第六話 忍び寄る影 Act02:珍しい風景
レナの鬱憤の解消が終わった所で、二人は食堂に向かった。
特に昶はシュバルツグローブへ向かった日の夕食とその後の三日で、七食分は抜かしていることになるので、さっきからお腹がグーグーと文句をたれている。
時々大ハズレがあるとはいえ、あれは貴重なエネルギー源だ。七回も無駄にしたのかと思うと、とてつもなくもったいないことをした気分になる。
セレブ御用達の高級ホテルを彷彿とさせる豪華すぎる食堂からは、昶の食欲を必要以上に掻き立てる匂いが漂ってきた。
「あっ、ちょっと待って!」
と、食堂のカウンターテーブルに直行しようとしていた昶を、レナは慌てて呼び止める。
なにやらほっぺをほんのり赤く染め、胸の前で向かい合わせた人差し指をもじもじと動かしているのだが、それに気付く昶ではない。
またなにかやらかしてしまったのかもと、昶は顔を真っ青にしながらどこでレナを怒らせてしまった真剣に分析し始めた。
それで、
「なんだかよくわかりませんが、すいませんでした!」
わからなかったので、とりあえず謝った。
これには少なからずレナも傷ついたようで、
「……あ、あんたの中のあたしのイメージって、なんなのょ」
と、視線をそらしながら苦笑い。すぐに手を出しちゃいけないのはわかっているのだが、恥ずかしくてついつい手が出てしまうのである。もっとも、その原因までは本人もわかってはいないが。
「イメージねぇ……」
昶は言われて思い浮かべる。
――見た目は、けっこう好みでしかも可愛い。身長は低めでバストは残ね……、いやいや慎ましやかなんだ、うん。それから、ふとしたことで杖が飛んでくるだろ、あと怒ると怖くて、理不尽な罵倒を浴びせてきて……。
「…………」
ちょっとだけにやけていた昶の顔が、だんだんと重苦しいものに。
「ちょ、ちょっと! お願いだからなんか言ってよ!!」
「かか、可愛いです、とっても!」
と、そんな感じで、食堂の入口にピンクの気配が漂い始めた時、
「アッキーラーさーん!」
「うわっ!?」
ドンッ! ガラガラガラガラガラ!
何者かが昶の背後から奇襲攻撃を仕掛けてきたのだ。完全に不意をつかれた昶は頭から床へとダイブし、そのままの勢いで一ダースほどのイスをなぎ倒す。
あまりに唐突すぎた出来事に、レナも口をあんぐりとあけたまま呆然。だがゆっくりと状況をのみこむにつれて、昶に飛びかかったのがクラスメイトの一人だというのがわかった。
闇夜と同じ艶やかな漆黒を湛えた、髪と瞳が印象的な編入生。アイナである。
先日の一件では生死の境を彷徨っていたのだが、昶の処置とミシェルの治療が効いたのか、今では元気すぎるまでに回復しているようだ。
「……いてぇ」
と言っても床にめり込まない限りは、例え突撃された所で昶にさしてダメージはない。
だが予期していなかった分、通常と同等の痛みを感じたのだ。これで痛くないわけがなかろう。
「すいません、勢い余ってやり過ぎちゃいました」
「それはいいから。早くどいてくれると、ありがたいんだけど」
背中になにやら柔らかいものが触れていて、ものすごく気まずい。
いや、昶も健全な男の子なのだから興味がないというわけではないのだが、というよりむしろ興味はあるのだが、多感な年頃には少々刺激が強すぎるのである。
「あ、すいません」
が、アイナはそれを特に気にするそぶりはなく、というよりもむしろ存分にそれを昶の背中に押し付けてから立ち上がった。
普通のサイズとはいえ、レナの残念なそれと比べれば、その威力は十分脅威的である。
――って、なにレナと比べてんだよ俺は!!
年頃の男の子は色々と大変なようだ。
「それで、なんでこんなことを?」
「いえその……、ちょっとしたお礼がしたくてですね、とにかくこっちです」
「あっ、ちょっと」
アイナは昶の意見を完全に無視して、その腕をぐいぐいと引っ張って歩き出す。
レナよりも少し大きい手。レナより温度は少し低いようだが、それでも昶の手よりは十分に温かい。
それにいつもと違うシャンプーの香りが、鼻孔をくすぐる。
ここで改めて、昶はレナを身近に感じていたのだと知った。それが常となるほどに。
でもまあ、一番新鮮だったのは、腕を引っ張られてもこけそうにならない点だったり。
「ち、ちょっと! 待ちなさいってば!」
――もぉ、あたしが誘おうとい思ってたのに!
ようやくフリーズ状態から脱出したレナは、小走りでアイナと昶を追って駆け出した。
やって来たのはテラス席だった。
テラス席は食堂の外側から中庭に向かって張り出すようにして設置された場所で、教室一つと半分くらいの広さが確保されている。床材の木の香りと太陽の温かさを感じながら中庭の花壇で満開となっている花々を堪能できるとあって、普段は上級生達でいっぱいとなっている場所の一つだ。
その、いつもならほとんど上級生で埋まっているはずのテラス席であるが、今日はなぜかその約半数が空席となっている。
その中の六人掛けの長テーブルにはすでにシェリーとリンネが腰かけており、大皿に盛られた料理から立ち上る白い湯気と、空腹を増進させる匂いが昶を待ち構えていた。
「おっはよ~」
「…おはょ」
シェリーは食事の手を止めずに、リンネは食事の手を止めて二人に挨拶する。
「お、おはよ」
「おはよう。今日もこっちなのね」
昶と、そしてやや遅れてやって来たレナも二人に挨拶を返した。
「まあね~。ここで朝食なんてめったにないんだから、今の内に堪能しとかないと」
「…味は一緒、なんだけど。気分が」
リンネの言う通り味は変わらないだろうが、こういう場所で食事をとるのも気持ちがいいのも確かだ。
柔らかな陽光も、肌を撫でる風も、共に心地いい。
清潔感に溢れた豪華な食堂にどことなく圧迫感を感じていた昶にとって、この開放感はちょっとした感激を覚えるほどである。
「アキラさんもどうぞ」
と、アイナは昶に促す。
その間にレナは席に着くのだが、よだれを垂らしそうな表情で料理を眺めていた昶はと言えば、
「……俺も!?」
と、昶は地球の時間で五秒ほど遅れて反応を返した。
「はい。みんなアキラさんに助けられたようなものですし。私なんて、すごく危ない所を助けていただいたみたいですから」
「私達からのおごりよ。ありがたく受け取りなさい」
「…これくらいしか、できなくて、申し訳、ないけど」
つまり、あの皿に盛られているのが四人の朝ごはんなのだろう。
シェリーとリンネも、アイナの意見に異存はないようだ。
「でも、ごめん。あんな痛い思いさせちゃって」
「いいえ、おかげで助かったんですから」
「いや、まあ、そうなんだけど。傷も残っちゃうだろうし」
「それでも、ありがとうございます!」
と、アイナは昶の手を取って自分の胸へ押しつける。
すると、
「なぬなあな、なにやってんのよあんたは!」
明らかに、怒りとは別の感情で顔を真っ赤にしたレナが、席を立って昶とアイナの間に割って入った。
いつもなら恐怖の象徴であるレナであるが、この時ばかりは頼もしく見えた。ちょっぴり残念な気がしないでもないが。
「なにって、お礼を言ってただけですけど?」
「お礼するのになんで手なんか握らなきゃならないのよ! そす、それに! む、むむむ……」
「『む』?」
「むむむ、胸に男の子の手を当てるなんて、恥ずかしくないの! 破廉恥だわ!」
つまり、アイナの行為がレナの羞恥心を刺戟したようである。
「ここ最近ずっとあんなだから、ほっといてもいいわよ」
「…もう慣れた」
「あぁ、そうなんだ」
シェリーとリンネの言葉を証明するかのように、昶が横を見るとレナとアイナはすでに口喧嘩をおっぱじめていた。
ちなみに内容であるが……、胸が大きいだの小さいだのぺったんこだのまだ成長途中だの、昶には全く免疫のないようなものである。
あまりのないように、これには昶も赤面した。
「でもまぁ、レナもアイナも、昶に感謝してるってのはホントよ。レナなんて、自分の部屋に連れ込んで付きっきりで看病してたわけだし」
「…私達も。えっと、アキラ、……ありがと」
「だからいいって、そういうの。なんかむず痒い」
口では否定しながらも、昶は内心嬉しかった。誰かに感謝されたり称賛されたりなど、ここ最近ではなかったことだ。
だが、それと同時に思う。もっと上手くできたのではないかと。自分がもっと上手く立ち回っていれば、レナも頭に怪我をせず、アイナも痛い思いをせずに済んだのではないか。
こんなことなら、もっと真面目にしときゃよかったぜとも思った。
しかし、それだとレイゼルピナに来たことを絶対に後悔しただろうとも思う。
俺は、今の俺だから後悔しなかったのかもなと、昶はそう思い直すことにした。
そう考えると、背中に感じていたむずがゆさも心地いいものに変わり、なんだか気分も明るくなったように感じられたのだ。
初めから用意されていたあっちとは違う。ここで手に入れたみんなとの繋がりは、全部自分の力で手に入れたもの。
完全とはいかなくても、自分はそれを守ることができた。
昶は、それがなによりも嬉しかった。
「それじゃ、俺も」
昶は、開いていた身近な席へと腰を下ろす。
眼下に広がるのは、いつもレナ達が食べている朝食より二割増くらいで豪華に見えた。
昶はまず、手近にあるサンドイッチへと手を伸ばす。
クロワッサンの切り込みに、レタスに包まれたポテトサラダがぎっしりとつめこまれている。
一口かじるとレタスのシャキッとした食感を皮きりに、辛すぎず甘すぎず、濃くも薄くもないポテトサラダの味が、口の中いっぱいに染み渡った。
「お前ら本当にずりーよ。滅茶苦茶うまいじゃねえか」
昶はなんかもう、涙までこぼれそうなくらい感動している。
こういっちゃなんだが、いつも昶に食事を作ってくれているエリオットのよりもだいぶおいしい。
「そりゃ、マズいもの出されてるって知ったら、生徒の親になに言われるかわかったもんじゃないからね」
とはシェリーの談である。
レイゼルピナ魔法学院は王立と言うだけあって、国から多額の援助を受けている。
また、生徒の父兄からも、(ピンからキリまであるが)寄付金と言う形でやはり多額の支援を受けている。中には、建物一つ分の金額を出した者までいるとか。
つまり、『それだけの金を払っているのだから、最高のものを用意しろ』というわけである。
「魔法関係ねぇじゃん」
「まあね~。そういうの気にするバカ親がいるのよ。うちのパパとか」
と、シェリーはさらっと自分の父親を罵倒した。
それはあんまりではないか、逆にそのシェリーの父親がものすご~く不憫に思えてくる昶である。
「まあ、気持ちはわからないでもないけどさ。親は大事にしろよ」
「大丈夫。それくらいのことなら、ちゃんとわかってるから」
と、娘に大変嫌われているシェリーの父親の話をしていると、
「アキラさん」
「ん?」
アイナに呼ばれた。喧嘩が終わったのだろうか。
そう思って声のした隣を振り向くと、そこにはなぜかスクランブルエッグをフォークに刺したまま待機する、アイナの姿があった。
「あ~ん、してください」
「ぶぅっ!?」
吹きそうになるのを必死で我慢。その甲斐もあって、アイナに口の中の物を飛ばさずに済んだ。
「はい、あ~~~ん」
と、口を開けるよう催促するように、アイナはフォークを昶の口元まで近付ける。
「ア、アイナサン、ソレハチョット、ハズカシイデス」
「早くしてください、腕が疲れてきちゃいました」
かなり前から待機していたのか、確かにフォークの先がぷるぷると震えていた。
昶は意を決して口を開く。
「あ、あ~……」
「はい」
フォークが口の中に入れられた。
ふわふわのスクランブルエッグは、多分、恐らく、きっとおいしいはず、である。
なぜ『おいしいはず』なのかと言えば、それは昶が、
――恥ずかしすぎて味なんてまったくわからんわ!
な状態だからである。
今も顔から火が出そうなくらい頬が赤く染まっている。
「おいしいですか?」
わからないが、とりあえず首は縦に振ったと、思う。
もう自分がなにをしているのかも、緊張でわけがわかんなくなってるのだ。
「それじゃあ、はい、あ~~~ん」
次に差し出されたのは、ホカホカの湯気を立たせているウィンナー。
茹でたてでさぞおいしいだろう。噛んだ瞬間には、旨味成分のたっぷりつまった肉汁が、口を一杯に満たすはずだ。
味はわからないだろうが。
昶は恥ずかしさで倒れそうなのをなんとか堪え、再び大きく口を開いく。
思った通り、味なんて全くわからなかった。
「あ、ケチャップついてますね。動かないでください」
アイナはテーブルから紙ナプキンを取ると、それを昶の口元にあてがう。
自然、昶の視界いっぱいにアイナの顔が映り込む結果となり、昶は顔がカッと熱くなり心臓が激しく鼓動するのを感じた。
昶ほどではないにしろ、アイナも羞恥から自身の頬を薄い桃色に染め上げるが、それ以上にそのシチュエーションを楽しんでいるようである。
ガキンッ!
純銀製のフォークが、激しく小皿に突き立てられた。
ガラスを爪でひっかいたほどではないにしろ、妙に耳障りな音に昶は我に返る。
こんな時、鋭い感覚というのは実に嫌なものだ。
言うまでもないと思うが、昶を挟んでアイナと反対側に座る少女と言えば、もうわかるであろう。
怒りと言うよりも、怨念に近いなにかを感じる。
「レ、レナ、様?」
昶が青ざめた表情で振り返ると、そこにはどす黒い紫の背景がピッタリ似合いそうなレナの姿が。
全身から滲み出る気配は、可視光線さえもねじ曲げそうな気がした。
「あんたねぇ、ちょ~っと女の子に優しくされたからって、調子に乗ってんじゃないわょ」
「いや、調子には乗ってな…」
「はい、アキラさん。あ~~~ん」
片方からレナの怒号が聞こえたと思えば、反対側からアイナの鈴を鳴らしたような可愛らしい声が。
なんなんだろう、この微妙な板挟みは。
「ちょっとアイナ! 人のサーヴァントに餌やらないで!」
「レナさんには関係ないじゃないですか!」
「アキラは、あたしのサーヴァントなの。主には、サーヴァントを管理する義務があるの!」
「管理なんて言い方あんまりです! アキラさんは私達と同じ人間なんですから!」
「じゃあ手ぇ、出さないでよ!」
「嫌です! 少しはお返しをしたいんです! 私、アキラさんの肩に思いっきり噛みついちゃったんですから、せめてその分くらい!」
そう言われると、さすがの怒り状態(理由は不明だが)のレナも言葉につまってしまった。
そういえば、そのことをすっかり忘れていたが、実は血の力のおかげで今では痛みも全くなく、傷跡も完全にわからなくなっている。
「い、いいわよそんなの! あたしがいいって言ってるからいいの!」
「嫌です! その前に、レナさんは関係ないじゃないですか!」
「だから、あたしはコイツの主で……」
と、レナとアイナは本日二回目の不毛な口喧嘩を繰り広げるのだが、その渦中の中心にいるはず昶は完全に蚊帳の外へと追いやられていた。
今はとにかく、耳栓が欲しい、誰か貸してくれ、な気分である。
「シェリー、助けてくれ」
「あれ~、人にものを頼む時はもっと丁寧な言葉を使わなきゃいけないんじゃないのかな?」
とか意地悪いことを言いながら、上唇をぺロリ。
なんかちょっとエロいんだが、無性に腹が立つ。
昶は眉間にしわを寄せて、嘲笑っぽい笑いをシェリーに向けながら、
「えっと、シェリーさん、お願いだから助けてください」
できるだけ丁寧な口調で助けを請った。
「残念、面白いからこのまま見ることにするわ」
「ひでぇ。……ん?」
と、レナとアイナの板挟みで、撃沈寸前まで追いやられていた昶の感覚が、なにかを捉えた。
日焼けのような、肌をチリチリと焼くこの感覚は、
「火精霊か?」
「ほんと、アキラってばよくわかるわねぇ、鋭すぎ。火精霊ってことは、セイン?」
「多分、この感じは」
昶のようにこれらの感覚に非常に優れた者は、人の魔力同様に精霊素の質の微妙な違いから個体を判別できる。もっとも、昶の場合個人や個体が判別できるのは、よく見知った人間だけだったりする。
その感覚から推測するに、確かに質的にはセインのような気がするのだが、規模が……。
「ただいま戻りまちた、主」
「お帰り~、セイ…………ン?」
シェリーは声のした後ろの方を振り返ってみるのだが、そこには誰もいない。
「もっと下でしゅ、主」
シェリーは声に従って、視線を斜め上から水平にまで下ろす。するとそこには、リンネよりももっと小さい女の子がちょこんと立ち尽くしていた。
イスの背もたれの影に入っていたようだ。
身長は一一〇センチなんとかあるかどうか、髪は短くボーイッシュなイメージを受ける。目は大きくきりっとしていて、なんとなく無愛想に感じられる。服装はセインの着ていたものをそのまま縮小した感じだが、ロングブーツがショートブーツに変わっていた。
「えっと、セイン、よね?」
「はい、主」
しかも変化はそれだけにとどまらず、口調が舌っ足らずになっている。声も高くなっていて、まるで子犬のように可愛らしい。イヌミミでもつけたら、さぞ似合うであろう。
「元にょ姿を維持しゅりゅには、火精霊の量が足りにゃかったのれ、器を縮小したのれしゅが」
「思ったより、小さくなっちゃったわけだ」
と、シェリーの質問に、小さくなったセインはこくりと頷く。
以前は様になっていた仕草だが、今のセインがやると小さな子供が無理をして大人の真似をしているようにしか見えず、無性に愛らしく見えてしまう。
それでも一応は格好になっているあたり、精神面まで幼くなっているわけではないようだ。
「それで、元の姿に戻るには、どれくらいかかりそうなの?」
「それなんでしゅが、半年はかかりゅと思いましゅ。火山地帯れも、一ヶ月はかかるかと」
「そ、そんなにっ!?」
シェリーが驚くのも無理はない。
火山地帯は、火精霊が最も多く存在する場所である。
どういう理由なのかは全くの不明なのだが、存在場所こそ偏っているが四つの精霊素の存在比はなぜか等しいらしい。
これは、レイゼルピナで使用されている魔法の論理を完成させ、俗に最初の魔法使いとも呼ばれる『マグス=パピルス』の残した文献に記載されていることらしい。今日でも多くのマグスに信じられている。
つまり、火精霊の精霊素は他の三つに比べて異様な密度で存在しているのだ。
火精霊と風精霊を比べれば分かると思うが、風精霊は大気のある場所、つまり世界中のどこにでも存在する。その風精霊と量こそは等しいが、火精霊の存在場所には恐ろしく偏りがある。
つまり一ヶ所あたりの存在量が、言ってしまえば『バカみたいに多い』のである。
「れしゅので、しょの、主にお願いがあるのでしゅが」
「なに?」
「えっと、主から、常時魔力供給を受きぇようかと。しょうしゅりぇば、魔力で火精霊を集めて、器の修正ができましゅので」
言葉を上手く話せないのがよほど恥ずかしいのか、会話中の間にだんだんと頬に赤味が刺してきた。
以前までなら、決して見ることは叶わなかっただろう。昶は切りっぱなしだった携帯電話の電源を入れ、そんなセインの微笑ましい姿をメモリに記録したのだった。
携帯電話のことでシェリーに色々聞かれたが、そこは気にするなで突き通した。なにせシェリーの興味は、昶の掌にある道具ではなく小さくなったセインにあるのだから、はぐらかすのは思いのほか簡単だった。
それにしても、放っておけば生命とは別の意味でセインに危険が迫りそうである。
現に……、
「セイン~、こっちこっち」
「にゃんれしょうか?」
怪しい気配をバンバン漂わせるシェリーが、セインを手招きする。
セインはその目つきがいつもと違うのに気付かず、不用意に接近したのが仇となった。
「それっ!!」
「マ、主!?」
「う~~~ん、可愛い~~~」
「や、やめてくだしゃい!」
シェリーはセインをしっかりと抱きすくめ、その頬に自らの頬をすりつける。
見た目と同様、いやそれ以上にぷにぷにとした心地よい感触が、シェリーの心をいっぱいに満たした。
恐らくこのまま放っておけば、セインは一日中シェリーから頬ずりを受けるだろう。そのことを察してか、セインは必死になって昶に視線を注ぎ込んだ。
理由は簡単、レナとアイナはいまだ互いを罵り合っておりセインの存在にすら気付いていないからである。
「…………くくっ、す、すいませっ……ぷ」
昶は口元を右手で押さえてうつむいた。
目元はにやついており、肩をなわなわと震わせている。よく見れば反対の手は腹部に当てられており、笑いがこぼれるのを必死になって堪えているのがわかった。
見た目が非常に幼くなったこともあいまって、困っている姿が凶器と言っても過言でないほど可愛い。
昶としても、こればっかりは『助ける』より『堪能する』方に軍配が上がった。心の中でそっと謝ると、シェリーの腕の中に抱きすくめられているセインに生温かい視線を送るのだった。
昶の意図を察したのか、セインの表情がどんどんと青ざめていく。それはもうわかりやすいくらいに。Sっ気は持ち合わせていないはずだが、これは本当に癖になりそうな昶だった。
そんなこんなで最後の希望が完膚なきまでに打ち砕かれたセインであったが、助け舟はしっかりと用意されていたようである。
「…シェリー、それくらいに、しといた、方が」
「ん? まあそうね」
と、リンネの一言であっさり解放されたのだ。
セインは、救いの主には喜びで泣いてしまいそうな視線を向ける一方で、昶には絶対零度よりも冷たそうな視線を向ける。
背景に吹雪の吹き荒れる雪山でも持ってくれば、さぞ似合うであろう。
「ちょっと、そっちの二人もいつまでやってんの?」
「アイナがあたしのサーヴァントに、ちょっかいだすから!」
「私はアキラさんにお礼がしたいだけなんですから、いいじゃないですか!」
このままでは、いつまで経っても終わりそうにない。
すでに昶は気にした風ではないが、あまり騒がしいと周りのみんなにも迷惑だろう。
「その辺にしときなさい。いい加減うるさいわよ」
「でもアイナが!」
「レナさんこそ!」
「いいから……」
いい加減にしなさい騒々しいのよ、と言いたいのが気配だけでよくわかった。
なぜなら、満点の笑顔なはずなのに、滲み出ているオーラがなぜか黒いのだから。
しかも純銀製のフォークが、シェリーの握力でおかしな風に変形してしまっている。
それにビビった二人はピタリと口を閉じた。上手いやり方だなと思う一方でその辺の感覚の鋭い昶は、女の子は怒らせるものではないということを再認識したのだった。
「「は、はぃ。わかりました」」
そんなシェリーを相手にするほど、レナもアイナも無謀ではなかった。口ならまだしも秘術――肉体強化――を発動時のシェリーに、腕力でかなうクラスメイトがはたしているかどうか。
さっきまでの喧騒はどこえやら、二人とも静かに目の前の料理を食べ始める。まあ、『静かに』と言うよりは『おびえながら』と言った方が正しいのだが。
「それで、みんなこの後は予定とかあるの?」
シェリーは大皿に盛られたサイコロステーキを、取り替えたフォークで突き刺して口へと運ぶ。
「特にないわよ」
「同じです」
「…私も」
「三人ともなしか。それなら、この後遊びに行かない? セインもいるし、アキラは行ったことないだろうし」
「ちょっと待て」
レナ、アイナ、リンネの意見をまとめたシェリーが提案したのだが、それに昶が意見を提示した。
「遊びにって、授業はどうしたんだよ?」
「あんた、もう昼前よ? それに、しばらくの間は休校で授業もないわ」
「……え?」
と、驚きに目を丸くする昶。レナに言われて昶が空を仰ぎ見ると、日はすでに頂点近くにまで達していた。
なるほど、いつもは上級生で埋まっているテラス席が開いていたのは、そう言うことか。
「休校の理由は、やっぱしあれか?」
「そう、『シュバルツグローブにおける、一連の騒動の調査』。どうも、フラメルの死体が百体近く出てきたって、さっき先輩達が話してたわ」
「あと、闇精霊の攻撃痕と思われる傷が見つかったとも、言ってたわね。しかも、複数人」
順にレナとシェリーが見聞いた話を口にした。
つまり、闇精霊を扱うマグスが他――“ツーマ”以外――にもいるということだ。王国の機密に指定されるほどの、危険な魔法を。
「理由はどうでもいいの。せっかくの休みなんだから、外でパーッと遊びましょうよ。私も、買いたい物があるし」
「シェ、シェリーさんの、買いたいものって?」
アイナは未だ怯えているのか、声が震えている。トラウマにならなければいいのだが。
「こいつよ」
シェリーは背中に背負っている、常人では扱いきれないような巨大な剣へと手を伸ばした。
鞘の側面部がガチャリと開き、その細腕で軽々と持ち上げる。
まずはリンネが、続いてレナとアイナも片付いた食器を下げ、または料理の乗っている皿を移動させてスペースを作る。
と、そこへシェリーの発動体――ツーハンデッドソード――が、ガシャンと投げ置かれた。
乱暴におかれたそれはテーブルの上で一旦バウンドし、乾いた音を立ててから停止する。
三キロにも達する重量に耐えかねたテーブルも一緒になって揺れたが、壊れなくてなによりだ。恐らく厨房の隣にあるボロテーブルならば、焼却処分は免れなかったであろう。
「ほら見て、あの時は気付かなかったんだけど、帰ってから確かめてみたら刃こぼれがこんなに。しかも、杖の部分も変形してる。“硬化の術”が施されてるはずなのに」
昶の心に、グサリとなにかの刺さる音がした。心当たりがありすぎる。
『硬化の術』というのは、物体の強度を上げる術のことである。この術を施された物は、よほどのことがない限り壊れたりはしない。
シェリーの剣のような最上位クラスの“硬化”が施された大剣ならば、例えハンマーで殴られても無傷であるはずなのだが。その刃は、もはやなにも切れなさそうだ。
「わ、わりぃ。俺のせいで」
現在の昶に引き出せる血の力でさえ、すでに五行による肉体強化をはるかに上回る。
その人外な腕力(肉体強化を施した者も含めて)から放たれた一撃は、どうやら剣に施された硬化の限界を超えてしまったらしい。
「いいのいいの、別に気にしてないから。あそこでアキラが来なかったら、今ここにいたかどうか、ってね。あと、私とリンネは飛行用の杖も新調しないと」
シェリーは墜落時に、リンネはフラメルと衝突した時に、それぞれ自分の杖を折ってしまっている。
シェリーの剣も含めて、一度買い出しに出た方がいいのも事実だろう。
リンネもコクリと頷く。
「じゃあ、私ちょっと支度してくるから」
シェリーは席を立つと、食堂の方から出て行った。セインも一礼してそれに続く。
「…私も」
リンネは食事中も片手で読んでいた本を閉じると、シェリーと同じように出て行った。
テラス席には自然とレナ、アイナ、そして昶の三人が取り残される。
二人の視線が、昶を挟んでバチバチと火花を散らした。若干、さっきよりも険悪になっているような気がするが、見なかったことにしておこう。と、昶は思うことにした。
「……アキラ」
と、突然レナに名前を呼ばれた。
「は、はい。なんでございましょうか」
……もうすっかり、平身低頭が板に付いてしまったようである。
「行くわよ」
「は、はイ!」
緊張しすぎて声が裏返ってしまったが、それも仕方のないことだろう。
――怒った女の子はものすごく怖いのだ。
レナは昶を伴ったまま、部屋へと帰った。
一人になったアイナも、腹いせに残りの料理をたいらげてから、外出の準備をすべく自室へと向かった。