第七話 創立祭 Act06:開幕
エルザは悠々とした態度で、学院長にあてがわれた部屋へと帰還した。
「もー、どちらにいらしたのですか! もしかして学院の外へ抜けだされたのではないかとヒヤヒヤしました!」
そして、帰ってミゼルに怒られた。
ちなみにその後ろにいるネーナだが、出されたお菓子をボリボリと食べている。
今は重い鎧を脱ぎ捨て、黒い生地のスポーツブラとスパッツみたいなものの二つしか身に着けていない。
季節感を完全に無視した格好もさることながら、それ以前に訪問先でする格好ではないだろう。
エルザが帰ってきたことに気付いたネーナは、その方向に視線をやった。
「どうやら、用事はちゃんと済ませたみたいだな」
エルザが部屋を出て行く前に持っていた布袋は、今は彼女の手にない。ネーナはそれを確認すると、ニヤリと笑みを浮かべる。
「意中の彼氏はいたのかー?」
「ふふふ、そのようなものではございませんよ」
ここで言う“彼氏”と言うのは、もちろん昶のことだ。
ただし、ネーナは昶のことについてなにも知らない。
だが、自腹を切って破格の値段の刀剣を作ったことは知っている。
ネーナもそれに協力したのだから
そして、それをついさっき渡しに行ったことも、しっかりと見ていた。
「ただ、なにか予感めいたものがあったのです」
「予感でございますか?」
「また、えらく直感的だな」
そんな不明確なものを頼りにそんな行為におよんだことを、ミゼルとネーナは不安に感じた。
だが同時に、エルザになにか確信のようなものがあるのを、二人とも感じ取っていた。
この子には、昔からそういった不思議な力があるのだ。
前回のフィラルダの時も、その一例である。
『外で遊びたかったのも確かなのですが、あの場所にいることがすごく怖くなってしまって』
と、言っていた。
エルザが部屋を抜け出してから間もなくして、フィラルダの兵士が部屋に入って来たのはその後の調査で確認済みである。
その兵士は現在、王宮の地下房でキツい尋問でも受けていることだろう。
まあ、口を割るとは思えないし、割るにしてもまだまだ先の話だが。
「そういえば、フィラルダの市長が代わりましたね。前任者はどうなさったのでしょうか?」
「どうなんですか、ネーナさん?」
「………………」
エルザとミゼルの問いかけに、ネーナは口ごもった。
果たして、真実を知らせるべきか否か。迷っているのである。
フィラルダの元市長――バドレイ――は、すでに市長が務まる姿をしていなかったのだ。
「それが、行方知れずの状態でな。『目下、捜査中であります』って感じだよ」
発見場所はバドレイの私室、それもベッドの上に軍服のような服を横たえたまま、シーツの染みになっていたのである。
染みの色は赤、軍服のような服の下には、人間一人分の骨が隠されていた。
どうやって殺したのか、そもそもどんな属性のどんな魔法を使ったのか、それさえも全くわからないのだ。
「行方不明と言うことですね」
「あれ? でも単なる行方不明なら、副し、むぐぅぅ!!」
『ミゼル、お前少し黙ってろ』
ネーナはミゼルの口をふさぐと、耳元でそっとつぶやく。
言葉の端から身の危険を感じたミゼルは、首を激しく縦に振った。
エルザはネーナの行動の意味がわからず、キョトンとしている。当然だ、エルザはフィラルダの市長の暗躍について、なにも知らないのだ。
フィラルダの市長バドレイが殺害されたことがきっかけで始まった調査であるが、その過程で今までバドレイの行ってきた様々な違法行為も露呈した。
違法取引や報告書の文書を偽造するのは当たり前、麻薬の密売や制限量を越えた物資の輸出、脱税、謎の実験、人身売買等々。
特に最近どこかの施設に多額の予算をつぎ込んでいることが判明したのだが、それに関する資料や書類等は完全に焼き尽くされており、なにをしていたのか詳細は把握できていない。
よくもまあこれだけやっていて表面は上手く取り繕っていたなぁと、むしろネーナも感心するほどである。近々、これら地位の中心となっている大都市に、王都から査定が入ることが決定した。
これ以上面倒事が増えなければいいのだが。
「ネーナ?」
「なんでもないって。それよりも、もうあまり時間がねえぞ。お姫様の準備には時間がかかるってのが、世の常なんだからな」
「そうですね。ミゼルー、お願いします」
「はい、ただいま」
ミゼルは先発した近衛隊の運んだ荷物の中から、エルザのドレスを取り出した。
日が山の向こうへと没し始めた頃、無人となった部屋からごそごそと小さな物音が反響した。
ドレッサーと装身具を収める箱の下部から、それぞれ一人ずつの人影が現れる。
二つとも二重底になっており、その中に潜んでいたようだ。
「くそ、標的はあんな近くにいたのに。ラウド、なぜなにもしなかった?」
「お前の方こそ、状況把握がよくできていないようだな、クロウド。向こうには、あのネーナ=デバイン=ラ=ナームルスがいたのだ。我等が二人同時にかかっても分が悪い」
その名前を聞いたとたん、先に口を開いた男――クロウド――はヒュ~っと口笛を吹いた。
「マグスの品位を貶めてるって評判の、あの女か。無茶苦茶強ーんだろうなぁ」
「あいつの瞬間火力に耐えられるような術式も、持ち合わせてはいないからな。それよりも、今は早く資料室に向かうことだけを考えろ」
二人は言葉とは思えない呪文めいた長文を言い終えると、次の瞬間には別の人間になっていた。
中肉中背で肉付きがよく、あまり目立たないが整った顔。片方はスキンヘッド、もう片方は耳が隠れない程度の髪をしている。
髪のない方がラウド、ある方がクロウドだ。
クロウドの髪はススのような灰色、両者の瞳は緑味のある黒。
格好は頭を出した全身を覆う茶系のローブだ。ローブの下にはゆったりとした黒の法衣を身に着けており、ローブの背中の部分にはバラとユニコーンをかたどったこの国の国旗が描かれている。
実はこの国旗をかたどったマントやローブ、この学院でしか手に入れることができないので、潜入さえできればいくらでも誤魔化せるのである。
「外の見張りが交代したらしいぜ」
クロウドはドア越しに外の会話を聞きとり、ラウドに報告した。
「俺が先に出て見張りの二人を眠らせる。クロウド、“ルーエ”の寄越したルートを確認しておけ」
「わかってるって」
「行くぞ」
二人の行動は早かった。
クロウドが扉を開けたのと同時に、ラウドが部屋の外へと飛び出す。
「イプロス・メタティーン」
魔法の中でも治癒魔法と並んで難しい、催眠系の魔法である。
地水火風以外の魔法は習得が難しく、魔力の制御にも繊細さが求められるのだが、ラウドはそれを簡単にやってのけた。
「お前達はなにも見なかった。この部屋からは誰も出て来なかった。わかったな?」
二人は蒼銀色の鎧を身に着けた魔法兵、つまりは王都に所属する選りすぐりのマグスである。
その二人がなんの抵抗もできないまま、ラウドの手玉に取られたのだ。
二人の魔法兵はうんと頷くと、何事もなかったかのように扉の前に立って警備を続けた。
「便利な能力だな。こちとら光の属性も闇の属性も制御できないってのによ。羨ましいぜ、まったく」
「それより、早く案内しろ」
「はいはい、わかってますって。まずは下だ」
「あぁ」
ラウドとクロウドは、ゆっくりとした足取りで歩を進めた。
“ユリア”は慌てて周囲に目をやった。
どうやら思った以上に夢中になっていたらしく、窓の外はすでに真っ暗になっていた。
「時間は……!!」
懐中時計を見ると、行動開始の十分前。危うく時間を越えてしまうところだった。
周囲にはパーティーに興味のない生徒が、パラパラと座席を埋めている。ざっと見ても、二〇人弱はいそうである。
“ユリア”は本の上に、小さな学院の地図を広げた。
そこには『道筋に沿って進め』という、注意書きが書き込まれている。
どうやらある特定のルートを進まなければ、目的の場所へは行けないようだ。
この地図を見る限りでは、かなりの距離を歩かなければならない。中には、同じルートを何度も往復するようなコースもある。
不審に思われなければいいのだが。
――さて、行きましょうか。
胸の内でそうつぶやくと、本棚に読んでいた本を戻しそのまま図書室を後にした。
二階のフロアは全て図書室で形成されているが、いくつかのブロックに分かれている。
基本的には最も巨大なメインフロアで事足りるのだが、専門分野の中でも更に突き詰めた部類の本は、これらの別部屋で管理されているのだ。
“ユリア”はその道を、記された通り遠回りしながら歩いた。
その頃、中央の塔――クインクの塔――の最上階では、一人の老人が部屋の中から眼下に広がる校舎を見下ろしていた。
「陰の性質を帯びた魔力じゃな。障壁を強化しすぎたせいで、場所まではつかめなんだが」
背中が完全に隠れるほどの白髪と、鳩尾まである白髭が特徴的な人物。
ギリギリまで擦り切れた黒いローブ、左手の指全てに小さなサファイアを埋め込んだ指輪をはめている。
「学院長?」
眼下の校舎を見下ろす人物――オズワルト学院長――に声をかけるのは、ユーリ。学院長の秘書をやっている人物だ。
理知的な切れ長な瞳と、左後ろ側にまとめられた髪は両方とも灰色。こちらは、暗めの紫色をしたローブを着用している。
「なんでもない、ただの老人の独り言じゃ」
「そうですか。それでは、早く会場へ参りましょう。皆が、待ちかねております」
「あぁ、わかっとる」
オズワルト学院長は、秘書であるユーリの言葉に従って、部屋を出る。
「今日は、客が多くてにぎわいそうじゃわい。よろしく頼だぞ」
その言葉にどんな意味があるのか、ユーリにはわからなかった。
パーティー自体はまだ始まったばかりだが、会場にはすでに大量の料理が並べられている。
会場となっているホールは、ニヒルの塔の二階と三階の部分から成っており、中央の塔――クインクの塔――の北側に存在する。
一足早く会場に到着した昶は、周囲の人間に混じって大皿に盛られた料理に手を伸ばしていた。
普段は口にできない高価な肉や野菜、その他諸々『超』の付く高級食材で作られた料理を口に運ぶ。
「はぁぁ、うめぇぇ」
まさに、頬が落ちるとはこのことだろう。
“美味い”としか形容できないほど美味い。
「今日はいつも以上に美味いなぁ。はぁぁ、こんなの毎日食いてぇぇえええ!」
その願いが聞き入れられるのは、当分先の話になるだろう。
まずは、あのロシアンルーレット的なハズレ料理がなんとかならなければ。
ゆっくりではあるが、会場には着飾った生徒の姿がチラホラと見え始めた。
とそこへ、若くしてこの学院のメイド長を勤めるセンナがやって来た。
「これはこれは、アキラ様ではございませんか」
「あ、センナさん。いつもお世話になってます」
ちなみに、昶の衣類を洗ってくれているのもセンナである。
仕事が長期間に渡ることが多々あるので、昶達の術者は常に衣類関係一式を常に持ち歩いている。
持ち歩いていると言っても、鞄等に詰め込んでいるわけではない。
形式は様々であるが、封印に用いる術式を応用して特定の物に衣類を封印しているのである。昶の場合では、護符がそれに当たる。
そんなわけ衣類に困らずに済んだのは、ある意味において幸運だったと言えるだろう。
「いえいえ、こちらこそ。私は女子寮が専門なので、男の子の服には目がないんです」
自分の衣類がどんなことに使われているのか、昶はかなり心配になってきた。
うふふふ、と言いながらしきりに足の間を押さえているのはなぜだろう。
しかもなぜか頬がほんのりと上気し、ミルク系の甘酸っぱい匂いが……。
「セ、センナさん?」
「いえ、なんでもありませんよ。これから私も裏方に回りますので、なにかあれば声をかけてくださいね。それでは」
センナさん、その方向にあるのはトイレでは。
なんて思っている間に、センナは人垣の向こうへと消えていった。
自分の衣服がちゃんと洗われているのか、一度式神を飛ばして調べてみた方がいい気がする。
そんな考えが昶の脳裏をよぎった。と同時に、慣れ親しんだ火精霊の気配を察知した。
「セインが厨房から離れた? ってことは、シェリーも一緒か」
昶が気配のした方に目を向けると、シェリーとその右肩付近を漂う小さなセイン、それとアイナにレナの姿を確認した。
リンネがいないので全員集合とならなかったのは残念だが、みんなすごく似合っていて可愛い。
驚くべきは、セインまでフリフリの真っ赤なドレスを着ている点だろう。
絶対に、シェリーの差し金、もとい命令に違いない。
「ごめんねー、遅くなって。アイナの着せ替えに思ったより手間取っちゃってさ。いや、本当に疲れたわ」
と言うシェリーの格好は、深紅のロングドレスだ。
胸の谷間は大きくさらけ出されており、肩紐を首の後ろで綺麗な蝶蝶結びに結い上げていた。
更に後ろは肩から腰の下辺りまでが露出しており、布に収まり切らなかった乳房が布の横からのぞいているのがなんとも言えない。
いつもはポニーテールしにしている髪を今日は更に結い上げており、先端に花飾りの付いた銀色のかんざしをしている。
余談であるが、疲れたと言っているシェリーに疲労の色はどこにもない。
「恥ずかしかったんですから、シェリーさんとセンナさん、変なところばっかり触ってきて」
と、アイナは愚痴をこぼしているアイナは、青い方のショートドレスである。
よりにもよって、センナまで混じっていたとは……。
色々と思うところはあるが、かける言葉の見つからない昶であった。
「まあ、嫌がるアイナを強引に着替えさせてたもんね。あんたとセンナ」
「いいでしょ別に。見ても触っても、減るもんじゃないんだから」
「減りますよ! なにか大切なものが! シェリーさんひどいです」
アイナは頬をプンスカと膨らませると、シェリーから目をそらした。
「まあまあ、私も悪かったって思ってるから、ちょっとだけ……」
「ちょっとだけ!? ちょっとだけなんですか!?」
と、アイナは先ほどのことを必死で抗議する。
編入当初は不安だらけだが頑張っていこうと決意していたのにも関わらず、なんかもう周囲の人間に引っかき回されてばかりである。
おかげで、学院での生活が楽しすぎておかしくなりそうではないか。
そんなことを思いつつ、アイナはシェリーになんでもっと大人し目のにしてくれなかったんですか、とか言っていた。
そんな二人を横目で見ながら、レナは昶のそばに向かう。
「お待たせ、って感じでもないわね。もう食べてるみたいだし」
「っごく。先にいただいておりますよー、レナ様」
長テーブルいっぱいに並べられたら料理をついばみながら、昶はレナの姿を盗み見た。
生地は髪と同じ質のオレンジ。上の方は肩紐のないチューブトップのような形で、全体にバラの刺繍があしらわれている。
下は足首が隠れるまで段になったフリルスカート。フリルの色は白で、スカートにもびっしりとバラの刺繍があしらわれている。これぞ職人技と言った所か。
そして胸元と左手の中指には、発動体にはめ込まれている宝石と同じ、エメラルドを扱った指輪とネックレスをしていた。
くせっ毛な髪はいつもより入念なブラッシングがなされており、まるで雲のようにふんわりとしている。
とてもさわり心地がよさそうだ。
「なによそ見してんのよ。せーっかくご主人様がオシャレしてるんだから、こっち向きなさいよ」
「っおい、引っ張るな! こっちはまだ食ってんだから!」
肉体強化をしていなければ、昶もただの人である。
不用意に引っ張られればどうなるか、深く考えずともわかるだろう。
「っ痛ぅぅ」
口の中にローストチキンを突っ込んだまま、後方へと倒れ込んだ。
骨がのどの奥に当たって、ゲホゲホと咳き込む。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
「んぐったく、どこのやんちゃだよ」
「だだっ、だから、ごめんって言ってるじゃない」
そう言って、レナは照れくさそうに手を差し出した。
昶も左手で口からローストチキンを取り出し、反対の手でレナの手をつかむ。
「ったく、可愛げのねぇやつ」
「っさいわね」
レナは昶を引っ張り上げようと力を入れるのだが、周知の通り、体力のないレナが昶を引っ張り上げることができるわけもなく、
「きゃっ!?」
「こら、なにしてへむっ!?」
前のめりにずっこけた。
レナのやや薄い胸が、昶の顔面にのしかかる。
「へ、へは。ふふひひ(レ、レナ、苦しい)」
胸の辺りに生温かい空気を感じたレナは、がばっと起き上がり、
「なにやってんのよ、こんのド変態が!」
マウントポジションから、盛大なビンタをお見舞いした。
今度はお腹の辺りに体重がかかり、胃の内容物が飛び出しそうになる。
だがそれ以上に、レナの小さなおしりの感触がダイレクトに伝わってきて、昶はそれどころではなかった。
「勝手にしてなさい。このバカ!」
レナは立ち上がると、反対側のテーブルへズカズカと去って行く。
台風みたいなやつだなぁとレナの後姿を見送った所んで、今度はシェリーがやってきた。
「ふふふ、大丈夫?」
「笑いことじゃねえよ。すげー痛かったんだからな」
昶はシェリーに手を引かれ、ぶたれた頬を押さえながら立ち上がった。
すぐに引くだろうが、くっきりと赤い手形がついている。
「うわ、真っ赤だ。ぷぷっ……」
「い、痛そうです」
「だから笑うなってのに」
格好こそ大人びているが、やはりシェリーはシェリー、笑い転げるのを我慢しているのが見ていればわかる。幼馴染みなのだから、もう少ししっかり手綱を握っていてほしいものだ。
シェリーとは反対にいたわりのこもった言葉をかけてくれるアイナに、昶は胸の奥がジーンとなるのを感じるのだった。
この中で一番俺への対応が優しいのってアイナかもなぁ、なんて感じに。
すると突然、会場のどよめきが静まり返った。
「なになに、どうしたの?」
「どうやら、この前の王女様が来たらしいぞ」
この程度の距離なら、視力を強化するまでもない。
昶の目はレースをこれでもかと言うほど使ったドレスをまとう、エルザの姿を確認した。
その頃には、太陽は西の地平線の向こうへと消えていた。
ラウドとクロウドは、巨大な扉の前で人を待っていた。
「なぁ、ラウド。“ルーエ”って奴の言ってた自分の仲間ってのはまだなのか?」
「通路によってかかる時間が違うのだ。焦らずとも必ず来る」
スキンヘッドのラウドと灰髪のクロウドは、“ユリア”に先んじて目的地に到着していた。
そこは、なぜかたどり着けないクインクの塔の三階である。
いや、普通の者達はその上にある職員の部屋が三階だと思っているので、“本当の三階の存在を知る者”は、ほとんどいないであろう。
空間を捻じ曲げるタイプの、超絶技巧と言っても過言でない結界術である。
「さっきすれ違ったのって、“ルーエ”とオズワルトだよな?」
「あぁ。あの五連の指輪、間違いない。さすがに、あの時は肝を冷やしたな」
二人はここへ来る途中、この学院の学院長に会ったのだ。
諜報部の報告書にあった、任務遂行の邪魔になるであろう人物の一覧にあった、その当人に。
「まだ一階でよかったぜ。二階フロアで会ったら、バレてたかもしれないからな」
「あぁ。だが……?」
「どうしたんだ、ラウド。どこかおかしなところでもあったか?」
「よくわからんが、少し違和感のようなものをな」
ラウドとてその違和感の正体がなんなのか、明確なことはわからない。
ただ、相手は色々と謎めいたものを秘めている相手だ。
なにかを感じ取ったとしても、不思議はない。
と、そこへカツカツと、足音が近寄ってくるのが聞こえてきた。
普段なら聞き逃すであろうその音も、静まり返った空間ではバカに大きく感じられる。
「誰だ!」
クロウドは叫びながら、その方向へ身体を向けた。
ラウドの方も、視線だけを動かしてクロウドの向いた方を見すえる。
そこにいたのは学院の生徒。プラチナブロンドの髪と明るいワインレッドの瞳は、月明かりだけの空間にいてなお、二人のまぶたにくっきりと焼き付いた。
「なんでこんな場所に!?」
「落ち着け、ここにいると言うことはそういうことだろう」
ラウドは、呪文を発しようとしていたクロウドの手をつかんだ。
「私の手伝いは必要ありませんでしたか? 百面のスティーラ兄弟、その弟のクロウド」
「お前、なんで俺達の!?」
「だから言っただろ。『焦らずとも必ず来る』とな」
初対面の相手に名前を呼ばれたことにクロウドは驚くばかりだが、反対にラウドは冷静さを保ったまま“ユリア”を観察する。
足音によって自分達はこの少女に気付いたが、ではもし足音がなかったらどうだったであろう。
そんなラウドの考えなど露知らず、クロウドは“ユリア”のことを値踏みするよう、ねっとりとした視線で見つめた。
「今回の依頼主のお仲間さんねぇ……。こんなガキ、本当に役に立つのか?」
それを聞いた時、“ユリア”の身体が動いた。それこそ、残像を残しそうな速度で。
気付いた時には、クロウドの身体は背後の扉にしたたか打ち付けられていた。
そのまま襟をもたれ、上へと持ち上げられる。襟の部分に全体重がかかり、息をすることさえ苦しい。
「任務の遂行に年齢は関係ありません。違いますか?」
瞳の色とは裏腹に、氷点下の視線がクロウドの目を射止めた。
「いいえ関係ありません。弟の非礼についてはおわびいたします。どうかお許しを」
ラウドは“ユリア”に、スキンヘッドの頭を下げた。
「そうですね、時間もありませんし。手早く済ませましょう」
“ユリア”は持ち上げていたクロウドの身体を、後方へと投げつける。
クロウドは石材がむき出しになっている壁へと叩きつけられ、全身の骨が軋むような痛みに顔をしかめた。
「扉を破壊します」
“ユリア”はブラウスの袖からクナイを取り出すと、扉のすきまに差し込んだ。
「……燃えろ」
すると突然、クナイから火が噴き出す。
だが、それが暗闇の空間を照らすことはない。
なぜならそれは、あらゆる光を吸収する黒。
行使する側にも危険が伴う、闇精霊の力を内包した炎だったからだ。
それが錬金術で精製された高硬度金属製の扉を、周囲から灰にしていく。魔法文字によって施されたありとあらゆる防御も、扉そのものにかけられた障壁も、問答無用で焼き切った。
紙屑のように燃え上がった扉は、融解することすら許されず塵となって空気へと溶ける。
「「………………」」
ラウドもクロウドも驚きのあまり、息をするのも忘れてその光景に見入っていた。
一、二度のまばたきをしている間に、巨大な扉が消え去ったのだ。
驚かない方が不思議である。
「時間がありません。早く物を回収しましょう。私はこの後、王女殿下の元へ向かわなければなりません」
「わかった。クロウド」
「あぁ、行くぜ」
三人は急ぎ足で、資料室の中へと向かった。
「これですね」
“ユリア”の探し物は、存外簡単に見つかった。
元々膨大な資料を簡単に探せるよう、種類ごとに整理整頓されていたらしい。
「では、私は先に参ります。探し物が見つかりましたら、これで焼却を」
「分かった」
ラウドは“ユリア”から、刃渡り十センチほどの短刀を渡された。
「闇精霊の火を封じ込めています。扱いは慎重に」
“ユリア”は五センチほどの厚さがある本を、絵の具をぬりたくったような暗黒の空間へと投げ込む。
本を飲み込んだ空間は、口を閉じるかのように裂け目を修復していった。
結局ラウドもクロウドも、最後まで“ユリア”の名前を聞けなかった。
「ラウド、なんなんだあのガキ」
「わからん。だが闇精霊使いを甘く見ないことだ。肝に銘じておけ」
ラウドは“ユリア”にもらった短刀をポケットにしまい込むと、再びクロウドと共に資料室の中をくまなく徘徊した。
大理石で作られた床と壁、それらを照らす大量のシャンデリア。
パーティー会場となっているニヒルの塔にはほぼ全ての生徒がそろい、大きなにぎわいを見せていた。
そしてなによりびっくりなのが、シェリーより食欲のある先輩達が何人かいたことである。
昶がそのことをシェリーに言ってみた所、
『アキラってばヒドい! 私のこと、そんな目で見てたのね!』
と、実にギャグテイストてんこ盛りで、悲劇のヒロイン的なものを演じてくれた。
やってる当人が一番楽しそうだったのは、言わずともわかるであろう。
「ふぅぅ、食った食ったぁ。もう入んねえぞー」
テーブルを一周してきた昶は料理を持った小皿を持ったまま、バルコニーで夜風に当たっていた。
するとそこへ、少々呆れ顔のレナがやって来る。
「そりゃ、あんなに食べたら入んないでしょうね」
「っせーな。最近まともなもん食える回数減ってきたんだから、これ位いいだろ」
「文句言わない! 食べ物を恵んでもらってるだけでも、感謝して欲しいくらいだわ」
ちなみに今朝の昶のメニューであるが、フラメルの霜降りステーキと、漢方薬みたいな強烈な苦みのある野菜の添え物だ。
見た目は非常においしそうなのであるが、昶が二体ほどぶった切ったことのあるあのフラメルである。
あんな見た目の気持ち悪い鳥の肉だと思うと、とても食べられたものではなかった。
「まあいいや。久々に腹一杯食えたことだし」
「あんたの頭の中って、食べ物のことしかないわけ?」
「普段食えない分を、今の内にかき込んでおこうかと」
とか言っている間にも、小皿に持った厚切りのステーキを口の中に頬張る昶。
「品のない食べ方しないで」
「いーだろ。それに上品な食べ方とか知らねーよ」
「ちょっと、口の中に物入れたまましゃべらないでよ! なんか飛んできたじゃない」
「あ、わりぃ」
するとそこへ、
「レナーーー!」
後ろから、シェリーの呼びかけが聞こえた。
セインの飛行力場を使っているのだろう、合計で九つの小皿が宙に浮かんでいる。
「セインになにやらせてんだよ」
「だって、自分で持つの大変じゃない」
まあ、セインの力場の元になっているのがシェリーの魔力なのだから、そういう意味では自分で持っているとも言えなくはない。
「アキラもすごかったけど、シェリー。あんたもよくそんな入るわね」
「はい。さっきからずっと付いてましたけど、もう私の七倍は食べてます」
最近よく昶に絡むアイナであるが、シェリーに振り回されたのが堪えたのか今日は大人しい。
レナの目が、アイナの目とあった。
着せ替えタイムからの短時間で、ずいぶんやつれたように見える。
まあ、シェリーに捕まった時点でこうなることは決まっていたようなものだから、慣れるしかない。
「お、学院長だ」
昶の視線の先、ホールの入り口の方から、立派な白髭を湛えた老人が現れた。
学院長の進行方向にある人垣は自然と割れ、本日の客人の前へと歩み寄る。
「お待たせしてしまって申し訳ないですな、王女殿下」
「いえ、生徒の方々がお話の相手をしてくださいましたので、それほど退屈しておりませんよ」
エルザは学院長へ、やんわりとした笑みを返す。
しかし実際には、『レナお姉さまーーー! どちらへいらっしゃるのですかーーー!』と、魂の叫びを上げていた。
そんなエルザののんきな思考とは裏腹に、ホールの警備を行っている近衛隊の間では極度の緊張が張りつめている。
ほぼないと思われるが、外部からの襲撃がないとは限らない。
その際は、命に代えでもってもこの人を護らなければならないのだ。
なにかあったでは済まされない。
直衛として、教師に扮したネーナがエルザの周囲を固めているが、それでも不安はぬぐえないのである。
――このままなにもなきゃいいんだが。しかし、直衛がオレ一人ってのは、なかなか骨が折れるな。
ネーナは混雑の始まったホールを見まわして、そんなことを思った。
王都としても、学院の警備を知らないわけではない。
むしろ熟知しているからこそ、護衛の人数をあまり多くしなかった節がある。
ネーナは、学院長とホールの上座へ移動し始めたエルザを追って、距離を開けないように歩を進めた。
どうやら“レナお姉さま”とエルザが呼び慕っている、アナヒレクス家のご令嬢の話をしているようだ。
『レオン、外の様子はどうだ』
『問題ありません。むしろ、会場の外は静かすぎるくらいですよ』
ネーナは念話によって、ホールの周辺を警備しているレオンと連絡を取った。
これは口語を伝える簡単な部類で、王室警護隊の必須技能でもある。
『もう、念話の時くらい気を使わなくてもいいのに。レオン先輩』
『よしてくれませんか、ネーナさん。一応は、貴女の方が上官なのですから』
『よく言うぜ。入学したてのオレをボコボコにしたのは、どこの先輩だったかなー?』
『それは、当時の貴女が今以上の聞かん坊だったからです』
『そうだったか? ま、昔のことはどうだっていいや。単に息抜きしたかっただけだ。んじゃ、引き続き外の警備を頼んます』
ネーナは、念話を一方的に遮断した。
さっきのはあくまで、外部の状況確認のための通信。自分もまだ仕事中の身だ。しかも、最も重要なポジションである。
外の様子はいたって普通、王都から連れて来た部隊からも、定時連絡以外の連絡はなにもないようだ。
このまま何事もなく終わればいいのだが。
と、気が散っていたのか、生徒の誰かとぶつかってしまった。
相手の持っていた飲み物が、頭からネーナに降り注ぐ。
「ごごご、ごめんなさい!」
ぶつかったらしい男子生徒は、腰がおれそうな角度まで頭を下げた。
飲み物をぶっかけてしまったことで、そうとう動揺しているようである。
「大丈夫だって、これくらい」
そう、その時のほんの一瞬だけ、自分の護衛対象である少女から目を離してしまったのだ。
人混みの中から、学院の制服をまとった少女が弾丸のように飛び出した。
「イヤァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!」
エルザをかばうように立ちはだかった学院長の腹に、クナイを持った女子生徒の腕が、深々と突き刺さっていた。
一話から読んで来てくれた方、お疲れ様。掲載のたびに読んでくれてる方、お待たせして申し訳ないです。まあ、Act03~04あたりから分かっていた方もおられるでしょう、すいません再び前後編です。短く書くのは苦手ですが、長く書くのは得意なんです! すいません、本当に。それと最近、色々描写が過激じゃないかと心配してます。今回も所々ありましたよね、特にAct01の最後らへん。もしかして引かれてるのでは? とか思いながら携帯でポチポチしてます。はい、実はこの作者、改稿・投稿はPCですが、元の文は携帯で地道に書いてます。遅いのはそのせいですかね。
そうそう、足首のねん挫ですが、だいたい治りました。健康ってすばらしいですね、本当に。みなさんも怪我にはくれぐれも注意してください。
関係ないですが、作者は朝市のバイト始めたんです、魚の。まあ、バイトのほうはどうでもいいんですが、場所が外なんですよね。しかも氷とか氷水とかつつくんですよね。身体の芯んまで凍えます。それだけです、おちはありません。
さて、次の八話なんですが、そろそろ勉強しないとテストがやばいです。単位不認定とかになっちゃたまりません。勝手ではありますが、二月の下旬まで執筆活動を休止したいと思います。ちょっと資料的なものを途中投稿すると思いますが、それ以降は……。三月前には再び投稿を開始したいと思っていますので、長い目で見守ってやってください。