第八話 戦闘開始 Act08:其の力、まさに天災の如し
ラウドは攻撃が直撃したのを確認すると、残りの武器を残さずウェリスへと差し向けた。
ドドドドとした爆発にも似た轟音と土煙、そして衝撃波がラウドにもふりかかる。
土煙の中からは破壊を終えた岩石がゴロゴロと飛び散り、戦闘終了のゴングのように大地を鳴らした。
「これなら、いくら精霊だろうと」
すでに残りの魔力は二割程度。ないのなら新しく生成すればいいのだが、集中力を切らしてもいけないのでそちらにはあまり思考を割けない。
メンバーの中でも魔力量だけは多いラウドにしてみれば、ここまで魔力を減らされたのは前代未聞である。
まあ、もうその必要もないだろうが。
「さて、では行くとしよう」
ラウドは再び南の方角に振り返った。
辺り一帯は岩石と氷の破片が散乱し、また地盤はゆるゆるになってしまっている。
しばらくは、陸路としての機能を果たせないであろう。
巨大な全身武装鎧が、足首辺りまで大地に沈み込んだ。
「あの者とクロウドは無事逃げおおせたのか気がかりだが、確かめる時間もないか」
ラウドは一人ごちた。
それに魔力と精神力の限界も近い。この足場の悪い地帯を通り過ぎたら、後は自分の足で歩こう。
まるで大地を踏み固めるように、大きさとは不釣り合いな機敏な動きで歩みを進めた。
だが、
「ウォテル・クゥト・ラルジェ・グラディオ、我に仇成す敵を喰らわん」
後方からなにかが、全身武装鎧を貫通した。
それはそのまま地面にも突き刺さり、約一キロに渡って細く深い溝を刻む。
「まさか!?」
ラウドは全身武装鎧を振り返らせた。
緩くなった大地に足を取られそうになるのをなんとかこらえ、攻撃のあった後方に目を向ける。
ビュン――――。
未だ晴れぬ土煙の中から一条の線が伸び、今度は左肩を貫通する。
攻撃によって貫通された部分が、完全に凍っていた。
それはつまり、
「あれでなお沈まぬとは……」
ラウドが絶句するその先で、土煙が晴れていく。
そこには先ほどまでの弱った姿はない。
あるがままの姿で、超然と佇む水精霊の姿があった。
もはや、ここまでか。
ウェリスは実体化を解こうとしていた。だが、実体化をするのも解くのも、かなりのエネルギーを要する。
今のウェリスには、実体化を解いて攻撃をやりすごした後、再び実体化をするだけの力は残っていなかった。
「無念だのぅ」
ウェリスの意思に従って、指先や衣装の端が精霊素へと還元されていく。
自分が消えてしまっては、あの方に申し訳が立たない。
その身が燃え上がるほどの怒りを抱えたまま、実体化を解くことを選んだ。
だがその時、突然自分の中からエネルギーが溢れ出した。
「これは!?」
ウェリスは瞬時に、球状の防壁を張り巡らせた。
まばたきする間の十分の一ほどの、非常に短い時間。
これまでのそれと比べても圧倒的に短く、また薄い壁だ。
だが、岩石製の武器がその薄い壁を破ることはなかった。
絶え間なく聞こえる破壊の連続音。しかし、薄い氷の壁が亀裂どころか、揺らぐ様子すら見られない。
『ふぅぅ。間一髪、間に合ったようじゃな』
頭の中、正確には精神に直接語りかけて来るしわがれた声は、彼女の主であるオズワルトのものだった。
しかし何故。
『なぜ、だ?』
『なに知らせがあっただけじゃよ』
『……まったく、心配はかけまいと思っておったのに』
『すまんのぉ。位置を特定するのに時間がかかってな。ギリギリになってしもうたわい』
『まったく、始めから助けるつもりなら見失うでない。バカ者が』
『じゃからすまんと言っておろうが』
『本当に……、貴方はいつもそうやって私を待たせる。だが……』
『だが?』
『危ない時は、絶対に来てくれる』
『まあ、主としての務めじゃよ』
『それでも、私には嬉しい』
『ほっほっほっ、そうか嬉しいか。そう言われると、儂もなんだか恥ずかしいのう』
オズワルトは恥ずかしさから思念通話でう~う~とうなった。
そして、最後にこう締めくくった。
『行ってきなさい。ウェリス』
『はい、主』
力が、オズワルトから大量の魔力が供給される。
魔力が器の損傷部から漏れるのも構わず、次から次へと。
これで、本来の力を使うことができる。
彼女が本来持っていた、天災にも匹敵する絶大なる力を。
「ウォテル・クゥト・ラルジェ・グラディオ、我に仇成す敵を喰らわん」
未だ晴れぬ土煙を突き抜け、極限まで収束された水流が放たれた。
それは先ほどまでとは比べ物にならない、圧倒的な密度と量、そして速度。
感覚としては、軽いジャブを放ったようなものだったが、鉄でできた巨大全身武装鎧の胴体を易々と貫通した。
つまり、それが本来のウェリスとラウドの差。なにを以ってしても埋めることのできない、圧倒的な力の差だった。
「ふむ、こんなものか」
溢れ出た魔力で精霊素を牽引し、言の葉によって形を与えてやる。
「其の意味は貫通、其の容は回転。我が怨敵を撃ち抜け」
音速で飛び出した零度以下の水は、ドリルのように回転しながら、今度は左肩を撃ち抜いた。
言の葉で容を与えただけでは破壊に至らなかったこの術も、今は一撃必殺の威力を有する。
「見える」
さっきまでわからなかった相手の居場所も、今は手に取るように、それも正確にわかる。
どれだけ距離があろうと、今のウェリスには無に等しかった。
水精霊とは書いて字の通り、水の精霊である。
ウェリスはラウドの身体に含まれる水分を感知したのだ。
場所は頭部の眼球部分。
ならば、そこに直撃さえなければ生け捕りにするのも容易だ。
「さあ、これからが本番だぞ。人間」
土煙が完全に晴れ渡る。
ウェリスはオズワルトの魔力を感じて歓喜しながらも、すぐにも再開されるであろう戦闘に備え臨戦態勢を整えた。
ラウドは土煙の中から現れたウェリスを見て、目を見張った。信じられない。
全身からこぼれていた水色の光は、更に勢いをまし溢れ出ていると言った印象を受ける。
それに精霊も人と同じく、“処理能力の限界”、言い換えれば“一度に扱える力の総量”と言ったものが存在する。
これまでの戦闘を見る限り、周囲の精霊素を恐ろしいほど上手く扱っているが、本人の規模はせいぜい中位階層程度。
場慣れしているのか、上位階層でも相手にできそうな非常に高い技術を見せたが、それでも威力の上限と言うものは確かにあった。
だが今は、
「パプルペクス!」
そんなものは存在しなかった。
中位の攻撃呪文。全身武装鎧の腕の一部から巨大な棘が生え、ウェリスに向かって飛び出す。
一本が五メートルはあるだろうか。それに変遷の影響を受け、棘は全て鉄で構成されている。
「…………」
それをあっけなく、本当にあっけなく、まるで呼吸でもするかのように撃ち落としたのだ。
ウェリスはただ無言で鉄でできた棘の進路を見すえ、それに合わせて氷の粒が混じった水流を打ち出しただけ。
それが鉄でできた棘を粉砕する様は、滑稽と言う表現が最もしっくりくるだろう。
「さて今度は、こちらの番だな」
ウェリスの身体が、精霊素の尾を引いて動き出した。まるで水色の閃光だ。
「まずは、肩慣らしだの」
水色の閃光が、巨大な全身武装鎧の腹部に突き刺ささる。
「奴め、いったいなにをす…」
そこであることに気付いた。
全身武装鎧が小刻みに振動しているのである。
「…………バカな……」
押されているのだ。
変遷によって、鉄となった超重量の物体を。
だが、ウェリスの力はそんな程度なわけはない。
「言ったであろう、人間」
鉄でできた身体が、ウェリスの発する声をラウドの耳元まで伝えた。
「まだ肩慣らしだ、とな」
瞬間、ふわっとした浮遊感がラウドを襲った。
「本番はまだ、始まったばかりだぞ?」
ウェリスはラウドの全身武装鎧を十メートルほど持ち上げ、飛行力場を利用して弾き飛ばす。
全身武装鎧は背中をしたたか打ち付け、再び地震のような振動を引き起こした。
その衝撃は、頭部に乗っていたラウドにも伝わった。
打ち付けた頭の皮膚が裂け、ジクジクと血が流れ出る。
「ウォテル・セト・クゥト・レート、我が敵を切り裂き、破壊せよ」
ウェリスは大きく腕を振りかぶり、眼下の全身武装鎧に向けて振るった。
腕の軌跡をたどって、長大な水流の刃が大地を切り裂く。
巨大な全身武装鎧は、腰の辺りから上下に寸断された。それも、下の大地ごとごっそりと。
幅は二、三メートルくらいだろうが、長さは約五キロ、深さに至っては想像すらつかない。
「まさか、バカな……」
この威力、この規模。どれをとっても通常ではあり得ない。
上位階層の力は天災に匹敵するとよく言われるが、ここまでの力を行使できるのはごく限られた者しかいない。
少なくともラウドの知る限りでは、先日のシュバルツグローブでの出来事くらいだ。
セインの放ったデタラメな威力の攻撃は、森に一直線の溶岩流を作り出したのである。それも全長十キロ以上の。
鎮火するのに一週間ほどかかったと聞いている。
それ以外となると、半世紀以上前の出来事くらいしかない。
「切断面を分解、損傷部を結合」
もはや勝てる気がしなかった。だが残った精神力を一ヶ所に集め、魔力の生成を開始する。
依頼内容は“ある書物の回収”。逃げ切れればこちらの勝ちだ。
「はぁああああああああああ!」
魔力生成による脳を引きちぎられるような激痛を力でねじ伏せ、胴体部分を結合させた。
ラウドは耳の横に両手をつくと、後ろ回りをしながら大きく後退する。
間髪を入れずに、先ほどまで全身武装鎧が倒れていた場所へ氷の散弾が撃ち込まれた。
それも一発一発がライフルの弾のように回転している。人間に当たれば、全身肉片になるのは免れないだろう。
「よくかわしたのぅ」
涼し気な声が、ラウドの鼓膜を震わせる。
距離的に考えれば、絶対に聞こえるはずのない声が。
それはまるで、死刑宣告のように感じられた。
「どこを見ている?」
衝撃は真上からやってきた。
巨大な全身武装鎧は再び地面に押し倒され、うつ伏せの状態に組み伏せられる。
「あれは、私の器を模して作っただけ。ただの飾りだ」
頭上のウェリスがパチンと指を鳴らすと、空中に佇むウェリスは水色の光となって消えた。
さらに飛行力場を使って全身武装鎧を持ち上げると、そのまま元来た方――北側――へ投げ飛ばしたのだ。
再び地面が激しく揺れた。
「ふむ、肩慣らしはこんなものか」
ウェリスはコキコキと肩を鳴らすと、ニヤリと笑みを浮かべる。
調子は良好、あとは全力であいつを叩きのめすのみ。
全身武装鎧が立ち上がるまでのしばしの間、体内から溢れ出るオズワルトの魔力に身を委ねる。
――あの方の心が感じられる、私は…………それだけで満足だ。
送られる魔力からは、オズワルトが自分を心配する気持ちが感じられる。
ウェリスには、それだけで十分だった。
ラウドはウェリスがなにもせず宙を漂っている間に、全身武装鎧を立ち上がらせた。
先に見せた怪力もそうだが、飛行力場だけでこの大質量を投げ飛ばすなど、常識外れにもほどがある。
倒すことが不可能となった今、どうすれば逃げ切ることができるであろうか。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
有効な手段は二つ。
感覚系(視覚・聴覚・気配察知等)を麻痺させるか、別のことに意識を集中させるか。
前者に関する呪文も幾つか使えるが、百メートル単位で離れている相手に使うにはあまり有効ではない。
ならばもう一つの手を使うのが筋と言うものだ。
「精神を乱すな。意識を集中させろ」
ラウドは先ほど使った大技をもう一度発動すべく、意識を魔力の生成に集中させる。
しかしそれを感じ取ったウェリスもまた、水流による砲撃を再開した。
「させるかっ!」
ラウドは必死になって全身武装鎧を動かし、水流の砲撃を回避する。
全身武装鎧の操作。通常ならば問題にならなくとも、ここまで巨大なものになると操作には慎重さと繊細さが求められる。
そこに魔力生成がプラスされるわけだ。
「其の意味は破壊、其の容は矢、我が敵を撃ち貫け」
言の葉を得た精霊素は、矢の容を採って一斉に動き出す。
大量の氷の矢を回避すべく、ラウドはひたすら全身武装鎧を走らせた。
魔力生成と全身武装鎧の操作。
その二つはまるでヤスリのように、キリキリとラウドの精神をすり減らして行く。
「ほう、なかなか機敏に動くではないか」
ウェリスは感嘆の意を露わにした。
全身武装鎧とは詰まるところ“鎧”なので、本来なら機敏な動きが求められるものであるが……。
ここまで巨大で無骨なものがやると非常に不自然に映る。
それがここまで滑らかに動けば、感動すら覚えると言うものだ。
「グラジェス・ティオリア・グランデ、その意義は罪人への断罪」
砲弾と言う言葉すら生ぬるい、身の丈の倍はありそうな氷球が、次々とラウドへ突撃する。
それをかわすため、全身武装鎧はウェリスから一定の距離を保ちつつ迂回路をひた走った。
南方向へ向かわねばならないが、まっすぐ向かえば氷球の餌食になるのは目に見えている。
「パプルペクス!」
その最中に大地の一部を鷲掴み、中位の攻撃呪文を唱えるのだが、先に唱えたものと比べて随分スケールダウンしている。
変遷の効果もなく、またあまり魔力も回せないため、さほど効果は期待できないが、なにもしないよりはいい。
「ほおぉ、まだ呪文を起動させる程度の余裕はあるか」
しかし、無情にもラウドの攻撃は、ウェリスの先に放った攻撃によりあっという間に迎撃される。
いや、ウェリスには撃ち落とそうと言う気配すらない。
放っておけば、氷球が勝手に迎撃してくれるのだ。
それに万が一それを免れたとしても、今のウェリスならばまぶたを閉じる程度の労力で薙ぎ払うであろう。
「バケモノめ……」
ウェリスを罵倒したところで、この状況が覆るわけではない。
ラウドはひたすらに全身武装鎧を走らせた。
足下への氷球は足を動かして、頭部へのものは屈んで、身体へのものは上体を上げたり下げたりしてかわして行く。
だが、魔力生成と全身武装鎧の操作は、想像以上の負担となってラウドの精神を追い詰める。
ようやく迂回して南へ直進を始めた頃には、少しずつ氷球が当たるようになって来た。
それも十秒単位で加速度的に増えていく。
膨大な質量と速度を与えられた氷球は、巨大な全身武装鎧の表面に次々とくぼみを作り出した。
ラウドはひねり出した魔力の一部を攻撃呪文へと注ぎ、氷球を迎撃するのだが、その全てが氷球によって粉砕される。
そしてついに、最初に切断した足を捉えた。
変遷を行うだけの余力がなかったために、そこだけは元の砂や岩石のまま。
集中砲火を浴びたその足は自重に耐えきれず、あっけなく崩壊した。
だが状況とは反対に、ラウドの口元はうっすらと笑みを浮かべていた。
「なんとか、なったな」
瞬間、ラウドの身体から魔力が溢れ出した。
膨大な力を内包した光が攻撃の色を帯びて大地へと染み渡る。ラウドの身体は歓喜に震え上がった。
「お前はこいつの相手でもしていろ。――――バサーストクエイカー!」
腹に響く低重音の声が、夜の大気を震わせた。
それと同時に、緩んだ大地から一斉に武器が浮かび上がる。
先ほど徹底的にウェリスを苦しめた、八百万の武器が集まった大群。濁流や怒涛と言った表現が妥当だろう。
それらは再び長大な尾をたなびかせ、多方向からウェリスへと襲いかかる。
「どれ、少し見せてやるとしよう」
意味深な言葉を吐いたウェリスを、四方八方から武器の怒涛が包み込む。
だがしかし、そこにはすでにウェリスの姿はなかった。
ラウドは必死に目を凝らし、ウェリスの姿を捜索する。
すると月夜の光にまぎれるように、水色の光が空中を蛇行していたのだ。
しかも、その速度が尋常ではない。
「なん、だと…………」
先の状態でも武器の怒涛とほぼ同程度の速度だったにも関わらず、今はそれすらも超えていたのだ。この世界に、追いつける者など存在しないような、圧倒的な速度だった。
そして速度を補っても余りあるほどの、尋常ならざる運動性能が、そこにはあった。
四方八方から襲い来る武器の濁流を、まるで円舞でも踊っているかのように回避する。その姿は戦場にあってなお、優雅で美しく映った。
気が付けば武器の濁流は互いが互いを攻撃し合い、その数を三割近くも減らしている。
ラウドはすでに足の再生を終え南に向かって走り出していたのだが、攻撃呪文を操作して共食いを防ぐ。そのすきを見逃さず、ウェリスは南下しているラウドへと一気に突っ込んできた。
「バカな!?」
わかっていたことだが、その速度は先ほどまでと全く別物だった。
追いつかないのである。一度はウェリスを追い詰めた、武器の濁流ともいうべき上位の呪文が。
「二番煎じか。思いのほかつまらぬものだな、小僧」
ウェリスは速度を緩めぬままに、右拳を力強く握り締める。
「黙れ、このバケモノが!」
それに呼応して、ラウドも全身武装鎧の右拳を握りしめた。意識をその場所に集中させ、地精霊によって更に強度を引き上げる。
――――ドッ――――――――ブワァァァァアアアアアアアアアアアアアアア――――――――――――。
小さな小さな拳と、大きな大きな拳が触れた瞬間、凄まじい衝撃波が発生した。
空気の振動は直接的な破壊のエネルギーとなって、周囲一帯に立ち込める。
地面が大きくめくれ上がり、表面の地盤が消し飛んだ。
爆心地である二つの拳の衝突点では、一瞬だけ真空空間が発生する。
「そこまでだ、小僧」
ラウドの全身武装鎧の腕が、根元から崩壊した。
「それとさっきのだが……」
ウェリスは左腕を後ろに向け、
「グラジェス・ファル・ミーリア・グランデ、我に牙向く愚者よ、その死を以って贖え」
掌から放射上に、それもとんでもない広範囲に氷の弾丸が広がった。
すきまなく広がった弾丸はまるで壁のようで、武器の濁流を完全にせき止める。
本当に、さっきまでとは全く比べ物にならない、圧倒的な規模。
そして、数秒後にはラウドの攻撃呪文を完全に喰い破ってしまった。たった一つの呪文によって。
「さて。それでは、フィナーレを飾ろうではないか」
ウェリスは右手を正面に差し出し、掌から飛行力場を発生させる。
だがそれは、本来の用途である“物体を持ち上げる”力場ではない。
「なんっ!?」
正面からハンマーでぶん殴られたような衝撃に、ラウドは一瞬だけ意識が飛んだ。
片腕を失くした全身武装鎧は、そのまま数歩後ずさる。
「受けるがいい、人間よ」
ラウドは立てつづけに受けた衝撃で、既に意識はもうろうとしていた。
だが、その姿だけはしっかりと捉えていた。
全身から際限なく溢れだす水色の光、それは二つ目の月でも出来たかのようにボウッと淡い光を放つ。
もしもこの世界に神がいるとしたら、こんな姿をしているに違いない。
そう思わずにはいられないほど、ウェリスの佇まいは神々しかった。
「――我、乞い願う。汝は四象の一角におわす者にして、水を統べる者なり――」
その流麗な唇からは、涼やかな声がこぼれ落ちる。
「――汝は天地を揺るがす者にして、厄災をもたらす者なり――」
それは一部の精霊が口ずさむことで効果を発する、精霊にしか理解できない言語。
「――其の力以ちて汝に敵対する者へ、天命の下に神罰を下す――」
そのため、ラウドがそれを理解することはできない。
「――其は水の息吹にして全を薙ぎ払う破壊の力。顕現せよ、汝が敵のたゆたう現世を犯せ――」
だがそれはまるで歌のよう、それもとても美しい旋律だった。
「――“水龍の吐息”――」
視界いっぱいに収まった吹雪を最後に、ラウドは意識を手放した。
ウェリスは全身武装鎧の頭部に降り立つと、その顔面部分を力場でくり抜く。中には頭部からだらだらと血を流した、スキンヘッドの男がつまっていた。
その脇には、サイズが不ぞろいの羊皮紙でできた本が抱えられている。
「返してもらうぞ、人間の小僧」
そういえば、こうしてこれに触れるのは久しいものだ。
ウェリスはそれを手に取り、表面をそっと撫でる。
そうしながら、遠い日のことを思い描いた。
「いったん戻るか……」
聞きたいこともあるしな、と飛行力場でラウドの身体も持ち上げる。
さっきから供給される魔力も溢れ出ているので、オズワルト負担を軽減するにも早く実体化を解いた方が無難だろう。
実体化を解けば器を維持する力はいらなくなるので、現在器の維持に使っている魔力供給を受ける必要もなくなる。
ウェリスは進路を学院の方へと向ける途中、一度だけ背後を振り返る。
「ふむ、少々やりすぎたようだな」
その目に映ったのは、一面が氷漬けの荒野となった十数キロ四方の土地と、遥か彼方にある輪郭の削れた山だった。
すると、暴力的な魔力の増加と同時に、昼間を思わせる光量の雷が迸った。