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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第十二話 冬休み Act04:帰省

「んん~、ふぁぁ……」

 レナは珍しく、起床の鐘が寝る前に目が覚めた。

 窓の外はまだ暗く、部屋を満たす空気は肌に突き刺さるように冷たい。

 ごろりと寝返りをうつと、暇そうに天井を見つめている昶の姿が目に入る。

「そういえば、あんたいっつも朝早くから起きてるんだったわね」

 レナは頭だけ布団から出して、昶に話しかけた。

「ん。珍しいな。まだ鐘が鳴るまでけっこう時間があるのに」

 温かい毛布にくるまった昶も、位置を調整してレナの方に向き直る。

 昨日と同じく、まだ真っ暗なため顔なんて全然見えない。

 冷たい空気を震わせて、可愛らしい声が聞こえるだけだ。

 それでも、外と比べればまだ温かい方であるが。

「たまにはいいじゃない。そういえば、風邪はどうなのよ?」

「あぁ、そういや……。治ったっぽい」

 のどのイガイガもなければ、鼻がつまっている感じもない。

 早朝の修練を少し止めるだけでここまで簡単に回復するとは、自分で思っていた以上に身体にキツい内容だったのかもしれない。

「そう。よかったわね」

「健康管理も仕事の内だろ。崩しちまったら、とっとと治さないとな」

「それよりも、まだ朝食まで時間あるんだし、昨日の話の続き。聞かせなさいよ」

「へいへい。わかりましたよ、レナお嬢さま」

 昶はごろごろと床を転がり、レナのすぐ隣にまで移動する。

 それを見て、レナもベッドの端まで寄ってきた。

 ここまで近付けば、ほんの少しくらい互いの顔を見ることができる。

 それがなんだかおかしくて、二人はそろってくすりと笑った。

「で、どこまで話したっけ?」

「あんたのお姉さんが、魔術だっけ? の学校に入学したってところまで」

 あのバカ姉の話ね、と昶はメールや携帯電話で聞いた話を思い出す。

 そろそろ入学してから三、四ヶ月くらいになるだろうか。

「まあ、俺がこっちに来た頃は、まだ入学準備中だったんだけどな。あと、対外的には普通の学校で、生徒もほとんどが魔術とはなんの関わりもない人間だからな」

「それで、そのお姉さんってあんたよりも強いの?」

「あぁ。当代じゃ、一族最強だってさ」

「あんたの分の才能、お姉さんに全部取られちゃったんじゃないの?」

「ほっとけ」

 楽しげにからかってくるレナに、昶は不機嫌そうに返した。

 まあ、言われてみればそんな気がしないでもない。

 昶の姉は技巧派の陰陽師で、地力だけが頼りの昶と違って多種多様な術式や技を有している。

 量は少ないながらも、更に上の兄も秀才と揶揄される技巧派だ。

 二人そろって技巧派の次に、力押しタイプの昶がくれば、確かに才能を吸い取られているのかも、と思いたくなる。

「そういや、レナにも兄弟とか姉妹っているのか?」

「えぇ。お兄さまに、ちょっと年の離れた妹と、あと今年の夏に弟ができたわ」

「四人兄弟か。うちより一人多いな」

「学院って全寮制だから、時々会いたくはなるんだけどね。弟とか生まれたばっかりだから、遊び相手もしてあげたいし」

 と、レナはちょっぴり嬉しそうに、でもどこか浮かない顔をしながら兄弟のことを語った。

 今年の夏に生まれたばかりということは、手はかかるもののまだ可愛い盛りである。

 妹同然にエルザを可愛がっているのもあるし、けっこう子供好きの気があるのかもしれない。

 弟も妹もいない昶にはちょっとわかりにくい感覚であるが、下の兄弟ができればやっぱり自分も可愛がるだろうなと思う。

「兄弟かぁ。兄さんはともかくとして、あのバカ姉、今頃どうしてんだろなぁ。俺と同じで、今まで学校とか行ったことない人だからなぁ」

「あれ? 昨日、あんたのとこ途中まで学校に行くの義務化されてるって……?」

「そうなの。法律無視して里の中で生活してたんだよ。まあ、おかげで俺みたいな凡人でも、一応はランクCに……。えぇっと、軍隊で言うと、訓練生が終わったくらいになんのかな。それくらいのレベルには、なれたわけだけど」

「あんたでそのレベルなら、あたしなんてどうなるのよ」

 レイゼルピナ(こっち)に生まれて本当に良かった、とレナは大きなため息をつく。

 今でもろくに魔法が使えずに苦労しているというのに、もし昶の世界に生まれていたら。

 やっぱそれ考えるのはやめよ、とレナは別の話題に切り替えた。

「あたしはアキラの世界に行ったことないからわからないけど、あんたの世界とこっちの世界、どっちが楽しい?」

 自分でも思っていた以上に緊張して、レナは少し驚く。

 変な声が出なかっただろうか。

 不自然に声が震えたりしていなかっただろうか。

 不安な顔を見られたくなくて、レナは毛布を手繰り寄せて口元を隠した。

「さぁな。里じゃあ軽く軟禁生活送ってたから、外のことはよくわかんねぇんだょ。てか、最近よく聞いてくるな。俺の世界の話」

「なによ。聞いちゃ悪かったわけ?」

 ちょっとすねたような声で、レナは昶に抗議する。

 別にそんなんじゃねぇよ、と返し、昶は言葉を続けた。

「でも、この前まで全然信じてなかっただろ」

「そんなことどうでもいいじゃない。それで、どっちの方が楽しいの?」

「そりゃま、こっちの方が楽しいっちゃあ、楽しいぜ」

 昶はほんの少し声を弾ませながら、ここ数ヶ月のことを思い出す。

 目の回るほど忙しいが、それ以上に楽しかったと思えるようになった日々を。

 かけがえのない、とまでは言い過ぎかも知れないが、友達ができた。

 一緒に遊んで、一緒にバカやって、一緒に笑いあえる、そんな友達が。

 自分の戦う目的を見いだし、強くなろうと思えるようになった。

 自分の大切と思えるようになった人達を、きっちり守れるように。

 そういう意味では、こんな夢物語みたいな異世界に来られたのは、良かったのかもしれない。

 自堕落に生きていた今までの世界より、今レイゼルピナにいる方がよほど有意義である。

 しかし、

「でも、やっぱ食いもんはあっちの方がいいなぁ。米食いてぇ」

 やはり、生まれ育った故郷への哀愁は捨て去れない。

 土の匂いも、肌を撫でる真夏の湿った風も、突き刺すような冬の冷たさも、大切な思い出の一つだ。

 そんな昶の、ちょっと寂しそうな表情を見て、レナは反対側に寝返りをうった。

「レナ?」

 不思議に思った昶が、そっと声をかけてくる。

「なんでもない」

 やっぱり、元の世界に帰った方がいい。

 それに、やっぱり兄弟は大切なものだ。

 昶の話を聞いていても、それはよくわかる。

 お兄さんの方はもちろんだが、お姉さんの方も尊敬している。

 いつも良い思い出はないと言い張っているが、待ってくれている人がいるんだから、昶は自分の世界に帰るべきである。

 レナは自分に、それを強く言い聞かせた。

「それよりも、早く次聞かせなさいよ。あんたのしてた仕事の話とか」

 胸の内を悟られまいと、レナは必死に平静を装う。

 昶を元の世界に帰すのは、最善の選択であるはずなのに、なぜこんなにも胸が苦しくなるのだろうか。

 両肩をきゅぅぅっと強く抱き、レナは布団の中に顔をうずめた。

 そんなレナの変化には気付かず、昶は指折りしながらどんな仕事があったか話し出す。

 いよいよ朝日が上り始めた頃、起床を告げる鐘の音が響き渡った。




 竜籠に揺られて、いったいどれだけの時間が過ぎただろうか。

 シュタルトヒルデに向かう時と比べれば短い方であるが、なかなか長かった。

 足をまっすぐ伸ばせるくらいのスペースにふかふかのソファー、適度な気温で籠の中は超快適空間。

 しかもグレシャス家のメイドさんが一人居て、紅茶を入れたり、お昼のサンドイッチを出してくれたり。

 俺までこんな待遇でいいのか、と昶なんて尻込みするくらい至れり尽くせりの時間であったが、やっぱり長いものは長い。

 ようやく到着して籠から降りた昶は、全身の関節をぽきぽき鳴らし始めた。

「ふぅぅ、やっと着いたわね」

「あぁ。思ったより長かったなぁ」

「悪いわね、時間かかっちゃって。でも、アナヒレクス家の竜騎士が良い意味でおかしいだけで、グレシャス家の竜騎士も腕はいいんだからね」

 と、シェリーはとりあえず、自分の所の竜騎士をフォローしておく。

「お嬢!」「すまねぇ、俺達が不甲斐ないばっかりに」「来年こそは、アナヒレクス家の竜騎士に一泡吹かせてやるぜ」「お嬢は俺達の勝利の女神だ!」

 それを聞いた、三人とメイド一人を運んできた若い竜騎士達は、感極まって号泣していた。

 アナヒレクス家の竜騎士は、本当に優秀らしい。

 あの元隊長でバカ親丸出しのダールトンの姿からは、とても想像できないことである。

 もっとも、シェリーもレナ同様に、グレシャス家の竜騎士達にとってアイドルや、マスコットのような存在のようであるが。

 まあ、それはともかくとして、

「お嬢……?」

 その呼称に、昶は目を丸くしながらシェリーの方を振り返る。

「わ、悪かったわね! どうせ私には似合わないわよ!」

 シェリーはまるでレナみたく、頬をかぁっと赤く染めてそっぽを向いた。

 滅多になり、シェリーのレア顔である。

「お嬢が照れた!」「野郎、ただじゃおかねぇぞ!」「聞いてんのかごらぁ!」「お嬢、そいつやっちまっていいですか!?」

 本気でグレシャス家の竜騎士が心配になってきた。

 いや、アナヒレクス家の竜騎士も大差なかったような気もするが。

 だが少なくとも、アナヒレクスの若い竜騎士たちはここまで浮かれてはいなかった。

 もしかして、女の子の所の竜騎士ってみんなこんなんだったりするのだろうか、と昶は本気で思い始めた。

「別にいいけど、アキラってこれでも私より強いから、下手したらしばらく仕事できなくなるかもよ?」

 グレシャス家の竜騎士のみなさんは、マジっすかそれ……、みたいな目で昶のことをギョロリ。

 絶賛竜騎士のみなさまから注目を浴びている昶はと言えば、あくびをかみ殺しながら頭頂部をぽりぽりかいていた。

 半開きの目はだるそうで、とても自分達の知るお嬢より強いなんて思えない。

 竜騎士達は一ヶ所に固まると、なにやら作戦会議を始める。

 真剣な面持ちで、互いの顔を見やった。

 どうやら、本当に昶とやりあうつもりらしい。

 と、そこへレナが、

「もぉ、そんな物騒なことしないでくださぃ。嫌いになっちゃいますよ?」

 普段めったに聞けないような超猫なでボイスで、竜騎士達へ語りかける。

 どれくらい甘いかというと、激甘モード起動中の時の五割増しくらいで甘い。

「「「「もちろんです、レナお嬢様!」」」」

 こいつらもうダメだ、と昶が思ったのは言うまでもない。




「ほんと、ちょろいわね。竜騎士ってどこの家もこんなもんなのかしら」

「仕方ないでしょ。連中、女の子に飢えてんだから。私のことお嬢とか言うくらいだし。それよりも、私はあんたの変わり身の方が怖いわよ」

「お客様用よ。あの声で甘えてやれば、たいていみんな気分良くして帰るもの」

「悪女め」

「うるさいわね、脳筋」

 籠の収納と飛竜の繋留作業に入った竜騎士の連中が見えなくなったとたん、レナはいつもの調子に戻った。

 あの猫なでボイスで甘えられるのは実に魅力的ではあるが、やっぱりいつものレナの方が気が楽だ。

「そういや、あいつらレナに対して無茶苦茶素直だったけど、あれってどうなってんだ?」

 と、昶は前方を歩く二人に問いかけた。

「年末はいつもグレシャス領で過ごしてたから、知ってても別に不思議じゃないわよ」

「それに、小さい頃はよくお互いの家に遊びに行ってたしね。私と違って、レナったら小さくて可愛いから、竜騎士の連中、来るたびにいつも騒いでたわよ。『アナヒレクスんとこの天使が来たぞ!』って」

 小さくて悪かったわね、とレナは半眼でシェリーをじろりと見やる。

 相変わらず、仲が良いのやら悪いのやら。

 いや、仲が良いからここまで言い合えるのか。

「まあそんなことより、とりあえず……」

 シェリーは巨大な玄関まで来ると、くるりと半回転してレナと昶に向き直る。

 それからぐるりと回した右腕をお腹の前で止め、大仰な仕草で一礼した。

「ようこそ、グレシャス領へ」

 頭を上げてニヤリと笑うと、シェリーは玄関の扉を開く。

 その偉容に、昶はあんぐりと口を開けた。

 二階部分をくり抜かれて作られているであろう高い天井を、金箔がふんだんにあしらわれた豪奢なシャンデリアが彩り、そこから放たれる光を磨き抜かれた白大理石の床が反射する。

 ここだけで何十畳あるのか、昶には検討もつかない。

 正面に見える広い階段の横には、芸術的な花が生けられており、よく見れば絵画のようなものも二階の通路部分に見ることができる。

 昶の位置からは少し見え辛いが、写実的なものから抽象的なものまで、様々な絵画が飾られているようだ。

『お帰りなさいませ、お嬢様』

 そして一番の驚きは、玄関の入り口から二階へ続く広々とした階段まで、グレシャス家の使用人がずらりと並んでいる光景だった。

 一糸乱れぬ動きで深々と頭を下げ、寸分の狂いもなく全員の声が唱和する。

「たっだいま~」

 そんな張りつめた空気をぶち壊すように、緊張感皆無なシェリーの声が玄関ホールに木霊した。

 ずかずかと使用人達の真ん中を闊歩するシェリーの後ろを、もう慣れた感じのレナと、戦々恐々といった風な昶が続く。

 三人が二階に上がると、更に上へと続く階段から一人の男が降りてきた。

 その男はシェリーの姿を見るやいなや、

「シェリーお嬢さまッ!」

 両手に持っていた書類の束を捨て去り、一目散にシェリーの下へと駆け寄ってくる。

 背丈は一八〇センチより高い。燕尾服に包まれた肉体は細身であるが、屈強な筋肉を備えていることがうかがえる。

 灰色の金髪(アッシュブロンド)の頭髪は、前髪が短く後ろ髪はうなじの辺りで一房にまとめられていて、頭髪とコントラストを成すように肌の色は浅黒い。

 ビリジヤンの瞳はどこか野性的で、まるで肉食獣を彷彿とさせる。

 男はシェリーに駆け寄るとその場に片膝をつき、左手をとってその手の甲に口付けを、

「そういうのいいから」

「痛ッ!?」

 しようとして額を殴られた。

 しかもシェリーは痛みが増すように、骨の部分をわざわざ突き出して。

 普通なら拳を怪我から守るために、関節を突き出してパンチを繰り出すことはないのだが、肉体強化でその辺の強度も上がっているシェリーにはなんの問題もない。

「久しぶりね、ウォルテス。一年ぶりくらいかしら?」

「正確には、九ヶ月と八日です。お久しぶりです、お嬢さま」

 シェリーにグーパン一発もらったダメージもどこへやら。

 次の瞬間にはもう、シェリーに対して恭しく(こうべ)を垂れる男――ウォルテス――の姿があった。

 もっとも、額の方にはくっきりとパンチの跡が残っているので、なんとも締りのない絵柄であるが。

「それに、レナ様も」

「えぇ。あたしとは、ちょうど一年ぶりくらいね」

「はい。昨年の年末以来となります。それで……」

 ウォルテスはちらり、と二人の後ろにいる珍妙な服装の少年に目をやった。

「なんですか? 腐った魚のような目の少年は」

「草壁昶だ。悪かったな。腐った魚みたいな目で」

 シェリーやレナに向けていた視線とは正反対の、限りなく冷ややかな視線である。

 視線が昶のつま先から頭のてっぺんまでを何度も往復し、服装や装身具から、身体つきまでを確認していく。

「これはこれは、わたくしめはウォルテス=レ=ベーリュシモ。ご入学前まで、お嬢さまの身辺のお世話をさせていただいておりました。どうぞよろしく、教養のなっていないおサルさん」

 ウォルテスはキラリと白い歯を見せながら、嫌味なほど、にっこりと微笑んだ。

 前方のお嬢さま二人に柔和な笑顔を見せてから、後ろの昶には強烈なガンを飛ばす。

 ――おぉ、怖い怖い。“ツーマ”の一割くらいだけど。

 全く動じない昶に舌打ちしつつ、ウォルテスはシェリーに向き直った。

「それでは、レナ様とそのオマケを、いつもの部屋にご案内いたしましょうか?」

 男に不慣れな女なら、そのままコロッといってしまいそうなほど、魅力的な笑みを浮かべるウォルテス。

 それに対してシェリーは、にぃ、とどこか含みのある笑みで、ウォルテスの後ろを指差す。

 不審に思ったウォルテスが後ろを振り返ってみると、見下ろすような小さな女性が仁王立ちしていた。

「げぇッ!? グレイシアのクソババァ!」

「誰がクソババァだぁ! これでもまだ二〇代だ!」

「がはぁッ!? 四捨五入すりゃ、もう三十路だろ…………」

 小さな女性――グレイシア――は、ウォルテスに見事なボディブローを叩き込む。

 数十キロの体重差はあるであろうウォルテスの身体がふわりと浮き上がり、悶絶して床をごろごろと転がる。

「さっさと書類を部屋に運んでから、使用人各所にお嬢さまが帰ってきたから相応の準備をするように通達。わかったらさっさと行く!」

「わっ、わかりました!」

 ウォルテスは散らばった書類を荒っぽい手つきで集めると、身体のバランスを崩したまま一階へと降りていった。

 それを確認すると、グレイシアは三人に向き直る。

 薄い赤色の頭髪とスミレ色の瞳は減り張りが効いていて、黒の燕尾服によく映える。

 女性なのに燕尾服を着ているという珍しい光景に、昶は少し驚いた。

 髪型はバレッタで後ろ髪を留め、目は鋭いのにどこか優しさも感じ、まるで頼りになるお姉さんといった感じである。

 ウォルテスには見下ろされていたグレイシアであるが、身長はシェリーよりも高い。

 最低でも一七〇はあるだろう。

「ただいま帰りました、グレイシアさん」

 シェリーはほんのりと頬を朱に染めながら、あまり使わない丁寧な口調で言った。

「お帰りなさいませ、お嬢さま。お待ちしておりました」

 グレイシアの方も、ウォルテスの時とは打って変わって柔らかな表情を浮かべながら、シェリーに一礼する。

「それでは、さっそくお客人方をお部屋にご案内しようと思うのですが……」

「ん?」

 グレイシアの視線に、シェリーは首をかしげた。

 どうにも顔ではなく、制服の方を見ているようだ。

「せっかくの自宅で制服は無粋です。まずは長旅の労を温泉で流してきてくださいませ。その間に、着替えの服を用意させますので。どうせなので、レナ様とご一緒に」

 するといつの間にか、三人の後ろには五、六人ばかしメイドが立っていた。

 更にシェリーの重そうな荷物を、グレイシアはあっさりと奪い取る。

 つまり、部屋には行かず先に温泉に行け、という意味だ。

「ふぅぅ。どうせ嫌だって言っても行かされるんでしょ?」

「左様でございます」

「わかったわよ。行きゃいいんでしょ、行きゃあ。行きましょう、レナ」

「えぇ。あたしの着替えは、アキラに持たせてる鞄から、適当にお願いします」

「かしこまりました」

 シェリーとレナはその場で回れ右すると、メイド達を伴って元来た道を戻り始めた。

 その場には、レナの荷物を預かった昶と、シェリーの荷物を引ったくったグレイシアだけが取り残される。

「レナ様の部屋までご案内します」

「は、はぃ。お願いします」

 グレイシアはにっこりと口角をつり上げると、昶を伴って歩き始めた。




「申し遅れました。(わたくし)、グレイシア=ラ=エルフィンと申します。グレシャス家の傍系の生まれで、この通り目が紫系の色で、髪は赤系の色をしています」

「へぇぇ、そうなんですか。ってそうじゃなくて、えっと草壁昶です」

 昶は大慌てでぺこりと頭を下げた。

 グレイシアの方もくすくすと笑いながら、こちらこそ、と軽く会釈する。

「えぇ、存じております。一目見た時から、恐らくそうだろうと思っておりました」

 しかし、グレイシアの予想外な反応に、昶はきょとんとなった。

「どう……して? 俺の名前」

「お嬢さまからのお手紙です」

 シェリーが手紙を?

 いぶかしむ昶に、グレイシアは首肯して見せる。

 そして、まるで自分の娘の話でもするかのように、手紙の内容を語り始めた。

「月に二、三度届くのですが、二学期が始まってから、あなたのお話ばかりで。レナ様がサーヴァントにした怪我だらけの少年が、実はものすごい剣士だったと」

「別に、剣士ってわけでもないんですけどね……」

 シェリーに大絶賛されていた事実に、昶は思わず照れ笑いする。

 普段の朝練中の態度からもうかがい知ることはできるが、まさかそこまでだったとは。

「それで、本当なんですか?」

「え? なにがですか?」

「あなたが、レナ様のサーヴァントであるのは」

「…………えぇ、まぁ」

 昶はあの時のことを思い出して、空いている方の手でそっと唇を撫でた。

 契約の不完全だった一回目はともかく、二回目ははっきり覚えている。

 いや、忘れろという方が土台無理な話であろう。

 いったいあれから何度、思い出しては頬を火照らせたことか。

 自分の首に手を回し、つま先立ちしながらのキス。

 レナの柔らかな口唇の感触が蘇り、また頬がかっと熱くなった。

「やっぱり変ですよね。人がサーヴァントって」

「そうですね。極めて珍しいケースではあります。少なくとも、ここ数十年はなかったはずですから」

「ここ、数十年?」

 つまり、それより前には……。

「はい。いつの時代なのか、そもそも本当にあったのかも不明ですが、そのような記録が残っています。制御力が恐ろしく高くとも魔力をあまり持たないマグスと、魔力は膨大でも制御力が全くなかったマグス。両者の間で、サーヴァントとしての契約が結ばれたことがある、と」

 その内容は、思っていた以上に昶に衝撃を与えた。

 自分以外にも、自分と同じように誰かのサーヴァントになった人間がいた事実に。

 例外中の例外であることに違いはないが、なんとなく感慨深いものを感じる。

「通常、マグス同士が契約を交わした所で、さほど意味はありません。サーヴァントの方にはなんらかの特殊能力が備わりますが、その能力を選ぶことは誰にもできませんから。なんらかの形で、(マスター)の役に立つ能力であることは、統計データから判明しているらしいですが」

 ふむふむ、と昶は頷いた。

 昶がレイゼルピナの言葉がわかるようになったのも、サーヴァントにランダムに与えられる特殊能力の一種で間違いないだろう。

 言葉も通じなければ、レナやシェリー達と今のような関係も築けなかっただろうし、決して自分の戦う理由を見つけられなかったはずである。

「そういえば、あなたの能力は、お嬢さま以上の肉体強化だとうかがっておりますが」

「……あぁ、はぃ」

 ――すいません、本当はただの言葉がわかるようになっただけです……。

 シェリーに嘘をついている罪悪感に襲われ、昶はグレイシアから目をそらす。

 そういえば、レナはぼろぼろの昶を助けようとして契約を結んだと言っていた。

 言われてみれば、以前より怪我をした時や、過剰に術を使った後の経絡系の痛みの回復が早くなったような気はするが……。

 むろん、そちらは肉体強化とはなんの関連性もない。

 と、昶がふと目を離したスキに、グレイシアの身体がひるがえった。

 その場で時計回りに回転し、いつの間にか空になっていた右の裏拳が昶の目前まで迫る。

 だが、

「っとと……」

 それを昶は、こともなげに受け止めた。

 ほとんど無意識の内に筋力と五感を強化し、裏拳の軌道に合わせて手を這わせたのである。

 グレイシアの手首が、昶の手にがっちりと握られていた。

「どうやら、本当のようですね」

 納得したように、グレイシアは目を細める。

 いや、そもそも実際に納得するためにやった行為なのだから、むしろ当たり前なのだが。

「あの、もし俺が受け止めなかったら、どうするつもりだったんですか?」

「お嬢さまが手放しで絶賛するほどですから、それくらいはしてくれなければ困ります」

「俺が肉体強化使えて、しかも受け止めること前提ですか……」

 それはそれで、ちょっと微妙な信頼のされ方である。

 昶が気付かずにもろに顔面に入っていたら、本当にどうするつもりだったのであろうか。

「これでもグレシャス家の血を引く身ですから。強い人を目の前にすると、つい挑戦してみたくなっちゃうんですよ」

 そう言うと、グレイシアはちろりと舌を出して見せた。

 口ではメチャクチャ軽いが、今の一撃――明らかに肉体強化の術が使われていた。

 骨折まではいかないだろうが、常人ならば防御の上からでも軽く吹き飛ばされるくらいの威力はあっただろう。

 そういえば、一番最初にシェリーと木剣で打ち合った時も本当に肉体強化が使えるか確認はされたが、いきなり全力でかかってきたっけ、と昶はもうずいぶんと前の出来事を思い出す。

 今度からグレシャス家の縁者にあった時は、奇襲に備えようと心に誓う昶だった。

「でも、わたくしなんかでは、筋力的には先ほどので限界ですので。それに、もう襲うつもりもないのですから、安心してください」

 つい数秒前に襲ってきた人間がそれを言うか。

 確かに、殺気の類は一切感じなかったのは事実であるが、それで安心できるはずもなく。

 昶は休みに来た場所で微妙に警戒を強めながら、グレイシアに続いた。

「ここがいつもレナ様がお使いになっておられるお部屋です。とりあえず、アキラ様のお荷物もいったんこちらに。レナ様のお召し物は後でメイドに持って行かせますので、アキラ様も温泉で疲れを洗い流して来てください」

「え? 俺もいいんですか?」

「はぃ。まあ、男性の使用人用となってしまいますが」

 昶は扉を開けてレナの荷物とほとんどない自分の荷物を置くと、自分の分の着替えを持って再び部屋の前に出た。

「この子に案内させますので、くれぐれも指示に従ってくださいね」

「はい」

 昶はメイドさんに案内されながら、シェリーの自慢していた温泉施設へと向かう。

 その背後では、グレイシアが小さく手を振っていた。

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