第八話 戦闘開始 Act03:逃げる者、追う者
外部で行われている戦闘は、もはや限界を迎えようとしていた。
近衛隊が相手をしている“ユリア”は、黒い炎を扱う闇精霊の使い手。
あとの二人も、中位の呪文を連続で使うような強力なマグスである。
しかも城壁の突破が間近に迫ったことで、よりいっそう攻撃の手が激しくなる。
“ユリア”に対して包囲陣を敷いている近衛隊はともかく、散発的な攻撃を受けているあとの二人は、すぐにでも突破しそうな勢いだ。
「簡単にやられないだけ、都市警備隊の連中より上か」
中でも城壁の最も近くにいるラウドには、攻撃の手が集中している。
人数はざっと見ただけで四〇人弱、けっこうな数だ。
四方八方から、様々な攻撃が向かって来る。
火、水、氷、土、岩、鉱石、風、雷。
月明かりしか頼りがないのは少々心許ないが、それは向こうにとっても同じこと。
ならば必要以上に恐れることはない。
この四〇人弱を相手にする方が、報告書にあった三人を相手にするより幾分かマシだ。
「ロックスパイク」
同心円上に、下位の攻撃呪文――岩でできた杭を掃射した。
周囲全てが敵なのだから、気を使う必要など皆無。キュルキュルと空気をえぐりながら、大きな岩の杭が王都の魔法兵に襲いかかった。
だが向こうも国内全土から選ばれた精鋭の魔法兵、今のラウドの攻撃で脱落した者はいない。
だが同時に勝算もないために、積極的に攻めて来る者もない。
あくまで一定の距離を保ちつつ、散発的な攻撃を放つだけだ。
「ディザートガンズ」
同じく下位の、今度は砂を押し固めた弾丸をまるで機関銃のように連射した。
ただし、砂の弾丸の先には硬い鉱物が付着しており、更に言えば高速で回転している。
「うわぁああああ!」
「ぐふぅぅ……」
「なんだと!?」
貫通力を強化した弾丸は、彼等の張った盾を易々と貫通した。
ちなみにラウドがあっさり使っているこの技術、単純に上位の呪文を発動させるより難しい。
呪文で作り出した弾丸一つ一つに干渉し、錬金術で組成を砂から金属に変化させているのだ。
国内全土を探しても、でもそれができるマグスは限られる。
「いけるな。邪魔するなよ、王都の駄犬ども」
そして貫通攻撃で相手がひるんだそのすきに、ラウドは自身の持つ本来の力にして最高の力を起動させる。
「来たれ、愚者を滅ぼす巌の鉄槌よ!」
その瞬間、ラウドの足元が大きく隆起した。土精霊の力も借りて、盛り上がった土が強固な岩石へと変遷を遂げる。
大量の岩石はラウドを核として集まり、人間の形を作り出した。ただし、本来の大きさの十倍近い大きさがある。
その巨大は威容に王都の魔法兵は気後れし、エルザの護衛に向かい始めていた近衛隊も目を奪われた。
学院の生徒や教師とて、例外ではない。
――――全身武装鎧。
様々な属性を防壁として身体にまとい、武器や飛び道具としても機能する、精霊素やそれに連なる物質からなる強力な鎧。
だが二〇メートル近い全長は、どう考えても規格外のサイズである。
その左目にあたる部分に、ラウドの身体が現れた。だがきっちりと偽装されているために、そこに人がいるようには見えない。
「邪魔だぁぁああああ!」
右足を大きく振り上げる。
たったそれだけで大量の土砂が舞い上がり、ゴゴゴゴと地震のような揺れと低重音を引き起す。
そして、勢いよく城壁を蹴り抜いた。
――――――――ドゴォォオオオオオオッ!!!!
轟音と共に、校舎全体が激しく揺れた。
しかし城壁の強度もかなりのものらしく、片足は半ばまでめり込んだところで足の付け根から千切れる。
だが、ラウドはふんと鼻で笑い、ある言葉を口にした。
「起爆せよ」
地精霊に命じて、城壁に突き刺さった右足が爆発する。しかも単なる爆発ではない。
前方向に指向性を持った爆発は、半壊した城壁の残りを微塵に吹き飛ばしたのだ。
「こんなものか」
砕いた城壁やえぐった大地と土精霊を材料に、千切れた右足を再生させる。
それを成せる膨大な魔力と精緻な魔力コントロールは、賞賛に値する才能と技術である。
まずは一人、学院の外へと脱出を果たした。
クロウドは久々に見るラウドの全身武装鎧に、感嘆の息を漏らした。
「相っ変わらず、でけぇな」
以前どこかの国王から請け負った仕事の時に、戦術兵器とか言う巨大なゴーレムを見たことがあったが、そいつといい勝負だ。
閉所での戦闘や先ほどのような強力なマグスを相手にする場合は難があるが、雑魚を一掃する場合や建造物を破壊する場合には非常に便利な力である。
「それじゃこっちも、ちったあ本気でいきますか」
大気中の水分や水精霊を集め、実体化させる。
クロウドの手から、氷柱のように氷の刃が伸びた。
刃渡り六〇センチ超、幅十五センチ弱の透明な剛剣。それから足裏には薄い氷の膜。
敵総数は三〇人足らず。
この程度、ものの数ではない。
クロウドの身体が、なんの前触れもなく滑走を始めた。
王都の魔法兵達はその速さに驚き、一瞬だけ反応が遅れてしまう。
だが、その一瞬が命取りだ。
「そらよっ!」
それはまさに、空を翔ける機動隊並の速度である。
つまりエリートではあるものの、王都防衛の魔法兵レベルで太刀打ちできる速度ではない。
「もう一丁!」
切断には至らないものの、蒼銀の鎧は大きくへこみ、またたく間に二人の魔法兵が無力化された。
魔法兵達の間に、動揺と戦慄が訪れる。
「近付けるな! 撃ち続けろ!」
我に返った兵達は、必死になって攻撃を再開した。
空間を埋め尽くすほど濃密な弾幕を、しかしクロウドは氷を使った圧倒的な機動力で回避する。
氷のリンクを滑るような動きは、美しさを感じさせるほど完成されたものだった。
「三つ目!」
氷をまとった足で、顔面にハイキックをお見舞いする。
兜は歪んでいるものの、蹴られた相手の戦意は少しも衰えていないようだ。
「アイシクルショット」
だが追い討ちをかけるように、氷の弾丸が歪んだ兜の魔法兵を襲いかかる。
肩の同じ場所に六発の弾丸が命中し、最後の一発が鎧を貫通した。
肩からは血が飛び散り、兵士はその場でうずくまる。
「まだまだ行くぜ」
クロウドはそのまま呪文の攻撃を続行。
魔法兵達の濃い弾幕を回避しつつ、自身も氷の弾丸を連射する。
だが一発では鎧を撃ち抜くに至らず、当たってはカーンッと甲高い音を上げた。
しかし、それでも相手の体勢を崩すことは可能だ。
ラウドのようにまとめて倒すのは苦手だが、それなら一人ずつ黙らせればいい。
「そらそらそら!」
クロウドの目が次の獲物を捉える。
距離が最も近かったのが、その魔法兵の運の尽きだ。
散発的に散らしていた弾丸を、一ヶ所へと集中させる。
向こうが完全にバランスを崩したところで滑走するコースを変更し、すれ違い際に氷の剛剣を一閃した。
横っ腹の部分が大きく裂け、赤い水玉が氷の刃を濡らす。
「四つ目!」
クロウドの勢いは止まらない。
そのまま舐めるように地上を滑って弾幕をかいくぐり、攻撃呪文、あるいはすれ違い際に両手の剛剣を一閃させる。
鎧の強度のおかげで致命傷には至らないものの、弱腰になった彼等に、怒涛のように迫り来る攻撃を防ぐことなどできようはずもない。
魔法兵達はゆっくりではあるが、徐々にその数を減らしていった。
「これで十三!」
強度の低い関節の部分を切り裂く。大量とはいかないものの、多くの魔法兵の血飛沫が、氷の刃を真っ赤に染め上げた。
「こいつはオマケだ」
刃の先端に水精霊を集めて氷塊を作り、いましがた攻撃した兵の後頭部を殴り飛ばす。
しばらくの間ピクピクと痙攣していたが、立ち上がる気配はない。
「こんなもんか」
弾幕は当初の半分以下になっている。
右足と左肩に何発か喰らったのは痛いが、この密度なら突破できる。
「あばよ、雑魚共」
クロウドはラウドの破壊した城壁へと、最大速で滑走した。
城壁の破壊は確認したのだが、“ユリア”がこの状況を突破するのは容易ではない。
彼女が相手にしているのは、近衛隊の中でも王女殿下の直衛を命ぜられる、ネーナ=デバイン=ラ=ナームルス。学院でも屈指の戦闘力を有する一人、ゴリさんの愛称で有名な、グレゴリオ=ド=ゴール。それに学院内でも十指に入る実力を持つ生徒が五人。
先に相対していた近衛隊のメンバー九人より、――――強い。
近衛隊のメンバーの中でも最下層の魔法兵と言うのもあるが、彼等は卒業前から既に王室警護隊の三隊への入隊が決まっているほどの生徒なのだ。
実力は折り紙付きである。
「逃がしゃしねえよ!」
全身に風と氷をまとったネーナは、空を蹴って“ユリア”に迫った。
なぜ“空”なのかと言えば、単純にネーナの身体が浮いているからだ。
「そらよっ!」
風と氷をまとった右拳と右足の連撃を、“ユリア”は地面スレスレまで身体をそらせて回避する。
だが、ネーナの身体を取り巻く氷の粒が、“制服”の一部を削った。
全身武装鎧である。
それも風と水、二つの属性を持った。
「もう一発!」
更に身体をひねり、後ろ回し蹴りを繰り出す。
「……」
“ユリア”はそれをキッとにらみつけ、タイミングを見計らって黒い炎の盾を展開させた。
ガキィッ、という衝突音と同時に、二人の身体は反動で後方へと弾け飛んだ。
「無属性か。厄介な属性持ってやがるぜ」
無属性とは通称で、魔力を物質化させる技能を指す。これを様々属性と組み合わせることにより、火で相手を殴ったり、雷で相手を絞めつけたりすることが可能になるのだ。
と、ネーナの両側から人影が飛び出した。
格好から察するに、パーティーに来ていた生徒、最初に“ユリア”に殴りかかった二人だろう。闇精霊による侵蝕を防ぐため、それぞれ炎と水を拳を纏っている。
恐らくは精霊を付加させる技能なのだが、密度は通常の魔法兵と比べても段違いだ。
二つの拳が、ネーナの攻撃によって損傷した黒い炎の盾を粉砕した。
「強い……」
だがその二つの拳を、“ユリア”は強化した筋力と黒い炎をまとった手で受け止める。
黒い炎はネーナほどの出力のない二人の拳を、瞬く間に侵蝕し始めた。
二人ともそれを察し、“ユリア”に手をつかまれた瞬間には付加した力を切り離し、左右に飛んで別れる。
「しまった!?」
二人が別れた瞬間、既に呪文を言い終えていた生徒から、上位の攻撃呪文が放たれたのだ。炎に風に雷。
どれもホール内で放った呪文とは、比較にならないほどの威力である。
「フレイムシールド」
だが間一髪、黒い炎の盾で攻撃を防ぐ。
しかし生徒のレベルの高さは、想像の範疇を大きく超えていた。
「ブレイズブレイド!」
「ウォーティーブレイド!」
“ユリア”の斜め後方の左右に、さっきまで目の前にいた二人の姿が。
炎と水の中位に属する飛翔刃系の攻撃呪文が、死角より襲いかかる。
「フレイムウォール」
背後に黒い炎の壁を作り出し、後方からの攻撃にも対応する。
前方からは三つの上位、後方からは二つの中位。
脳を鷲掴みにされるような痛みが、“ユリア”の全身を駆け巡った。
「まだまだ!」
そこへ上方からネーナ。
「こちらのことも忘れてもらっては困る!」
生徒の攻撃のすきまを縫って、前方からグレゴリオ。
判断は一瞬。危険度で言えば、ネーナの方がグレゴリオよりも高い。“ユリア”はネーナへと視線を向け、その動きに合わせてサイドステップした。
「あぐっ!!」
ネーナの風と氷の拳は横にそれて回避したものの、盾を粉砕したグレゴリオの拳を鳩尾にもろに喰らった。
背後に張っていた黒い炎の壁は消失し、ゴロゴロと“ユリア”の身体が後方へ転がる。
炎の付加があったために、制服の腹の辺りは焼け焦げ、日焼け程度の火傷を負っていた。
口の中は血の臭いで充満し、腹部がヒリヒリと痛む。
もともと戦闘に関する準備が不足している上に、戦力的にも状況的にも勝てる要素はない。
だが、同時に好機でもあった。
すっ飛ばされたおかげで相手とは距離ができ、更に背後にはラウドの破壊した城壁がある。
“ユリア”はきびすを返すと、最大限まで筋力を強化して破壊された城壁へと向かった。
昶とシェリーが飛び出した頃には、既に城壁は破壊された後だった。
それ以外にも戦闘の余波で校舎が破壊され、地面がめくり返り、倒れた魔法兵の近くには斑状の血の跡も見られる。
「……まるで戦場みたいね」
それが生々しい傷跡を見てやっと出た、シェリーの感想だった。
「いや、違う」
だが、昶はそれを真っ向から否定する。
「戦場だよ、ここは」
そして、厳然たる事実をシェリーに突き付けた。
死人こそまだ出ていないようだが、そのありようは確かに戦場と言っても相違ない。
「一つは、例の闇精霊を使う組織、もう一つはこの国の軍隊だろ? 思想を持った二つの組織がぶつかり合えば、それは戦争だよ」
もっとも、相手がどんな思想の下に活動しているのかは不明だが。
「それで、どうする?」
壊れた城壁に向かって走りながら、シェリーに問いかける。
「どうするって?」
「誰を追いかけるかってこと」
先頭に見えるのは、ゴーレムのように見える。
ただサイズが恐ろしく巨大なうえに、既にかなり先行していて追いつくのは難しそうだ。
次の一人はちょうど城壁を出た所。かなり速度は出ているが、二人の足なら追いつけない速度ではない。
最後の一人は現在も交戦中のようで、後方から様々な攻撃呪文が飛来している。
ただ、驚くべきはその足の速さだ。
先に脱出を果たした一人に、今にも追いつきそうな勢いである。
「最後尾にはいるっぽいから、その前のやつでいいんじゃない? さすがに先頭のあれには追いつけないし」
「そんじゃ、行くか」
昶は更に速度を上げる。
シェリーが付いて来れる限界手前まで。
「ちょっと、待ちなさいよ」
シェリーも昶を追って、走る速度を上げた。
“ユリア”の足の速さには、ネーナの少し驚いた。
今のままでは差が開かないようにするので精一杯だろう。
「三人が遅れ始めてるな」
肉体強化のできる自分やグレゴリオと二人の生徒は大丈夫なのだが、それの使えない三人は遅れ始めている。
それも当然。動きにくい服を着ている上に、ネーナ達は普通の人間の走る速度の上を行っているのだから。
そもそも、程度差こそあれ肉体強化を使えるマグスは、国内にも二割ほどしかいないのだ。
むしろ、まともな戦力足り得る生徒が二人もいることを喜ぶべきだ。
「くそ、三つに分かれやがった」
先頭のゴーレムは一直線に南下、二番目は南下しながら西の森の方へ、自分達がダメージを入れた少女は南下しながら東の丘陵地帯へ。
一瞬だけ迷ったが、命令を受けたのは最後尾の女子生徒だ。それに、闇精霊の使い手でもある。逃がすと後々厄介なことになるだろう。
闇精霊を扱えるマグスはただでさえ強力な上に、それに対抗できるマグスとなると、ネーナの知る限りでは国内に十人といない。
考えはまとまった。
「逃がしゃしねえさ」
ネーナは女子生徒を追って、東の方へ更に加速。校舎の瓦礫をたったの一歩で踏み越える。
それにグレゴリオと二人の生徒、遅れること三人の生徒も追従した。
空を飛ぶなんて何年ぶりだろうか。
ウェリスはそんなことを考えながら、一直線にゴーレムの後を追いかけていた。
その速度は、音速とほぼ同じ。車や飛行機のないこの国からすれば、とんでもない速度である。
それに、先ほどのようなオズワルトの姿をしていない。
目鼻立ちのくっきりとした顔、露出の激しいドレスとも法衣とも取れる、羽衣をまとった不思議な長衣。
卑猥の一歩手前の妖艶さと、嫌味の一歩手前の優美さを兼ね備えた出で立ちは、一種の神々しささえ感じられた。
彼女は半世紀以上前に、オズワルトと契約を交わした精霊。中位階層の人間型水精霊、名をウェリスと言う。
彼女の主であるオズワルトが念話で送ってきた情報によると、あのゴーレムのようなものの操者が資料室からなにかを盗んだようだ。
彼女本来の力を以ってすれば、あの程度の力など物の数にも入らないのだが、契約した当時の戦闘により本来の力は失われてしまっている。
だが、それはあくまで自身を構成する力の規模でしかない。オズワルトからの魔力供給がある今なら、限定的にではあるが本来の力かそれ以上の力を行使することすら可能である。
それに現在使っている飛行力場も、オズワルトから供給される魔力によって発生させているものだ。もっともこれだけ距離が開けば、供給される魔力も微々たるものではあるのだが。
「それで、向こうの力はいかようなものかわかるか?」
まるで誰かに話しかけるように、ウェリスは涼やかな声を発する。清らかで物静かな声は、川のせせらぎのようだ。
「……そうか。それで、その男はいったいなにを盗み出したのだ?」
相手もいないのに、ウェリスはうんうん頷く。
その後いくらか頷いたあと、突然ぷっと吹き出した。
「あんなものを盗んでどうするのだ!? くっくくくくく…………。やはり人間というものは、かくも面白き存在よのう」
しかし、柔和だった笑みをキッと結び直した。
「だが、アレはあの方との大事な思い出の一つ。きつい仕置きが必要、であろう?」
と、眼下のゴーレムを追い抜き、その前へと躍り出た。
「さあ、久方ぶりの戦い。加減が利かぬやもしれぬが、問題はなかろう」
ウェリスが撫でた空間から、全長一メートル超の氷の矢が放たれた。
ラウドは全身武装鎧右腕の肘から先が消えたことで、追っ手の存在に気が付いた。
しかし、相手を見つけることができない。まあ夜間なのでそれも仕方がないことではあるが。
「試してみるか」
千切れた方の腕を拾い上げ、高々と頭上へ放り投げる。
何トンあるのか想像もつかない岩の塊が、高度二〇〇メートル辺りに到達すると――、
「砕けよ!」
千切れた腕はラウドの号令によって、幾千、幾万、あるいは幾億の破片となって、雨の如く地上に降り注ぐ。
重量に応じてそれ相応の魔力を消費するものの、広範囲の敵を一気に殲滅できるので、特に掃討戦で重宝している。
そして、今回のように居場所の分からない敵をあぶり出すことにも……。
「あそこか」
一ヶ所だけ、破片によってえぐられた跡のない場所がある。ラウドはその上を見上げた。
「人間? まさか精霊か!?」
ラウドの視点から少し見上げた位置に、淡いレモン色の月明かりに照らされた人影があった。
「さあ、宴の時間だ」
ウェリスの凛とした声が、夜の空気を震わせる。
いくら走れども、前を行く敵になかなか追い付かない。
そのことに業を煮やしネーナは、強行とも無茶とも言える行動に出た。
「風精霊!」
ネーナは風の全身武装鎧を脚部に密集させ、大地を砕く勢いで踏み抜いた。
強化した筋力と風の力、そして地面との反発。
それらの力が、ネーナの身体を弾丸のような勢いで弾き出した。
だが本来そのような使用方法は前提でないため、かなりの魔力を消費する上に脳や肉体への負担も大きい。
例え肉体強化を施した身体であろうともだ。
頭蓋骨の内側から脳に針を刺されるような痛みに、ネーナは顔をしかめる。
「逃がしゃしねえつっただろ!」
だがネーナは痛みを精神力でねじ伏せ、“ユリア”の前へと躍り出た。
「鬼ごっこはおしまいだぜ、クソガキ」
逃げられないことを悟った“ユリア”は、その場で立ち止まる。
勢いを殺した衝撃で、粉塵が激しく宙を舞った。
その背後を、グレゴリオと二人の生徒がふさぐ。
じきに残りの三人も到着するだろう。
「キッチリ、片を付けてやる」
ネーナはキッと“ユリア”を見すえ、宣戦布告を言い渡す。
風と氷の全身武装鎧を発動させ、ネーナは弓から放たれた矢のように飛び出した。
昶とシェリーが残る一人――クロウド――を追いかけている間に、二回の轟音が大気を震わせた。
その内の一つ、ゴーレムらしきものの腕がいきなり千切れ、次の瞬間には大量の凶器となって地上へ殺到するのが、二人の位置からでも確認できた。
もしあの場にいたらと思うと、少しゾッとするものがある。昶はまだそれなりの防御結界等があるが、シェリーは防御系の呪文をろくに使えない。
しかも、あれを防ごうと思えば上位、最低でも中位の防御呪文が必要である。
残念ながら、魔力の容量も出力も人並み以上にあるシェリーだが、呪文に合わせて性質を微調整することが苦手なために、これらの上・中位呪文も発動に時間がかかる。つまり、実戦ではほとんど使えないに等しいのだ。
「誰か追い付いたの?」
「ちょっと待ってくれ」
昶は感覚を研ぎ澄ませ、たった今戦闘を始めた場所辺りの魔力を探った。
反応が二つしかないと言うことは、追いついたのは一人。しかも片方の反応は、厳密に言えば魔力ではなく水精霊の力。
つまり、
「精霊だ。それも結構な規模の水精霊」
「誰のよ?」
「多分学院長の」
「えぇっ!?」
シェリーは素っ頓狂な声を上げた。
まあ相手の魔力を探る能力が低いこの世界のマグスなら、わからなくても無理はない。さっき消える時も、最後まで学院長の姿のままだったのだから。
「刺された方の学院長、消えただろ。あの時水精霊の気配がしたんだよ」
「じゃああれは、学院長先生の精霊が化けてたってこと? そんなことできるものなの?」
「俺に聞くなよ。こっちだって驚いてんだ。あの時まで、精霊だって気付けなかったんだからな」
それは昶も疑問に思っている点だ。
なぜあの学院長が精霊だと看破できなかったのだろうか。
自分の感覚に関してそれなりに自信を持っている昶としては、そのことが信じられなかった。
「それってあれじゃないの? 歴史系の授業でやった気がする」
「なんなんだ?」
「“聖霊魔法”って言う、古い精霊や一部の上位階層しか使えないってモノらしいわ」
「なにか特徴とかは?」
「さぁ。そもそも、召喚の儀式が一般化したのは最近のことだから、精霊との交流なんてまだほとんどないもの。詳しいことなんてわからないわ」
言ってる言葉の意味がわからず、昶は頭の上にいくつも疑問符を浮かべる。
その反応を見て、シェリーはあぁ、と納得した。
「そっか、アキラはレイゼルピナの出身じゃなかったわね」
「召喚が最近ってことは、これまではサーヴァントとかなかったってことなのか?」
「ううん。あるにはあったんだけど、相手を探すのが大変でね。今まではほとんどなかったの」
「ん? つまり、今までは『召喚って魔法がなかった』ってことか」
「そういうこと」
シェリーは器用に走りながら息を整えると、昶の言葉尻を取って説明を続ける。
「契約するってことは、自分の中の色々なものを共有しあうことだから、申し込む側も、受ける側も、おいそれとするわけにはいかないのはわかるわよね。今までのマグスは、自分の属性に合って、なおかつ契約を望む獣魔や精霊を探さなきゃならなかったの。リンネなんかがそうね。あの子、入学前からサーヴァント連れてたし」
「それで?」
「あぁ、うん。それを解消したのが、召喚の儀式なのよ。それを作ったのは、あの学院長なんだけどね、どうにも、『互いを結ぶ因果の糸』とかなんとか訳のわかんないこと言ってた」
シェリーは、はふぅぅ、と息つく。一気に喋ったせいで、息が切れそうになったのだろう。
それでも、体力的にはまだまだ余裕がありそうだ。
「悪いな。話そらしちまって」
「ふぅぅ、いいわよ気にしなくて。とにかく精霊の生態もわからないところが多いんだから、“聖霊魔法”の方はもっとわからないことだらけってわけ。今はそのことは忘れて、眼の前のことに集中しましょう」
「そうだな、ありがと」
――互いを結ぶ因果の糸、か。
昶が感慨にふけっていた、その時だ。
「見えた」
昶の目が、クロウドの姿を捉えた。
視力を強化した目でなく、普通の目で。
「嘘、私見えないわよ?」
「ま、まだかなり先だし……!?」
昶の頭がピクンと跳ねた。まるでなにかを感じ取ったかのようである。
「アキラ?」
不審に思ったシェリーは、昶に声をかける。
だが、重苦しい顔をするだけで、昶が口を開く気配はない。
「悪いシェリー、一人で頑張ってくれ」
昶はそう言うと、いきなり方向を変えた。
それは遠方に見えるゴーレムでも、闇精霊を使う女子生徒でも、目の前にいるであろう人物のどれでもない。
「勘弁してよ」
シェリーは重いため息をついた。
学院の西の方から、二つの影がまっすぐに東を目指して突き進む。
鳥と言うには少々大きすぎる。かと言って、ドラゴンと言うには輪郭が違いすぎる。
その二つよりも、人間型の精霊と言われる方がしっくり来る。
なぜならその二つの影は、全長は一メートル七〇センチ前後のうえ、無手であったのだ。最も効率よく速度の出せる、杖型の発動体にまたがっているわけではない。
だが、その二人は間違いなく人間である。
彼等の身体を形作るのは、精霊素ではなく血の通った肉の塊だ。
「小僧、うちが言うのもアレやけど、言われとることは守るんやで」
「わかッてるョ。これでもボクは、言われたことはきッちリ守るタイプだからネ」
片方は、頭からすっぽり漆黒のローブをまとった少年だ。ローブの表面には、エナメル質の黒い魔法文字が躍っている。
目深にかぶったフードのため、少年の顔を窺い見ることはできない。
「そうなんか? うちはてっちり、人の言うちょることも理解できへんパーやと思とったで」
「まァ、ボクの第イチ印象なんて、ソんなモノだと思うョ。物事ヲ深く考えるのッて、得意じャないんだ」
もう片方は、レモン色に近い金髪を髪申し訳程度の短いツーサイドアップに結い上げた女性だ。
上下に黒いフリルのついたチューブトップに、大量のポケットが縫い込まれた黒いジャケット。赤いコルセットの下には、深いスリットの刻まれた黒いタイトスカートをまとっている。しなやかな脚部を包む網タイツを黒のガーターベルトで留め、踏まれると穴の開きそうな赤いピンヒールを穿いていた。
そしてなにより特徴的なのは、首から下げた瑠璃のネックレスと、そのネックレスと同色の瞳だ。
まるで澄み切った深い海のような青い色――瑠璃色――をしていた。
「なんや、自分でパーやって認めるんかいな」
「別に、そッちの評価なんてボクにはどうでもいいからネ」
「はん、おもろうない小僧やで」
「それでもいいョ。ボクが望むのはコロシアイ。そっちみたいにサツリクが好きなわけじャない」
二人はウェリスに勝るとも劣らない速度を出している。
だが、二人の周囲にはまるで特殊な力場でも働いているようで、風が二人の身体を叩くことはない。
「今回の指令はコロシはあかんかったからな。加減が面倒や」
「そうなノ? ボクはちョッと楽しみだッたリするんだよネ」
「なんかおもろいことでもあるんか?」
「ヒミツだよ」
二人の視線の先に、破壊の爪痕が見られる学院の姿が映った。
それぞれの場所で、それぞれの戦端が開かれる。
それぞれの胸に思いを宿し、それぞれの戦場を走破する。
そしてそこへ、圧倒的な力を持つ者が舞い降りる。
勝利の女神は、はたしてどちらに微笑みかけるのだろうか。