第十一話 感謝祭ネプティヌス Act06:街中のデッドヒート
ネーナは昶の腕が自分の腰をがっちりつかんだのを確認すると、いきなり飛竜でいう降下の操作を行った。
だがここは空ではなく海、そして操るのは飛竜ではなく海竜。
パルバクルスはネーナの指示に従って、潜行を開始する。
それと同時にネーナは魔力で大量の風精霊を牽引し、具現化させ、全身に纏った。
いつもと違うのは、他人の身体まで風精霊で覆い尽くす点だ。
その力業に、昶も思わず目を丸くした。
「これって!?」
「あんま話しかけんな、気が散る!」
ネーナが行ったのは、全身武装鎧と呼ばれる魔法を用いた技術の一種である。
精霊を身に纏うことで、擬似的な肉体強化を行うことができる魔法。
それは本来、使用者本人のみが身に纏うものなのであるが、今はそのネーナの全身武装鎧の中に昶も入っているのである。
恐らくは、海中でも息ができるようにという配慮であろう。
「まず、砲台の下を抜けたら浮上する。風精霊の力で海水を押しのけるのって、案外キツいからな」
昶にも経験があるが、魔術というのは案外無茶が利く。
もちろん術の方ではなく、術者本人であるが。
限界を超えた魔力の生成や放出そして制御。
ネーナは今、身体に設定されているリミッターを強引に外し、肉体の許容量を大幅に超えた力を行使しているのだろう。
それを証明するように、昶の感覚もネーナの膨大な魔力と、超高密度の風精霊を感知している。
「あとは出たとこ勝負だ!」
「相変わらず、なんも考えてないんですね!」
「うっせえ! オレも全力でやるから、そっちも全力でやれ!」
「言われなくても!」
と、砲台の下をくぐり抜け射程圏外まで突き進んだネーナは、パルバクルスを急速に浮上させる。
ザバァァァッ、と水しぶきを上げながらパルバクルスは海面へと飛び出した。
勢い余ってそのまま十メートルほど滑空すると、再び大量の白い泡を立てて豪快に着水する。
するとすぐ目の前には、先ほどくぐり抜けたばかりの渦潮の群れがあった。
「集中、集中……」
ネーナは視界に映る渦潮の群れを凝視しながら、あの時の感覚を思い出していた。
――そう、確か、あの時は……。
あの殺しても死ななかったマグスとの戦闘が、折り返し地点に入った時のことである。
急に全ての精霊が、ネーナの言うことを聞かなくなったのだ。
正確には精霊素であるが、特定の魔力に強く引き寄せられる性質のある精霊素が、全く反応しなくなったのである。
その時自分はなにを思い、どうやって精霊を従えたのか。
精霊素の制御は、人間より精霊の方が優先される。
まずは、それを覆さねばならない。
「思い出せ。あの時の、感覚を……」
あの時に思ったこと。
――あ、そうか。
ネーナはふと、思い出した。
あの時に思ったことを。
グレゴリオとの約束を守りたかった。
負傷した学生達を守りたかった。
そして、エルザと交わした約束を守りたかった。
――そうか、そういうことか。
渦潮は目前に迫っていたが、ネーナの心は踊っていた。
こんなに単純で、簡単なことだったのだ。
大切な誰かを“守りたい”。
自分はその思いを胸に、これまで戦ってきたのだ。
それは永遠に変わることはない。
「そこをどけ……」
これまでも、そしてこれからも。
この身が朽ち果てるその時まで。
「道を、開けろぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!」
私は、オレは、エルザを守りたい。
それを強く願ながら、ネーナは思い切り叫んだ。
のどが裂けそうになるになるのも構わず、全身全霊をもって。
「嘘だろ……」
昶はネーナの起こしたその現象を、食い入るようにして見つめた。
下位階層とはいえ、精霊の制御の方が人間のそれより優先されるのは普段の講義を聞いていればわかる。
ほんの少しではあるが、昶も一応は精霊を制御できる。
だがそれでも、セインやカトルが制御下に置く精霊はどうにもならない。
だがネーナは、それをやってのけたのだ。
精霊から渦潮の制御を力ずくで奪い取り、消し去ったのである。
なだらかとなった海の上を、パルバクルスは一直線に駆け抜けた。
「アキラ、気をしっかり持てよ。それと、矢を持て」
ネーナは昶を片腕で引っ剥がすと、そのまま高々と持ち上げ、振りかぶる。
昶もネーナの指示に従って、右手に例の重りの付いた矢を握った。
そして氷柱の近くまで接近すると、ネーナの身体が二重の意味で弾け飛んだ。
一つは昶を振りかぶったまま、弾けるようにパルバクルスから飛び出したこと。
もう一つはネーナの纏っていた鎧が、内側から弾け飛んだこと。
ライトグリーンの長髪が宙を舞い、全身を超高速で対流する氷の粒が包み込む。
攻撃力・防御力・機動力。そのどれもを向上させる、水精霊と風精霊を用いた全身武装鎧。
その力と肉体強化から得られた脚力で、ネーナは氷柱を蹴った。
絶大な反発力を得て飛び出した身体を、更に飛行術をも用いて遠方まで飛ばす。
だが、度重なる魔力の過剰使用により、飛行は長く続かない。
徐々に高度は落ち始め、速度も緩やかに減退してゆく。
「あとは、任せたぞ」
ネーナは昶を振りかぶると、思い切り前方へと投げ飛ばした。
脳と身体に走る激痛を懸命にこらえ、辛うじて視界に映ったエルザに向けて。
再び加速を得た昶の身体は、緩やかな放物線を描いてまさに矢のように飛んでいく。
その霞む視界の中に、はっきりと二人の姿を捉えた。
赤味を帯びた鎧に身を包んだ二人が、レナとエルザの首筋に刃物を当てているのを。
「ざけんじゃ……」
昶は右手に握る、先端が重りになった矢を振りかぶった。
矢は一本しかない。
失敗は許されない。
「ねぇよ!」
昶は渾身の力を込めて、矢を投げた。
レナなら、エルザをなんとかしてくれる。そう信じて。
エルザを連れて人垣を突破したレナは、とにかく自分達の乗ってきた竜籠を目指して走っていた。
飛竜の一体くらいなら、レナにもなんとか操縦できる。
正直に言うと自信なんて全くないが、そんなことを言ってられる場合でもない。
相手は都市警備隊に所属する魔法兵。
向こうの手がどこまで広がっているのかわからない以上、そっちを頼ることはできない。
レナはネーナが学院に来た際、誰も信用していないと言ったことを思い返して、まさにその通りだと思った。
少なくとも王様の目の届く場所以外、エルザの安心できる場所はないように思える。
フィラルダ、創立祭に続いて、襲われたのはこれで三回目。
明らかに、普通の数字ではない。
「お姉さま、これは、いったい!」
状況がまだ飲み込めないといった風に、エルザが心細そうな視線を向けてくる。
今にも泣き出しそうで、それをぐっと我慢しているような感じだ。
「見ればわかるでしょ! あんたのこと、狙ってるのよ!」
――この子、いつもこんな思いしているのかしら。
レナには昶がいる。
幼馴染みのシェリーも、恥ずかしがり屋のリンネも、ちょっと苦手なマグヌスト兄弟も、あと腹の立つアイナも。
信用できて、信頼できる、そんな人達が。
でも、エルザにはネーナしかいない。
周囲にそんな人がいっぱいいる自分と、たった一人で残りはみんな敵かもしれないエルザ。
それがどんなに不安なことだろうか。
レナはこの時になって初めて、エルザの心の内を悟った。
「都市警備隊は、どれが敵でどれが味方かわからないから当てにできないわ。今は誰にも見つからないように、竜籠までたどり着くことを考えて!」
「は、はい。わかりました!」
レナは人混みに溢れた大通りから、小さなわき道へと紛れ込んだ。
普通なら人混みに紛れた方が安全なのだが、今二人を追ってきているのはその安全を守るはずの都市警備隊。
普通の人の中に紛れていた方が、相手がどこから来るかわからない分むしろ危険である。
と言っても、レナもシュタルトヒルデの地理には明るくない。
ただ、竜籠のある尖塔を目印にしているだけだ。
「でもなんで、王女殿下が今日ここにいるの、知ってるんよ、あいつら」
「そのようなこと、あたくしに聞かれても……」
それはそうだろう。
今日エルザがシュタルトヒルデにいることは、この場にいる人間以外は知らないはずなのだから。
ネーナから話を聞いた学院長室は完全防音となっているので、外から話を聞くのはほぼ不可能と考えていい。
可能性があるとすれば、エルザやネーナのすぐ近くにいる――相手の言葉を借りれば――保守派の人物くらいだ。
「いたぞ!」
と、後方から聞こえた大声に、レナとエルザはびくっと身体を震わせながら、後方を振り向く。
そこには赤味を帯びた鎧を着込んだ者に加えて、街人の服装をした大柄の男の姿もある。
予想はしていたが、やはり一般人の中にも紛れ込んでいたらしい。
これでいよいよ、大通りに出て人混みに紛れるという選択肢は選べなくなった。
レナは自身の握る杖に魔力を込めながら、人の少なそうな道へと駆け込んだ。
「いい? 絶対に手を離しちゃだめだからね!」
「はいっ! ぜったいに離しません!」
エルザの手を握る力が一層強くなったのを確認して、レナは集中力の大半を発動体である杖に移した。
そして、
「ふぅ……!」
ふわりっ。レナの身体が、速度を変えぬまま宙に浮かぶ。
レイゼルピナでは飛行術と呼ばれている、空を飛ぶための魔法である。
「わっ!? わぁっ!!」
これにはエルザも驚いた。
愛しのレナの成績は、もちろんエルザの頭の中にもインプットされている。
その記憶によれば、レナの成績――主に実技のそれはかなりひどいものであった。
そのレナが目の前で魔法を使ったのだから、エルザも驚かずにはいられない。
「っはぁ……、ふぅ…………」
隣の建物の屋根に不時着すると、レナはがっくりと膝を折った。
魔力的には余裕なのだが、自分とエルザの二人分の体重を支えた腕に、全く力が入らない。
「お姉さま。だ、大丈夫ですか?」
レナの杖を拾い上げたエルザは、心配そうに顔をのぞき込んでくる。
そんなエルザに、レナは強気な笑みを浮かべてやった。
「大丈夫。それより、早く逃げるわよ。相手もマグスなんだから、時間さえあればここまで上がってくるわよ」
「は、はい!」
「杖を、お願いね」
「わかりました」
レナがちらりと下をのぞき込むと、地精霊を操作して梯子のようなものを作っているのが目に入った。
――アイナぐらい空を飛べたら……、こんなやつら。
「急ぐわよ」
レナの言葉にエルザはうんと頷く。
二人は屋根の上を飛び移るようにして、逃走を再開した。
建物の高低差を利用し相手の姿が見えなくなった所で、二人はベランダへと飛び降りた。
飲食店だったらしく食事中のお客さんを随分と驚かせてしまったが、今は他人に構っていられる余裕はない。
素早く建物の中に入り込み、一階へと移動する。
出入口は人の多い大通りに面した所にしかなく、一瞬悩んだがすぐに外へと出た。
この中にもエルザを狙っている人物がいるかもしれないし、外から入って来られてたら逃げることすらできなくなる。
それなら、まだ逃げられる要素の残っている外に出た方がマしだ。
道は相変わらず、人でいっぱいである。
レナ達は建物の屋根の影に入るように、道の端っこを足早に移動した。
人混みの中でも、全員が歩いている中で二人だけ走っていれば嫌でも目立つ。
こういう時こそ冷静に。今にも自分を押し潰そうとする不安に必死で耐え、レナは思考を巡らせる。
今誰よりも不安なのはエルザなのだ。
自分にそう言い聞かせ、先ほどの店が見えなくなった所でレナは再びわき道に入り裏路地へと逃げ込む。
と、その逃げ込んだ裏路地には、なんだか見覚えがあった。
「ねぇ、この道、見覚えない?」
「言われてみれば……。確か、シュタルトヒルデに来た時に、見たような覚えがあります」
「そうよ、それよ!」
レナは目印である尖塔の位置を確認する。
思った通り、ここは竜籠から降りて繁華街に向かう際に通った道だ。
「ここをまっすぐ行けば、竜籠のある場所まで行けるわ」
「でしたら、お姉さま……!」
「えぇ、もう一息よ。頑張りましょう」
さすがに連中も、空の上までは追ってこないであろう。
レナ達は学院で飛行術を習うが、他の魔法学校では通常行われていない。
いや、行われていない、では語弊がある。
魔法兵を育成する専門学校のような機関では、戦闘と関係ない飛行術まで教える余裕がない、と言った方が正確だろう。
一口に魔法兵と言っても、王室警護隊や王都派遣組クラスともなれば、かなりの狭き門となる。
そして魔法兵としての採用試験には、飛行術の項目はない。
つまりそういった専門の機関では、特に教える必要はないのである。
先ほど追い回してきた地方警備隊の者も、飛行術を使わず地精霊で通路を作っていたのも、飛行術を使わなかったのではない。
使いたくても、使えなかったのだ。
「杖、もういいわよ。自分で持てるわ」
「はい。どうぞ」
レナはエルザから杖を受け取ると、もう片方の手を引いて走り出した。
だんだんと大きくなる尖塔に、どんどん希望も大きくなる。
元々体力のないレナの身体は、とうに限界を通り過ぎていた。
それでもなお走り続けられたのは、ひとえにエルザという存在のおかげだ。
なんとかしてやりたい、なんとかしなければならない。
その思いで、鉛のように重くなった手足を前へ前へと動かす。
「あとちょっとよ!」
「はい、がんばります!」
またまた見覚えのある、大きくカーブした緩やかな階段が目に入った。
ここを登りきれば、もう竜籠の留めてある場所だ。
しかしレナの思い描くほど、現実とは簡単に行かないものである。
「ここは行き止まりですよ」
その声に、レナとエルザは懸命に持ち上げていた足を止めた。
「な、んで……」
「読まれてた、ってことですよ。王女殿下」
その場にへたりこみそうになるエルザを支えながら、レナは逃走ルートを探す。
後ろからも、数人の人影がこちらに来るのが見えた。
来た道を戻ることもできない。
「貴女方の移動手段が竜籠しかないことは、こちらも承知しております。安易に『ネーナ=デバイン=ラ=ナームルス』の名で竜籠の申請をしていれば、例え民間の会社であっても見つけるのは簡単です。実際、偽名を使われていなかったので、思いのほか容易でした」
カシャ、カシャ、と、まるでわざとこちらの恐怖心をあおるように、鎧の男はこちらへと近付いてくる。
色は先ほどの者と同じ、赤味を帯びた鎧。魔法兵。
「さあ、来ていただきましょうか?」
相手の腕がまさに二人の身体を捉えられる距離まで到達する、その直前に、
「クシャナブレット!」
レナは下位の攻撃呪文を唱えた。
本来は風の弾丸を撃ち出すものだが、牽引された風精霊はレナの前で空気へと転じ、爆弾のように暴発する。
ドッと砂埃が舞い上がり、腕を伸ばしていた兵士も後方へと大きく吹き飛ばされた。
「こっち!」
レナはエルザの手を引き、すぐ隣にあった道へと駆け込む。
この先がどこに繋がっているかはわからないが、今はここしかない。
振り返ってみると、先ほど吹き飛ばした鎧と合流した者達が、だんだんと距離を詰めながら迫ってくる。
こっちは運動の苦手な女の子で、向こうは訓練を積んだ屈強な兵士。
体力も限界に近い今、追い付かれるのは時間の問題だ。
『アキラ、今どこにいるの!』
レナはへとへとになにながらも意識を集中させ、契約時のルートを介して昶への念話を試みる。
『…ナ、こっち………が…て、もう…し、時間が…かる! なん……も…せて…れ!』
途切れ途切れになりながらも、返事が返ってきた。
残念ながら、もう少し時間がかかるらしい。
昶がこんな時にミスをするとは思えないから、自分の集中力が足りないのだろう。
それくらいの信頼が、昶にはあるのだ。
そして、ついに体力の限界にきたのか、
「きゃっ!?」
自分の足につまずいて、レナが頭からすっ転げた。
勢い余って、二度三度通路の上を身体がはねる。
「お姉さま!」
「大、丈夫、だから」
転ぶ瞬間にはなんとか手をふりほどいたので、エルザも転ぶことはなかった。
レナはそのことに安心しながら、四肢にぐっと力を込める。
が、これまで走ってきて蓄積された疲労と、更に先ほど転んだ時に足首を強く捻ってしまったらしく、その場にうずくまったまま一歩も動くことができなくなってしまった。
「エルザ、あんただけでもいいから、早く逃げて!」
「嫌です! お姉さまも一緒でないと!」
エルザは目に涙を溜め、下唇をぐっと噛みしめてレナを見つめる。
レナもよく知る、エルザのぜったいに嫌です! の顔である。
こうなったら最後、父親である国王様に叱られるまで頑として聞き入れないのだ。
これではレナがいくら言った所で、絶対に動かないだろう。
その間にも、向こうはみるみる距離を詰めてくる。
そして捕まったら最後、エルザがどんな目に合うか……。
――お願い、アキラ。早く来て!!
レナは最後の頼みの綱である、自らのサーヴァントの名を必死に願った。
「あれ? こんなトコで会うなんて。キグウだねェ」
「え?」
ふと聞こえた声に、レナは自分の耳を疑った。
そんなはずはない。
この声の主は創立際の日の夜、自分と昶が倒したはずなのだ。
真っ白な雷に焼かれ、断末魔の悲鳴ともに消えたはずの人物のはずなのだ。
「やァ。久しぶリ」
だがやはり、聞き間違いではなかった。
レナが声のした方向を見上げると、そこには例の漆黒のローブをまとった、無邪気な声の少年が立っていた。
「あんた、なんで……」
「あれ? ボク名前言わなかッたッけ? “ツーマ”って言うんだけど。あ、でもホントの名前じャないから。それにしてモ、こんなヒトケのない所でどウしたの?」
少年は前回のことがなんでもなかったかのように、相変わらず明るいトーンでレナに話しかけてくる。
レナはそれ以上、声が出なかった。
これなら、後ろから追いかけてくる人達に捕まった方が、よほどマしなように思える。
こんな人間と一緒にいたら、恐怖で心が壊れてしまいそうだ。
それだけの力――人を簡単に殺せる力をこの少年が持っていることを、レナは知っているから。
そんなレナの心が伝播したのか、エルザもその場にへたりこんでしまう。
そしてついに、二人をここまで追い込んだ者達が追い付いてしまった。
人数は六人。鎧を着込んでいない者も四人いるが、こちらも魔法兵で間違いないだろう。
「あッれ? もしかしテ、きみがそんなボロボロになッてるの、そこのマグスのセイだッたリするのかな?」
と、“ツーマ”は二人を追いかけてきた魔法兵をにらみつける。
相変わらず、場の空気を無視した無邪気な笑顔から繰り出される視線に、魔法兵達もたじろいだ。
「何者だ、貴様」
「いや待て、我々を魔法兵と見抜いた時点で、単なる知り合いではないだろう」
「まさか、マグスか!?」
なにを勘違いしたのか、魔法兵達は発動体である武器を構えたり、格闘技のような構えを取った。
先ほど二人を追ってきていた時とは、比べ物にならない気配が漂い始める。
だが、それが六人の命取りだった。
「いいのかナ~、そんなコとしテ。そんな弱い魔力じャ、ボクには勝てないョ?」
瞬間、“ツーマ”の姿が消えた。
否、あまりに早すぎて見えなかったのである。
レナが気付いたときには、鎧を身に着けた二人の魔法兵がはね飛ばされていた。
予想をはるかに上回る“ツーマ”の身のこなしに、魔法兵達は驚愕する。
「肉体強化系!?」
「速過ぎる!」
“ツーマ”は無造作に二人の腕をつかむと、力任せに放り投げた。
二人の身体は狭い路地の壁にぶち当たると、糸の切れた人形のようにべちゃりと地面に落ちる。
「やめ、やめてくれ!」
「助けてぇっ!」
だが、それで“ツーマ”が止まるはずもない。
片方には顔面に膝蹴りを、片方はアッパー気味にハイキックを見舞う。
たった数秒で、レナとエルザを追いかけてきた魔法兵達は無力化された。
「ふゥゥ。こんなモんかな?」
にぃっと、“ツーマ”は口元に笑みを浮かべながら、レナ達のそばまで歩み寄る。
そこに、敵意のようなものは一切感じられない。
レナはそれが逆に、不気味でたまらなかった。
「あんた、なんで、あたし達のこと?」
「だから、“ツーマ”だッテ言ッテるのに。まァいいけど。一回目の時モ二回目の時モ、命令だッたから殺そウとしただけだョ。仕事だから仕方ないけど、ボク弱い者イジメッテ嫌いなんだよね。だからコイツらヤッつけたんだけど、いけなカッたかな?」
“ツーマ”は、本当にレナの言っている意味がわからないようだ。
命令だから殺そうとした。
レナ達を恐怖に陥れたあの二つの事件は、“ツーマ”にとっては本当にただそれだけだったのだろう。
だが、レナは思う。
命令だけで、人は簡単に人を殺せるのだろうか。
「おッと、この気配は」
にたぁ、と“ツーマ”は大好きなおもちゃで遊んでいるような笑みを浮かべる。
その直後、ガシャッ、という明らかに強度を超えた衝撃に、鉄板が変形したような音が響いた。
「久シぶりだね。アキラ」
「“ツーマ”、生きてたのかよ」
上から降ってきた昶は、兜と金髪の桂を取って“ツーマ”をにらみつける。
その圧倒的なプレッシャーに、レナの肌は粟立った。
「アイニクとね。でも、ダメじャないか。こ~んな可愛いコ、アブナいメにあわせるなんテ」
「あれ、お前がやったのか」
昶は背後の魔法兵達を親指で指差しながら、“ツーマ”に聞いた。
問いかけではなく、確認の意味で。
「ウン、そウだョ。今日は別に、君達に危害を加エるつモリはないかラ」
「そっちにはなくても、こっちにはあるかもしんねぇぞ。ガキ」
と、いつの間にか、ネーナが“ツーマ”の背後に立っていた。
右腕は氷の渦巻く全身武装鎧が展開されており、いつでも戦闘が可能な状態となっている。
しかし、
「ボクは別にいいんだけどサ、そッちはいいの? こんなトコでボクらが全力出しちャッたら、タイヘンなコトになると思ウんだけど」
“ツーマ”はそれに応じなかった。
そして、その答えは正しい。
ネーナはチッと舌打ちすると、全身武装鎧を解除した。
解放された氷の粒は、キラキラと輝きながら寒空の中へと溶けていく。
「今回だけは、礼を言っとく。ありがとな」
「コちらコそ、どウいたしましテ。二人を連れテ、早く安全なとコまで行くんだョ」
「わかってるよ。ネーナさん」
「おう」
昶は“ツーマ”を挟んで反対側にいるネーナに、目で合図を送った。
それから自分も、“ツーマ”の横を通り過ぎてレナの下に駆けつける。
「悪いな。こっちも魔法兵が何人かいて。やり合ってたら遅れちまった」
「ううん、いいの。こっちこそ、ありがと。あたし一人じゃ、やっぱりどうにもできなくて」
「なに言ってんだよ。レナはちゃんと王女様のこと守ったんだろ。お前は、自分にできることを精一杯やったんだから、それでいいんだよ」
「アキラ……」
昶はぐったりしたレナに優しく微笑みかけると、同じくエルザに優しく微笑みかけていたネーナと目を合わせた。
「予定よか早いが、帰った方がよさそうだ」
「ですね」
「あたしもそう思うわ」
方針は固まった。
「わりぃな、姫様。花火はまた今度だ」
「残念ですけど、今回は仕方がないですね」
エルザの同意も得られた所で、ネーナはエルザをお姫様抱っこして先に竜籠へと向かった。
「あたし達も行きましょうか」
「そうだな」
レナは昶の差し出した手に捕まり、立ち上がろうとしたその時、
「痛ッ!!」
左足に走った痛みに、くしゃっと顔を歪ませる。
昶はレナが手で押さえている左足首に目をやると、青紫色に腫れ上がっていた。
「捻挫してるじゃねえか」
「だ、大丈夫よ。これくらい」
「無理すんな。そんな足じゃ、まともに歩けないだろうが」
昶はこんな時でも強がるご主人様に軽くため息をつくと、背を向けて腰を落とした。
「な、なによ?」
「おんぶしてやるから、早くつかまれ」
「い、いいわよ! そんなの!」
「よくない。今無理すると、症状がひどくなることだってあるんだから」
「だから、大丈夫だって言って、いたっ……」
と、無理に立ち上がろうとしたレナは、やっぱり痛みに耐えられずそのままその場に倒れ込んだ。
昶は間一髪でそれを支え、強引にレナをおんぶする。
「あ、あああ、あんた、ねぇ」
「鎧でどうせ身体の感触なんてわかんねえから、そういうのは気にしなくて良いぞ」
羞恥心で真っ赤になっていた顔は怒りによって中和され、それでもやっぱり悔しくて恥ずかしくて、レナはそっぽを向いた。
「あとで覚えてなさいよ。こんな破廉恥なことした代償、きっちり払わせてあげるから」
「大丈夫。俺物忘れには自信があるから」
相変わらず不機嫌なご主人様を背負いながら、昶も竜籠の下へと急いだ。
そんな五人のやりとりを、つぶさに観察している者がいた。
「もう行きました。我々も早々に退散しましょう、議長閣下」
「あぁ、わかっている」
鋼鉄の会議室で用件を済ませたヴェルデは、白銀の鎧の青年に言われて地下に伸びる入り口から姿を出した。
太陽の位置は、ここに来た時とはだいぶ変わっている。
自分でも思っていた以上に、あの部屋にいたのだろう。
そんなことを思いながら、続けて現れた“ノウラ”に案内されヴェルデは馬車の下まで向かう。
「……ネーナさんで、間違いなかったよな…………」
青年は思った。
もしかしたら、自分はとんでもない間違いを犯しているのではないかと。
だが、もう後戻りはできない。こんなものを、見てしまった後では……。