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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第五話 黒衣の者 Act04:救いの手

 誰だろう。

 あたしには、なにが起こっているのか、なにもわからない。

 誰かに、名前を呼ばれていたような気がする。

 大きな鳥が、大きく口を開けていた気がする。

 さっきまで自分がどんな状態だったのか、それさえもわからない。

 でも、これだけはわかる。

 耳を打つのは人の鼓動。

 膝と背中に感じるのは人の腕の感触。

 肌に感じるのは湿った汗。

 そして、この(こころ)に感じるのは、ほのかな温かさ。

 この(こころ)を満たすのはなんだろう。

 うれしいのか、かなしいのか、たのしいのか、おこっているのか……。

 なにもわからない。わからないけど、なんだか、しあわせな気がする。

 ほんの少しだけど、まぶたに力を入れた。

 普段なら簡単に開くはずなのに、なかなか開いてくれない。

 あ、ちょっとだけ開いた。

 でも、ピントがずれてるから、やっぱりなにも見えない。

 でも、おぼろげながら、人の顔だっていうのだけはわかった。

 もっともっと、まぶたに力をこめて引き上げる。

 この人の顔を見るだけなのに、なんでこんなに待たなきゃならないの、じれったいわね。

 そしてついにまぶたを完全に持ち上げた。

 それで、怒ってるんじゃないかとか、目つきが怖いとかって言われる、つり気味の目でその人を見つめる。

 それはまぎれもない、あたしのサーヴァントの姿だった。




 時間を少しだけさかのぼる。

 (マスター)達を探していた一人と二柱は、爆発の向こうに感じた気配を目指して走っていた。

「フラメルだったっけ、名前は」

 昶は前方上空から聞こえる鳴き声から、先ほどセインから教わった獣魔の名前を呼び起こす。

「はい、三、四……、いや最低でも七体」

「おいおい、あいつらそんな群れるやつらだったっけか、ラグラジェル?」

「いいえ、本来は一匹、多くても三匹程度です」

 それの意味する所は、一つしかない。

「つまり、これは誰かが意図的に起こしてるってことか」

「そうなりますね」

 と、頭上を併走していた一匹が、いきなり急降下するのが見えた。

 その直後、金属同士のぶつかり合う特有の高音が耳を打つ。

ミシェル(マスター)だ!」

 まだ遠く暗いのもあいまって、気性の荒いフラメルの姿しか見ることができない。

 カトルが言うのだから、あそこにミシェルがいるのは間違いないのだろう。

 なんでいるのかはこの際置いておくとして、ようやくたどり着いたというわけだ。

 三者三様。昶、セイン、カトルは、即座に戦闘態勢に入った。

 セインは空間をえぐり、カトルは地を滑り、昶は地をける。

 直線でも百メートル以上ある距離を十秒以下で切り抜けた。

(マスター)に、なにしやがんだ!」

 カトルが怒号と共に地精霊(グノーメ)へと語りかける。大地はそれに応えるように変形し、硬度の高い物質が巨大な壁を作り上げた。

 その強固な壁に体当たりするような形で、フラメルはカトルの作り上げた壁に激突する。

 くちばしと鉤爪が盛大にオレンジの閃光をまき散らし、そのままズルズルと地面まで落下した。

 くちばしはひび割れ、鉤爪も半数は折れているが、命に別状はないようだ。

 ごぉごぉという荒々しい呼吸音が聞こえるのも、その証拠である。

 もう間もなくすれば、目を覚ますことだろう。

「ふぃー……。なんとか間に合ったぜぇ」

 基本的に、精霊は長時間の実体化はできないとされる。

 実体化していない時は、エネルギーの総量は変わらずともそれを操る力は著しく低下するので、通常ならこのような事態──カトルが地精霊(グノーメ)を集めて作りあげた壁でフラメルを撃退するような──は起こり得ないのだ。

 つまり、フラメルやその他の生物にとって、マグスと契約を交わした精霊はそれだけイレギュラーな存在なのである。

 なにしろ、“精霊”とは“精霊素”と言う名のエネルギーの塊なのだから。

(マスター)ーーーー!」

 カトルはその小さな身体をありったけ広げて、岩でできた人形に抱きついた。

 ──って、あれがミシェルなのか……?

 昶は現在の状況を一瞬だけ忘れて、岩の人形に目を向ける。どうやら、あの中にミシェルがいるらしい。

「カトルじゃないか!? どうしてこんな所に?」

「いや、ちょっとこの前、兄ちゃんの(マスター)に変なことしちまったから……。そのお詫びというか、なんというか…………」

 と、カトルは気まずそうにミシェルから目をそらす。

 ミシェルはそんなカトルの頭をごつごつの手で撫でながら、全身武装鎧(ブラーデ・アーマ)を解除した。

 結合力を失った鎧は砂や小石へ還元され、内側から土埃で汚れたミシェルが現れる。

 ミシェルはカトルを抱き上げると、頬を激しくすりつけた。

「ありがとうカトル、よく来てくれたね~!」

(マスター)~、くすぐったいぜぇ。あと、兄ちゃんもラグラジェルも見てんだからなあ!」

 ミシェルとカトルがじゃれあうのに安心感を覚えながら、昶はミシェルにトーンの低い声で問いかけた。

「それより、他のみんなはどこにいるんだ?」

「あぁ、レナのサーヴァントか。先に逃がしたんだよ。シェリーとレナとリンネ、あと怪我をしたアイナがいる。他に誰も戦える人がいなかったから、ぼくが残ったんだよ。もっとも、ぼくなんかじゃ的になって逃げるのが精一杯なんだけどね」

「それで、どっちへ行ったんだ?」

「あっちに……、ってこら待ちたまえ!」

 全てを聞く前に、昶の身体は動いていた。それも無意識の内に。

 セインもそれを追いかける。

「カトルは放っておいていいのか?」

 隣に並んだセインに問いかけた。

「先ほどので精神力を使い切ったようですから、戦闘は無理でしょう。それに、ミシェル様をお一人にさせるのも得策ではないかと思います」

「なるほど」

 昶は目を凝らし、聴覚を研ぎ澄ませる。

 姿が見えないか。

 声を発していないか。

 それを見逃さない、聞き逃さないために。

 と、枝に布の切れ端を見つける。あれは、制服のマント。

 近くにいるとわかっただけで、焦りがより一層強くなる。

 鉛よりも更に重く感じていた手足を、精神力だけで強引に動かす。




『……けてぇ』

 聞こえた。

 耳ではなく、心に。

 身体が歓喜する。

 疲れと入れ替わるように、全身に力がみなぎる。

 ──見つけた!

 視線の先、巨大な鳥に襲われそうなレナの姿を見つける。

 このままでは絶対に間に合わない。

 だが、間に合わせる方法は────ある。




 昶は迷わなかった。

 自らの体内を流れる、忌まわしき血の力を。

 こいつさえ使えば、確実に間に合う。

 ──力を貸しやがれ。

 数多(あまた)化生(けしょう)に呪われし、血の力を解き放った。

 普段にない爆発的な力の流れに、昶の経絡系はこれまで経験したことのない激痛に襲われる。

 だが、そんな些末(さまつ)なことなど、今の昶にはまったく気にならなかった。

「セイン、悪いけどちょっと借りるぞ」

「はい?」

 昶はセインの背中から、シェリーの剣を引き抜いた。

 破壊しか生み出さない、悲劇しか生み出さないと、嫌悪していた自らの血に宿る力を、自分の意志で欲した。

 全長もニメートルに達するような超重量の大剣を軽々と、まるで重さなどないかのように後方へとふりかぶる。

 昶は地面を踏みしめると、なんとそのまま真横(●●)に飛んだのだ。

 砕けた地面は弾丸のように巨木へと突き刺さった。

 発生した衝撃波で、セインの視界が歪む。とっさに腕で顔をガードしてしまうほどの、強烈な衝撃波である。

 が、それらの余波(●●)を作り出した昶自身は、すでにフラメルの前にまで移動していた。

 そして、




「俺のマスター(レナ)に……」




 腰を肩を腕を最大限までひねり、限界まで大剣を振りかぶった。

 見た目とは不釣り合いなほどの強力な握力の前に、大剣の柄はギシギシと嫌な音を立てる。

 危うく潰されかけたシェリーの大剣は、昶の怪力になんとか耐えきった。




「手ぇ出してんじゃねぇぇぇぇええええええええええええええええ!!!!」




 振りかぶった大剣が、とんでもない速度で振るわれた。セインでさえ背筋が凍るような、恐ろしい速度である。

 視認するのを許さず、残像さえも残さず、その剣は反対側まで振り抜かれたのだ。

 強固なはずのフラメルの首は、コンマ一秒にも満たない時間で切り裂かれた。あまりの速さに発生した鎌鼬(かまいたち)が周囲の枝葉をまとめて吹っ飛ばす。

 両手でも抱えきれないほどの巨大な頭部が、月明かりさえほとんど届かない森にゴトリと落ちた。

 未だ鼓動する心臓が、大量の血液をまき散らす。

 全身に鮮血のシャワーを浴びながらも、昶は次の獲物へと狙いを定めた。

 昶は振り抜いた勢いを殺さぬまま身体を回転させ、シェリー達に奇襲をかけようと上から降下して来たフラメルめがけ大剣をぶん投げたのである。

 音速に匹敵するのではないかと思われる速度で、大剣がフラメルの頭蓋(ずがい)を砕いた。ごりっとくぐもった音が、昶の耳を叩く。

 直後、ほとんど黒に近い血を吹き出しながら、糸の切れた人形が如くフラメルは空中で動きを停めた。

 制御を失った巨体は照準を大きくずらしながら、地面へ頭から激突する。衝撃で首が折れ曲がり、伸びきった皮膚が裂けて血液をぶちまけた。

 全身を鮮血に染めながら、昶はぐったりとしたレナの身体を抱く。

 ──よかった。本当によかった……。

 昶は全身を真っ赤に染めながらも、まだ血に濡れていない左腕でぐったりとしたレナの身体を抱きかかえる。

 自らの腕の中でスースーと寝息を立てるレナに、昶は遅くなってごめんと思いながらも、ようやく安堵するのだった。




 あまりの出来事に、誰もが息をすることさえ忘れていた。

 助けに来たセインも、助けられたシェリーやリンネも。

 王国でも討伐隊を編成して戦う相手を、たった数秒で、それも二体も倒して見せたのだ。

 魔力を繰る生物──獣魔──は、魔法耐性が高い反面、単純な物理的攻撃には弱い。

 だが弱いと言っても、たかが人間の腕力でどうこうなる相手ではないのである。

 精霊はほぼ例外なく人間よりも高い腕力を持っているが、その力でフラメルをねじ伏せることはできないのだ。

 事実、カトルは硬質な鉱物を集めた壁でフラメルを撃破したのも、単純に腕力より地精霊(グノーメ)を使った方が、勝算が高いからに他ならない。

 つまり、昶のやったことは、それだけ常識外れなことなのである。

(マスター)、まだ上に五体ほど残っています。お気をつけください」

 ようやく追いついたセインは、フラメルの頭に刺さったままになっていた剣を引き抜いた。

 頭からは噴水のように血が吹き出す。傷口からは、砕けた頭蓋骨(ずがいこつ)の破片と脳の一部がはみ出していた。

 セインはそれらを燃やして灰にすると、剣を持ち主であるシェリーに渡す。柄が若干変形し、フラメルの首を切り落とした部分と先端の刃が、刃こぼれを起こしていた。

 昶がどれだけ無茶なことをしたのか、これを見ればよくわかる。

「ありがと。それにしても、よく見つけたわね」

 シェリーはわぁぁっと目を輝かせながら、自らのサーヴァントに問いかけた。

 早くても明け方だろうと、全員が思っていたのだ。

 リンネが言ったとき、確かに期待はしていたがここまで早いとは正直思っていなかった。

「アキラさんが、落ちた跡を見つけたらしく。怪我人というのは、そちらの?」

「そう、私達じゃお手上げで。なにかわかることない?」

 セインはアイナに歩み寄る。

 特にこれといって不審な点は……。

「セイン?」

 と、そこでセインの動きが固まった。

 シェリーが呼びかけても、なんの反応もない。

「誰か、レナの怪我、治してやってくれないか?」

 そこへ昶がやって来た。

 腕の中には、なぜか笑ったまま眠っているレナの姿がある。

 頭から血が流れているせいもあって、なかなかシュールな光景だ。

「…こっち」

「リンネ、治療できるのか?」

「…ぅん」

「じゃあ、頼む」

 昶はリンネの身体を預けると、左手でレナの頬をそっと撫でた。

 それから、シェリーの背中でぐったりているアイナの方へ向かう。

「セイン、どうかしたのか?」

 アイナの側まで近寄ると、昶はその隣で複雑な表情のまま固まっているセインに声をかけた。

「アキラさん、これ、わかりますか?」

「ん?」

 不審に思いながらも、昶はアイナの傷口に目をやる。

 すでにセインがマントを外し、ブラウスを上げていたので、アイナの健康的な肌が目に飛び込んできた。

 普段なら大慌てで視界を手でふさぐ所なのだが、そこには眉をひそめるのに十分すぎるものが確かにあった。

闇精霊(レムレス)かよ……」

「そのようです」

「待って、今“闇精霊(レムレス)”って言ったの?」

 二人の会話に割って入ったのは、セインの(マスター)であるシェリーである。

 聞き逃してはならない単語が、昶の口から発せられたのだ。

「暗黒魔法の正体が、闇精霊(レムレス)ってわけ?」

「暗黒魔法? そんなもんは知らねえけど、これは闇精霊(レムレス)にやられた傷だよ。誰か、強力な治癒の力を持ってるやつは?」

「ミシェルだったけど、あいつでもだめだったわ。にしても暗黒魔法の正体が、死を司る精霊だなんて、笑えない冗談ね」

 シェリーは自嘲気味に乾いた笑いを浮かべる。

 死を司る精霊──闇精霊(レムレス)を行使する術が暗黒魔法だった。

 まるで、大昔の歴史の講義でも聞いているような気分である。

「冗談なんか言ってられる場合じゃねえぞ。なんでこんなになるまで放っといたんだよ。こんな胸くそ悪い気配くらい、わかるだろ」

「わかるわけないでしょ、そんなもん! 精霊の気配がわかるようなマグスなんて、国中探したって五人もいないわよ! それに、暗黒魔法や闇精霊(レムレス)に関する知識のない私達に、どうにかできるわけないじゃない。やれることがあるなら、とっくにそうしてるわ…………」

 シェリーは右手をぐっとを握り、自分に対する怒りのたけを近くの木にぶちまけた。二の腕辺りまで巨大な樹木に突き刺さるが、それで状況が改善されるわけもない。

 昶は舌打ちした。

 このまま治療できるマグスを待っていたのでは、手遅れになってしまう。

「仕方ねぇ。ここでやるか」

「やるって、なにを?」

「このまま放っといたら死んじまう。闇精霊(レムレス)は“死”の象徴。特徴としては、強力な“侵蝕”作用が挙げられる。例えば、術をおかすとか、命を蝕む(●●●●)、とかのな」

「なんでアキラが……、そんなこと?」

 シェリーは問いかけた。昶がなぜ、闇精霊(レムレス)について知っているのか。

 暗黒魔法についてはもちろん名前すら知らなかったし、闇精霊(レムレス)については歴史の講義でわずかに触れる程度。

 普通の人間ならまず知り得ない知識である。

 昶が何者なのか。シェリーはこの時初めて、昶に対して深い疑問を覚えた。

「んなもんどうでもいいだろ」 昶は答えなかった。

 それは身体に染み着いた習慣──魔術に関わりのない人間や身内の術者以外とは自分の知識を共有してはならない、という物のせいもあるが、同時に思い出すのも嫌なくらい強力な術だというのもある。

 ルネサンス以降の近世欧州で高位の魔術師達によって開発された魔術で、特に兵器としての運用を前提とした物の総称。

 その名を──闇隷式典バイブル・オブ・ヘレル

 現在ではあまりの危険性ゆえに、ほぼ全ての術が禁呪に指定されている。

 半世紀以上前に一大組織より禁呪の一覧として一部が公開され、名称と効果は今やほとんどの魔術師達の常識となっている。

 アイナの受けたものは、この内の“精霊魔術──闇精霊(レムレス)”の項に当たる、非常に(たち)の悪いものだった。 こいつを対処するには、世界最上級の浄化能力を持つ術──例えば日本神道──による完全浄化か、あるいは外科的な処置しかない。

「……シェリー。刃物とか、あるか?」

「あ、あるには、あるけど」

 状況に付いていけないシェリーは、ただただ狼狽(うろた)えることしかできなかった。

 ──放っておいたら死ぬ? アイナが?

 アイナの置かれている状況に、昶が暗黒魔法や闇精霊(レムレス)を知っていたという事実。その二つがシェリーの中をぐるぐると駆け回る。

 もう、なにがなんだかわけがわからない。

 昶に言われるがまま、シェリーは果物ナイフを昶に渡した。

 そのナイフがどのように使われるのか、よく考えもせずに。

「ど、どうするの?」

「…………侵蝕部位を取り除く(●●●●●●●●●)

 言葉の意味が理解できなかった、理解したくなかった。

 だが一秒、また一秒と時間が経つのにつれて、昶の言った言葉の意味が理解できてしまう。

「えぇ?」

「そうしないと、どんどん内側に侵蝕する。骨や内臓に達したらアウトだ。治癒の力のおかげで、スピードは落ちてるみたいだから、表面さえ切り取れば助かる」

 昶の手の中のナイフがカチャリと鳴り、銀色の刃が現れた。

「ち、ちょっと、ここでするの!?」

「ここじゃなかったらどこでするんだよ! 放っといたら死んじまうんだぞ!」

「でも麻酔もしてないのよ!?」

「あるんなら持ってきてみろ!」

 キュワーーーーーーーー!

 二人の耳を、耳障りで甲高い鳴き声が叩いた。

 昶の顔が、一層険しいものへと変わる。

「ちっ、来やがった」

「フラメル、まだいたの……」

「あぁ、セインの話しだと、あれ入れて五匹」

「そんなに!?」

「お任せを」

 寡黙を貫いていたセインはすくっと立ち上がると、飛行力場を形成してフラメルへと躍りかかる。

 両腕に火精霊(サラマンドラ)を圧縮した剣を作り出し、大きく振りかぶった。

 だが、いきなり目をかっと見開いたと思うと、圧縮した火精霊(サラマンドラ)を放り捨てて真下へと急加速する。

 どうしたのか? と思う間もなく、先ほどまでセインがいた空間をフラメルを突き抜けて現れた、あの黒い雷(●●●)が通り過ぎたのだ。

 地上に降り立ったセインは、同時に上空を仰ぎ見る。

「まッたく、使えない(莫迦)共だなァ」

 そこには、宙に浮いた人がいた。

「せッかくエサの在処(ありか)を教えてあげたのに」

 変声期を過ぎた辺りの少年の声。だが、その声は話している内容とは正反対なまでに明るいもの。

 全身を覆うのは漆黒のローブ。表面をエナメル質の魔法文字が踊り、右手には身の丈よりも巨大な大鎌が握られていた。

 右頬には深紅の薔薇が彫り込まれ、場にそぐわない底抜けの笑みが口元を浮かべる。

 そしてなにより漆黒のローブは、全身を鮮血の赤で彩られていた。

「貴方ですね。闇精霊(レムレス)を使ったのは」

 見上げるセインを捉えた少年は、(いびつ)な笑みを見せる。

「面倒だから、全員殺すつもりで来たんだけド。こんな所でラグラジェルの、あの“紅き殲滅者”と会えるなンて、ボクは運がいいのカナ?」

「っ!? その名をどこで」

「さあねェ。それよりも、ボクの質問に答えてョ。」

 と、少年の頭上から例の甲高い鳴き声が響いた。

 少年は不機嫌そうに舌打ちすると、掌に球形をした黒い雷の塊が生み出す。

 それは、上空から奇襲をかけようとしていたフラメルを残らず撃ち抜いた。

「邪魔だよ、役立たズ共」

 ドサッと、重たいモノが枝を降りながら地面に落下した。

「アキラさん、手早く済ませてください」

「セイン?」

「こちらも、できるだけ努力します」

「わかった」

 セインが飛び出した。

 上位階層(ヒューネラ)の全力、三人はそれを目の当たりにすることとなる。




「今の、は……」

「アイナ!」

 闇精霊(レムレス)に当てられてか、ついにアイナが目を覚ました。

 嬉しさのあまり、シェリーはアイナの名前を叫ぶ。

 が、現実はそんな甘いものではない。

 意識の覚醒に比例して、熱した釘を何十本も突き刺されたような耐え難い痛みがアイナに襲いかかった。

「あ゛ぁぁぁああああああアアアアアアアア!!」

 獣の咆哮のように、アイナの絶叫が空気を震わせる。

 長く聞いていると、気が狂ってしまいそうなくらい悲痛な叫び声。

 シェリーは思わず、両耳を手で覆った。

「痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいいたいイタイ!」

 生きているのに、身体の一部が死んでいるのだ。痛くないわけがない。

 しかもそれは、現在もゆっくりとした速度で着実に進行している。

「アイナ、よく聞け! これから闇精霊(レムレス)に侵されている部分を、こいつで切り取る! 麻酔はない! 滅茶苦茶痛いから、俺の肩を噛んでろ。いいな!」

 アイナは頷かなかった。

 だが、絶叫するのを止め、震える口を大きく開き、昶の肩にあてがう。

「シェリー、あんま見ないほうがいいぞ」

 昶は忠告したのだが、シェリーはそうしなかった。

 耳を塞いでいた手を、ぷるぷると震わせながらぎゅっと握り、正座した膝の上に置く。

 全部見届けるようである。なにもできなかった自分に対する、罰なのかもしれない。

 荒事には慣れていてもこういうのは苦手なようだ。

 澄んだ青い瞳には、しっかりと恐怖の色が見て取れる。もし自分がやられたらと思えば、むしろ当然の反応だと昶は思う。

 そんなシェリーの覚悟を感じ取った昶は、手の中の果物ナイフをぴたりと侵蝕部位へ添えた。

「いくぞ?」

 左肩に軽く食い込んだ歯が、前後に動いた。

 昶は崩壊が始まっている部分をゆっくりとナイフで削る。

 肌に犬歯が食い込むが、この辺りはすでに神経も死滅しているのでさほど痛まないはずだ。

 しかし、本当の地獄はこれからである。

 昶は急ぎながら、しかし正確に侵された部分を()ぐ。

 熟れすぎたトマトのように、ぐちょぐちょになった肉がナイフの上で層を形作る。

 液状となった肉は、そのまま背中を伝ってしたたり落ちた。

 肩に突き刺さる痛みが、ゆっくりと強くなっていく。

 ──そろそろだな。

 細胞の壊れきった部分はあらかた削ぎ終えた。

 あとは、生きた部分と死んだ部分の境だ。

 きっと、いくらか生きた部分も削ってしまうことになるだろう。

 昶も、覚悟を決めた。

「アイナ、覚悟しろよ」

 アイナはカクカクと頷く。

 ここから先は、きっと想像を絶する痛みが襲いかかってくるだろう。

 それくらいの判断を下せる思考力は、この激痛の中でもちゃんと残っている。

 昶は、果物ナイフを持つ手に力を込めた。

 切り口からのぞく鮮やかな赤い肉からは、まだほんのりと闇精霊(レムレス)の気配を感じる。

 ここをなんとかしなければ、闇精霊(レムレス)の侵蝕を止めることはできない。

 昶は意を決すると、躊躇(ちゅうちょ)なく刃を突き立てた。

「ひぎぅぅぅぅぅううううううううううウウウウウウウウウウ!!!!」

 これまでとは比較にならない痛みが、アイナの体内を暴れまわった。

 今までの場所と違い、まだ生きている組織を麻酔もなしで削がれているのだ。

 顎が砕けそうになるのも気にせず、昶の肉を食いちぎらんばかりに力を込める。

 昶の肩に、アイナの犬歯が突き刺さった。

 左肩には血がにじむが、昶は表情も変えずに処置を続ける。

「ぐがあぁあああああああああああアアアアアアア!! あ、ぁぁァァ、あ゛あぁぁああああアアアアァァァァああああ!!!!」

 アイナのくぐもった声は、闇夜の中へと吸い込まれる。

 気が狂いそうだった。いっそ殺してくれた方が、どれだけ楽だろう。

 たった数秒が、何十時間にも感じられる。

 ガリガリという生々しい音までもが、アイナどこまでも追いつめる。

 ──早く、早く終わって……。




 不意に、背中から完全に痛みが消えた。

 ヒリヒリするのは、剥き出しの神経が夜風にあおられているせいだろう。

 さっきまであった、気持ちの悪い違和感はなくなっている。

 ──終わった? これで終わったの? もう痛くないの?

 安心しきったアイナの意識は、深い深い眠りの(ふち)へと沈んでいった。

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