第九話 一夜明けて…… Act06:あたたかい場所
扉を開けた瞬間、昶に向かってなにかが飛んで来た。
「あぐッ!?」
飛んできたものは、直方体の頑丈な物体だ。大きさは、昶の顔よりも少し大きいくらい。
しかもなんか、やたらと分厚い。具体的に言えば、八センチくらいはあるだろう。
よく見れば、レナの持っている魔法戦闘について書かれた参考書であった。
そんな重量級の参考書を顔面に喰らった昶は、たたらを踏みながら後ずさった。そのまま後ずさり、反対側――シェリー――の部屋の扉で盛大に後頭部を打つ。
あまりの痛みに声も出ないらしい。うずくまったまま、うーうー、と唸っている。苦悶とはまさに、この時のために用意された言葉だろう。
「一人にしてって言ってるでしょ! 勝手に入って来ないで!」
開いたままの扉から、鬼のような形相のレナが怒鳴り散らしてきた。
目尻が真っ赤で、頬にも赤味が差し、はぁはぁと肩で息をしている。
剣呑とした鋭い視線や、触れれば火傷してしまいそうな負のオーラ。
その様子から、レナがどれだけ怒っているのか、そして悲しんでいるのかがひしひしと伝わってくる。
見ているこっちの方が苦しくなりそうだと、シェリーは感じた。
「なによその言い草。こっちはあんたがいきなりどっか走って行っちゃうから、心配したのよ」
「そうですよ、レナさん。いきなりですもん。心配しない方がどうかしてます」
「あたしが、いつ心配してなんて頼んだのよ。放っておいて! 一人にさせて!」
それはまるで、悲しいのを隠すために、怒ってるようだった。
声を張り上げているのが、逆に虚しく、痛々しい。
辛うじて虚勢を張っているのが、シェリーやアイナの目から見ても明らかだった。
「ってぇ……。こんなもん投げんなよ」
ようやく立ち直った昶は、苦悶の表情を浮かべながらぶん投げられた参考書を差し出した。
「あんたが勝手に入って来るからじゃない」
だがレナはその手を払い、キッと昶をにらみつける。
床に落ちた参考書がゴトッと音を立てて、床のホコリを舞い上げた。
「入って来ないで! アキラの顔なんか見たくない、さっさと出て行って!」
「顔も見たくないって、俺がなにしたってんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、レナの中でなにかが崩れた。
表に出すまいと、せき止めていた悲しみが、涙となって頬を伝う。
気付いていない。昶の発した一言で、自分はこんなに苦しんでいるのに。
昶は自分のサーヴァントなのに。
なんで、どうして、わかってくれないのだろう。
「……あんたっ、言ったじゃない」
声が小さかったのもあるが、嗚咽のせいで上手く聞き取れなかった。
レナが深く傷付いていることは昶にもわかった。それくらいの洞察力がなければ、魔術師など務まるはずもない。
だがそんな魔術師の洞察力を持ってしても、レナの悲しみの理由まではわからなかった。
「あんた、言ったじゃない! あたしとの契約は、仕方なくやったって!!」
魂が悲鳴を上げている。
そうとしか形容できない、そう形容するにふさわしい叫びだった。
「ちょっと待て、俺がいつそんなこと言ったんだよ!?」
だが昶の方も、そんなことを言った覚えはない。
昨日、発狂するようにして気を失ったレナを見た後なら、なおさらそんなことできるはずがない。そんな、レナを傷つけるようなことを、言えるはずがないのだ。
「さっき、医務室、のぞいた時。言ってた」
思い出して、もっと悲しくなって。
レナはまた、まぶたの裏側がかっと熱くなったように感じた。
頬の表面を、熱いものが流れる。
胸が痛い。心臓がキリキリと軋む。心がバラバラになりそうだった。
「あたしと、契約したのは、仕方なくだって。さっき、言ってた……。あの、黒い雷のを倒すために、仕方なくって言ってた……」
そこまで聞いて、昶はようやく思い出した。
先ほど、ネーナと交わした会話の最後が、そんな内容だったはずである。
『じゃあ再契約は、その“ツーマ”ってガキを倒すのに、どうしてもしなきゃならなかったってことか』
『死にたくなかったら、そうしなきゃ仕方のない状態でしたからね』
そうだ。確かに言っていた。
つまりそれが、今レナの悲しんでいる理由なのである。
「あたし、魔法も上手く使えなくて、いつもみんなの足引っ張ってばっかりで……。それでも、あの時、いっぱい考えた。いっぱい、いっぱい考えたの」
いつの間にか、口にする言葉は、悲しみの理由から自分のことへと変わっていた。
堰を切って溢れる涙のように、積もりに積もっていた思いの数々がレナの可愛らしい小さな唇から零れ落ちる。
その姿は、いつものレナからは想像もできないくらい、脆く、儚く、触れてしまえばそのまま壊れてしまうような気さえした。
「あたしも、アイナも、なにもできなくって。でも、アキラの役に立ちたくて。それしかないってわかった時、すっごく悩んで……」
普段は気丈に強気に振る舞ってはいるが、それがレナの本音である。
ろくに魔法が使えない。そのせいで、いつも足を引っ張っていた。
今回の戦闘では、特にそのことが顕著に現れてしまったのだ。
アイナはその国内最速に匹敵する機動力で、いくらかは助けになっていた。
だが、自分はどうだっただろうか。
昶を乗せて飛ぶだけで、精一杯。
しかも本当に乗せていただけで、アイナに手を引っ張ってもらってだ。
魔法文字を刻んだ硬貨のお陰で、以前よりは役に立てるようになったかもしれない。
だが、アイナよりも役に立ったとは、自分でも到底思えなかった。
「あんたなら、本当に契約してもいいかなって、そう思って……。だから、あたし、あたしはぁ…………」
そこからはもう、言葉にならなかった。
えっぐえっぐと、嗚咽を漏らすばかり。まるで、幼い子供のように。
顔は、涙と鼻水とよだれで、ぐっちゃぐちゃの、めっちゃくちゃになっていた。
そんなレナを見ていた昶は、ちらりと後ろを見やる。そこには、今も不安げにレナを見つめる、シェリーとアイナの姿がある。
「悪い。あと、俺がやっとく」
そう言ってそっと扉を閉めた。
「っ……」
閉める扉の隙間から、手を伸ばすシェリーの姿が見えた。
昶は扉を閉めると、ゆっくりとした動作で泣きじゃくるレナの前に腰を下ろした。
下ろしたのはいいが、さて、どうしたものだろう。
女の子の慰め方なんて、正直まったくわからない。
里にも年齢の近い女の子は何人かいたが、あまり話したことはない。
ないわけではないが、昶の姉――草壁朱音――の影響があったとか。主にその性癖が絡んでるらしいが、そこは怖いので触れないでおこう。
また同時に、年齢の近い男共は草壁家のお荷物と言うことで、散々馬鹿にされていた。
昶よりも実力が低い者の方が多かったが、まあそこは気にしても仕方がない。昶も好きに放っておいたのだから。
問題はそこではない。仲の良い友人が、誰もいないことだ。
そんな人間が自分の発言のせいで傷付いた女の子を、慰めることができるだろうか。
『はぁぁ、どうすりゃいいんだろう……』
できる、わけがないだろう。
いや、正確には一つだけ思い当たるものはあるが、正直使いたくない。
それは昶が小さい頃に、朱音からされていたことだ。
毎回される度に、恥ずかしくて顔から火が出そうになったのを覚えている。
だが、安心できた。不安が消えた。心があったかくなった。
他にやり方を知らない以上、それをやるしかない。
多大な勇気と羞恥心を伴うが、これも自分のせいなのだから。
しかし、それをレナにしたらどうなるだろうか……。
『良くても死刑確定、だなぁ』
まあ、良くも悪くも、レナはそういう女の子なのだ。
なん言うか、わかりやすいやつである。
感情に素直と言うか、ストレートと言うか。
「レナ……」
可能な限り、優しいトーンで名前を呼んだ。
レナにどう聞こえたかはわからないが、昶はそうしたつもりだ。
「なによ……」
ぐずんと鼻を鳴らしながら、棘のある言葉が返って来る。
が、視線は合わせてくれない。
昶と目を合わせたくないのもあるだろう。それになにより、今の顔がとても人様に見せられる状態でないと言うのも大きい。
殺される、殺されるんだろうな、きっと殺されるぜ、とか思いながら、昶は実の姉にしてもらったことを実行した。
「先に謝っとく、ごめん」
「えっ……!?」
レナは自分の身になにが起こったのか、全くわからなかった。
ただ自分のサーヴァントの顔が、自分の顔のすぐ隣にあることだけはわかった。
「ちょ、あんた、ななななな、なにしてんのよ!!」
十秒近く遅れて、ようやく思考が追いつく。
頭の裏と背中には、昶の大きな手が添えられている。
昶の胸板が、自分の身体に強く押し当てられている。
ちょっとでも息をする度に、昶の匂いがレナの鼻孔いっぱいになだれ込んできた。
「俺は、あの時、本心からお前と契約したいと思った」
「い、いきなりなに言い出すのよ……」
だが昶は、レナのことなどお構いなしに独白を続ける。
あくまでも優しいトーンで、しかし有無を言わせず。
レナに反論する隙を与えないために。
「レナ=アイシャ=ル=アギニ=ド=アナヒレクスの名に誓って、俺はお前のサーヴァントだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「……あきら」
抱きしめられるのって、こんなに安心するものなのだろうか。
それとも、昶だから安心するのだろうか。
わからない。でも、そんなのどっちでもいい。
「それとな、俺はあの時、本当にお前と契約したかったんだ。絶対にいい加減な気持ちなんかじゃない」
「…………それ、本当?」
「あぁ」
昶は抱きかかえていた頭を解放し、ほんの少しだけ離れた。
だが、鼓動は逆に早まる。それも息苦しいほどに。
どくんどくんと心臓が脈を打つ。
昶とレナの視線が、ようやく交わった。
「真名だっけ。アイシャって言うんだな」
「………………どうせ、似合わないって、そう思ってるんでしょ」
レナは自分の気持ちに、ふわふわとしたこの気持ちに戸惑っていた。
なんでだろう。いつもなら、こんなことされたら、絶対に許せないはずなのに。
だが今は、今だけは、その戸惑いまでもが心地よかった。
だから、理由なんてどうでもいい。
「いいじゃねえか。か、可愛いんだから」
昶の匂いが、体温が、息遣いがはっきりと感じられた。
それに、自分の心臓が早鐘を打っているのもわかった。それは、昶も同じらしい。
昶の鼓動が、どくんどくんって、胸板越しに伝わってくる。
もしかしたら、自分より緊張しているのかもしれない。
そっちから抱きしめておいて、だらしない。なんてレナは思う。
でも、この瞬間だけは許そう。
レナはそっと、体重を昶の方へと傾けた。
もうちょっとだけ、このふわふわとした心地よさを味わっていたかったから。
「レ、レナ!?」
レナの予想外の行動に、昶はどう反応すればいいかわからなかった。
「ご主人さまからの命令、もうちょっとこうしてなさい」
すごく、すごく小さな声だったが、昶の耳にははっきりと聞こえた。
「……」
昶は無言でうなずくと、そのままレナを支えるように、ぎゅっと抱きしめる。
まるで大切ものを扱うかのように。
『あきら』
たぶん、今口を開けば、自分のだらしのない声を聞かれてしまうだろう。
だからレナは、心の中でそっと、昶の名前を呼んだ。
あまりに心地よくて、頭がぼぅっとしているから。
そのせいだろうか。今まで悩んでいたことが、ばかみたいに思えてくる。
『レナ=アイシャ=ル=アギニ=ド=アナヒレクスの名に誓って、俺はお前のサーヴァントだ。それ以上でも、それ以下でもない』『それとな、俺はあの時、本当にお前と契約したかったんだ。絶対にいい加減な気持ちじゃない』
本当に、ばかみたいだ。
たったそれだけで、医務室の出来事など、許してしまえたのだから。
いったいどれほどの時間が、経っただろう。
長かったのか、それとも短かったのか。
そんなもの、当の本人達にわかるはずもない。
永遠にも等しい長さにも感じられたし、一瞬の出来事だったような気もする。
なんにしても、実の姉以外と抱き合った経験のない昶にしてみれば、精神的にはグロッキー寸前の状態だった。
もしかしたら、“ツーマ”と戦った時以上に、緊張していたのかもしれない。
だから『もういい、大丈夫』と言われ昶は、さっとレナから離れた。
もちろん、レナの方も。
昶に抱きしめられて、不覚にも安堵を覚えてしまったことが。更にはその感覚に浸っていたくて、昶に命令してしまったことが、たまらなく恥ずかしくなったのだ。
そんなレナが、照れ隠しにどんなことをするか。もうおわかりだろう。
かたっと、よく聞き慣れた乾いた音が昶の耳に飛び込んできた。
そしてその音を聞いた瞬間、嫌な予感と言う名の寒気がつま先から脳天までを全速力で駆け抜ける。
「アアアア、アキラ……」
「な、なんでしょうか?」
レナの声に、最早先ほどのような悲しみの感情はなかった。
それはいい。それはいいことなのだが、昶はなぜか、冷や汗が止まらない。
そう、これまでの経験則から、わかっているのだ。
こういう事をした場合、レナがどんな行動に出るか。
「まま、まさか主に、あんな破廉恥なことしておいて。た、た、ただで済むと思ってるんじゃないでしょうね」
「いや、だから先に謝っ…」
「この変態ッ!」
先端に緑の珠がはまった杖が、大きく弧を描きながら昶の頭頂部へと迫る。
「っ!? あ、危ねえだろ!」
ギリギリの所で真剣白刃取りの如く、がっちりと杖をホールド。頭部への大ダメージはなんとか避けられた。
「うるさい! 変態ッ! 色魔ッ! 色情狂ッ! あんたみたいなド変態、放っとけるわけないでしょ。これ以上破廉恥なことする前に、あたしがしっかり調教しておかないと……」
「ちょっと待て、それは理不尽だ! 俺は単に…」
「問答無用!」
両手のふさがっているレナは、小さな足(一応靴は脱いでくれている)を昶の顔面へと繰り出す。
一瞬スカートの中の水色の縞に気を取られた昶は、成す術もなく後方へと蹴り倒された。
レナは振り上げた足を慌てて降ろし、スカートの前側を押さえる。
どうやら、やってしまってから気付いたらしい。
「……見たでしょ!」
「いや、今のは不可抗力…」
「ア~キ~ラ~……!!」
「すいませんでした! 俺が悪かったから、許してください!」
が、昶の願いが届くはずもなく……。
「許すわけないでしょうがぁああああああああ!」
レナの杖が、ビュンビュンと空を切るのだった。
なんとなく自分の部屋に戻る気になれなかったシェリーは、中庭に向かってとぼとぼと歩いていた。
その後ろ姿に、いつものような底抜けの明るさはない。
「シェリーさん?」
隣を歩いていたアイナは、いつになく暗いシェリーへと声をかける。
「ん? なに?」
「いえ、元気がないなあって」
「あぁ、やっぱりそう見えちゃうんだ。ごめんね、心配かけて」
いつもなら、煙に巻いてはぐらかすはずなのに。
やっぱり、いつもと様子が違う。
「ちょっと前まで、レナを慰めるのは私の役目だったから。ちょっと寂しくなっちゃって。それだけ」
「レナさんって、すっごくしっかりしてるイメージがあるんですけど。そんなことあるんですか?」
「そりゃ、めったにないわよ。でも、落ち込む時はどーんと落ち込む子だから。今回みたいに」
「あぁ、なるほど」
確かにあれは、アイナがいつも見ているレナからは、想像もつかないくらいボロボロだった。
普段の気丈さはなりを潜め、ガラス細工のような繊細さだけがそこにはあった。
「私は、嫉妬しちゃいました」
「レナに?」
「はぃ。アキラさんに、あんなに心配してもらえるなんて。羨ましすぎます」
「アイナの時でも、慰めてくれると思うけどなぁ」
例えシェリー自身が落ち込んだとしても、昶は頑張ってくれそうな気がする。
なんとなくだが、シェリーはそう思った。
たった一ヶ月半くらいの付き合いだが、こればかりは自信があった。
「そうかもしれませんけど、レナさんほど必死になってくれる気がしなくて」
「そんなもんかねぇ」
「なんとなくですけどね」
はぁぁ、とアイナは深いため息をつく。
あんなに必死になっている昶を見た後なら、なおさら自信がなくなるではないか。
昶は自分のことをどんな風に思っていて、どれくらい大切に思われているのだろう。
こんな事を言っては、卑しいかもしれない。
だが、そこには厳然たる“順位”が存在する。
自分とレナと、どちらの方が上位に位置しているのか。
アイナはそれが、気になってならない。
「でも、アイナ楽しそうだよ」
「そうですか?」
「レナとアキラを取り合ってる時、とか?」
「もう、からかわないでください。楽しくないですよ。レナさんったら、ことあるごとにアキラさんに暴力振るうのに、私がアキラさんに近付くと、あんなことばっかりで。そもそも……」
シェリーはこの話題を振ったことに、すぐさま後悔するのだった。
出てくるのは、昶と手を繋いだらレナが杖を振ってきただ、一緒にお昼を食べようとしたらエサをやるなと怒られただ(レナに見つかった時に限る)、抱きついたら頭に杖の一撃を喰らっただ、まあ惚気ばかりで。
まあ、実に楽しそうな学院生活を送っていたわけだ。
それより、昶と自分だけだと言っていたのに、アイナにもあんなことをやっていたのかと、驚愕の事実を知ったシェリーである。
「はぁぁ、私もしてみようかなぁ」
「なにをですか?」
「アキラに恋」
その発言を聞いたアイナが、正気でいられるはずもなく、
「だ、ダメですよ! レナさんだけで手いっぱいなんですから、シェリーさんまで入られたら、私の勝ち目がなくなっちゃいます!」
本気にしたわけだ。それもかなり大真面目に。
まあ、冗談のつもりで言いはしたものの。
半分は本気であったし内容が内容だけに、アイナばかりを責めるのも酷と言うものだろう。
相手が誰であれ、してみたいと言う思いがないわけではない。
シェリーも年頃の女の子なのだから、恋の一つや二つはしてみたい。
だがそれ以前に、グレシャス家と言う大家を前にして、シェリー自身を見てくれるような人間がいるかどうかが問題なのだが。
と、そんな思考に流されていた時……、
「悪かった! 俺が悪かったから、そんな危ないもん振り回すな!」
「うっさい! 天誅よ天誅。エッチなことばかりしてるド変態なんだから、さっさと餌食になりなさい!」
盛大なデジャヴを感じる会話が聞こえてきた。
「シェリー、アイナ。頼むから、レナをなんとかしてくれ!」
昶は振り回される杖を器用にかわしながら、シェリーとアイナの後ろに回り込んだ。
「こら、逃げるんじゃないの! 色魔、変態、色情狂!」
ちょうどシェリーとアイナを中心に、相対する主とサーヴァント。
普段のシェリーなら、レナをなだめる所なのだが、
「レナ、やっちゃえ!」
「シェリ……、なにを!?」
今日はちょっと悔しかったので昶の後ろに回り込み、羽交い締め(肉体強化バージョン)にした。
これくらいのイタズラなら許してくれるだろう。学院長あたりなら。
「だめですよ、レナさん! 乱暴なことはしないでください!」
「アイナ……」
唯一の友軍を確保した昶はほっと一息つくのだが、そうは問屋が卸さない。
「ってお前もか!」
昶の前から、思いっきり抱きついた。
見ようによっては守っていると言えなくもないのだが、残念ながら身長のせいでただくっついているようにしか見えない。
「もう逃げられないわよ」
やばい。シェリーが肉体強化を使うならこっちもと思ったのだが、アイナにまで抱きつかれては。
下手すれば大怪我を負わせてしまう。
それに、後ろと前からマシュマロみたいな柔らかな感触に挟まれて、昶はもう全く集中できなくなっていた。
昶はそのまったく考えのまとまらない頭を総動員して、視線を前方へとやる。
そこには笑顔のまま、血管マークを一つ二つ三つ……最低でも六つ以上は浮かべているレナの姿が。
「こんのぉ、ド変態!」
その日、昶の悲鳴が、女子寮全体にまで響き渡るのだった。