第六話 忍び寄る影 Act06:救出
客の動きが止まったのを確認すると、女はリンネを席から立たせて距離を取った。
入り口にはそいつらの仲間らしい男――木製の棍を持った――が立ちはだかり、出入り口も塞がれている。
「さあてと、言うことをしっかりと聞いてくれてありがとう。ちょっとでも騒がしくしたらぶっ殺しますよ、皆さん。本当なら、王女様がここに来るはずだったのですが、どうもガセだったようで。仕方ないので、皆さんを人質にして市長から身代金をむしり取ることにしました」
大仰な動作で声高に叫んだリーダー格の男の目は、リンネと同じテーブルに着いていた三人に向けられる。
「ちょうど、かのレイゼルピナ魔法学院の生徒もいるようですから。そこの黒髪の美しいお嬢さん、とかね……」
店内にどよめきが走った。それから、リンネを含めた四人に冷たい視線が差し向けられる。お前等のせいで巻き込まれたんだぞ、とでも言いたいのであろう。
彼女らに非がないことは百も承知しているのだが、そう思わずにいられないというものが人間である。
「そこの嬢ちゃん、お友達を殺したくなかったら、じっとしてることね」
女が口内で詠唱を完了すると、リンネの頸動脈に当てられたナイフがその鋭さを大幅に増した。恐らくは錬金術の一つだろう。
この国では、金属を取り出したり精製したり、または金属加工にも使われている技術である。
アイナはテーブルクロスの下で杖を取ろうと動かしていた腕を止めた。
シェリーは性格のためか、細かい制御が苦手である。レナに至っては成功率が一割程度。自分がなんとかしなければと意を決したのだが、なにもできないまま失敗に終わったわけだ。
「念のために発動体は没収しておこうか。後ろにいるそいつらに預けろ」
シェリーは炎剣――ヒノカグヤギ――を、レナとアイナは杖を、リンネは指輪を渡した。
「それじゃ、市長様へ連絡でも入れようかね。一般人がえっと……二七人、内四人は魔法学院の生徒。人質を解放して欲しければ、本来の報酬をよこせってな」
リーダー格の男は上手くいっているとばかりに、にやにやと軽薄な笑みを浮かべている。
その後ろで発動体を取り上げた部下達は、そこに彫り込まれた紋章に驚愕した。
「ジャン、見ろよこの杖! アナヒレクス家の家紋が入ってるぜ」
「こっちもよ、ジャン。これって、グレシャス家じゃない」
「そういえば、この子もレイゼルピナ人じゃないわね。留学生だとしたら、交渉もしやすいんじゃないかしら」
「ジャン、そこの黒髪の嬢ちゃんは、王国からのお墨付きみたいだぜ。こいつ、王家の承認印だろ」
リーダー格の男――ジャン――は、ほほう、と感嘆の息を漏らす。
レストランを占拠した誘拐犯の男女七人は、取り上げた発動体や見た目から、四人の正体を次々と暴いていった。
アナヒレクス家、グレシャス家は共に、レイゼルピナ王国内でもトップクラスの名家。
リンネは隣国――メレティス王国――からの留学生。
アイナは奨学制度を受けているため、実質的に王家の保護下にあると言っていい。
くしくも、市長に断らせないだけの十分なファクターがそろってしまったわけだ。
店内は、誘拐犯の男女の発する下品な笑い声で満たされる。
と、その時だ。
「その人を放してください」
突然立ち上がったイレーネの、大きくはないが凛とした声が、笑い声をかき消して店内を反響した。
誘拐犯達七人の視線は、イレーネただ一人へと注がれる。
「んー、なんだ小娘?」
「お前なんかお呼びじゃないんだよ」
七人は口々にイレーネを嘲笑し、侮蔑の言葉を浴びせかけた。
しかし、イレーネは毅然とした態度を崩さない。その姿はさきほどまでの、どこかのほほんとした様子とはまるで違う。
「あなた方の方こそ、あたくしが誰かおわかりかしら?」
そう言われてから、七人はイレーネのことを見つめる。あまりの眼力に、穴でも開きそうだ。
だがイレーネの眼力は、七人の足したそれよりももっと力強かった。
他を寄せ付けない圧倒的な威厳と、収まりきらない気品が身体中から溢れ出す。
「あたくしは、エルザ=レ=エフェルテ=フォン=レイゼルピナ。レイゼルピナ王国、第一王女にして第二王位継承者です」
七人は目を丸くして驚いたが、すぐさま冷静さを取り戻した。
そんなこと、まずあるわけがないのだから。
「王女様が護衛の兵士も連れずにこんな所へねぇ」
「お嬢ちゃん、嘘はやめときなよ。お姉さん達が優しい内に。ね?」
そこへどこから取り出したのか、細身の短い杖が投げ出された。先端には赤子の拳よりも一回り大きなブルーサファイアが付いており、杖の材質は銀。しかし、様々な魔法によって特殊な加工の施された銀は驚くほど軽くできている。
そして柄の底には、レイゼルピナ王家の家紋――バラとユニコーン――がしっかりと刻み込まれていた。
「これは、王家の家紋!?」
「間違いないのか?」
「えぇ、間違いないわ」
七人の向ける視線の温度が一八〇度入れ替わった。
嘲るような冷たかった眼光は、喜悦と警戒という熱を帯びて燃え上がる。
「他に発動体は持ってないだろうな?」
「ございません。それより、その子を放しなさい。人質なら、あたくし一人で十分なはずです」
「残念ながら、そりゃ無理だ」
だが、ジャンがそれを否定する。
人質は多い方がいいからなあ、とイレーネもといエルザへと冷たく言い放った。
「ならば、あたくしが身代わりとなりましょう。それならば、問題ないはずです」
「ふん、まあそれならいいか。おい!」
ジャンはリンネを拘束していた女に指示を出す。
その女はエルザの方を向き直り、食い入るようにその瞳を見つめた。
エルザの方も意を決する。スカートの内で震える足を叱咤して、自らの責務――ノブレス・オブリージュ――をまっとうせんと歩を進めた。
最初は突然の王女の出現に気を取られていたが、リンネを除く三人はその向かいの席に昶が座っているのを見つけた。
シェリーは声を上げようとしたが、昶はそれをジェスチャーで制する。
と、三人の頭へ直接声のようなものが響いた。
『私はリンネ様のサーヴァント、ソニスです。皆さんにアキラさんから伝言です』
初めてのソニスからの念話に驚いた三人であるが、あまりに飛躍した状況の中では逆に冷静さを取り戻す材料となったようだ。パニック寸前だった思考は落ち着きを取り戻し、適切な判断力とスムーズな身体の動きが復旧する。
ソニスは思念波をぎりぎりまで絞って、聞こえる範囲を四人に限定して話しかけた。レナ、シェリー、リンネ、アイナの四人に、昶のこれから起こすことと、してもらいたいことが伝えられる。
その中身と言えば、自分が相手の注意を引くからなんとかしてシェリーの炎剣を取り戻せ、という無茶苦茶なものだ。
それでもやるしかないということは、全員が全員ともよく理解している。相手は恐らく全員がマグスだ。昶やシェリーの身体能力の高さを生かせば逆転は可能だろうが、こちらも誰か一人が魔法が使えなければ、どこかで破綻する可能性は捨てきれない。
昶の持つ剣――村正――は力が強すぎるため論外。
となると、次に戦い慣れしているのはシェリーになる。それにおいそれと魔法を放てない場所なら、接近戦が主体かつ緊急時には魔法も使えるシェリーが最適だろう。
昶は仕掛けるタイミングを見計らい、ゴクリと生唾を飲んだ。
向こうは昶をただの一般人だと思っているだろう、どうやらイレーネしか眼中にないようである。それに村正をいつも通り腰に差していたため、テーブルクロスに隠れて向こうからは見えていない。
タイミングとしては、ナイフがリンネの頸動脈を離れた瞬間。五メートルもないこの距離なら、昶の身体能力を以ってすれば一瞬で詰められる。
故に昶は見計らう、最善のタイミングを。
エルザが一歩一歩歩みを進める度に、カツカツと床が甲高い音を立てる。静寂に満たされた空間では、普段なら雑踏に消えるであろう足音を大きく響かせる。
エルザの身体が、リンネを捕らえている女のリーチの内側に入った。
そしてついに、リンネの首筋に当てられていたナイフが離れた。
今だ!
昶の身体が、残像でも残しそうな速度で動いた。
テーブルを倒して底面を押し、リンネを捕らえる女の顔面に向けて放つ。
だが相手もプロなのだろう。驚きながらも反射的に防御の呪文を唱え、ナイフを持つ手を前面に突き出した。
中指の指輪が光り、ナイフの一センチ先辺りに中央の隆起した岩の盾が生み出される。
昶の怪力によって撃ち出されたテーブルは、岩の盾に当たって粉々に砕け散った。
だが、それは目くらましにすぎない。
本命は、
「リンネ!」
昶は女のナイフを持つ手を横からつかんで固定すると、後頭部にハイキックを叩き込む。
「離れろ!」
だらりと下がっていた女の腕を払いのけ、リンネはエルザの手をつかんでその場から離れる。
「シェリー、お願い!」
六人の視線が全て昶に集中しているすきを突き、レナがテーブルを前に突き倒した。
「ナイス、レナ!」
シェリーは真ん中の足をつかむと、自分の炎剣を持つ男へと殴りかかった。男は自分の剣を抜き放ち、テーブルに向かって上段から切り下ろすが、その刃は中ほどでストップをかけられる。
「な!? あぐっ!」
本来ならテーブル程度簡単に斬り裂けるのだが、シェリーの使ったテーブルには、“硬化”を意味する魔法文字が書き込まれていたのだ。
「さすがは秀才レナ様、魔法文字なんて思いつかなかったわ。てか、普通書けないでしょ」
シェリーは、テーブルの下敷きになった男の肩にかけられた炎剣を抜き放つ。それからその男の腹の辺りを、強化された脚力を駆使して全力で踏み抜いた。
ごそごそと動いていた手足が、完全に沈黙する。
相手が不意を突かれて完全にフリーズしている間に、昶は次の行動へと移った。先ほどのハイキックで気絶した女を盾に、ジャンに特攻をかけたのだ。
ジャンはそれを簡単に払いのけるが、代わりに腰に携えていた戦斧と足下に転がっていたエルザの杖を昶に奪われた。
「イレーネ!」
昶は後ろに大きくジャンプすると同時に、ゆったりとした放物線軌道でエルザの杖を放る。
昶はそのまま身体を反転させて入り口をふさぐ男を視界に収めると、男の握る棍をめがけて戦斧を振り下ろした。
昶の握力に柄はたったの一撃で中心部までひび割れたが、代わりに男の武器も中央から両断される。昶は破損した戦斧を投げ捨てると、正面の男に身体全体を使ってタックルをお見舞いした。
男はそのまま背中の扉の扉を破って飛び出すと、あまりの衝撃に意識を手放す。未だかすかに痙攣している様からも、その威力の程がうかがえる。
初めは七人いた誘拐犯達だが、瞬く間に三人を無力化させられた。
「ちっ、もう一匹混じってやがったか。しかも、厄介な肉体強化系が二人」
ジャンは残りの三人――男二人に女一人――に目配せをすると、片方の口角をニヤリと吊り上げる。
「第一段階第三プランに移行だ!」
ジャンの号令に呼応して、男女が口内で呪文を唱えた。水と炎は瞬時に混じり合い、大量の水蒸気を撒き散らす。
「ちっ」
昶は舌打ちした。真っ白な水蒸気は煙幕の役割を果たし、視界が完全に奪われたのだ。
「キャーーー!?」
「イレーネ!」
エルザの叫び声は聞こえるものの、煙幕の中ではどうしようもない。噂には霊力や魔力の気配だけで戦える者もいると聞いたことはあるが、残念ながら昶はその領域にいない。というか、そんなことができる人間は、隠れ里にもいなかったから本当かどうかも怪しい。
そして次の瞬間には、爆弾でも爆発したのではないかという衝撃と爆風、そして鼓膜を破らんばかりの爆音が轟いた。
数人分の足音が遠のくのと入れ替わるようにして煙が外へと流れ出し、視界がだんだんと晴れていく。
昶は伏せることで衝撃をやり過ごしたが、昶と同じく渦中のしかもど真ん中にいたシェリーは衝撃で吹き飛び、自らが破壊したであろうイスやテーブルの瓦礫の中に埋まっていた。
そして、エルザと一緒にいたリンネは後方に吹き飛ばされていて、エルザの姿は店内から忽然といなくなっていた。
「っくそ、あいつら! 王女様だけさらって逃げやがって」
シェリーが瓦礫の山の中からがばっと顔を出すと、その怒りをあらわにした。肉体強化を行っていたために、怪我の類はしていないようだ。
「アキラ、あいつらどこに行ったかわかる?」
「あぁ。ただ、飛んでるぜ。足音聞こえねえし」
昶はレナの問いに即座に返答する。すでに索敵を始めていたため、時間はさほどかからなかった。
「アイナは先行してあいつらの足を止めて、レナも連れてってね。この子この前のが懲りたのか、色々と仕込んでるみたいだし」
「悪かったわね。魔法が成功しない分を、なんとかカバーしなきゃって思っただけよ」
レナは頬をぷくーっと膨らませるものの、その瞳はやる気満々のようである。
「私はセインの飛行力場でなんとかしてもらうわ。アキラ、道案内お願いね。私の楽しい休日をダメにした代償、奴らにきっちり支払わせてやるわ!」
「わ、わかりました」
「了解」
アイナと昶は即座に返事を返す。
「シェリー、フィラルダ の都市警備部隊への連絡は?」
「それはその辺の人にお願いするわ。私達はさっさとあの誘拐犯達を叩きのめすわよ、レナ」
「あんた、血の気が多すぎ」
レナは多少常識的な質問をしてみたが、シェリーはあくまで自分でやりたいらしい。
「じゃあレナさん、飛ばしますよ」
「お、お手柔らかにね」
アイナとレナは自分達の杖にまたがると、昶の指し示した方向へ向かって加速した。
相も変わらず無茶苦茶な加速で飛び出したアイナは、レナの手を引きながら夜の闇へと溶けていく。
「誰か、警備隊に『王女様がさらわれた』って連絡を。証拠にこれでも持って行って。それと、その子の介抱もお願い」
シェリーはグレシャス家の家紋が彫られた巨大な鞘を渡すと、店の外へ出た。
「セイン、飛行力場をお願い。アキラ、案内して」
「かしこまりまちた」
「おぅ」
セインはシェリーの魔力を借りて自分とシェリーの身体を飛行力場で持ち上げると、昶に向かって頷く。
「んじゃ、とばすぜ」
昶が地面を踏みしめた。地面は靴の形に大きく陥没し、その反動を得て身体が飛び出す。
百メートルの世界記録なんてくそ喰らえと言わんばかりの速度で、昶は長い道を駆け抜け、その上空をセインとシェリーが追従する。
フィラルダの夜空を舞台に、壮大なデッドヒートが幕を開けた。
「無礼をお許しください。王女様を発見しました!」
丸々太った男の部屋に、一つの蒼銀の鎧が駆け込んで来た。
「それは本当か!?」
「はい。しかしどういうわけか、あの王立魔法学院の生徒が一緒に」
『王立』と言う言葉に、太った男は敏感に反応した。
「王立? まさか、あのオズワルトの学院の生徒か!」
「そのようです。いかがいたしましょうか?」
「どうもこうも、目標以外への被害は厳禁だと言っておるだろうが」
蒼銀の鎧へ見下すように告げる。その後もオズワルトめ、と呪詛のように呟いていた。
「それでは、静観、と?」
「形だけは跡を付けておけよ。もしもの時は、貴様等がやるのだからな」
「了承しております。国のため、この命を捧げる所存です」
蒼銀の鎧は太った男の前にひざまずき、深々と頭を垂れた。
「期待している。抜かるなよ」
「はい」
太った男はカーテンを開け、フィラルダの夜を堪能する。
その後ろでは、蒼銀の鎧がそそくさと退室していた。
冷えた夜の空気を割いて、二つの陰が空を馳せる。
「ァ、アイナ!」
「なんですか?」
「速すぎよ!」
シュバルツグローブの飛行実習で、アイナの飛行技術は明白となっている。
技術もそうだが、とにかくスピードが並みじゃない。レナとしては、自分の速度の二倍を軽く超えているのだからたまったものではない。
手を引かれている方の身にもなってもらいたいものだ。
「あ、いました!」
約五〇メートル先、人影の集団を発見した。すると、同じ方向からなにかがキラリと輝く。
アイナは反射的に軌道を左側にずらすと、その横を掌サイズの火球が通り過ぎた。
更に目を凝らせば、氷柱のような物も向かってきているのも見える。
「ちょっとアイナ! 前、前!」
「しっかりつかまっててください!」
氷柱と火球の散乱するその中心部を、アイナはほとんど速度を落とすことなく突っ込んだ。上下左右、時にはロールも加えスレスレの所で回避を続け、ついに誘拐犯達の前にまで躍り出る。
「逃がしませんよ!」
アイナは誘拐犯達に向かって叫ぶ。
ジャンは脇に気を失ったエルザを抱えていた。 人一人分の重量を抱えているとは思えない速度である。
しかも、驚くことに全員が杖を使っていないのである。それは、相当の手だれである証拠だ。
レナとアイナは、キッと気を引き締めた。
「ったく、しつこいお嬢さん達だな」
ジャンは愚痴を吐き出すと共にハンドサインで、残り三人のメンバーに指示を飛ばす。
四人は瞬く間に散開し、別々の方向へと飛び去った。
「だから逃がさないっつってんでしょ!! アイナ!」
「わかってます!」
アイナはレナの手をしっかりと握り、エルザを抱える男――ジャン――へと進路を取った。
相手もリーダー格だけあってなかなかの手並みだが、すでに国内でも最速の域に達しつつあるアイナの速度にはかなわない。
どんな軌道を取ろうが、アイナはその後ろを完璧に追従する。
残りの三人も弾幕代わりに下位の呪文を放つが、それさえも完璧に回避して見せた。
「ったく、うぜえな」
ジャンは反転するとエルザを抱える腕とは逆の腕を上げ、呪文の言葉を口にする。
「フラッシュランス」
突き出した腕を中心にして、六つの風の渦ができ上がった。それが赤子の頭ほどにまで成長すると、男の手元を離れアイナとレナを狙い螺旋軌道を取りながら直進する。
高密度に収束させた風精霊を多数放つ、中位の攻撃呪文だ。
アイナは攻撃の軌道と風の影響範囲を瞬時に見切り、斜め下にそれて攻撃をやりすごす。
そのままジャンの真下を取り、直角に角度を変えて上昇した。
「任せて」
レナは杖を足で器用に固定すると、開いてる方の手スカートのポケットに手を突っ込んで、一枚の錫でできたコインを取り出す。それを拳の指の間に挟み、ある単語を口にした。
「狙い撃て!」
指の間のコインは緑色の残光を残しながら、ジャンへと向かって迸った。
男は寸前で回避したが、左の頬に縦向きの赤い線が刻まれる。
さっきまでの余裕の笑みは消え去り、目だけがギョロリとレナをにらみつけた。
「クシャナブレット」
レナの顔面をめがけ、十数発の風の弾丸が放たれた。下位の呪文だが、起動が驚くほど速い。
レナはアイナに腕を引かれることで回避し、そのまま男の上に回り込む。
「レナさん、いまのは?」
「魔法文字を刻んだコイン。風の力をよく通す錫で出来てるの」
その間にも更にコインを取り出し、指の間に挟み込んだ。
「もう一度、狙い撃て!」
レナの掌から、下方に向かってコインが放たれた。
風精霊の残滓であるうっすらとした緑色の光が、長い尾を引いて迸る。
だが、向こうも同じ手は喰わない。真横に滑らかに動いて難なくかわした。
そこへ別軌道を飛んでいた三人も合流する。どうやら攪乱が目的だったようだが、アイナには通じないと知って中断したのだろう。
「クシャナブレット」
「アクアショット」
「フレイムバレット」
「ディザートガンズ」
四つの属性の弾丸が入り乱れ、アイナとレナへと迫った。
先ほどよりも距離が近く密度も濃い。アイナはレナの手を引くと、最短回避するのを止め勢力圏から離脱した。全て下位の呪文だが、かすっただけでも墜落は免れない威力である。
「アイナ、とにかく足を止めるのに専念するわよ。どうにかあいつの頭を押さえて!」
「わかりました!」
アイナは自慢の速度を生かし、厚い弾幕の外を回って相手の前へと回り込んだ。
「弾けよ!」
レナの指に挟まれた二枚のコインは勢いよく飛び出し、両者の中間点で分裂して誘拐犯達へと襲いかかった。
破片となったコインは周囲の風精霊を巻き込み、その威力を何倍にも増幅させる。
「ったく、本当にうぜぇな。エアロディフェンサー」
ジャンの掌で小さな風の玉が発生した。それが渦状に広がり、風精霊を纏った錫の破片を跳ね返す。
「面倒だな。包囲攻撃いくぞ」
「了解」
「あいよ」
「行くぜ」
ジャンとメンバーの一人――女――が腕を突き出し、同時に呪文を唱える。
「エアロスティンガー」
「ボルケーノランサー」
中位に位置する、風の槍と炎の槍。相乗効果によって、温度と規模を爆発的に膨れ上げた炎槍は、風の力を得て高速で襲いかかってきた。
アイナは直角に下へと進路を取り、炎槍を回避しようとするのだが、
「させるかよ!」
ジャンはなんと放った後の魔法を操作して、アイナが回避した先へと進路を変えたのだ。
「盾となれ!」
レナはポケットの中のコインを十数枚放つと、魔法文字の言葉を口にする。
錫のコインはその物量によってこれまで以上の風精霊が集約し、竜巻にも似た風の壁が作り出される。
セインの最大出力には遠く及ばないものの、人の命を奪うには十分すぎる炎の塊が風の壁を喰い破らんと激突した。
「レ、レナさん。大丈夫なんですか!」
風の壁に衝突した炎槍は二人を包み込むように拡散し、その表面に沿って濁流のように後方へと流れていく。
風の壁でも止めきれなかった熱量が、肌を焼く熱波と衝撃となって二人を襲った。
「わかんないわよ! ただ、あたしの魔力はありったけ込めたから、大丈夫だと思うけど」
殊、魔力量に関しては、レナのそれは相当なものである。それをありったけ込めたのだから、防御力はかなりのものだろう。もっとも、本人はそのことを自覚してないのだが。
そしてだんだんと顔に当たる熱波は温度を下げ、ついには炎槍の攻撃を完全に防ぎ切った。
だがそこへ、
「ウォータースプラッシュ」
下位とは言え、薄い鉄板なら簡単にぶち破りそうな水の奔流が、残った風の壁を根こそぎ吹き飛ばす。
「いっただきい! サウンドカッター!」
そして、残った一人がレナとアイナに急接をかけてきた。
かわせるか、かわせないか……。ギリギリの位置である。
全部はかわせないとわかったアイナは、それでも被弾を最小限に抑えようと、砂でできた刃物のスキマに身体をねじ込もうと軌道を変更する。
と、そこへ、
「おまちどおさん!」
赤紫のポニーテールをなびかせて、両者の間にシェリーが立ちふさがった。
シェリーは炎剣を一振りして砂の刃を焼き払う。
一直線だが、アイナよりもずっと速い。
「私の楽しい休日を台無しにしてくれた慰謝料……」
その炎剣をセインの方に投げつけると、その速度を維持しいたまま二人に呪文を放った相手の下へとたどり着く。さすがにアイナ以上のバカげた速度には、反応できなかったようだ。
シェリーは相手の襟首を左手でしっかりつかみ、自分の右手も固く握りしめる。
「しっかり払ってもらうわよ!!」
そしてそれを、相手の顔面へと叩き込んだ。
セーブはしてあるものの、人間の域を大きく超えた拳が相手の顔面を見舞う。
インパクトと同時に数本の歯が相手の口内から飛び出し、そのまま下方へと落下して行った。
「ちっ、さっきの肉体強化系の女か」
残った一人は舌打ちし、恨めしげにシェリーをにらみつけた。
「セイン、あと任せたわよ!」
「はい」
セインはシェリーからの魔力供給を得て飛行力場を発生させ、そのまま別方向に逃げた二人を追跡を開始する。
「ちっ、あっちもか」
「行かせないわよ!」
シェリーはセインの飛行力場で残りの一人の男に接近すると、抱きつくように正面から相手を拘束した。
「アイナ、やっちゃって!」
「はい!」
アイナはシェリーの拘束する男に向かって急接近し、またがった杖を上段に構える。先端部には具現化した魔力が集まり、ハンマーのような鈍器の形を作り出した。
「や、やめろぉぉおおおお!」
「えぇぇえええい!!」
アイナの杖が、相手の頭頂部を直撃した。口から飛沫が飛び、身体から力が抜ける。
「お疲れ」
「いえいえ」
衝撃は突き抜けてシェリーにも伝わったはずだが、肉体強化を施しているためかケロッとしている。
シェリーはアイナの杖にタンデムさせてもらうと、レナと一緒にセインの下へと急いだ。
セインはシェリーの魔力を使って飛行力場を形成し、エルザを捕らえる二人の方へと急加速する。
「お前、精霊か!?」
ジャンともう一人のメンバーが、遠ざかりながらセインに言い放った。
「しょれがどうしまちたか?」
セインは自らを構成する火精霊の一欠片を掌に集め、相手に向けて解き放つ。
先ほどジャンともう一人が放った炎槍に勝るとも劣らない、炎の砲弾が二人に向かって襲いかかった。
「っくそ! 別れるぞ」
「はい!」
セインの放った炎弾が、二人の間を引き裂く。
「アキラしゃん、王女殿下をお任しぇします」
「な!? 離せ、この精霊が!」
セインはその小さな身体でメンバーの一人――火属性の女――を押さえ込んだ。
「あぁ!!」
そのわきをセインの飛行力場によって、砲弾のように加速された昶の身体が通り過ぎた。
「イレーネを、返せぇぇえええええ!!!!」
目も開けられないような速度で撃ち出された昶は、ジャンに向かって飛びつく。勢いあまって、三人の身体は街をぐるっと囲む尖塔の一つにぶち当たった。
「っくそ、このガキが!」
「ガキでわりいかよ」
昶は血の力の一端を瞬間的に開放し、力ずくでジャンの腕をエルザから引き剥がした。
ジャンの腕から解放された身体は、重力に引かれてだんだんと加速して行く。
「イレーネェッ!」
昶は垂直にそそり立つ壁を、まっすぐに下に向かって走り出した。
そして同じ高さになったところで、自らの身体を空中へと投げ出す。
昶は壁を蹴ってとびかかり、すれ違いざまにエルザの腕を取って引き寄せ、そのまま足から下の大地へ着地した。
落下の衝撃で足が五センチほど地面に沈んでいるところから、かなりの衝撃が加わったのは言うまでもない。
「ちっ、まあ市長から前金はいただいたしな。とんずらすっか」
ジャンは尖塔に埋もれた身体を引き剥がすと、フィラルダの外へと消えていく。昶はそいつの顔を、しっかりと網膜に焼き付けたのだった。