第九話 一夜明けて…… Act01:戦士達の休息
学院外にまで広がり、一部では地形をも大きく変えた戦いは、昶達の活躍もあって、ようやくの終息を迎えた。全ての力を使い果たした者、大きな傷を負った者、負けてしまった者。様々な境遇の人はいるが、脅威はひとまず過ぎ去った。そして今、各々の戦場で死力を尽くして戦った戦士たちに、ようやくの安らぎが訪れる。まあ、そこは学生。先日の事も特に気にすることなく、ワイワイと騒がしい日常を繰り広げていた。そんな中、レナにショックな事が……!?
過日、後に“レイゼルピナ第一王女暗殺未遂事件”と呼称される事件に端を発する、前代未聞とも言うべき個人レベルでの大規模戦闘が行われた。
結果だけ言えば、王国側の惨敗だ。確かに、宝物庫から盗まれた二点の内の片方は奪還、犯人グループの内二名を捕縛している。
だが、生徒に怪我人を出し、校舎も一部損壊。王都から派遣された警備隊は壊滅状態、更には王女の直衛の任務を科せられている、ネーナ=デバイン=ラ=ナームルスの負傷と言う始末。
この状態を、惨敗と言わずしてなんと言えるだろうか。もっとも、怪我人は出たものの、死人が出なかったのは救いと言えよう。
そして現在、学院長室にはこれらの事態に対応すべく、暫定的な支援対策本部が置かれている。
主な内容は、怪我人の手当て、校舎の補修工事及び補強、敵マグスの戦闘力評価及びその背後関係等。また、ウェリスとラウドの戦闘によって、使用不能となっている街道の復旧も急がねばならない。
数キロ四方に渡って、大地の凍結及び地盤崩壊が起こっており、完全に陸の孤島と化しているのである。
ガタガタと窓が震え、巨大な影が校庭へと降下していく。
たった今、本日二回目となる補給物資が到着した。しばらくは、周辺都市の竜騎士達の力を借りねばならないだろう。
『儂がおりながら、情けない限りじゃのぅ』
オズワルトは、そんな光景を学院長室の窓から眺めていた。
こんな時のための自分なのに、なにもできなかったのだ。もっと上手く立ち回ることは、できなかったのだろうか。
考え出したら切りがない。そんな後悔の念だけが、頭の中を何度も何度もループしていた。
「学院長」
「あ、すまん、聞いておらんかったわい。すまんが、もう一度言ってくれんかのう、レイチェル先生」
「講義のことです。今回の一件で、一部施設が使えなくなってしまいましたので」
「そうじゃのう、倉庫代わりに使っとる空き教室を掃除して、対処しようかの。それと、実習の科目を全て屋外にすれば、なんとかなるじゃろ」
「わかりました。では、それで講義の日程を組み直します」
今回の騒動のせいで、数日は授業を行うことができない。その件も含めて、今年度分の残りの講義計画を再編するのである。
そうしてくれと言って、少し休もうとしたオズワルトであったが、そういうわけにはいかないようだ。
「学院長、怪我人の名簿ができあがったそうです」
「医務室ではベッドが足りません。どこか代わりになる場所を」
「すでに、子供を引き取りたいと、父兄の方から連絡が届いています。どうしましょうか」
「崩れた城壁の撤去作業に人手が足りません。手の空いてる人は手伝って」
矢継ぎ早に四方八方から言葉が飛び交う。そういえば、建物の補修や戦闘力評価で、王都から技術者や調査団が来ることになっているのであった。
『このハードスケジュール、老体には堪えるわい』
もうしばらくは、この場を離れられそうにない。
オズワルトは休憩を諦め、各個に指示を出した。
「“インドラの火”。“ラーヴァナ”なる神の軍勢を焼き払った、雷神の超兵器や」
ネーナは、今にも意識が飛びそうだった。最後の力を振り絞り、エザリアへ致死量のダメージを叩きこんだのだ。魔力なんて、もうこれっぽっちも残っていなかった。
「まぁ、データ収集のためやから、威力は万分の一もないけどな」
それでも、摩耗しきった精神を更にすり減らし、魔力を生成する。自分は、最後まで倒れるわけにはいかないのだ。生徒達やグレゴリオや、なによりエルザのために。
そして、始めは誰もが目指し、だがほんの一握りの者しかなれない、王室警護隊としての誇りのために。
「グレートウォール」
かすれる声を絞り出して唱えたのは、上位の防御呪文。しかも無属性を織り交ぜた、硬質な岩石と物質化した魔力の多層構造の防壁。
正真正銘、これが今のネーナに使える、最強の防御魔法である。
「Bang」
エザリアの言葉を引き金に、空を完全に覆っていた暗雲、そこに浮かぶ巨大な魔法陣の中央に、全ても魔力が収束した。
大きな月の光さえ霞む、圧倒的な光量の雷が、ネーナの意識を真っ白に染め上げた。
「あ゛ぁあああああああああああああああああああ!!!!」
――敵は、敵はどこだ……!
だが、ネーナの思いに反して、敵はどこにもいなかった。
まずは場所を確認する。在学中に、何度も見た学院の医務室。そこのベッドの上だ。
全身に包帯が巻かれており、身動きしづらい。それに、今頃になってようなく来た痛みが、身体の中心からずきずきと這い上がる。
「オレは、いきてる、のか……」
あの状況で生きているとなると、『生かされた』、と言った方が正しいだろう。
致死量の攻撃を放ったにも関わらず、相手のマグス――エザリア――は、その場で治療して見せた。いや、治療なんて生易しいものではない。
――――再生。
そう、まるで映像を逆回しにしているかの如く、信じられない速度の回復。再生と言う言葉が、最も適切だろう。
ネーナの知る、既存の治癒系魔法のどれをも上回る、未知の魔法。
確かに、レイゼルピナの中でも屈指の強さを有するネーナであるが、エザリアには全く通用しなかった。勝てるとか勝てないとか、そんな低次元の話ではない。
力こそが正義。それをそのまま形にしたような存在だった。
「ネーナさん?」
聞き覚えのある声が、ネーナの鼓膜を優しく振るわせる。
「……せん、ぱい」
レオンだ。だが、彼を含めた近衛隊の面々には、エルザの護衛を命じたはずである。
「せんぱい、エルザは、うちのひめさま、は?」
「それなら。今朝方来た竜騎士隊の連中が連れて帰りました。心配は無用です」
「そっか……」
なら、心配はいらない。少なくとも、今の自分に守られているよりは、よほど安全だろう。
「せんぱい、他のやつら、どうなりました?」
「他とは?」
ネーナは一瞬だけ考えてから、
「ゴリさんとか、ゴリさんとか、ゴリさんとか……」
「あぁ、グレゴリオ先生と、生徒達ですか。大丈夫、全員無事ですよ。むしろ、一番重傷なのは、ネーナさんですから」
それよりも安静にしていてください、とレオンはネーナを寝かせ、布団をかけてやった。
それに、なかなか目のやり場にも困る。全身を包帯で巻かれているとは言え、それ以外はなにも身に着けていないのだ。
ネーナには、もう少し女性としての自覚を持ってもらいたい、レオンであった。
「…………せんぱい」
「なんですか」
「…………みず、ほしい」
「ちょっと待ってください」
席を立つと、足早に医務室を出て行くレオン。しばらくして、食堂からコップ一杯分の水を持って帰って来た。
再びがばっと起きたネーナは、レオンからコップをひったくり、腰に手を当て、一気に飲み干す。
「っアーーーー!」
まるで仕事終わりの中年親父が、麦酒でも飲んだ時のようなリアクション。
だが、さっきまでの憔悴しきった姿はどこにもなく、いつもの勝ち気でちょっと失礼なネーナが、そこにはいた。
「で、先輩、戦闘現場の調査はどこまで進んでんですか?」
「それが、現状あまり芳しくないですね」
レオンは、できあがったばかりであろう、手書きの報告書をネーナへと渡した。
「嫌がらせですか……?」
だがネーナは、それを見もせずに突き返す。
理由は簡単、文字が苦手。具体的に言えば、書けない、あまり読めないから。
「戦闘現場は、学院外に限定して、合計で四ヶ所。規模には、かなりの差があります」
「進んでいる順番から頼む」
「ではまず、西側の森林地帯の方から」
レオンは粛々と、報告書を読み上げた。
「まず、ここでは二ヶ所で戦闘があったようです」
レオンは表紙の一枚をめくり、まずは学院西部の森の調査隊から届いた情報に目をやる。
いったい、どうすればこんな惨状を作り出せるのか。レオンは記載された文面に顔をしかめた。
「敵のマグスはどうなった?」
「片方は拘束、属性は水です。すごい、証言によると、一年生四人だけで撃破したみたいですよ」
まったく、データだけ見れば相対した生徒に空恐ろしささえ感じる。
レオンは自分もこの学院の卒業生であることも忘れて、そんな感慨を抱いた。
それに対してネーナはと言うと、
「なかなか優秀なやつらだな。三年後には、オレの後輩になるやつがいたりして」
とまあ、明るいものだ。
そんないつもと変わらないネーナを見て、レオンもふっと笑みをこぼす。
「まあ、いるんじゃないでしょうかね。では、続けます。相手は水と氷を駆使し、近距離から中距離にかけて、陸上の高速戦闘を得意としているそうです。調べれば多少はなにか出そうですが、雇われの線が強いかと」
「雇われかぁ。まあ、そうだろうとは思ってたがな。で、そっちは終わりか?」
「はい。ただ、この一帯火事で焼け野原になってましてね。やったのは、グレシャス家の嫡女だそうですよ」
それを聞いた途端、ネーナはふっと吹きだした。
グレシャス家と言えば、肉体強化以外にも、強力な火属性で有名な家だ。
まだ学院に入って一年も経っていないと言うのに、自分以上の無茶苦茶ぶりには笑わずにいられない。
「一年生なのにやんちゃやってんのなぁ。ま、それくらいの元気がなけりゃ、魔法兵なんてやってらんねぇけどな」
「ありすぎても困りますけどね。じゃあ、次行きますよ」
「おう」
ネーナは上機嫌に笑いながら、レオンに指示を出した。
「そのもう片方の方なんですが、例の闇精霊使いが現れたようです。ですが、前回のような大きな痕跡はなかった、と」
だが、『闇精霊』という単語を聞いた途端に、顔つきが一変する。
ネーナ自身も、初めて聞いたのはエルザ付きの護衛官を命じられた時がだが、まさか本当に暗黒魔法を使う人間が現れようとは、思ってもみなかった。
それがこの短期間で再び現れたのだ。
否が応でも、顔つきが険しくなるというものである。
「で、戦ったのはどこのバカだ?」
「サーヴァントのアキラ=クサカベと、そのマスターであるレナ=ル=アギニ=ド=アナヒレクス、王都の奨学金制度で学院に来ているアイナの三名です」
もちろん、こっちとやったのも一年生である。
と、その中に聞き覚えのある名前があった。
単純に名家だとかそういうのではなく、最近起きたある事件の報告書で読んだ名前だ。
「待てよ……。確か、シュバルツグローブで、闇精霊使いと一戦やらかしたバカって」
「はい、アキラ=クサカベです」
やっぱりか、とネーナは胸中で短くため息を突く。
「またか。そのガキには、一度会って話を聞いてみたいもんだ」
「ちなみに、敵には逃げられたそうです。それで、ここからがちょっと……」
「ちょっと?」
と、レオンが声のトーンを一段階下げた。
「まず、ネーナさんの方から」
「待って、その『ちょっと』ってのがすごく気になるから教えてよ、先輩」
「聞いてればわかりますよ。まず、重傷者二名。これがネーナさんと、グレゴリオ先生です。それで、軽傷者五名。こっちが学院の生徒になります」
「生徒共の怪我の具合は!!」
ネーナは乗り出すようにしてレオンに顔を近付ける。
そのせいで布団がはだけ、たわわに実った胸が見えそうになったのだが、レオンは慌ててネーナをベッドに寝かしつけた。
「ふぅぅ。激しい打ち身で身体を動かすのも辛いそうですが、全員命に別状はないそうです」
「よかった~。これで再起不能の大怪我とかされたらと思うと、ぞっとするぜ」
と、安心したらしいネーナは大きく深呼吸。
胸の辺りが大きく上下するのに、レオンは顔が赤くなるのを隠すようにちょっとだけそっぽを向いた。
「ちっ、ちなみに、犯人は目下捜索中です」
「さっさと探し出さなくちゃな」
「そうですね。しかもこれ見る限りだと、新しい湖ができてるみたいですよ」
『新しい湖』と聞いて、ネーナはさっきまで夢見ていた昨夜のことを思い出す。
今思い出しても腹が立つ。主に不甲斐なかった自分に対して。
「あぁ。ったく、訳わかんねえぜ。なんか刃の三つ付いた槍を地面に刺すとな、地面が水になるんだぜ?」
「トライデントでしょ。いい加減、武器の名前くらい覚えてください」
「いーですよー。どうせオレは、頭悪いんですからー」
と、あっかんっべーするネーナ。
なんかちょっと可愛い。
もっとも、こんな仕草は学院時代に飽きるほど見たレオンにとっては、見慣れたものだが。
「すねないでください。まあ、そっちもすごいんですが、例の雷の跡、見ました?」
「いや? 着弾時には、もう意識なかったからなぁ」
「隕石でも降ってきたのかって感じですよ。中心部は数メートル単位で陥没いえ、融解。直径約二〇〇メートルの、クレーターが形成されています。しかも、表面は相当な高熱にさらされたせいで、ガラス質に変化していました」
頭の中にその光景を思い浮かべて、ネーナは苦い顔になる。
改めて思うが、本当によくもまあ生きていたものだ。
「そりゃまた、随分な威力だな。本当に、デカいだけの雷なんだか、疑いたくなるね」
「先の湖の分と含めまして、レイゼルピナ全土に該当する魔法は存在しません」
「オレにもさっぱりだったからな。資料を使えばあるいとは思ったが、甘かったみたいだな」
「範囲を国外まで広げてみるつもりですが、恐らくないでしょうね」
魔法先進国のレイゼルピナにないのだから、他を探しても出てはこないであろう。
「そんじゃ、最後のやつを聞こうか」
「はい。規格外のブラーデ・アーマと、恐らく上位階層の水精霊が戦ったものと思われます」
と、レオンは書類をめくりながら、記載されている内容に目を丸くした。
相変わらず現実味はないが、こっちの方が想像しやすい分ぞっとするものがある。
「規格外って言うと、どんぐらいだ?」
「それなんですが、通常の十倍以上は、あったそうです。これ、本当なんでしょうかね?」
「知らねえよ、んなもん。でもまあ、とんでもねぇサイズだな。オレも勝てるかどうかって聞かれたら、自信ないぜ」
「それで、ここがちょっと、と言うか、かなり問題でして」
ただでさえ低くなっていたレオンの声のトーンは、より一層低いものになる。
「どうした?」
「数キロ四方に渡って、地盤がめくれ返っていて、数ヶ月は陸路の使用が不可能です。しかも、周辺の山の一部が削れてます」
「年内の復旧は?」
「九割方、無理だと思います」
確かにこれは、声をひそめたくなるような内容であった。
森林の火災や新しい湖もそうであるが、本格的に地図を書き変えねばならないような状況には、ネーナも眉間の辺りに深いしわを刻み込んで苦笑いする。
「となると、しばらくは飛竜での空輸になるのか」
「竜騎士隊は使えないにしても、飛竜もかなりの数を持て余しているので、それほど問題はないでしょう。まあ、数ヶ月が限度でしょうが」
「にしても、さすがジジィだな」
「なにがです?」
「それ、ジジィの契約してるサーヴァントだよ」
そのサーヴァントのことを聞いた途端、自分や生徒達に心配をかけたオズワルトの顔がネーナの脳裏に浮かんだ。
一通りの業務連絡は完了した。ネーナは、レオンからの情報を精査する。
「にしても、王都の連中が手も足も出ない相手とはなぁ」
「やはり、近接戦闘が苦手なせいでしょうね。僕もですけど、肉体強化が使えない限りは、普通の兵士と同じですから。得意とする魔法のレンジも、中距離から遠距離に偏ってしまうんですよ」
だよなー、とネーナもそれに同意した。
それについては、学院時代に十分経験している。
「つっても、あれは全員が全員使えるわけじゃねえしなぁ」
肉体強化の魔法は、個人差の非常に激しい魔法の最たるものと言っていい。
シェリーのように、スペックだけなら昶に匹敵するようなレベルの者もいれば(現在は使いこなせていないので、そこまでの性能を出せていない)、ネーナやグレゴリオのように、そこまではいかなくとも、常識外れの力を発揮する者もいる。
また、全身武装鎧を使えば、(属性によって向き不向きはあるが)擬似的に肉体強化とほぼ同じ効果が得られるので、その点だけを見れば理論的に全てのマグスは近接戦闘が可能である。
だが、ネーナやグレゴリオほどの肉体強化が可能なマグスも稀であり、また全身武装鎧の制御にも高度な魔力制御技術を要する。
それなら、中遠距離の魔法を訓練した方が効率的なのだ。
なぜなら、近付かれる前に迎撃できれば、それでいいのだから。
それに、今回の敵に匹敵するようなマグスそのものが、ほとんど存在しない。
魔法大国と呼ばれるレイゼルピナの魔法兵でさえ、一騎当千と呼ぶに相応しい者など十人といないのである。そこへネーナを含めても、だ。
つまり、そんな飛び向けて強力なマグスへの対策を訓練するより、中距離から遠距離での魔法を訓練する方が効率的なのである
持っている能力が同じなら、射程の長い方が圧倒的に有利なのだから。
ちなみに、近衛隊は、近接戦闘が必須技能でもある。
「いっそ、全身武装鎧と接近戦を訓練メニューに加えるとか?」
「ネーナさん、僕、全身武装鎧苦手なんですけど?」
「頑張れ、レオン先輩」
んじゃ、オレの代わり頼んますねと言うと、再び布団を被る。命がけの戦闘による疲労は、尋常ではなかったと言うことだろう。
ネーナはあっという間に、深い闇の底へと落ちていった。盛大ないびきをかきながら。
所変わって、レナの部屋。
「やっほー、レナ元気?」
「だ~か~ら~。なんであんたはそう、人の部屋に勝手に入って来んのよ……」
天蓋付きのベッドで、オレンジ色の髪をくしゃくしゃにしていたレナは、乱暴な訪問者その一に目を覚ました。キッとつり上がったエメラルドのような大きな瞳で、忌々しげに開いたドアを見つめる。
昨日、それなりに怪我を負ったはずのシェリーが、赤紫色をした自慢のポニーテールと、バストを揺らしながら立っていた。
まったく、どこから部屋の鍵をくすねてきたのやら。
「…おじゃま、します」
そんなレナの気配に気圧され、入室と同時に謝るリンネ。深い青をした可愛らしい瞳が、恐怖にうるうると潤っているのは、幻ではあるまい。
「リンネはいいのよ。そこのシェリーと違って、騒がしくないんだから」
「まあまあ、そんなこと言わないの。ほら、お土産もあるから」
よく見ると、肩に籠のようなものを担いでいる。それになんとなく、甘い香りも。
「よく手に入ったわね、こんな状況で」
「えっへん。もっとほめよ!」
と、シェリーは籠に入った、フルーツ詰め合わせを差し出した。
補給物資の中から適当にくすねて来たと言うのは内緒である。
「二人とも、昨日戦いに出たって本当?」
「…うん」
「まあねー」
シェリーはポケットから果物ナイフを取り出し、器用に皮を剥いていく。シュバルツグローブの時もそうであったが、シェリーは常に数本のナイフを所持していると言う、極めて危ない女の子だったりする。
まあ、発動体である炎剣――ヒノカグヤギ――を常備しているので、隠し持っているナイフの存在など霞んでしまうのだが。
ちなみに、今もあの重たい炎剣を背負っている。
「レナの方こそ、よくアキラの所まで行ったわね。突然あんなになっちゃって、すごく心配したのよ?」
「悪かったわね。大丈夫。ちょっと、思い出しちゃっただ、んぐぅ!?」
「はいどうぞ」
見た目がリンゴをカットし、レナの口へと突っ込むシェリー。
なかなかの手際である。皮を剥くのも、タイミングよく口に突っ込むのも。
切られた皮は、近くのゴミ箱にぽい。
その横では、持ってきた皿に乗っかったリンゴを、リンネがフォークでちょこんとつついていた。
「むぐむぐ、んぐっ、あんたの方こそ、よく無事だったわね。リンネとミシェルにミゲルでしょ? 一緒にいたの」
「そうね。怪我はすぐに二人が治してくれたし、ミシェルもミゲルもなかなか役に立ってくれてたわよ。はっきり言って、私だけじゃどうにもならなかったし」
「…シェリーは、頑張ってた。すごく」
「も~、ありがと~、リンネ~。はいこれ」
と、シェリーはブドウをリンネの口にあてがった。
リンネにほめられたのが、よほど嬉しかったのか、そのまま頬ずりまで始めるシェリー。まんざらでもないのか、リンネも頬を桜色に染めていた。
「ある意味、一番の功労者はリンネかなぁ。リンネのサーヴァントの能力がなかったら、私達ここにいなかったかもしれないんだし」
再び頬ずりしながら、リンネの小さなお口へリンゴを。かなり食べにくそうなのだが、当の本人は気付いていない様子だ。
と言うよりも、ツボにはまったようである。
まあ、そんなリンネも小動物のようで、非常に可愛いのは確かなのだが。具体的に言えば、不覚にもレナもちょびっとだけ可愛いと思ってしまう位に。
「まあ、今回の一件で、あの兄弟を見る目が多少変わったのは、事実よ。けっこう頑張ってるんだなぁって思ったわ」
「ミゲルはともかく、あのミシェルがねぇ」
シェリーの言を肯定するように、リンネもちょこんと頷いた。
その場に居合わせていないレナにはわからないが、ミシェルもシェリー同様、格上のマグス相手に直接戦ったわけであるし、ミゲルがリンネをかばったのも紛れもない事実である。
リンネ自身も驚きはしたものの、同時に嬉しいとも思ったのも確かだ。
しかも、そのせいでかなりの大怪我までしてしまったので、ちょっとした物語の主人公のようでもある。
ある意味、あの格好つけにはうってつけの立ち位置なのかも、なんて思うレナであった。
と、そこへ……。
「アキラさーーーん!」
「うるさいのよ!」
部屋の主はガーンとドアを蹴り破らんばかりの勢いで入って来た、乱暴な訪問者その二に薄手の本をぶん投げる。
闇夜を写し取ったような艶やかな黒髪と黒い瞳、そこへ絵に描いたような天真爛漫を併せ持った少女、アイナである。まあもっとも、こちらは先の二人と違って、部屋の主を訪ねて来たわけではない。
「レナさん、痛いじゃないですか」
「子供じゃないんだから、もうちょっと他人の迷惑ってもんを考えなさいよ」
とそこで、訪問者二名へと視線を向けるアイナ。迷惑なんかじゃありませんよね、と暗に訴えているのがよく分かる。その視線をキャッチした、シェリーの思考はと言うと……。
『 迷惑だ
→迷惑でない』
レナをからかえ、なおかつ面白い方を一瞬で選択。
「別に気にならないけど?」
最適解を口にした。もちろん、レナにとってではなく自分にとってのだが。
「だ、そうですよ」
えっへん、と鼻をならすアイナ。軍配は部屋の主ではなく、乱暴な訪問者その二に上がったのであった。
「シェリー、あんたもうちょっとあたしに気を使ってもいいんじゃないの!!」
「私は迷惑じゃないから、問題なし!」
「あんたねぇー」
「なんか文句でもある?」
「お・お・あ・り・よおッ!!」
沸点の低いレナは、発動体の杖をひっつかむと、そのままの勢いで上段から振り下ろした。標的はもちろん乱暴な訪問者その一。
「あんたねぇ、来る人全員にそんなことしてるんじゃないでしょうねぇ……?」
「そんなわけないじゃない、あんたとアキラくらいよぉ……!」
友人に向かって杖を振り下ろすレナもレナだが、それを受け止めるシェリーもシェリーである。ちなみに、肉体強化は使っていない。
見事な反射と身体さばきである。
そんな、いつものようにいがみ合う二人を、なんとかいさめようとするリンネなのだが、二人の迫力に圧倒され、今日も口をなわなわするだけだった。
そんな中、
「もう、レナさんこそ、子供じゃないんですから、そんなかっかしないでくださいよ」
アイナが油に火を、と言うか、とどめを刺してしまったわけで。
「誰のせいでしてると思ってるのよ。誰のせいで!」
「そうやってなんでも他人のせいにするのって、すごく子供っぽいと思います」
「一般常識の欠けた子供にだけは、言われたくないわね」
「失礼な。少なくともレナさんよりは大人です」
『だけ』の部分を強調するレナと、『より』の部分を強調するアイナ。二人の視線は空中で激しく火花を、……散らしていない。レナの瞳は、ギロリとアイナのそれをにらみつけているのだが、アイナの方は別のモノを見ているようだ。
レナは、アイナの視線をトレース開始。現地時間の一秒半後には、アイナの視線の矛先を捕捉した。
「…………」
その矛先はと言うと、自分の首から下の辺りへと向けられている。
そこにあるのは、ぺったん……ではなくひっそりと、慎ましやかな、可愛らしい、二つのふくらみがあった。
「アイナの勝ち」
いつの間に席を立っていたのか、シェリーはレナとアイナの手をつかむとアイナの方を高々と掲げる。
なにが嬉しいのか、アイナはその場でぐるぐる踊り始めた。
「勝ちってなにがよ!」
シェリーとアイナは、口をそろえて言う。
「「胸」」
――――――――ぶっつん。
「あんたらねぇええええええええ!!」
その後のリンネの努力も虚しく、レナの部屋は殺伐とした戦場へと姿を変えたのであった。