第六話 忍び寄る影 Act04:少女と鎧
剣を新調したシェリーは、予想以上に上機嫌だった。あまりの機嫌のよさに、即興で鼻歌まで歌う始末。
しかもアイナの目線の先に屋台の姿を見つけると、全員にそれを振る舞うほど。炎剣――ヒノカグヤギ――がよほど嬉しかったに違いない。
逆に、先ほどからセインが一言も言葉を発しないのもなかなかに恐ろしい。シェリーの右斜め後ろ、地面から一メートルあたりをぷかぷかと浮遊している。
昶はセインを手招きすると、他のみんなには聞こえないような声で話しかけた。
「あの、まだ怒ってる?」
「いえ、ちょっと周りを見てくだしゃい」
しかし、その返答は昶の予想していたものと、全く違うものであった。
「周り?」
そう言えば、先ほどから街の風景にとけ込めていないものがまばらに見られる。
鎧だ。昶は知らないことだが、それは近衛隊の纏う白銀の鎧。羽のように軽いにも関わらず、“硬化”のかけられたそれは下級の呪文程度なら容易にはね返す性能を有する。
その磨き上げられた表面は鏡のようにまばゆく、まさにミスリルと言うにふさわしい逸品だ。
「物騒な連中が、街中をうろちょろしてるってわけか。シェリー達には教えないでいいのか?」
「せぇっかくお買い物をお楽しみににゃっておりゃれりゅのでしゅ。お邪魔はしたくありましぇん」
「それも一理あるな。でも、一応知らせておいた方がいいと思うぞ」
「やはりしょうでしゅか?」
「さりげなくでいいだろ。『あの鎧ってなんですか?』みたいにさ」
「なりゅほど、そうしておきみゃしゅ」
と、昶とセインが話し込んでいると不意に『着いたー!』とシェリーの叫ぶ声が二人――正確には一人と一柱――の耳を打った。
「着いたってどこに?」
「なに言ってんのよアキラ。アイナの服を買うに決まってるじゃない」
「ええええぇっ!?!?!?」
昶の問いにシェリーが答え、その答えにアイナが素っ頓狂な声を上げる。どうやら、シェリーの言っていたのは本気だったようだ。
完全に予想の斜め上を行かれたアイナは大いに驚いた。
「シェリー、アキラはどうすんのよ」
「こら、人のことを『これ』とはなんだ」
「別にいいけど、大丈夫なの? アイナに店中の服を着せて遊ぶつもりなんだけど。ランジェリーも込みで」
「遊ばないでください! それにランジェリーとか言わないでください、シェリーさん!」
そんなアイナの懇願も虚しく、シェリーはアイナの襟首を引っつかんで店内へと連行して行く。リンネも半ば呆れつつあるが、否定することもなくシェリーに随行した。
それにしても遊ぶって、シェリーはどうするつもりなのだろうか。想像するだけでも、なぜか寒気がする昶である。
「で、アキラはどうすんの?」
「外で待ってるよ。入ったらお前の杖で殴られそうだからな」
「失礼ねぇ。まあいいわ、ちょっと待ってなさいよ」
「あぁ、行ってこい」
「では、私も外で…」
「だめよー。せっかくだから、セインの子供服も買ってく」
『子供服』なる単語がセインの胸を大きくえぐったのは、言うまでもなく……。なんだか絶望感に打ちひしがれたようで、表情が固まったままうわごとのようになにかをつぶやいていた。
シェリーは自分の杖をリンネに預けると、アイナの襟首を持つ手とは反対の手で宙に浮かぶセインをつかみ、再び店の中へと消えていったのだった。
さて、店の前には一人の少年がポツリと取り残されている。
「はぁぁ、どうやって時間つぶそうか」
女の子四人と一柱。さらにリンネのサーヴァントも中と、外で待つのは昶一人となってしまったわけだ。
女の子の買い物は長いと聞いたことはあるが、長いってどれくらいなのだろうか。
仕事以外で里の外に出たことのない昶には、そういう場所での買い物の経験はない。
「せめて座るとこくらいねえかなぁ」
店の周囲を見回すものの、残念ながらイスやそれに該当するものはなかった。
昶は仕方なしに店の壁によりかかると、街中の様子を観察する。
セインに聞くまで気付かなかったが、来た時と比べて鎧の量が明らかに多い。
それも移動中を含め、遭遇頻度が指数関数的に高くなってきている。
色も灰色、蒼銀、白銀の大きく分けて三種類。せわしなく首を振り回している様子から、なにかを探していると推測できる。
昶はまぶたを閉じると、水行を操作して聴力を強化した。こうすることで、常人ではまず聞こえないような遠くの音でも拾うことができるのだ。
『見つかったか?』
『いいやまだだ。しかし、どこへ行かれたのだ』
『まったく、少しはご自分の立場についてお考えになって欲しいものです』
『そう言うな、少しは息抜きもしたくなるだろう』
『ここのところ、公務が立て込んでおりましたからな』
『報告はいい』
『早く見つけるぞ』
探し物をしている点は、どうやら正解だったようである。話の内容から察するに、なかなか身分の高い人物を探しているらしい。
昶は調整していた霊力を切って、ふぅぅ、と一息つく。長く使うのは身体に負担となるのはもちろんだが、聴きたい音以外も聞こえてしまうという難点の方が今はきつい。
例えば、
『あら、アイナって思ったよりあるわね』
『きゃっ!? シェリーさん、んあぁ……。やめ、あん。そんな強く揉まないでください』
『主、アイナ様もそうおっしゃっておりゃれりゅのでしゅから…』
『そんな固いこと言わない。う~ん、アイナは美乳派か。先っちょは可愛いピンクでしゅねぇ~。えい!』
『はぅぅ!? お願いですから、あんっ! ら、らめれすうぅぅ』
『ええい、これか? これがええんかあ?』
『だ、だから、らめれすってばぁあああ!』
とか聞こえてくるのだ。
「なにやってんだ、あのシェリーは……」
音に聞く、“男子禁制の女の園”とかいうやつなのだろうか。
なんだか、レナとリンネのことが無性に心配になってきた。小さくなっても、セインならシェリーよりも力があるので問題ないのだろうが。
「お待ちください!」
「こっちだ! 応援を頼む!」
「少年、そこをどけ!」
と、ちょっとアレな方向の思考の海に沈んでいた昶は、突然の大声によって現実に引き戻される。
背中を預けていた壁から離れまぶたを開と、ニメートル近い三つの灰色の鎧が一人の女の子を追いかけるという、なんともシュールな光景が広がっていた。
丈の長いキャミソールのようなものの上に、ボレロという丈がウエストより短いジャッケット、足元まであるフレアスカートという出で立ちだ。その全てが白一色で統一され、それぞれが黒のレースで縁取られている。まるで、始めからセットで作られていたかのようだ。
衣服と同じ白い鍔広の帽子で顔は見えないが、黄味の強い金髪が見え隠れしている。
女の子は走りやすいようにスカートの裾をたくし上げており、足元も踵が高めの白いローファーに包まれていた。
また、反対の手では帽子が飛ばないように押さえている。そのせいだろうか、目の前にいる昶には全く気付いていない様子である。半歩下がって道を譲ると、やはり女の子は昶に気付かずにその目の前を走り過ぎた。
その半秒後には灰色の鎧が一つ通り過ぎ、帽子を押さえる女の子の腕をグイッとつかむ。
「ようやく捕まえましたよ。さあ、早く戻りましょう」
「嫌です、放しなさい!」
女の子は激しく腕を振るうが、鎧を着込んだ男の腕力には叶うわけもなく、あっさりと拘束されてしまう。
そこに遅れてやってきた二人が、小走りで近付いて来た。
「この後の予定もあります。早くお戻りを」
「お叱りを受けるのは我々なのですから」
「嫌と言ったら嫌です! その手を放しなさい!」
女の子は黄色い悲鳴を上げながら手足を懸命にばたつかせる。だがやはり、拘束が外れることはない。
「駄目です」
「戻りますよ。全部隊に報告しろ」
「了解です」
鎧の男達は女の子の言葉を全面的に否定し、強制的に連れて行く。
左右から挟み込むようにして腕をつかみ、残った一人は駆け足でどこかへ行ってしまった。
「誰か! 誰か助けてください!」
「いいかげん諦めてください。我等の姿を見て、助けに来る者などいません」
「嫌です、まだ帰りたくありません!」
女の子はキッと鎧をにらみつけるが、兜に覆われた相手の表情を垣間見ることはできない。
鎧が女の子の腕をつかむ力が一層強くなり、痛みで顔をしかめた。
「これ以上のわがままは許されません。我々も貴女にこのようなことを、したくはないのですから」
「さあ、参りますよ」
「誰か! 誰かあああああ!!」
昶は一瞬どうしようか悩んだが、
「まあ、いっか」
体内の霊力を調整して身体能力を強化し、少女を捕まえている鎧達の背後へ走り出す。
そして躊躇なく、片方の後頭部へ渾身のひざ蹴りをお見舞いした。
鎧の後頭部が昶の足の形にへこみ、男は糸の切れた人形のように倒れこんだ。
「何者だ!」
反対の腕をつかんでいた男は手を放し、腰に携えられた剣を引き抜く。
よく訓練されている洗練された動きで素早く剣を抜き放つと、上段から一気に昶へと切りかかってきた。
常人ならば、この着地した瞬間の態勢でかわすことは困難を極めるだろう。あくまで、常人ならば。
キーーーン……!!
耳が痛くなるような甲高い音が、辺り一帯に響きわたった。
「な、なんだと……」
鎧の面で表情は読み取れないが、男の表情が驚愕に染め上げられていることだけは間違いないだろう。
なにせ、初撃でノックアウトした男の腰から剣を抜いたにも関わらず、すでに攻撃を始めていた自分の剣を防いだのだから。
しかも大きな体格差があるのも無視して、こちらの両手の攻撃を片手で簡単に防がれたのだ。
これで驚かないのは、昶の事情を知る者か、ただのバカだけだろう。
「よっと」
昶は鎧の男の剣を押し返し、瞬間的に高めた筋力で男の握る剣めがけ手の内の刃を一気に振り抜く。
限界を遥かに超えた速度と衝撃を受け、二つの剣は破片をばらまきながら砕け散った。
再び金属同士が衝突した時に発生する、甲高い金切音が耳を打つ。
手首に走る常識外れの痛みと目の前で起こった出来事に、男の思考は完全にショートしていた。この少年はなんなんだ、と。
昶はその隙を見逃さず、バック転の要領で男の顎につま先を叩き込む。
派手な土煙を巻き上げながらバタンと倒れ込むと、脳震盪でも起こしたのか、鎧はピクリとも動かなかった。
一方で、体操なら見事十点満点を叩き出しそうな着地を決めた昶は、土埃を軽くはたくと未だ呆然としている女の子に向き直る。
帽子はいつの間にか落ちており、その下に隠されていた顔が露わとなっていた。
帽子の中に入っていた黄味の強い金髪は肩甲骨の辺りまであり、全体的に癖っ毛な感じだ。好奇心旺盛そうなくりくりとした瞳は、深く鮮やかな青緑色。左目の下には小さな泣きボクロがぽつんとあり、顔は小さく作りも整っていて可愛いのだが、どこかで見たことがある、ような気がする。
なんだろうか、この既視感は。
まあそれよりも、
「ほい、帽子」
昶は帽子に付いた土を払い、女の子の頭の上に置いてやった。
「大丈夫? 追いかけられてたみたいだけど」
「は、はい。大丈夫です」
女の子はようやく我に返り慌てて頭を下げたのだが、それがいい感じに昶の顎にクリーンヒット。両者とも、額と顎を押さえてうずくまった。
「ぃ、痛ぇ……」
「す、すみません……」
昶は顎を、女の子は額を押さえながら立ち上がると視線が合い、自然と笑みがこぼれる。
「それで、なんで追いかけられてたの?」
「あぅ、えっと、えっとですねぇ、あたくしを誘拐して、身の代金が、両親を脅して、変装というか、えっと……」
「あー、はいはい。わかったから、少し落ち着こうか。はい吸ってー、はいてー」
目の前の女の子は昶の言葉に合わせて、息を吸ったりはいたりを繰り返す。それを十セットほど行ったところで、女の子はようやく落ち着いたようだ。
「お、落ち着きました」
「もう一度聞くけど、なんで追いかけられてたの?」
「わ、わかりません。え~っと、その……。あたくしの家のお金が目当てかと、身の代金など」
昶は女の子の服装に目をやった。
嫌味な感じはないが、明らかに高価な衣服を身にまとっている。もしかしたら、レナやシェリー、リンネが着ていたものより高いのではないだろうか。
「で、この鎧の人達はどうすんの?」
「うーんと、放っておいて大丈夫ですよ」
まさかの答えに意表を突かれた。
「どっかに突き出した方がいいんじゃ?」
「いいです! いいです! あ、また来たみたいですから、とりあえず中に!」
「ちょっと、俺は関係ないって」
「いいですから!」
昶は出会ったばかりの名前も知らない女の子に、強引に店内へと連れ込まれた。
女の子は紙に適当な文字を書きなぐったものを店長に渡すと、店の中にある衣服を適当に見繕ってから試着室へと入って行った。
水行を操作して聴力を強化してみたところ、シェリー達は上の階にいるようだ。アイナはいまだにシェリーのオモチャとなっているようだ。
「えっと、すいません。よろしければ、お名前を教えていただけませんでしょうか?」
試着室のカーテンから首だけ出して、昶の名前をたずねてきた。この女の子、いったいなんなのだろうか。
「昶。そっちは?」
「えっとーーー。イレーネって呼んでくださいませ。友人はみんなそう呼ぶので。えっと、着替えてみたのですが、これでよろしいでしょうか? さっきの人達、けっこうしつこくつきまとって来るので」
イレーネか。なかなかきれい名前だなぁ。
「まあ、さっきよりはマシになったんじゃないか? でも付きまとってくるなら、家で大人しくしてた方がいいんじゃないか?」
「退屈だから嫌です」
それが嫌で飛び出したのだから、それはそうだろう。
さっきの口ぶりから察するに、鎧の方は両親に頼まれてこの子を探していたのだろうから。
「家がお金持ちなら、ボディガードは?」
「それでは、逆に外出させてもらえませんよ」
「あぁ、そうだな」
よく考えたら、まあ至極当然のことである。
「それで相談なのですが……」
カーテンを開けて出て来た女の子――イレーネ――は、さっきまでの清楚を形にしたような出で立ちとは、また違った印象である。
「その、ボディガードというものを、お願いしてもよろしいでございましょうか?」
長袖で丈の長いVネックのカットソーと、ウエストから裾にかけて渦状にフリルがあしらわれたスパイラルスカート。二つとも黒を基調にしており、スパイラルスカートのフリルは白である。
「先ほどのお手並みからも、かなり腕が立つようですし」
上には黒いボタンの付いた薄手の白いコートを羽織り、前髪は桜のようなデザインの髪留めで止められていた。長い髪は首の辺りから馬の尻尾のように、髪留めと同じ桜色のリボンで一房にまとめられている。
「えっと、俺、人を待ってるんですけど」
あまりの可愛さに、昶は自然と頬が熱くなる。
「だめですかぁ……?」
イレーネは瞳をうるうるとさせ、じぃ~っと昶の瞳をのぞき込んだ。こんな目をされると、断るに断れない昶だったりする。
だがここでいなくなれば、レナから『杖で百叩きの刑』を科される可能性が、二〇〇パーセントくらいあったり、もしかしたらシェリーやセインからも、私刑(死刑とも言う)に処されるかもしれない。
女の子には手を上げられない、むげにできないという優しくも甘い部分が昶自身を苦しめた。そして、導き出した決断は……。
『あー、リンネのサーヴァントー、聞こえるかー?』
リンネのサーヴァント――ソニス――に、思念波を送るというものだった。ただ、こっちの思念を受信してくれるかというのが、問題である。
そのまま数回、脳内で絶叫を繰り返すと、
『な、なんでしょうか?』
少し焦り気味な思念が、昶の脳内で反響した。
知性があるからなのか、鳥でも焦る時は焦るようだ。
『ちょっと急用ができちゃってさ。俺のことは放っておいていいから、楽しんでくれって伝えてくれ。いつまでかかるかわからないから、直接学院に帰る』
『えっ!? それ私が伝えるんですか!』
『頼んだぞ、じゃあな』
昶は飛んでくる思念を無視して、イレーネの方に向き直り、
「わかりました。付き合いますよ」
イレーネのボディガードをすることになった。
「あ、ありがとうございます!」
きっぱりと断れる人になろう。そんなことを脳の片隅で考えながら、昶はイレーネの後を追って外に出た。
腹のたっぷりと出た男がイライラと貧乏揺すりをしている所で、不意に部屋の扉が開かれた。
報告に来たのは彼の傘下にある物の内の一人で、灰色の鎧を着込んでいる男だ。
「ご報告に上がりました」
「礼はいい。手早くしろ」
鎧の男は駆け足で近寄ると、全ての儀礼を排し、口頭での報告を開始する。
「フィラルダ警備隊から、それらしき人物を発見したようです。二名が連行するのに残ったそうなのですが……。両名とも気を失っており、現在も行方がわからない状況となています」
「どういうことだ? あいつは一人だったはずであろう」
「その辺りも全くの不明ですが、粉々になった剣が近くに」
それを聞いた瞬間、太った男の目頭がキッとつり上がった。
「“硬化”がかけられていたのではないのか?」
「そのはずなのですが」
「やつにマグスがついている可能性もあるな」
「の、ようです」
聞きたいことはもうない。これ以上は時間の無駄だ。
「もうよい。行け」
「はい」
灰色の鎧はそのまま回れ右をし、そのまま駆け足で出て行く。
男の苛立ちが収まることはなかった。