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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第十話 おでかけ Act02:出発。でもその前に!?

 次の日。

「えっと、その、ご……、ごめん」

 昶はたった今、目の前で起きた状況が理解できなかった。

 ここは中庭で、未だに疲れが抜け切らなくて身体がだるいから、昼寝をしていたはずである。もしかしたら、これは夢かもしれないそうだきっと夢だ。

 普通に考えれば、絶対に起こり得ない事が起こったのだから、夢と判断するのが妥当だろう。

 謝ってきたのだ。あのレナが。

 公爵家でお嬢様で傲岸不遜で高飛車で凶暴で凶悪で怒りっぽくてプライドの塊みたいな、あのレナが、だ。

 今まで杖で殴っても、謝られたことなど……、時々しかなかったのに。

「おま、レ、レナ。いま、なんていった?」

 昶は自分の耳が信じられず、もう一度レナに聞き返した。

「ご、ごめんって言ったのよ。会う度に、杖でたたいちゃって」

 試しに頬をつねってみるが、痛い。てことは、夢じゃない。

 昶は今度こそ石化した。そりゃもう、色付きの石像なんじゃないかってくらいの見事な固まりっぷりである。

 レナの口から聞くことができない台詞、トップテンに入るくらいレアな台詞だ。

「な、なによ。あたしが、あんたに謝っちゃいけないの?」

 ちょっと怒ったっぽい感じで、レナはぷいっとそっぽを向く。

 だから、昶の手がそっと額に伸びて来たのにも気付かず、

「ひゃあっ!?」

 その場からぴょんと飛びのく。

「なななななな、ななに、なに、ににになに……」

 もうテンパりすぎて、しゃべっている言葉が言語じゃなくなっている。

「お前、なにが言いたいんだ?」

「あ、いきなりなにすんのよ!」

 さっきのは『なにすんのよ!』と言いたかったらしい。

「熱でもあるのかと思って」

 そう言うと、昶はもう一度レナの額に手を伸ばした。

 今度は逃げられないよう、反対の手でしっかりとレナの肩をつかんでいる。

 レナの肩は、ちっこくて、柔らかくて、あとあったかい。

 一方でやられたレナの方はと言うと、ぷしゅ~っと頭から湯気が出そうな勢いで顔が真っ赤に。

「ちょっと熱いな……。風邪でも引いたんじゃないか?」

「なな、なんでもないからっ! だっ、大丈夫よっ!」

 レナは大慌てで昶から離れると、下をうつむいたままもじもじし始める。

 ――もぉぉ、恥ずかしいじゃなぃ。

 そんなレナの気持ちなど露知らず、昶は見当違いの心配をしたままである。

 あまり顔を合わせようとしないし、声も弱々しいし、顔も全体的に赤味が差していて熱っぽい感じだ。

 だが実際は恥ずかしくて顔を直視できないのと、同じ理由で声もトーンダウンしているのと、ついでに顔の赤味は額に触れられて恥ずかしかっただけで、風邪は全く関係ない。

「わかった。でも、無理はすんなよ。後でひどくなるからな」

「ぅん。わ、わかった」

 昶はそれだけ言うと、校舎の壁を背に再び横になった。今日は風も雲もなく、陽の光が暖かい。

 引き続き、ひなたぼっこをやろう。再び込み上げて来た眠気に、昶は身を委ねた。




「お疲れさま~」

「わぁっ!?」

 肩に手を置かれたレナは、直立姿勢のまま再びぴょんと飛び上がった。

「もう、驚かさないでよ! びっくりしたじゃなぃ」

「驚いたのはこっちよ。あんた、ビビりすぎ」

 声の主は、昶に謝るよう進言したシェリーである。どれくらいびっくりしたかと言えば、レナに釣られて『ひゃっ!?』って悲鳴をあげちゃったくらい。

 シェリーにしては珍しい、実に女の子らしい悲鳴であった。

「だって、いきなり肩なんてつかまれたら、誰だってびっくりするわよ」

「いや、あんたほどじゃないって。それともなに? おでこ触られたの見られて、恥ずかしかった、とか?」

 それを思い出したレナは、再びぶわっと湯気が吹き出そうな勢いで赤くなった。

 これは特技に『瞬間赤面化』を加えるべきかなと、真剣に検討を始めるシェリーをよそに、レナの思考は再びわけのわからない場所へとトリップしているようだ。

 ――おでこ、触られた。どうしよ、変に思われたら。

 普段の様子を見ていてもわからないだろうが、レナを始めこの学院の女子生徒は大半が箱入り育ちである。よって、男子への免疫もあまりない。

 昶を部屋に居候させていたこともあるレナであるが、昶はあくまでサーヴァント。シェリーのセイン、リンネのソニス、ミシェルのカトルと同じような感じだった。

 しかも瀕死の所を看病したり、住む所がなかったりと、いわゆる“守ってあげたい”心理が働いていたのも理由の一つである。

 それが今では、何度か命を救われたり、実はとんでもなくすごいマグス――実際は魔術師だが――だったりして、“守ってあげたい”存在ではなく、かっこいい“男の子”へと変わっていった。

 ようは、昶を“男の子”として“意識”し始めた、と言うわけなのである。

 ――アキラもアキラで大変だけど、この子もこの子で大変なのねぇ。

 シェリーはそんな二人を、ちょっと感慨深げに見つめた。

 召喚の儀の途中、空間からいなり瀕死の状態で現れた昶に、それを助けようと必死になっていたレナ。

 相当ぶっとんだ出会い方をした二人であるが、どうやらうまくいっているようである。

 シェリーは嬉しいような悲しいような、よくわからない気分になりながら、マジで寝ちゃうよ五秒前な昶に声をかけた。

「アッキラ~、ちょ~っと話したいことがあるんだけど」

「ふわぁぁ。ん~、なんだ?」

 昶は目頭を手でごしごしこすりながら、あくび混じりに返事を返す。

「週末、私達と一緒に遊びに行かない?」

「別にいいけど、どこ?」

「ラズベリエ。たぶん、レイゼルピナで一番娯楽施設の多いとこ」

 娯楽ねぇ、と昶は回転の悪い頭でしばし思案する。

 娯楽。意味:遊び、楽しみ、なぐさみ。

 そういえば、こっちでもあっちでも、あまり遊んでいた記憶はない。

 小さい頃はそれなりに遊んでいたが、里の外のような“最近”の遊びに関しては全く知らなかったりする。

 ――どんだけ閉鎖的なんだよ、隠れ里(うち)って。

 まあそれはさて置き、なんだかとても楽しそうであるとは思う。

 なのでもちろん、

「いいんじゃね。俺、今までそういうのあまりしたことなかったし」

 あっさりと了承した。

「そんじゃ、決定週末が楽しみねぇ」

 とか言いながらシェリーは、ぐいっと身体を寄せて来た。

 そして、昶の耳元で、

「レナからのサプライズもあるから」

「っ!?」

 それだけ言うと、シェリーは昶から離れレナに見えない位置からちろっと舌を出して見せる。

 それが終わると、用事は済んだあとごちそうさまと言わんばかりに、すたすたと校舎の中へと消えて行った。

 目を伏せがちで気まずそうに立っていたレナも、恥ずかしさに耐えられないとばかりに、寮の方へと足早に歩き始める。

「……週末までのお楽しみ、か」

 『レナからのサプライズ』に心奪われた昶は、眠気などどこぞへ吹き飛んでいたのだった。




 そして更に数日が過ぎ、ラズベリエに出かける当日。

 この日昶は、レナを心底お嬢様だと思った。

 学院の校舎の外側と城壁との中間――外庭――で待ってると、なにやら点のようなものが見えたのだ。その点は、次第に大きさを増していく。

 飛竜だ。それも翼端から翼端までが、エルザの籠を運んで来た飛竜の一.五倍はある。全体的に細身なシルエットで、飛ぶためだけに特化されたような感じだ。

 スカイブルーの甲殻は保護色かなんかだろうか。とにかく、足の速そうな飛竜である。

「大まかには、“飛竜”の内の“風竜”に区分されてる種類よ。もう少し詳しく分けると“風竜”の中でも、とりわけ飛ぶ方向に進化してきたやつで、“アズーレ”っていうの」

 と、なぜかシェリーが自慢気に解説してくれた。

 そうこう言っている内に学院上空までやって来た飛竜は、静かに、しかし素早く降下してくる。

 まるで里の中にあった暗殺(アサシン)の連中を思い出す素早さと正確さだ。まあ、暗殺と言っても本来の意味の暗殺ではなく、奇襲の意味合いが強いのだが。

 四匹のアズーレに騎乗していた乗り手達が、頭部の兜を外しながら次々と下乗を始めた。

「お嬢様、お久しゅうございます!」

 全員が、薄いプレートアーマーを着用している。

 その中でも隊長格らしい雰囲気の大男が、陽気な声音でレナに話しかけてきた。胸板は厚く肩幅も広いがっしりとした体型、乱雑に切りそろえられたブラウンの髪、そして強面風の作りの顔に、可愛らしい目がちょこんと乗っかっている。

「ダールトンじゃない!? 引退したって聞いてたのに」

 旧知との再会に、レナは隊長格らしい大男――ダールトン――の前まで歩み寄った。

「はい。お嬢様からのご要望とあっては、若い衆には任せられませんからなぁ。どんな失礼なことをやらかすかわかりませんので、こうして出張ってきたわけです」

 ギロっと後方をにらむダールトン。後ろに控えていた、どう見ても二〇代前半の青年達は、にへらあと笑みを浮かべる。

「お久しぶりで~す」

「相変わらずお美しいです」

「あぁ、オレ感動で涙が出そう」

 確かに、放っておいたらなにかやらかしそうな雰囲気である。

 一人なんて、本当に泣いているようであるし。

「ダールトン隊長、お久しぶりです。ご健在そうでなによりです」

 日に焼けてた赤い髪を風になびかせ、サファイアのような青い瞳を細めて笑顔を浮かべるのは、ダールトンと同じくアナヒレクス家で働いていた――現在レイゼルピナ魔法学院でメイド長を務めているセンナだ。

 久々の再会を喜ぶように、センナもダールトンの側までやって来た。

「おっと、センナさんじゃありませんか。いやはや、懐かしいですなぁ。それと、自分は既に現役を引退した身なんですよ。隊長はよしてくださいや」

「これはこれは、失礼つかまつりました」

 軽く握った手の人差し指を、ぷっくりと厚い唇に添えて、くすくすと笑うセンナ。

 昶の知る中で、センナはこの学院で一番大人な魅力全開放の女性である。

 そんなセンナが可愛らしい仕草で笑うと、男なら誰しもドキッとせざるを得ない。

 それに加え、シェリーに輪をかけて抜群なプロポーション。小刻みに肩を震わせて笑っているものだから、エプロンドレスを押し上げている球体が、ぷるんと震えて目のやり場に困のだ。

 そんな男を魅力する仕草を天然でやっているのか、それとも計算でやっているのか……。

 そう感じているのは昶だけではないらしく、ダールトンの後ろに控えている青年達も照れくさそうにうつむき、ダールトン自身も明後日の方向を向いていた。

「こ、ここにいるってことは、センナさんもお嬢様に同行するんで?」

「えぇ。シェリー様たっての頼みで、ご同行させていただくことに」

「シェリー様?」

 ダールトンは視線を、センナとその横に並んだレナから、後ろに突っ立っている一団――シェリー、リンネ、昶――に移す。

「おっひさ~、コワモテ隊長」

「おぉ、グレシャス家の……! ご幼少の頃から快活でおられたが、いっそう磨きがかかったようでございますなあ。して、これの方はまだ続けておられるので?」

 そう言うとダールトンは、右手を軽く握って腕を振るった。その様子はかなり様になっていて、一目で剣を振っている真似だとわかる。

「もっちろん。これを見てわかんない?」

 シェリーは背中の袋から伸びる紐を握り、カチャンと音を鳴らす。

 そう、シェリーの発動体――長大な炎剣、ヒノカグヤギである。

 さすがにその大きさにはダールトンと、その後ろに控えている青年達も驚いた。

 それはそうだろう。以前のものより小さくなったとは言え、身長と同じくらいの長さがあるのだから。

 そんな長物を扱おうとすれば、いったいどれだけの負荷がかかることか。

「ご幼少の頃に稽古をつけて差し上げた身として、将来が楽しみですぞ」

「隊長ったら、全然手加減してくれないんだもん。何度私も泣きそうになったことか」

 シェリーはそこでぐっと拳を握り、いかにも辛かったといった感じに顔をしかめる。

 が、やはり感じるのは懐かしさより滑稽さだった。

 ダールトンも例に漏れず、ガハハハハと豪快に笑っていた。まあ、ある意味レナよりシェリーの性格をよく知っているのだから、これがギャグだと最初からわかっているのもあるのだろうが。

「シェリーお嬢様、センナさんにも申し上げた通り、自分は現役を引退した身ですんで、隊長はよしてくださいや。まあ、若い竜騎どもの訓練はつけてやってますがね」

「細かいことはいいの。私が勝手にそう呼んでるだけだから。そうそう紹介するわ」

 そう言うとシェリーは、リンネ、アイナ、昶の三人に目配せする。

 ついでに、『出番よ』とでも言っているのか、ウィンクをして見せた。

「まず、メレティスからの留学生のリンネ」

「…は、初め、まして」

 うつむきながら、ちょこんと頷く。最近同じメンバーばかりで忘れがちだったが、リンネはけっこう人見知りなのである。

 そんなリンネが可愛くてシェリーは胸中でくすりと笑うと、次は視線をアイナに移した。

「こっちは二学期から編入してきたアイナ。たぶん、アズーレより速いわよ」

「そ、そんなことありませんよ!! はっ!? えっと、ははは、初めまして、アイナです!」

 ぶんっと、腰を直角まで折り曲げて礼。大人相手だから緊張しているのか、それともレナの家の人だからなのか、リアクションがいつもの五〇パーセント増しで大振りになっている。

 ちょっとだけ背骨の状態が心配だ。

「ほほう、ならばここは一つ、自分と勝負してはいただけんでしょうか?」

 ――って隊長めちゃくちゃやる気じゃん!!

 この反応は、さすがにこれにはシェリーも予想外。一竜騎士としての心意気というものがあるのだろう。

 本当に速いから冗談のつもりで言ったのだが、ダールトンは本気も本気。

 だが今回はアイナの記念すべき初の私服姿なのだ。汚されたりしわだらけになっては堪ったものではない。主に、出資者として。

 シェリーは話題をそらそうと、最後の一人である昶に目配せした。

「で、そこの男の子がレナのサーヴァント!」

 さっさと自己紹介初めて、とシェリーは小声で昶をせかす。

 昶はアナヒレクス家の人間と知ってほんの少しだけ緊張したが、別段いつもと変わらない声で、

「草壁昶です。初めまして」

 頭をポリポリかきながら、自己紹介を終えた。

「お嬢様の?」

 さっきまで愛嬌たっぷりだったダールトンの目が、ギロリと昶をにらんだ。

 愛らしささえ感じられたらつぶらな瞳からは、もはや殺気にも似た炎がメラメラと燃えている。否、燃えさかっている。

 昶は、『俺なにか悪いことでもした?』とシェリーに耳打ちするも、『私に聞かれても知らないわよ』と言われ、原因が全くわからない。

 (わら)にもすがる思いでレナの方を見ると、『やっぱりかぁ』みたいな呆れ顔で深いため息をついていた。

「お嬢様」

「……なに?」

 そしてやはり、レナの口調からも投げやりな感じが漂う。右手を額に添えて、再びため息をついた。

 まるで、この後に起こる展開がわかっているような感じに。それもとびきり面倒な。

「あの殿方、お嬢様のサーヴァントとお聞きしましたが、(まこと)でございましょうか?」

「そうよ」

 まあ、学院内では周知の事実だ。

「ふ、普段はどうしておられますか?」

「サーヴァントだもの。邪魔にならないなら、連れて歩くものでしょ」

 例によって、セインは火精霊(サラマンドラ)集めをしているのでここにはいないが、シェリーの周囲は常に下位階層(ケースト)火精霊(サラマンドラ)が見張っている。

 また、ソニスはリンネの上着のポケットの中。アイナはいないので例外だが、ここにいる者の近くには必ずサーヴァントやそれに類する者がいる。

「な、ならば、寝所では?」

「さすがに部屋は別々よ。アキラは、お、男の子だしね」

「そ、そうでしたか」

 と、よかった、お嬢様はまだ穢れてらっしゃらない、と少々ぶっ飛んだ発言をしているダールトン。

 暗闇の中に一筋の光明を見出したと言わんばかりに、見てる方がちょっと気持ち悪くなるくらいの笑顔になった。

 だが、その光明は次のレナの一言で粉々に砕け散る。

「まあ、最初の頃は、部屋がないから居候させてたけど……」

 それを聞いた途端、ダールトンはがっくりとうなだれた。

 ……かと思うと、今度は『くっくっくっくっくっ……』と不気味な笑いのようなものが漏れ始める。

「このガキャァアアア!」

 と、ダールトンはいきなり重厚なショートソードを抜き放ち、昶に斬りかかってきた。

「わぁっ!?」

 突然の事態に動揺する昶であるが、回避と同時に相手の分析も反射的に始めてしまう。これも悲しい術者の(サガ)か。

 刃渡り約九〇センチ、幅約八センチ、両刃の片手剣。魔力を感じないので、相手は恐らくマグスではない。

 一撃をかわしている間にそこまで分析した昶は、ショートソードを振り下ろしたダールトンの手首をつかむ。

 一.八倍はありそうな体格差を感じさせない華麗さで、昶はダールトンを背負い投げていた。しかも、手首を()めて武器を奪うことも同時に行う。

 武器ごと投げては、相手に怪我をさせかねない。

「あっちゃぁ……」

 足下に転がるショートソードを眺め、それから投げ飛ばしたダールトンを見て、昶はやっちまった的な引きつった笑みを浮かべる。

 『どうしよ』、とシェリーに目配せするも、『わかんないわよ』、と目で訴えてきた。

「ふふふふ、いい技だな小僧。だが……」

 再び不気味な笑いをこぼしながら、ダールトンはむくりと起き上がった。

 その姿は、もはやアンデッドのそれにしか見えない。

「お嬢様に手を出す不埒な輩は、このダールトンが許さぁああああん!」

 怒号と共に、渾身(こんしん)の右ストレートが飛んできた。

「不埒って、俺がなにしたんだよ!?」

「黙れ不届き者が。常にお嬢にまとわり付き、寝所を共にするなど……。うらや、言語道断! この手で成敗してくれるわ!」

 ダールトンは昶が後方へ飛んで回避した所へ、転がり込むようにしてショートソードを回収。左下から右上にかけて逆袈裟に斬り上げた。

 無論、ギリギリで見切って回避するのだが。

 それにしてもまあ、見事な逆袈裟斬りである。

「だから、それは仕方なくやってただけで」

「小僧、貴様……、お嬢様からの温かい施しを、仕方なく受けていると申すか!」

「だから、それは言葉の綾であって、そう言う意味じゃ」

「えぇい! はっきりせんか!」

 昶は胸の辺りに迫った斬撃をバック転の要領でかわし、腕力を最大限に生かして一気に距離を取った。

 訓練を受けているとは言え、一般人を攻撃するのは魔術師として気が引ける。その上、相手はレナの家の人だ。もし怪我なんてされたら大事になるかもしれない。

「ちょこまかと動きおって。大人しく斬られんか!」

「なんで、なにも、してねえのに、斬られなきゃ、なんねえんだよ!」

 続く連撃も、ひょいひょいひょいと半身をそらしてかわす。

 落ち着いた状態で霊力――その内の水行を強化して視力を強化した状態の今、ダールトンの剣はスローモーションのように見えるのだ。

 回避するのは造作もない。

「なにもしてないだと……。嘘を申すな。すでにお嬢様に手を出したのだろう!」

「なんでそうなるんだよ!」

「お嬢様が可愛いからに決まっておろうが!」

 シェリーはその様を呆然とした様子で見つめていた。

 ちらりとレナの方を見ると、ちょうど額を押さえてため息をついている所だった。それも、年に似合わない超ヘビー級の深~いやつ。

 シェリーはようやく、レナが竜籠を呼ぶのを渋った理由がわかった気がした。

 つまり、このバカ親のようなダールトンが来る事を予測していたのだろう。確かに昔のレナを知っている者ならば、ダールトンのようになっても仕方がないかもしれない。

 だが、いくらなんでも昶がかわいそうだと思ったのは、若い竜騎達も含めたその場全員の意思である。

 その場の全員がそんなことを考えてる間にも、ダールトンはショートソードをぶん回し続けていた。

「さあ事実を申してみよ。お嬢様を手練手管で陥れてその唇を奪い、あまつさえ(はずかし)めたのだろう!」

「んなこと、して……」

 ――あ、でも、キスはしたんだっけ……。

 昶の動きが一瞬鈍ったのを逃さず、ダールトンは一直線にショートソードを振り下ろした。

 ようやく思考がどこか遠い所から帰還した昶は、倒れ込みながら刀身の側面を挟み込むように合掌する。俗に言う、真剣白刃取りだ。

「今一瞬、動きが鈍ったな。手を出したのだな、お嬢様になにかしたのだな!」

 ぐぐぐーと、ダールトンはショートソードを思い切り押し込む。それに応じて、昶も刃を挟む力を上げた。

「……いや、手を出したと言うより、出されたって方が正確だったり」

 と、昶はダールトンの方を見ず、横を――レナの方を向いてぼそり。

 それがレナにも聞こえたのだろう。爆発でもしそうな勢いで、顔面がボッと赤くなった。

 そんな二人のやりとりを見ていたダールトンが、――始めから正気ではなかったが――正気でいられるはずもなく、

「なにをしたぁああああ!」

 剣圧が更に倍くらい増えた

「えっとですね、サ、サーヴァントの契約をするのにですね……」

「契約するのに?」

「キ、キキ、キスされました」

 それを聞いた瞬間、ダールトンの身体が石化したように固まった。

 だが、それも次第に解けていき、

「おお、お嬢様、本当なんですか? 本当にこんな死んだ魚のような目をした男と接吻をされたのですか!」

 ――おいこら、やる気のない目はよく言われるけど、死んだ魚の目は初めて言われたぞ、たぶん。

 胸中で毒づきながらも、昶もレナの方に目をやった。

 『昶も』と言うことは、ダールトンも見ている。それも必死の形相で。

「……ぇっと」

 真っ赤になったまましばらくもじもじしていたレナであるが、こくりと頷いた。

 それからしばし――現地時間で五秒ほど沈黙が続き、

「貴様許さん、許さんぞぉおおおおおおおおお!!」

 昶の掌にかかる圧力が更に増大した。

 白刃取りをし続けるのは、なんだかんだでかなり筋力が必要だ。まっすぐに振り下ろされる刃を両側から挟み込むのだから。

 肉体強化を使っているので問題はないのだが、かなり疲れる。

 しかも、肉体強化は使用時間に比例して、次の日にひどい筋肉痛を伴うのだ。

 つい先日治ったばかりなので、それはどうしても避けたい。

 昶は刃を自分の顔の左側に誘導すると、転がるようにして再びダールトンと距離を取った。

「貴様を殺して、自分も腹を斬る!」

「なにわけわかんないこと言ってんだよ!?」

「お嬢様をお守りできなかった私に、生きる資格など無い! だが、お嬢様を辱めた貴様が生きていることも許さん! 一緒に死んでもらうぞ!」

「冗談も休み休み言え!」

 親でもないのに、バカ親丸出しである。しかもなんか、かわいそうに思えるほど涙目だ。

 レナのキスがよほどショックだったのだろう。思考回路が、大混線を起こしているようである。

「よくも、よくもお嬢様に手を!」

 ダールトンはショートソードを高々と振り上げ、昶へと狙いを定める。

 だが、それが振り下ろされることはなかった。

 誰もが予想し得なかった――おおよそ戦いとは無縁そうな人物が、ダールトンの目の前に立っていたのである。

「セ、センナ、さん……」

 昶とダールトンの真横から、二人を見上げるセンナ。

 いつも通り色香の漂う笑顔で、ダールトンをまっすぐ見つめている。

「あまりお戯れが過ぎるようですと、オコリマスヨ?」

 ダールトンはうんうんと頷くと、竜籠の所までスタスタと歩いて扉を開けた。

「どうぞ!」

「では皆様、参りましょうか。ほら、アキラ様も」

 それを皮切りに、全員が静かに、そして速やかに籠の中へと入っていく。尻餅をついていた昶もセンナに手を引かれて起き上がり、籠に向かって歩き出した。

 昶は思った。




 センナには絶対に逆らってはだめだ、と……。




 センナ主導の下、ダールトンを隊長とした竜籠がラズベリエへ向けて出発した頃、クレイモア領から一匹の飛竜が飛び立とうとしていた。

 背中に乗るのは、赤紫の髪をした青年だ。パリッとした真っ白なワイシャツと黒のスラックス。先日の物と違い無地だが、全体的に厚手な作りになっている。

 恐らく、長時間飛竜で移動するのを考慮してのことだろう。

 その証拠に、その上には更に厚手のマントをまとっている。こちらも黒一色で模様や装飾の類はない。

「そういえば、親父はどうしてる? 帰国してからこっち、姿が見えないんだが」

 青年は、長身痩躯な壮年の執事長へと話しかけた。

「お父上様なら、グレシャス家の当主様とご一緒に、レイゼンレイドで連日緊急の会議と仰っておられました」

「ったく、自分から呼び戻しておいてこれかよ」

 ――まあいい。おかげで、俺の念願も叶うんだ。今から親父の泣きっ面が目に浮かぶぜ。

 青年はそんな内心を表情に出さず、飛竜の背中にまたがると、肩に下げた鞄に手を突っ込む。取り出したのは、ゴーグルだ。

 つまりは、けっこうな速度で飛ぶ、ということである。

「じゃあ、行ってくる」

「坊ちゃま、本当に護衛はつけなくてよろしいので?」

「いいと言っている。あれをくれ」

「ははぁ……」

 執事長は、足下に置いてある長大な得物へと手を伸ばした。腰を折り、両手で抱え、それを青年へと差し出す。

 予想以上の重量に、執事長も若干顔をしかめた。

 だが青年は、鞘から伸びる紐を片手でつかみ、糸も簡単に持ち上げる。

「では、留守は任せる」

 青年が受け取ったのは、鍔のないバスターソード。ただし本来の意味ではなく、『破壊』すると言う意味でのバスターソード。幅が広く、重厚で、長大な両刃の剣。

 鞘にはクレイモア家の紋章と、その長剣の銘であろう“フラムカリバーン”という文字が刻まれている。

 青年はそれをマントの内側に差し込み、肩に引っかけた。

「行ってらっしゃいませ」

 青年はゴーグルをかけ、手綱をつかむ。そうして慣れた手つきで手綱を振るった。

 飛竜は一つ、細く鋭い(いなな)くと、空の向こう側へと消えて行った。

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