第一話 異世界 Act01:ここはどこ?
日本の山奥にある隠れ里で陰陽師になるべく修行の日々を送っていた草壁昶。宝刀を賭けた試合に勝利した昶は、なにかに飲み込まれてしまう。気がつくと、そこは全く知らない未知の世界だった。 ある日、突然何かに飲み込まれた昶。気がつくと、そこは全く知らない未知の世界だった。そんな異世界で初めての朝を迎えた昶であったが、朝から主人に殴られるわ蹴られるわの散々の有様である。そんな中、同席した授業で事件が起こった。
俺は耳元の、ギャーギャーうるさい声で目が覚めた。
なんでかはわからないけど、視界がちょっとぼやけてる上に、音が遠くてよく聞こえない。
「ちょっとあんた、大丈夫なの? こら、返事しなさいってば!」
騒いでいるのは、ちょっと風変わりな制服を着込んだ女の子だった。
なぜ制服なのかって言うと、似たような格好の人間が視界に何人も映ったから。
くっきりとは見えないけど、全体的に美形が多いような気がする。
まあ、一人だけ歳とった、四〇代くらいの女の人も混じってるけど。
「先生、早く治癒魔法を!」
「分かっています! しかしこれだけの傷です。最善は尽くしますが、治癒魔法を施したところで、生き延びられるかどうか……」
そのうるさい女の子の特徴と言えば、まず肩甲骨の辺りまである髪かな。癖のある髪質で、強いオレンジ色をしている。
背は俺よりかなり小さいく、一点を除けば、スタイルはかなり良い方だろう。その一点と言うのは、若干平べったい胸で。決してないわけではないんだけど、あまり芳しいとは言えない。
最後に、勝ち気そうな大きな瞳は、鮮やかな緑を湛えていた。まるで、宝石のエメラルドを、そのままはめ込んだような、すごい綺麗な目をしている。ちょっとつり気味の目だけど、可愛い顔には間違いない。
まあ、言ってしまえば結構俺の好みだったりするわけだ。なんかちょっとだけ、ドキドキする。
「やはり、傷が大きすぎます。このままでは……」
「そんなぁ……」
なんか女の子が泣き始めた、なんでだろう。なにがなんだか、よく分からない。
あれ、でもさっきまで宝刀の継承権を賭けた試合をして。それから汗も流してさっぱりしてから、いつものように書庫の本を漁りに行って、それから…………思い出せない。
書庫に本を漁りに行ったところまでは記憶にあるのに、それから俺はなにしてたんだ。
「治癒系の力が使える人は手伝ってください! このままでは間違いなく死んでしまいます!」
俺は起き上がろうと、全身に力を入れてみるんだけど、なぜか起き上がれない。
代わりに、今までの修行──けっこうサボりがちだったけど──でも経験したことのないような痛みが、全身を襲った。
一年前の鬼を封印する仕事で、怪我した時だってここまで酷くはなかったのに……。
あまりの痛みで、指一本どころか、眼球を動かすことすらできない。
そうか、傷が酷過ぎて、痛みが鈍化してたのか。
「私、使えます!」「先生、ぼくもです」「うちも……!」「自分も手伝います」「おれ、他の先生を呼んできます!」
待てよ、痛みが鈍化するくらいの傷ってことは、かなりヤバい状況なんじゃないか? 尋常じゃない量の血液が、流れてるっぽいし。それに、いつの間にか慣れてしまった、生臭い鉄の匂いもする。
じゃ今、目の前で意味の分からない言葉を、ギャーギャー言ってる女の子は幻なんだろうな。
たぶん、離れの書庫に行く途中で転んで、気絶でもしたんだろう。そうでないなら、俺がそうそう死ぬなんてあり得ねえし。仕事中ならないこともないけど、今は里の中にいるわけだから。
それにどっかのバカが、幻術をかけている可能性もある。そうじゃないと、割と俺好みな女の子が、目の前にいるわけねえし。
「いけません、このままでは……」
「…………どいてください!」
やべ、意識が遠のいてきた。夢ならせめて、もう少しくらい眺めていたいもんだ。この際、幻術でもなんでもいいや。現実のことを、少しでも忘れていられるなら。
そもそもなんで自分が死ぬ夢なんて見てんだろう、俺って。やっぱ幻術にかけられてんのか。それだったら多少は納得できるけど、たちが悪いやつもいたもんだ。
しかし、わかんねえなぁ。こんな場所は記憶にないし、他の人間も全く見おぼえがねえし。なんかこう、違和感があるような気がする。
「我、レナ=アイシャ=ル=アギニ…」
俺は目の前の女の子を見つめながら、ゆっくりと意識が薄れていくのを感じる。
なぜか彼女が涙を流しながら発した言葉が、俺の中に染み込んできたように感じた。
俺の手をぎゅっと握って、言葉を紡ぐ。俺の血で真っ赤になった掌で、強く、強く、俺の手を必死に握りしめながら……。
昶は目を覚ますと、そこはベッドの上だった。しかも天蓋と言うのだったか、ベッドには見るからに豪華な屋根らしきものが付いている。
生まれてこのかた布団しか使ったことのない昶にとって、ベッドはやたらふかふかで、気持ちの良いものだった。
しかもなぜか、ベッドからはほのかにミルク系の甘くいい香りがする。
──あれ、これって……。
「ようやく、目が覚めたみたいね」
女の子特有の、甘ぁい匂いだ。
昶は声のした方へと首を傾ける。するとそこには、イスに座ったまま足を組んでいる女の子がいた。それも昶が夢か幻術の中で見ていた、女の子である。
ということは、これはさっきの続きなのだろうか。
「あれ?」
なぜか、言葉がわかる。前は全然わからなかったような気がするのだが。
それ以前に、あれは夢か幻術の類だったはず、と昶は混乱中の脳をフル回転させて現状把握に努めた。
女の子が足を組み直した瞬間、ピンクの水玉がのぞいたのは……、見なかったことにしておこう。
「なによ、バカみたいな顔して。目が覚めたんなら、さっさとどきなさいよね。それ、あたしのベッドなんだから」
「あ、うん」
昶は言われるがままに身体を起こすと、ベッドの側に置かれていた自分の靴を履いて立ち上がった。
「あ、所で俺の刀ってどこ?」
「カタナ?」
「あぁ、えっと。腰にぶら下げてた剣なんだけど……」
「それなら、そこの壁に立てかけてあるわよ。言っとくけど、斬りかかったりしないでよ?」
「心配しなくても、んなことしねぇよ。助けてもらったんだし」
一応は、信じてくれているのだろう。不審な目を向けながらも、武装をちゃんと返してくれるのだから。
昶は自分の物となった刀を腰に携えた。
その際に妙な違和感があると思ったら、身体中に包帯を巻かれているようだ。どうりで、動きにくいわけである。
これはやはり、さっきの夢の続きなのかもしれない。だって、全く記憶にない女の子が目の前にいて、こうして話しているのだから。
妙に痛みがリアルだったのは、この際放っておこう。
「あんた、大怪我してたでしょ? だから、手当てしてあげたの。感謝しなさいよね」
この女の子、容姿に関しては昶の好みなのだが、性格に関してはそうでもないようである。気位がやけに高いうえに、やたら上から目線な高飛車な態度も気に食わない。
見た目がけっこう可愛いだけに、このキツ過ぎる性格が実に残念だ。
しかし、手当てをしてくれたのだから、お礼くらいは言っておくべきだろう。
「……ありがと」
ぼそりとつぶやく。
実は昶、女の子との会話はあまり経験がない。実の姉とはかなりするのだが、そっちは身内なのでノーカンだ。
「なによその態度。まさか、このあたしに、あ~んなことさせておいて、『ありがとう』だけで終わらせる気なの?」
昶としては精一杯の誠意を込めようとしたのだが、相手の態度が態度なだけに“嫌”というのがはっきりと顔に出てしまったのかもしれない。
実際、既に嫌気がさしているのだから、無理もなかろう。それに、言葉にも容赦と言うものがまるで見られない。『『ありがとう』だけで終わらせる気なの?』と言う言動から察するに、なにか物理的な品物を要求しているのだろうか。
昶はポケットに手を入れてサイフがないことを確認すると、深くため息をついた。まあ、あったとしても、あまり入ってはいない。仕事を成功させても、報酬の振り込まれる口座は親の手にあるのだから。
昶の手元まで回ってくるお金といえば、微々たるものである。
「じゃあなにすればいいんだよ? 先に言っとくけど、いま俺金なんて持ってないぜ」
しかし、昶の発言を聞いたとたん、元々つり気味だった少女の目がさらにつり上がり、不機嫌さを五割ほど増したような表情になった。
理由なんてさっぱり、これっぽっちも、針の先ほどもわからない。先の発言の中に、この少女を怒らせるような言動でもあったのだろうか。
昶がしばし思案していると、女の子は痺れを切らしたらしたようで。
「はぁぁ? あんたバカじゃないの。なんであたしが、あんたみたいな一小市民、に物を恵んでもらわなきゃならないわけ。そもそも、この私を誰だと思ってるの?」
耳をつんざくような怒号が飛んできた。
「えっと、……あれ、そういえばまだ名前聞いてなかったな。なんていうんだ?」
昶としてはただ単に名前を聞いただけだったのだが、少女の方はそれだけで堪忍袋の尾がぷっつんしてしまったようで。肌にひしひしと感じる猛烈な殺気が、それを証明している。
もっともこの少女の場合、堪忍袋は切るためにあるような気がしないでもないが。
身に危険を感じた昶はとりあえず、それ以上の追及は避けることにした。
「いい? 一度しか言わないから、そのできの悪そうな頭に、し~~~っかりと刻みつけるのよ、いいわね?」
少女は返事を待たずに昶の前で仁王立ちすると──実際には昶が見下ろす格好になるのでいまいち迫力には欠けるのだが、あまりない胸を張って名乗り始めた。
「あたしの名前は、レナ=ル=アギニ=ド=アナヒレクス。レイゼルピナ王国の中でも名門中の名門の、あのアナヒレクス家の長女よ」
ふふ~んどうしたのそんなまぬけな顔してまさか私があのアナヒレクス家の人間って知ってびっくりしてなにも言えないとか、はははははあたしのすごさがかったかしらかったならひざまずきなさい、そして敬いなさい──なんて自慢オーラを全身から発していた。文字通り頭のてっぺんからつま先、髪の毛の一本に至るまで。
まさに、高慢なお嬢様を絵に描いたような女の子だ。その言動から察するに、かなりの名家の出身なのだろう。
声を荒げてぎゃーぎゃー騒いではいるものの、霞まない気品のようなものが滲み出ている。
「……“あなひれくすけ”?」
だが、昶にとってはなんのことだかさっぱりわからない。
それを悟ったらしいレナと名乗った少女は、口をぱくぱくさせながら固まってしまった。
が、呆然としていた表情が、加速度的に“激怒”と言う攻撃色に彩られていく。さっきまでの殺気すら、可愛く見えてしまうくらいに。
「まままままま、まま、まあ、ああ、あたしのことは千歩、ううん、一万歩譲って知らないとしても……」
ここで間違っても『それ全然譲ってなくないか?』と問いかけるような愚は犯さない。
どう見ても、これから昶が私刑に処されるのは目に見えている。あれだけの自慢オーラを放っていたんだから、ここでは誰もが知ってるような、常識……のようなものなのだろう、きっと。
ならばここは、少しでもレナという少女の気に触れないようにするのが、得策と言うものである。
昶の勘は、黙って続きを聞くことを選択した。
「アナヒレクス家を、そしてなによりもレイゼルピナ王国を知らないってあんたどこの田舎者よ、はっきり言って猿以下だわ!!」
初対面の人間に向かっていきなり猿とかどうなんだ、とか思いつつも、一応の抵抗を……。
「えっと、“れいぜるぴなおうこく”は知らないとは…」
「黙りなさい!」
抵抗すら許されなかった。
「そ~んな大バカのために、このあたしが、特別に教えてあげるわ。分かったら、そこに直りなさい!」
「はい!!」
なぜか言われるがまま、姿勢を正してしまった昶。自分よりも小さい女の子に、迫力だけで気圧されてしまうとは、自分でも本当に情けないと思う。
「アナヒレクス家は、このレイゼルピナ王国でも名門中の名門貴族。過去、王室の警護隊の隊長を幾人も輩出し、隊長に成れなかった者でも騎士の称号を賜ったり、武道大会で幾度も優勝、戦争でも幾つもの手柄を立てて勲章を授与、その他にも色々あるんだけど全部聞く? 多分明日までかかると思うけど」
「いや、いい……」
さすがにそこまでこの姿勢でいるのは辛い、いやむしろ不可能だ。
それにそもそもレイゼルピナ王国なんて聞いたこともない国名だ。王国ってことは欧州かどこかにある国だろうか。
とにかく里で隔離生活送ってきた昶には、里の外に関する知識はほとんどない。
そりゃ、電気と水道くらいは通っているが、人の世から隔離されたあの場所には、世間の知識など、ほとんど入ってこないのだ。
だから、外の世界に憧れてはいたのだが…………。
「つまり、アナヒレクス家は、超実力派のすっごぉおおい名門で、由緒正しい高貴な一族ってこと。本当なら、あたしはあんたみたいな小市民じゃ一生お目にかかれないような人間なの。この意味がおわかりかしら?」
「まあ、お前の言ってる意味は」
「そうなの? だったらその口のきき方はなあに?」
理由は全くの不明あるが、レナは可愛らしい笑顔の上に、血管マークを三つほど浮かべている。
「口のきき方?」
「それよ、それ! まずはそれを改めろって言ってんの! 『レナ様のおっしゃっておられる意味はご理解できます』でしょ!」
「っぐ!?」
レナに、爪先を踏み抜かれた。それもかかとで。
「ってええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
昶はうずくまって踏み抜かれた左の爪先を押さえると、涙目でレナの方を見上げた。
「あたしはね、貴族なの!! お嬢様なの!! あんたみたいな猿とは天と地ほどの身分の差があるの!! それを言うにこと欠いてあたしのことをお前呼ばわりするなんて……」
「あ、あぁ、悪かった」
「だーもう、あたしの言葉の意味が分からなかったのかしら、この猿は。ううん、猿みたいな知能の高い動物とあんたが同列なんて、猿に失礼だわ。もう目障りだからあたしの前から消えてくれないかしら!」
──猿に失礼って、俺は猿以下かよ!!
「ちょっと待て、だったら俺はどうすりゃいいんだよ!」
「知らないわよ! 猿なら猿らしく、山の木の上で寝てればいいんだわ!」
「まあ実際できなくも、ってじゃねえ! 俺は人間だ! 猿と一緒に扱うんじゃねえ!」
「そんなことどうでもいいからとっとと出て行きなさい!」
とその時、木製の立派な扉がドカンと大きな音を立てて開いた。
「うっさいわよレナ! いったい今何時だと思ってんの!」
激昂するレナとうずくまっている昶のいる部屋に、新たな来訪者が訪れた。扉を蹴り開けたらしく、まっすぐにすっと伸びた足が降ろされる。よくもまあ、あの固そうな扉を足で……。
現れたのは、レナとは正反対に身長一七〇センチ近くありそうな女の子だ。切れ長の青い瞳に、赤みの強く明るい紫系のポニーテールが印象的である。腰まで届くほど長いが、先端まできっちりと手入れをされているように見える。
ちなみにこちらはレナと正反対に、バストは大きめだ。
「それよりもシェリー、人の部屋に勝手に入って来るのいい加減直しなさいよ」
「それはわかってる。でもね、私の部屋はあんたの向かいなの。どっかのバカがギャーギャー騒いでんのだから、嫌でも聞こえちゃうの! そっちこそ、もうちょっと周囲のこと考えて、行動しなさいよ」
突然の来訪者──シェリー──は、レナに文句を言い終えると、その部屋にいるもう一人の人物へと、視線を傾ける。
「で、そっちが例の男の子か」
シェリーは怪しげに昶の方を見つめながら、そんな言葉を口にした。
「契約しちゃったのはどうしようもないけど。その子、本当にサーヴァントにするの?」
「まあ、なるようになるでしょ。あの時は……、ちょっとそこまで考えてなくて」
今二人の短い会話の中に、なにか引っかかる単語が昶の耳を打った。契約、それに“さあばんと”。
ほんの少しレナの顔に暗いものがよぎったが、それも一瞬のこと。
例のキツい眼光で、ぎろっとシェリーのことを見すえた。
「それはそうとシェリー。ここはあたしの部屋であんたの部屋は向かいでしょ? 早く出て行ってくれないかしら?」
「それはそうなんだけど、その男の子追い出すんでしょ? 野宿はさすがにかわいそうだと思ってね。私の部屋でもいいんなら、一日くらい泊るかってだけよ」
「盗み聞きなんて、ずいぶんと無粋な真似するのね。そ、それとなに? 曲がりなりにもグレシャス家の一人娘が男の子を部屋なんかに泊めるわけ?」
「あら~? ませたお子ちゃまはいったいなにを想像したのかな~? お姉さんはただの善意で言っただけなのに。どっかの誰かさんが『目障りだからあたしの前から消えてくれないかしら!』なんて言ってたから、そこでバカみたいな顔してる男の子が困ると思って、単に部屋に入れてあげようと思っただけなのに」
「なな、な、ななななな……なんでもないわよ。このバカ! そ、それに! 年齢的にはあたしの方がお姉さんでしょうが!」
──レナの方が年上なのか、全然そう見えねえけど。
なんて失礼なことを考えている昶だが、それも仕方のないことであろう。身長は頭一個分近くシェリーの方が高い上に、向こうには落ち着きと余裕といったものが感じられる。
しかも誰がどう見ても、レナがシェリーの掌の上で遊ばれているようにしか見えないのも、原因の一つだ。
それにいったいなにを想像したのか、レナの顔はトマトのように、真っ赤になっている。
地味にバカにされているのにも腹が立つのだが、目の前でこんなことをされていてはそんな気も失せるというものだ。
するとレナをからかっていたシェリーの矛先が、今度は昶へと向けられる。
「ところでさ、その腰に下げてるのって、やっぱり剣よね?」
「ん? あぁ、こいつのことか」
昶は腰に差し込んでいる、大振りの日本刀に手をやった。試合で手に入れた妖刀──村正。これから自分の相棒になるであろう刀に。
「そうそう、私、そういうのに興味があってね~。ちょっと見せてくんない?」
「だめ」
「え~、いいじゃん。ちょっと抜いて見せてくれるだけでもいいからさぁ」
「こいつはちょっと特別製で、他人にはあまり見せたくないんだ」
なにせ、色々と逸話の残っている妖刀である。
力のある武器は、存在そのものが人にとって害である場合も少なくないのだから。
「って、こらーーーーーーーーーー!」
会話にからおいてけぼりにされていたレナが、ようやく思い出したように叫び声を上げた。
「どうでもいいから、シェリーあんた早く出て行ってよ!」
「あら、なんで?」
「あんたが出てってくれないと、安心して眠れないからに決まってるでしょ!」
「でも、それだとそこの男の子は野宿なんでしょ?」
「あんたには関係ないでしょ!」
「部屋から追い出したらあんたとも関係ないでしょ」
自分のことが議論の中心にあったはずなのだが、これはどう見てもただの罵り合いである。これなら素直に外で寝るか、でも寒かったらどうしようかなんて昶が考えている内に、どうやら決着がついたようだ。
「と言うより、あんた昔から人の物なんでもかんでも欲しがるの止めなさいよ!」
「欲しがってないでしょ。まあ、その剣に興味があるのは認めるけど」
「一緒じゃないのよ」
「刃物全般に興味があるからねぇ。発動体もあれだし」
「ほんと、よくあんな鉄の塊みたいなもん振り回せるわね」
「へっへっへぇ、お褒めに預かり光栄です」
それも、話の方向は明後日の方向に。
「ん~~~、眠くなってきたし、そろそろ寝るわ。もう大声出さないでね」
「わかったから、とっとと帰りなさい」
「んじゃ、おやすみ~」
シェリーはあくびを一つ噛み殺しながら、今度は足ではなく手で扉を閉めた。
部屋はまるで嵐が去ったあとのようにしんと静まり返り、さっきまでの喧騒が嘘のようである。
「はぁぁ、やっと静かになったわ……」
つい先ほどまでずっと怒鳴り散らしていたレナは、ほとほと疲れ果てたようにどんよりとした表情になっていた。一番騒々しかったのは当の本人であるが、それは置いといて。
「だな」
昶も苦笑いしながらレナに同意を表した所で、
「そうそう。私の名前はシェリー=ラ=アーシエ=ド=グレシャス。得意な属性は火、発動体はこのツーハンデッドソード。それじゃね~」
再び扉を開けたシェリーは、長い本名を言ってから、再び扉を閉めた。
いや、それよりももっと重要な単語を、間違いなく聞いた。『得意な属性は火』と。
「……レナ」
「レナ様でしょ、って言ってもわかんないわよね。あんた頭悪そうだし。あきらめてあげる」
「そうじゃなくて、得意な属性とか、発動体とか、それに契約とか“さあばんと”っていったい…」
「あんたの頭って本当に中身が入ってないんじゃないの? そんなのあたし達がマグスだからに決まってるじゃない」
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「ならその“まぐす”ってのは?」
「マグスってのはね、魔法使いのこと。わかった?」
昶は現状を把握するのに、たっぷり十秒を要した。
「はああああああああ!?」
そして柄にもない大絶叫。
昶は間隔を頼りに周囲の状況を確認してみたが、ここは霊地として裏の世界では有名なはずの隠れ里よりも霊的な力が強い。
他にも本来は希少なはずの龍穴の気配が、手に取るように分かる。
「うるさいわね、とりあえず名前くらい教えなさい。猿って呼ぶのも猿に失礼だから」
とりあえず昶は、これは夢ではなく現実かもしれない、ということだけは認識したのだった。