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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第十一話 感謝祭ネプティヌス Act02:熱狂する海岸都市

「お姉さま! 見てください! すごいです、水竜があんなにいます!」

「わ、わかってるから。見ればわかるから。だからもう少し落ち着いてください」

 さて、エルザがなにに興奮しているのかと言えば、海の上を飛沫を上げながら疾走する十匹以上の水竜である。

 水竜とは、その名が示す通り水属性の竜種だ。水竜と一口に言っても様々な種類があり、今レースを繰り広げているのは海中をテリトリーとする種類――主に海竜と呼ばれる種類である。

 海水や水圧等の特殊な環境下に対応した分厚くしかし非常に小さな鱗。また翼は退化しているが、代わりに指の間には水掻きがある。そして最大の特徴は、肺だけでなくエラでも呼吸できる点だ。

 もっとも、海竜と呼ばれるだけあって、川や湖といった淡水中での活動はできない。

 現在レースを行っている海竜は、全体的に紺と淡い緑を基調とした竜鱗である。

「お姉さま、あれってなんて種類の水竜なのですか?」

「ここからじゃ、よく見えないって……。あと、海竜って言った方が正しいですよ。水竜じゃくくりが大きすぎますから、そう呼ぶのが習わしなんです」

「へぇぇ。お姉さま、お詳しいですね」

「伊達に魔法学院で講義受けてないですから。それと、これ一般常識ですからね。むしろなんで知らないのですか、お嬢さま?」

「はは、はははは…………」

 エルザは大好きなお姉さま(レナ)の視線に耐えきれず、さっと顔を背けた。

 二人がいるのは、シュタルトヒルデの防波堤沿いに作られた特設の客席だ。

 イカダをいくつもつないで作られた巨大な客席は、全長百メートルを難なく超える。

 数千人どころか、数万人いても全くおかしくない人数が、本日の目玉の一つ海竜レースに白熱していた。

 もっとも、まだ午後の部と、午前と午後の部で好成績を出した上位十組による最終戦もあるのだが。

「それにしても、本当にすごいわ。海竜は操縦が難しいって講義で言ってたのに」

「お姉さまはできないんですか?」

「あたしができるのは、馬と性格の大人しい飛竜くらいよ」

「飛竜が!? お姉さま、飛竜を操縦できるのですか!!」

「だ~か~ら~、性格の大人しいやつだけだぁって言ったでしょ。人の話は最後まで聞きなさいって言ってるでしょぉ……」

「い、いだいでずお姉ざまぁ」

 エルザの両方のほっぺたをつまんだレナは、ぐぃぃっと引っ張り始める。愛の鞭と言う名のお説教――のようなもの――が始まった。

 つい先日、ネーナの『お仕置き』発言にそんなことして大丈夫かと思っていた張本人が、エルザ(王女殿下)のほっぺをいじっていることをどう思っているのやら。

「相変わらず、学業の方はおろそかになさっているようですね」

「だってぇ。ご指導してくださる先生のお勉強、つまんないんですもの」

「そんなもの、言い訳になりません」

「……お姉さまのいじわる。ぐずん」

 全く自分の味方をしてくれないレナに、涙目になりながらぷくーっとほっぺたを膨らませるエルザ。大好きなお姉さまから怒られてばかりでは、面白くないであろう。

 それでも、大好きなレナの腕はぎゅっと抱きしめていたりする。

「泣いたってダメなものはダメです。それと、動きにくいから腕を抱くのは止めてください」

 まあもっとも、

 ――年下のくせに年下のくせに年下のくせに年下のくせに年下のくせに…………。

 腕を抱かれているレナの方は、年下であるエルザの方が自分より胸があることにイライラしていたのだが。

 ――なによ、あたしだって(たぶん)日々成長してるのにそれより大きいとか理不尽じゃない、いったいあたしがなにしたって言うのよ。

 もう、荒れに荒れている。積乱雲のまっただ中くらい

「…………ずずぅ」

 鼻のすする音にレナは隣を振り向くと、エルザが下を向いたままぐずっていた。大きな目にはいっぱいに涙がたまり、今にも溢れ出しそうだ。

 これにはさすがにレナも、ちょっとばかし罪悪感を感じたらしい。

「……はぁぁ」

 ため息をつきながら、レナはエルザの手を握ってやる。

「お、お姉さまぁ……」

 と、感激の吐息をつきながらぱぁぁっと明るい笑顔に。それから、もう離しませんとばかりに軽く握られたレナの手を、両手でぎゅうっと握りしめた。

 そんなエルザの様子に、レナもまんざら悪い気もしないようである。

 隣できゃあきゃあ言っているエルザに、レナはほんのりと頬を染めるのであった。




 その頃、昶とネーナはどこにいたかと言うと、

「楽しそうだなぁ、姫さま」

「いやでも、ほっぺたつねったりして大丈夫なんですか……」

 レナとエルザの位置から、後方五列目の座席を陣取っていた。

 人の密度は街中の大通りよりマシだが、どっちみち人混みがすごいことに変わりはない。

「ま、いいんじゃね。あんなに他人に気を許してるとこ、滅多に見れねえんだし。オレやミゼル以外は」

「そうなんですか……?」

 とのネーナの発言に、昶はエルザといた時のことを思い返してみる。

 一回目はフィラルダ、“イレーネ”と名乗って半日ほど連れ回された。

 二回目はレナの部屋、フィラルダで付き合ってもらったり助けてもらったお礼として“アンサラー”をもらった。

 どちらも今目の前にいるエルザと、なんら変わりのない姿であったように思う。

 それがネーナの言うような、普段は滅多に見られない姿とはとても思えない。

「そうは見えないですけどね」

「おっと、動き出した」

 動き出したエルザとレナを見て、ネーナも立ち上がる。昶もそれを追って席を立った

 どうやら、海竜レースの結果が出たようである。

 魔法文字によって音量を何十倍にも拡張された結果発表の声が、会場いっぱいに響き渡った。拡張のされすぎで、音が割れているのはご愛嬌。

 もっとも、最初から全くレースを見ていなかった二人にはどうでもいいことである。

「しかしまあ、そう見えなかったのは、あのレナって嬢ちゃんと一緒にいるからぁ……でもないか。フィラルダじゃあ、お前ら二人っきりだったわけだしな」

 ネーナは顎に手を当てて超貴重な考えるポーズを披露すると、昶の方を振り返った。

「やっぱ……勘?」

 疑問系である。

「聞かないでくださいよ。聞きたいのはこっちの方なんですから」

「まあそう言いなさんなって。オレだって正確なことなんざぁ、これっぽっちもわからねえんだから」

「はぁ……」

 昶は曖昧な返事を返しながら、前方を行くレナとエルザの方に目をやった。

 それから目をやって思ったことを一言。

「にしても、なんだかんだで目立ってますよね。あの二人」

「姫さ、おっと。お嬢様にゃあ、もうちょっと地味な服装にしたりカツラでもかぶれっつったんだけど、聞かなくてなぁ。オレらの服装とお前の黒髪隠すだけで精一杯だった」

 ネーナは明後日の方向を見ながら、ひきつった笑みを昶に見せた。

 たったそれだけを勝ち取るだけでも、どれだけ苦労したのかが目に浮かぶようである。

 確かにあの王女様は、こっちの都合なんておかまいなしだからなぁ、と昶は思考を巡らせた。

 昶としても目立つ服装やごてごてとした服は好まないので、今日は本当にネーナに感謝しなければ。カツラが異様に蒸し暑いこと以外。

「服もそうですけど、なんだかんだで元がいいですからね」

「だなぁ。目鼻立ちはくっきりしてるし、小顔でバランスも整ってるし」

「でも、こんな目立って大丈夫なんですか?」

「……大丈夫だ……って、祈っとこうぜ」

「ですね」

 ネーナの提案に昶もうなずき、二人はそろってなにかに祈ったのだった。

 まあ、なにに祈ったかと言われても、ただ『何事も起こりませんように』と念じただけだったりするのだが、それはさて置き。

「ネーナー! 早く早く! みんなであれに乗りましょう!」

「アキラー! あんたも早く来なさーい!」

 二人とも、それぞれご主人がお呼びである。

 昶とネーナは人混みをかき分けながら、レナとエルザの元へと向かった。

 祭りは、まだ始まったばかりである。




 エルザが三人を連れてやってきたのは、先ほど海竜レースをしていたのとはまた別の船着場である。

 海岸部――つまり海岸線に沿って開発されたシュタルトヒルデは、扇状に広がった都市である。円弧の弦に当たる部分は全て海岸であるため、船を付ける場所も一つや二つではない。

 海路用、空路用、貿易用、漁業用、観光用、それぞれ使用される船の大きさや業種に合わせて、いくつもの船着場が作られているのである。

 先ほどまでレースを行っていたのは、貿易用――それも航空型の船を係留するための巨大な船着場だ。客席やレースの関係もあって、シュタルトヒルデで最大の船着場が選ばれたのである。

 それとは打って変わって、今四人がいるのはそれなりに大きくはあるものの、比較的静かで小気味良い大きさの船着場だ。

 頑丈そうな木材を使った幅広の桟橋に、見栄えの良い船がいくつも繋留されている。

「なんか、豪華な船がいっぱいあるな」

「ここは観光用の船を係留してる所よ。珍しい海の景色や魚、あと海竜を見たい客を乗っける遊覧船ね」

 レナの説明にふむふむと相づちを打っていた昶であるが、そこでふとある違和感を覚えた。

「海って珍しいのか?」

 昶としては単に思ったことをそのまま言っただけなのだが、なぜか三人が好奇の視線を向けてくる。

 つい先ほどしたばかりの発言に、なにか変な所はなかったか考えてみるが、思い当たる節はない。

 こういう時は、

「俺、なにか変なこと言った?」

 素直に聞いてみるに限る。

「そういえば、あんたがレイゼルピナ(この国)の地理について知ってるわけないわよね」

 大変失礼な言いぐさであるが、レナの言う通りである。それに、レナの罵倒など日常茶飯事な昶にとって、この程度どうと言うことはない。

 もっとも、本人は慣れたいとは微塵も思ってはいないのであるが。

「丁度いいわ。お嬢様、このバカに説明して差し上げてください」

「あたくしがですか? お姉さま」

 エルザの問いに、レナはうんと頷く。

 ここで普段の勉強をないがしろにしているエルザに、勉強の大切さを教えるつもりなのだろう。

 この程度レナにとっては単なる一般教養であるが、果たしてエルザは答えることができるのだろうか。

「え~っとですねぇ、まずレイゼルピナの主要産業が、内陸部に集中してるからですね。大きな貿易船を留められる湖もあるし、肥沃な土壌もあるし、鉱物資源の採掘所もあるし。でも、海沿いにはお魚さん捕るくらいしかお仕事がないから、そっちはほったらかしになってたので、みんな海には馴染みがないんです。あたくしも、海を見たのは今日が初めてなんですよ。ご本では読んだことがあるのですが」

 顎に人差し指を添えて思いめぐらせたことを、文章にして一気に読み上げる。

 一体なにが起きたのか、三人にはわからなかった。

 たが、一瞬その場の空気が固まったのは言うまでもない。

 特に、もっとおどおどしながら言うと予想していたレナには、かなりの衝撃だったようだ。目を凝らせば、口元が微妙に引きつっているのがわかる。

「お姉さま、いかがでしたか?」

 呆然としていたレナは、エルザに呼ばれてふと我に返る。

 そこには『褒めてくださいお姉さま!』と言わんばかりに、目にいっぱいのお星様を浮かべているエルザの姿が。しかも、撫でてもらうために頭に巻いたスカーフもおろしている。

 勉強の大切さを教えようとしたレナの目論見は、あっけなく失敗に終わったようだ。

「はいはい、よくできました。えらいですよー」

 仕方なく、レナはエルザの頭を撫でてやる。感情のこもってない棒読みだが、エルザは『えへへぇ』と満足そうな笑みを浮かべた。

 その笑顔の、なんと無垢で無邪気なことか。

 意図はどうであれ、エルザを(おとしい)れようとしていたレナはほんの少しだけ罪悪感を覚えるのであった。

「ようは、みんな海に馴染みがないわけね」

 まあもっとも、説明が必要な人間にいまいち意図が伝わらなかったという意味では、エルザの説明は不合格とも言えなくもないのであるが。

「ちゃんと勉強してるんだなぁ。見直したぜ」

「ネ、ネーナ! 痛い、ですぅ」

 と、レナの横から手を伸ばし、ネーナもエルザの頭をぐいぐいと撫でてやる。

 しばらく頭を撫でてから手を離すと、エルザの金髪はまるで寝起きのようにボサボサになっていた。

 エルザは半ば涙目になりながら、レナの影に隠れてじぃぃっとネーナのことを見つめる。

 普段からことあるごとにされているのだが、今日は普段よりひときわ痛かったようだ。

「で、ここにはなにしに来たんですか?」

「あ、はい。あれです」

 昶の問いに、エルザは元気一杯に桟橋の一番奥を指さした。

 さっきから四人の横をすり抜けていった人達が一ヶ所に集まり、そこだけがまるで舞踏会のワンシーンを切り取ったかのように、華やいだ雰囲気をかもし出している。

「なんだあれ?」

「俺に聞かれたってわかりませんよ」

 後ろから聞こえてくるネーナと昶の会話を聞いていたレナは、はぁぁと、呆れたため息をつきながら振り返った。

「あそこに書いてあるでしょ」

 言いながらレナが指さすのは、いかにも上流階級の人で賑わっている所の近くにある立て看板である。

 両手で抱えきれないほど大きなキャンバスに、英語で言うと筆記体のような滑らかな黒の文字列が並んでいる。

「俺読めないから」

「オレ読めねえし」

 と、自信満々に一片の曇りもなく言い切る二人であるが、残念ながら全く自慢にならない。

 昶はともかく、それなりの地位にいるはずのネーナはむしろ恥ずべきだろうと、思わずにはいられないレナであった。

「『海底遊覧船で、幻想的な海の世界を堪能しませんか?』だって」

 仕方なしに、レナは看板に書かれた文章を読み上げる。

 別にどこもおかしな所はないのだが、疑問を持った人物が一人。

「海底? 海底ってあれだよな。海の下の」

「そ、それ以外どんな海底があるって言うのよ」

「だってよ、海の中を走る船なんて聞いたことないぜ」

 ネーナは、レナの読み上げた看板の内容に納得のいかないらしい。

「あたしだって聞いたことないわよ。でもそう書いてあるんだから、あれがそうなんでしょ」

 ――実際、異世界だってあるみたいだし。

 と、レナは昶の方をちらりと盗み見る。どうやら人だかりの方に目がいっているらしく、気付かれた様子はない。

 自分達の世界には無い魔法――いいや“魔術”を行使したり、発動体を介さずに精霊素を制御する技術。そんな物を見せられたからには、信じないわけにもいくまい。

 本人は否定しているようだが、できれば元の世界に帰してあげたい。

 自分を待ってくれる人達がいるのなら、なおさら……。

「そんなことよりさ、さっさと行こうぜ」

 明後日の方向を向いたまま物思いに(ふけ)っていたレナと、まだぶつぶつ言っているネーナの鼓膜を相変わらず覇気のない昶の声が震わせる。

 声のした方向にレナとネーナが振り返った所で、昶は自分の服の裾をぐいぐいと引っ張っているエルザを指さした。

「お嬢様が我慢の限界だってさ」

「お姉さま、ネーナ。早く早く!」

 まだ人は少ないとはいえ、海底遊覧船にも定員があるだろう。

「そうだな。とにかく、行ってみっか」

 ネーナは三人の肩に手を回してにっと笑いかけ、人だかりの方へと歩き始めた。

 その後を追いかけるようにエルザはやや小走りで、昶は大股で歩き始める。

 ――まったく、人の気も知らないでへらへらしちゃって。アキラのバカ。

 自分は昶のことでこんなに悩んでるのに、と不平を心の中で吐露しながら、レナも足早に歩き始めた。




 海底遊覧船の全貌を目撃した四人は、色々な意味で驚きを隠せなかった。

 まず、全然船の形をしていない。あえて例えるとすれば、鉄道車両の前後を拡張したような感じの直方体だ。

 ボディは白く、角は滑らかな円弧を描いていて、なかなか流麗な印象を受ける。

 あとは、海中をよく見えるようにするための配慮なのか、全体的に窓の割合が多いようだ。

 強度的な不安を感じずにはいられないが、こうして大々的に披露しているからには、対策を施されているだろう……、きっと。

「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」

 異様な形の船に意識を奪われている内に、四人の順番が回ってきたらしい。

 黒いスーツに膝丈のタイトスカートを身に着けた女性が、声をかけてきた。

 学院の制服以外ではまず見ない丈のスカートに、昶は思わず見入ってしまう。

「四人です」

 答えたのはレナだ。もちろん、女性も最初からレナの方を見ていた。

 服装的にネーナと昶は従者になり、エルザからは落ち着きというものが感じられないので、レナに話しかけたのは妥当な判断だろう。

 料金の支払いを求められたレナは、カーディガンの内ポケットにしまった皮袋に手を突っ込むと、一枚の金貨を差し出す。

「あ、ありがとうございます! えぇっと、おつりをただいま…」

「おつりはいいわ。持ち合わせがそれしかないこちらに否があるんだから」

 金貨に衝撃を受けている女性をよそにレナはかつかつと、タラップを登っていく。

「ネーナもアキラさんも、早く早く!」

 レナに続いてタラップを登っていたエルザは、まだ桟橋にたたずんでいるネーナと昶に声をかけた。

 よほど楽しみにしていたのか、尻尾でもあれば今にも振り出しそうな勢いである。

 ネーナと昶は目を合わせると、互いに苦笑しながら乗船するのだった。




 内部は思っていたよりも明るく、また広々とした作りになっていた。ゆったりと足を伸ばせる二人掛けの座席が、向かい合うようにずらりと配置されている。

 クッションは卵を落としても割れそうにないほど柔らかく、手触りも抜群に良い。どんな毛を使っているのか気になる所ではあるが、そんなことなんてどうでも良く思えるような映像が、昶の網膜に飛び込んできた。

「もしかして、二階建てだったりするのか、この船……」

「みたいね……」

「だな……」

 昶のつぶやきに、レナとネーナも同意の意を漏らす。

 タラップ横の階段を降りてずらりと並んだ座席に驚いていた三人であるが、よく見ればその更に向こう側に階段が見えるのだ。

 水の圧力を舐めてはいけない。水圧は深さに比例して大きくなる。

 床から天井までの高さがだいたい三メートル超あることを考えると、この階と下の階とでは最低でも三倍以上の差があることになる。

 ちなみに、深度十メートルでは十トンもの圧力がかかったりするわけであるが、強度的にこの船が大丈夫なのか、いよいよ不安になってきた。

「あたくし、下の方がいいです!」

 とまあ、そんな三人の心配もどこ吹く風の如く、テンションがオーバーフローしたエルザを止められる者はいない。

 鳥みたいに床と水平になるよう両腕を上げると、ぶぅぅぅんとか奇声を発しながら下階へと続く階段に駆けて行く。

 こんな姿ばかり見せているからつい忘れがちであるが、これでも第二王位継承権を持つ王女様である。

 そんなエルザの姿を見て、国の将来が不安になるレナであった。

「……行くか」

「……そうね」

「……そうだな」

 エルザのテンションに反比例してなんとも微妙な空気の中、昶、レナ、ネーナの三人は下階に向かって歩き始めた。




 四人が乗り込んでから数分と経たず、海底遊覧船は出航した。特に推進力となるような装置を備えている様子はなく、どうやら複数の海竜に引っ張らせるようだ。

 海中に潜るだけあって、騎手がいる様子はない。なんらかの手段を使って、決められたコースを通るよう調教されているのだろう。

 どうやって仕込んだのかはわからないが、見事なものだ。

 昶、レナ、ネーナの心配をあざ笑うかのように、船体は異音を立てることなくどんどん海底へと潜行していく。

 海底と言ってもまだ浅瀬なのもあって、かなり明るい。

「わぁぁ…………」

 そんな声を上げながら、食い入るように外の景色を見つめるエルザ。

 それもそのはず。少々大きすぎる窓から見える景色は、筆舌しがたいほどに広大で、そして幻想的な世界が広がっていたのだ。

 また、思わず声をこぼしてしまったのは、エルザだけではない。座席のあちこちから、エルザと同じような色合いの言葉が聞こえてくる。

 うっとりとしたため息。小さな子供のはしゃぎ声。その子供をいさめながらも外の景色に感嘆するしわがれた声。

 きっと人生で初めてであろう海底の景色に、誰もが魅せられていた。

「確かに、こりゃいいもんだぜ……」

「海の中って、こんなになってたのね」

 初めこそ乗り気でなかったネーナとレナも、気付けば外の景色に心奪われているようだ。

 そして昶も、例外ではない。

 ――すげぇ……。

 ベールのように揺らめく陽光の隙間を、銀色に反射する魚の群れが通り抜ける。

 かと思えば、草原のように揺らめく海藻の中から、赤青黄と色鮮やかな魚がひょっこりと顔を出す。

 だが、そんなものなど遙か彼方に置き去りにするほど、圧倒的な存在感を持つ者がそこには在った。

「確か……ブラキュリオス、だったかな」

 ネーナはその海竜種の名を口にする。

 長い首に爬虫類然とした長大な顎。ごつごつとした、しかし滑らかな白い体表。

 全長二〇メートル近い体躯が、優雅に海中をたゆたっていた。

「危なくないのか、あれ…………」

「大丈夫ですよネーナ。ブラキュリオスは大人しい海竜ですから。主食は確か、海藻だったと思います」

 窓の向こう側を悠然と泳ぐ海竜――ブラキュリオス――の巨躯に、引きつった表情を浮かべるネーナに、エルザは自慢げに説明する。

 いつもなら決して見られないネーナの顔に、エルザはくすりと笑みをこぼした。

 不甲斐ない姿を見られてしまったネーナもまた、ぽりぽりと頭をかくのだった。




 港のすぐ近くには、小さな馬車が止められていた。

 もちろん、ヴェルデを出迎える為のものである。その馬車の運転席に、黒い人影のようなものが鎮座している。

 いや、人影ではなく、確かに人である。影のように見えたのは、ひとえに漆黒のローブを着ていたからに他ならない。

 口元以外の全てを包み隠すローブは、“ツーマ”と同じく表面をエナメル質の魔法文字が踊っている。

 それの意味する所は、『魔法・物理全ての攻撃の無効化』だ。もちろん、限度は存在するが。

「お待ちしておりました、議長閣下と、その連れの方」

 漆黒のローブの者はヴェルデ達が近付いたのを確認すると、唯一ローブに隠れていない部分――口を動かした。

 男とも、女とも、子供とも、大人とも、老人ともつかない不思議な声で、出迎えの挨拶を述べる。

「そして……」

 二人への挨拶を済ませた漆黒のローブの者は、その後ろへと視線をやった。

 自分と同じく、漆黒のローブをまとった者に。

「久しぶりだね。“ツーマ”。会えて嬉しいよ」

 先の言葉と全く同じくトーンで、同輩のコードネームを告げる。

「ボクは全然嬉しくなイんだケどね。“ノウラ”ってば、暗くテ気味悪イ上に、口が臭いんだカら」

 漆黒のローブをまとった者――“ノウラ”――に対して、“ツーマ”はいかにも不機嫌な口調で答えた。しかも、わかりやすい罵倒付きで。

 だが、“ノウラ”に堪えた様子はない。逆に肩をすくめ『やれやれ、困ったもんだ』と言わんばかりの笑みを浮かべている。

失われた魔法(エンシェントスペル)聖霊魔法(ロギアマジック)を使える君の方が、私にとってはよほど不気味なのだけどね」

 とか言いつつ、運転席から降りた“ノウラ”は、馬車の扉を開けた。三人程度なら、いっぱいまで足をのばしてくつろげるだろう。

 一級品の革張りのソファー、意匠を凝らした金細工、床には赤い絨毯。

 まるでヴェルデの私室をそのまま持ってきたかのような、古く趣深く、しかし嫌みなほど華美な装飾である。

「ボクは上で良いョ」

 “ノウラ”の施しはいらないとばかりに、“ツーマ”は馬車の屋根へと飛び乗った。

 ヴェルデはそれを承知していたのか、はたまたそんな些末なことには興味もないのか、表情を変えることなく馬車へと乗り込む。

 ソファーに深々と腰掛けた所で、ヴェルデは白銀の鎧へと視線をやった。

 乗れ、とでも言っているのだろう。

 鎧をまとった青年も、促されるままに馬車へと乗り込んだ。

「それでは参ります。他の皆様方は、すでにお集まりになっておりますので、少々荒っぽくなりますが、ご了承ください」

 一言詫びを入れた“ノウラ”は無音で、しかし素早く馬車の扉を閉める。運転席に戻ると一五〇センチもなさそうな小さな身体と反比例するかのように、大きく手綱を振るった。

 指令を受けた馬達は、軽いいななきと共にゆったりとした速度で走り出す。

 その馬車の上で、“ツーマ”は呑気に雲一つ無い青空を眺めながら、近付く喧騒に目を細めていた。

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