?」
だが、シェリーの方も負けてはいない。
漏れ出した魔力が火精霊を引きつけ、周囲でパチパチと小さな火の粉が生まれる。
それだけ、シェリーの心が怒りに震えているのである。
シェリーの迫力に気圧され気味のシャルル。しかしロベリアーヌの方は、全く臆した様子はなかった。
「マグスになる。つまり、戦争が起これば、あなたは真っ先に戦場に出ると、そういうこと?」
「そういう意味じゃないわよ。グレシャス家を引っ張っていけるような、そんなマグスになりたいの。領民になにかあった時でも、ちゃんと守れるような。そんなマグスになりたいの」
「……グレシャス家を引っ張っていけるような、ですか。グレシャス家の家督を継ぐと、本気で言っているのですか?」
「本気も本気よ」
それを聞いたとたん、ロベリアーヌの目が一層険しくなった。
そして一言。
「なりません」
静かに、だが鋭い。
決定的な否定の言葉。
それがシェリーの怒りに、更に拍車をかけた。
「なんでよ!」
シェリーは声を荒げて立ち上がると、叩きつけるようにロベリアーヌに叫んだ。
青い瞳が、怒りに震えている。
シェリーのあまりの変貌ぶりに、アルトリスも思わず面食らう。
「私がやらなきゃ、いったい誰がグレシャス家を継ぐって言うのよ!」
「シャルルがいるではありませんか。それに、私はあなたに女として幸せになって欲しいの。そのために、今日アルトリスくんにも来て頂いたのだし」
「それって、どういう意味?」
ロベリアーヌはほんの少し間を置いて、シェリーに切り出した。
「あなた、アルトリスくんと結婚なさい」
「はぁッ!?」
どん、とテーブルを割らんばかりの勢いで、シェリーは手を突く。
いや、実際少し割れているような気もしないでもない。
「今すぐじゃなくてもいいわ。婚約という形で、卒業まで待ってあげます。でも卒業したら、すぐにでもアルトリスくんの所に嫁ぎなさい」
「なな、なんでそういう、話に……」
突然の展開に、シェリーは思わず足腰の力が抜けた。
ぽふんとソファーに尻を着き、隣のアルトリスを見やる。
アルトリスはシェリーの視線に気付くと、にっこりと微笑んで見せた。
どうやら、最初から知っていた風である。
「アルトリス兄さんは、知ってたんですか?」
すがるような気持ちで、シェリーはアルトリスに問いかけた。
「あぁ。ごめんな、シェリー。でも、ロベリアーヌさんから、固く口止めされてて」
そして、最も聞きたくない答えが返ってきた。
まるで騙されたような気分になる。
自分一人がなにも知らなくて、この部屋にいる全員がそのことを知っていたなんて。
母親と顔を合わせるのもうんざりなのに、まさかいきなり結婚話を持ち出されるとは夢にも思わなんだ。
「全ては、あなたの幸せのためなの。私は、あなたに幸せになってもらいたいだけなの。アルトリスくんは、マグスとしての成績も優秀。家柄的にもなにも問題ないわ。それに、あなたもアルトリスくんにはよく懐いていたでしょ?」
「そ、それは、そうだけど……。でも、それとこれとは全然話が違う! それに、そんなヘタレなんかにグレシャス家を継げるって、ママは本当に思ってるの?」
「継げるさ!」
ロベリアーヌとシェリーの怒号に気圧されていたシャルルが、ここに来てようやく口を開いた。
「俺だって、この一年頑張ってきたんだよ! 王都の魔法学術院だって次席の成績で、マギア・フェスタへの参加も決まってる! マグスを目指してるのは、姉貴だけじゃねぇんだぞ!」
「……だから、それがなんだってのよ」
シェリーはロベリアーヌから、シャルルに視線を向けた。
まるで抜き身の大剣を向けられたかのように、シャルルの心臓は恐怖に締め上げてゆく。
圧倒的な格の差を、シャルルは今まさに肌で感じていた。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「オズワルトの魔法学院で落ちこぼれそうな姉貴より、俺の方が向いてるってママも言ってるんだ。だから…」
「あんた、勘違いしてんじゃないわよ」
シャルルの言葉を遮って、シェリーは冷徹に告げる。
「王都の魔法学術院。それって確か、王立メルヴィル魔法学術院のことよね?」
「そ、それがどうかしたのかよ……」
「知ってるでしょ。メルヴィル魔法学術院は、レイゼルピナ魔法学院に入りれなかった人間が、多く通ってる学校だってことくらい」
「…………」
シャルルは、もうなにも言えなかった。
それは、シャルルの力ではどうにもならない、事実であったから。
「そりゃ、私よりも一つ下で魔法学校に通ってるのは、私もすごいと思う。努力してるんだなぁって、そう思うわ。でもシャルル、いくら勉強できたって家督は継げないの。この意味、頭の良いあんたならわかるでしょ」
シャルルは思わず視線をそらした。
シェリーは確かに、自分のことを認めてくれてはいる。
だが、同時に別の事実も突きつけてきた。
シャルルの在籍するメルヴィル魔法学術院は、シェリーの在籍するレイゼルピナ魔法学院よりも格が下であること。
そしてもう一つ、シェリーはシャルルよりも自分の方が、跡取りとして相応しいと思っている、ということだ。
それは、シャルルにもわかっている。
先を見通す洞察力と、何事にも屈指ない度胸。
この二つは、逆立ちしたってシェリーには敵わないと。
だが、それでも諦めたくはなかったのだ。
足りない才能を補うために姉以上の努力をしてきたのは、まぎれもない事実で、母親もそれを認めて自分をグレシャス家の次期当主に推してくれているのだから。
それに、家督は男が継ぐものであるのも事実だ。
シェリーのやろうとしていることは、グレシャス家の歴史に泥を塗ることにもなりかねないのである。
そのために、シャルルも家のためを思って一生懸命頑張ってきたのだ。
「いいかげんにしなさい!」
ロベリアーヌが、姉弟の間に割って入った。
シェリーの視線が再びロベリアーヌに戻ったことで、シャルルは圧力から解放される。
たった今の間に、背中にべったりと汗をかいていた。
「いいかげんにするのはママの方よ! 私の幸せは私が決める。確かにアルトリス兄さんのことは、す…………嫌いじゃないけど、でも結婚とかそんなの、全然わかんないわよ!」
なにか熱いものが、シェリーの頬を伝って流れた。
それは胸の内に秘めた思いも一緒に、身体の外へと運び出す。
そして、言ってはならない一言が、シェリーの口からこぼれ落ちた。
「ママは、そんなに私のこと嫌いなの? 結婚させて家から追い出してまで、シャルルに家督を継がせたいの?」
「違うわ。私はあなたの幸せを願って…」
「私にだってわからない自分の幸せが、ママになんてわかるわけないじゃない!」
それが限界だった。
胸が、痛くて痛くてたまらない。
目からはとめどなく涙があふれ、もう自分ではどうしようもなかった。
「ママなんか、だいっ嫌い!」
まるで逃げるように、シェリーは客間から飛び出した。
結局夕食の時間になっても、シェリーが現れることはなかった。
レナがエルミーナに話を聞いてみた所、母親と一悶着あったと言うだけで、それ以上聞き出すことはできなかった。
だが、付き合いの長いレナには、だいたいの事情がわかった。
やはりまだ、母親との確執が続いているようである。
「シェリー、なにがあったんだろうな。人の倍は食い気のあるやつなのに」
「色々込み入った事情があるのよ。あたし達が、どうにかできる問題じゃないわ」
「それくらいわかるって。家にだって込み入った事情くらい、掃いて捨てるほどあったよ」
レナ同様、昶もシェリーのことを心配していた。
だが、事情がわからないのもあって、気持ちをぶつける先がないのである。
なにもできない自分が、悔しくて仕方がない。
すると不意に、部屋の扉が少しだけ開いた。
そこにいた人物の姿に、二人は思わず駆け寄った。
「シェリー、なにがあったんだよ? 夕食にも来なくて心配したんだぞ」
「……ぅん、ごめん」
心配そうに話しかける昶に、シェリーは力なく返す。
黙ってシェリーの顔をのぞき込んでいたレナには、シェリーが今までなにをしていたのかわかった。
「あんた、今まで……」
目元が、真っ赤に腫れていた。
白目も真っ赤に充血し、涙の伝った跡がくっきりと赤くなっている。
「レナ、今晩ちょっと、いいかな?」
シェリーはうつむいて視線を合わせないまま、今にも消え入りそうな声でつぶやく。
普段のシェリーからは想像もつかない、精気の抜けた切った声だ。
放っておいたら今にも壊れてしまいそうな、そんな危うさを孕んでいた。
「いいょ」
レナは寝間着を一式そろえると、それを持って部屋の外へ向かう。
レナの服の裾を、きゅっとシェリーの手が握った。
「ベッド、使ってもいいから」
足取りの重いシェリーに、そっとレナが続く。
まるで昶が来るのを拒むかのように、ガチャンと扉が閉まった。
レナは久々にシェリーの部屋にやって来た。
二〇畳を軽く超える部屋は、学院のそれとは随分と様子が違う。
キングサイズはある天涯付きのベッド、整理整頓された魔法や剣術、兵法についての書籍、綺麗に整えられた勉強机。
大型のクローゼットは四つもあり、身の丈より巨大な姿見の鏡も設置されている。
そして部屋の至る所には、ファンシーなぬいぐるみがたくさん置かれていた。
無粋な足音を消してくれる毛の長いシックな色合いの絨毯の上を歩いて、二人はベッドへ向かう。
「まだあったんだ、このぬいぐるみ」
「うん。これ全部、パパとママに買ってもらったものだから」
シェリーは薄いパープルのネグリジェを、レナはオレンジのベビードールに着替え、ベッドの上にいた。
シェリーは膝を抱えてちょこんと座り、その対面にはクマのぬいぐるみをいじくるレナが座る。
「それで、今日はなに言われたの。ロベリアーヌさんに」
シェリーは回りくどいことが嫌いな女の子だ。
レナはあえて遠回しになるような言い方はせず、初手からいきなり核心を突いていった。
昔から何度もこういうことがあったのだ。
特に母親と喧嘩した直後なんかは、よくアナヒレクス領に家出して来たものである。
魔法学院に入学してからは顔を合わせる機会がなかったのでそういうこともなかったが、今回は盛大にやったようだ。
シェリーがどんな時に自分を頼りにするのか、レナ自身もよくわかっている。
レナは無理に聞き出すようなことはせず、シェリーが口を開くまでひたすらに待った。
「……グレシャス家の家督、私じゃなくてシャルルに継がせたいんだって。当主には男がなるもので、女じゃ示しがつかないってことくらい、私だって知ってるのに。でも、シャルルなんかには任せられない。だからパパも、昔から私の面倒よく見てくれてたんだもん。それで、私には、アルトリス兄さんのお嫁さんになれって。そう言われたの」
シェリーはデフォルメされたドラゴンのぬいぐるみを取ると、それに顔をうずめた。
もう随分と色褪せたぬいぐるみだ。
これも昔、父親や母親に買ってもらった物なのだろう。
なるほど、そんなことがあったのか。
それなら確かに、自分をあの場から追い出したのも納得できると、レナは小さく頷いた。
「私、自分でもわからないの。グレシャス家の当主になって、領民や国のために頑張りたいっていうのは本当。でも、アルトリス兄さんも大好きで、でもいきなり結婚とか言われたって。全然心の整理がつかないわょ……」
「良い人だもんね、アルトリスさん。帝立バルトシュタイン魔法教導院の三年生首席で、頭もマグスの腕も良い。しかも紳士だもん。あんたの男勝りの性格を受け入れてくれる人なんて、アルトリスさん以外あたしにだって思いつかないわよ」
こくこくと、ぬいぐるみに顔を埋めたまま、シェリーは何度も頷いた。
それは、学院ですでに実証済みである。
始めは抜群のルックスとプロポーションに惹かれて口説いてくる男子もそれなりにいたが、性格が災いしてか結局は男友達のような形で終わってしまうのだ。
それに、アルトリス以上の相手なんて、やはりいるはずもなかった。
「私、どうすればいいのかな…………。ママに認めてもらおうって思ったら、グレシャス家は継げない。でも継いじゃったら、ママは一生私のこと許さないと思うし。どっちかを選んだら、もう片方は絶対に捨てなきゃならないなんて、そんなの嫌だ」
「そんなこと、あたしにだって嫌に決まってるじゃない。どっちかのためにもう一方を諦めるなんて、そんな真似」
レナは小さな手で、シェリーの頭をそっと撫でた。
寝る前なのもあって、トレードマークのポニーテールは解かれている。
髪を下ろしたシェリーは、掛け値なしに可愛い。
これでいつもしおらしくしていれば、言うことないのであろうが。
レナはシェリーの頭を撫でながら、肩をそっと抱き寄せた。
シェリーもされるがままに、レナの肩にこつんと額を当てる。
「でも、決めなきゃいけない時は、いつかは必ず来て。その時にはどうするか、自分で選ばなきゃいけない。でも、今はまだその時じゃないって、あたしも思う。それまで、いくらでも、いつでも、話聞いてあげるから……。一緒に、いっぱい悩もう」
「ぅん……。ありがとぉ…………。レナァ」
ひっく、ひっくと、小さな鳴き声が、ひっそりと室内を反響した。
シェリーがレナの腕の中でようやく眠りに就いた頃、アルトリスはあてがわれた部屋のベッドに腰かけ、一人感慨にふけっていた。
「アルトリス?」
その背中に、イリアスがぎゅぅっと抱きつく。
アルトリスが頭を撫でてやると、イリアス更にのどを鳴らしてしなだれかかってきた。
「なんでもない。明日のことを思うと、うずうずするだけだ」
「あしたぁ?」
「あぁ、明日さ」
イリアスは飛行力場でふわりと浮き上がると、アルトリスと向かい合うように膝に座る。
突然表情が暗くなり、アルトリスの胸のシャツをぐっとつかんだ。
「アルトリス、あのひとたち、こわかった」
「そうか。よく頑張ったな。イリアスは良い子だな」
「イリアス、いいこなの?」
「あぁ、イリアスは良い子だ」
イリアスの耳元で、アルトリスは甘くささやく。
それだけでイリアスの目はとろんと蕩け、アルトリスの胸板にごろごろと頭をなすりつけた。
「あのひとたち、いなくなればいいのに」
「そうか。なら、やってみるか?」
「やってもいいの? うん! やる! イリアスやりたい!」
先ほどまで暗く沈んでいた瞳に、光が灯る。
どこまでも暗く、妖しい光が。
「よしよし、一緒に頑張ろうな。イリアス」
「うん!」
アルトリスはイリアスを抱きよせながら、深い眠りへと落ちていった。
初めての人、初めまして。お久しぶりの方、お待たせしてしまって申し訳ないです。どっさり投稿魔こと、蒼崎れいです。コーティカルテは私の嫁です)ェ。まあそれは置いといて、うん……。当初の予定の七割くらいです。本当はもう少し行く予定だったんですが、キリが悪くなったのでこの辺で。最近『朱音ノ悪鬼調伏譚』の影響のせいか、やたら長引いちゃうんですよねぇ。あれ、一つの話がこれの倍ありますからねぇ、うん。
てなわけで、十二話終了です。ほんのりシリアスなテイストで書いてみました。シェリー可愛いよシェリーな回ですよ、シェリーファンの皆様には満足していただけたのか、それともこんなの違うと思われたでしょうか。新キャラも登場してきて物語はますます加速していく予定です。
そして、後半の十三話をお楽しみ下されば嬉しいです。七月中には書けるように頑張りますので。
では、また次話でお会いしましょう。