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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第一話 異世界 Act04:講義にて

 昶はクラクラする頭のまま、レナに連れ立って食堂へと入った。さっきほど女子寮の一階で行われた、シェリーとの喧嘩が原因である。アッパー気味に放たれたレナの右拳が、昶の顎にクリーンヒットしたのだ。

「こめかみ蹴られたと思ったら今度はアッパーですか。やはり良家のお嬢様は一味違いますね。あたまがガンガンします」

「さ、さっきからごめんって言ってるじゃなぃ……。わざとじゃなかったんだから。それに、過ぎたことをねちねちと言うなんて男らしくないわよ」

 若干声が引きつっている所をみると、少しは罪悪感を感じているようである。

 このまま毎日蹴られたり殴られたりされていては、そのうち何処(どこ)か遠い所に()ってしまってもおかしくはない。

 これはこれでいい傾向? なのかもしれない。もっとも、覚醒して一日も経たない内にそんなことを考えているようでは、先が思いやられるわけであるが。

 だが、それよりももっとすごい光景に昶は息をのんだ。

「…………でけぇ」

 二階分はありそうな高い天井に、いくつもの瀟洒(しょうしゃ)なシャンデリア、中央には純白のテーブルクロスのかかった長テーブルがいくつも並べてある。二〇メートルほどはあるだろうか、クロスの端からのぞく足は見た目にも上等そうな木材を使っている。

「生徒以外にも、先生方やここに勤めている人達もここで食事をするから、それも考慮して広い食堂になってるの。それに、ここしか食べるとこないしね」

 とかなんとか言いながら、レナは空席の前で立ち止まった。

 いきなり立ち止まったレナに、大慌てで急制動をかけた昶。ぶつかりそうになりながらもなんとか立ち止まると、昶の目はテーブルに釘付けになった。

「……うまそう」

 そこにあったのは、昶の見慣れない西洋風の料理の数々だ。

 サクサクの四角い食パンに添えられた、バターとジャム。まるで今朝採ってきたような、しゃきしゃきとして新鮮そうな野菜のサラダ。口の中でとろけそうなスクランブルエッグ。そして色鮮やか、香り豊かな紅茶。そしてデザートには、(恐らく)ヨーグルト。

 立ちのぼる湯気が食欲をそそり、香ばしいかおりが鼻孔をくすぐる。

 ただ、こと実と異なるのは、『うまそう』ではなく『うまい』という点であろう。

 王立──つまり公立ではあるものの、レイゼルピナ魔法学院に通っているのは超が付くほど裕福な家庭の子供たちだ。可愛い自分達の子供には“できるだけ良い環境を”と思うのが親心というもので。

 一般的な魔法学校の学費より低く設定された──それでも額面だけ見ればとんでもない金額なのだが──学費に加えて、大量の寄付もあるわけである。そういった寄付によって、このような立派な食堂と『うまい』料理が成り立っていると言っても過言でない。

 もっとも、そういった設備の方面に寄付を使っているのは、学院長の方針のお陰でもあるのだが。

「ん」

 そんな“朝から超豪華な食事”を前に、なぜかレナが胸を張っている。

 残念ながら、思いっきり胸をそらしているにも関わらず、胸の起伏は非常になだらかである。いや、決してまっ平らなわけではない。

「どした?」

「んー!」

「いや、だからそれじゃわかんねえし」

 レナは隣の昶に冷たい視線を向けつつ、その可愛らしい顔を右手で押さえると、はぁぁ、とため息をついた。

 なにか悪いことでもしたのだろうか。昶は一連の流れを思い返してみるのだが……、どこにも心当たりは見当たらない。

「イス引きなさいよ」

 あっけなく痺れを切らしたレナは、いかにも不機嫌そうな顔で昶に命令した。

「自分ですれ…」

「今日から廊下で寝るのもいいかもね。風通しが良くていいんじゃないかしら」

「どうぞ、レナ様」

 この程度のことで人の唯一の楽しみである安眠の時間まで奪おうとするとは、『こいつは鬼か』と言ってやりたい。命の恩人とはいえ、なんでこんなちっこいのに平身低頭姿勢を取らなければならないのだろうか。なんだかわからなくなってきた。

 とまあそんなことを思ってはいても、背に腹は代えられない昶である。なにせ、手元にあるのは最低限必要な戦闘用の装備と、護符の中に封じてある衣服くらいしかないのだから。

「ありがとう、アキラ。それと、覚えておきなさい。従者はいついかなる時も主人の世話をするものなの。覚えておきなさい」

「え~~」

「返事は……?」

「は~い」

「伸ばさない!」

「はぃはぃ」

「返事は一回!」

「……はぃ」

「まったく、先が思いやられるわ」

 エメラルドのような瞳から放たれる鋭い眼光が、コンタクトレンズを突き抜けて昶の網膜に突き刺さる。

 魔眼を除ける効果のある昶のコンタクトレンズだが、レナの視線を遮る力は備わっていないようである。なにせ、ずっと見つめられていると呪われそうな気さえするのだ。

 だがそれより先に、もう腹の方が限界であった。

「じゃあ俺も…」

 空腹が限界値を突破した昶は、レナの隣に座ろうとするのだが、

「ちょっと、あんたなにしてんのよ?」

「へ?」

 イスに座ろうとした昶をレナが遮った。

「この机は貴族専用よ。あんたはあっち」

 と、レナが厨房のある方向を指さした。その先にあるのは、古ぼけた木の丸テーブルとイスである。レナの座っている机ほどの座席はないが、二〇から三〇人程度は楽に座ることができるだろう。

 厨房の近くにあるという意味ではここの長テーブルよりはいいのだが、清潔感という点においては百倍くらい長テーブル(こっち)の方がいい。

「これって、明らかな差別だろ」

「差別じゃなくて区別。文句言わない。別に食べなくてもいのよ」

「いいよ、食えるならなんでも」

 それに数時間ぶりにレナ様から解放されるなら、細かいことはどうでもいい。

 さっきのアッパーのおかげで軽く脳震盪気味(のうしんとうぎみ)になっているのか、足下が少々おぼつかない気がする。が、この程度なら大丈夫そうだ。姉に木刀で頭をぶったたかれた時より、はるかにマシである。

「アキラさんですか?」

「あ、はい。そう……ですけど?」

 昶はふらつく足取りで厨房に向かうと、意外にもその厨房の中から名前を呼ばれた。

「僕はエリオットと申します、エリオとお呼びください。学院長からお話はうかがっております。なにやら、大変な目にあっておられるようですね」

 見た感じ、昶と同じくらいか少し下くらいの年齢だ。短くさっぱりとしたブラウンの髪に、くりくりとした目をしている。

 そんなエリオのいたわりの言葉に、昶はうんと頷いた。

「すぐにご用意いたしますので、あちらの席で」

「すいません、そこのカウンター席でもいいですか?」

「あっ、はい。どうぞおかけになってください」

 エリオから許可を頂いた昶は、厨房にくっついている狭いカウンター席にそっと腰を下ろす。

 こちらも古ぼけた木でできているような席だが、向こうのテーブルやいすと比べれば幾分か頑丈そうである。むしろ、趣深いと言ってもいいだろう。

 席に着いた昶が厨房の中をのぞいてみると、なかなか忙しそうな雰囲気である。白衣を着たコック達が、狭いフロアの中をひしめき合っていた。

 火力の強いコンロを使っているのもあって、かなり暑そうである。

「でもいいんですか? みんな忙しそうなのに、俺だけ朝食もらっちゃって」

「まあ、お客さんみたいなものですから。それに、生徒や先生型以外にも食事をしている人はいますから」

 と、昶はエリオが視線を向ける方向に振り返った。さっきは気付かなかったが、例の古ぼけたテーブル席で数人が食事をとっていた。

 ボーイさんやメイドさんと思われる人達が、湯気の立つ料理をつっつきながら楽しげに話している。年齢は昶と同じくらいか、ちょっと上くらいだろうか。

 それに『お客さん』という単語も、昶の遠慮を和らげるのに一役買ってくれた。

 昶はカウンター席に着くと、エリオが料理を運んで来てくれるのを待った。慣れない場所に一人でいるのは、それはそれは緊張するもので。今朝レナを部屋の前で待っている時とは、また違ったドキドキ感がある。

 運ばれてきたのは、大皿に盛られたパスタだった。バターとガーリック系のいい匂いが、昶の鼻孔をくすぐる。すでに数回分の食事を抜かれている腹の虫が、きゅるる~っとひときわ大きな声を漏らした。

「い、いただきます」

「どうぞ、召し上がってください」

 恥ずかしさで額まで真赤になった昶はぎこちない手つきでフォークを握ると、くるくると麺を絡め取っていく。

 ふと前の方に視線をやると、エリオがにこにこと嬉しそうに昶の方を見ていた。いや、嬉しいというよりも、期待していると言った方が正しいだろう。

 そんなに自信があるのかと、昶は大きく口をあけてパスタを口に含んだ。

 バターとガーリック系の良い香りと、メリハリの利いた塩と胡椒(こしょう)の味付けに、香ばしいベーコン、そしてよくわからない苦みが口いっぱいに広がった。




「なるほど。学院の近辺で手に入る野草を使ってみたんですが、だめだったようですね。なんとかして苦みが抜けれれば……」

 悪戦苦闘するもなんとか出された料理を食べきった昶は、食事の前とは別の意味で瀕死状態に陥っていた。

 御覧の通り、原因はエリオの出してくれた料理である。香りも見た目も、素人の昶からすれば百点満点のできで美味しそうなのだが、とにかく苦かった。それも超絶的に。

 自分でもよくこんなもの食べたなあと感心するほどだ。これは後で、学院長に色々抗議せねばなるまいと昶が心に決めた所で、

『アキラさん』

 頭の中に声のようなものが反響した。聴覚を介したものではなく、脳内に直接語りかけられたような不思議な響きである。

 一瞬だけ不審に思ったものの、肌を焼くような気配にすぐさまセインだと気が付いた。

「なんか用事? 姿まで消してるけど」

 はたから見れば、昶が一人で会話をしている、という非常に不気味な絵面である。周囲の評価はどうでもいいが、目立つ行動は避けるべきだ。

 なので昶はできるだけ声のボリュームを絞って、近くにいるであろうセインに話しかけた。

『先ほどの、(わたくし)(マスター)の友人。レナ様でしたか。から受けたダメージが大きそうだったので』

「あぁ、あれくらいなら大丈夫。この半日でだいぶ慣れてきたから」

 もちろん、慣れたくて慣れたわけではない。

「えっと、セインでいいのかな? そっちはなにも食べなくていいのか?」

『それも可能ですが、(わたくし)達精霊は空気中の精霊素を取り込むことで、エネルギーを供給しますので。人間と同様の食事は、こう、楽しむと言いますか。そう言った側面が強いです』

 セインは火に属する精霊なので、火精霊(サラマンドラ)を吸収するということだろう。厨房なら火を使っているので、火精霊(サラマンドラ)も豊富にあるはずだ。

 ──なるほど、だから厨房の近くにいるのか。

 俺も精霊だったらこんなに腹がへらないだろうな、と昶はひそかに思うのだった。

「アキラー!」

 現在お世話になってる部屋の家主の声が、昶の背中に矢のように突き刺さる。

 どう考えても嫌な予感しかしない。

『お呼びですよ』

「わかってる。ただ、ものすごく気が進まないだけ」

 はぁぁ、と年不相応な深いため息を一つ。

 こっちに来てからまだほとんど時間が経っていないのに、ため息と打撲の数だけが恐ろしい勢いで増えているのは、気のせいだろうか。

「アキラーーー!」

『お怒りのようですが』

「……行ってきます」

 昶はコップ一杯の水をのみ込むと大急ぎで席を立ち、そのまま駆け足でレナの隣まで走って行った。




「遅い!」

「す、すいません」

「呼ばれたらすぐ来る! わかった!?」

 顔の近くで言われたものだから、耳がキンキンする。

 鼓膜は破れていないようだが、こんりんざいしないで欲しい。

「わかりました。それで、用ってなんなんだよ?」

「うん。部屋に教科書忘れたから取ってきて」

「……は?」

「あんたもしかして耳悪い?」

 ──さっき人の耳元で、説教かました人にだけは言われたくねえよ。それも大声で叫んでおいて。

 まあ、口には出さないのだが。

「いや、教科書忘れるとかバカかと思って」

「あれ? おかしいなぁ。今誰かがあたしのことを罵倒したような気がしたんだけど?」

「それがどうした?」

「この!」

「ッ!? いきなり急所に蹴り入れるな!」

 ローファーに包まれた足の先端が、正確無比に昶の股間を狙っていた。

 なんとか止めることには成功したが、この淑女らしからぬ行為は良家のお嬢様の嗜みなのか、甚だ疑問である。

「素直に受けなさい! 同居人のよしみで、目上の人への対応をあたしがきっちり教育してあげるから!」

「理不尽だろ!?」

「うるさーーーい!」

「あだ!」

 足を降ろしてほっとしたのもつかの間、今度は一メートルと三〇センチほどの杖を、脳天から打ちつけられた。

 木製なのを疑いたくなるような痛みが、頭のてっぺんから足の先端まで駆け抜ける。今のは絶対に全力だ。

「今すぐ、行きなさい。はい、これ鍵」

「りょ、了解しました」

 昶はレナの手から部屋の合鍵を受け取ると、トボトボとした足取りで食堂の出口を目指す。

「走る!」

「はい!」

 盛大に怒られて、駆け足でグノーメの塔へと向かって走り出した。

「あ、私も忘れちゃった」

(マスター)、教科書なら(わたくし)が…」

「あ~、いいのいいの」

 シェリーはレナに視線をやると、舌をチロッと出してから昶のあとを追いかける。

 あとで昶がセインに聞いた話によれば、レナは口から火をはきそうなぐらい激怒していたらしい。




 シェリーに追いつかれはしたものの、そのまま振り切って任務を完遂した昶だったのだが、

『このバカ!』

 の一言と共に、鳩尾に強烈な拳をみまわれた。

 セインによればシェリーの去り際に、

『シェリーのやつ、シェリーのやつ、シェリーのやつ…』

 と、レナは呪詛のような言葉を連ねていたらしいが、昶にもセインにも意味がさっぱり分からない。

 まあ殴られたあとは、息を荒げながらも『あたしはこの後授業なんだけど、アキラはどうするの?』と聞いてきた。

 魔術師の端くれとしては、こちらの世界の技術に興味がある。むしろ知識欲が旺盛な分、一緒に受けたいという気持ちが大きい。

 それに授業中ならレナも大人しくなるだろう、という希望的観測も含まれている。

 殴られ、蹴られ、どつかれまくって身体中が青痣(あおあざ)だらけ──と言ってもほぼ消えかかっている──ではあるが、やっぱりここは聞いておきたい。

「邪魔にならないんだったら見てみたいな。その魔法(●●)の授業ってやつ」

「そうなんだ。まあ、ご主人様のことを知ろうっていう心がけはいいことね。ちょっと含みがあるのは気に入らないけど」

 あっさり見抜かれた。まあ、事実なのだから仕方がない。

 当然、しらばっくれるわけであるが。

「ほいほい、じゃあそう言うことでいいから」

「なによ、えらそうに『そういうことでいいから』よ。このあたしが勧めてるんだから、素直に来るのがあんたの務めでしょ」

「はぃはぃ。わかりましたよー」

 出鼻をくじかれた昶は、ついさっきまでの期待もどこえやら。

 やる気ゲージはマイナスを突っ切っていた。




 そんなわけでやってきたのが、学院の校舎の外側に広がる、広大な外庭だ。

 この学院は巨大な塔を中心として、正五角形となる点にそれぞれ一回り小ぶりな塔が建っている。それから、隣り合う塔との間に校舎が建てられており、そこから学院をぐるりと囲む高い城壁までの間を、外庭と呼んでいるのだ。

 また外庭には、この学院で働いている人が寝泊まりしている宿舎のようなものも見受けられた。

 講義開始前というのもあって、生徒達は庭のあちこちではクラスメイトと話し合っている。

「今日の一年生の講義は、中止だって。担当の先生に、急用ができたらしいわ」

「それって、さっき見てたボードみたいなのに書かれてたやつか?」

「そうよ。まあたぶん、あんたのせいだろうけど」

 と、昶の側面からなにやらちやっと冷たい視線が……。もちろん、視線の主は現在昶がやっかいになっている部屋の主こと、レナだ。エメラルドのような緑の瞳はとっても魅力的なのだが、今は少しだけ怖い感じがする。

「なんで俺のせいなんだよ?」

 昶としても、身に覚えのないことを責められるのは良い気分ではない。

 自分の生活の主導権を握っている相手とは言え、言うべき時にはきちんと言う。それが昶だ。

「この時間の授業担当だった先生、召喚の儀の担当だった人なの。たぶん今頃、アキラのことで色々聞かれてるんだと思うわ」

「……」

 ──それは、確かに、俺が悪いな、うん。

 言いがかりだったならば、いくらでも言い返してやるつもりだったのだが。確かにこれは言い返せない。

 記憶の端には、制服姿ではない四〇代の女性らしき人の姿もあった。恐らくは、それが担当の先生とやらだろう。

 よくよく考えれば、真っ先に治療をしてくれたのも、その担当だった先生だ。今度会った時は、お礼を言うべきだろう。

 昶は心の中で決意するのだった。

「あー、なんか悪いことしたなぁ、それ」

「なに言ってんの? それとこれとは別でしょ。悪いことなんてしてないじゃないのに、ほいほい謝らない」

「…………」

 先ほどまで責められているような気がしていたのであるが、それも一転。レナとしては、そんな気はまるっきりなかったようである。

 元から、少し棘のある口調なのかもしれない。思い返してみれば、キツいことでもけっこうずばずば言っている感じがする。

「ん? なに黙ってんのよ。わかったんなら返事しなさい」

 やっぱり、ちょっとキツい感じだった。

「りょーかい」

 返事が少し気に入らなかったのか、ちょっとだけにらまれた。『返事は“はい”でしょ』と言っている気がするのは、気のせいではないだろう。

 そんな視線に気を取られていたからか、背後から誰かが近付いてきたことに昶は気付かなかった。

「っと。す、すいません」

 肩に誰かがぶつかった感触に、振り向きざまに謝る昶。相手の背丈は一八〇そこそこ。いかにも優男(やさおとこ)といった風貌で、肩の高さに切りそろえられたくすんだ金髪を風になびかせている。グレイの瞳で目つきは悪く、第一印象は最悪と言っていいだろう。

 優男は昶のことをぎろりとにらみつけると、そのまま舌打ちしてどこかへ行ってしまった。

「なんだあいつ?」

「あんなのどこにでもいるんだから、気にしないでいいわよ」

「え~、こほん。生徒諸君、聞こえておるかのう?」

 昶がレナとそんなやり取りをしていると、不意に聞き覚えのあるしわがれた声が鼓膜を震わせた。

 声のした方向に首を傾けると、予想通りそこには昨日会ったばかりの学院長の姿があった。

「レイチェル先生に急な用ことが入ってのぉ。三年生の皆にはすまんが、一年生も混じって実技の自習をすることになった。学年を越えた交流は少ないからのう。この機会に親交を深めてくれればと思う」

 はーいと、ぱらぱらと返事が上がる。

 なるほど、先ほどから明らかに雰囲気の違う生徒が何人かいると思ったら、上級生だったのか。確かに、よく見ればネクタイの色が違う。

「うむ、儂はちと休んでおるが、他の先生にはナイショじゃぞ」

 そう言うと、学院長は本当に校舎の方へ行ってしまった。さすがに中には入らないが、校舎の壁に背中を預け、すーぴーと寝息まで立て始める始末。

 本当にこんな無責任な人が学院長でいいのかと、本気で心配になってきた昶であった。




 ここは、正確には外庭の北側に当たる。南側には学院への唯一の入り口がありそこは多くの人が利用するので、流れ弾ならぬ流れ魔法が当たらぬよう、実技等の実習は外庭北で行うのが通例になっているのだ。

 と言う説明を受けた昶は、なにやら難しい顔のまま固まっているレナの隣に腰を下ろしている。

 まあ、特にやることもないので別に構わない。それに、敵意や殺気むき出しの視線を向けられないのが、思った以上に昶の心を落ち着かせていた。

 まあ逆に、好奇の視線があちこちから飛んで来るのもむず痒くはあるのだが。まるで珍獣にでもなったような気分である。

 ──なに話してんだろ。

 視界の端、というかあちこちで、口に手を当ててひそひそ話をしているのが見える。レナの方は気付いていないようであるが。

 気になった昶は五行の流れを調整し、水行の力を引き出す。これによって、聴力を格段に増すことができるのだ。

 その力によると、

「ねえねえ、あの男の子でしょ? 例の」「そうそう。俺最初びっくりしちまってさ」「いきなり空中で爆発して」「血だらけで私、すごく怖かった」「契約までしちゃうなんてねぇ」「わぁ、今こっち見た」

 とか言っているようだ。なんだかんだで、かなり話題となっているようである。

 ──見せ物じゃねえんだぞったく……。

 と、昶がそんなことをしていた時、

 ──ふさぁ……。

 隣にいたレナの髪が、柔らかな風によって浮かび上がった。

 しかも今の風、普通の風ではなかった。

「……レナ」

「な、なによ。あたしの邪魔でも、する、つもり……?」

 ギロリと横目に昶のことをにらみつけてくるが、迫力というものが欠片も感じられない。反対に、引きつった顔をなんとか誤魔化そうとにらみつけているといった感じだ。

「今の、魔法だよな」

「そう、だけど」

「…………」

「なによ、言いたいことがあるなら言いなさいよ」

 さっきは邪魔するなと言ったのに、言ってることが矛盾していないだろうか。

 とも思ったが、そんなことなどどうでもよく思えた。少なくとも、今の昶には。

「精霊の集め方、すんげー下手なんだな」

「!?」

 レナは両手で杖を握って立ったまま、垂直に十センチくらい飛び上がった。

 そんなに驚かれることでもないだろうと胸中でツッコミを入れてから、昶はかな~り呆れ気味の視線をレナに向ける。昨日は『アナヒレクス家は超実力派』とか豪語しておきながら、当の本人がこれ(●●)なのだから。

「う、うるさいわね! 魔法ってのは、あんたが理解できるほど、簡単なもんじゃないの! 一度説明を聞いただけで、解った気になるなんて、傲慢もいいとこだわ!」

 ふんっ、とそっぽを向くと、レナは再び風精霊(シルフ)の制御を練習し始めた。

 ──残念ながら、ここの魔術体系(●●●●)ならだいたい理解してるぞ。

 レナに付いて授業を見たかったという態度からもわかるように、昶はこの世界で“魔法”と呼称されているものに興味がある。

 知らない場所について可能な限りの情報を集めようと、昨日レナから色々な話を聞いたのだ。その時に、この世界で“魔法”と呼ばれているものについても、詳しく教えてもらったのである。

「精霊魔術、だよな。やっぱ」

 誰にも聞こえないような小声で、ぼそりとつぶやく。

 精霊魔術とは、西洋の四大元素・四精霊の思想を基に形作られた最もポピュラーな魔術体系の一つだ。その最大の特徴は、地水火風の精霊を使役し、ありとあらゆる物理現象を引き起こすことである。

 昶がレナから聞いた話によると、細かい部分で差異はあるが、概ね同じものと判断していいだろう。

 様々な系統に分かれているが、その共通の利点はなんと言っても制御のしやすさである。

「むむむぅ……」

 もう一度言うが、制御のしやすさが精霊魔術の利点である。

「ぅぅぅぅ…………」

 難しい顔をしたままうなっているレナであるが、残念ながら精霊はほとんど牽引できていない。

 昶の知識によれば、精霊は特定の魔力に集まる性質があるのだが、その魔力がほとんど感じられないのだ。

 これなら、昶の方がまだだいぶ上である。少なくとも、簡単な物理現象位なら引き起こせるのだから。

「超実力派はどこへ行ったんだ~」

「っさいわね! 黙ってろって言ってんでしょ!」




 ドバーーーーーーン!




「…………!?」

 爆発した。いや、正確には爆発したわけではないのだが、そうにしか見えない。

 巻き上がった小石や砂粒が、パラパラと降っては昶の頭や服の中に。もう突っ込み所が多すぎて、どこから処理すればいいのかわからない。

 そんな感じで昶がフリーズしている内に、もうもうと立ち込めていた土埃(つちぼこり)がだんだんと晴れていき、

「……ケホッ」

 土埃でボロボロになったレナが現れた。くせっ毛な髪の毛は、爆発のおかげで寝起き以上に跳ね、顔や制服は砂粒だらけになっている。

 それからもう少しして煙が完全に晴れた所で、ようやく昶が口にした言葉は、

「……なにやってんだ」

 土埃の巻き添えにされた仕返しも含めて、冷ややか~な目でレナをジロリ。

「ち、ちょっと、失敗しただけよ」

「ちょっと、ねぇ」

 一歩間違えば大惨ことなのが、ちょっとの失敗らしい。なら大きな失敗だとどうなるのだろうか。あまり考えたくない。

 今のも、レナを中心に半径五〇センチ辺りの位置から、幅一メートルくらいの部分がえぐれている。

 さっきのそよ風とは比べ物にならない、(昶にとってはそうでもないが)恐ろしい威力だ。

 ──こいつ……。

 だが、今ので『超実力派』の意味がよく解った。

 ──魔力の制御がすげー下手なんだな。

 魔術と言うのは、多分に先天的才能──血統──が物を言う技術体系である。生涯努力し続けても一つの技術しか習得できない者がいる一方で、生まれながらに百の技術を習得している者もいる。それが魔術だ。

 そう言う意味で、レナには才能があると言えるだろう。単なる感情の高ぶりであれなのだから、ちゃんと制御すればかなりのものになるはずである。

 とそこへ、

「もう、レナったら。制服が土まみれじゃないの」

 いつの間にか来ていたシェリーは、背中越しに両の手でレナの制服をぱたぱた。それからブラウスの袖でレナの顔をゴシゴシ。

 なんだか、本当の姉妹のようである。もちろん、姉がシェリーで、レナが妹だ。やられるレナの方も、されるがままになっているので余計にそう見えてしまう。

「もう、シェリーっ、たら……。自分、でっ、できる、わよぉっ!」

 ──か、可愛い……。

 不覚にも、ついそんなことを思ってしまった。

 昶は顔面に血が集まるのを自覚して、真下を向く。実は女の子二人が仲良くしているシーンも、あまり目撃した経験がない。

 それだからか、自分のことでもないのにすごく気恥ずかしくなってしまうのだ。

「あら~、どうしたのかな~」

 昶がうつむいているのに気付いたシェリーが、悪戯っぽく微笑みかけてくる。どうやら、昶がなんで下を向いているのか、わかっているようである。

 サキュバスってこんな風に笑うんだろうか、とかけっこう失礼で意味不明なことを考えていた昶。ようやく顔の火照りが治まったのを感じて、ようやく顔を上げて一言。

「なんでもねえよ」

 ぶっきらぼうに言い放った。なんだか、心を見透かされているみたいで恥ずかしく、あまり良い気はしない。

「そういえば、まだ名前聞いてなかったわね。なんて言うんだっけ?」

「昶だよ。草壁昶」

 この世界に来て何度目かの自己紹介である。

「そう、アキラって言うのね。所で、私の名前は覚えてくれてる?」

 昶は、昨日と今朝の記憶をたぐり寄せる。確か……、

「……シェリー、さん?」

「シェリーでいいわよ。堅苦しいのって嫌いなのよね。鳥肌が立っちゃう」

「あぁ、うん、わかった」

 なんか今朝にも同じようなことを言われた気がするのだが、なぜかよく思い出せない。もしかしたら、レナに見事なアッパーをもらった影響ではなかろうか。

 まあなんにせよ、気を使わずに済むのだから、それに越したことはない。とか思っていたら、いきなりシェリーが昶の耳元に。

「面倒かけると思うけど、あの子のことお願いね」

 それだけ言うと、いきなり上半身を後ろにそらし、そのままバック転。直後に昶の頭上を、レナの杖が通り過ぎた。

「シェリ~、あんたなにやってんの?」

「えっとねぇ、ちょっとした頼みごとを」

「どうせ、いかがわしいことなんでしょうが!」

 再びシェリーの腰の位置に、レナの杖がフルスイング。だがこれも胸の位置を軸に、横回転してかわす。なかなかの、いやとんでもない運動神経である。

 力を使えばできないこともないが、素の状態では絶対に無理だろう。

「レナ、決めつけるのは良くないわよ? もしかしたら、真面目な話かもしれないじゃない」

「あんたが真面目な話なんてしたことあったかしら?」

「う~~~~んとねぇ……。あれ、今年はまだしてないかも!?」

「自分で驚いてるんじゃないの!」

「こら、なにを騒いでいるんだい。騒々しい」

 シェリーとレナがじゃれ合っている所へ、男子生徒がやって来た。ここにいるということは、一年生なんだろう。身長は一七五前後、緩やかなウェーブのかかった金髪に、ブラウンの瞳をした少年である。

「別にいいでしょ、今は自習の時間なんだから。それに私は、あんたと違って近接タイプなの。相手がいないんだから仕方ないじゃない」

「だったらそこの劣等生に、少しはコツを教えてやったらどうなんだい?」

 と、男子生徒はレナの方をちらり。見られたレナの方は、居心地の悪そうに視線をそらした。

「もうちょっと言葉遣いには気をつけなさいよ。私のレナを傷付けたら、あんたでも許さないわよ。ミゲル」

「別に君の許しなんて必要ないだろう」

 シェリーと男子生徒──ミゲル──との間で、膨大な熱量を持った視線が交錯する。

 交錯する視線はバチバチと火花を散らし、まるで周囲の温度までもが上がっているような気さえした。

 そこへ、

「あたしがいつあんたのもんになったのよ」

 痺れを切らしたレナが、横槍を突っ込んだ。首に腕が回されたままで息苦しいのもあったのだろう。

 恥ずかしさとは別の意味で、顔が真っ赤になっている。

「あんた、ちょっとは空気読みなさいって」

 シェリーは呆れた表情で、レナに力のない突っ込みを入れた。

 ほんの数秒前まで一触即発の状態にあったシェリーとミゲルも、これには盛大に肩をすかされた気分である。なんで争っていたのかも忘れてしまうくらいに。

 と、その場が丸く収まろうとしていた時、

「うっさいんだよ。一年坊主ども」

 例のくすんだ金髪の三年生が、そこに立っていた。

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