第十話 おでかけ Act03:籠の中で、そしてラズベリエへ
「アキラ様、先ほどダールトン隊、元隊長が粗相を働いたこと、謹んでお詫び申し上げます」
籠に乗り込みに高度が安定した所で、センナは隣に座る昶に詫びの言葉を述べた。
先ほどの黒センナを思い出した昶は、若干ひきつり気味な表情筋をなんとか押さえ込み、ぎこちない笑顔で『大丈夫です』と返す。
まあ実際怪我をしたわけではないので、大丈夫なのは本当だ。
ただ、
――目のやり場が……。
ないのである。
なにせ、みんなお出かけとあって、けっこう全力でおめかししている上に、うっすらとだが化粧までしているのだ。
それに元の素材も十分以上に可愛いものだから、色んな意味で威力は絶大である。
具体的に言えば、『雷華、四ノ陣――螺』の直撃くらい。
「ごめんねアキラ。まさかあの隊長が、あそこまでバカ親な人間だったなんて知らなくて」
「まあ確かに。あれにはビビったなぁ。色んな意味で」
まずは、昶の左斜め前――向かいの中央――のシートに座るシェリー。
前回と違ってダークレッドを基調とし、遠目にはわからないがバラの刺繍があしらわれたロングスカートを穿いている。すねまである裾には、白いフリルが自己主張しない程度についており、その下には頑丈そうな茶系のロングブーツが顔をのぞかせている。
上は学院ブラウスと、下が若干透けて見える淡いベージュ色のゆったりとしたカーディガンを羽織っていた。
いつもの活動的な姿と比べてお淑やかに仕上がっているので、かなりドキッとするものがある。
こんな服も似合うんだなあと驚く一方で、昶はシェリーの魅力を再認識させられたのだった。
「…シェリーが、気にしなくても、いぃ」
「はい。シェリー様がお気に病む必要はございません。今回の件は、私からもダールトン元隊長に重々言い含めておきますので」
次は昶の正面、シェリーの左側に座っているリンネ。
こちらは袖の長い厚手ワンピースだ。色は髪の色に合わせた明度の高いスカイブルーを基調に、袖口には同色のフリル、裾には白いもこもこした毛あしらわれている。
足下の方も、もこもこの毛が履き口に付いた白いショートブーツ。とっても温かそうだ。
そして上着は前回同様、丈がウエスト辺りまである白いケープ。紐を蝶々結びにした先のポンポンが、なんとも可愛らしい。
まさに“お人形のよう”という表現がぴったりである。
「そうですよ。悪いのはぜぇーーーんぶ、アキラさんにひどいことした、あのおじさんなんですから」
「まあまあ、アイナも落ち着いて。アキラも無事だったんだし。年齢的には確か、もうすぐジイさんなんだけど」
今度は、左隣のシェリーになだめられるアイナだ。
前回フィラルダに行った際、シェリーが買ってくれた服を着ている。
まず目を引くのが、腰から膝まで緩やかなカーブを描く三段のフリルスカートだ。髪と同じ艶やかな黒い生地には、白いフリルがよく映える。
裾の下から顔を出しているのは、白いハイソックスに、黒いローファー。
ブラウスは学院で使っているものだが、首元には蝶々結びに結われた赤く大きなリボンがあしらわれていて、いつもとはまた違った雰囲気をかもし出している。
その上には、二の腕丈の小さな黒いケープ。裾は白いふもふもした毛がついており、リンネ同様こちらも温かそうである。
白と黒のコントラスト、首元を彩るワンポイントの赤が、非常にアイナに似合っている。
特に黒い瞳と髪が日本人を思わせ、それに便乗したドキドキが再び昶の心拍数を跳ね上げた。
ただ、昶から最も遠い位置が不満らしく、終始ご機嫌斜めなのが少しだけ残念である。
「ごめんね、アキラ。ダールトンが、その、迷惑かけて」
「本当に申し訳ございません。煮るなり焼くなりしていただいて、一向にかまいませんので」
そして最後、珍しく謝ってくるレナの服装はと言うと、これまた破壊力抜群だ。
ブラウンを基調とした、チェック柄のロングスカート。足下を飾るのは、小さなリボンの装飾がついた、黒いローファーである。
そこへ中央にフリルの付いたブラウス、学院の赤いネクタイと続き、とどめに瞳と同じ色――緑――のリボンでとめたツーサイドアップの髪。
昶の位置からだと、センナを挟んだ反対側に座っていてよく見えないのだが、身を乗り出してまでつい見たくなってしまうくらい、とびきり可愛い。
また膝の上には、折り畳まれた――髪と同じオレンジの毛糸で編まれたタートルポンチョがある。こいつもたいへん温かそうだ。
「だ、大丈夫だって。なんともないからさ。な?」
――だぁああああ、みんな可愛いすぎるって! なんだよこれ、緊張しすぎて会話すらできねえじゃねえか!
「そ、それにセンナさんも、ほら、俺怪我とかどこもしてませんから、気にしないでくださいって!」
あと、先ほどから、シェリー、センナ、レナの三人から謝られっぱなしで、正直むずがゆい。
できれば話をそらしたいのだが、緊張のためにままならない状態である。
それに女の子特有の、甘くて胸元をくすぐられるような香りも緊張の片棒を担いでいる。
とにかく誰か助けてくれと胸中で大絶叫していると、不意にレナの指先に目が止まった。
「レナ」
「な、なに?」
センナを挟んで、昶とレナは身を乗り出すようにする。
「その手、どうしたんだ?」
「こっ!? ここ、こぉれはその、あのぉ……」
レナの指は、よく見ればどれも包帯でぐるぐる巻きになっていた。
なにか指を怪我するようなことでもしたのだろうか。
「な、なんでもないから! 気にしないで!」
レナはそっぽを向いたまま、両手を太ももの下へと差し込む。
センナだけはなぜかクスクスと笑っているが、他の三人は昶同様、頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
「センナさん、なにか知ってるんですか?」
「ふふふふ。シェリー様、じきわかることですので。もうしばらくご辛抱ください」
この手の話に目のないシェリーを、センナはやんわりと断わる。
待っていればいいとわかったシェリーも、それ以上は追求しない。シェリーの性格を知り尽くした、実に見事な断り方だ。
しかし残りの二人――リンネは本の影から横目でチラリ、アイナは真っ正面からギロリ。それぞれレナを凝視する。
二人とも、レナの指の包帯に興味津々だ。
「まあお二人方とも、はやらないでくださいませ。お楽しみは、後にとっておくものですよ」
が、こちらもセンナから釘を刺され、渋々引き下がる。
再び話題がなくなった籠の中は、きまずい沈黙に包まれた。
「セ、センナ」
なんか話題ないの、とレナはセンナに視線を送る。
「そうですねぇ……」
目をつむり唇に指を添えて思案すること数秒後、センナは妙案を思いついたとばかりに満面の笑みを浮かべた。
だが、その笑顔はなぜか黒い――ような気がするレナとシェリー。そしてやはり、その直感は間違いではなかった。
「では、お嬢さまとシェリー様の昔話などはいかがでしょうか?」
と、とんでも無いことを言い出したのである。主にレナとシェリーにとっての。
「ぜひ聞きたいです!」
「だめ、絶対にだめ!」
「…興味ある」
「センナさんそれは勘弁してください!」
籠の中は気まずい沈黙に満ちた空間から一気に、熱気と混沌に満ちた空間へと早変わり。
まさに、センナ恐るべし、である。
「お嬢さまとシェリー様は反対、リンネ様とアイナ様は賛成。アキラ様はどちらになされますか?」
センナ、またしても爆弾発言をさらり。今度は主に、昶にとっての。
相も変わらず色香の漂う目元や厚い唇も大変危険なのだが、それよりももっと危険なのが女の子達からの鋭い視線だ。
普通なら気恥ずかしさ半分、嬉しさ半分と言った所なのだろうが、今回は違う。
自分の恥ずかしい過去がかかっているレナとシェリーは『賛成しないで』、逆に聞きたくてたまらないリンネとアイナは『賛成して』と目で訴えかけてくる。
女の子に弱い昶にとって、これは実に困った事態だ。
しかも、
『アキラ、お願いだから絶対に賛成しないで!』
再契約の後“ツーマ”を追い払ってから気付いたことなのだが、その時に確立したルートを使って簡単な念話ができるようになったのだ。
今もその時のルートを使って、レナは昶の脳内に直接声を届けてくる。ある意味奥の手まで使って止めようとするとは、よほど知られたくない恥ずかしい過去なのだろう。
だがそんなことを言われると、むしろ気になってしまうというのが人である。
結局昶はと言うと、
「聞きたいです」
自分の興味と、話のネタがないのを理由に賛成側に回った。
もちろん、昶は二人にちゃんと謝った。心の中で。
「それでは、どれからお話ししましょう……」
さっそく唇に人差し指を添えて、記憶を精査するセンナ。
すでに公開することを前提に、話を進めているようである。幾つかある思い出の中から、面白そうな話をピックアップしているのだろう。
時々その時のことを思い出してか、ぷっと噴き出している。
ようやく話題ができて、ふぅぅと一息つく昶であったが、
「…………あれ?」
敵意――と言うより、もはや殺気に近いものを感じるような。
昶が目線だけ動かして様子を確かめてみると、
「……アキラ」
まず目に入ったのは、完全に目のすわっているシェリーの姿。
『……アキラ』
次に脳内へダイレクトに送られてくる、怨念のようなレナの声。
これは、正直とんでもなく怖い。術式を一切使わずに、ノム・トロールと戦うくらい。
「それではまず、シェリー様が初めてアナヒレクス家にお泊まりになった日のことでもいかがでしょう?」
昶がちょっとした恐怖を味わっている間にも、その隣ではセンナがすでに恥ずかしい話大公開の体勢に入っていた。
羞恥心とその他諸々の感情とがあいまって、レナはともかくシェリーまで顔面を真っ赤にしている。
さっきまで昶をにらみつけていた目はどこへやら、どこからどう見ても年相応の女の子だ。恥じらうシェリー、なかなかレアな構図である。
「センナさん、それだけは止めてください!」
「そ、そうよセンナ! シェリーも嫌がってることだし、その辺に」
「しかし、三対二の多数決で決まったことですので、ここはそこに従って」
話したくて仕方がないらしい。もはや誰にも黒センナを止めることはできない。
「アキラ、よくもやったわね!」
「主の命令を無視するとはいい度胸じゃない」
「アキラさん、ありがとうございます!」
「…頑張って」
お怒りの声二つに感謝と励ましの言葉を一つずつ頂いた昶は、ラズベリエへ到着するまで、つかみかかるシェリーとレナをなんとかして取り押さえるのに全力を上げるのだった。
ようやくラズベリエへ到着し、竜の待機場を出た昶は、
「はぁぁ……、疲れた」
心の底から疲れ切っていた。
センナの話をつかみかかってでも止めようとするレナと(主に)シェリーを止めるのが、思っていた以上にきつかったのである。
「お疲れ様でした」
センナは昶をねぎらってにっこりと笑いかける。色香が低めの、爽やかスマイルだ。
昶がこうなった責任の半分以上はセンナにあるのだが、悪びれた様子はどこにもない。
確かに決定打を放ったのは昶だが、実行犯はセンナなのだから。もう少しなにかあってはいいのではなかろうか。
まあそれはさて置き、昶は後方にいる女子生徒四人の方を見やった。
さっきまでは単なる可愛い女の子だったのだが、今は少しだけ趣が異なる。
レナ、リンネ、アイナはそれぞれ一メートルから一メートル半はある杖を持っていた。
そのどれもが、マグスであることを示す発動体である。
これだけでも違和感と威圧感は十分なのだが、とどめを刺したのはやはりシェリーの発動体だろう。
彼女が下げているのは、武器形の発動体。それも身の丈と同等の長さはある長剣である。どう見ても、常人が簡単に振り回せるような代物ではないだけに、これがやたら目立つ。
絶世の美少女達に、物騒な杖や長剣という組み合わせ。
――元から浮いてるけど、もっと浮いて見えるなぁ。
まあ、昶の隣にいるメイド服も、また昶自身の格好も相当浮いているのだが、それもいつものことである。
「皆様おそろいですね」
センナが全員に向かって話しかけた。
点呼の代わりに、あちこちらからバラバラに五つの返事が上がる。
「それで、どこ行くんですか? 私が行った時に、計画しとくみたいなこと言ってましたけど」
「えぇ。この時間なら、まだ公演前に間に合うので、演劇などいかがかと」
そんなわけで、色んな意味で目立っている一行は、はまず劇場へと向かった。
それから、ネフェリス標準時で一時間と一五分五後。
「演劇って初めて見たけど、けっこう面白かったわね」
「シェリーさん、私も初めてです」
「…レイゼルピナの演劇、メレティスより雰囲気があって、よかった」
「私はもう何回も見てるから、違うのがよかったわ」
シェリー、アイナ、リンネ、レナはそれぞれの感想を口にした。
しかも、レナとシェリーの奢りである。アイナとリンネはの分もちろんそうだが、昶とセンナの分も出してくれたのである。
昶はともかくセンナは断ろうとしたのだが、シェリーに連れ込まれてしまい強制的に五人と一緒に見る羽目に。さすがに場違いな空気のせいもあって、終始気まずそうで落ち着かない様子であった。
「アキラは、その、どうだったの?」
レナがちょっと恥ずかしがりながら聞いてきた。
籠の一件で久々にぶち切れたせいか、今朝よりも接し方が自然である。
「そうだなぁ……」
こういういった経験がほぼゼロの昶から見ても、演技の完成度やシナリオ、小道具に至るまで完成度が高いものだとわかった。
それと他にいた客層から考えるに、入場料はかなりのものだっただろう。
――怖いから値段聞くのはやめよう。
「あぁ、うん。よくある話だけど、面白かったと思う」
値段のことは置いといて、思ったことを素直に答えた。命の危険はないにもかかわらず、役者たちの鬼気迫る演技は息をのむほどの迫力があった。
今思い出しても、あの時の緊張感が蘇って来るように感じる。
だが、それと同時にもう一つ別のものが、昶の脳裏をよぎった。
「でもあれ、どっかで見たことあるような内容だったんだよなぁ」
「あぁ、あれ王女殿下の大好きな話だから。『フェルディナント物語』っていう、悪竜を退治した旅人とお姫様の話。聞かされたんじゃない?」
――そういえば。
フィラルダでイレーネと名乗ったエルザに連れ回された時だ。
悪竜退治の本を見せられ、その後に同じ内容の演劇を見せたれたのは、まだ記憶に新しい。
違いがあるとすれば、こちらの方は作りが本格的なのに対し、向こうは安物な三文芝居だったくらいだろう。
「あぁ、それか。どうりで見覚えがあると思ったら」
もやもやが晴れて、ほんの少しだけすっきりした気分である。
すると不意に昶は、悪竜退治と言えば日本にも八岐大蛇伝説なんかあったっけ、と日本神話の一つを思い出した。
『フェルデナント物語』の旅人は、雷剣一本で颯爽と悪竜を退治したのに、須佐之男命は酒で酔わせてから倒したんだよな。なんかせこいなぁ。それに、八岐大蛇って酒で酔うのかよ。
などと、日本神話の意味不明な点に突っ込んでみる。
――にしても、旅人格好良すぎだろ。
フェルデナント物語の旅人みたく、須佐之男命ももうちょっとかっこよく退治できなかったのかなぁと、日本神話にいちゃもんをつけたい気分だ。
こういう時、特に好きでもないのに母国のものを応援したくなるのはなぜだろうか。
そんなことをぐるぐると考えている昶の前では、
「あの子ったら、あの年にもなってまだそんなことを……」
レナは今からエルザの将来について、すご~く心配そうな顔をしていた。その姿はまるで、本当にエルザの“お姉さま”になったみたいである。
自分のバカ姉も、こんな風に心配していたのだろうか。
普段そういう一面を見せていなかったせいか、昶は実の姉――朱音――に対してあまり良いイメージを持っていない。いや、良い姉のイメージを持っていないと言った方が正しいだろう。
本当は今のレナみたいに、自分のことを心配していたのではないか。
そう思うと、今のレナの姿がちょっとだけ微笑ましく見えた。
「お嬢さま、それはどこからどう見ても、“お姉さま”そのものですよ」
センナも同じことを思ったらしい。
確かに、今のレナを見ればどこからどう見ても、弟妹が心配なお姉さんにしか見えないのだから、当然と言えば当然だろう。
シェリーはくすりと小さな笑みをこぼし、隣ではアイナとリンネもにやりとレナへ視線を向けている。
それに気づいたレナは、
「っさいわね、考えてもみなさいよ。あんなのがもし、国の重役に就いたらどうなるか……」
柄にもないことをしたせいで恥ずかしくなったのか、レナは頬をほんのり桜色に染めている。だが、同時に心配事も一緒に吐き出した。
エルザをよく知る昶とセンナは、考えを巡らせ始める。しばらくした後、三人の顔は若干青ざめていた。
確かに、少々空恐ろしいものがある。
「フィラルダの時も思ったけど、レナの家に遊びに行ってた時と全然変わってなかったわね。あの王女様。今にして思えば、当時の自分が馴れ馴れしすぎてちょっと怖いわ」
「あの頃は私もまだ幼かったですし、振り回されてばかりでした」
「俺も終始、振り回されてばっかだったなぁ」
と、シェリー、センナ、昶は口々に感想を述べる。
よくはわからないが、エルザには一種のカリスマがあるのかもしれない。いつの間にかペースに巻き込まれ、気付いた時には彼女を中心に物事が回っているのだ。
「あのぉ、それって創立祭の時に来てた、あの人ですよね?」
「…そう。この国の第一王女、第二王位継承者。エルザ=レ=エフェルテ=フォン=レイゼルピナ王女殿下」
リンネは、噛みそうな名前を一息に読み上げる。
一方で質問したアイナは、約二週間前の記憶に検索をかけ始めた。
黄色の色素が強い金髪に、青緑色の瞳。左目の下にある泣きボクロがチャームポイントの、真っ白いドレスのよく似合う人だった気がする。
「でもなんか、それわかる気がします」
「…私も、同じ」
アイナとリンネも、エルザに対して四人と同じような印象を受けていたらしい。
まったく、あの幼さの塊のようなお姫様のどこから、他人を惹き付けるオーラが出ているのか。
なにか“魅了”の力でも働いているのではないかと昶が考えていた、まさにその時だ。
「よう、姉ちゃん達。死にたくなかったら、金目のもん出しな」
六人が気付いて後ろを振り返ると、そこには三人の人が立っていた。
服装は、全員同じ黒の礼服姿。だが、右手には物騒極まりない品物が握られている。
マスケット銃。単発式で精度も低い、非常に使い勝手の悪い武器だ。
だが、この武器には剣や槍にはない大きなアドバンテージがある。それ即ち、射程の長さと攻撃の速さだ。
レイゼルピナではほぼ唯一、一般人がマグスに対して有効な武器なのである。
精度が悪いと言っても、相手は銃だ。迂闊に動くわけにはいかない。
しかも昶の耳は、更に悪い情報を周囲から拾い上げていた。
昶はそれを再契約時にできたルートを使って、念話でレナに話しかける。
『レナ、悪い知らせなんだが』
『な、なによ? これ以上悪い知らせって』
『後ろの三人以外にも、前の方に四人か五人はいる』
『なんですって!? じゃあどうすんのよ』
『制圧した方が良い。この距離じゃ、シェリーと二人ずつ抱えて逃げるのも難しそうだからな』
昶の思考は、すでに戦闘モードのそれに切り替わっていた。
心を落ち着かせ、冷静な思考で観察し、相手の装備、仕草から練度などを導き出す。
『力がある者はそうでない者を守らなければならない。それが力ある者の権利であり、義務なのだ。わかったか、昶?』
鬼神の如き恐ろしい父親から教わった格言。
以前は――レイゼルピナに来る前まではわからなかった言葉の意味が、今ならわかるような気がする。
説明しろと言われれば、やはりまだわからない。だがその言葉は、今や昶の深い所でしっかりと根付いていた。
そうだ、ここには放っておいてもなんとかしてくれる、厳しい父や優秀な兄、若き天才と称される姉もいない。自分がやらなければならないのだ。
『後ろの三人は一瞬で黙らせる。レナは前からの銃弾に備えて、盾を頼む。そしたら俺が右から突っ込むから、シェリーに左から行くよう伝えてくれ。できれば、直撃喰らっても大丈夫なよう、シェリーには防御系の魔法を』
「両手を頭の後ろに付けろ」
「動くんじゃねえぞ。変なマネしたら、その時は……」
真ん中のリダーらしい男の発言に続き、左側の男カチャカチャと銃を揺らした。
見た感じ、けっこう場慣れしている風である。一切のよどみがなく、流水のようにスムーズで無駄がない。
もしかしなくても、恐喝の常習犯だろう。それも上流階級専門の。
さすがに銃を向けられれば、普通の人間ならば怯むだろう。
『わ、わかったわ。タイミングは?』
『三つ数える。三のタイミングで俺が跳び出すから、あとはアドリブで頼む』
『まかせて』
だが、昶達は違った。短期間で危険獣魔や上位のマグスと実際に戦ったことのある昶達は。
レナとの念話を終えると、三人に反撃の意を悟られないよう指示に従った。他の五人と同様に両手を頭の後ろに付けながら機を窺う。
「よしよし、聞き分けがよくてオジサン助かるよ」
「でも、こっちも必死でね。恨むんなら、ボディガードの一人も連れていない自分達を恨むんだね」
と、今度は真ん中の男の次に右側の男が続いた。
確かに、少なくともレナとシェリーはとんでもなく良い所のお嬢様だ。普通なら数人、もしかしたら十人以上ボディガードを連れていても、おかしくはない。
『一』
だが、礼服の男達にも誤算はあった。
『二』
それは、襲った相手の内マグスが四人に、戦闘に特化されたサーヴァントが一人いたことである。
『三!』
その瞬間、昶の身体が突然動き出した。
「ッ!!」
身体を反転させながら、腰に下げた得物へと手を伸ばす。
一呼吸後には、重厚な白銀の刃を振り切った昶の姿があった。
「貴様、動くなと……」
だが、全てを言い終える前に言葉が途切れる。更に勢いを殺さぬまま身をひねり、左の足を真ん中の男へと叩き込んでいたのだ。
残りの二人は、あまりの速さに声も出ない。そこでようやく、自分達の銃の砲身が半ばで断ち斬られているのに気付いた。
だが、昶の動きはまだ止まらない。
握っていた刀を宙へ放り投げると、大地を踏みしめ残りの二人めがけて飛び出す。
「!」
掌を男達の腹と平行になるように構え、無防備なままの鳩尾へ掌底を叩き込んだ。
現地時間で、約一秒半。昶達に銃を向けていた三人は、またたく間に制圧された。
「盾となれ!」
レナは昶が動き出した瞬間に、取り出していた錫のコイン五枚を空中へと放り投げる。
主の言葉に呼応するかのように、コインはその身が砕けるのと引き換えにして風の防壁を展開。迫り来る鉛弾、そのことごとくをあらぬ方向へといなした。
五つの弾丸が真横を通り過ぎた瞬間、再び昶の身体が動き出し、右側から回り込むようにして跳び出す。
「リンネ、シェリーに防御の魔法!」
「…クシャナヘイル」
シェリーの身体を、ゆったりとした風が流れ始めた。リンネの唱えた、中位の鎧系防御呪文である。
「シェリー、左側から斬り込んで。そこの建物の影!」
「まっかせなさい!」
言われるまま、シェリーの身体も大地を疾駆する。
彼我の距離は約二〇メートル。その半分を過ぎた辺りで、シェリーは相手の姿の全てを視界に収めた。再びアンサラーを握り飛び出した昶が、既に二人を制圧している。
さすがだと思う一方で、シェリーは自分の相手へと意識を集中した。
「ちょっと眠っててね!」
シェリーは礼服を着ている男のマスケット銃を、右のハイキックで真上に跳ね上げ、そのまま空中の右足を軸に反時計回りする。
綺麗な半円を描きながら、シェリーは左の踵を男の側頭部へと叩き込んだ。
「もう一人」
シェリーは舞い上がったスカートを気にすることなく、最後の一人――昶が三人を制圧した――へと飛びかかった。
男はベルトに差し込んでいた二本目のマスケット銃を取り出すと、銃口をまっすぐシェリーへと向ける。
だがシェリーは怯むことなく、いやより一層加速して突き進んだ。
「来るなぁああ!」
叫ぶやいなや男は迷うことなくトリガーを引き絞り、パァンという火薬の爆発音に続いて鉛でできた弾丸が撃ち出される。
「んなもんが……」
しかし、シェリーは避ける素振りすら見せず、腕を交差させてそれを迎え撃つ。
目の前で撃ち出された弾丸は、しかしリンネのかけた風の鎧によってあらぬ方向へと飛んでいった。
「効くわけないでしょ?」
ニヤリと笑みを浮かべ両足で大地を蹴ると、スカートがまくれるのも構わず盛大なドロップキックをかましてやった。それも顔面に。
男はシェリーのスカートの中を見た代償として、完全に意識を失ったのだった。
昶とシェリーが残りの礼服男五人を片付けた頃、クレイモア領を出発した青年もラズベリエへと到着していた。
時間を潰すためにぐるりと都市を一周し、どっと暗い気分になる。
――“娯楽の都”ラズベリエ、か。
そんなもん上っ面を取り繕っただけの張りぼてだ、と青年は胸中で罵倒する。
表通りから一本それた裏通りに出れば、その日暮らしを余儀なくされる住人しかいない。表通りの人間と比べ、誰もが貧相な格好をしている。
搾取する側とされる側。この都市はレイゼルピナのどの都市よりも、それを如実に表現していた。
逆にこういった裏通りがない都市や、住民が生活に困っていない領地の方が少ない。それもはるかに。
青年が知るのは、王都であるレイゼンレイド、穀倉地帯であるフィラルダ、そしてアナヒレクス領くらいのものだ。
無論、他にもいくらかあるだろうが、少ないことには変わりない。
それは時代遅れの王政や、市長、領主制度にも問題があると青年は考えている。
だから、だからこそ思っているのだ。
そのことに気付いている自分達が、変えていかねばならないと。
「お迎えに上がりました。クレイモアの御子息様。“カメリアの剣”の名は、こちらにも届いております」
青年はその瞬間、背中に冷たいものを感じた。いつから後ろにいたのか、全く判らなかったのだ。
二つ名を持つほどの実力と実績を上げていながら。
「そう怖い顔をなさらないで下さいませ。私は戦闘力に関しては、全くの皆無なのですから」
「そう言って信用する人間がいると思うか?」
「まあ、ほぼいらっしゃらないでしょうね」
相手の身長は、かなり低い。もしかすれば一五〇センチないかもしれない。
黒いエナメル質の魔法文字を記した、全身を覆う黒いローブを羽織っている。しかもフード付きで、その素顔を見ることはできない。
声も男のものなのか女もものなのか、子供、大人、老人とも判別がつかない、不思議な声をしている。
ただ一つ明確なのは、底知れない不気味さだ。そんな青年の内心を読みとってか、唯一フードから見える口元がふっと笑みを漏らす。
本当にこの人物が自分達の同士たりえるのか、それを確認するのも今回の青年役目である。
「案内します。こちらです」
黒いローブは、青年の確認も取らぬままゆったりと歩き始めた。
それから思い出したかのように、黒いローブは青年に話しかける。
「そうそう、言い忘れておりました。初めまして、と言うのも不思議な気分ですな。私の名は、“ノウラ”と申します」
“ノウラ”はニヤッと、黄色い歯の並んだ口元に笑みを浮かべた。