第十一話 感謝祭ネプティヌス Act04:エルザの思惑
ほどなくして、お嬢さま二人に従者二人が合流した。
するとちょっとだけお姉さんっぽいレナが、早く早くとせかすエルザをたしなめていた所に出くわした。
「日頃『あたくしを子供扱いしないでくださいっ!』って言ってたけど、こりゃまだ無理だな」
ネーナは横目ににやりとエルザを見やる。
「ち、違います! ここ、これはですね……えぇっとぉ……あぅぅ」
どうやら、上手い言い訳を思いつかなかったらしい。
そんな感じでじゃれ合いつつ、レナは友人達へのお土産を選ぶ。
男子二名の方はだいぶ適当だったが、貴金属や宝石をあしらったアクセサリーにしたようだ。
どれも目玉が飛び出るくらい高いんだろうなぁ、とか考えつつ昶はレナのお土産選びを観察していた。
さすがにこの人だかりの中を荷物を持って歩く気はないらしく、自分宛で学院まで宅配してもらうようである。
そんなこんなでお土産選びも一段落した所で、時刻はネフェリス標準時で七時前となった。地球で言えば午後二時前ほどの時間になる。
昼食を終えた人々で街道は再び混み始め、あちこちから喧騒が飛び始めた。
「土産も買ったし、次はなにするんだ?」
と、大きく伸びをしながらレナとエルザにたずねる昶。
昨日の夜遅くに竜籠につめ込まれ、慣れない格好でのボディーガードにいい加減疲れてきた。いつもやっている朝の修練をしていないのも、原因の一つである。
思いっきり身体を動かしたい気分だ。
よくよく考えれば、護衛の仕事なんてやったことがない。
あえて例を挙げるならば、“イレーネ”と名乗ったエルザを都市警備隊の連中から守ったくらい。
と、昶はそこで妙な視線に気付いた。
「あの、どうしたんですか?」
昶が視線の発生源を振り返ってみると、そこにはこれまた妙にニヤニヤしているエルザの姿がある。
「えへへぇ。実はですね、アキラさんとネーナに参加してもらいたいものがあるんですがぁ……」
昶は考えてみた。
エルザの『参加』という単語から察するに、恐らく大会かなにかだろう。
そしてネーナとセットということは、絶対に頭を使うような大会ではない。絶対に身体を使う方だ。断言してもいい。
また、エルザ自身が出ないということは、参加することによってなんらかの危険が伴うと考えられる。
となると、導き出されるのは頭は使わず身体を使うもので、かつ参加すればなんらかの危険がともなうもの。
「これです!」
ポスターのようなものが、エルザの手からじゃじゃじゃーんと公開された。
文字の読めない昶とネーナに変わって、レナが大きく書かれた赤文字を読み上げる。
「『第七二回ネプティヌス海竜レース。優勝商品はシュタルトヒルデ最高級ホテルの特等席にてお食事ご招待』だって」
「夜には花火も上がるんですよ!! それをあそこの最上階から見られるなんて最高じゃないですか!!」
と、エルザはキャーキャー騒ぎながら、周囲の建物の二倍はありそうな建造物を指差す。
エルザの言うように、あそこなら視線を遮るものもなく、他人の目もないので羽を伸ばしてみるじっくり見ることができるだろう。
「ってこれ、さっき見てたあれじゃねえか!?」
あまりの衝撃に、昶は思わず大声で突っ込んだ。
そしてそれは、ネーナも同じだったらしい。
数秒かけてようやくエルザの言葉の意味を理解し、引きつった顔のままで海の方――正確にはシュタルトヒルデで一番大きな港の方を指差し、
「あれに出ろと?」
と、口をなわなわと震わせながら、ようやっとそれだけの文章を口にした。
「はい。そして優勝してください! 花火が見たいです!」
ようやくそのことを理解してくれた二人に、エルザのお目々はお星様でいっぱいにして昶とネーナを見つめる。
それはもう、悪意なんて欠片もない無垢で無邪気な顔で。
だが、それとは反対に三人の――特に昶とネーナの顔はこれでもかと言うほど暗かった。
「確かに、訓練で竜に乗ったりはするけどよぉ……」
「それならなおさらいいじゃないですか!」
「ありゃ飛竜だ! 海竜じゃねえ!」
ネーナはエルザからの無茶振りに、思わず大声で反論する。
それもそのはず。飛竜は空を飛ぶものであり、海竜は水中を泳ぐもの。
飛竜と同じ操縦方法で、海竜を操れるわけがない。
更に、
「それにお嬢様、その海竜はどうなさるおつもりですか?」
レナも知識を総動員して必死にエルザを説得する。
ネーナが海竜の操縦ができるならまだしも、そうでないのならば論外だ。
エルザの付き人であるネーナはまだしも、昶はそうではない。無理してエルザのわがままに付き合う必要はないのである。
それに万が一海に落ちて風邪でも引いたら、昶も辛いであろう。
「海竜は各人で用意するか、ない場合は登録時に大会運営本部に書類申請して借りるかしなきゃダメなんですよ? そっちはどうするんですか!」
もちろん、レナも何度かひどい風邪を経験したことがある。
高い熱がでたり、関節が痛くなったり、頭やお腹やのどが痛くなったり、くしゃみ・咳・鼻水が止まらなかったり、身体がガクガク震えたり。
あとお嬢様にあるまじきことだが、思いっきり吐きたくなったりもする。
早く治そうと思えば苦い薬も何回も飲まなければならないし、しかも即効で効果がでるわけではない。
だいたい薬を飲めば一日で症状は緩和されるのだが、その間にも辛い症状が続くのだ。
そんな辛い思いは、昶にさせたくない。
「あ、そっちなら問題ないですよ。お姉さま」
しかし、エルザは微塵も揺らがない。
こんなこともあろうかと、と言わんばかりにジャジャーン! と一枚の書類をレナに見せつけた。
ポスターの時もだが、一体そのエプロンドレスのどこに隠し持っていたのだろうか。
「登録時にそっちの書類も書いて、運営本部に申請済みです!」
レナはエルザの取り出した書類を、穴が開きそうなくらいじぃぃっと見つめる。
それは確かに、運営本部から発行される海竜の貸出許可証である。
レナは見間違いかと思い、もう一度上から下までじっくりと見つめるのだが、残念ながら目の錯覚ではないらしい。
「でもこれ、一体どうやって申請したんですか? 前にシュタルトヒルデ来たときは、付きっきりだったはずなんですが」
エルザの護衛官であるはずのネーナは、目を真ん丸にして驚いた。
前にシュタルトヒルデに来た時は、付きっきりで警備にあたっていたはずなのだ。
「こっそり抜け出して出してきました。書類は事前に取り寄せていたので、時間はそんなにかかりませんでしたよ」
「参加申し込みはまだしも、海竜の貸出申請には身分証明になるものが必要じゃありませんでしたか? まさか、ご自分のを使ったわけではないでしょ?」
書類に目を通し、不審に思ったレナも質問をしてみるのだが、
「もちろんですお姉さま。そこはちゃんとネーナのを使わせていただきました」
「オレのかよ!」
ここでまた、驚くべき新事実がいくつも発覚。
しょっちゅう脱走するエルザであるが、見つかってばかりではなく、見つからずに帰ってきた例もあるらしい。
エルザ本人は気にしていないようだが、この穴だらけの警備はいかがなものかとレナと昶は思った。
しかもこの姫様、手癖まで悪いらしい。
恐らくは、近衛隊の所属を証明する書類かなにかだろう。
それまで本人に無断で拝借して、貸出許可証を申請するとは……。
三人とも呆れて物も言えない。
「と、いうわけで、準備は万端です。会場へ参りましょう。レースは確か七時半からですよ!」
エルザはくるりと反転すると、まっすぐに港の方――海竜レースが行われる会場へと歩き始める。
「ってぇ!! だからオレは海竜の操縦なんてしたことねぇっつつってんだろうが! 出ねぇからな、オレは」
と、まだなお反抗を続けるネーナに対して、エルザはにししと含みのある笑みを浮かべる。
それはまさに、小悪魔という表現がぴったりだ。
さっきまで忠犬のようにふるふる振っていた尻尾が、今は先っぽのとがったくねくね動く尻尾に見える。いや、実際は見えてないのだが。
あくまで、昶のイメージである。
「では、ネーナに命令です! 海竜レースに参加しなさい! 参加費も海竜を借りるお金も、あたくしのお小遣いから出したんですから!」
びしぃっと指を差しながら、エルザはネーナに、王女殿下として命を下す。
これにはネーナも、うぅぅ……、と苦い顔。
例外はいくつかあるのだが、近衛隊のメンバーは、自分が護衛に当たっている人物の命には従わなければならない。
ネーナはそこまで厳密に守っているわけではないが、ミゼルがいない時なんかだとやっぱり抵抗がある。公務員として。
「あんたねぇ……」
と、それを見ていたレナが、
「職権濫用なんてしてんじゃないわよぉおおおお!!」
ぶち切れた。
羞恥心からではなく純粋な怒りから、顔が真っ赤になっている。
つり目は限界までつり上がり、これにはさすがのエルザも表情を引きつらせた。
しかし、一体なにが彼女をそこまで駆り立てるのか、エルザはここでも反撃に出る。
それも、
「お、お姉さまこそ!」
レナに言われた職権濫用的手口で。
「が、学院の成績は大丈夫なのですか!」
「うぐぅ……」
レナが口どもったのをいいことに、つい先ほどまで怯えきっていたエルザは攻勢に回る。
「お姉さまが実技の点数が低いのは前々から存じ上げていたのですが」
「ちょっと待って、なんであんたがあたしの学院での成績知ってんのよ……」
「まさか進級に支障をきたすほどだとは思いませんでした~」
「って聞きなさいよ!」
王女殿下をあんた呼ばわりする辺り、レナは普段からは考えられないほど取り乱しているらしい。
「学院長先生も、心配なさっておられましたよ。このままではお姉さま、留年してしまうかもしれないと」
「あんの学院長……人の成績をべらべらと……」
「そこで、お姉さま。安心して二年生に進級したいと思いませんか?」
と、恐怖と戦いながらエルザ、極上のスマイル(黒)。
負のオーラをまとった、センナのどす黒い笑顔に勝るとも劣らない、とびきりの笑顔である。
どちらが上かと言われれば僅差でセンナであるが、今のエルザからも物凄い圧力を感じる。
それもそのはず。相手は自国の姫君、つまりは国家権力そのものなのだから、感じるプレッシャーも相当なものだろう。
そしてレナの出した答えは、
「し、しん、進級、したい……です」
やはり、巨大な権力の前に成す術もなく敗退した。
よっぽど悔しかったのだろう。
まず膝が地面に落ち、それから両手を付いてがっくりと頭を垂れる。
スカートの裾はいつもより長いので下着の見える心配はないのだが、周囲からは好奇の目で見られているのも気にならないくらい落ち込んでいるらしい。
まあ、身なりのいい美少女達が大声で怒鳴り合い、あまつさえその一人が四つん這いのポーズでがっかりしているのだ。
嫌でも目に留まるだろう。
さすがにこれには昶も危機感を感じたので、
「帰ったら俺が教えてやるから、今は元気出せ。な?」
と、レナの耳元でささやいてから、強引に立ち上がらせる。
その前方には、テンションマックスでスキップするエルザの姿と、完全にあきらめモードでその後ろに追従するネーナの姿が映った。
そんなわけで、昶とネーナは運営本部の係員に案内されて、海竜の繋留所へ来ていた。
操縦は、やはりネーナである。
レナも自分の領地で飛竜を操作した経験があるのだが、こんなバカげた行為に付き合わなくてもいいと、昶とネーナがきっぱり断った。
昶とネーナならよっぽどのことがない限りは死にはしないし、それにエルザがレナの腕に抱きついて離れなかったのも大きい。
「それでは、開始五分前になったら移動になります。その時は係員が呼びに来るので、指示に従ってください」
「りょーかい」
「わかりました」
係員は、簡単なルール説明と大会の進行について説明すると、そそくさと帰っていった。
ネーナと昶は軽く返事を返しながら、係員の背中を見送る。
時間にルーズなわけではないのだが、割といい加減なのか時計の針がスタート二〇分前になっても、まだ来ていないグループもあるようだ。
まだいくつか、選手の着ていないスペースがある。
「わりぃな。うちのがまた、わがまま言っちまって」
「いいですよ。別に俺、泳げますから」
腰にはかなりの重り――村正とアンサラー――があるが。
「そんで、ルールはわかったのか? オレよく聞いてなかったかんだが」
「たいしたルールでもないですけどね。海竜を直接攻撃しないなら、操者をいくら妨害してもいいんですって。これで」
と、昶は先ほど渡された弓と矢を見せた。
矢の先端は当たっても怪我をしないよう、鋭利な鏃ではなく丸い重りのようなものになっている。
もっとも、それでも当たれば骨折、打ち所が悪ければ死んでしまう可能性もあるので、鎧を身に付けるよう義務づけられている。
無論、こちらも運営本部からの借り物だ。
ちなみに、こっちにはあまり予算をかけてないらしく、非常に重い。
「そんな矢、当たってもこのクソ重たい鎧ならバランスも崩れないだろ」
「でも午前中に見てたレースでは、けっこう落ちてましたよ? こう、つるんって感じで」
「マジか?」
「マジです」
そうこう無駄話をしている内に、移動の時間になったらしい。
「それでは、午後の部、予選の最終組の皆さんは、海竜に搭乗して移動を開始してください」
もう冬だというのに、汗だくでくたくたになった係員が呼びに来た。
一日中駆け回って疲れたのだろう、テンションは下限を振り切っていて死んだ魚のような目をしている。
「行くか」
「行きましょうか」
ネーナと昶は、係員に負けないくらいのローテンションで、海竜に搭乗した。
ネーナは飛竜の操縦経験をもとに、海竜をなんとか定位置まで移動させた。
間違って水中に潜らないか心配もしたが、ちゃんと調教されているのかそんなことはなかった。
だが、その乗っている海竜に少々問題がある。
「連中なに考えてんだ? パルバクルスは、確か肉食だった気がすんだが……」
とかぼやきながら、ネーナは海竜の口からのびる手綱をぎゅっと握る。
パルバクルス。先ほどは遠くからでよく見えなかったが、頭まで含めて全長は十メートルないくらい。
イメージ的には、イルカと竜をくっつけたような感じだ。
鋭い歯がきれいにそろった細長い口、泳ぐのに適した微細な竜鱗、四肢は通常の海竜の水掻きより大きく、尻尾はほとんど尾ひれのようになっている。
竜鱗は全体的に鮮やかな青で、お腹の方は白っぽい。
「でも、飛竜にも肉食ってけっこういるんじゃ?」
「いやまあ、そうなんだけど。あんま餌食ってるとこ見ないからさぁ」
「それよりも、このぬるぬるの方が問題だと思うんですけど」
「それを言うな。なんとかこらえて手綱握ってんだから」
とか言ってる間にも、落馬ならぬ落竜しそうになったネーナは、大慌てで上半身を移動させてバランスを取る。
重い鎧を着込んでいるのに、あんなしょぼい矢で本当に妨害できる疑問に思っていた昶とネーナであるが、これならば可能であろう。
例え妨害を受けなくても、集中力を切らせばそのまま海にドボンしてしまいそうだ。
先ほどのネーナのように。
「ところでアキラ、お前って弓矢使えんのか?」
「まあ、一応は。せいぜい、止まってる的に当てるのが限界ですけど」
余談であるが、その止まった的への命中率は、レナの魔法の成功率と五分五分である。
「にしても、この鎧重いなぁ……。普段着てるやつの倍以上はあるぞ? これで海に落ちたら、間違いなく沈むだろ」
「そんなん言ってたら、俺なんて着たこともないんで見えづらい上に動きづらいんですけど?」
「いざとなりゃ、肉体強化でも使ってなんとかすんだな。レアスキル持ち」
「ネーナさんも使えるでしょ。肉体強化」
「お前のほどじゃねえよ」
と、相変わらず後ろ向きな会話で時間をつぶしている間に、スタートの準備が完全に整ったらしい。
昶とネーナは、もう一度自分達の状態をチェックする。
矢のストックは、パルバクルスの胴体に巻き付けられた筒に入っているので、弾切れならぬ矢切れになることはないだろう。
馬具みたく座るための装備がないのは、あの攻撃力のない矢で海に落とすためだから仕方ないとして。
レースに参加するのは全部で十八組らしいが、三組は棄権のため残りは十五組。
全員鎧を着込んでいるので素顔を見ることはできないが、緊張感という圧力が四方から押し寄せてくる。
それと、空中には杖にまたマグスが、十二、三人ほど待機している。
恐らくは、落竜した選手を救助するための人員だろう。
確かにあれなら、迅速な対応ができそうだ。
『さあさあお待ちかね、これより海竜レース午後の部、予選最終組のレースを開始します! 各選手、手綱を握れ! 弓を構えろ! この後の決勝戦に参加できるのは、上位二組だけだぁあああ!』
実況らしいハイテンションな男性の声に、会場がわっと盛り上がった。
昶は体内を流れる木行の流れを強化して、視力を向上させる。
レナの魔力を感じる方向――七時の方向――へ振り返ると、石組みの防波堤に身を乗り出すようにして手を振るエルザの姿が見えた。
お淑やかさは欠片もなく、ぶんぶんと激しく手を振っている。
隣にくっついているレナも昶に気付いたのか、まあほどほどに頑張りなさいよ、的な目で手を振ってくれた。
「ネーナさん。ぶんぶん手ぇ振ってますよ。ネーナさんのお嬢様」
「ったく、普段人に淑やかにしてろっつってたのはどこのどいつだよ」
と、口ではぶつくさ言いながらも、内心では照れてるっぽい。
なんだか、さっきよりそわそわしている感じがする。
『それではぁぁ、各選手スタートの準備! カウント五秒前! 四! 三! 二! 一!』
――――――ドーーーン!
盛大な空砲が、シュタルトヒルデの上空に響き渡った。
“ノウラ”に先導されるまま、ヴェルデは白銀の鎧と“ツーマ”を伴って重厚な鋼鉄の扉をくぐった。
先ほどの部屋と同じく四方を鋼鉄の壁に覆われた空間だが、こちらは秩序と静謐に満たされた空間となっている。
室内を照らすのは、メレティスより輸入した白色電球だ。
その人工の明かりに照らされるのは、周囲の壁と同じ素材の鋼鉄の長テーブル。
長テーブルの両側には、それぞれ七人ずつほど厳つい顔をした人間が座っている。
そして背後には、付き添いと思われる者達が一人ないし二人は控えていた。
誰もが、一癖も二癖もあるような人物ばかり。
その中には、前回のフィラルダの市長が惨殺された日、会議にいた二人の老人の姿もった。
「遅いではないか、議長閣下」
「待ちくたびれましたぞ」
「さっさと始めてくれ」
「聞かせていただこうか、今後の方針をな」
ここにいるのは大半が国内の保守派の有力領主、あるいは国の重要な役職に就く者達ばかりだ。
待たされていた者達は、不機嫌そうにヴェルデをにらみつける。
もっとも、当のヴェルデはその険悪な視線すら涼しげに受け止めているが。
そうしてヴェルデは、一番奥の席に深々と腰かけた。
「皆様方もご覧になりましたかな? 先ほどの部屋を」
その言葉に誰もが息をのんだのを感じて、ヴェルデは悦に浸る。
白銀の鎧をまとった青年も感じた。
さっきまで威圧的だった雰囲気が、強烈な畏怖の感情へと一変するのを。
「あんなものを作って、どうするつもりだ? 我々は現在の国王の政策には反対であるが、民にまで被害を及ぼすつもりはない」
と、豊かな白髭を蓄える、恐らくはこの中でも最高齢と思われる人物が口を開いた。
しかしそれを、
「はっ、これだから老いぼれは。甘っちょろいんだよ!」
反対側に座る異様な姿の若者――年齢は二〇代後半から三〇代前半ほど――が、鼻で笑い飛ばす。
「自分達が戦乱の時代でヒサンな経験したからって、なんでもかんでも穏便に済ませようとすんじゃねぇよ」
ぼさぼさの荒々しい頭は否が応でも野生児を連想させ、染色しているのか色彩は人目を引くパステルグリーン。
だが、それ以上に人目を引くのは、奇怪な紋様が描かれた青年の右腕である。
肩の付け根から手首の辺りまで、びっしりと様々な図形や文字が掘られているのだ。
「黙りなさい。異法なる旅団の分際で、そのような口を聞くなど。なんなら、この場でその首をはねて差し上げてもよろしくてよ?」
その青年の態度に、四〇代ほどの年齢の女性が声を荒げた。
翡翠のような瞳が、キッと青年をにらむ。
「おぅおぅ! やっぱそうこなくっちゃなあ! いいぜ、はねられるもんならはねてみろや、こら!」
が、青年も売り言葉に買い言葉、鋼鉄の長テーブルに足をかけ相手の女性に食ってかかった。
感情の高ぶりに呼応して、青年の全身からすさまじい量の魔力があふれ出す。
と、そこへ、
「はァァ、うるさィよ」
バチィィ……、と二人――青年と女性の間を、黒い雷が駆け抜けた。
黒い雷は、進行方向にある重厚な鋼鉄の扉を深々とえぐる。
その魔法の正体を知る二人は、驚愕に打ち振るえながらも攻撃の飛来した方向へと目をやった。
「お二方とも、ここは子供の遊び場ではないのだ。少しは時と場所を考えたらどうなのかね?」
ヴェルデはたっぷりと余裕を含んだ表情で、青年と女性をさとすように言葉を紡ぐ。
その高圧的な視線に、女性は渋々と席に着いた。
だが、青年の方はそうでもなかったらしい。
「ざけんなよ。こんなことしでかしてる時点で、甘いことほざいてる能天気がいるから、こんなこと言ってんだろが」
先ほどまで女性に向けていた殺気にまみれた視線を、ヴェルデの方へと向ける。
が、そこで誰かが青年の服の裾をくいくいっと引っ張った。
「スメロギ様、お控えください。本日わたくし達がこちらに参ったのは、捕縛されている者達を解放するためです。ここで暴れたとしても、なんの解決にもなりません」
服の裾をつかんでいたのは、青年より一回り若そうな女であった。
深々と帽子をかぶっていて顔はわからないが、ボディーラインは全体的にほっそりしている。
「……ちっ。わーったよ」
青年は舌打ちしながら席に着く。
ただし、話し合う気はわずかもないようで、長テーブルの上に両足を投げ出してヴェルデをにらみつけた。
「うちはあんたらに雇われただけの、単なるゴロツキ集団の一つさ。あんたらの決めた方針にゃあ従う。そっちがうちらの条件を飲んでくれるならなぁ」
「言ってみろ」
「フィラルダでの王女様誘拐。その次は王立レイゼルピナ魔法学院の襲撃。そん時に捕まったうちのメンバーを解放しろ。そしたら格安で依頼を受けてやる」
頭に血が登っている様子はない。青年の声は冷静そのものだ。
だがその口から語られた内容は、誰もが驚愕を禁じ得ないような内容だったのである。
フィラルダでの誘拐未遂事件。これはリーダー以外、全て逮捕された。
個々の能力はそれなりに高いが、せいぜい都市警備隊の駐屯組の魔法兵程度なのでこちらはまだいい。
問題は先日起きた、王立レイゼルピナ魔法学院を襲撃した者達の方だ。
この事件で捕らえられたのは、通常の十倍近いサイズに達する全身武装鎧を扱う男。
もう一人は、王都から派遣される都市警備隊の者達を簡単にあしらうような男。
このどちらか一人ないし両方が、自分の組織のメンバーだと言ったのだ。
「いいだろう。その程度ならどうとでもなる」
この中でほぼ唯一表情を変えなかったヴェルデは、本当になんともないような雰囲気で、青年の要求を快諾する。
「ならいい。さっきババァの言われた通り、なんもしゃべんねえから、勝手にやってくれ」
長テーブルに両足を乗せたまま腕を組み、イスに浅く腰かけた青年は本当に口を閉じたまま開かなくなった。
つい先ほどまで放っていた強烈な殺気の圧力も、完全に霧散している。
場が良い感じに静まった所で、ヴェルデは過日のレイゼルピナ魔法学院襲撃の際、“ユリア”に奪取させたある書物を取り出した。
いや、正確には記録と報告書をまとめたもの、とでも言った方が正しいだろう。
それは、レイゼルピナの現在の王国軍に関する資料であった。
どの都市・領地に誰がいるのか、各魔法兵の能力はどれくらいか、装備のレベルはどれくらいか、最近の軍事記録等々、ありとあらゆる記録のかかれた、恐ろしく分厚い。
「はァ、なんかつまんなそうだし、ボクは外で待ッてるから」
そう言って、“ツーマ”は先ほど入ってきた鋼鉄の扉から姿を消す。
「それでは、始めようか」
“ツーマ”の姿を見送った所で、ヴェルデの声が鋼鉄の会議室に木霊した。