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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第七話 創立祭 Act01:二人の交錯

 フィラルダで第一皇女誘拐未遂事件が起きてから、早くも一ヶ月近くの月日が流れた。今日は王立レイゼルピナ魔法学院の創立日であり、同時に半世紀を迎えた記念すべき日である。そんなのもあって学院で働く人達の慰安も兼ねたパーティーは、いつも以上に大きなもので、数日前から生徒たちのテンションは上がりっぱなし。そんな誰もが楽しめる日、学院に忍び込む数人の人影が……。

 昶とシェリーは、今日もいつものように朝の修練に(いそ)しんでいた。

 全力を出しても大丈夫な相手を得てから、シェリーは毎日のように成長の手応えを感じている。なにせ、今まで自分の怪力を受け止められる相手がいなかったのだから。

 開始当初、昶は全く本気を出していないにも関わらず、シェリーは一太刀すら入れることができなかったのだが、今では昶の集中力次第だが簡単にあしらわれることもなくなっている。

 それどころか、集中力を損ねればシェリーの攻撃が通るかもしれない状況も出始めてきているほどだ。

 そして現在の二人は、学院の北側に広がるシュバルツグローブの入り口付近で乱打中である。




 凛とした少女の声が木霊(こだま)する。

「はあっ!」

 “硬化”のかけられたら大ぶりの木剣が、地上から高さ六メートルほどの位置より振り下ろされる。

 木剣を握るのは、赤紫の長いポニーテールをたなびかせる切れ長の瞳の格好いい、見た目だけは女の子にもてそうな少女だ。

 木剣は真剣を意識して作られており、重量もそれに近いものとなっている。

 その下には、変わった衣服を身に着けた黒髪の少年が静かに(たたず)んでいた。少年は自分に向かって振り下ろされる木剣を見つめ、当たる寸前に後方へと大きく跳び退(すさ)る。

 寸前のところで標的を失った木剣は、そのまま地面に突き刺さった。

 大きく陥没した地面の跡から、その一撃の威力の程をうかがい知ることができるだろう。

 木剣の外形を約三倍にしたような跡が、振り降ろされた地面に残る。

「まだまだ!」

 少女は諦めることなく、ポニーテールをまさしく尻尾の如く振り回しながら後方へ逃れた少年を追いかけた。

 秘術によって強化された身体は、三メートル近い高さからの衝撃をもろともせずに勢いよく前へと飛び出す。

 その間にも右手に握る木剣を後方へと振りかぶり、腰と肩と腕を使って溜めを作る。

 そして、少年を射程圏内に(とら)えた瞬間に、それらを一気に解放。人間の筋力を逸脱した腕から放たれる攻撃は、木剣でありながら鉄塊すらも切り裂けそうに見えた。

 だが少年は、身体を後方へ反らすことでこの一撃をも回避して見せる。

 そのまま勢を殺さず左手を支えに後転を決め、空中で膝と足首を大きく曲げた。少年の身体が後方に一回転してから地面へと降り立つ。その瞬間、空中で完成させた溜めを解き放った。

 踏み込みで地面が削れ、大量の砂塵が宙を舞う。

 後方へ向かっていた運転エネルギーをゼロにしてもなお余りある勢いを用いて、少年は振り切った腕を戻し切れていない少女へと斬りかかった。

 木剣を横向きに背中まで振りかぶり、振り抜く瞬間に自身も四分の一回転。腕、肩、腰に、さらに自分の身体の回転を加えた一撃が少女に向けて打ち込まれた。

 少女は反射的に腕を引き戻すと同時に、少年の左側へ飛ぼうと足に力を込める。このまま後方へ飛んだら、それこそあの一撃の餌食となるだろう。

 思考時間は、まばたきほどの短い間。常識から少し外側のスピードで撃ちあっている状況では、そんな刹那の時間の遅れですら危険な要素になりうる。

 少女は左の足で大地を蹴り、少年の左側へと回り込んだ。

 “硬化”のかけられた木剣同士がぶつかり合い、少女の腕に激しい衝撃が走る。少女の身体は秘術によって身体能力を強化しているにも関わらず、少年の一撃はその防御をいとも簡単に貫通する。

 当然だ。肉体強化に関してなら、少年の方が上なのだから。

 だが、こうなることは織り込み済み。

 少女は少年が木剣を振り抜いた方向と同じ方向へ逃げた。しかもぶつかり合う瞬間、飛ばされている方向へ自らも飛んだのだから、衝撃はかなり分散しているはずである。

 以前は攻撃の全てを正面から受け、その(たび)に木剣を落とすほどの痺れを感じていたのだ。

 その頃と比べれば、これは大きな進歩である。

 少女は自らの身体を叱咤(しった)し、少年を正面を見すえた。自分の回避に少年は即座に反応し、すでに上段から木剣を振り下ろし始めている。

 昨日までならどうすることもできず、正面から受けて終わっていただろうが、

 ――今日は違う!

 少女は、少年の振り下ろす剣先を針のような視線で見つめた。

 集中しろ、集中しろ、集中しろ……。少女は自分に向けて言い聞かせ、その瞬間を今か今かと待ち構える。

 そして……。

 ――今!!

 少女は少年の木剣の切っ先を狙って、自らの木剣を横から叩きつけたのだ。

 それは針穴に糸を通すより繊細さを要求される、高度な技術。友人から性格が雑と言われている少女からすれば、驚くような成長ぶりである。

 いきなり横向きの力を受けた少年の木剣は、本来の軌道を外れて少女の肩ギリギリを通り過ぎた。

「はぁあああ!」

 少女は突き出した大勢のまま、木剣を振り下ろした。

 本来の一割にも満たない威力だが、秘術によって強化された身体なら威力は十分以上。

 少年は確実に昏倒するはずである。

『やった! 初めて入った!』

 自分の木剣はすでに少年のそれの内側、防御など絶対に間に合わない。

 少女は、残り三〇センチ足らずの距離を全力で振り抜いた。




「あ……」

 少年がそう発するのを聞いた直後、少女はなぜか地面にしたたか身体を打ちつけ、木々で覆われた頭上を見上げていた。

「いっ、痛ぁ」

「わりぃ、シェリー。大丈夫か?」

 少年はバツが悪そうに、頭をポリポリとかいている。

 そう言われたものの、少女――シェリー――にはさっきの瞬間に、いったいなにが起こったのかさっぱりわからなかった。

「ァ、アキラ……。いったい、なにしたのよ?」

「いや、腕つかんで」

「つかんで?」

「投げました。すいません」

 黒髪の少年――昶――が言う分には、腕をつかんでそのまま投たらしい。

 このままじゃヤバいと思い左手がシェリーの利き手――右手――をつかみ、あとは持ち前の筋力を生かしてそのまま放り投げてしまったのだ、と。

 先に言っておくが、これはシェリーだからなんともなかっただけであり、常人なら肩周辺の筋繊維が根こそぎ破壊されていたであろう。

「はぁー、初めて通ったと思ったのに」

「通ってたって。手ぇ使わなかったら」

「つまり、アキラはまだまだ本気じゃないってわけね。徒手格闘なんて、私全然できないんだけど。はぁぁ……」

 歓喜から一転、どん底までたたき落とされたシェリーは、深くため息をつく。

 あんまりかわいそうだったので昶もおどけて見せたのだが、それが勘に(さわ)ってしまったらしい。

 シェリーのガッカリオーラが、さっきまでの五割り増しくらいで強くなった。

「じゃ、早いけど今日は終わりってことで。さすがにあんなのやられたら、心が折れるわ」

 昶が予想していた以上に、シェリーは落胆していたようだ。具体的には、二本の木剣の存在を忘れるくらい。

「シェリー、忘れもん」

 昶は二本の木剣を掲げて見せると、振り返ったシェリーが両手を上げた。

 昶は上げられた手をめがけ、一直線に木剣を投げつける。木剣は弓から放たれた矢の如く飛び出すが、シェリーはそれを二本ともしっかりと受け止めた。

「ありがと、じゃあ先に上がるわ」

「お疲れー」

 シェリーは後ろ姿のまま手を振ると、学院の正門へ向かって歩き出す。まだ朝も早いので、寮の地下にある大浴場で汗も流すのだろう。

 ただし、掃除をしたばかりなのでお湯はなく、ただの水であるが。

「さーて、どうすっかなぁ」

 昶としては、まだまだ汗をかくには運動量が足りていない。

 最近はシェリーの技量も格段に上がってきたので、昶としても油断できない状態にはなってきている。

 しかし、最近は霊力を常時展開する状態にも慣れてきたので、結局のところは以前と変わらないような状態となってしまっているのだ。

 そのために、シェリーも自身の実力があまり伸びてないのではと勘違いしている節があり、昶としてもどう説明すればいいか悩みどころだったりするわけである。

 昶は中央の塔――クインクの塔――に備え付けられている、巨大なゼンマイ式の時計へと目を向けた。

 起床の号令を告げる鐘楼が鳴り響くまで、三〇分――地球で言えば一時間近い時間が余っている。

「水浴びでもするか」

 昶はいつも汗を流している、小さな泉へと向かった。




 それよりもう少し前の時間、遅くなりはじめた日の出の光が純白のシーツとフカフカのマットを撫でるように照らし出す。

 キングサイズのベッドの上では、羽毛布団に包み込まれた少女が規則正しい寝息をたてていた。

 好奇心いっぱいの大きな瞳は閉じられているが、その代わりとばかりに長く整った睫毛(まつげ)が大きく自己主張をしている。

 黄味の強い金髪は元々がくせっ毛なのであるが、そこに寝癖までもが加わり大変なことになっていた。とても人前でお見せできるような状態ではない。

「うぅん、れにゃおねえしゃみゃ~……」

 時々、意味不明な寝言を連発し、口の端からはだらしなく(よだれ)がたらりと垂れている。

 しかも寝相が悪く激しい寝返りをうつため寝間着がめくれあがり、陶磁器のように滑らかでシミ一つない肌が露わとなっていた。まあ、布団の中ではあるのだが。

 余談であるが、少女の顔は眠っているのかわからないほどにやけており、実に幸せそうである。




 コンコン……、ギギィ……。



 小気味よいノックの後に一拍の間をおいて、重厚な木製の扉が開かれた。

 入ってきたのは、清潔感溢れるエプロンドレスと純白のヘッドドレス――メイドカチューシャなるもの――を身に着けた女性――俗に言うメイドさん――だ。

「姫様、起床のお時間です」

 年の頃は二〇代前半、キングサイズのベッドの中で眠る女の子から見れば、“ちょっと歳の離れたお姉さん”のような感じだろうか。

 身長は一六〇をようやく超えた程度、小動物のようなまん丸とした目以外にこれといった特徴は…………、そばかす程度しか見当たらない、いたって平均的な顔と体型。

 そばかすのために実年齢よりかなり下に見られることが多々あり、それがこのメイドさんの隠れたコンプレックスだったりする。

 瞳の色は薄い青緑、頭髪はまばゆいピンク色で緩やかなウェーブを描いており、長さはうなじが隠れるくらい。名をミゼルと言う。

「ん~、あと三〇分」

「寝過ぎです!」

 ベッドの中でゴロゴロしている少女がサラリと発した桁を一個間違えているような時間に、メイドさん――ミゼル――は激しく突っ込みを入れた。

 だが女の子の方は、はなっから起きる気などまるでない風に思える。

 ベッドの中で、再び激しい寝返りをうった。

「それじゃぁ、あと十分」

「そんなに寝られたら、私がネーナさんに怒られちゃうじゃないですか! それに今日はレイゼルピナ魔法学院へお出かけするんですから、早く準備をなさらないと」

 だがしかし、

「寒いから嫌です」

 そう告げると、少女は顔まで布団の中へ潜り込んだ。

 どうやらこの女の子、二度寝を楽しんでいたようである。

 日付も十月末。この時期になれば温帯地帯にあるレイゼルピナでも、朝になれば〇度近くまで気温は下がる。

 そのベッドから出たくない気持ち、ミゼルにもわからないでもない。

「起きてくださいよお! 学院までは“竜籠(りゅうかご)”使っても四半日ほどかかるんですから」

 しかし、分厚い羽毛布団にはばまれて、ミゼルの声は届かない。

 そうこの少女、本日はオズワルトが学院長を務めるレイゼルピナ魔法学院へ行く予定なのである。

 学院は今日が創立日であり、この日には前日から準備を行った盛大なパーティーを催すことが恒例の行事となっている。また今回は創立五〇年を迎える記念日でもあり、王族である少女もそのお祝いとしてパーティーに参加する運びとなったのだ。

 なぜその役割がこの少女にあてがわれたのかと言えば、国王は過日のシュバルツグローブにおける事件の調査の指揮を取っており、側近や国の重役達もその手伝いや雑務の処理に追われている。

 それに少女の兄である第一王子は国外に留学中であり、弟である双子の第二第三王子ではパーティーは年齢的にも早いというわけで、消去法的に少女だけが残ったわけである。

「お召し物もいつもと違って正装していただかなくてはなりませんし、向こうで使うパーティー用のドレスの選定や挨拶内容の再確認、行事全体の把握など、やって頂きたいことは山のようにあるのです。起きて頂かなければ困ります!」

「……そんなこと知りません」

 と、ひょこっと顔を出してそう告げると、再び羽毛布団の中へと引っ込んだ。

 まるでモグラのようである。

 寝起きの悪い見習いのメイドによくやる、“布団から引っ張り出す”なる選択肢は、あまりにも畏れ多いのでできるわけもない。

 それ以前に、こんなすごく高そうな――ではなく、すごく高い布団に触れてもし汚してしまったらと思うと、足が(すく)んでしまっても仕方がないだろう。

「そんなこと言わないで、お願いしますよお! このままだと、本当にネーナさんに怒られちゃいますぅ」

「ミゼルがいくら怒られようと、あたくしには関係ありませんもん。勝手に怒られればいいじゃないですか」

 ミゼルは、そんなぁ、と絶望一色のため息をもらした。そのあまりの落ち込みように、まばゆいピンク色の髪もくすんだように見える。

 と、そこへ追い討ちをかけるかのように、別の女性の声が背中側から聞こえてきた。

「ミゼルー、遅いぞー」

 その声に、ミゼルは背筋を激しく震わせた。

「どぅぁだ、だだだ、大丈夫で、です!」

 慌ててしまった時点で、すでにミゼルの運命は決まっていたのかもしれない。大事な所で噛んでしまったのは、痛恨のミスだ。

 ただの激しい震えが悪寒へとすり替わり、嫌な汗でミゼルの背中にべっとりと服が貼り付く。

「よー、ミーゼルー」

 ミゼルが噛んだことで、目的が達成されてないことを悟ったのだろう。足音もなくやってきたのは、身長が一九〇に届こうかというやたら長身の女性である。

 こちらも寝起きなのか衣服がだらしない。

 しかも格好が明らかに夏なのもあって、肩からお腹、脚部までをも大胆に露出している。

 柔軟性に富んだ生地で作られたスポーツブラとホットパンツのような物を着ており、両方とも色は黒、しかも裸足である。せめて靴ぐらい穿けばいいものを。

 張りのある肌には大量の生傷が刻み込まれており、女性がそういう職種に就いていることを暗に語っている。

「ネ、ネーナ、さん……」

 ミゼルの肩に大きな女性――ネーナ――の掌が、そっと添えられた。

 ミゼルはプルプルと震える頭を頑張って後ろに振り向かせると、垂れ気味な紫の瞳と薄いライトグリーンの短髪が目に入る。

 可愛いと美人を足して二で割ったような顔つきで、寝起きなのもあってすごく眠そうだ。

「ミゼルゥ……」

「は、はぃ」

 肩に添えられていた手が、ミゼルの肩をガシッとつかんだ。

 痛くはないのだが、まるで心臓でもつかまれたような、そんな気にさせるとんでもない眼力である。

「まだ起きてねぇじゃねぇかょ、うちの姫さまはよぉ」

「しゅ、しゅみましぇん」

 ミゼルは、その場でショボショボと縮こまってしまった。まるで泣き出す寸前の児童のように。

 そばかすの影響もあってか、どう見ても二〇歳には見えない。ひいき目に見ても十八歳、遠慮なしに言えば十五歳いってなさそう。

「そんじゃ、オレが手本を見してやるよ」

 ネーナはミゼルにウインクして見せると、羽毛布団に潜り込んだ少女の頭の方へ回り込んだ。別に、最初から怒っていなかったようである。

 それに気付いたミゼルがネーナに目をやると、にしししぃ、と悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「もぉ、ネーナさん意地悪しないでくださいよ」

「わりぃ、つい面白くて。そんじゃ、いくぜ」

 ネーナはちょうど、女の子の頭がある部分で止まった。

 こうして見ると、キングサイズのベッドがいかに巨大かよくわかる。

 女の子一人どころか、三、四人は一緒に眠れそうなサイズだ。

「おーい、ひーめーさーまー」

「……今度はネーナですか。まだ寒いから嫌と言ったはずです」

 女の子は頭の上半分だけ出して相手を確認すると、再び羽毛布団の中へと消えていく。

 断っておくが、ネフェリス標準時では二時半前――地球の時刻的には午前五時前になる。大半の人間は、まだまだ眠っているような時間であろう。

「あーそういえば、あの学院って確かアナヒレクス家のご令嬢も通ってましたよねー?」

 ネーナが横目に見ると、布団がビクッと動いたのが見えた。

 相変わらず扱いやすい子だな、とネーナは鼻でふふっと笑った。

「姫様が起きないとなると、その方ともお会いできないわけですね」

 今度は小刻みな振動が始まる。

 もう一息だな、とネーナは仕上げにかかった。

「仕方ないですが、今回は調子が悪そうなので見送…」

「ミゼル、早く服を持ってきてください!」

 お仕事完了。ネーナは胸の内でそっと告げた。

「は、はい、ただいま!」

 ミゼルは部屋に置かれているタンスへと急いだ。

「さて、オレも着替えてくっかな。っくしゅん! さびぃ」

 ネーナは全身をブルッと震わせると、自分の部屋へと駆け足で戻って行った。

 高級な羽毛布団を投げつけるようにして立ち上がったのは、エルザ=レ=エフェルテ=フォン=レイゼルピナ。

 ローデンシナ大陸で最大の魔法技術とマグスを有するレイゼルピナ王国、その第二王位継承者にして第一王女である。




 時間は戻り、場所はレイゼルピナ魔法学院の外部、その北側にあるシュバルツグローブの入り口から少し入った辺りである。

 朝霧に紛れるようにして、一つの見慣れない人影が歩いていた。

 全身を漆黒のローブで覆い、その表面には黒いエナメル質の魔法文字が(おど)っている。ただし、“ツーマ”の着ていたモノとは違う。

 それはどちらかというと、昶の世界に存在するアルファベットに通じるものがあった。

「“ルーエ”に指定された時間には、まだまだ時間がありますね」

 声は少女のものだった。ただし、感情という感情を削ぎ落とされたその声は、とても少女のものとは思えない。

 彼女は普段、ヴェルデの側に付き従っている“ユリア”である。

「確か、先に出た近衛(ユニコーン)隊が学院に到着するのが五時」

 “ユリア”はローブの内側へ手を差し入れると、そこから掌サイズの懐中時計を取り出した。

 三時を五分ほど過ぎたあたり――地球の六時十分くらい――であり、時間まであと二時間弱もある。

「結界を警戒して、早く来すぎてしまったようですね」

 外から見ている限りではわからないが、レイゼルピナ魔法学院は強力な結界、対魔法・物理障壁に守られている、という報告が“ルーエ”から届いているのだ。

 試してはいないが、“ツーマ”の影からの移動も使えない可能性がある。下手を打てば、術を使った瞬間に学院長にばれてしまう危険性もあるので、検証することもできない。

 そんな情報もあって潜入に時間がかかるかと思い早めに来たのだが、驚くことに学院の外には警備も成されていなかったのだ。

 拍子抜けも良いところである。

「さて、どうしたものか」

 と、そこでここへ来る途中で見かけた泉を思い出した。

 ――入るのも悪くない……、か。

 振り返って目を細めると、木々の間に小さくなった水面が見える。

 “ユリア”は来た道を少し引き返した。




 泉はそれなりの広さがあった。

 だが、入ってくる水も出て行く水もない。

 これは結晶湖(クリスタルレイン)と呼ばれる、レイゼルピナ特有の地形である。

 レイゼルピナ王国は別名“水と風の交差路”とも呼ばれているのだが、その由来は精霊素の結晶にあるのだ。

 ローデンシナ大陸最高の魔法戦力と魔法技術を(よう)するレイゼルピナ王国は、別名の示すように水精霊(ウンデネ)の結晶と風精霊(シルフ)の結晶が大量に埋蔵されている。

 その結晶が過剰に集まると、不安定なエネルギーである精霊素は物質――水精霊(ウンデネ)の場合は水――へと変化を遂げる。その結果できるのが、結晶湖(クリスタルレイン)だ。

 精霊素の結晶は一定の大きさまでなら安定した結晶構造を保のだが、それを超えると霧散するか物質へと変遷する特性を持っている。それは量が少ないほどに霧散しやすく、多いほど物質化しやすい。

 また精霊素の結晶は、それ自体が莫大なエネルギーを(よう)しているので、例えバスケットボール並の大きさでも、五〇メートル四方のプールを埋め尽くすほどである。

 “ユリア”の見つけた結晶湖(クリスタルレイン)は、教室を二つくらいくっつけたていどの大きさであった。

 これは表層部の精霊素が水へと変化したことで小さくなった結晶が安定し、変化が止まったものである。結晶湖(クリスタルレイン)の中で最もポピュラーなタイプだ。

 “ユリア”はその中へちゃぷん、と雪のように白い手をつけた。

 とても、とても冷たい。

 季節は冬を迎える前、冷たいのは当たり前のことだがそんなことはどうでもいい。

 泉の水は底が見えるほどに澄んでいて、とても美しい。“ユリア”にはそれだけで十分だった。

 普段は感情の片鱗さえ見せない“ユリア”の顔に、一瞬だけ薄い笑みが浮かぶ。

 “ユリア”はそのまますくっと立ち上がると、次に漆黒のローブを脱いだ。フードに隠されていた彼女の素顔を、まだ弱い朝の光がそっと撫でた。

 肩の下辺りで切りそろえられた髪は、流れるようなプラチナブロンド。

 妖艶で鮮やかなワインレッドを湛える瞳。

 その様は、夜の眷族(けんぞく)を彷彿とさせる容貌であった。

 ただし、首から下は忍者を思わせる身体にぴったりフィットしたコスチュームを身に着けている。魔法文字によって防御力を強化した布地を使っているので、鎖帷子(くさりかたびら)のような金属製の防具は身に着けていない。

 指のない肘まである手袋をはめ、手首の辺りには、棒と目に見えないほどの極細ワイヤーを組み合わせたものがはめられている。

 ワイヤーの先端にはクナイのような刃物が付いているため、これを投げては巻き取って使うのであろう。

 “ユリア”は、たたんだローブの上にそれら装身具の全てを置き、一糸まとわぬ姿となった所で片足をそっと水面に浸けた。

 キンキンに冷えた冷水が、“ユリア”の足をそこかしこから突き刺しす。

――……悪くない。

 再び“ユリア”の顔を、微笑とも言えない薄い笑みが彩った。

 片足を底まで浸けると、反対の足も水の中へと沈めてゆく。

 水面が腰の高さになったところで、“ユリア”は肩まで水に浸かった。大きくも小さくもない二つの双丘が、水面をプカプカと浮かぶ。

 全身を突き刺さるような冷水独特の冷たさが駆け巡り、色っぽい艶のあるため息が漏れる。

 それに呼応して、微弱な快感電流が身体中を流れるような感覚に見まわれた。

 “ユリア”は、よく好んで冷水に浸かる癖がある。こうしていると、まだ自分が幸せだった頃――もう思い出せないような幼い頃の感覚を思い出させてくれるから。

 その間だけ、“ユリア”は穏やかな気持ちになれるのだ。

 普段はなにかしていなければ、あの火精霊(サラマンドラ)のことで頭が一杯になってしまう。そして、自分の大切な友人を奪った大人達のことも。

 そうなったら最後、辺り一帯を壊し尽くすまで破壊衝動は収まらない。

 だから、これだけはどうしても止められない、止めたくないのである。

「……」

 今度は頭まで潜った。

 頬に水の突き刺さる感触と同時に、裏側を懐かしく心地よい感覚が駆け巡る。

 次に水面へと浮かび上がり、仰向けになって上を見上げた。肺にたまった空気で胸が膨らみ、二つの乳房が重力に引かれてなだらかに広がる。

 木々の隙間から漏れ出す陽光は次第に熱を持ち始め、その内の一条が“ユリア”の顔を照らした。重なり合ったつがいの蝶々を、優しく包み込むかのように愛撫する。

 小鳥のさえずりが、まるで歌声のようになって“ユリア”の耳を打った。

 紅葉(こうよう)した葉がはらりはらりと舞い降り、水面に同心円状の波紋を描き出す光景もなかなか優美だ。

 いつまでもこうしていたい。そう思った矢先、頭がなにか柔らかいものにぶつかる。

 “ユリア”は浮かぶのをやめて後ろを振り返ると、そこには自分と同じように振り返る黒髪の少年の姿があった。




「「………………」」




「ッ!?」

「うわぁ!?」

 時が止まったかのような静寂の後、両者は弾かれたように動き出した。

 “ユリア”はとっさに、手首に備え付けられたらクナイを手に取ろうとするのだが、

『しまった、今は外して……!?』

 “ユリア”はいつでも動けるように構えを取りながら、前方の黒髪の少年を見すえた。

 自分と同等以上かそれ以上の反応と速さ、ただ者ではないはず。

 と意気込んだのだが……。

 その少年はというと、なぜか顔を激しく赤らめながら鼻の下まで水に浸かっている。

「あの、どうかしましたか?」

 相手に殺意は全くないことを確認した“ユリア”は構えを解くと、相手の真意が全くわからずにキョトンと問いかけた。

 だが、少年はしきりに目を伏せて、なかなか答えてくれない。

 そして顔面を真っ赤に染めながら、しかし目線は下に伏せたまま答えた。

「か、隠せって!!」

「カクス?」

 黒髪の少年は“ユリア”の方を指差してそう答えた。

 しかし、“ユリア”にはよく意味がわからない。

 と、不意に下の方に目線が動く。

 見えるのは先端に尖った突起のある双丘と、滑らかなお腹のライン、そしてその下の……。

「はっ!?」

 “ユリア”は胸と股の間を押さえ、ざぶんと勢いよく泉の中へ浸った。

 なぜか顔面がカーッと熱くなり、身体中の血液が集中するのがわかった。

 最初に思い浮かんだのは戸惑いだ。

 自分の中に、もはや恨み以外の感情が残っているなんて思ってもみなかったのだ。

 これは“羞恥心”という感情なのだろうか。よくわからないが、自分はこの男の子に自分の裸を見られたくないと思っている。と、いうことだけはわかった。

「おお、俺出るから!」

 “ユリア”は自分の身体を押さえたまま、目の前の少年を見つめる。

 男の子も股間を押さえたまま大慌てで岸まで移動すると、大岩で影になった部分から外へ出た。

 よく考えれば、同じ場所にいるにも関わらず少年の気配を感じなかった。これはなにかあるはずである。

 身体をふいた少年は、木に引っかけている服へと手を伸ばした。

 少年の衣服は、この辺りでは見かけないものだ。

 頑丈そうな生地に濃い藍色をした長いズボンは、所々擦り切れて色が落ちている。

 その上には、ミズーリーほどではないにしろ、ポケットの多い黒のジャケット。

 そして、腰には湾曲した鞘に入った剣が。

「あれは、“ツーマ”の報告にあった」

 変わった形をした剣に間違いない。

 ただし、『風精霊(シルフ)の塊』と言うには、いささか力が弱すぎるが。

 しかし服装やその他の身体的な特徴は、“ツーマ”を退けた“アキラ”と言う人物と一致する。

 それに気配を感じなかったことと先ほどの挙動は、十分に怪しい。

 “ユリア”は再び口を開いた。

「あの、あなたはいつもここへ?」

「ん? あぁ、割とよく来る。まさか人がいるとは思わなくてさ、えっと、さっきはごめん」

 岩の向こうからは、本当にすまなさそうな少年の声が聞こえる。

 “ユリア”も、自分の裸を見られたことを思い出して、頬にほんのりと赤味が刺した。

「そっちこそ、こんな僻地(へきち)にどうして? 一番近い村だって、歩けばけっこうかかるだろ」

「えぇ、学院へ用事がありまして」

「用事ね。じゃ俺、行くから」

 茂みをかき分け、足音が遠ざかって行く。

「あの!」

 “ユリア”は叫んだ。

 これだけは、確かめておかねば。

「ん?」

「お名前を、聞かせていただけませんか?」

 初対面でいきなり名前を聞くのもどうかと思われるが、それよりも今は、この少年が“アキラ”かどうかの確認が必要である。

「昶。草壁昶。えっと、そっちは?」

「ッ!? えっと、私は、その……」

 相手があの“ツーマ”を退(しりぞ)けた“アキラ”という人物であることはわかったのは、大きな収穫だ。

 わかったのはいいのだが、まさかこっちの名前まで聞かれるとは全く思っていなかった。普段ならば有り得ないミスに、“ユリア”の動揺は指数関数的にどんどん上がっていく。

 “ユリア”はコードネームなので避けた方が無難だが、他に名前なんて用意していない。

 と、その口からある名前が漏れた。

「……セイン(●●●)、です」

「あ、ありがと。じゃ」

 ほんの少しうわずった返事をした後、少年の足音はだんだんと遠くなり、ついには聞こえなくなった。

 “ユリア”はそれを確認すると再び水面に身体を浮かべ、つかの間の安息へと身を委ねる。

 “セイン”――それは彼女の生まれたローゼンベルグ(●●●●●●●)では、戦場を翔る美しき女神の名前である。

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