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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
31/172

第六話 忍び寄る影 Act03:フィラルダ

 部屋の前で待つこと、五分(ネフェリス標準時)。

「いいわよ」

 ご主人様(レナ)より入室の許可を賜ったので出来るだけ音を立てないようにして扉を開けたのだが、そこで昶の視線はレナに釘付けになってしまった。

 襟から胸の中央を通って縦一列にフリルのあしらわれた長袖のブラウス、膝小僧がちょうど隠れるくらいのこげ茶系のフレアスカート。ブラウスの方は中央のフリル以外の装飾はなく、学院の制服である紐状の赤いネクタイをしている。またスカートの方も生地は厚そうだが、特別な装飾は施されていない。

 ただし、どちらも上品かつ頑丈な作りになっているため、見た目以上に値が張るのは間違いないであろう。

 靴下は白のハイソックスで、靴だけはいつも通りの黒いローファーだった。

 着飾った感じは全くないが、上品かつ清楚なイメージが感じられ、レナの魅力がよりいっそう引き立てられている。むしろ、下手に着飾るよりも断然可愛い。

「な、なによ。ジロジロ見て……」

「な、なんでもねえよ!」

 ここで素直に『可愛い』、と言えれば昶の株も上がるのだろうが、なかなか言える言葉でもなかった。昶にとっては。

 前回リボンをつけていた時は言えたのだが、今回は可愛さの度合いが段違いに上がっていたのだ。

「そ、それでさ。シェリーは連れて行く気らしいけど、どうするの?」

「え、どうするって?」

「一緒に行くのかってこと」

「行くよ」

「そ、そう」

 昶は間を置かずして即座に答えた。もう二度と、シュバルツグローブのような事態はごめんだ。

 それを聞いたレナは、よくわからないが人差し指を合わせてモジモジしている。ほんの少し顔も赤い気がするし、やっぱり熱でもあるのだろうか。

 昶はちょっと心配になって、レナの額に手を添えた。

「ひぅっ!? ちょ、いきなりなにすんのよ!」

「熱でもあるんじゃないかと思って。顔赤いしさ。やっぱちょっと熱いような……」

「ぬぁな、なんでもない! 大丈夫よ!」

 レナは小さなお手てで昶の胸をぐいっと押して引き離すと、何度か深呼吸して息を整え、

「えっと、その……。来るんなら、なんだけど、ね」

「ん?」

「か……」

「か?」

「か、買ってあげるわよ」

 話が飛び過ぎていまいち要領を得ない。

「買うって、なにを?」

「アキラの欲しいものあったら、買ってあげるって言ってんの!」

 昶は一瞬自分の耳を疑った。

 あのレナが、自分のために、なにかを買ってくれる?

 いやいや、きっと幻聴に違いない。

「だぁ~、かぁ~らぁ~。なんであんたはそう、あたしがちょこーっとだけ優しくしただけでそんな疑いのこもった目で見るのよ!」

「え、あ、いや、あの、えーっと……」

 と、昶が返答に困っていると、

「はぁぁ、もういいわ」

 杖を持って準備を完了したレナは、昶の隣を通って廊下へ出る。

 そして、

「あたしだって、か、感謝してるんだから」

 顔を見せずにそれだけ言うと、乱暴に扉を閉めて走り出した。

 部屋の扉を通して、パタパタと廊下を走る音が聞こえる。

 『感謝してるんだから』と言ったレナの頬が、沸騰寸前まで赤くになっていたことに、昶が気付くことはなかった。




 昶はレナに連れられて、校舎外側の校門近くに作られた厩舎(きゅうしゃ)へとやって来た。屋根の上ではセインと、リンネのサーヴァントであるソニスが暇そうに(たたず)んでいる。

 サラブレッド、とまではいかないものの、筋肉を無理やり押し込んだような足はなかなかの速度が出そうだ。毛色は最もポピュラーな鹿毛(かげ)と呼ばれる茶褐色。手入れも行き届いているらしく毛並みもサラサラで、それ自体が高級な毛皮のコートのようである。

「来た来た。遅いわよ、二人とも」

 中にはすでにシェリーとリンネがおり、シェリーは二頭の馬に馬具を装着している所だった。

 二人ともそれぞれの私服を着ており、普段の制服姿とはまた違った空気を(かも)し出してる。

 まずはシェリーだが、上は学院のブラウスのままだであった。しかし学年ごとに違う色のネクタイは外しており、なんと第二ボタンまで開けられている。うっかりすると、谷間が見えてしまいそうだ。下は黒のスラックスと、普段のスカートは真反対。そもそもこの世界でズボンを穿いている女性を見たことがないので、昶の目にはとても新鮮に映った。靴は茶褐色のブーツを着用。女性にしては背が高いのもあって、男前らしさが一層際だったように見える。

 一方でリンネはと言うと、首の回りがゆったりとした、丈が膝まである長袖のワンピース。色は髪と同色の白味がかった水色をしている。その上には純白のケープを羽織っており、首の前で蝶々結びに止められている。結び目からは二本の白い紐が垂れており、先には同じく白い色をしたポンポンがちょこんとくっ付いていた。ハイソックスの色も白く、ローファーのみが唯一の黒をしている。いつもはツインテールにしている髪を下ろしているのも、なかなか新鮮だ。その出で立ちは、まさしく人形のように可愛らしいものだった。

「あんた達が早いのよ。シェリーなんて、本当に着替えただけ(●●)みたいだし」

だけ(●●)とわなによ、だ・け・と・わ!」

「…ふ、二人とも、け、喧嘩は」

 いつものことではあるが、レナとシェリーの口喧嘩が開始された。アイナとのも含めると本日は早くも三回目になる。

 リンネが止めに入るのだが、消え入るように小さな声ははたして届くかどうか。

「まあいいわ。子供(レナ)と喧嘩してたって、時間の無駄だし」

「そうね、脳まで筋肉の女(シェリー)との口論なんて、時間の浪費以外の何物でもないわ」

 一応は届いたようだ。と言っても、互いにいがみ合ったままなのだが。

 昶がリンネの方に目をやると、大事に発展せずに胸をなで下ろしているところだった。

 純粋な腕力ならば完全にシェリーに軍配が上がるのだが、口喧嘩と多少の取っ組み合いなら互角なため、思いのほか長引くことが多い。

 来る途中に、こういう時はいつも夕食を外で済ませると言っていたので、買い物を済ませた後の遊ぶ時間を確保することを考えれば、妥当な判断と言えるだろう。お互いに冷静な部分が残っている辺り、これも恒例行事の一環なのだろうが。

 口ではレナといがみ合いながらも、シェリーがテキパキと馬具を装着した馬を二頭連れ出している所からも、そんな気配が漂ってくる。

 四人は厩舎(きゅうしゃ)の外へ出た。

 すると、杖に横向きで座ったまま空中に浮遊しているアイナの姿が飛び込んで来た。

「あれ、アイナって制服?」

「は、はい。シェリーさん。えっと、持ってないんです、私」

 アイナは自身と他の生徒達の違いを肌で感じ、改めて自分が異質な存在だと理解した。私服なんてとんでもない、当時の自分にはそんな余裕、逆立ちしてもなかったのだから。

 その目には、ほんの少しばかりの(うれ)いが混じっていたのだが、シェリーがそれに気付くことはない。アイナも隠そうとしているのだからなおさら。

 アイナは自分の暗い考えを頭を振って追い出すと、頑張っていつもの――大輪のひまわりを思わせる――笑顔(ペルソナ)を浮かべる。

「なら丁度いいじゃない。アイナの服も、一緒に買っちゃおう」

 が、あまりの驚愕に、アイナの頑張りは一秒たりとも保たなかった。

「ええっ!?」

「だって私が落ちるのを助けてくれたの、アイナだし。そのお礼ってことで」

「そんな、いいで…」

「遠慮しないの、むしろさせてくれなかったら私怒るよ?」

 これぞまさに、感謝の押し売りである。

「は、はい」

 あんな怖い笑顔でにらまれては、『はい』と言わざるを得ないだろう。

 シェリーはうんうんと大きく首を振って納得すると、連れ出した馬の上に飛び乗った。その後ろには、リンネがちょこんとまたがる。

 もう一頭の背中にも手綱を握ったレナと、その後ろに不安気な表情を浮かべる昶がまたがった。

『お前、本当に大丈夫なのか?』『大丈夫よ、乗馬くらい貴族の(たしな)みなんだから。少しはあたしを信用しなさい』『体力に自信のないやつの運動神経を信じるほど、俺は楽観的じゃねぇ』『あんですって!』とまあ、いつも通りの痴話喧嘩を繰り広げている。

「杖よりは遅いだろうけど、勘弁してね」

 羨望の眼差しでレナの方を眺めていたアイナは、シェリーの呼びかけで浮遊していた意識を呼び戻す。

 気が抜けていたせいで、危うく地面まで落下しそうになった。

「あ、はぃ。大丈夫です」

「それじゃ、出発するわよ。リンネ、しっかりつかまってね」

 リンネが頷くのを確認すると、シェリーは大きく息を吸い込み、

「レナーーー、行くわよーーー! いつまでも痴話喧嘩なんかしてないで」

 と、馬上でギャーギャー騒ぐ二人に向かって叫んだ。

「痴話喧嘩じゃないわよ!」

「痴話喧嘩じゃねえ!」

 と、レナと昶は見事なユニゾンを決める。

 なんだか、あっちはあっちでかなり気まずそうだ。

 そんな二人の様子にシェリーはくすくす笑いつつ、

「それじゃ、出発」

 手綱を握ると、馬の腹を蹴った。鹿毛の馬は甲高くいななくと、校門を通って校外へと飛び出す。

「し、しっかりつかまってなさいよ」

「……可能な限り」

 レナの駆る馬も、昶の思った以上の安定感を持って出発した。

 アイナもそれを追って追いかける。

 そして、その後ろからは空色の鳥と、真っ赤な幼子が続くのだった。




 休憩をとりながら、馬を走らせることネフェリス標準時で約二〇分、五人と一柱と一羽は、学院に最も近い都市――フィラルダ――へとたどり着いた。

 フィラルダの周囲には、シュバルツグローブ最北端の山脈地帯を水源とする国内最大の河川――セキア・ヘイゼル川――が流れており、それが肥沃(ひよく)な土壌ともあいまって国内最大級の農耕地帯が広がっている。

 食べ物が豊富なのもあって国内二位の人口と国内三位の経済力を持つ大都市で、周囲には監視用の背の高い尖塔がいくつも築かれている。

 余談であるが、レイゼルピナ王国の首都であるレイゼンレイドは人口・経済力共に一位。海岸線沿いに存在する交易都市、シュタルトヒルデは経済力で二位に位置する都市である。またシュタルトヒルデは、世界最大級の港を持つ都市の一つであり、海路・空路共に、レイゼルピナ王国最大の貿易港でもある。

 これら都市の長を勤めるのは、周辺に領地を持つ貴族達の中から選ばれる(無論、主都を治めるのは王族であるレイゼルピナ家)。

 選出するのは、元老院(アシズ)の下部組織のメンバーであり、それぞれの貴族が治める領地に常駐し、領主である貴族の指導力を調査しているのだ。




 まあ、それはさておき。

「それじゃ、馬二頭。夕方までお願いね」

「あいよ、こんなチップはずんで貰ったんだ。しっかり面倒見とくから、楽しんで来な」

「言われなくてもそうするわよ」

 シェリーは金貨を一枚と馬二頭を厩舎(きゅうしゃ)の主に渡すと、その場を後にする。

 外にはリンネ、レナ、アイナ、昶と、小さくて可愛くなったセイン、リンネのサーヴァント――ソニス――の、四人と一柱と一羽がシェリーを待っていた。

「私とリンネは杖を注文して来るんだけど、レナ達はどうする?」

「ちょっと、アキラの買いたい物がないか、見て回るつもりだけど」

「あらあら、プレゼントかなんか?」

 と茶かすシェリーに、違うわよご褒美よご褒美プレゼントなわけないじゃない、とレナは必死で反論する。

「アイナはどうするんだ? 俺はレナ(こいつ)に連れ回されるらしいけど」

「ちょっと、アキラ。(マスター)に向かって『こいつ』ってなによ!」

「そうですね。私も特に行く所はないので、ご一緒させていただきます」

「こら、そこ! 無視するな!」

 てな感じで、二手に分かれることで決まった。

 フィラルダを南北に両断する大通りまで出ると、シェリーとリンネは近くの店に入って行く。

 リンネの肩には、カワセミを二回りほど大きくしたような鳥が止まっている。長い尾は先にいくほど空色から黄色のグラデーションになっており、なかなかに美しい。スピリトニルという、精神に干渉する能力を持った鳥だ。

 そしてシェリーの隣には小さくなったセインの姿が。地面から一メートル近く浮遊しているのは、歩幅の問題と身長を気にしているからだろう。

 先ほど昶に、『失望しました』とか言ってきた。食事中の出来事を、かなり気にしているようである。

 一行を見送ると、昶達もレナを先頭にして適当に歩き始めた。




「ところでアキラ、なにか欲しいものってないの?」

 フィラルダ散策を始めて一秒後(地球時間で)、レナは周囲の店を眺めながらそんなことを聞いてきた。

「そうだなぁ……」

 昶もレナと同じように――こちらは珍しげに――周囲の店を見まわしながら、欲しいものねぇ、と考える。

 せっかく大物貴族のレナ様が、ご褒美になにか買ってくれると仰っておられるのだ。できれば、高いものを買っていただきたい。

 とすれば、護符用の紙じゃあちょっともったいない気がするので、

「刀、かなぁ……」

 と、自分が使っているものの中で一番値段の高い物を口にした。

 現代の日本でも、一振の日本刀を鍛えてもらおうと思えば最低でも六〇万円以上。昶達のような一部の術者に限って言えば、値段が付けられないような代物になる。

「“カタナ”?」

「あのぉ、アキラさん。“カタナ”ってなんですか?」

「あぁ。こんな感じに、ちょっと曲がった剣だよ」

 と、昶は村正をちらつかせて見せた。

 レナとアイナはしばらく興味深げに見つめてから、

「それじゃ、グレシャス家お墨付きのお店にでも行ってみましょうか」

 とりあえず、武器屋に行くことになった。

 大通りをしばらくまっすぐ進んでからわき道に入り、そこを曲がってさらに細い道を抜けること、ネフェリス標準時で約五分。レナ達は目的の場所――武器屋――へとやって来た。

 建物は二階建てとなっており、一階は防具屋となっている。二階の武器屋には、横に備え付けられた階段から入るようだ。

 三人は階段を上り、武器屋の扉を開いた。

 チリンチリンと乾いた鈴の音が、客人の来訪を告げる。

「いらっしゃい」

 白髪の生え際が頭頂部付近まで這い上がり腹の出た少々小柄な初老の男性が、店の奥から現れた。淡い枯れ草色の半袖シャツの上に、擦り切れたオーバーオールを着ている。

 店の主人は三人をちらりと見ると、

「なんでぇ。シェリー(でっかい小娘)とつるんでるチビっ子じゃねぇか。いつもの相方はどうしたんだ?」

 と、かなぁりフレンドリーに話しかけてきた。

 一応客商売の店のはずなのだが、こんな接客態度で大丈夫なのだろうか。

「ちょっと杖折っちゃったから、新しいの頼みに行ってるの。剣も使えなくなっちゃったみたいだから、心配しなくてもちゃんと来るわよ」

「はっはっはっ。そいつぁまた、やんちゃやってるみてぇだなぁ」

 と、店主は豪快に笑った。

 その口から飛ぶ唾を一歩引きながら回避したレナは、冷たい視線を向けつつ用件を話し始める。

「実は、こいつが剣欲しいなんて言うから来てみたんだけど、いいのある?」

「どうも」

 レナにご指名を受け、昶は主人に軽く会釈した。

 店主は昶のことをじっくりと眺める。身長や身体つき、筋肉の付き方や骨格の形状などを観察してから、

「うちは肉体強化のマグスが扱う発動体の店だぜ? その兄ちゃんが扱えるような武器なんてねぇよ。それに、なんか弱そうだし」

 と言った。

 まあそうだろう。ここにある武器は、大半が普通の人間に使えそうにないサイズだ。特に隅っこに置いてある、両手持ちの柄の先に鋼鉄の円柱がそのままくっついたような武器なんかは、昶も肉体強化を行わなければ絶対に持ち上げられそうにない。

 まあ、『弱そう』って発言は否定したい所だが。

「それなら問題ないわ。シェリーの剣でも軽々と使ってたし。そもそも、この前それを壊しかけちゃったから、もうすぐシェリーも来るわよ」

 それを聞いた瞬間、店主の目の色が変わった。

「……そりゃ本当なのか、兄ちゃん?」

「ま、まぁ。思いっきり振り回したら」

 と、昶は頭をポリポリかきながら苦笑い。

 もしシェリーのツーハンデッドソードを鍛えたのがこの人なら、謝った方がいいのかな? とか思っていると、

「嘘言っちゃいけねえ。あいつは俺が鍛えた傑作だ。グレシャス家の“秘術”に耐えられるよう、最上位の“硬化”の魔法を何重にもかけてある。それが一薙でどうかなるなんざ、まずあり得ねえ」

 と、形相を一気に険しい物にした店主が、昶の目をまっすぐ見ながら言った。

 眉間には深い縦ジワが刻み込まれており、かなり怒っているようである。

 それもそうであろう。国内最上位の肉体強化術を有するグレシャス家の者が扱ってもそうそう壊れないように作られたものが、壊れたとか言われているのだから。

「そんなことを言われても、フラメルの首はねてたり頭かち割ったりしちゃったら、なっちゃったんですがぁ……」

「フラメルだぁ!?」

 店主は両の目をかっと見開き、カウンターをドンと力強く叩いた。

 それだけ昶の口にした言葉は、信じがたいものだったのである。

「グレシャスの小娘に渡したやつなら、速さと角度がありゃ確かに切れねえこともねえが……」

 それにはグレシャス家の秘術――肉体強化――以上の力が必要になる。

 肉体強化の(すべ)はいくつかあるが、その効果は家系によって様々である。

 グレシャス家のそれは、単なる肉体強化においては最高峰と言っても過言ないほどの力を発揮できるもの。

 それ以上の力が、目の前のあまり頼りなさそうな少年が持っているなど到底思えない。

「兄ちゃん、そこのそいつ、持てるか?」

 店主が指さすのは、中央の柱に固定された大剣。厚さは通常の剣の倍以上、高さは三メートル以上ありそうだ。しかも柄を見ればわかるのだが、明らかに型手持ちで扱うことを想定されている。

 明らかに一般人が扱える代物ではない。

「まあ、持つくらいなら」

 昶はその巨大な代物の前まで行くと、それをまじまじと見つめた。

 儀式用、あるいは礼式用、はたまた装飾品か。そう思ったが、それは戦うための、命を刈り取るためのものだ。

 重厚な刀身も、長大な刃も、埒外(らちがい)な力でもって振るわれるなら、なんの問題にもならない。

 昶は霊力の流れを調整して肉体を強化すると、拘束具を外して剣を横たえる。

 鞘はシェリーのと同様に横が開く構造になっており、昶は横に滑らせるようにして剣を抜く。

 手首にはモーメントの作用により、本来の重量の二倍から三倍近い重さがぐっとのしかかかってきた。

「こんなもんですかね」

 右手でがっちりと柄をつかみ、半身に構える。実戦では使えそうにないが、多少の演武をするくらいならできそうだ。

「こりゃあ……、たまげたな」

 店主は口をあんぐりとあけたまま、まるで銅像のように固まってしまった。

 店主ほどではないにしろ、レナもアイナもどこか遠くを見るような眼差しになっている。どういうリアクションをすればいいのかわからないのだろう。

 まるで悟りでも開いたかような感じだ。

「も、もういい。元に戻してくれ」

 店主に言われて、昶は元あったように大剣を固定した。

 あまりの驚きように、店主の顔いっぱいに冷や汗がこびりついている。

「冗談で言ったんだが、まさか本当に持ち上げちまうとはな。それなら、グレシャスの小娘に渡したもんでも、自在に扱えそうだが……」

「壊しちゃった身でなんですけど。あれ、すごくよかったですよ」

 と、昶は一応のフォローを入れた。

 一回しか使わなかったが、なかなかの逸品だったことくらい昶にでもわかる。

「まあ、いいや。壊れてるかどうかは小娘がくりゃわかることだしな。そんで、どんな代物をお求めで?」

「それじゃ、“刀”って、ありますか?」

「なんじゃそりゃ?」

 昶は腰に携えている村正へと手を伸ばした。抜いたりはしないが。

 鞘に入れたまま腰から引き抜くと、それを店主に示す。

「こんな風に刀身が()ってる剣なんですが」

 店主はその様をまじまじと見つめた。

「刃は見せてくれないのか?」

「それはちょっと、すいません」

 それに関しては丁重に辞退した。

 妖刀にしみついた怨念は、使用者ばかりを狙うわけではない。周辺の人間を取り込もうとすることも、ままあることなのだ。

 血の力を使えば抑え込めないこともないのだが、疲れている今の状態ではあまりしたくはない

()りのついた剣か。んなもんあったかなぁ」

 それだけ言い残すと、店主は店の奥へと消えていった。だれもいなくなった空間からは、ガチャガチャとトーンの高い金属が響く。

 すると、チリンチリーンと、乾いた鈴の音が店内を反響した。

「ハア~イ、おっちゃ~ん! まだ生きてますかー?」

 と、なんとも失礼な挨拶と共にシェリーがやってきた。

「来おったか、小娘が」

「来たわよ。コイツを見てもらいにね」

 シェリーは無人となったカウンターに、背負っていた剣を放る。

 剣の重さと衝撃で、カウンターが軽くへこんだ。

「思ったより早かったのね」

「途中で馬車拾ったのよ。杖の方はなかったから、入荷待ちってとこね」

「…私のも、なかくて」

 シェリーの後ろには、おろおろとしているリンネの姿が。小さいのでわからなかった。

「兄ちゃん、やっぱ()りのある剣はねえや。そんじゃま、小娘のも見てやっか」

「お願いね、おっちゃん」

「あいよ」

 店主は滑らかな手つきで、鞘から剣を引き抜いた。

 カウンターの中から小ぶりのハンマーを取り出すと、刀身を軽くノックする。

 “硬化”の魔法がかけられているので、例え全力で叩こうが傷つく心配はないのだ。

「どう?」

「無理じゃな、中の芯が折れちまってる。別のを買って行きな」

 と、店主はその犯人である昶をじろりとにらむ。

 てめぇ、覚えてろよ、みたいな顔をしている。

「残念、気に入ってたんだけどなぁ。それ」

 シェリーは店内をキョロキョロと見回し、店内に溢れかえっている武器を物色し始めた。

 相も変わらず、切り替えの早い女の子である。

「ここのって、どれも“硬化”がかけられてるのよね?」

「あぁ。そんで、兄ちゃんはどうすんだ?」

「うーんと、どうしましょうかね?」

 と、乾いた笑いをする昶を店主は、だめだこりゃやっぱ頼りねえわ、と言った感じの視線を送ってきた。

 シェリーはすでに完全なガサ入れ作業に入っている。

 日本刀のような、『折り返し鍛錬法』までは期待してはいなかったが、まさか()りのある剣そのものがないとは……。

「まあ、適当なのを探すんだな。うちに置いてあるやつはたいてい普通じゃねぜサイズと重量だが、兄ちゃんなら大丈夫だろう」

「まあ、いいのがあれば、ですけど」

 てなわけで、シェリーに手招きされるまま昶もガサ入れに作業に強制参加。

 残されたレナ、リンネ、アイナの三人は特にすることもない。シェリーと昶の方は、これは? あれは? こっちはどう? と自分達の世界へ旅立っている。

 もう先に、別の場所へ行ってしまおうかという思いが、レナの中に生まれた。

 が、アイナのことが気がかりで、そうするのも気がひける。

「シェリー、これなんかどうだ?」

 昶は古ぼけた剣の置かれた一角から、一本の直刀を取り出した。

 店主の言うだけあって、サイズは軽く一メートルを超えている物がほとんどだ。さすがにニメートルまではいかないが、シェリーの身長と同じくらいはあるだろう。

 鞘そのものも埃だらけで、見た目にはとても名剣とは思えないのだが……。

螢惑(けいわく)の気を宿せ」

 昶は誰にも聞こえないよう口の中で小さく詠唱を唱えた、ゆっくりと剣を引き抜いた。

 すると、抜き身の刀身がほんのりと熱を帯び始め、次第に刀身の色が灼熱色へと転じ、やがては炎を纏い始める。

 その様子に、誰もが驚いた。

「そういや、そんなのもあったなぁ……。すっかり忘れてたぜ」

「こんな良いもん、忘れちゃダメでしょ」

 昶は手の中の剣を(もてあそ)ぶ。柄を両手で握って、無造作に上段から振り下ろした。灼熱色の軌跡が、空間を美しく彩る。

 草壁の剣に型はない。個々の技をあたかも一つの技のように、流れるような動作で次々と小さな技を繰り出すのである

 振り下ろした剣を返し、逆袈裟切りに右上へと切り上げる。肩の高さでベクトルを床と平行な向きに変え右へと一回転し、勢いを殺さぬまま、再び上段から切り下ろす。

 わずか数秒の剣舞であったが、その優雅な仕草には誰もが息を呑んだ。

「か、かっこいぃ……」

 レナがギョッとして隣を見やると、アイナが目をとろけさせてうっとりしていた。作った表情ではなく、本当に心から陶酔しているように見える。

 それは、今のは自分もほんのちょこっとだがかっこいいかなぁ、なんて思ったりはしたが、口に出して言うとなぜか負けた気がする。その代わりとばかりに、レナの頬もほんのりと桜色に染まっていた。

 恥ずかしさで苺のように真っ赤になった時とは、また違った可愛さが含まれている。

「あらら、二人とも赤くなっちゃって。いったい誰におねちゅを上げてるのかちら?」

「もぅ、アキラさんに決まってるじゃないですかぁ」

「な、なんでもないわよ! 誰もアキラに熱なんて上げてないんだから!」

 アイナは素直に吐いたので、シェリーはレナに標的を絞る。

「レナちゅわ~ん、アキラしゃんはぁ、かっこよかったでちゅか?」

「だどぅだ、誰もそんなこと、おぅお、思ってないわよ! なんであたしが、ア、アッ、アキラのことを、かくぁ、かっこいいと思わなきゃならないのよ。そぅそ、それと、その言葉遣いやめなさい!!」

 言い終えたレナがぜぇぜぇと肩で息をしながらシェリーの方を見ると、すでに我関せずと言わんばかりに元の作業に戻っていた。

 昶はと言えば頬が上気するほどの笑いを、腹を押さえて我慢していた。なんか、本心を見透かされている気がして、無性に恥ずかしい。

 ううん、あたしは、アキラをかっこいいとは思ってない、思ってなんかない、そんなわけない。レナは自分に、必死になってそう言い聞かせた。

「で、シェリー、どうする?」

「アキラが使えば? さっきの見せられちゃ、私はちょっと遠慮しちゃうわよ。それに属性の付加なんて、まだ早いと思うしね」

「俺もなぁ、ちょっと長すぎんだよなぁ」

 村正と比べでも、倍近い長さのある直刀である。そもそも、昶は両刃の剣を扱ったことも直刀を扱ったこともなければ、これほどの長刀を扱ったのもシェリーの剣だけだ。使うにはちょっと抵抗がある。

「そう? 私のアレは簡単そうに扱ってたけど」

「振って投げただけだしな、あれは」

「あぁ、なるほど。そういえばそうね」

 それでシェリーは納得してくれたようだ。

「まだ付加は早いと思ってたけど、アキラが探してくれたんだしね。これにしよっか。おっちゃん、これにするー」

「あいよ。鞘は前のと同じ型でいいか?」

「お願いね」

 昶は剣の表面を這い回る炎を消すと、鞘と一緒にそれを店主に渡した。炎を吹き出したせいか、こびりついていた汚れは消え去り、白銀の刃が誇らしげに(きら)めいている。

「兄ちゃんはどうだ?」

「俺はいいです」

「あいよ」

 店主は杖を取り出すと、錬金術系の魔法と“硬化”の魔法をかけた。するとたちまち柄や鍔の(さび)と汚れは吹き飛び、“硬化”を上乗せしたことにより、更に強度を跳ね上げる。

 最後に店の奥から今までより一回り小さい鞘を取り出すと側面から押し込むようにして収納し、そこに錬金術の一種を用いてグレシャス家の家紋を刻み込んだ。

「お代は実家に請求してね」

「わーってらぁ、ほれ、持って来な。銘は“ヒノカグヤギ”だとよ。大事にしてくれねぇと、もう売ってやんねぇからな」

 シェリーは店主から渡された炎剣(ヒノカグヤギ)を背負うと、意気揚々と店を出て行った。




 昼間からカーテンを締め切り外の光を完全に排除した密室を、まばらに置かれた蝋燭(ろうそく)の火が頼りなく照らしていた。部屋はそれなりの広さと高さがあり、円形のテーブルとそれを取り囲むようにいくつかのイスが置かれている。

 漆塗りの木、意匠の凝った肘掛け、背もたれはニメートル近くあり、赤い毛皮に背中と底面を覆われていた。

 雰囲気から察するに、会議室かなにかだろうか。イスの数だけ、テーブルの上に十枚ほどの書類も置かれている。

 その中でも特に装飾の多そうなゴテゴテのイスには、たっぷりと腹の出た男が鎮座していた。

 髪は全て抜け落ち、眉も薄い。左目にかけられたモノクルには、蝋燭(ろうそく)の火がゆうらりと揺らめいている。

 血色の悪そうな紫色の唇からは荒い息遣いが漏れ出し、暗い部屋のせいか灰色っぽく見える肌には脂汗がびっしりとこびりついていた。見た目だけで言えば、非常に不健康そうだ。

 そしてその男の私欲の深さを現すかのように、混沌とも言うべき黒に近い、しかし決して黒ではない穢れた瞳が、ギラギラと輝いている。まるで獲物に飢えた狩人のように。

 ただし、男が狙う獲物とはその日を生きる(かて)ではなく、更なる権力を握るための鍵となる人物(●●)だ。

「失礼します」

 太った男から見て右前方に(しつら)えられた重厚な扉から、希薄な陽光と共に一つの鎧が入室する。

 一歩一歩、床を踏みしめるごとにカシャン、カシャンと、軽やかな音が反響した。

「見つかったか?」

「いいえ、それがご公務を済ませたのをいいことに部屋を抜け出したらしく。現在、護衛でやって来ていた近衛(ユニコーン)隊の者が、全員で捜索に当たっているもようです。都市警備隊(我々)も、必要最低限を除いて捜索に当たっております」

 それは軽くも“硬化”によって防御力を向上させた、国内でも最高級の強度を持つ鎧である。それも、首都から派遣されたエリートのみに許される淡い蒼銀をしていた。

「ちっ、あのおてんばめ。どれだけこちらの計画を狂わせる気だ」

「現在、この都市に駐屯している王国の部隊も動かせるよう、関係部署に許可を求めています。市長閣下の令状もあるので、もうすぐ動かせるようになります。それでは」

 蒼銀の鎧は恭しく一礼をすると、入った時と同じ扉から出て行った。

 部屋は再び、太った男が一人だけとなる。

 男は忌々しげに、一人の名前をつぶやいた。

「エルザめ……」

 その声は、込められたら憎悪だけで、人を呪い殺せそうなほど、禍々しいものだった。

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