第十話 おでかけ Act01:ヒミツの作戦会議
魔法学院の襲撃から二週間近くが経った。未だ大きな傷跡を残しながらも、授業は再開され教師や生徒達も普段通りの生活へと戻っていった。怖かったねと話のネタにする者、なにもできなかったと嘆く者、まだまだ未熟だと腕に磨きをかける者。あの事件は、良くも悪くも生徒達が“変わる”きっかけとなっている。
そして昶を助けるため戦闘に参加したレナも、自分の気持ちの変化に戸惑いを隠せずにいた。ぎくしゃくしたままの二人――レナと昶――を見るに見かねたシェリーは、骨休めも兼ねてどこかに遊びに行こうと提案する。
王立レイゼルピナ魔法学院、女子寮。その地下一階には、広大な風呂場が設えられている。
天井には、二年前に同盟国であるメレティス王国から購入した照明器具が輝いている。この照明のお陰で、地下にいながら地上同様の明るさが得られるわけだ。
機械仕掛けとのことであるが、その方面では大幅な遅れを取っているレイゼルピナの者はその仕組みをよく理解していない。
だが本来の用途通りに使用できれば良いのだから、それで別段問題ないわけである。
そして今夜も異国の明かりは、遺憾なくその性能を発揮していた。
ちゃぽんっ――。
身体を洗ったアイナが、そろ~っとした動作で湯船に足をつける。
湯船に張られた熱々のお湯に、同心円状の波紋が広がった。
洗いたての黒髪はいつも以上に艶やかで、夜の闇より美しい光沢を放っている。白い肌とのコントラストが、妖しい魅力をかもし出していた。
と、そこへ、
「ア~イナッ!!」
「ひゃッ!?」
背後から誰かが抱きついてきた。否、胸を揉みしだいてきた。
小さくもなく、かと言って大きすぎず、丁度良いサイズのアイナのバストを。
しかも背後からの襲撃者はかなりの勢いで突っ込んで来たらしい。慣性の法則に従って、襲撃者ごとアイナは水面にたたきつけられた。
「へぶッ!!」
女の子らしからぬ悲鳴と共に、アイナはざっぶーんと大量の水しぶきを巻き上げる。
水しぶきをもろに顔面から受けた少女二人は、襲撃者である友人を見つめた。
エメラルドのような鮮やかな緑を湛える瞳の少女と、海のように深い青い色の瞳をした少女である。
余談であるが、その視線の温度はお湯と反比例して限りなく低い。
ざばーっとしぶきを上げて仁王立ちした襲撃者は、赤紫の長髪を背中に流しながら、ぷはーっ、と空気を吸い込む。
たわわに実った二つの膨らみが、ぷるんと揺れた。
「シェリー、お湯がかかったんだけど」
「…ぉ、お風呂では、静かに」
レナとリンネは顔にかかったしぶきをぬぐいながら、静かに抗議の声を上げる。
十中八九、聞き入れられることではないであろうが。
「いや~、アイナの発育具合を確認しとこうと思って」
「けほ、けほ。確認なんて、しなくていいです!」
多少お湯を飲んでしまったアイナは、せき込みながら顔をぬぐった。
その顔はお湯のせいか、それともシェリーのせいか、とにかく赤くなっている。
「う~ん、前より大きくなってるわね。たぶん」
アイナのサイズ大に手を広げ、まるでシェリーは揉みしだくかのように指をわきわき。
「恥ずかしいから言わないでください!」
「さ~て、そっちの二人はどうなのかな~?」
アイナの発言もなんのその、雌豹の如きシェリーの視線はすでに次の獲物へと照準を定めていた。
まるで球体をつかむかのように、手を動かしながら獲物へと近寄る。
湯船に浸かっているにも関わらず、寒気を感じたレナとリンネは自分も身体の前側を腕で隠し、首までお湯に浸かった。
「なによ~、二人とも隠しちゃって~」
さらに手をわきわきと動かしながら、シェリーは二人の方へと近付いて来る。
「かか、隠すに決まってるでしょ!」
「…シェリーの、ェッチ」
「女の子同士なんだから、そんな固いこと言わな~い」
と、そんな時、
「えぇーーーい!」
先ほど襲撃を受けたらアイナが、お返しとばかりに飛びかかる。
普段なら迷惑千万の行為だが、この時ばかりはレナとリンネにも頼もしく映った。
――――むにゅむにゅ、ぷるん。
………………むに。
…………ぷるん。
……もにもに。
アイナは力尽きた。
「ア、アイナ……」
「…シェリーの、バカ」
レナとリンネは、水中に没したクラスメイトに哀愁のこもった視線を向けるのだった。
「え? えっ!? なんで私が責められるの!?」
当の原因であるシェリーが、まあ自覚があるはずもない。
「そりゃ、そうでしょ」
「…シェリーが、悪い」
二人はじぃ~っと、先ほどアイナが奇襲をかけた二つの膨らみを見つめる。
ちなみに内訳は、羨ましさ五割と、憎たらしさ五割。
「だからなんでよ!」
「シェリーが、そんなに胸大きいのが、いけないんじゃない!」
レナの指摘にリンネもこくこくと頷く。
なにやら、いつもより積極的な雰囲気のリンネである。
やはりそこは年頃の女の子。気にしない方が無理と言うものだ。
「いやいや、大きくても良いことなんてないわよ。動きにくいし、肩すごく凝るし」
とか仰っておられるシェリーであるが、その豊満な胸を張ったのが悪かった。
「巨乳はみんなそう言うのよ!」
「…巨乳はみんなそう言う」
火に油どころか黒色火薬をぶちこんでしまい、二人の怒りは一気に燃え上がる。
特に普段は大人しく温厚なリンネが、真っ黒なオーラを全開にしている様にはシェリーも戦慄を禁じ得ないほど。
暖かいお風呂にいるはずなのに、なにか冷たい物がシェリーの背中を流れた。
そして、
「シェリーさんの、バカァァアアアア!」
「あばっ!?」
女の子のプライドは、空の雲より高く、深海よりも深い。
死地の内から奇跡の復活を遂げたアイナが、女の子パワー全開でシェリーを突き飛ばしたのだ。
華の乙女らしからぬ悲鳴と共に、シェリーは湯船の中へと強制ダイブさせられるのだった。
「アイナ、ナイス!」
「……」
レナは手を右手を握ると、上に向けて親指を立てる。リンネもレナに習って、親指を立てた。
三人の間で、なにかが通じ合った瞬間である。
だが、それも一瞬のこと。レナの視線は、アイナの顔から下の方へと移動する。
目に入るのは、形の整った二つの球体だ。
シェリーと比べれば小さいが、やっぱり自分達と比べると……、けっこう大きい。
「な、なんでそんなに、にらむんですか……?」
レナの冷ややかな視線に、アイナもたじたじである。
「なんでもないわよ」
ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くレナ。それでも横目でちらりと、アイナの方を盗み見る。
――なによ、なんでアイナもあんな大きいのよ。不公平だわ。
とにかく、納得がいかないレナなのであった。
だが、アイナばかりに目が行っていたために、レナとリンネはある重大なことを見落としてしまっていた。
そして今、二人に不幸が襲いかかる。
「ひっ!?」
「…ッ!!」
なりふり構わず、湯船の中で全力後退。
二人は首から耳から額までをも真っ赤にして、さっきまで自分達がいた辺りの水面を見つめる。
浮かんでいるのは、赤紫色をしたなにか。
そのなにかが大きく波を打ち、ざばーっと下に隠れていた本体を持ち上げた。
「シ、シシシシェリー! あああ、あんた、なっ、なっ、なにしてんのよ!」
しかし、シェリーはレナの発言には目もくれず、信じられないと言った表情で大きく広げた掌を見つめていた。
それからレナとリンネ、自分の掌の間を行ったり来たりを二度三度繰り返した所で、
「……ツルツル!」
――ぷっつん。
レナには、なにかが切れたような音が聞こえたような気がした。
「あんたら、まだ生…」
「…バカ……!!」
リンネは右手を前に突き出す。
そこには、グリーンサファイアのはめ込まれた指輪がキラリ。
シェリーが危険を察知した頃には既に、リンネによって生み出されたお湯の砲弾十発が標的に向けて射出されていた。
「こほん。それでは、気を取り直して。今日の本題に移ろうと思います」
まさか、リンネに切れられるとは思っていなかったようで。さすがのシェリーも、すっかり正座して大人しくなっている。
呪文を使わなかったとは言え、魔法を使うほど怒り心頭のリンネ。それはレナにとっても予想外で、不覚にもシェリーの心配をするほど派手な攻撃であった。
――まさか、あのリンネが……。
――リンネさんって、怒ると怖いです。
普段怒らない人が怒ると怖いと言うが、レナとアイナは身を持ってそれを体現したわけだ。
どれくらい怖かったかと言えば、今思い出しても寒気がするくらいは怖かった。
「最近、アキラが元気ないんだけどぉ……」
そこでシェリーの白い目が、レナに向けられる。
「レナお嬢様、なにか存じ上げておられませんか?」
「まずはその気持ち悪い話し方やめなさい。鳥肌が立つわ」
「…シェリー、ふざけるの、だめ」
「ご、ごめん……」
リンネはさっきの行為をまだ根に持っているようで。絶対零度の深い青の瞳が、じぃぃぃぃっ、とシェリーを見つめていた。
「あ、それ私も心当たりがあります。なんか最近元気ないです」
「でしょ。いったいどう言うことなのかなー。ねー、レナー」
さっきまで強気にでていたレナであるが、シェリーとアイナ、あとリンネからも視線が合わないようぐいぃっと顔をそらした。
顔をそらしたと言うことは、思い当たる節があると言うことで。
「さっさと吐きなさい」
宙を彷徨っていたシェリーの視線が、一直線にレナを捉えた。
いやはや、まったくわかりやすい女の子である。シェリーの放つ視線の前に、ますます気まずそうになっていく。
「確か、十日くらい前からです」
「…十二日前に、創立祭が、あった」
「創立祭ねぇ。なるほどなるほど」
二人の後方支援を得たシェリーは、にししと不敵な笑みを浮かべる。シェリーの中で、なにかが繋がったのだ。
創立祭前後の日になにがあったか。つまりは、それが答えに他ならない。
「アキラになにかされて、怒ってたもんねぇ」
ギクッ!?
実際にそんな音がしたわけではないが、三人とも確かに聞こえたような気がした。
少なくとも、レナが明らかに動揺していることだけは確実である。
「あの時、アキラのことボコボコに殴ってたけどさぁ、なにされたわけ?」
「って、あれはシェリーさんも共犯だったじゃないですか!!」
「だってねぇ、あれはアキラの方が悪かったんだから、レナの方に協力しないと」
「だからって、あの杖すごぉーく痛いんですよ? それであんなに」
「それくらい知ってるわよ。私もされたことあるんだし」
「だったら、一発くらいで許してあげてくださいよ!」
シェリーとアイナがデッドヒートを繰り広げる中、その場に居合わせていなかったリンネは頭の上にクエスチョンマークを半ダースくらい浮かべていた。
仲の良いシェリーも、さすがに『あの時のこと』を話すのには抵抗があったのである。だから、リンネはあの時のことを知らない。
逆に、その時のことを――その時昶にされたことを思い出してしまったレナは、恥ずかしさのあまり湯船の中へと没してしまう。
――だって抱きしめてきたんだもん抱きしめてきたんだもん抱きしめてきたんだもん抱きしめてきたんだもん抱きしめてきたんだもん…………。
昶に抱きしめられたこと。昶に抱きしめられて安心してしまったこと。昶に抱きしめているよう命令してしまったこと。
すでに脳の長期記憶に完全移行されていて、昶の顔を見てはあの時のことを思い出してしまうのだ。
そうなったら最後、自分でも制御できない気持ちが暴走し、つい手元の杖で……。
本人にその気がないだけに、レナ自身も困っているのである。
「沈むな」
後ろに回り込んだシェリーが、頭のてっぺんだけ出してぶくぶくしているレナを持ち上げた。
背中には、シェリーの(レナにとっては)凶悪な膨らみが押し付けられているのだが、全く気にならない。
さっきの会話のせいで、レナの頭の中ではあの時の映像が絶賛放映中なのである。
「レナさん、なにぶつぶつ言ってるんですか」
「うぇ!? な、なんでもない、わょ」
ようやく、ご帰還なさったようである。
どうやら、心の声が外に漏れてしまうくらい重症らしい。
「やっぱり。なにかあったのね? 吐け、吐きなさい!」
――いったいどんな面白いことがあったのよ!
あの時は嫉妬を抱いてしまったが、今なら許そう。なんか、すごく面白そうだから。
なんて思考を一瞬で終えたシェリーは、即座にレナへの尋問を開始した。
「アイナ」
「は、はい!?」
「くすぐれ!」
まず状況を整理しよう。レナはシェリーによって、両脇から抱えられている。
つまり、レナは拘束状態にあるわけで……。
「そりゃ」
「ちょぉ、シェリーッ!!」
シェリーは更に足を絡め、完全にレナの自由を奪う。
後ろから抱きついている状態であるが、これでもまだシェリーの方が足が長い。
「いけー、アイナ!」
「はい!」
アイナはずびしっと両手を上げると、無防備となったレナの両脇へと手を伸ばした。
そして、
「こちょこちょこちょ~」
「ひぎぃッ!?」
レナの顔が、引きつった笑みを浮かべる。
「あははははははは、や、やめっ、あはははははは……」
「吐けー、吐くのだー、あの日なにがあったのか、洗いざらい吐きなさい!」
「あはははは、な、なんではははっ、言わなきゃははは、ならないのよぉおっ!」
「アイナ、スピードアップ」
「了解です」
アイナのくすぐる速度が、倍速となった。
「ひゃははははは、わ、わかった! 言う、言うから! あははははははは……」
「アイナ」
「はい、シェリーさん」
シェリーとのアイコンタクトにより、アイナはレナの脇をくすぐる手を止める。
さっきとは、別の意味で顔を真っ赤にしているレナは、ぜーぜーと肩で息をした。
余談であるが、“くすぐり”は古来から続く拷問の一つである。
「それでは、お話ししていただきましょうか、レナお嬢さま」
ハイテンションの上に芝居がかった口調で、シェリーはレナに問いかけた。
だが、レナとしても可能な限り話したくない。抱きしめられたとか、抱きしめられたとか、抱きしめられたとか。
ましてや、ふわふわして、ぽかぽかして、落ち着いたなんて口が裂けても言えない、言えるはずがない。本人にもよくわからないが、絶対に言えないのだ。
しかし、状況は最悪である。
シェリーはレナが逃げ出せないよう、手と足を絡めたまま。しかも前方にはアイナが控えており、抵抗しようものならばくすぐり攻撃が再開されるに違いない。
口には出さないものの、リンネも気になって仕方のないようである。援護は望めない。
「はぁぁ」
全身運動による疲労に取って代わり、レナの顔は再び羞恥心で赤くなる。
今でも鮮明に思い出せる。
昶の匂いを、鼓動を、息遣いを。抱きしめてきた腕や、胸板の感触まで、はっきりと。
それらを思い出す度に、まるで全身の血液が集まっているんじゃ、と思うくらいに顔が熱くなるのだ。
「ほらほら、早く言いなさい」
シェリーが、凶悪に大きい二つの果実を押し付けてくる。
レナは意を決して、なわなわと震える口を動かした。
「……しめられたの」
「聞こえない、もっとはっきりと」
シェリーが再度、発言を要求。レナはもう一度自分を奮い立たせた。
「だ、抱きしめられた……の」
――はぁああああ! 言っちゃった言っちゃった、言っちゃったよぉおおおお! あぁ、もうどうしょう、顔変なになってないかな、なってたらやだなぁ。もう、これも全部アキラのせいよ!
心の中で責任を全部昶に押し付けるレナ。本人が知れば、『理不尽だろ』くらいは言いそうだが、こればっかりは昶に原因がある。
追求されれば、完全に否定することはできないだろう。
「「「………………」」」
予想のはるか上を行く回答に、一同絶句の図。
が、次第に思考も回復していき、三人ともその言葉の意味を理解し始めると、
「抱きしめられたの!?」
――よく生きてたわね、アキラ。
「抱きしめられたんですか!?」
――なんなんですか、その素敵な事件!
「…抱きしめられたんだ」
――男の人に……。
台詞は同じであるが、思うことは三者三様のようである。
一番最初に口を開いたのは、アイナだった。
「羨ましすぎます! 私もされたいです!」
シェリーはニヤリと笑みを浮かべると、傍観を決め込んだ。なんだか面白くなりそうだから。
「だ、だめよ! そんなの絶対だめ!」
「なんでですか! アキラさんはレナさんのものじゃないんだから、いいじゃないですか! 一人ばっかりズルいです!」
「アキラはあたしのサーヴァントなの。だからあたしのなの! そ、それに。それによ。あいつ破廉恥でケダモノなんだから、だめったらだめなの!」
「いえ、アキラさんならむしろ襲われたい……うぇへへぇ」
にへら~、と顔が緩んでいくアイナ。今頃脳内では、昶に抱きしめる映像が延々ループしているに違いない。
「だめったらだめなの! これ絶対!」
「そんなの無効です。アキラさんはレナさんのものじゃありませんから」
「契約を結んだサーヴァントの所有権は、主にあるものなの。だから、あれはあたしの!」
「関係ないです。アキラさんには、アキラさんの意思があるんですから」
「あたしの!」
「違います!」
「あたしのったらあたしの!」
「違うったら違うんです!」
――う~ん、なんか思ったより面白くない。
「はい、そこまで」
思ったより面白い展開にならなかったので、シェリーはすかさず仲裁に入る。
そろそろ本題に入らなければ、このままでは本格的にのぼせてしまいそうだ。今でも頭が少しぼーっとして、思考が多少緩んでいる感があるのだから。
「でもアイナが!」
「それはレナさんの方です!」
「いいから……」
レナの肩に手を置き、アイナにはにっこりと笑顔(血管マークのオプション付き)。
これには二人とも素直に、首を縦に振った。それも首が落ちるんじゃないかってくらい、ぶんぶん振っている。
さっきのシェリーが、よほど怖かったのだろう。
シェリーはレナを解放し、三人と向かい合うような位置に腰を下した。
水面に大きな二つの膨らみがぷかぷかと浮かんでいるが、それは見なかったことにしよう。
レナ、リンネ、アイナの三人は、ちょっとずつシェリーから視線をそらした。
「それじゃ、まずアキラの元気がない原因だけど……」
シェリーのあれを見ないようにしていた三人の内二人と、その持ち主のシェリーは例の人物へと視線を送る。
オレンジ髪で、最近赤面症の気がある昶の主に。
「な……なによ」
三人の視線が完全にアウェイなのは気のせいだと思いたいレナであるが、残念ながら気のせいではないようだ。
「抱きしめられた時のことを思い出して」
「恥ずかしくなって」
「…杖で」
順に、シェリー、アイナ、リンネ。
「あぅ……えっと、そんなんじゃ、その、うぅぅ……」
図星を突かれ、どんどん小さくなっていく。
その様が捨てられたら子犬みたいで、無性に可愛かったりするのだが、それは二の次だ。
「まあ、原因はアキラだとしても、これはあんたの方が悪いよ。レナ」
「会う度に、杖で叩いてますもんね。私の記憶が正しければ、昨日だけで六回はやってます」
「…やりすぎ」
と、三人から非難を受ける。
「わ、わかってるわよ。わかってるけどぉ……」
なんとかして言い訳を探そうとするのだが、いかんせん杖で殴ってしまうのは制御できない自分の気持ちが原因である。
他の理由など、見つかるわけがない。
「……んあー、もう! これも全部アキラのせいよ!」
結局いつものように、責任を全て昶に押し付けるのだった。
「はいはい、責任転嫁もその辺にしときなさい」
「だってぇ……」
「あんた、この中で最年長でしょうが」
「そうだけどぉ……」
本当に、どっちの方がお姉さんなんだか。とてもじゃないが、最年長には見えない。
見ため的にも、性格的にも。
「恥ずかしがらずに、前みたいにアキラと接しなさいって。そうすれば、全部丸く収まるから」
「む、無理よ!」
「わがまま言わないの」
「でもぉ……」
「殴られてばっかりの、アキラの身にもなりなさい」
そう言われると、弱いレナであった。
アキラは自分のサーヴァント。現状が続くようならば、マグスとしての資質も問われることになりかねない。
あと、まだレナとアイナしか知らないことだが、先日の一件から昶も魔法が使えるらしいことが判っている。肉体強化以外にも、強力な魔法が使えるのだ。
これならば、他のサーヴァントと比較しても申し分ない。
しかもついでとばかりに、空中から水精霊を集めて、水を作り出したのだ。
本人は専門外と言っていたが、それでもレナにはかっこよく映った。
――格好いいっていっても、ほんのちょっとよ、ちょっとだけ、ちょっとだけなんだからぁ。
唐突に創立祭の夜のことを思いだし、自分にそう言い聞かせるレナ。
それにアキラに教えてもらえば、自分のどうしようもない魔法も、少しはマシになるかもしれない。
そんな風に様々な思いが、一斉にレナの中を駆け抜けた。
「あんただって、早く仲直りしたいでしょ」
少しの間を置いて、シェリーはレナに問いかけると、小さくこくん。まるでリンネみたいな仕草で、ちょこんと頷いた。
まあ、仲直りといっても喧嘩をしているわけではないのだが。
「んじゃ、さっさと仲直りしなさいよ。週末にはみんなで、ラズベリエまで遊びに行くんだから」
「ちょっと待って」
さら~っと言い流そうとしていたシェリーを、レナが止めた。
「それ、いつ決めたの?」
「今」
「あんた状況解ってるの? 陸路はしばらく使えないって、学院長先生が仰っておられたでしょ」
「だ~か~ら~。籠、お願いね」
もう少し詳しく言えば、“籠”とは飛竜達に牽引されて移動する“竜籠”のことである。レイゼルピナでは、中流から上流階級の貴族の間で広く普及している交通手段の一つだ。
「私ん家のグレシャス領よりも、あんたんとこのアナヒレクス領の方が近いでしょ」
「言い出したのシェリーでしょ。自分でなんとかしなさいよ」
「パパには留学を勧められてたから、ちょっと気まずいのよ。それに、家の竜騎士隊はレナんとこより練度低いしさ。だから、お願い。この通り!」
シェリーは両手を合わせ、頭を下げた。
何度かグレシャス家を訪れたことのあるレナは、その時のことを思い出す。
確かにあそこの竜騎の練度は、レナの実家のそれと比べて低い。
だが、正しく言えばそれは語弊でもあるわけで。グレシャス家の竜騎が平均ならば、アナヒレクス家の竜騎が平均のかなり上を行っているだけなのだ。
「それに、家には足の速い竜も少ないのよ。レナの家なら、足の速い子もけっこういるでしょ。だから、ね?」
と、更に目をうるうるさせて見つめくる。
だがなぜだろう、シェリーがやると切実感よりも笑いが込み上げて来るのは。
それはさておき、レナもグレシャス家を何度か訪れたことがあるので、シェリーの実家の事情はよくわかっている。
学院からはアナヒレクス領の方が近く、また足の速い竜も多い。
それになにより、アナヒレクス家の竜騎達のことを考えれば、やはりレナの実家に頼んだ方が効率的だろう。
「わかった。今日中に手紙書いてフクロウ便で送っとくから、バカな顔するのやめなさい」
「ほーい」
レナとしてもしばらく実家には帰っていないので、竜騎達に会うことに異論はないのだが……。なんと言うか、ちょっと苦手なのである。
その竜騎達が。どう接すればいいのか、なんと言うか。
「よし、これで足も確保したわね。でね、ちょ~っとやりたいことがあるんだけどぉ……」
と、シェリーは三人を手招きし、耳元でごにょごにょ。
大声では言えないことなのか、他の人に聞かれたくないのか、とにかく悪い予感しかしない。
「いやよ! あんたいったいどういう頭してるの!」
「恥ずかしいです! あ、でもアキラさんなら……」
「…ぅぅ」
そしてやはり、三人の悪い予感は的中するのだった。まあ、実にシェリーらしいことではあるのだが。
「私、センナさんのとこ行ってくる!」
「待ちなさい! センナにそんなこと頼んだら……」
顔面蒼白となる一同。センナのことだから、嬉々として手伝うだろう。
「じゃあね。とうっ!」
自分の欲望に従順な暴走特急シェリーは、肉体強化も駆使して湯船から一気に脱衣場までジャンプ。ざっぱーんと水しぶきを散らして、湯船を跳び出した。
着地の瞬間に滑って顔面から床に激突するが、肉体強化中なので特に痛がる素振りも見せず脱衣場へと消えて行く。
まったく、華の乙女と言う言葉がこれほど似合わない女の子も、そうそういないだろう。
そんなわけで、色々な意味で愕然とした三人はしばらくの間湯船から出られなかったとか。気力的な意味で。
まったくの余談であるが、その後のぼせてしまったオレンジ髪の女の子と薄い青い髪をした女を、黒髪の女の子が脱衣場で二人を介抱していたそうだ。
学院から遠く離れたグレシャス領の隣に、クレイモアと呼ばれる領地がある。
そこの領主が住まうクレイモア本家に、通信用のフクロウが音もなく舞い降りた。
担当から連絡を受けた執事長は、すぐさま猛禽舎へと向かう。白髪で長身痩躯な、いかにも仕事のできそうな壮年の男である。
それは最近よく見かけるフクロウであった。そしてやはり、宛名も差出人もいつもと同じ。
執事長はフクロウの背中に取り付けられた書簡から取り出した手紙を、送られた相手の下へと持って来た。
軽く二回ノックをすると、コンコンと硬質的な音が反響する。
「なんだ?」
若い男の声だ。
部屋が広いのか、それとも扉が分厚いのか。明瞭ではあるものの声は遠く、くぐもった印象を受ける。
「坊ちゃま、手紙でございます」
「誰からだ?」
「“ノウラ”様にございます」
「入れ」
執事長は扉を開けると、部屋の主に対して恭しく一礼した。
部屋は広い。人の十や二〇は、優にくつろげる広さはある。
華美な装飾は施されていないが、木製の高価な調度が整然と並んでいる。足下には、ダークレッドを基調とした幾何学模様の絨毯がひかれ、無粋な足音を消してくれる。
そんな部屋の中央に設えられたソファーに、部屋の主は座っていた。
「手紙は」
「ここに」
執事長は手紙をこの部屋の主へと差し出す。
主は手紙を受け取ると、険しい目つきで文章を読み始めた。
執事長はいつものように入り口の横に立って、部屋の主が読み終えるのを待つ。
部屋の主は、クレイモア家現当主の息子だ。
うなじの辺り、黒紐で適当にまとめられた赤紫の髪は、腰の辺りまで延びている。
身長は一八〇弱で、無駄のない引き締まった身体つき。細身にも関わらずひ弱さを感じないのは、衣服に隠れた強靭な筋肉の成せる業かもしれない。
その身体を覆っているのは、どこかの学校の制服だろう。レイゼルピナ魔法学院のものとは、デザインがまったく違う。
長袖のワイシャツを腕までまくり上げ、濃紺のスラックス。左の胸ポケットと上腕の辺りに、剣と杖をモチーフとしたエンブレムが金糸で刺繍されている。
深緑を湛えた鷹のように鋭い目は、今も手紙の文面を追ってせわしなく動いている。
そして、
「週末、ラズベリエに出かけてくる」
「左様で。護衛の者はどうしましょう?」
「必要ない。俺が手に負えないような相手に、護衛の奴らが勝てるわけないだろ」
「かしこまりました。お気を付けください」
「もう下がっていいぞ」
「はは、それでは」
執事長は、そう言って部屋を後にする。
「ついに来たか。この日が」
部屋の中では、主である若い男が蠱惑的な笑みを浮かべていた。