第七話 創立祭 Act03:王都からの御使い
授業を終えたレナ達は、昼食のため食堂に集まっていた。
もっとも、給食は朝と夕の二回だけなので、昼食は実は生徒達が各自で払っていたりする。
今はいつものメンバーが全員集まって、大皿に盛られた料理を小皿に取って食べていた。
ちなみに昶といえば、珍しくミシェルと二人で昼食をとっている。
カトルがレナの下着を盗んだ件や、シュバルツグローブの件がきっかけで話すようになり、今では昶の数少ない男友達だ。
「まったく、アキラのおかげで大変な目にあったじゃないか」
「わ、わりぃ」
そんな昶の友人のミシェルが、まるでこの世の終わりみたいな顔で愚痴をこぼす。
いったいなにがあったのか。
それは一時限目の講義までさかのぼる。
「お前等、席へ着かんか!」
ゴリさんの大絶叫が、教室中に響き渡った。
魔法文字で防音対策をしているはずなのだが、それでも扉の外まで聞こえそうな声量である。
その迫力は凄まじく、窓辺に向かっていた生徒達は一斉に自分の席へと戻った。
ただ一人の例外を除いて。
「へぇー。竜ってあんななんだなぁ」
黒髪の少年、昶である。
「貴様、自分の場所へ戻れ!」
ゴリさんは一人残った生徒ではない黒髪の少年――昶――に向け、手に持っているチョークを投げつけた。
が、それが昶に当たることはなかった。
「俺、別に生徒じゃないですけど?」
昶は目前に迫ったチョークを、涼しい顔で受け止めたのだ。
右の人差し指と中指に挟まれたチョークは、その指先だけのふりでゴリさんの手元へと射出される。
「貴様、舐めているのか?」
そう言うゴリさんも、涼しい顔で昶の放ったチョークを受け止めた。断わっておくが、決して簡単にまねできるような所業ではない。
なんとなくだが、昶が動かなかったことより、チョークの餌食にならなかった方に怒っているような感じがする。
視線が、なぜ素直に当たらない? と言っているようにしか見えないのだ。
「せ、先生、授業の方を」
「ミシェル、少し静かにしていろ。今はそこの生意気な餓鬼と話しとるんだ!」
ミシェルの発した至極当然な意見は、ゴリさんの独断と偏見により却下された。
本当になぜこんな人物がこのような場所で教鞭を取っているのか、甚だ疑問である。
教壇よりも動物園の檻の方が、さぞお似合いだろう。
「だ、だからそれよりも授業を」
しかしこのゴリラを野放しにするのは、雄叫びを上げさせているよりもっと危ない。
ミシェルが先輩から聞いた話では、ゴリさんはどんなことでも力ずくで解決しようとする節があるそうだ。
付加について真剣に学ぼうとしていた生徒が、ゴリさんの主張に真っ向から反論し、それが口論に発展。先に手を出したのは生徒の方らしいが、ゴリさんもその生徒を投げ飛ばしたのだとか。
他にも、飛行実習の時に規則を破って遭難した生徒を殴ったり、反論する生徒に点数をちらつかせて脅したり。
点数に関しては、学院長に言えば内緒で戻してくれるらしいが、とにかくいい評判はまったく聞かないのがゴリさんなのだ。
一応、ゴリさんの言い分はほとんどの場面において正しいものなのだが、やはりその指導内容は納得できないものが多い。
ミシェルとしては、昶を助けたいがための発言だったのだが、当の昶はと言えば、
「だってさ、センセ」
逆にゴリさんを挑発する始末。
「きーさーまー……」
「せ、先生! だから授業を進めてく…」
「だから静かにしてろと言っただろ!」
と、授業終了を告げる鐘が鳴り響いた。
生徒達は一斉に教材や筆記用具を片付け、静かにしかし迅速に教室を抜けようと動き始める。
ゴリさんは再び昶の方に目をやると、
「あ、あの餓鬼、どこに」
すでに昶の姿も、その主であるのレナの姿も、どこにもいなくなっていた。
「ミシェル!」
そしていつの間にか、ミシェルの姿も消えていた。
「君が無闇に挑発するもんだから、ひやひやしたよ」
「だから悪かったって。でも減点とかなくてよかったじゃねえか」
「まあ、確かにね。無事に逃げ出せて助かったよ」
ミシェルはぷはぁーっと、安心からため息をもらす。
あの人外生物が相手なのだから、気持ちはわからないでもない。
今は現役を引退した昶の父親であるが、あの人の怖さも尋常ではなかった。
今思い出すだけでも寒気を覚える。
「てか、なんであんな野生生物が教師面してんだ?」
「ぼくだって知らないよ」
ミシェルはさっきのことを思い出してか、再びぶるぶると震え出す。
講義を受けなくてもいい昶と違って、ミシェルはこれからも何度もあの全身筋肉と顔を合わせるのだ。
しかも進級にも直接関わってくるのだから、暗くなるのも当然だろう。
昶も反省して、何度もごめんと謝った。
「話変わるけどさ、ミシェルの弟ってどうしてんだ? 授業以外に見たことないから少し気になるんだけど」
「あぁ、ミゲルのことかい? あいつなら、いつも人気のない場所で頑張ってるみたいだよ。他人に厳しいけど、自分にはもっと厳しいやつだからねぇ」
「へー。あの、“私は優等生です”オーラ出しまくってるやつがねぇ。天才型じゃなくて努力型なんだな」
それはそれで、非常に意外であった。
ああいうのは才能にかまけて、努力とは対極にいるようなやつだと思っていたのだが。
昶はそれを聞いて、なぜか楽しいと思っている自分に驚いたが、悪くない。そう思った。
「プライドが高いやつだからね。ぼくなんか、全然かなわないよ」
「まあ、講義中に女子口説いてるようなやつには、確かに無理だろうな」
君けっこうひどいこと言うね、事実だろ、と二人が話していると、
「アキラさんとミシェルさん、話すのはいいですけど……」
突然、二人の会話にアイナが乱入してきた。
口の両端に刻んだパセリがついている。ちょび髭のようなその口元に、二人は思わず噴き出した。
が、次にアイナの発した言葉に二人はその笑いをピタリと止める。
「シェリーさんが全部食べちゃいますよ?」
昶とミシェルがバッとシェリーの方を向くと、口の周囲にソースやらなにかの切れ端やらをつけたシェリーの姿が。
せめて汚れがつかないように食べてはくれないだろうか、“お嬢様”のイメージが根底から崩れ去ってしまうではないか。
「…シェリー、はしたない」
リンネはシェリーの隣から、紙ナプキンで口の周囲をぬぐってやる。
反対の手には、ページを開いたままの本――タイトルは冶金技術の色々――が握られている。それも十分にはしたない行為なのだが、シェリーの方がすごすぎてなにも言う気になれない。
「っぷ。ありがとー、リンネ。あ、ごめんね~、ミシェルにアキラ。なんかだいぶ減っちゃったみたいで」
確かミシェルと話をする前は、この三倍はあったような……。なんて気のする昶であるが、シェリーならやりかねないのがまた恐ろしい。
昶も長く肉体強化を行った後はいつも以上にお腹が減るので、それと似たようなものなのだろう。
単に術を起動させるよりも、身体を動かす分肉体強化の方がエネルギーを喰うので、それも当然かもしれない。当然かもしれないのだが、シェリーの分はけっこう度を超している気がする。
「って食い過ぎだろ!?」
「シェリー、君ってそんな食べるのかい……」
昶とミシェルは、改めてシェリーの食欲に驚愕したのだった。二、三人分は軽く平らげているのだから。
昶でも、あれほどの量を食べる自信はない。
「そりゃ、お腹減ってたら出せる力も出せないでしょ? あ、そこのケーキ取って」
レナは小皿にイチゴショートを取ってやると、それをシェリーに手渡してやった。
アイナは驚いているが、レナもリンネもまったくの自然体である。
「ミシェル、全部食われる前に食うぞ」
「わ、わかった」
昶とミシェルは、かきこむようにして小皿に盛った料理を平らげにかかった。
「これが、“ガッコウ”というものですか」
“ユリア”は“ルーエ”――なんと学院長の秘書――に言われた通り、学院内の図書室にいた。
天井まで届きそうな大量の本棚と、それでも収まりきらない大量の書籍の数々。学院の沿革のようなものや、辞書、参考書、専門書に至るまで、国内外のありとあらゆる本が集められているようだ。
「時間は……」
スカートのポケットから懐中時計を出して確認するが、決行は夜である。
まだまだ、計画開始には程遠いが、ここなら時間をつぶす分には苦労しないだろう。
“ユリア”は時間をつぶす為の本を探しに、本棚の間を渡り歩いた。
どうも周囲から視線を感じる。
見回してみると、その人物達は露骨に顔を背けた。やはり思った通り、見られていたようだ。
「やはり、制服を着ている方が目立っているのでは?」
“ユリア”はその場に立ち止まると、自らの首から下の景色、正確には自分の格好を凝視する。白いブラウスにこげ茶系のプリーツスカートとマント、今期の一年生がつけている赤い紐ネクタイ。
スカートは慣れていないので脚の間がスースーして落ち着かないのは確かだが、服装自体は周囲の生徒と全く同じである。
それなのに、なぜ自分ばかりがこんなに周囲の視線を浴びているのだろうか。
もしかして、見慣れない生徒がいるから不審に思われているのかもしれない。
とにかく、目立たないようにしなければ。
ちなみに実際のところは、単にめっちゃ可愛い女の子がいるぜ、程度のものである。
それはそれとして、本を選ぶに当たって問題が一つ。
「……なにを読めばいいのでしょうか?」
仕事の関係で大量の本をあさったことはあるが、目的もなく本を読んだことはない。
つまり、なにを読めばいいのかわからないのだ。
睡眠を取るという選択肢もあるが、時間を過ぎてしまう可能性がある。それだけは避けなければならない。
あの“アキラ”とかいう少年がいては、優先順位一位の達成はほぼ不可能だろう。
あの気配の消し方、それに“ツーマ”の話では、“ツーマ”同様に気配だけで相手の位置をつかむことができるらしい。
そこまで勘の鋭い人間は非常に稀な存在である。
自分の殺気まで感知される可能性も否定できない。
『あぁ、殺シたいッて思いヲ感じるンだ』
と、“ツーマ”も言っていた。
“アキラ”が“ツーマ”と同様のレベルにあるとしたら、できると考えて動くべきである。
と、通路のど真ん中で考えことをしていたために、またもや周囲の視線を集めてしまっていた“ユリア”。
慌てて顔を伏せ、そそくさと歩き出した。
「やはり目立っているようですね」
目立たないようにするには部屋の隅にいるべきで、更に言えば図書室なので本を読んでいる方が自然であろう。
本来なら適当に取って開いておけばいいのだが、根が真面目な“ユリア”はそこまで頭が回らなかった。
と、そこへ、
「…なにか、探してるの?」
白味がかった薄い水色の髪と、それに反して海の底のように深い青の瞳。黒い紐状のリボンで髪をツインテールにまとめていて、身長は非常に低く自分の口の辺りまでしかない。
「その、どれを読めばいいのか、わからなくて」
相手に敵意がないのを感じ取った“ユリア”、は警戒を解いた。すると自然と言葉が飛び出す。
そのことが信じられず、思わず自分の口に手をあてがった。
話しかけてきた小さな女の子がその光景に首をかしげたので、慌ててなんでもないと言い返す。
「…ジャンル、とかは?」
「あなたのおすすめで構いません」
失礼のないよう、あと言葉に角が立たないよう、発音に気を付けながら口を動かした。
相手は特に“ユリア”のことを気にした風もなく、少し思案した後に受け付けカウンターの方へと歩き出した。
「…最近入荷したのはこの辺りで、面白いのも、この辺りにある、から。文学ならそれ、歴史ならそっち、詩集は、この作者がいい」
その女の子はそれだけ言うと、目当ての小説らしき本を持ってテーブルの方に向かって歩き出した。なぜか小説と一緒に、レアメタルに関する書籍が握られているのかは謎だが。
どうやら、会話そのものが苦手なようである。
“ユリア”はその中から文学のコーナーに手を伸ばし、パラパラとページをめくった。
「恋愛、ですかね?」
文章はやたら砕けた表現が目立ち、これまで見て来た本と比べて明らかに軽い内容であった。
だが、なんとなくフワフワとした気持ちになれる。
そしてそれは、冷水に身体を浸けた時――故郷を思い出している時――のように、とても心地いいものだった。
「これにしましょうか」
“ユリア”はさっきの女の子と反対側の席に座ると、手にした本を広げて読み始めるのだった。
一方その頃、食事を終えたレナ、シェリー、アイナ、ミシェル、昶の五人は、テラスの円形テーブルをひとつ陣取って、談笑にふけっていた。
「そういえば、なんでアキラさんずっと外見てたんですか? あの怖い先生に注意されても」
と、アイナが素朴な疑問を口にする。
「だって、竜とかフラメルしか見たことなかったから、どんなのか気になって。まあ、あれも夜中でたいして良く見えなかったけどさぁ」
と、昶はその質問にさらっと答えた。
わかっているとは思うが、この世界における竜は単なる動物――獣魔――の一種にすぎない。
乱暴な言い方をすれば、ちょっと珍しい動物くらいでしかないのである。
「竜を見たことないって、それどんな田舎よ」
「そういえば、アキラってどこの出身なんだい? 見た感じだけだと、さっぱりわからないんだが」
シェリーの田舎発言に釣られて、今度はミシェルが問いかけた。
昶はアイナと同じで黒い目と髪をしているが、色の質的なものが全く違う。
それにやたら服装が珍しいし、さらに奇妙な形の剣まで持っている。
肉体強化は契約の効果(本当は大嘘)らしいが、魔力や気配を感じ取る勘の鋭さは最高位のマグスに匹敵する。
よくよく考えれば、謎だらけの存在なのだ。
「どっか、すご~く遠くらしいわよ」
唯一、昶に『異世界から来た』と説明を受けたレナであるのだが、正直そんなに信じていない。
ローデンシナ大陸とは別の大陸から来たのではないか、と考えている。
「すごく遠くですか。大変ですねぇ、そんな所から連れて来られて」
アイナは昶に色々な意味を込め、労いの言葉を投げかけた。
じろりとレナに冷たい目をやりながら。
「ふーん、それよりもさ、今日のパーティーどんなの着て行く?」
と、話題を急転換するシェリー。
こちらは昶の出身について、特に興味のないご様子である。
今日のパーティーにどんな服装で出るかの方に関心があるのは、女の子としてはむしろ当然だ。
普段は男の子よりも男らしいシェリーだけに、こういう女の子らしい側面を見せられると安心する。
このままシェリーには、もう少し女の子らしくなってもらいたいものだ。
「ま、あたしはいつも通りよ」
「ぼくもそうだね。問題は、女の子全員と踊れるかどうかなんだが……」
レナはすました風に受け流しているが、ミシェルは大真面目にどうするか考えているようである。
どうせ全滅するんだか冗談もたいがいにしとけよ、と昶は一応突っ込んでおいた。
「それとアイナ~、着せに行ってあげるから逃げちゃだめよ」
「えぇっ!? 私も出るんですか!」
と、シェリーは逃げ腰だったアイナに釘を刺す。
こんなに面白そうなイベントを逃す手など、シェリーの思考回路に存在しない。
「いや~、この前フィラルダ回った時に採寸したじゃない。私名義でドレス何着か頼んでたんだけど、それが一週間前に来てね。すぐに渡そうと思ってたんだけどぉ、当日暴露した方が面白そうだったから」
とても可愛いのだが、それ以上にすごく悪意を感じる笑顔をシェリーはふりまいた。
総毛立つとか、妙な悪寒を感じるとか、とにかくアイナの危険を知らせるレーダーがビンビンと警鐘を鳴らしている。
この人危ないです! 危険です! 怖いです! とこんな感じに。
「三、四着あるから、楽しみにしててね」
フィラルダでの出来事を思い出したアイナは、すでに心ここにあらずの状態。魂が抜けたかように、青ざめた表情になっている。
それも当然、フィラルダで着せ替え人形同然の目にあったのだ。
その時の惨状を目の当たりにした、もといほぼ巻き込まれてしまったレナは、アイナに視線で無言の声援を送る。
「アキラはやっぱり、その服装で参加するのかい?」
「だってこれしかねえもん」
ミシェルはもちろん、男子はほとんどが燕尾服に白い蝶ネクタイで参加するようだ。
実は服装に関する決まりはなく、先生達やその他に学院で働いている人達も、思い思いの服装で来てよいことになっている。これは礼服を持ってない人への配慮だ。
ただし、ダンスを踊れるのはそういう服装の人間だけらしいが。
元々は貴族だけで行われていたものなので、その点は仕方なかろう。
「それに踊りとか無理無理。俺にできるのは、食って寝て木剣振り回すくらいだよ」
「なんか、最後だけ物騒な気がしたんだが」
ミシェルさん、そこは“物騒な気がする”じゃなくて、“物騒”の間違いですよ。なんて思ったアイナであるが、そんなまともな思考回路が残っている人物はミシェルとアイナ以外いない。
昶と木剣の打ち合いをしているシェリーは当然物騒とは思わないし、昶を杖でポカポカ――と言うよりボコボコ叩いている時点でレナも物騒だとは、多分思っていないであろう。
「でも、アキラって見た目は整ってるんだから、着せればミシェルよりかっこいいんじゃない?」
「ミシェルさんよりかっこいいかはともかく、アキラさんがかっこいいのは認めます」
と、シェリーとアイナは、昶とミシェルの比較を始める。
いきなりの品評会実施に、ミシェルもタジタジもとい、意気消沈と言ったご様子。
しかし、そこは鋼鉄の撃墜王。こんなものは慣れたものだと、ものの数秒で復活した。
「アイナもアキラの肩を持つんだね、まあいいけど。だがシェリー、いくらなんでも、こんな死んだ魚の目をしたようなやつよりかっこ悪いって言われると、ぼくも傷つくんだが」
「いいでしょ。魔法医志望なんだから、自分の心の傷くらい治療しなさいよ」
「上手いこと言ったつもりかもしれないが、君それそこまで面白くないからな……」
なんだかんだで二枚目の顔つきをしているミシェルとしては、シェリーの言葉は胸の奥底をグサリと突き刺したようだ。
シェリーの言うように、確かに昶の顔つきはそれなりに整ってはいる。だがミシェルの言い分にもあるように、やる気のない目つきのためかっこよさの度合いが大きく損なわれているのも確かだ。
「……俺ってかっこいいの?」
「あんたは黙ってなさい」
「痛っ!?」
なぜかレナに殴られた。
「今のどこに殴られる必要があった!?」
「うっさいわね。自画自賛なんかしてるんじゃないの! 恥ずかしいでしょ」
「俺が! いつ! 自画自賛なんてしたんだよ!」
「してたでしょさっきぃ! あんたあんなことして恥ずかしくないわけ?」
「聞いただけだろが!」
「それが自画自賛だって言ってんでしょ!」
二人はいつものように、大声で言い合いを始める。
昼食時は過ぎたので人は少ないのだが、周囲の視線がもんのすんごーく痛い。特に目を細めると見える、食堂の中の厨房からの視線。
今だけは、この場にいないリンネが羨ましい。
周囲の視線さえなければ、目の前の痴話喧嘩を肴にデザートの三つ四つでもいただくのであるが。など考えながら、シェリーはぽけーっと空を見つめた。
周囲の視線など眼中にない二人はいざしらず、それに巻き込まれているだけの三人はたまったものではない。
好奇の視線が機関銃の如く、次々と背中に突き刺さる。
「シェリーさん。アキラさんもレナさんも、気にならないんでしょうか?」
「さあね。でも、あの空間は熱すぎて火傷しそうよ」
「それに関しては、ぼくも同じ気持ちだよ」
いい加減、この不毛な言い合いを止めようかと思ったそんな時だ。
『あー、ゴホンゴホン。えっとこれでいいんじゃったかな?』
『学院長、すでに全校舎に繋がってますよ』
『なんじゃと!? ユーリ君、いったん切ってくれ!』
『無理ですよ。それに今更手遅れですから、このまま続けてください』
『むぅぅ、仕方ないのう』
なんであろう、今の漫才は。学院長と秘書の人の声だったような気がするが。
『あー、校内の者全員にお知らせじゃ。もうすぐ王都からのお客さま、まあ王族の誰かがご到着なさる。すみやかに正門前まで集合してくれたまえ』
教室で先生達が使用している声を拡張する風精霊の力を応用した放送設備である。なかなか画期的ではあるが、使用者はそのシステムをよくわかっていらっしゃらないようだ。
「ほらそこ、痴話喧嘩はいいからとっとと行くわよ」
シェリーが、未だ不毛な舌戦を繰り広げる主とサーヴァントに声をかけると、
「痴話喧嘩じゃねえ!」
「痴話喧嘩じゃないわよ!」
見事なハモリを決め手見せた。
アイナはシェリーの隣でプクーっと頬を膨らませ、ミシェルはヒューヒューと口笛を吹く。
五人は席を立つと、食堂を後にした。
余談であるが、ミシェルはこの後レナに後頭部を杖で強打されたらしい。
更にこれも余談であるが、セインは未だ厨房にいた。
王立レイゼルピナ魔法学院は、中央に建つ巨大な塔とその周囲にそびえる一回り小さな五つの塔、さらにそれを囲む堅牢な城壁によって成り立っている。
中央の塔からは五つの塔に向かって移動用の通路が伸び、五つの塔も正五角形を描くよう塔の間に校舎が建てられる。
中央の塔と周囲の五角形の建物の間は中庭、五角形の建物の外側と城壁の間は外庭と呼ばれている。
その外庭に、今この学院にいる全ての人間が集まっていた。
より正解に言えば、先生や生徒、学院で働く人達は縦横に規則正しく並んでおり、中央は道のように無人の地帯が広がっている。
そしてよく見れば道の部分の両端には、白銀の鎧が他の人々を遮るように立ちふさがっていた。
しかもご丁寧に、薄い石材をフェンスのように立てているのだ。
地精霊の力で作りあげた、即席の通路である。
上から吹き荒れる規則的な風圧に、全員が空を見上げた。
空と同じ色をした鱗、全長の倍はあろうかという巨大な翼、全体的に細くしなやかなフォルムをした四足の竜。
四体が巨大な直方体の箱のようなものを吊し、その周囲には三〇頭近く同種の竜が、箱を吊す竜を包み込むようにして飛行している。
そんな竜の一団が、ゆっくりと外庭への降下を開始した。
球状に飛行していた竜の一団は円形へと形を変え、最後には四分の一ほど欠けたような円へと変形し着地する。
特に箱のようなものを吊した竜は、箱に衝撃を与えないよう過剰なほど慎重に着地した。
その箱には窓のようなものが備え付けられているが、不思議と中をのぞき見ることはできない。しかし、窓は魔法文字によってマジックミラーのようになっているので、中から外を見ることは出来る。
また箱のようなものには扉が備え付けられており、そこへ午前中に竜の部隊を率いてやって来た近衛隊のレオンが歩み寄った。
レオンはドアノブに手をかけると、音を立てないよう丁寧な手つきで扉を開け放つ。
「ごくろーさん」
始めに降りてきたのは、レオンよりも更に長身の女性だ。レオンと同じ鎧を身に着けた女性は、垂れ気味な紫の瞳にライトグリーンの短髪をしている。
「わぁっ!?」
次に降りてきた、落ちて来たのは、ピンクの髪とそばかすが目立つが、それ以外はいたって平凡なメイドさん。
先に降りた長身の女性は、頭から地面に転げ落ちそうになったメイドさんを軽々と受け止めた。
大丈夫か、ミゼル? しゅいましぇん、ネーナさん、と先ほどの学院長とその秘書さんが繰り広げていたような漫才をかます。
「でも順番だと姫様が先だろ?」
「わ、わかってます!」
メイドさんはいったん箱の中に戻るのだが、その最中またもやこけそうになった。
素でドジなんだろうな、このメイドさんは。などと胸中で吐露する昶であった。
そんな一部始終を見せられたらせいで、周囲一帯には妙にどんよりした空気が満ち始める。すんごーく居心地の悪い空気というか、気まずい空気というか、そういうものがあると思うが、それを想像していただければほぼ間違いない。
気を取り直して、一同は箱の中へと意識を傾ける。
そしてついに、その人物――王都からきたという賓客が姿を現した。
「国王が所用につき王都を離れることはできませんので、本日国王代理として来させていただきました。エルザ=レ=エフェルテ=フォン=レイゼルピナと申します。本日は学院の創立祭にお招きいただき、ありがとうございます」
そう、それは二週間ほど前のフィラルダで、昶と一緒の時間を過ごした女の子。
レイゼルピナ王国、第二王位継承権を持つ第一王女、エルザ=レ=エフェルテ=フォン=レイゼルピナであった。
「いえいえこちらこそ。王都からとなるとさぞお疲れのことでしょう、部屋を用意してありますので、ごゆっくりおくつろぎください」
近衛隊のメンバーの先導を受け、学院長がお姫様――エルザ――の近くまで歩み寄ると、互いに挨拶の言葉を交わす。
箱のようなもの――竜籠――の中はかなり広々とした造りになっているが、この中で何時間もすごすとなるとかなりの圧迫感を感じるだろう。
「お心遣い、感謝します」
エルザはお礼の言葉を述べると、人垣でできた道を歩き始める。
色々な人に笑顔をふりまいているのか、それとも単に落ち着きがないからなのか、はたまた誰かを探しているのか、エルザは両側の人垣に視線を送りながら、学院の中へと消えていった。