第十二話 冬休み Act01:変えたい自分
二学期も最終日を迎えた、王立レイゼルピナ魔法学院。生徒達は帰省の準備を始め、それぞれが故郷へと足を向ける。まだ使えない陸路の上を生徒達が飛び、また家から送られてきた竜籠が飛び交う。そしてレナと昶はと言えば、レナと幼馴染みであるシェリーのお宅へお邪魔する運びとなった。
第十二月も末のある日。
「っくしっ!!」
昶は自分のくしゃみで目を覚ました。
日本よりも比較的高緯度にあるらしく、レイゼルピナの冬はかなり寒い。
それでも今年は第十二月の上旬まで雪が降らず、例年に比べればずいぶんと――というか有り得ないくらい温かいらしいのだが、昶にとってはどうでもいい情報である。
護符に封印していたのは秋用の衣服だけで、冬用なんて一枚もない。
そんな格好でスキマ風ウェルカムな部屋にいれば、風邪なんて引いて当たり前だ。
まあそれも、昨日から解消されたのだが。
昶の鼻腔になだれ込むのは、ほこりっぽさ満点のじめじめした空気ではなく、女の子の甘ぁい香りである。
久々に座ったまま寝ていたせいか、背中からお尻にかけての筋肉と関節が痛むが、部屋の温度は快適で冷たい風が入ってくることもない。
――ここ来んのも久しぶりだなぁ。
昶はあったかい毛布にくるまったまま、上質な板張りの床に寝っ転がった。
視線の先にあるのは、昶のご主人様こと、契約主の女の子が眠るベッドである。
天蓋付きの豪華なベッドは薄いレースのカーテンで仕切られており、明かりの全くない今の状態では可愛らしい顔を拝む事はできない。
そう、昶がいるのは例の物置部屋ではない。
アイナが来る前まで居候させてもらっていた、彼の主であるレナの部屋だ。
しんと静まり返った部屋に、安らかな寝息が聞こえる。
レナの小さな身体と同じく寝息の音も小さく、そして声同様に寝息の音も高い。
そんな小さな身体で、エルザを必死に守って走り回ったのは、もう三週間近くも前の話だ。
昶はシュタルトヒルデで、襲撃を受けたこと時のことを思い出す。
各都市に常駐している警備隊が、あろうことか守るべきはずのエルザやレナに襲いかかってきたのである。
民間人を犯罪者達から守るはずの、都市警備隊が。
最終的に無事脱出できたからよかったのだが、昶の中では未だに黒いもやもやが渦巻いていた。
追い詰められたレナとエルザを救ったのが、なんとあの“ツーマ”だったからだ。
一回目は昶の大切なものを壊されそうになって、二回目は楽しいはずの創立祭をぶち壊しにされて。
自らが固く禁じたはずの草壁の血の力を、自らの意志で解放し、死闘を繰り広げた忌まわしき相手。
そんな恨めしい相手の手によって二人が助けられたと思うと、怒りでどうにかなりそうだった。
本来なら、自分が守らなければならない人達を、敵の手によって救われた。
その事実を認識するたびに、不甲斐ない自分に怒りが湧く。
なぜもっと早く駆けつけられなかったのか。
それは敵に遠慮して、なるべく怪我をしないように配慮したからだ。
魔法兵と言っても、レベル的にはレイゼルピナ魔法学院の中堅にも届かないレベルであった。
全ては、相手を無闇に傷付けたくないという、自分の甘さが招いた結果である。
同じ敵でも、“ツーマ”に対しては殺す気でかかったというのに、実に現金なものだ。
それは、昶が聖人君子だからではない。
ただの臆病者だからだ。
単に敵を殺す勇気がないだけの半人前。
そればっかりに、実力差のあるものには、無意識の内に手心をかけてしまう。
人を殺すのが怖いから。
そして、拮抗している者には、本気で殺そうとする。
自分が殺されるのが怖いから。
本当に、実に現金な、自分本位の考え方である。
「んん……」
ごそごそと、レナが寝返りをうった。
一瞬ドキッとして、暗い思考が断ち切られる。
月明かりで辛うじて見えた時計は、三時前――地球でいう六時前を指していた。
レナの起床時間までは、まだたっぷりと余裕があった。
だが、普段の昶ならもうとっくに外にいる時間である。
本来ならシェリーの朝練に付き合っているはずなのだが、二週間前辺りからいいと言い出したのだ。
詳しくは教えてくれなかったが、セインと二人――正確には一人と一柱――で、秘密の特訓をするらしい。
おかげでフリーになった昶も、最近は式神の制御の練習ができるようになったわけであるが。
せめて、攻撃時には最低でも十枚ていど同時に使えるようになりたいものだ。
もし今度なにかあった時のために、できるだけ力を付けておきたい。
今度こそ、自分の力で大切な人達を守れるように。
ちなみに、現在の同時使用可能な枚数は、長時間・短時間共に三枚である。
一枚だけ増えたが、まったくもって目も当てられない状況だ。
もっとも、練習をしたくとも風邪気味であるここ数日は、レナの部屋でお休みなのであるが。
「こりゃあ、えるじゃあ、それはあたひのぉ……」
寝返りの次は寝言のようで。
エルザとなにか取り合っている夢でも見ているのだろう。
現実同様、夢の中でもお姉さんをやっているに違いない。
口ではどうのこうの言いつつ、レナはエルザのことを非常に気にかけている。
そして昶も別の意味で、エルザを気にかけていた。
――一応、マグスは目指してんだろうな……。
発動体は持っているのだから、そこは間違いないだろう。
ブルーサファイアを先端に頂く、驚くほど軽い銀杖。
まさしく、一国のお姫様が持つに相応しい、立派な代物である。
だが、運命とは皮肉なものだ。
昶が感じたエルザの魔力は、驚くほど小さいものだった。
ろくに魔法の制御できない再従姉には、昶でも驚嘆せざるを得ないほどの魔力が眠っているというのに。
魔力の生成量は後天的にも伸ばせるとは言え、その九割以上は先天的に決まっている。
ようは、後天的な生成量の増加は、単に生成効率を限りなく向上させているからに過ぎない。
下地に関しては、生まれた瞬間からすでに決定されているのだ。
魔力の制御技術に関しても、昶達から大幅に遅れを取っているレナ達マグスは、普段から生成量の下地に見合った魔力を垂れ流している。
だが、エルザからはそれをほとんど感じなかった。
一般人と比べれば確かに多いが、そんな比較に意味はない。
あれではマグスになったとしても、今のレナにすら及ばないだろう。
将来、どうするつもりなのだろうか。
――いや、俺がいえた義理でもないか……。
だが、それは昶にとっても同じことだ。
一族内に、自分のいる必要はない。
代わりなら力のある分家がいくらでもいるし、今代は優秀な兄と天才肌の姉がいる。
二人ともそう遠くない内に、父親の厳磨を超え、どちらかが宗主となって一族を引っ張っていくことだろう。
自分がいなくても、上手く回っていく。
六〇年以上前にあった、第二次世界大戦。
戦術兵器として多数の魔術師が激戦区に投入されたと聞くが、それくらいの大事件が起きない限り、一族が滅ぶことはない。
例えばらばらになったとしても、誰もが優秀な術者だ。きっと上手くやっていくだろう。
異世界にまできてやっと手に入れた大切なものを、自分の手で守れないような昶と違って。
「へっくしっ!?」
鼻をずずずぅとすすりながら、レナの方を向く。
相変わらず、規則正しい寝息が聞こえてきた。
どうやら、起こさずに済んだようである。
問題だった期末試験も昨日やっと終わったので、昶としても時間前にレナを起こすのは忍びない。
――いきなり呼び出されたから、なんかやらかしたかヒヤヒヤしたけど。まさか魔法の練習に付き合わされるなんてなぁ。
あの時は本当に、レナの頭が心配になるほどびっくりした。
熱でもあるんじゃないかと思って額に触れたら、杖で叩かれなんかもしたっけ。と、昶はふと思い出して微苦笑を浮かべる。
それはシュタルトヒルデで襲撃に遭った次の日からだ。
あのレナが昶なんかに頭を下げれば、まずはレナの正気を疑うというものだろう。
だが、レナは本気で昶に頭を下げたのだ。
理由はわかっている。
不甲斐ない自分が許せなかった。
なにもできない自分が悔しかった。
恐らくは、そんな所だろう。
これまで経験してきた死と隣り合わせの戦闘で、みんなの力になれないことをレナはずっと気にしていた。
それがこの前のシュタルトヒルデの事件を契機に、ついに決意を固めたのだ。
このままではいけない、変わらなければいけない、と。
レナは創立祭の時、昶が魔法(正確には魔術だが)を使えることを知った。
そして、知ることすら禁忌とされる暗黒魔法と、正面から渡り合えるほどの力を持っているということも。
だが、なぜ昶だったのか。
普通なら、学院の教師に助言を仰ぐなりするだろう。
昶が大きな力を持っていたのも理由の一つなのだろうが、それが一番の理由ではない。
これまでの戦いを通して、一緒の時間を過ごして、二人の間に生まれた絆がレナにそのような選択をさせたのだ。
その最初の段階として、レナはまずは期末試験の実技をパスすることを目標とした。
学院長との、昶をしばらく部屋に居候させる代わりに、期末試験の採点を甘くしてくれるという約束はあったのだが、それをレナのプライドが許さなかったのである。
結果は午後からの時間を全て実技の練習に割いただけあって、ギリギリであるがなんとか合格することができた。
試験内容は、時間内に規定数の標的――十個の的――に攻撃を当てる、というものだ。
この短期間で、壊滅的だった魔法がここまで成功するようになったのか。
昶が教えたことは、たったの一つだけである。
即ち、魔力を感じること。それだけだ。
レナが上手く魔法を制御できない理由の一つに、垂れ流している魔力が他の生徒よりひときわ多いというのが上げられる。
すでに精霊素を引きつけるのに十分な魔力があるにも関わらず、そこへ更に魔力を送り込めば暴発するのはむしろ当たり前と言えよう。
それに加えて、それら大量の精霊素を御し切る堅固なイメージも足りていないとくれば、成功するのは奇跡と言っていい。
なのでまず、どれくらいの魔力でどれくらいの精霊素を引きつけられるか、それを自らの肌で感じ取る所から始めたのだ。
期末試験をパスしたとは言え、まだ魔力をきちんと感じ取るのはできないらしい。
ある程度の魔力に対する耐性と訓練を積めば、誰にでも習得できる技術なのであるが、一朝一夕で身に付くような技術では当然ない。
昶のこの感覚も、物覚えが付く前から積んでいた修練の賜物だ。
それをたった三週間足らずで身に付けられるかと問われれば、無論不可能である。
だが、その片鱗ならばつかめてきたらしい。
曖昧でよくわからないものの流れなら、なんとなく感じるような、感じないような……。
という、まだそんな稚拙にも及ばないレベルらしいが、成果は着実に出ているようだ。
シェリーも創立祭での戦い以降練習は積んでいるそうなのだが、剣の腕は上がっても魔力を察知するのは上がらないと嘆いては、昶にコツやなんかを聞いてきた。
この調子なら、シェリーよりレナの方が早く、魔力を察知する感覚を身に付けるかもしれない。
創立祭の折りに一度は成功したらしいのだが、それ以降は全くできないのだそうだ。
そうこう考えている内に、意識の底から再び睡魔が這い上がってきた。
なんとなくでも魔力が感じ取れるようになれば、精霊の力も近い内に感じ取れるようになるだろう。
そうなったら次は、細かい魔力の制御に魔力を介した精霊のコントロール、魔力の察知ができるマグスに備えて魔力の漏出を完全に遮断する技術、教えることはまだまだ山のようにある。
昶の世界で広く普及している精霊魔術について、色々と講釈をたれるのもいいかもしれない。
レナの指導に胸をわくわくさせながら、昶の意識は微睡みの狭間へと沈んでゆくのだった。
昶がレナの部屋で休養を取っている頃、まだ薄暗い学院の外に二つの影があった。
片方は一四〇と少し、もう片方は最低でも一六〇以上はある。
更に大きな方はたわわに実った双丘があり、影の片方が女性であることを教えてくれる。
「セイン、もう一回いくわよ」
「はぃ、主」
セインと呼ばれた小さな影は、その幼い容貌に反して低く落ち着いた声音で答えた。
上位階層の人間型火精霊。
炎の如き髪とルビーのような瞳を有する、ある少女のサーヴァントである。
諸事情によって縮んでいた身体も、だんだんと元に戻ってきている。
そして、セインが『主』と呼ぶただ一人の存在。
それがもう一つの影の正体だ。
明るい赤紫系の色のポニーテールがトレードマークの、巨大な剣を背負った長身の少女。
シェリー=ラ=アーシエ=ド=グレシャス。そこらの男子よりもよっぽど男らしい、セインの主だ。
シェリーは全身から魔力が吹き出したが、それも一瞬にして収まった。
だが、代わりとばかりに、セインの身体から魔力が噴き出す。
契約を行った主とサーヴァントに許される技能の一つ、魔力供給である。
セインは供給された魔力を媒介として、広大な空間からあるものを呼び寄せた。
肉眼で確認できないそれの正体は、世界中の空間に満ちる精霊素の一つ、火精霊。
存在量が他の精霊素に比べて非常に偏りがあり――ましてや森の中では存在量の希薄なそれを、広大な空間から牽引したのだ。
シェリーはその魔力供給が行われる経路へと、意識を傾ける。
やはり、わからない。
自分と相棒とを繋ぐ“道”のようなものは、辛うじて知覚することができる。
思考の大半を割かねばならないが、確かに在るというのが判るのだ。
だが、その内側を流れる魔力までは、感じ取ることができない。
あの時はあって、今足りないものとはいったいなんなのか。
自分の危険? 友人の命? それとも、もっと別のもの?
悩めば悩むほど、むしろどつぼにはまって抜け出せなくなる。
心を無にするのがコツとは言っていたが、いったいどう状態を指すのだろうか。
「あぁもう! どうすりゃいいのよ!!」
シェリーは苛立ちから、どんと地面を踏み抜いた。
決して柔らかくはない地面は周囲にほんの少し亀裂を走らせ、踏み抜いた足をくるぶしの上辺りまで飲み込む。
普通の人間に出せる脚力ではない。
なんらかの魔法によって、強化された脚力だ。
そして、漏れ出た魔力と怒気に触発され、引き寄せられた火精霊がばちっと火花を散らす。
――すごい。契約した時とは、まるで別人だ……。
セインは魔力供給を受けながら、内心で驚きを露わにする。
ここまで激情に駆られていながら、供給される魔力が全くぶれないのだ。
魔力の制御は、恐ろしく感情に左右されるものなのである。
ここまで高度に魔力を制御できる人間は、学院にもそうそういない。
三ヶ月ほど前――闇精霊使いから逃げる時と比べれば、それは驚くべき成長である。
二度に渡る命懸けの戦いに、数週間ほど前まで熱心に行っていた――肉体強化を駆使した剣の稽古が、短期間でここまでの成長を促したのだ。
だが、シェリーは納得していない。
悔しそうに顔を歪め、激しくけんのある声音で叫ぶ。
「レナは、あんなに頑張ってるのに。私は…………」
シェリーは、大切な友人の名を口ずさむ。
レナは、最近頑張っていた。
ある男の子を隣に侍らせ、お昼が終わってから日が沈むまで。
毎日、毎日……。
辛うじて一割を保っていた魔法の成功率は、一気に三倍まで伸びた。
絶望的だった期末試験も、ぎりぎりではあるが合格点までこぎつけた。
それは友人として喜ばしいことではあるが、同時に悔しくもあった。
友人は目に見えて成長しているのに、ずっと以前から修練を積んでいるはずの自分は、まるで成長していないようにしか感じられない。
しかも、それは一人だけではない。
引っ込み思案な友人は、いつもシェリーにはわからないような難しい本を読んでいる。
近年発達の目覚まし科学技術を学び、一方では治癒魔法についての修練も怠ってはいない。
第九月の末日より編入してきた友人は、王都奨学制度を適用されるほどのとんでもない猛者だ。
今は飛行技術とほんの少し魔力の物質化が行える程度だが、秘めたる才能は王家のお墨付きである。
しかも現段階ですでに、国内全ての魔法兵を含めてなおトップクラスに準じる飛行技術は、到底シェリーの太刀打ちできる相手ではない。
そして友人のサーヴァントである黒髪の少年。
トランシェの盗賊団、フィラルダの誘拐犯だけならまだしも、ノム・トロール、フラメル、闇精霊の使い手とシェリーにも手に負えない相手でも、次々と倒していく。
同じ肉体強化の使える剣士として、修練の相手をしてくれているのだが、修練を積めば積むほど少年の実力が身に染みてわかるようになってきた。
雲の上と言うほどではないが、間違いなく自分よりも高みに居る存在である。
その四人を意識するだけで、まるで自分ばかりが置いて行かれているような感覚に襲われるのだ。
「セイン、あれやるわよ。もしもの時は、お願いね」
「承知しました」
だから欲しい。
強くなったと、成長したと思える、明確な証が。
これは、そのための修練である。
強くなるための近道なんてない。
そのような事実、シェリーも重々承知している。
全て承知した上で、それでも修練せずにはいられなかった。
シェリーが、シェリーであるために。
シェリーはセインに魔力供給を行いながら、その経路へと全ての意識を集中させた。
やはり今回も魔力は感じられない。
だが、自分とセインの間に物理的ではない、架け橋のようなものがあるのを、うっすらと知覚することはできた。
シェリーはその架け橋へと更に意識を注ぎ込みながら、別のイメージを頭の隅に思い描く。
その架け橋を、細長い管のようなものに置き換える。
管はシェリーとセインを結ぶ契約の証であると同時に、魔力を供給するパイプラインにもなっているはずである。
長時間の過剰な魔力放出に、手足の感覚がほんの少しなくなってきた。
長時間の魔力運用には慣れてきたが、魔力の連続放出にはまだまだ身体が付いてこないようである。
シェリーは額を、あるいは背中を汗でぐっしょりと濡らしつつ、イメージを更に膨らませた。
管の径を広げていき、その内に別の管を構築するようなイメージ。
地球で言う所の『思考で術式を組む』という、詠唱破棄に相当する高等技術に当たるのだが、シェリーにその自覚はない。
シェリーは細心の注意を払い、内側へ新たに設けた管の強度を確かなものへとしていく。
ここをしくじれば、また嫌な思いをしなければならないのだ。
そしてついに、二重の管は成った。
ただし、ここまでは四日前にはできるようになっていた。
問題は、この次だ。
シェリーは生唾をごくりと飲み込みながら、内側の管へと意識を埋没させていく。
奥へ、奥へ、もっともっと奥へ。
――あぅぅ……!?
そして、繋がった。
イメージの中へと雪崩込んできたのは、まるで炎のように燃え盛る一つの意志。
ついに成功したと、シェリーは胸の内で喝采を上げる。
しかし、そこまでだった。
「あ゛ぅぅ、ヴぁあああアアあああァぁぁぁアアああああああああアアアああああァ!!!!」
一瞬の気の緩みが、即座に術式の崩壊を引き起こす。
脆弱な内側の管はまたたく間に崩壊し、魔力が流れ込む。
流れ込んだ魔力が逆流し、シェリーへと牙を剥いた。
「主!!」
セインは即座に反応した。
大地すら容易に穿つ拳を、シェリーの鳩尾へと叩き込む。
「がはぁっ!?」
シェリーの身体がふわりと浮き上がり、大きく“く”の字に折れた。
地上から十センチほども浮いた身体は、ろくな受け身も取らぬまま地面へと叩きつけられる。
肺を満たしていた空気が強制的に追いやられ、鋭い痛みに意識も遠のきそうになった。
が、そんな痛みすら可愛く思えるほどの痛みが、シェリーの頭の中で暴れ回っていた。
頭が割れるとは、まさにこのこと。
意識が強引に引きちぎられ、あまりの痛みにシェリーは空っぽの胃から黄色い液体を吐き出す。
両目は焦点も合っておらず虚ろで、口の端からはねっとりとした胃液がだらりと垂れていた。
「主、大丈夫ですか?」
セインはたった今殴り飛ばしたシェリーの傍らに片膝をつき、憔悴しきった顔をのぞきこむ。
「……頭、痛い」
シェリーは大きく息を吸い込みながら、荒れた呼吸を整える。
途中までは順調だったが、やはり一朝一夕にはいかない。
それにこんなに時間がかかっていては、実戦ではなんの役にも立たない。
――さすが、主とサーヴァントの、超高難度技術。でも、あと少し……。
虚ろだった瞳に光がともり、袖口でだらしなく垂れていた胃液を拭き取る。
魔力的にはまだまだ余裕であるが、身体の方――特に頭――はもう限界だった。
このわけのわからない前頭葉付近の頭痛が治まるまで、シェリーは指一本すら動かせない。
『セイン……』
「心得ております。起床の音が鳴り次第起こし、暖を取ればよいのですね」
『おね、がいね……』
「お任せください」
レナに教えてもらった、契約のルートを使っての念話もだいぶ慣れてきた。
多少の集中力は必要だが、最近ではこんな修練ばかり積んでいるせいか、特に苦もなく話せる。
ちょっと前まで全く話せなかったのに、これも十分にすごい成長だ。
残念なのは、本人にその自覚がないことであるが。
シェリーの隣では、大量の枝を拾ってきたセインが火をつけた。
炎はたちまち丁度良い大きさまで燃え上がり、冷たくなったシェリーの身体を温める。
真冬の寒さと魔力の連続放出によって、震えていた指先は熱を取り戻し、身体の芯からぽかぽかと温めてくれた。
シェリーは心地よくなってきた温度と、魔力放出・術の構築によって生じた疲れから、深い眠りへと落ちていく。
ちょっとだけ大きくなったセインは、その様を愛おしそうに眺めていた。