第八話 戦闘開始 Act12:二人目の魔術師
「おいおい。こいつぁ、いったいなんの冗談だ?」
「あるがままを受け入れろ。まずはそれからだ」
ネーナとグレゴリオは、目の前の惨状が信じられなかった。
正確には、目の後ろの方であるが。
二人の後ろには、学院から一緒に女生徒を追って来た五人の学生が横たわっていた。
死んではいないが、虫の息には違いない。
倒されたのである。今も上から見下ろすような視線を向けてくる、不可思議な格好をした女に。
その女が作り上げた、棒人間のような細身のゴーレム一体と、その手に持った三叉槍に。
「なんや、張り合いないなぁ。やっぱ学生は学生っちゅうことかいな」
女――エザリア――は、膝をつくネーナとグレゴリオを楽しそうに見下ろしながら、三叉槍を肩に担ぎ上げた。
月明かりに照らされたそれは、身の丈の倍近くはある金色の三叉槍。
柄の端についた三つのリングが、シャーン、と軽やかな音色を響かせる。
「お前、あの学生の仲間かなんかか。なぜオレ達の邪魔をする?」
「なかま? ちゃうちゃう、ただの仕事やて。あのガキが逃がすん助けろ言われとるだけやがな。それはそうと、うちのことをお前呼ばわりたあ、よっぽど死にたいらしいなぁ、姉ちゃん」
エザリアが顎をしゃくるのに応じて、細身のゴーレムが走り出す。
その足取りは異様なほど早く、肉体強化をした人間並み。
ネーナでも気を抜くと、一撃でノックアウトする危険性があるほどの代物だ。
「こんのぉおお!」
ネーナは身体能力を上げ、後方に大きくバックステップした。
間をおかずして、棒のような腕が地面に深々と突き刺さる。
それを見計らって、グレゴリオがその脇を素早く駆け抜けた。
「ゴリさん、やっちゃいな!」
ネーナは腕を引っ張り出し、主人の下へ戻ろうとするゴーレムを力ずくで押さえつける。筋力で足りない分を風の全身武装鎧の部分展開で補いながら。
ネーナクラスでなければできない、高等技術の並列起動だ。
「言われなくとも!」
炎をまとったグレゴリオの拳が、まっすぐにエザリアの顔面へと向かう。
「ふんっ」
エザリアは人間なんか一瞬で消し炭になりそうな炎を見ても、防御するそぶりすら見せず鼻で笑った。
すると、担ぎ上げた三叉槍の槍頭を地面に突き刺す。
再び、シャーン、と言う軽やかな音色が夜の闇に響いた。
「んっ!」
と、グレゴリオは攻撃モーションに入る直前で急停止し、そのまま横へ抜けるように進路をそれる。
するとどうだろう。地面からいきなり水柱が吹き上がったのだ。
それは先刻まで、グレゴリオが通ろうとしていた場所である。
「ほほぅ、ええ勘しとるやないか。一回見とったとしても、一発でようかわしたなぁ。褒めたるで」
「バカにするな、ボルケーノランサー!」
グレゴリオは身体の向きを変えつつ、中位の攻撃呪文を唱えた。
掌には瞬時に火精霊が集められ、ニメートルを優に超える炎の槍を作り上げる。
「んなもん、効くわけないやろ」
だがエザリアは三叉槍を再び地面に突き刺し、襲い来る炎槍を逆に水柱で消し去ったのだ。
それどころか、水柱は勢いを衰えさせることなくグレゴリオへと襲いかかり、後方へと大きく吹き飛ばす。
「ゴリさん!」
「姉ちゃんもよそ見はあかんで」
ネーナはぞっとした。自分の両側から、今押さえつけているものと同じ、細身のゴーレムが姿を現したのである。
慌てて拘束を解くと、ネーナは身体をそらせて両側から飛来するストレートをかわす。互いを殴り合う形となったゴーレムは、そのまま後方へと倒れた。
ネーナは機を逃さずして、後転するようにして大きく距離を取った。
なんとか危機は脱したものの、自立制御らしきゴーレムが三体。
なかなか面倒な展開である。
「反応速度は上々やけど、まだまだやなぁ。せやかて、思考制御も面倒やし。完全自動制御はまだまだ課題が多いで」
はぁぁ、と頭を抱えるエザリア。
それに対して、ネーナはエザリアの醸し出す違和感に困惑していた。
この女、戦闘が始まってからと言うもの、危機感と言うものをまるで感じていないようなのだ。
それどころか、向こうからは殺気すら感じない。
「まあええわ。とりあえず、そこの姉ちゃんの相手でもしときい」
指令を受け、三体のゴーレムが縦一列になって動き出す。
それに応じて、ネーナは魔力の生成を一気に加速させた。
「舐めんなよ、フレイムパイラス!」
中位の攻撃呪文を唱える。
空中には十数発の炎でできた槍が浮かび上がり、一斉に動き出した。
だが、狙いは目の前のゴーレムではない。
ゴーレムの外側から、エザリア一点に向かって迸ったのだ。
しかし、
「判断はええんやけどな」
シャーン、と音を響かせながら三叉槍を地面に刺すと、地面から水の障壁が現れる。
「残念ながら、火力不足や」
グレゴリオの炎槍を軽く超える熱量にも関わらず、障壁は危なげなくネーナの攻撃を防ぎ切った。
逆にネーナは、回避不能な位置までゴーレムの接近を許しており、最大速で地精霊のブラーデ・アーマを展開する。
ガキーンと、硬質的な音が響いた。
「あっぶねぇ……」
間一髪のところで、展開が間に合ったようだ。
その間に、水柱によって大きく後方へ飛ばされていたグレゴリオは、背後から勢いよくエザリアに殴りかかる。
「案外とタフなもんやねぇ」
エザリアはその状況を後ろ目に見ながら、軽くサイドステップしてかわした。と思いきや、そこで終わらない。
エザリアはグレゴリオの腕が伸びきったのを見計らって、そのゴツい手首をつかんだ。
「せやけど、止まって見えとるようじゃ、意味ないで」
万力のような握力でがっちりと固定すると力の向きに沿って一回転し、ネーナの方へとぶん投げたのだ。
ギィン、とグレゴリオとネーナに挟まれた三体のゴーレムは、衝撃に耐えきれずにへしゃげる。
「っつつ……。ヘマやらかしてんじゃねぇよ。図体デカいのが取り得の、脳筋教師が」
「うるさい。貴様こそ、王女殿下の側近だろうが。さっきから、まるで役に立ってないではないか。まったく、ディアムンドもメルチェも、こんな時に出張とは……」
二人はもつれ合ったまま、後方にゴロゴロと転がった。回転が止まったところで急いで起き上がり、二人とも意識をエザリアの一挙手一投足に集中させる。
「あの女、いったい……」
自分はなにをされたのだろう。
エザリアの見た目からは想像もつかない怪力を、グレゴリオは未だ信じられないでいた。
握られた手首は手の形に赤く染まっており、ギシギシと鈍い痛みが走る。
「なんや? 仕掛けて来んのかいな。ほな……」
にらみ合いに早くも痺れを切らしたエザリアは、ポケットだらけのジャケットから三本ほど試験管を取り出す。
口角をニヤリと釣り上げ、さも楽しげな表情を浮かべていた。
「これなんかどや?」
試験管をふさいでいたキャップがひとりでに外れ、その中身――濃い水色に輝く液体――を盛大にぶちまける。
すると次の瞬間、エザリアを中心に三日月状に広がった液体は、飛び散った方向に向かって、重厚な氷を生み出したのだ。
しかも、その幅と長さが、尋常ではない。
「アルゾルマラウンド!」
グレゴリオは大慌てで、上位の防御呪文を唱え炎の盾を作り出す。
その後ろでいる気絶した生徒達と、ついでにネーナを守るために。
放射状に広がり続ける氷の塊が、炎の盾に喰い込んだ。
水に属する氷の塊を炎の盾で防ぐのは容易でない。
火力にも依るが、魔法において基本的に火は水に劣るのが道理である。
しかも物量と言う点においては、エザリアの方が圧倒的に上なのだ。
まるでやすりで削られるように、ガリガリとグレゴリオの精神力を削っていく。
「ほおう。アレをしのぐかぁ。そっちのゴツいのも、なかなかやるやないか」
グレゴリオは盾を解くと、その場で膝を屈した。
息は荒く、顔には血の気がない。今ので、かなりの精神力を使ったようである。
だがそれよりも、両側にそびえ立つ氷壁に、ネーナは驚いた。
雪山のクレバスさながら、高さはネーナの背丈の倍近くあるだろうか。
しかし、氷壁の上へ出ると更に驚くべき光景が広がっていた。
「どや? すごいやろ」
と、自慢気に笑みを浮かべるエザリア。
それもそのはず、ネーナの背中に広がる景色は、一面全てが氷原になっているのだから。
下にいる時から、それなりの長さがあるのはわかっていたが、まさか端が見えないほど遠いとは思ってもみなかった。
「氷に物質化しやすい水精霊を、超高濃度でぎょーさん圧縮したもんや。安定さすんに専用の容器や触媒がようけこといるんがネックやけど。効果は上々、ええでお前等。散れ」
その言葉と同時に、ネーナの足元がいきなり消失する。
平原一面を埋め尽くしていた氷の塊が、全て精霊素に分解されたのだ。
一帯は、優しい水色の光で満たされた。
「ほな締めの前に、も一つおもろいもん見せたる」
エザリアはクルクルと、三叉槍を弄び始める。
柄につけられたら三つのリングが、シャーンシャーンシャーン、と軽やかな音色を紡ぎ出した。
「こいつはな、ギリシャ神話の海洋の神、“ポセイドーン”のトリアイナを再現したもんや」
エザリアの口調は、これまで以上に明るく饒舌だ。
まるで自分の宝物を自慢する子供のようだが、その内容は自らの扱う特殊な武器。
自らの手の内を明かす常軌を逸した行為に、ネーナはエザリアの正気を疑った。だが、同時に気付いてしまった。
両者の間には、それだけの差があるのだ、と言うことに。
「まあ、うちなりのアレンジを加えとるんやけどな」
弄んでいた三叉槍――トリアイナ――を、地面に突き刺した。
シャーーン、とひときわ大きな音が響く。
にひっ、と白い歯をのぞかせ、エザリアの口元は喜悦で彩られる。
――――地面が、静かに波を打った。
自らの直感に従い、ネーナはグレゴリオの身体を抱え、後方に大きくジャンプする。
そして、その直感は見事に的中した。
エザリアを中心とした、半径五〇メートルの地面がいきなり水になったのである。
「なかなかのもんやろ? コレなぁ、禁止されて試せんかった術式なんよ」
全身に風精霊をまとって浮遊していたエザリアが、ゆっくりと着水した。
月光を反射させる水面とその表面に広がる同心円上の輪が、状況とは正反対の幻想的な光景を映し出す。
「さぁ、楽しいパーティーの始まりやで!」
エザリアが豪快にトリアイナを振るうと、水面から次々に砲台が浮かび上がった。
その総数は約一〇〇。イメージ的には、砲身の非常に短く大口径の大砲で、その全てが氷でできている。
「ってーーーーーー!」
氷の筒から、氷の砲弾が吐き出された。次弾装填に数秒かかるものの、それが一〇〇ともなればどうであろう。
「グラウンドシールド!」
膝を屈したままのグレゴリオが、そのままの体勢で防御呪文を唱えた。
上位に属する地属性の巨大な盾が、ネーナと五人の生徒への攻撃を遮断する。
「脳筋教師が、無理すんじゃねえよ」
ネーナは血相を変えて、グレゴリオのそばへと駆け寄った。
先の攻撃を防いだことで、疲労はピークに達している。とても魔法を起動したり、ましてや戦闘ができるような状態ではないのだ。
「こうでもせんと、守れんからな」
そう言いながら、後ろを見やる。
エザリアの攻撃によって、気絶した生徒達。
「それに、先刻の魔法で彼我の実力差ははっきりしている。私では、到底太刀打ちできない」
「学院で“ゴリさん”って呼ばれてる体育会系教師が、なに弱気吐いてんだよ」
「所詮、私は一介の教師に過ぎん。こんなことを貴様に頼むのは癪だが、やつを頼むぞ、劣等生」
その双眸に、嘘偽りなど存在しない。あるのは、教師としても使命をまっとうする、強い意志だけだった。
「生徒達は、この身に代えても、私が守る」
「……はぁぁ。ったく、オレも焼きが回ったか」
岩石の盾には、次々と砲弾が着弾する。
しかもその爆音は絶えることなく続き、止むような気配はない。
「学院にいた頃は、一番嫌ってた筋肉だるまの頼みを、叶えてやろうと思うなんてな!」
全身に風の全身武装鎧をまとい、ネーナはとび出す。
さらに発動体へと魔力を送り込むと、その足が静かに地を離れた。
「相手したるわ、姉ちゃん!」
大砲の半数以上が、ネーナへと砲身を向ける。
それから一拍遅れて、大砲が一斉に火を、いいや氷を吐き出した。
大きく広がる水面のあちこちから、氷の砲弾がネーナ一人へと放たれる。
「パプルペクス!」
身の丈ほどはありそうな岩石の棘が、ネーナを守るように氷の弾幕を迎撃した。
しかも、飛行力場とブラーデ・アーマを維持したまま。
「なかなかやるやないか。ほな、これならどうや!」
次に現れたのは、ストローのように細長い砲身をした大砲だった。
だが、吐き出されたのは氷の弾頭ではない。木材程度なら、楽に切り割けるほどの勢いを持つ水の奔流。即ち、ウォーターカッターだ。
全身武装鎧の防御をやすやす斬り裂き、前髪をかすめる。しかもネーナが迎撃のために用意した岩石の棘を、ウォータカーカッターは次々と撃ち落とした。
「それなら」
呪文による迎撃を止め、ネーナは水面へと急降下する。
水面から数センチ上のギリギリを舐めるように滑空し、砲弾もウォーターカッターもかいくぐる。
より正確に示せば、高度はわずか十センチ以下。アイナにもできない芸当だ。
それで一気に、エザリアの真下へと躍り出る。
「はぁああああああああああ!」
そのまま垂直に上昇を始め、右拳にありったけの魔力を込めた。
グレゴリオはすでに限界が近い。
あの筋肉教師のためにも、学院の生徒のためにも、そして主君であるエルザのためにも。
――これで、決める!
「お前ら、手ぇ出すな」
パチン。
「な……!?」
「ふんっ」
エザリアは、ネーナのパンチを受け止めた。
図体の大きいグレゴリオを投げ飛ばすほどの怪力なのだ、それ自体についてはなんの疑問も浮かばない。
だが、問題はそこではない。
「まだまだ、足りん、足りんのや」
イタズラの成功した悪ガキの笑みそのもの。
犬歯を剥き出しにして、ネーナのことを見下ろす。
「“支配力”が、なぁ」
そう、風と氷の全身武装鎧で覆われていた右拳は、今はなににも覆われていなかったのだ。
「残念、ふりだしや。出直してきぃ」
エザリアは、水面の端を狙ってネーナをぶん投げる。
「こいつは、オマケやで」
その進路上に、多数の水柱が吹き上がった。
「あぐっ!?」
その内の一本が、ネーナの全身を強く打つ。
「がぁっ!!」
その先でまた水柱が上がり、別の方角へとはね飛ばす。
その後十数回水柱にはね飛ばされたところで、ようやくネーナは陸地へと打ち上げられた。
全身を、激しい痛みと寒気が襲う。
だが、ここで屈するわけにはいかない。
約束したのだ。あの女をなんとかすると。
グレゴリオの言葉を胸に身を奮い立たせ、激痛の走る身体を立ちあがらせた。
しかし次の瞬間には、それも微塵に砕け散る。
「パプルペクス!」
――――――――――――――――――――――――――――。
なにも起こらなかった。
いくら魔力をつぎ込んでも、精霊素が牽引できないのだ。
「そんな、どうなってやがる」
下位の呪文を唱えても、精霊素を直接繰ることも、なにも起こらない、できない。
水面から、氷の砲弾とウォーターカッター、そして水柱がネーナを襲った。
「あうっ……」
ネーナのすぐそばに、多数の攻撃が着弾。後方に大きく飛ばされると同時に、泥水が全身を濡らした。
エザリアに握られた拳に、鈍い痛みが走る。
「なんや、やっぱしこんなもんか」
若干物足りない風のエザリアは、トリアイナを担ぎながらネーナを見下ろした。
攻撃は完全に止み、大量の大砲の姿も無い。
あるのは、ネーナとエザリアの間にある。絶対的な実力差だけ。
気付けば、ガチャガチャと騎士服の金具が鳴るほど、ネーナの身体は激しく震えていた。
エザリアから目が離せないのである。
「……怖い?」
では、その目が離せない原因とはなにか?
恐怖である。ネーナを支配するのは、純然たる恐怖だった。
二度と思い出したくはない、心の底にしまい込んだ、遠い日の悪夢。
自分を堕ちるとこまで堕としめた、あの日の出来事。
「……怖いのは、嫌だ」
幼少の頃に味わったあの時の感覚は、絶対に嫌だ。
思い出させないで、掘り起こさないで、私になにも見せないで。
「…………やだ、嫌だょ。いや、いや、いや、いや、いやぁぁ」
たった一つ、唯一自分を支えてくれた魔法。他人には絶対負けないと信じていた魔法が通じない。
もう無理だ、自分ではどうにもできない、怖い、嫌だ、誰か助けて。
ネーナのアイデンティティと言えるものが、今にも崩れ去ろうとしていた。
だが、
「諦めるな!」
不意にグレゴリオの声が、鼓膜を震わせた。
ネーナは力なく立ち上がると、対岸付近にいるグレゴリオが目に飛び込む。
そうだ、あの大嫌いだった教師に頼まれたんだ。やつを頼むぞ、と。
自分の魔法が通用しないのは、先の一戦だけで分かっている。
しかしだからと言って、生徒達を巻き込む可能性がある以上、退くわけにはいかないのだ。
それに、
『ネーナ!』『行ってください』『彼女を逃がしてはならない。黒い炎とは関係なくです』『今以上に、大変なことになる気がします。だから!』
自らの主君のお達しもあったのだった。
私は、いいやオレは、あの人のために命をかけると決めたんだ。
なにより、自分より強い相手だからと言って諦めていては、あの人には追い付けない。
立ち止まるわけにはいかない。例え相手が、自分よりはるかに強い存在であろうとも。
「……空気が変わった。おもろいやないか!」
エザリアは再び、トリアイナを振りかぶった。
水面からほとんど垂直に水柱が吹きあがり、ネーナのすぐ傍に着弾する。
「やられて……」
恐怖をねじ伏せろ。精神を一点に集中させろ。
そうだ、例え地べたを這いずるまで追い詰められようと、諦めるわけにはいかないんだ。
「たまるか」
そうだ、オレにはまだ、あの力があるじゃないか。
国内どころか、世界各国を見ても稀な、この力が。
「やられてたまるか!」
妥協をするな、自分の意地を見せろ。
理性ではない、本能で精霊を従えろ。
立ち止まるな、決めたことはやり通せ。
ネーナの足が、地面から再び離れた。
そのまま一直線に、エザリアへと突っ込む。
「まだ歯向かうか、うちの領域で」
トリアイナの先端を、ネーナの進路上へと差し向ける。
下に広がる広大な水面から、視界をふさぐほどの水柱が次々と突き出た。
しかし、ネーナは止まらない。
「やられて、たまるかぁああああ!」
アイナの方が、よほど優雅に通り抜けるだろう。
ネーナの飛行は、素人目に見ても雑な上に、無駄だらけだった。だがそれ以上に、反応と速度が尋常ではなかった。
アイナの飛行を柔と評するなら、ネーナのそれは剛。
そう、ネーナは今この瞬間も、エザリアの領域を力ずくで黙らせているのだ。
そうして、
「だぁあああああああ!」
風と氷の全身武装鎧をまとった腕で、すれ違い際にエザリアを殴りつけた。
首をそらして軌道から外れるが、纏った氷の粒がエザリアの頬を裂く。
「こりゃたまげた、うちの支配から奪い取るとはなぁ」
ささやかではあるが、この戦闘で負わされた、初めての傷。
だが、傷を負ったその顔は、反対にこれまでにない笑みを浮かべている。
「まだまだぁああああああ!」
ネーナは脇をそのまますり抜けて一旦離脱すると、ターンして再びエザリアに向かった。
水柱は加速度的に密度を上げ、壁のようになって襲いかかる。
「邪魔を……」
だが、ネーナの勢いは止まらない。
それどころか、より一層速度を上げて突き進む。
「するなぁあああああああああ!」
次の瞬間、エザリアにも信じられないことが起こった。
壁のように立ちはだかった数多の水柱が、真っ二つに割れたのである。
まるで自ら、ネーナに道を開くかのように。
「集え、精霊達!」
持てる魔力を右拳一点に集中させ、精霊素を大量に引き込んだ。
地精霊、水精霊、火精霊、風精霊、全ての精霊素をその手に集めて結いあげる。一つの大きな気持ちを芯にして。
エルザ、いいやイレーネ、オレに、私に、力を貸してくれ。
「はは、案外やれば、できるもんだな。自分より強い奴に勝つって」
「…………」
ネーナの右手は、エザリアの腹部に深々と埋まっていた。
しかもエザリアの背中からは、巨大な光の槍が顔をのぞかせているのだ。
その光の塊を伝って、赤い赤い命の雫がネーナの腕を濡らす。
「お前の敗因は、その絶対的な差だ。余裕は己を殺すことすらある」
「…………」
銀を基調とした騎士服は、戦闘でボロボロだ。
ずぶ濡れの上に泥まみれ、ついでに返り血まで。
今月卸したばかりの騎士服だったのだが、これはまた買い換える必要があるな。
大量生産品の鎧と違って、こっちはオートクチュールの一品ものなので、また給料が消し飛んでしまう。
まあ、使い道も特にないので、それもかまわないか。
「まあ、死んじまう奴には関係のない話か」
「ほおう、そりゃ残念やったな」
ガシッと、強く二の腕をつかまれる感触がする。そんなばかな。
このダメージでまともに声を発したり、ましてやこれほどの力で腕をつかむなど。
「うちは、まだ生きとるでぇ」
光の槍は火花のように拡散して消え、エザリアはネーナの腕を自分の身体から引き抜いた。引きぬく際に、ヌチャヌチャと言う気味の悪い音が耳を打つ。
腹から背中にかけて、直径七センチほどの穴がぽっかり開いていた。
「この通り、なぁ」
腹からはぶよぶよとした小腸がこぼれ、鮮やかな赤い液体が肉片と共に、穴を伝って流れ出す。所々ある白や黄色の塊は、脂肪か何かだろう。
敗れた胃から消化液が漏れ、鮮やかな赤を黒く染める。
「そんな、ばかな……。それで、生きてるだと?」
ネーナは自分の右腕を見た。
指先についた、ピンク色の体組織や、光の槍で削った骨の欠片、そして自らの身体をべったりと濡らす真っ赤な血液。
確かに感触はあった。生き物の身体をブチッ突き破る、あのおぞましい感触が。
夢幻ではない、幻術に陥ったわけでもないだろう。今ある幻術と言えば、視覚に作用する位で、五感を支配するようなものはない。
なら、なんで生きているんだ。
「にしても、久しぶりやなぁ」
その時ネーナは、今までで最大の驚愕を、寒気を、戦慄を覚えた。
エザリアの身体に開いた穴が、映像を逆回しするかのようにふさがっていくのだ。
「“死の味”っちゅうのは、なぁ。最近はうちより強い“魔術師”なんか、めったおらんさかい」
ネーナの知る限り、そんな魔法は存在しない。
治癒系の魔法も、切り傷や打ち身を癒やす程度、致死量の傷をたった数秒で回復させる魔法など、存在しないはず。
「教皇のクソガキに禁止喰らっとった術式のデータも取れたし、今日はええことずくめや」
いや回復と言うより、もはや再生と言った方が正しいだろう。
エザリアの傷は完全にふさがり、ついでに汚れたり破損していた衣服も新しくなっていた。
「ほな、そろそろフィナーレと洒落込もうや」
「あぐっ!!」
ネーナは、胸部をポンっと押されただけだった。
それも指を添えただけのような、非常に軽い。
にも関わらず、まるで全身をハンマーで殴られたかのような衝撃が襲いかかる。
ネーナの身体は、そのままグレゴリオのすぐ側に着弾した。
瞬間的に肺の空気が押しやられ、頭がクラクラする上に足元がおぼつかない。
「大丈夫か!?」
「あぁ、一応は五体満足だ」
次の瞬間、二人は水上に莫大な量の魔力が集まるのを感知した。
他人の魔力を感知するなど、ネーナよりも更に上位のマグスでなければ、普通ではできないはず。
それなのに感知できると言うことは、いったいどれほどの量になるのか。
ネーナにも、そしてグレゴリオにも検討はつかない。
「ここはええなぁ、世界が魔力に満ち溢れとる。おかげで、こんな大規模術式でも、簡単に起動できるわあ!」
突然、空が光った。
ネーナとグレゴリオが空を見上げると、空を覆い尽くすほどの暗雲に巨大な魔法陣が浮かんでいるではないか。
巨大な円の中に、巨大な五芒星。何重にも折り重なる文字のような、記号の羅列。
自分達の知る魔法とは、なにもかもスケールが違いすぎる。
もはや、言葉すら出なかった。
だが、ネーナもグレゴリオも全ての魔力を使い、堅牢な岩石のドームを作り出す。
なにがあっても、生徒達を守らねば。
「“インドラの火”。“ラーヴァナ”なる神の軍勢を焼き払った、雷神の超兵器や。まぁ、データ収集のためやから、威力は万分の一もないけどな」
次の瞬間、目も焼き付くような溢れんばかりの光量と、水すら割れそうな轟音を従えて、通常ではありえない大きさの雷が降り注いだ。
ようやく、ようやく終わった。第八話、これまでで最大の相手だった。はい、そんなわけで、一気に読んでくれた方、お疲れ様。毎回楽しみに読んでくれてる方、長期間待たせてしまって申し訳ないです。どっさり投稿魔(これ正式採用)事、蒼崎れいです。先日某連続投稿魔の作者様より、“戦闘狂”の異名を授かりました。最近ほぼ毎日出没している『小説家になろうチャットルーム 』では、姫とかお姉さんとか呼ばれてます。う~ん、どうしてこうなったんでしょう、全く分かりませんね(笑)
で、どうでしたでしょうか、第八話。これの前編に当たる『第七話 創立祭』では全く戦闘がなかったのは今回で一気に放出する予定だったからです。でも若干後悔もしてますよ。なんせ同時進行させてたもんだから、時間が全く進まないのに、字数だけはかさんでいく。気付いてみれば、従来の倍近い量になってました。それに途中でアクセス数ががた落ちしたので、やっぱ飽きられたか、とか思って凹みました。とにかく描きたい事は書きつつも、クオリティは落とさないように奮闘した限りです。楽しめていただけたならこの上なくうれしい限りです。でも、さすがに長すぎましたね。次からは、戦闘の同時進行は自重します。
さて、ウェブ拍手なるものを設置したのは、皆さんご存じだとは思います。毎日ではないですが、拍手が入るたびに歓喜してます。しかも今回はメッセージも届いたので、この場を借りてお礼を述べさせていただきます。ほんとうにありがとうございます。
さて、では今回はこのあたりで失礼させていただきます。相変わらず携帯にはキツイ仕様なのはごめんなさいです。