第五話 黒衣の者 Act05:真の力
ある意味で、セインの動きはこれまでのそれを大きく逸脱していた。まるで、血の力を行使した昶のように。
シェリーからの魔力供給を受けたセインの力は、カトルの時のそれとは全く比べものにならないものであった。
大気中にはほぼ存在しない火精霊を、シェリーの魔力を使って数キロ四方から強引にかき集めたのである。
「はあ!」
拳が突き出された。
当たりはしなかったが、少年の代わりそれを喰らった巨木は衝撃に耐えきれずへし折れる。
しかも続けざまに、集めた火精霊の一部を炎に変換し、散弾銃のようにばらまいた。
だが、少年はそれさえもかわしてみせる。
いや、よく見ればローブの一部が炎の散弾を弾いていた。
あのローブ、相当防御力が高いようだ。
「さすが、“紅き殲滅者”さんだ。やッぱり、普通の上位階層とは比べものにならなイヤ」
「黙れ!」
普段のセインからは考えられない、乱暴な言葉が発せられた。
居合いのように、剣を抜き放つ動作で腕を腰から振り抜く。
指の先端から吐き出された灼熱の光線は、漆黒のローブをかすめて背後にあった木を上下に両断する。
「おッと、怖い怖い。そんなものが当たッタら、このローブでも防ぎきれないからネ」
少年は軽口を叩きながら、光線からセインへと視線を戻す。しかし、そこにセインの姿はなかった。
「そうですか、それなら……」
と、なんの前触れもなく、少年の後ろにセインが出現する。タネは至極簡単、一旦物質化を解いて肉体を火精霊に変換し、少年の背後で再び物質化しただけのこと。
だが、物質化はするのも解くのにも多量の精霊素を消費する。そのため、通常では例え任意であったとしても安易に物質化を解いたり、また物質化したりはしないのだ。
それを戦闘に利用可能なレベルで行えるセインは、上位階層の中でも一線を画していると言えるだろう。
「こんなのは、いかがでしょうか?」
人の腕力をはるかに上回る拳が、少年を背後から襲った。
大砲で撃ち出された砲弾の如く、少年の身体が進路上の木々を次々と貫通して地面に突き刺さる。
視界を覆わんばかりの土煙が、その威力を十二分に物語っていた。
「これで……、終わりにします」
セインは静かに、しかし荒々しいまでの殺気を放ちながらその手に火精霊を牽引する。
密集した火精霊は灼熱の炎となって顕現し、触れてもいない周囲の木々を根こそぎ燃え上がらせる。
セインはキッと少年の突き刺さる地面に目をやった。
「これで、チェックメイトです」
更に密度を上げた火精霊を灼熱に変えて、少年が突き刺さった辺りへ掃射する。
爆音すら燃やし尽くすような、とんでもない火力である。
人間はおろかあの火力の前には、火耐性の高い竜種ですら耐えられるかどうか怪しい。
進路上の木々を蒸発させ、着弾地点の地面を灼熱色に溶解させる。
まるで火山の全熱量をこの場に持ってきたかのようだ。
それはまさに、自然の猛威そのもの。
上位階層、それ即ち、天災にも匹敵する力を持つ精霊を指すのだ。
「…………」
セインは昶達の方を見やった。腕の中には、ぐったりとしたアイナの姿がある。
どうやら必要な処置は済んだようで、なによりだ。
セインはほんの少しだけ微笑みを浮かべながら、ゆっくりと降下していった。
「お~~~~~~い!」
「わり~~、遅れちまったぜ!」
ミシェルとカトルの声だ。あっちもあっちで、大変だったのだろう。
服のあちこちに血が滲んでおり、カトルは器を保つのにも苦労しているようだ。
あの様子だと、あの気を失っていたフラメルでも倒したのかもしれない。
「名前、ミシェルだったっけ? アイナのこれ、頼めるか?」
「ど、どうなってるんだいったい!?」
昶はミシェルにも説明した。闇精霊の特殊性と、それの対処法を。
そしてそれが解決したので、傷を塞いで欲しいと。
「…レナの治療、終わっ、た」
ずっとレナにかかりっきりだったリンネは、その場にぺたんと座り込む。
玉のような汗が額や頬をコロコロと転がり、首を伝って制服の中へと流れ込んだ。
「ありがと」
「…アキラの、肩も。やろうか?」
「ん? あぁ、いいよ。疲れてるだろ」
リンネに言われてから、昶はようやく気付いた。
そういえばすっかり忘れていたが、アイナに左肩を噛まれていたのだった。
──麻酔もなしで、死ぬほど痛かったろう。よく頑張ったな。
昶はアイナの頭をそっと撫でた。
「なーんだ、つまんなイな。ダルク・スナーキ・エアティグ、全を喰らいて無へと帰せ」
突如、セインの身体が跳ねた。
向かってくる攻撃に向けて、力の全てを注ぎ込む。
鉄をも蒸発させる摂氏三〇〇〇度を超える炎が、真っ向からそれを迎え撃った。
が、黒い雷はそれを喰い破り、セインの右腕に喰らいついたのである。
「くっ!?」
即座に闇精霊の侵蝕が始まった。乾いた布に水が染み込むように、闇精霊が火精霊を侵し始める。
このままでは数秒足らずで、セインの全身が闇精霊によって蝕まれてしまう。
「ぐぁあああああああ!!」
が、セインは直後、驚くべき行動に出た。
侵蝕された火精霊を正常な部分から分離したのである。
端的に言えば、侵蝕された腕を肩口から引きちぎったのだ。
断面、つまりは器の破損部から、火精霊がパラパラと散っていく。
「へー、そんなコトまでできるンダ。まァ、普通の精霊には無理だよネ。だッて、人間が生きたまま腕をもがれるのと同じ痛みなんだからサ」
と、少年は無造作に大鎌を振り抜いた。
鎌の切り裂いた空間から飛び出した黒い雷は、全てを焼き尽くさんと雪崩の如く迫りくる。
セインはぐぅに握った左手の人差し指と中指を立てて、詠唱を開始した。
「フィーレ・セト・ハスタ・アチェス! 其の力以ちて、我に仇成す者を打ち払え!」
セインは左手に、ありったけの火精霊が集める。
自身を構成する過半数の火精霊と、昶達の体温も少しずつ。そして、シェリーの身体に満ちる魔力の九割以上。
それを指先のたった一点に集中させ、目の前の少年に向けて解き放った。
極太のビームのように伸びた光条は黒い雷を薙払い、少年の脇をかすめ、シュバルツグローブの森を十数キロにわたって真っ二つに引き裂く。
暗黒に包まれた森は炎の赤で染め上げられ、一瞬にして熔岩の運河ができあがった。
「逃げます」
セインは飛行力場を発生させシェリー達を浮かせると、学院の方向に向かって一気に加速する。
意識のないレナとアイナ、杖のないシェリーとリンネはセインの飛行力場によって。昶とカトルは大地を駆け、ミシェルはレナとアイナの杖を持ってセインに併走する。
シェリーは魔力の生成に集中し、絶えずセインへの魔力供給を行っている。
右腕の損壊と先ほどの術の影響で、セインを構成する火精霊は、常時の三割近くにまで減少していた。
シェリーの魔力供給が断たれれば、いつ墜落してもおかしくない状態である。
セインは木々の間を縫いながら、しかしスピードを緩めることなく突き進む。
「セイン、大丈夫なのかよ。それ?」
昶はセインの気配を確認するも、その状態は芳しいものではなかった。
「見ての通り、器の維持で精一杯です。主からの魔力がなければ、すぐにでも落ちるでしょう」
「あいつは?」
「まだ生きてます。あのローブが本物なら、間違いなく」
昶は周囲を見回した。
レナとアイナは気を失っている。
リンネは攻撃には向いていないし、シェリーは魔力の生成で手が回らない。
カトルは精神力の限界で、ミシェルも似たようなものか。
やはり、やるしかないようだ。
壊すための力だが、ここで使わなければ、絶対に後悔するだろう。
大丈夫だ。さっきだって、この血の力でレナを助けられたのだから。
「俺が行く」
昶は、自らの決意を口にした。
「無茶です! あのマグスには、常識が通用しません。失礼ですが、貴方がいくらあがいても…」
「残念ながら、俺も似たようなもんだからな、あいつと」
セインの言葉を、昶は強引に止める。
だが意味のわからないセインは、ただ眉をひそめるばかりだ。
それはそうだろう。
セインは昶の持つ、本来の力を知らないのだから。
ついさっき見せたのも、その力のほんの片鱗でしかないということも。
「それじゃ、後は任せた」
昶は歩みを止めた。
カトルとミシェル、そしてシェリーとリンネの声がゆっくりと遠くなっていく。
なにも言わなくても、主を最優先するセインのことだ。止まりはしなかっただろう。
「さて……。それじゃこっちも、本気で行かせてもらおうか」
昶は決意を胸に、来た道を折り返した。
再会するのに、さほど時間はかからなかった。どうやら、相手もこっちらに向かっていたようである。
「あれ、“紅き殲滅者”さんはいないのかナ? 本当に君だけナの?」
「そうだよ、わりぃか」
「だッて、どう見たッて君、人間でショ? 上位階層の精霊とまともりヤりあッたボクを、本気でどうにかできると思ッてるの?」
「思ってたらどうなんだよ?」
昶はゆっくりと身体を慣らしていくように、血の力を解放する。
まるで、身体の内部が組み代わっていくようだ。
寸断されていた回路が合流し、制御できるかどうかもわからない力の奔流が、経絡系を暴れまわる。
こんなバカみたいな量の霊力、本当に扱えるのだろうか。
なにか黒いもやのかかり始めた思考で、昶はふとそんなことを思った。
だが、それに勝る思いが、今の昶にはある。
なにがなんでも守りたい。
勝ち気なシェリーも、
気の弱いリンネも、
お調子者のミシェルも、
ぶっきらぼうなセインも、
お茶目が過ぎるカトルも、
そして、
「……レナ」
乱暴でわがままで、すぐ人を罵倒して、照れると杖で殴って、でもとても優しくて、気高くて、可愛い、自分の主も。
絶対に、みんなを守り抜く。
昶は覚悟を決めて、宙に浮かぶ少年を見すえた。
「ん? なんか言ッた?」
変声期を過ぎたばかりの、まだあどけなさを残す声で少年はたずねる。
「あぁ、言ったさ。今からお前を、ぶっとばすってな」
と、突然少年の気配が変わった。昶の言葉が勘に障ったのだろう。
「……ボク、笑えない冗談は好きじゃないんだよネ!」
なんの前触れもなく、少年の身体が動いた。
一瞬にして地上スレスレまで降下すると、昶の足下を特大の鎌が通り過ぎる。
昶はそれを見切り、大きく後方へジャンプした。血の力を解放した筋力は絶大で、昶はそのまま地上から五メートルほどの位置にある巨大な木の幹へと着地する。
「あれ、運動能力はけっこうアルみたいだネ。少しは楽しませてくれヨ!」
少年は大鎌の先端を昶に向けると、そこに闇精霊を集め始める。だが、規模はフラメルに放ったものよりも格段に劣っていた。
昶は自身の身体を叱咤する。もっと速く、もっと鋭く、全感覚を研ぎ澄ませろ、と。
巨木の幹に立ったままの身体を、半身だけずらして黒い雷をかわす。昶は少年をキッとにらむと、そこへ向かって大きく跳躍した。
反動で木の幹が大きく陥没し、昶は一瞬にして少年に詰め寄る。
そして、腰の得物に手をかけた。
直後、昶の心を塗りつぶすかのようにどす黒い負の思念が流れ込んでくるが、それを精神力でねじ伏せ一気に抜き放つ。
絶大な切れ味を誇る妖刀──村正が、ついにその姿を現した。
「舐めるなよ」
気合い一閃、すでに十分すぎる速度を持った切っ先が、少年の首筋を狙って振り抜かれる。
「っぐ!?」
鎌の柄で一撃を防いだものの、そのでたらめな運動エネルギーは少年を下方へと突き飛ばした。
地上付近でなんとか停止したものの、足下には発生させた飛行力場の影響で巨大なクレーターが築かれる。
「コイツ!」
少年はホバーリング状態のまま、大鎌を横に振るった。
横一列に生み出された黒い雷は、空中にいる昶ごと周囲の空間を根こそぎ破壊する。
だが、
「舐めるなって、言っただろうが!」
黒い雷を切り裂いた村正は、ぼぅっと輝く淡い光をまとっていた。
昶は空中に白い残光を引きながら、その手の武器で少年に斬りかかる。
「おっと、残念、おしい」
しかし、その一撃は虚しく空を切った。
昶は少年の作ったクレーターに落ち、爆発にも似た土煙を巻き上げる。
だが、本命はそちらではない。
突如、少年の頭でも爆発が起こったのである。
昶はその音を頼りに、相手の姿が全く見えない中飛び出した。
血の力によって強化された身体は、弾丸にも似た速度で少年を射止める。
「はあぁぁあああああああ!」
キーーーーーン!!!!
刃物と刃物がぶつかり、瞬間的に大量の火花が飛び散った。
爆煙の中から、大鎌の柄で村正の一撃を受け止めた少年の姿が現れる。
「なるほど、君が二人目だったのか。さっきのも、紙でできた使い魔だね?」
昶は村正を力いっぱい押し込み、その反動で巨木の枝へと着地した。
「ただの式神だよ。使い魔なんてたいそうなもんじゃねぇって」
そう。レナ達の正確な位置を知るために放った、一体の式神。
昶はそれを呼び寄せ、直上から少年めがけて飛ばしたのである。
「そうカナ? さッきの“紅き殲滅者”さん共々、貴重なローブを壊してくれちャッテさ。小国一つ滅ぼシて手に入れたのに、もウ使い物にならないャ」
セインの攻撃で、少年のローブは右側の胸から下が完全に消し飛んでいた。
そして、先の式神の自爆でフードの部分も消失している。残っているのは胸の部分と、わきより下の左半分だけだ。
明らかに致死量のダメージを防いだだけでも、かなりの防御力があったと言えるだろう。
「物理防御には難があッたからネ。やられたョ」
少年は柔和な笑みを浮かべると、大鎌の刃に闇精霊を集め始める。
銀色に煌めいていた大きな刃は、夜よりも暗い闇へと変貌を遂げた。
「ちョットだけ、本気でやッてあげるヨ!」
「それは、こっちの台詞だ!」
昶も村正に力を込める。
と、昶の霊力に反応して、村正の表面を青白い光がぱちぱちと撫でた。
「へー、君もマグスなんだ。それは発動体カい?」
「ただの呪われた刀だよ」
斬れ味に関して様々な逸話を残す村正。特に有名なものに、“その斬れ味が安定しない”、というものがある。
「村正ってんだ」
そしてそれは、逸話ではない。“持ち主の霊力を斬れ味や物理現象に変換する”。それが村正の有する特性だからである。
村正は、昶の霊力の木行に反応したらしい。刃を覆う雷光が、なによりの証拠だ。
それは木行は昶の修得している術の中でも、最も強力な術の属性である。
「あぁ、そウかい」
空中に佇む少年は、いきなりトップスピードで昶へと躍りかかった。
「それと、俺は魔法使いじゃねえ。魔術師だよ」
昶も太い枝を蹴って少年に斬りかかる。
空中で白と黒の雷が激突し、互いを喰い合って暴れ出る。
昶は下に進路を変え、少年は上へと舞い上がった。
「ダルク・スンデ・トリーデン、射抜け、黒き閃光!」
十字に振るった大鎌の軌跡に沿って、空間が割れる。
そこから黒い雷光で塗り固められた三つ叉の槍が出現し、昶に向かって降下した。
「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ!!」
対する昶は村正の先端を少年に向けたまま脇の下まで引き、記憶の片隅から真言を掘り起こす。
真言を唱えるにつれて村正から放たれる雷光は爆発的に膨れ上がり、あたかも昼間のような光量をぶちまけた。
昶が唱えたのは、密教における帝釈天を奉る言葉。それはインド神話における雷神を奉る言葉である。
昶は引き絞った村正を、宙に浮かぶ少年に向かって突き出す。
黒い雷と白い雷が交錯した。
衝突の余波で黒と白の雷撃が飛び散り、森の木々を燃やし、大地を穿ち、周囲一帯を焦土へと変換する。
莫大な量の雷が拮抗し、そしてついに昶の雷が闇精霊の侵蝕を内側からはねのけたのだ。
雷神の権能を借り受けた力は、やはり伊達ではなかった。
「なに!?」
「歳星の加護、太白の矛戈、汝は我が怨敵を滅する息吹也。雷華、参ノ陣──魁!」
黒い雷の消失と同時に、昶は素早く身をひねる。
詠唱と同時に宙を漂う雷の残滓が村正に集まり、一つの形へと収束した。
昶はその場で一回転すると、その勢いのまま村正を跳ね上げる。
上下逆さまになって迸る雷は、まるで刃のように広がって少年へと襲いかかった。
「ちっ」
大技の直後で、先ほどまでのような激しい移動はできない。
少年は闇精霊を刃に集め、真っ向から立ち向かう。
「はあッ!」
大鎌の切っ先を、下から迫り来る巨大な雷の刃に喰い込ませた。
まるで質量を持っているかの如く押し寄せる雷の怒涛は、闇精霊の侵蝕を完全に無視し、その大鎌を打ち砕かんと殺到する。
少年は攻撃を切り裂くのを断念し、流れに沿って後退。流れに巻き込まれそうになりながらも、なんとか脱出に成功した。
と、牽制とばかりに黒い雷を乱射した次の瞬間には、はるか下方の大地まで一気に駆け下りる。
昶は迫る黒い雷を次々と切り伏せ、一旦は弱まっていた村正を纏う雷光も昶の霊力を貪欲に吸収することで再び激しい雷光を取り戻す。
日本刀と大鎌が、四度目の激突を迎えた。
耳に残る甲高い金属音が、耳の置くにジーンと残る。
「驚いたョ、こんなに力のあるマグス、王国内でモそうそういるもんジャない」
「話はそれだけかよっ!」
昶は大鎌をはじき、身をかがめて体当たりを喰らわせた。
しかし向こうも自ら後方に飛んで、威力を半減させる。
キンッ! キンッ! キーーンッ!
間をおかずして、幾度となく刃が交わされた。
その度に大量の火花が飛び散り、雷光が大地をはねる。
それはまさしく人間の腕力と速度を逸脱した、文字通り人外の戦いだ。
「それだけじャなィ。その発動体はなンだい? 剣そのものからもバカみたいに気配が漏れてるし」
「こいつは発動体じゃないつってんだろ。村正だ。お前、記憶力わりぃんだな!」
少年は上空へと舞い上がり、再び黒雷を乱射した。
「はぁああああああ!」
昶は木の陰に回り込みながら黒い雷をかわすと同時に、巨木の上まで駆け上がり少年の後頭部の延長線上から切りかかった。
だが、少年は鎌だけを後ろに回し、刃とは反対の方向でこれを受け止める。
「やるねェ」
一センチほど沈み込んだ所で刃が止まった。昶は大鎌をけって、巨木の幹へと着地する。
「だッたら、こんなのはどうかなァ?」
少年は振り向きながら大鎌を振り回した。放射状に広がった幾条もの黒い雷が昶を襲う。
「雷華、壱の陣──閃!」
負けじと昶も詠唱を口にし、村正を横に薙ぐ。
轟音を発しながら同じく放射状に放たれた雷は、肉薄する黒い雷をことごとく相殺した。
「まッたく、君はどこまでも恐ろしい人だネ。テネブル・ブレル・モース、狂いし精霊の加護以ちて、万物を喰らえ」
突き出した柄の先端に魔法陣が現れ、黒い雷が広大な壁のようになって押し寄せる。
「お前が言うなよ。雷華、弐ノ陣──旋!」
詠唱を繋いで短縮させ、身体の前面で村正を一回転させる。
すると雷が円形に広がって壁となり、押し寄せる黒い雷を弾き飛ばした。
反対に大地は闇精霊に蝕まれ、いくつもの穴が穿たれる。
「動きに無駄が多すぎるノに、このボクと対等に渡り合ッている。それに、この攻撃を受けたッて、全くの無傷。あの精霊だって、こうはいかなイ。君が瞬間的に扱エる力の総量は、“紅き殲滅者”さんよりも上なんじャないかな? これで恐ろしい人じゃなかッたら、どうなるの?」
「さあな。オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ」
昶は印を結び、韋駄天の真言を唱える。それは足の速さで有名な神格である。
「おぉ、今度はどンな手品を見せてくれるンだい?」
「こんな感じだ」
まばたきをしている間に、昶は宙に浮く少年の背後を取っていた。
少年の目に映らない速度のまま、巨木をけって移動したのである。
「覚えとけ。こいつは密教の術だよ!」
「くっ!」
何十度目かの刃が交わされた。
妖刀としての格式高い村正に変化は見られないが、つきつめれば量産品にすぎない大鎌は所々ボロボロになっている。
「まだ、そんな隠し玉があったなんテネ。でも、これで終わりダよ。ダルク・スナーキ・エアティグ、全を喰らいて無へと帰せ!」
セインの攻撃を喰らい尽くした黒い雷の一撃が、昶に向かって放たれた。
空中を漂う昶に、逃げ道はない。昶は村正で斬りかかるも、黒い雷に呑み込まれ、巨木に突き刺さり、貫通する。
二、三本の巨木を貫通した所で、黒い雷はようやく止まった。そして、それによって穿たれた穴の中に、昶の姿はなかった。
「本当なら、もう少し楽しみたかったンだけど、これでも忙しい身でネ。残念だョ、君みたいな優秀なマグスを、殺さなきャいけないなんて」
「そうかい、それならよかったな」
「……な!?」
逃げられないよう空中で攻撃を仕掛けたはずなのに、どうして。
驚きのあまり、少年は今度こそ反応できなかった。
「消えてなくなれぇぇええええええええええええ!!」
昶はありったけの力を込めて、村正を振るった。
先ほど付けた深さ一センチの傷を正確に捉え、鎌の刃を真っ二つに切り裂く。
発動体を失った少年は、頭から地上に向かってダイブした。
しかし、もう一つ発動体を持っていたのか、地上スレスレでなんとか力場を発生させて着陸する。
だが勢いは完全に殺しきれず、地上を何回か跳ねた後、右肩を押さえて立ち上がった。
「あぐぅ……。最後のは、どんなネタだったンだい?」
「自分の攻撃した跡、よく見てみろよ」
本来なら死んでもおかしくない高さから、昶は難なく着地する。
血の力によって強化された肉体のお陰だ。
「……なるほど使い魔、じゃなくて“シキガミ”だったネ。身代わり、ッてわけだ」
木に開いた穴の中には、よく見れば確かに一枚の紙が確認できた。
それは、昶がレナ達の正確な位置を探すに式神を放った後、血文字で追加の術式を組み込んだ護符である。
懐に忍ばせていたそれが、効力を発揮したのだ。
「代わり身の術式と、あとは目くらましの爆煙をな。まぁ、どうやったかはわかんねぇだろうが」
「まあネ。はっきり言ッて、君がどんな系統の魔法を使っていルノか、皆目見当もつかないョ。明らかに、ボク達の知ッている魔法じゃないしネ」
昶は再度、村正に霊力を流し込む。
青白い閃光が刀身の表面を這い回り、バチバチと火花を散らした。
「名前を聞かせてくれなイカな? ボクは“ツーマ”、コードネームだけど、本来ならこれを教えるのモ禁止されているんだョ?」
戦場の醸し出す空気と、それに反する無邪気な笑顔。
そのギャップが不気味さをよりいっそう引き立たせた。
「昶だ。草壁昶」
「アキラか。その名前、覚えておくョ」
ツーマと名乗った少年の身体は、煙のように、森の空気に溶けていった。
「終わった……の………か」
昶は村正を鞘にしまおうとすると、そのまま地面に向かって倒れ込んだ。
東の空からは、うっすらと日の光が頭をのぞかせていた。
「アキ、ラ?」
レナは、セインの飛行力場の中で目を覚ました。
「…レナ、痛いとことか、ない?」
「リンネ、ねぇ、アキラは?」
「アキラさんなら、あの黒い雷を扱うマグスと戦っておられます」
それに答えたのは、リンネでなくセインだった。
「え!?」
「大丈夫です。すでに終了しているようですから」
と、セインは飛行力場を弱め、緩やかに地面へと軟着陸を果たす。
「ありがとう、セイン。ごめんね、私も魔力の限界で」
「いえ、主はよくやってくれました。ここまで魔力が保ったのも初めてでしょう」
どうやら、着陸したのはシェリーの魔力が切れたせいらしい。
頬に赤味が刺し、玉のような汗が流れ、肩で息をしている。
と、遅れて二つの影がやって来た。
カトルとミシェルである。
カトルは自らの足で、ミシェルは杖を使って飛んで来た。
それでも、四人を連れたセインの方が速いという点から、セインの能力の高さが伺える。
「セ、セイン!? その腕」
レナはそこでようやく気付いた。セインの腕が、片方無くなっていることに。
「はい、少しミスを犯してしまいまして。レナ様に気になさることではございません」
「ねえ、もう二人の戦いは終わったのよね?」
「はい、アキラさんが勝ったようで、一安心です」
「ありがとう! あたし、ちょっと行ってくる!!」
レナはもと来た道を再び戻っていく。
その光景を全員は微笑みながら見送った。
「すいません、主。少しの間、休ませていただきます」
「うん、大丈夫よ。ゆっくり休んでね」
「はい、それでは」
セインはゆっくりと空気に溶けていき、完全にその姿が消失した。
その後、五人と一柱は王国の捜索隊に発見され無事に保護された。
そしてレナはボロボロの昶を連れて、学院に帰還し盛大な出迎えを受けたのだった。
「ありがとね、あたしのサーヴァント。声、聞いてくれて」
レナは一言そう呟くと、額にそっと唇を近付けた。
昶の耳には、しっかりと聞こえていたのだ。
気を失う間際、レナの口にした言葉が。
『アキラ、助けて……』
という言葉が。