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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第十二話 冬休み Act03:強く在るために

 仲の良いメンバーが二人居なくなったことを寂しく思いながら、三人は昼食を終えた。

 今は食休みといった感じで、シェリーとレナも帰省について色々話していた。

「で、レナ。今年もグレシャス領(うち)来るの?」

 食後のデザートであるアップルパイをかじりながら、シェリーはレナに聞いた。

「そうねぇ、そうさせてもらうわ。アナヒレクス領(うち)の方は大雪が降って、除雪作業が忙しいみたいなことが、お父様からの手紙にも書いてあったし」

「ははは。うちは火山地帯の近くだからねぇ。雪なんて降っても、積もる方が珍しいわよ」

「え? シェリーん()って、火山の近くにあるのか?」

 驚きから、昶は身を乗り出してシェリーに問いかけた。

「そうよ、びっくりした? もしかして、アキラは初めてだったりするの? 火山」

「いやそうじゃなくてさ……」

 日本人的に、火山とは切っても切り離せない娯楽施設が、ふと昶の頭をよぎったのだ。

「火山ってことは、温泉とかもあるのかなぁ……って」

 火山と言えば温泉。これは外せないであろう。

「もっちろん! メレティスで初めてあのお風呂に入ってから、すぐに家でも作らせたわ。パパがだけど。それに、せっかく自然にお湯が湧いてくるんだから、使わないともったいないじゃない」

「ここ十年くらいでけっこう増えたけど、あの頃はまだサウナがほとんどだったもんねぇ。あたしも初めてお湯を張った湯船を見た時は、驚いたわ」

 水と風の交差路とも呼ばれるだけあって、レイゼルピナは水資源の豊かな国であるのだが、湯船に浸かるという習慣はないらしい。

 川の水は主に飲料用・農業用水として利用されており、中でも飲料水は浄水処理を施されているので、それを入浴用に使うことは基本的にないのだ。

 また結晶湖(クリスタルレイン)は精霊の住まう場所として長らく神聖視されていたので、一般には蒸し風呂(サウナ)が普及しているのである。

 しかし、近年では浄水処理技術の向上により大量の水が確保できるようになったので、隣国のメレティス王国――リンネの祖国――から湯船に浸かる風呂文化が輸入されるようになった。

 それによって富裕層の間ではちょっとしたブームとなっており、最近では浴槽付きの風呂が増えてきたのである。

 ちなみに、寮の地下に設えられた大浴場も、メレティスから入ってきたものだ。

「へぇぇ、入ってみてぇなぁ……」

「アキラのいたとこも、温泉あったの!?」

 今度はシェリーがテーブルから身を乗り出して、昶の顔を興味深げにのぞき込む。

「あ、あぁ。ここってサウナばっかりだから、ちょっと懐かしくてな。そのサウナも、最初の一回で気持ち悪くなって使ってねぇし……」

 シェリーの予想外の反応にびくつきながら、昶は質問に答えた。

 こちらに来てから風呂に浸かったのなんて、センナの罠にかかって朝まで正座させられたラズベリエでの一回だけだ。

 ――やべ、鼻血でそぅ。

 偶然見てしまった女の子のあられもない姿を頭から追い出すため、昶は大きく深呼吸する。

「サウナ使ってないって、それじゃあ、あんた風呂はどうしてるわけ?」

「朝練の後、森ん中の泉で水浴びを……」

 蒸し風呂(サウナ)ていどでだらしない、的な視線で聞いてくるレナに、昶はリンネばりの小さな声で答えた。

 しかし、妙な所で地獄耳なレナには、しっかりと聞こえていたらしい。

 蔑みの含まれていた視線は呆れへと変わり、頭を押さえながら深いため息をつく。

「シェリーの時も思ったけど、この寒い時期にあんな冷水に浸かってよく平気なもんね。ほとんど氷水みたいなもんじゃない」

「だって、汗流して下着くらい変えないと気持ち悪いじゃない」

「俺だって汗まみれは嫌だからな。サウナも嫌だけど」

 昶が森の泉を使っているように、シェリーも朝練の後は寮の地下にある大浴場で汗を洗い流していのだ。

 もちろんこの時間はまだお湯なんて入れられてないので、冷たい水で身体を洗っているのである。

 もっとも、泉の方はこの時期になると氷が張ってあったりする日もあるので、そういう時は我慢しなければならない。

 どうしても我慢できない時は、火行の符術で氷を溶かしてから入ったりもしているのだが、丁度いいお湯にするには力加減がべらぼうに難しく、精神的に疲れるというのが現在の課題だったりする。

 まだ冬は長いので、こちらも早めに手を打たなければならない。

「それはそうと、レナは今回どうするの?」

 パイを一欠片食べて指をペロペロと舐めながら、シェリーは次の話題を繰り出してきた。

 『どうするの?』とはつまり、帰省のことである。

「夏期休暇中はあんたがアナヒレクス領(うち)に来たんだから、今まで通り冬期休暇中はあたしがグレシャス領(そっち)に行くわよ。火山地帯だからあったかいし、久々に天然の温泉にも入りたいし」

 レナの方もアップルパイを食べながら答える。

 遠くの方を眺めているように見えるのは、以前グレシャス領を訪れた時の温泉でも思い出しているのだろう。

 口の端についたパイの欠片を小さな舌で舐め取りながら、顔の表情をちょっとだけ緩ませた。

「じゃあ決まりね。明日の五時前には到着してるみたいだから、それまでには準備を済ませちゃっててね。もちろん、アキラも一緒に」

「え、俺も?」

 シェリーからの変化球に、昶は頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

「あんた、前にも言ったのにもう忘れたの? 年末年始は学院も休業だから、家に帰らなくても学院からは出なきゃいけないの」

「あぁ、そういや前に聞いたような気がする」

「ほんと呆れるわね。野宿でもするつもりだったの?」

「う~ん、どうだろなぁ……。でも、レナに話せば力になってくれると思ってたから、そんな深く考えてなかったなぁ」

 と、昶は思ったことをそのまま口に出しただけなのだが、

「そそっ、そんなの当たり前じゃない!」

 そのレナは、なぜか妙に慌てていた。

 この詰まり方は、照れている時のものである。

「あたしはあんたの(マスター)で、あんたの面倒はあたしが見なきゃならないんだから。サーヴァントの健康を管理できないようじゃ、(マスター)失格よ」

 そう言うと、レナは伏し目がちに二人から顔をそらした。

 昶にはわからなかったが、レナには先の昶の台詞に恥ずかしがる原因があったようである。

 もっとも、昶にはわからなくとも、シェリーには丸わかりだが。

 先のリンネにも見せた、どこか含みのある笑みを浮かべながら、シェリーはじぃぃっとレナの瞳をのぞきこんだ。

 シェリーの視線に気付いたレナは、びくんと肩を震わせる。

「な、なによ?」

「うんうん、二人の固い愛の絆が成せるワザだなぁって思ってねぇ。もう熱すぎて汗かいちゃうわ」

「ぶぅぅっ!?」

「んなぁッ!?」

 昶の口からは盛大に飛沫が飛び、レナはあんぐりと口を開けて絶句する。

 さすがの昶も、今のはわかった。

「そ、そういうのじゃねぇよ! 前にも似たようなことを言われたことがあったから!」

「そそそ、そうよ! だから全然、そういうのと違くて!」

「そろって否定する所が、また怪しい」

 シェリーの更なる追い討ちに、二人はぐっと言葉を飲み込む。

 語調を強めて否定しようが、だんまりを決め込もうが、どちらもシェリーの言っていることを肯定してしまう。

 これは、そういう類のものだ。

 どちらを選んでも、シェリーの毒牙からは逃れられない。

「…………」

「…………」

 昶とレナは互いの顔も見ずに、だが示し合わせたかのように席から立ち上がると、逃げるように食堂を抜け出した。




 自室に教科書やノート、筆記用具を置いてきたレナは、昶を伴って校外の北に広がる森――シュバルツグローブ――へ向かった。

 シュバルツグローブといっても、入り口に当たるこの辺りは危険な獣魔は生息しておらず、学生達の格好の練習場となっている。

 もっとも、火事の危険はあるので火属性の魔法や、風の上位属性である雷属性の魔法は使えないが。

「そんじゃ、始めるか」

「うん」

 レナは頷くと同時に、静かに目を閉じた。

 同時に心を落ち着かせ、周囲の状況に注意を傾ける。

 魔力を感じられるようになるのは、ようは単なる慣れである。

 山の中で野草を探す際、初めの内はなかなか見つけられないが、回を重ねる毎に簡単に見つけられるようになるのと同じだ。

 単純であるが故に、近道もない。積み重ねた時間だけが物を言う。

 ある意味、徒労にも等しいこの練習を、レナは毎日欠かさずやっているのだ。

 横たわる樹木に腰を下ろし、あとは本人の集中力が途切れるまで続ける。

 木の葉のこすれる音、鳥のさえずり、時折する水音は動物が泉の水を飲みに来た音だろうか。

 レナは様々な音に、匂いに、あるいは触覚にかき消されてしまう魔力の気配――その手がかりを探し始めた。

 ――相変わらず、すげぇ集中力だなぁ。

 さっきまでシェリーにおちょくられ、動揺していた人物とは思えないくらい、今のレナは落ち着いていた。

 もっとも、それも魔力を制御する上で重要な要素の一つであるのだが。

 心を落ち着かせるのは、感情の介入によって生じるノイズを、できるだけ軽減させるのが目的である。

 喜怒哀楽といった感情は、魔力の生成、放出の過程で誤動作を引き起こす引き金になりかねないのだ。

 また、これらの感情は集中力を減退させる要因にも成り得るので、力を感じたり術を行使したりする際には、できるだけ平静を保つのが最も効果的とされている。

「さてっと……」

 レナが魔力察知の練習をする隣で、昶もいつもシェリーとしている練習とは違うことを始めた。

 あまり大きな物音を立てずに済み、しかも魔力察知の練習の手伝いにもなる、ある技術の。

 昶はレナから少し離れた場所で立ち止まると、何度か短く呼吸した。

 それから右手を胸の前で広げ、掌の表面に意識を集中させる。

 通常なら術式へと流し込む力を、掌の一点に集めるイメージ。

 より強く、より明確に、力を――霊力を一点にまとめ上げる。

「……ふぅぅ」

 昶は自分の右掌を見つめた。

 そこにあったのは、不安定に表面の波打つ、ソフトボールほどの球体だ。

 うっすらと青身を帯びた白い球体は、昶の鼓動に合わせて弱々しく明滅を繰り返す。

「まだまだ、だな」

 ぱしぃっと、球体はなんの前触れもなく消失した。

 昶が霊力の制御を放棄したのである。

 掌に残った感触を確かめるように、昶は掌を握っては開くを繰り返した。

 物質化――マテリアライズとも呼ばれるその技術は、魔力――霊的な力に、物体としての形を与える技術・術式の通称だ。

 元々霊的力の物量が物をいう技術だけあって、先天的に膨大な霊力を有している昶にはさほど難しい技術ではない。

 あと一ヶ月も練習していれば、今よりもっと安定して形を保つことができるようになるだろう。

 だが、それではだめだ。創立祭の時、“ツーマ”が見せたのはこんなものではない。

 昶の力を吸って雷光を纏った村正を、正面から受け止められるだけの強度を持った魔力。

 一体どれだけの魔力を圧縮すれば、あれほどの強度が得られるのかだろうか。

 もし昶が、あの時“ツーマ”と逆の立場だったとしたら、自分は成す(すべ)なく殺されていただろう。

 そう思うと、背筋にぞくりと冷たいものが走る。

 せめて“ツーマ”の全力を、一瞬だけでも止められるくらいにしなければ。

 ふと、昶はレナの方に視線をやった。

 今のを察知した様子はない。

 全力とはほど遠いとはいえ、地球では昶と同年代の術者ならば誰でも感じ取れる程度の霊力は放出していたのだが、やはりまだ難しいようだ。

 すると、昶の感覚にレナとは違う魔力が引っかかる。

 昶のよく知る、同じような印象を受ける二つの魔力だ。

 すぐに戻れば大丈夫か、と昶は魔力の気配へ向かってそっと歩き出した。




 地球の時間で五分もかからず、昶は二つの魔力――その発生源へとたどり着いた。

 片方は岩場から削りだしたかのような無骨なフォルムをした、二メートル近い高さのある人形。

 表面は金属特有の光沢があり、木々の間から差し込むわずかな光を反射する。

 もう一人は、一七五前後の身長に、緩やかなウェーブのかかった金髪とブラウンの瞳をした少年だ。

 制服姿だが乱暴に袖をまくり、右手には発動体である金属製の戦棍(メイス)が握られている。

「なにやってんだ?」

 ほんの少し声を張って、昶は二人に話しかけた。

 人形と少年は、それぞれに昶を振り返る。

「見ればわかるだろ。魔法の練習だ」

 答えたのは、少年の方だ。

 一年生のまとめ役であるクラス委員を務めるミゲルである。

 となると、もう片方の人形は……。

「まあまあ、そうかっかするものじゃないよ」

 人形は乾いた土のようにパラパラと崩れ、内側からミゲルと瓜二つの人間が現れた。

 ただし、ミゲルのまとうツンケンした雰囲気とは正反対の、やたら緩そうな感じだ。

 ミゲルの双子の兄、ミシェルである。

「そういや、全身武装鎧(ブラーデ・アーマ)だったっけ。前はシュバルツグローブで一瞬見ただけだったけど」

「あぁ、材質を色々試してる所さ。重くなりすぎても魔力の消耗が酷くなるだけだから、バランスがけっこう難しいんだよ」

 ミゲルに、ひとまず休憩しようと言って、ミシェルは土埃を払いながら昶の隣に並んだ。

「ふぅぅん……。で、なんでこんな所でやってんだ? どの学年も帰省の準備で、外庭は空いてるだろ」

「あぁ、ミゲルは他人に練習見られるの嫌いだからね」

「こら兄貴! 勝手にベラベラしゃべるなよ!!」

 と、取り乱している様子のミゲル。

 悪い、ついうっかり、とミシェルは頭をかきながら謝った。

「別に他人に練習を見られるくらい、どうでもいいだろ」

「どうでもよくない。お前のせいで、最近怪力女がどんどん腕を上げているからな。僕はあいつの鼻を明かしてやりたいだけだ」

 ミゲルは腕組みすると、明後日の方向を向いて憤慨した。

 怪力女というのは、シェリーのことだろう。

 と言うより、他に該当する人間を思いつかないだけなのだが。

 一年生にはシェリー以外にも肉体強化の使える生徒はいるらしいのだが、国内最強の肉体強化術と謳われるグレシャス家のそれを超えるものではないだろう。

 普段はクールで通しているミゲルがシェリーをライバル視していたとは、意外な事実に昶はちょっとだけ驚く。

 だがそれはそれとして、

「でも、シェリーの方がだいぶ上だと思うけどなぁ……」

 仮に、ミゲルとシェリーが戦うことになったとして。

 ミゲルの実力は知らないが、シェリーの肉体強化はなかなかのものだ。

 感覚器官の鋭敏化は望めないものの、肉体強化を用いた時のシェリーの動きは昶にも劣らない。

 手数で攻めるか、あるいは精密な攻撃でも行わない限り、シェリーを止めることはできないだろう。

 先ほどちらりと練習風景を見た限りでは、シェリーが対応できないほどのものではなかった気がする。

 残念ながら、シェリーの鼻を明かすにはまだまだ時間がかかるだろう。

「それくらい、お前に言われるまでもなくわかっているさ。元々の素質の差はあったんだろうが、この間まで張り合っていた奴に先を越されっぱなしだと、腹の虫が収まらないんだ。それだけさ」

 昶に、と言うよりは、自分に言い聞かせているようであった。

 ちっと舌打ちすると、ミゲルは一人で練習を再開する。

 太い木の幹めがけ、下位(モノスト)の呪文を口ずさんだ。

 小規模とはいえ、完璧に制御された魔力は精霊素を引き寄せ、形を与えて射出された。

 いや、恐らくは意識的に魔力の放出を抑えているのだろう。

 なんとなく、そんな雰囲気が伝わってくる。

「この前の創立祭からだよ。こんなに真剣になったのは」

 ミシェルは昶の耳元で、こっそりとささやいた。

 ミゲルも昶やレナ、そしてシェリー同様に悩んでいたのである。

 創立祭の時の戦闘は、なんだかんだ言ってたいして役に立てなかったことに。

 自分の不注意でリンネを危険にさらし、自分も大怪我を負ってしまった。

 自分がもっとしっかりしていれば。

 自分がもっと強ければ。

 それは昶にも、痛いほどわかった。

 自分が不甲斐ないばっかりに、大切な人達を危険な目にあわせてしまう。

 本来守りきれるだけの力を持っているのにも関わらず、それを上手く使えないばかりに。

 これまで自堕落に過ごしていた分が、後悔となって両肩に重くのしかかる。

 そういう意味では、みんな同じなのかもしれない。

 昶も、レナも、シェリーも、ミゲルも、そしてミシェルも。

「帰省と言えば。アキラ、君はいったい年末はどうするんだい?」

「あぁ、シェリーがさ。レナと一緒にグレシャス領で過ごせって誘ってくれてる。温泉もあるし、火山地帯も近いから暖かいんだと」

 相変わらずスキがないね君は、と謎の独り言をつぶやくミシェル。

 なにか地雷でも踏んでしまったのだろうかと戸惑う昶に、ミシェルは、別に気にしなくて大丈夫だよ、と優しく微笑みかける。

 まるで、悟りかなんか開いたような、妙にすっきりとした顔だ。

「そうなのか。もし決まってないんだったら、誘おうと思ったんだがね。うちはちょっと遠いから、年末はフィラルダで部屋を借りることにしているんだ」

「確かぁ……あれだよな。店のいっぱいある都市だろ?」

「そうそう。たまには男同士で、時間を過ごすのも悪くないだろ?」

「そりゃまあ、なぁ……」

 昶にとって、ミシェルはほぼ唯一の男友達である。

 当然、レナやシェリーには話せないような話も多くあるわけで、ミシェルはそういった話の出来る貴重な存在なのである。

「でも、先にシェリーと約束しちまったからな。また誘ってくれ」

 普段なら二つ返事で了承する所なのであるが、今回はすでに先約がある。

 それに、もうしばらくはレナの魔法練習の面倒を見たいという気持ちもある。

 名残惜しく思いつつも、昶はミシェルからの誘いを断った。

「ぜひそうさせてもらうよ。それじゃ、ぼくも練習に戻るとするよ。年明けに、また会うとしよう」

「あぁ、邪魔して悪かったな」

 ミシェルはにっこりと柔和な笑みを浮かべると、短く呪文を唱える。

 恐らくは、イメージを固定するために設定してある、自己暗示のようなものだろう。

 地面から小さな粒子が浮き上がり、ミシェルの全身を包み込んでいく。

 数秒後、岩場から削りだしたかのような人形が、昶の目の前に出来上がってした。

 そして最後に、錬金術を併用して表面を鉄に変遷させる。

 ミシェルは背中越しに全身武装鎧(ブラーデ・アーマ)の腕を振りながら、ミゲルの方へと歩いていった。

 そして昶の方も、時間切れのようだ。

『アキラ、あんた今どこにいるのよ!』

 契約時の経路を通して、レナの声が昶の脳内に響き渡る。

 思念波で行う会話法――念話である。

 念話してくるということは、集中力を切らして目を開けたということなのだが、これまた驚くほど長時間気を張っていたものだ。

『悪い、すぐ戻る。近くにいるから』

 昶はお姫様の機嫌がこれ以上悪化しない内に、元の場所へと駆け出した。




 全力で走ってきたおかげで、帰りは地球の時間で一分とかからず帰ってこれた。

「あんた、勝手にいなくなったら心配するじゃない。どこか行くんなら、せめて行き先くらい行ってから行きなさいよね」

 それから、思いっきり正論を並べられて怒られた。

 心配するのも無理はない。

 昶は何度も悪かったと謝って、お姫様の機嫌を落ち着かせるのに専念した。

「もういいわよ。次からちゃんとしてくれれば」

「ありがと。そんで、成果の方はあったのか?」

 レナは力なく、ふるふると首を横に振る。

 なんとなく流れのようなものを感じられるようにはなったが、その先はまだ難しいようだ。

 もっとも、そんな簡単に身に付けられるような技術ではないので、これでもかなり早い方ではある。

「じゃあ、ちょっと休んだら今度は魔力の流れを意識して、精霊素を集める練習な」

「え? でも魔力を感じられるようにする練習は?」

「あんま詰めてやっても、伸びにくいんだよ。それに、レナの場合はまず魔法の成功率を上げる方が重要だろ」

「それは、そうだけど……」

「なんとなくでも魔力の流れはつかめてるんだから、大丈夫だよ。期末試験にも受かったわけだし」

「……最下位ではあったけど、一応はね」

 苦笑いするレナの隣に、昶もそっと腰を下ろした。

 そして胸の前に右手を差し上げ、霊力の物質化を試みる。

 短い呼吸を一つすると、途端に掌へと霊力が殺到した。

 本来は無色透明であるはずの霊力が青白く輝き、小さな球を作り出す。

 隣でそれを見ていたレナは、目を丸くした。

「あんだそれ、物質化じゃない!? 前聞いたときは、それできないって……」

「お前が魔力察知の練習してる横でやってたの。俺が力を出したり引っ込めたりしてるのを感じられれば、良い練習になると思って」

「……全然気付かなかった」

「そうらしいな」

 昶は物質化した霊力を消すと、より強固なそれをイメージし、作り出す。

 だが、レナの魔力察知がすんなり上達しないのと同じで、こちらも一長一短には上手くならない。

 物質化させるまではすんなりこぎつけたのだが、強度の方が一向に上がらないのだ。

 確かゴリさんの講義でこの手の術を取り扱っていたはずだが、あの人は説明能力が不足しているせいでよくわからない。

「なあレナ」

「なによ」

「コツとかないのか? これ」

「さぁね。そもそも、あたしできないし」

「だよなぁ」

 昶は制御を放棄して、再び物質化した霊力を霧散させる。

 青白い光はまるで花弁のように散りながら、空気へと溶けていった。

「それじゃ、続き始めるから。今度はちゃんと教えなさいよね」

「わかってる。俺もわかる範囲で色々教えて行くから、そっちこそちゃんと付いてこいよ」

「もちろん」

 ほんの少しの休憩を挟んで、レナは練習を再開した。

 みんな、今の自分を変えたくて必死なのだ。

 また力が足りなかったと後悔したくないから、強く在ろうと、強く在りたいと願うのだ。

 昶も、そうであるように。

 だったら、今はめいっぱいレナを手伝ってやろう。

 自分の中で決意を改めると、昶はレナへとアドバイスを飛ばした。




「ふぅぅ……」

 女子寮の地下にある大浴場で、レナは湯船につかりながらぐっと手足を伸ばした。

 大半の生徒が帰省を始めたので、大浴場の人数はいつもの半分以下となっている。

 レナはふと、下の方に目をやった。水面に揺れる自分の身体は、お世辞にも魅力的とは言えない、と思う。

 ほっそりとした手足に肉付きの薄い身体、そしてなだらかな胸。くせっ毛な髪も自分では好きじゃないし、自慢できるのは、傷一つない白磁のような玉肌くらい。

 まあでも、見せる相手なんかいないか、とレナはざぶんと頭までお湯に浸かった。

 やっぱり、全身お湯に浸かるのは気持ちいい。

 なんだか、全身を優しく抱きしめられているような気分になる。

 ――そういえば、あの時も……。

 ざぱあっと、レナは水面から頭を出した。

 濡れた髪の毛がべったりと頬に貼り付いた様は、恐ろしいほど扇情的である。

 息が続かなくなったのもあるが、あの時のこと――悲しい過去――を思い出して、気持ちが悪くなったのだ。

 お湯は温かいはずなのに、身体がぶるぶると震える。

 レナは自分の身体をぎゅぅっと抱きしめ、気持ちを落ち着かせた。

 魔力察知の練習と同じだ。

 なにも考えず、頭の中を空っぽにする。

 高ぶっていた気持ちは次第に緩やかになり、標準時で三〇秒が経った頃には、身体の震えは止まった。

 自分を抱きしめていた手を離すと、握っていた肩や二の腕の部分は真っ赤になっていた。

 自分で思っていた以上に、強い力で握っていたようである。

 爪の食い込んでいた部分が、じくじくと痛む。

 血は出ていないようであるが、皮膚は少し剥けていた。

「忘れられたら、ちょっとは楽になるのに」

 でも、それ以上に忘れたくないと、もう一人の自分が言っている。

 忘れたいほど辛い思い出であると同時に、忘れたくないほど幸せな思い出。

 相反する気持ちがレナの中でぐちゃぐちゃになって、わけがわからなくなる。

 あの時のことを乗り越えなきゃ、前に進めない。

 でも、どうやったら乗り越えられるのだろうか。

 そもそも、自分にそんなことができるのだろうか。

 なんの力もない、いつもみんなの足を引っ張ってばかりの自分に。

 ――ううん、違う。だから変わろうって、そう……思ったんだ。

 ――アキラに魔法のこと色々教えてもらって、強くなろうって。

 ――この前みたいに、エルザにだらしない所なんて見せられない。

 ――それに、みんなの足を引っ張ってばっかりなんて、そんなの嫌だ。

「痛ッ……!?」

 突然身体の内側を走った痛みに、レナは顔をしかめた。

 魔力の循環路――昶は経絡と言っていた――に過負荷がかかり、筋肉痛と同じように状態になっているのだ。

 自覚はしてないのだが、魔力の放出量が制御できていないがために、循環路に必要以上のダメージが蓄積しているのだ、と昶が言っていた。

 そして、必要以上に痛めつけては回復を遅らせるだけなので、痛みが引くまで魔法の練習も禁止、とも。

「異世界、かぁ……」

 誰にも聞こえないよう、小さな声でぼそりとつぶやく。

 あまり詳しくは話してくれないが、ものすごく科学技術が発達していて、身分制度がなく、魔法――向こうでは魔術と言うんだったか。魔術は一般社会から秘匿されている存在なんだとか。

 レイゼルピナを始めとするローレンシナ大陸の魔法と違い、戦闘に主眼を置かれた発展を遂げているため、レイゼルピナの魔法よりも殺傷能力が高いらしい。

 だが一番の驚きは、レイゼルピナでは上位に入るだけの力があるのに、元の世界では真ん中にすら達していないということであった。

 すごく怖いけど、ちょっとだけ興味がある。

 昶がどんな所に住んでいたのか。

 そこでどんな暮らしをしていたのか。

 ――って、なんでアキラのことなんか考えてるのよ……。

 そりゃ、憧れがないかと言えば嘘になる。

 すごく強くて、頼りになって。

 でも、この気持ちは憧れとは違う気がする。

 なんだか、頭に血が上って、胸が苦しくなるのだ。

 でも、苦しいのに、苦しくない。

「はぁぁ、出よう」

 きっとこんなに頭がボーっとするのは、のぼせてしまったせいだろう。

 いつもより長い時間、湯船に浸かっていたようであるし。

 いつの間にか、大浴場には誰もいなくなっていた。

 レナは頼りない足取りで湯船から出ると、バスローブに着替えて電気を消す。

 そういえば、今日も昶が部屋にいるんだっけ。

 異世界の話でも聞かせてもらおうかと、レナは自室に向かった。

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