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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第五話 黒衣の者 Act03:差し迫る危機

 昶は周囲への警戒に神経をガリガリとすり減らしながら、急斜面の山を突き進んでいた。

 はなから生物としての生態が違いすぎる精霊は別らしいが、その他の生物に対しては問答無用で襲いかかる。それがこの森に生きる生物達の鉄則らしい。

 それすなわち、弱肉強食の世界。

 魔力等も嗅覚で察知するフラメル以外にも、数百メートル先の音を感知する者、十キロ近く先を見通す視力を持つ者、結界の一種を張って相手を探す者など、実に多種多様な生物がひしめき合っている場所だ。

 昶は可能な限りの霊力の漏れを防ぎながら、しかし一方では感覚を最大限まで研ぎ澄ませる。

 それと同時に、脳へ直接送られてくる情報も同時に処理していた。

 式神である。

 昶は二枚の護符に力を(そそ)ぎ、鳥の(かたち)をさせて放っているのだ。

 その証拠に、視神経を通して送られてくる映像以外にも、二つの景色が昶の脳裏には展開されている。

 一つはゴツゴツとした、身の丈の倍はありそうな岩がゴロゴロとしている場所で、もう一つは湿地帯のようだ。表面がてかっており、大量の水分を含んでいることがうかがえる。

 今の所は無差別飛行をさせているので正確な場所はわからないが、場所を伝える術式も組み込んであるので問題ない。

 さて、なぜ昶が陰陽師としての力を行使しているのかと言うと、単純にセインもカトルもここにはいないからだ。

 もしも見つけた時は、急激な精霊素の放出によって伝えるようになっている。

 それができない昶は、事前にセインからあるものを渡されていた。

 ハンドボールほどの大きさがある、火精霊(サラマンドラ)の結晶である。

 強い衝撃を与えると、安定を失った結晶が大量の火精霊(サラマンドラ)に変換されるらしい。

「ったく、どこにいるんだよ」

 そんな火精霊(サラマンドラ)の結晶を早く使いたいのはやまやまなのだが、肝心のレナ達はまだ見つかっていなかった。

 式神はすでに数キロ単位で探索しているにも関わらず、レナの気配はどこにもないのだ。

 早く探せ、と今までの経験が警鐘を鳴らす。それがいっそう、昶を焦燥へと駆り立てていた。

「いっそ式神を増やすか? いや、でも俺の技術じゃ無理か」

 内包する力は莫大だが、昶の陰陽師の術に関する技能は、決して高いものではない。

 分家の連中でも二桁は当たり前。例の姉からは、分け身を並列して四桁にも及ぶ式神を同時に制御していた術者を見たことがあるとも聞いたことがある。

 サボっていたつけがこんな形で訪れるとは、昶はもう少しまじめにやっておくべきだったと後悔していた。

「ひとまず、休むか」

 ちょうど山の頂上までやって来たというのもあって、昶は休憩を取ることにした。

 もちろん、遠隔地二つの情報には目を配るし、単に休憩を取るわけでもない。

 念のため、木の上からも探してみるのだ。

 こういう時、魔力が見える眼や熱が見える眼なんかがあれば便利なのであるが、贅沢は言ってられない。

 五行の内の木行の力を引き出して、視力を底上げした目で遠方を見つめる。

 大きく木が動いているのは、大型生物が活動している場所だろう。まずは、そういう所からカットしていく。

 それから、強い魔力を感じる場所。これもカット。

 この世界の術者達──マグス──は、その大部分が常時魔力を放出している。

 レナ、シェリー、リンネとそれなりの期間一緒にいたのもあって、三人がどれくらい魔力を放出しているのかは感覚で覚えている。

 獣魔は夜行性の者が多く、三人の魔力より明らかに巨大な魔力反応があちこちに点在しているのだ。もちろん、一つ一つの反応は数キロ単位で離れている。

 また、魔力反応のない場所もカット。常時魔力を放出してるレナ達だから、魔力反応のない場所には絶対にいない。

「はぁぁ、この中から探すって、GPSくらいないと無理だろ」

 だが、そんな電子機器はこの世界に存在しない。

 昶は式神を一度呼び戻すと、昶の意思に従って飛行するよう、術式を改変してから再び解き放った。

 自律制御から思考操作に切り替えたためか、先の倍近い激痛が脳を締めつける。

 それでも、辛いから、痛いからやめようだなんて思わなかった。

 なんでこんなに必死になのかは、正直な所自分でもはっきりわかっていない。

 ただ、やらなければならない気がする。

 それだけが、昶の身体を動かすのだ。

「ッ!?」

 と、突然、昶の右手の親指が切れた。

 指先がぱっくりと割れ、切り口から鮮血がしたたり落ちる。

 間違いなく、“返しの風”だ。一部の術で、その術が破られた時に術者自身へダメージが返ってくる現象である。

「どこのどいつだ?」

 反応の消失箇所までの道筋(ライン)をたどって場所をつきとめると、昶はもう一つの式神を向かわせた。

 迂闊(うかつ)に近づくような真似はせず、今度は森の上から辺りの様子をじっくりと(うかが)う。

 川と、そしてなにかが落ちた跡が見受けられる。

 葉が散り、枝が折れ、それが下まで続いているのだ。

「やばっ!?」

 昶はとっさに、式神との精神結合(リンク)を解除した。

 なぜか? それは、黒い雷(●●●)を見たからに他ならない。

「くそっ、普通の属性じゃない。こごった陰の気つったら“闇”ってことになるけど、この世界にそんなもんあるのかよ……!!」

 昶は裂けた指先の血を使って、手持ちの護符に文字と図形を追加していく。

 これで残りは八枚。そろそろ適当な理由をつけて紙をもらわないと、護符が無くなってしまいそうだ。

 血文字を追加した護符を、ポケットとは別に懐へ忍ばせると、代わりにある物を取り出した。

「呼んだ方がよさそうだな」

 取り出したのは、火精霊(サラマンドラ)の結晶である。

 なるべく衝撃を与えないよう木から飛び降りると、昶は投擲体勢に入った。

 腕を後方に振りかぶり、力強く大地を踏みしめる。

 そして神経をただ一点、右手に持つ火精霊(サラマンドラ)の結晶へと向けた。

 息を殺したその様は、完全に闇夜へと溶け込んだ。




 静寂は一瞬だった。

 バッと、残像すら霞むような速さで、昶の肉体が動き出す。

 踏みしめた大地は衝撃で砕ける。

 衝撃で大気が震え、それら膨大なエネルギーを撒き散らしながら放たれた結晶は、昶のはるか上空で、衝撃に耐えきれず内側から(はじ)け飛んだ。

 空中を火花のようにただようそれは、視認できるほどに巨大な精霊素(サラマンドラ)

 莫大なエネルギーを放出した結晶は拡散していき、最後には元の大きさとなって大気へと溶けていく。

 これで二人にも伝わったはずだ、顔も見えなかったあいつ──黒い雷を放った術者にも。

「頼んだぞ」

 昶はポケットから再び護符を取り出すと、鳥の(かたち)をした式神と成して放つ。

 あの近くに、絶対いるはずだ。

 昶ははやる気持ちを抑えながら、二人の到着を待つ。

 動き出すその時まで、力を蓄えるように。




 落ちてきたのはただの紙切れだった。

「これで二人目(●●●)か。手間をかけさせるネェ」

 変声期を過ぎたばかりの少年のような声。

 ただしその声は、恐ろしいほど悪意がなく、無邪気で明るいものだった。

 死の臭いが満ち溢れる森の中で、その雰囲気は異様以外のなにものでもない。

「まあ、誰デあろうと、()るだケなんだケド」

 少年はその紙切れ──式神だったもの──を踏みつけて、先を進む。

 地面に引きずるほど巨大な大鎌を持ち、顔の半分を隠すほどの、目深(まぶか)な漆黒ローブをまとっている。

 ローブの影から、うっすらと顔の一部が伺えた。

 右目の下には薔薇の刺青が彫られている。色は鮮血を思わせる深紅。

 漆黒のローブには、更に黒いエナメル質の紋様が刻まれていた。

 魔法文字に詳しい者なら、それが防御に類推されるものだとわかるはずだ。

 だが、それ以上のことはわからない。

 なぜなら、それは過去に失われたとされるものなのだから。

「面倒だケド、報告だけはしとこうカ。怒られるノも嫌だし」

 少年が手を上げると、どこからともなくフクロウが現れる。それも、魔力をたどれる力を持った獣魔の。

 少年はローブの内側から取り出した紙片に『処分して来る』とだけ書いて、足にくくりつけた書簡に入れる。

 フクロウが音もなく飛び去ると同時に、辺りは再び静寂に包まれた。

 ガリガリと、大鎌で地面を削りながら、少年はゆっくりと進む。

 その道をどす黒い赤で染めながら。




「誰!」

 シェリーはマントで身体を隠しながら、指輪をはめた手を強く握りしめた。レナとリンネも、発動体である指輪のある右手に魔力を集める。

 昼間の黒い雷のやつだとしたら、勝ち目などどこにもない。

 あまりの緊張に早鐘を打つ心臓を懸命に抑えつけながら、三人はいつでも動けるよう全身に力を込めた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 と、シェリーの問いかけに返ってきたのは、なんとも間の抜けた意外な声だった。

「ぼくだぼく、ミシェルだよ! アイナの杖を拾ったから、君達を追いかけていたのさ! まったくこんな所にいるなんて、探すのに苦労したよ」

 両手を上げておろおろしながらやってきたのは、間違いなくミシェルであった。

 三人はほっとしたものの、次の瞬間には別の感情が芽生える。

 今、自分達は裸同然の状態で、そこにクラスメイトの男子生徒が一人。

 さて問題、この次の展開はどうなるでしょう。

「こ、こ、ここここ…」

「レ、レナ?」

 正解は、『レナが杖を振りかぶる』、でした。

「こんの、へんたーーーーーーーい!」

 雷光を思わせる速度で、レナの杖がミシェルの側頭部を直撃した。

 なにがなんだかわからないまま杖で殴られたミシェルは、横にすっ飛んだ先でピクピクと痙攣している。

 いやいや、理由はわかるがそれはちょっと過激すぎなんじゃ、とシェリーは心の中でとりあえず突っ込んでおいた。

 最近のレナは昶とのコミュニケーション(杖でどつくあれ)もあって、今まで以上に手加減が無くなっているので、正直な所ミシェルの様態はかなり心配である。

「レナ……」

 シェリーはやっちゃったなぁといった感じで、額に手を当てて呆れていた。

 リンネの方も、若干ひきつった笑顔で笑っている。

 ──なによ、今のってあたしが悪いの? 仕方ないじゃない、恥ずかしいんだから!

 と、自分の方が悪いのはわかっているので、口では言えないレナである。

「まぁ、乾くまでの辛抱よ」

「わ、わかってるわょ」

 レナは頬をほんのり赤く染めながら、そっぽを向いた。

 それからぼそりと、ごめんなさい。

 恥ずかしさと罪悪感の板挟みに、レナの顔は一層真っ赤っかになった。

「そ、それで、なんで君達は、そんな、け、けしからん格好をしているのかね」

 その声の主に、全員の肩がビクッと震えた。

 あれを喰らってなぜ? 昶ならまだわかる。

 肉体強化の能力を使えば身体の強度は向上するし、しかも普段からレナの杖に追い回されている昶なら、いくらか耐性(慣れ)もあるだろう。

 だが、ミシェルはそうではない。

 体力はそれなりにある方だが、頑丈かと問われれば十人が十人とも貧弱と答える優男の風体だ。

 そんなミシェルの意外なタフさに驚きながら、リンネが短く質問に答えた。

「…川に、浸かったから」

「あぁ、なるほど、そういう、ことか」

 ミシェルはふらふらになりながらも、なんとか立ち上がった。

 軽い脳震盪(のうしんとう)でも起こしているのか、本人の意志とは関係なく足下がおぼつかない様子である。

「それで、なんであんたがここにいんのよ?」

 なぐられたにも関わらず鼻の下を伸ばしているミシェルに白い目を向けながら、シェリーは問いかけた。同時にレナの腕をつかみ、動きを封じるのも忘れない。

 またさっきみたいに暴走されては、進む話も進まなくなってしまう。

 なにすんの放しなさいよ、とわめくレナをシェリーは完全に無視である。

「君達が落ちるのを見たからさ」

 シェリーは黙ったまま、干してあるスカートのポケットに手を突っ込んで、

「本心を言いなさい」

 そこから例の果物ナイフを取り出した。

 シェリーはその先端をミシェルへ向ける。それも限りなく冷たい目のオマケ付きで。

「女の子を連れて帰ったらチヤホヤされると思いました! 不純な理由ですいません!」

 と、撃墜王(ミシェル)(女の子を口説いても成功率〇パーセントという意味で)は色んな意味で悲しい理由を叫んでから、昶に負けず劣らずの平身低頭姿勢をとる。

 女の子の視線が、〇度から氷点下に下がった瞬間であった。

 断っておくが、ミシェルに罪は…………この場合はどうなのだろうか。

「まあ、理由は不純だけど、アイナの杖を拾ってくれたのは事実みたいだし、許したげるわ」

 シェリーはミシェルの手からひょいっと杖を取り上げ、代わりに木の実を手渡す。

 よくよく考えてみれば、普段の夕食の時間はとうに過ぎているのだ。

 四人ともあまりの緊張感に忘れていたが、もうお腹はぺこぺこである。

「ただし」

 と言って、シェリーはミシェルをじろり。

「私達のことをジロジロ見ないように。ワカッタ?」

「りょ、了解しました!」

 ミシェルは声を裏返らせながら、なんとか返事を返した。

 シェリーの座った目に気圧されては無理もないだろう。

 だが、ミシェルに限ってそんな心配はいらない。なぜなら、ミシェルならジロジロと見るのではなく、正々堂々正面から目を凝らして見るからだ。

 それに、時と場所をわきまえるくらいの自覚は、ミシェルにもある。

 今は普段のように、おちゃらけている場合ではないのだ。

「そういえば、アイナは怪我でもしているのかい? さっきから眠ってるように見えるが」

「レナが言うには“暗黒魔法”だったっけ? ってやつみたいで、どうしたらいいのかわかんなくて」

 と、シェリーはトーンを落とした暗い声で答える。

 唯一治癒魔法を行使できるリンネが手当てをしているのだが、状態は一向に改善されていなかった。

 アイナの方も時折苦しそうに(うな)るだけで、目を覚ます気配はない。

「ちょっと見せてもらってもいいかい?」

「破廉恥なことでも考えてるんじゃないでしょうね?」

 しかしレナの鋭い発言と瞳に、ミシェルは臆した様子はない。

「違う、これでも魔法医を目指している身だ。父が軍医のせいで、攻撃系の魔法や戦闘なんかも学べるこの学院に入れられたんだがね」

 魔法医とは文字通り、魔法を用いて医療行為を行う医師を差す。

 普通の医師の行う風邪や怪我などの治療から、戦場で重度の外傷を負った兵士の治療、魔法による特殊な傷や術式の解除と、幅広い知識と繊細な魔力操作技能が要求される。

 ローデンシナ大陸で最大数のマグスを保有するレイゼルピナ王国でも、魔法医と呼ばれる種類のマグスは百人にも満たない。

 魔法医とは、それだけ稀有な存在なのである。

「リンネ」

「…うん」

 レナに促されリンネがその場を離れると、入れ代わるようにしてミシェルがその場所を陣取った。

 アイナはうつ伏せに寝かされており、全身を包み込むようにマントが覆ってある。こっちはまだ、びしょ濡れの制服を着たままだった。

「すまないが、まず服を脱がしてやってくれないか? こんな弱り切った状態で風邪でも引いたら、肺炎にでもなりかねない」

「わかったわ」

「あんた、あっち行ってなさいよ」

「…見ちゃだめ」

 シェリー、レナ、リンネは順に言う。

 ミシェルが洞窟の外まで行ったのを確認してから、三人はアイナの服を脱がせ始めた。

 短い呼吸を繰り返しているアイナの額は熱く、身体は思わず手を引っ込めるほど熱い。

 苦しそうで、辛そうで。三人は早くなんとかしてあげたい気持ちでいっぱいになる。

 それほど時間もかけずに制服と下着を脱がせると、レナとリンネはそれらを即席の物干し竿にかけた。

 自分達の姿と同じくらい、下着をミシェルに見られるのは恥ずかしいが、こればっかりは仕方がない。

「いいわよ」

 崩した正座で地面に座ったシェリーは、正面から向かい合うようにアイナを抱きかかえた。

 シェリーの肩に、ことんとアイナの頭が乗っかる。

 間近に感じる熱い吐息と苦しそうな顔に、シェリーは悔しさから唇を噛みしめた。

 自分がもっとしっかりしていれば、こんなことには……。

 シェリーは頭をふるふると横に振って、思考を切り替える。

 後悔は後でいくらでもすればいい。今はアイナをなんとかするのが最優先だ。

「ミシェル、いいわよ」

 準備を終えた所で、シェリーは洞窟の外で待機するミシェルを呼び寄せた。

 かつかつと、洞窟内に足音が反響する。普段見ることのない真剣な面持ちのミシェルが、ゆっくりとアイナの下へと歩み寄った。

 ミシェルはまず、アイナの肌が露出している部分──首筋に触れる。

 通常と比べて呼吸は浅く、脈は早い。見た目以上に、実際の状態は厳しいようだ。

 ミシェルは首筋から手を放すと、マントをはぐって火傷の部分に手をかざす。

 そして、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 すると、途端に陽光を彷彿(ほうふつ)とさせる優しい光がどっと掌から(あふ)れたのだ。

 どうやら、口先だけではないようである。リンネの倍を軽く超える光量が、アイナの火傷の跡に降りかかった。

「もう大丈夫そうよ」

 と、服の乾き具合を確認していたレナに呼びかける。

 思いのほか火力が強かったのか、それとも道中で体温を吸って発散していたのか、制服と下着はすっかりと乾いたようだ。

「こっち見ないでね」

 レナは一応釘を刺してから、リンネと一緒に着替え始める。

 後ろを振り向きたい願望を必死に押さえて、ミシェルは治療に専念する。

 幼い身体付きとはいえ、二人が美少女であることにはまぎれもない事実なのだから。

 ただ彼の手には、治療の手応えのようなものが全く感じられなかった。




 セイン、カトルの二柱と合流した昶は、まっすぐに森を縦断していた。

 走破距離は直線にして約五キロメートル。足場の悪さに文句なんて言ってられない。

 とんでもなく危ないやつが、レナ達のすぐそばまで迫っているかもしれないのだ。

「この辺に、人が落下した跡があったはず、なんだけど」

 昶の息は荒い。肉体的にも精神的にも疲労はピークに達しており、視界が不自然に歪む。

 睡魔に負けてまぶたを閉じれば楽になるだろうが、状況がそれを許さないし、昶自身もそれをするつもりはない。

 後悔するのだけは、もう二度とごめんだ。

「なんか見つけたぜ、こっちだ!」

 森の大地に語りかけているらしく、限定的にだが捜索能力が上がっているらしい。カトルの指し示す先にセインが炎の明かりを灯した。

 そこには不自然に折られた枝と散った葉があり、しかも周囲より一段と濡れているようにも見える。しかも、濡れた跡は川から続いているようだ。

 ここに誰か落ちてきたのは、間違いないようである。

 だが、それよりももっと強烈なものが、三人の目に飛び込んできた。

「なんだこりゃ?」

「人の血ではないようですが」

 カトルとセインが見つめるのは、濡れた跡を追随しているように見える、重い刃物を引きずったような跡。色は時間の経った血のような、どす黒い赤である。

 昶の記憶が正しければ、それは黒いローブのヤツが発動体を引きずった跡だ。

 柄の長さは約ニメートル、刃渡り約一メートル。人間が扱うには、不釣り合いなほどの巨大な大鎌。

 シェリーの剣もなかなかのものだが、あれはその何倍も重いだろう。

 なにせ、使用する本人よりも巨大なのだから。

「角度的に、川に落ちてから上がったってとこか? なぁ、ラグラジェル」

「えぇ。だとしたら、どこかで暖を取っている可能性がありますね。(わたくし)(マスター)は、火を得意としておりますし」

「火を使うとしたら、目立たない場所の方がいいよな。明かりが漏れない場所、閉鎖的な空間、洞窟みたいな場所か?」

 カトル、セイン、昶はそれぞれ考えを言いあう。

 安易に森の中で火を起こせば、無駄に獣魔を集めるだけだ。

 それくらいのことがわからないような、レナ達ではない。

「それが妥当でしょう。カトル、地精霊(グノーメ)を使って探し出せませんか?」

「できねえこともねえけど、俺っちの能力は知ってんだろ? 難しいと思うぜ」

 とは言いつつも、地精霊(グノーメ)へと語りかける。

 そのレナ達を探しているカトルを見ていると、昶は不意に先の黒いローブを着た者の姿を思い起こした。

 式神越しに感じた、あの肌に突き刺さる気配。あれは尋常ではなかった。

 もし、レナ達とあいつが会ったら……。

 と、突然セインが、雷にでも撃たれたかのように頭を上げる。

火精霊(サラマンドラ)の気配です! ここから直線距離で三キロほどです!」

 言われなくてもわかる。昶の目に、なにかが爆発したのがしっかりと見えた。

 そして、その爆発のした方向から、確かに感じた。

「いた! 爆発の向こう側!」

 昶の声に、セインとカトルはより一層表情を引き締める。

 ここからは全く気を抜けない。

「こっちです」

「よっしゃ!」

 一人と二柱は、全身全霊で森の中を駆け抜ける。




 ミシェルがのぞくのではないかという不安に駆られながらも、レナとリンネは無事に着替えを終了した。

 二人はシェリーと入れ替わるようにアイナの身体を支え、その間にシェリーも着替えを済ませる。

 その後にはちゃんとアイナにも乾いた服を着せてやったが、それでも目を覚ます事はなかった。

 今も嫌な汗をべったりとかいて、(うめ)き声を上げている。

「それでミシェル。アイナって、大丈夫なの? あたしにもなにかできることとかないの?」

「大丈夫なのかどうかは、ぼくにもわからないよ。レナの言う“暗黒魔法”ってのがどんな魔法なのかもしらないし、普通の火傷の手当て以外のことはさっぱり」

「そっか」

 レナはその場にちょこんと座り込むんだ。

 なにもできない自分にイライラしているのである。

 生来、責任感が強いだけに、こういう時は人一倍辛かった。

 空気の流れさえ止まってしまったような洞窟内を、パチパチという薪の弾ける音だけが反響する。

 今できるのは、待つことだけ。

 朝になれば動くことができるが、今は凶暴な生物が活発となっている時間だ。

 そんな場所へ出て行くなど、言語道断である。

 しかも上空には、まだフラメル達が張り込んでいるらしい。耳障りな甲高い鳴き声が聞こえてくる。

 人間を餌にした所で腹はたいして膨らまないのに、ご苦労なことだ。

「…大丈夫。助けなら、呼んだ、から。アキラ達」

 と、そんな静寂を打ち破るように、リンネが口を開いた。

「リンネ、それ本当なの!?」

「もぉ、早く言いなさいよね」

「それじゃつまり、ぼくらは待ってるだけでいいのかな?」

 リンネとしても、今すぐ来るという保証がなかったので言いにくかったが、言って正解だったらしい。

 その一言で沼の底のように沈んだ空気は、一気に明るいものへと転ずる。

 だが、その喜びを一蹴するように、例の鳴き声がレナ達の鼓膜を震わせた。




 キュワーーーーーーーーーーーーーーー!




 不穏な鳴き声が、洞窟の入り口から内部を()ね回った。

 その声は一旦は解けていた緊張を呼び戻すのに、十分過ぎるほどの力を持っていたようである。

「上にいたやつが降りて来たんじゃ……。シェリー、なんでこんなとこに来たのよ!」

「あいつら、昼間の寝てる時以外は巣にいないから大丈夫だって思ったの! しかも、巣の外に死体もあったし……」

 と、レナとシェリーが言い合っている所に、横からミシェルが割り込んできた。

「二人とも、喧嘩なんてしている暇はないぞ」

 ミシェルは二人の仲裁をしながら、リンネと共にアイナを肩に担ぐ。

 ここにいたのでは、逃げることもできなくなる。一刻も早く、外に出なければならない。

「一応、明かりは持って行った方がいいわよね?」

「お願いレナ。アイナは私が背負うから、ミシェルはアイナの発動体をよろしく。リンネはレナの後ろ。もしもの時のサポートをお願い」

「りょーかい」

「…ぅん」

「任せてくれ」

 シェリーの指示に、レナ、リンネ、ミシェルは口々に返事を返す。

 音量から考えて、爆発が起きたのは近くではないがそこまで遠くでもない。

 それにしても、どうしてこんなに早く帰って来たのだろうか。

 シェリーはその点がどうしても納得できなかった。

 だが向こうは、答えを出すまで待ってくれる気はない。

 灰になるのも、フラメルの胃の中に入るかのも、どちらもごめんこうむる。

 レナとリンネの二人は、先に洞窟の外へ出た。レナが松明(たいまつ)の明かりで周囲を照らすが、まだ姿は見られない。

「早く! 見つかったら終わりよ!」

 叫びながら、シェリーは周囲に気を配る。

 ──どこ? どこから来るの?

 昶との朝練の時以上に、全身の神経を研ぎ澄ませる。

「それでシェリー、どこに行くんだい?」

「そ、それは……」

 ミシェルの質問に言葉を詰まらせていた時、シェリーの背中に嫌な気配がぐさりと突き刺さった。

「伏せてぇっ!!」

 一瞬でその意味を悟った三人は、反射的に身を(かが)めた。

 その頭上をぶゎっと、大きな鳥のようなものが通りすぎる。

 深緑とこげ茶色の羽根が、ゆらゆらと落ちてきた。

 今自分達の後ろで朽ち果てているモノ、その元の姿。

 第三級危険獣魔、鳥竜種フラメル。

 しかも、遠くからは更に数匹の声が聞こえていた。

「シェリー、どうすんのよ!?」

「レナ、あんたもなんか考えなさい!」

 五人の頭上を、フラメルが再び通過した。

 しかも、かなりの興奮状態にあるようだ。

「剣さえあればなんとかなるのに……」

「ないものねだりなんて、シェリーらしくないわねぇ」

「成功率の低いあんたには、言われたくないわよ!」

 だが、口論をしている余裕はない。

 再び急降下しながら、フラメルの鉤爪が五人のすぐわきかすめた。

 太い木の根はバター同然に切り裂かれ、地面には一メートルはあろうかという溝が刻み込まれる。

 どうにかして、ここから離れる算段を立てなければ。

「ここは任せてくれ」

 と、こんな時でもおどけた調子で口を開いたのは、ミシェルだった。

 白い歯がキラリと光り、親指を立ててポーズを決める。

「調子に乗ってんじゃないの! 死にたいの!?」

「いやいや、別に調子に乗ってるわけじゃ」

 レナに弁明しようとあたふたしているミシェルの背後から、月光を反射しながら巨大な鉤爪が迫ってきた。

 と、ミシェルの目の色が変わる。

 あの四六時中、厳しい目つきをしているミゲルのそれとも似た、とにかく鋭く真剣な眼差し。

 キーーーーン……!!

 まるで金属同士がぶつかり合ったような高音が、三人の耳に届いた。

 レナも伏せていた顔を上げると、ミシェルの姿が見えない。

 その代わりとばかりに、いかにも堅そうなゴーレムが立っていたのである。

「ぼくはちょっと不器用でね、戦闘用と言ったらこれくらいしかないんだよ」

 だが、声は目の前のゴーレムから発せられていた。

 まさか、

「もしかして、ミシェル、そのゴーレムの中にいるの?」

「その声はレナかな。全身武装鎧(ブラーデ・アーマ)って呼んで欲しいところなんだけど。まあ、仕方がないか」

 “鎧”と言われれば、そう見えなくもないのだが、無骨な岩をくっつけただけのようなフォルムは、やはりゴーレムと呼ぶのが妥当だろう。

「早く行ってくれ。先に言っておくけど、コイツ(●●●)じゃ足止めも難しいんだ」

「ありがと、ミシェル。後で会いましょ。レナ、リンネ、行くわよ!」

 シェリーはアイナをおぶり、駆け出した。

 肉体強化の秘術を使っているらしく、人一人を背負っているとは思えない速さである。

 レナとリンネは杖にまたがって、シェリーを追いかける。

 まだ小回りが利かないのが怖いが、こうでもしないと走るシェリーには追いつけない。

 枝葉に身体やマントをこすりつけながら、二人はなんとかシェリーの隣に付ける。

「ねえ、ミシェルのこと、放っといてもいいの!」

「今はそれどころじゃないでしょ。上見なさい」

 言われてレナは、森に覆われた夜空を仰ぎ見た。

 自分達を追いかけるように、葉っぱが揺れていた。

 それに、例の鳴き声も聞こえる。

「どういう理由か分からないけど、私達、奴等に目を付けられたみたいね」

『キュワーーーーーー!』

 と、分厚い枝葉を突き破り一匹のフラメルが襲いかかって来た。

 シェリーはとっさにブレーキをかけ横にそれたのだが、低空飛行を敢行している二人はそういうわけにもいかない。

 鉤爪はなんとか避けたものの、両翼端が二〇メートル超える翼の前面が、二人の身体を打つ。

 翼の直撃を受けた杖は折れてしまったものの、リンネは運良くシェリーの方へと飛ばされたので受け止めてもらえた。

 だが、反対に飛ばされたレナはそういうわけにもいかない。

 大質量にはねられた身体は放物線を描きながら宙を舞い、無情にも巨木に叩きつけられ地面まで落下する。華奢な手から、するりと杖が抜け落ちた。

 肺の空気が強引に追い出され、頭がくらくらしてなにも考えられなくなる。

 だが、次の瞬間には肺に空気がなだれ込み、次第に意識がクリアになっていく。それに比例して全身を激しい痛みが襲いかかってきた。

 あれだけの衝撃だ。骨の一本や二本、折れていたとしても不思議ではない。

 酸欠と入れ代わるようにして、今度は激痛が意識をそぎ落とす。

 視界が次第に真っ赤に染まり、口の中を赤くドロッとしたものが満たした。

 腕を一センチ動かす事すら、億劫(おっくう)に感じる。

 誰かが自分の名前を呼んでいるが、それが誰だかも分からない。

 思考が低下し、判断能力も無くなっているのかも。

 だが、最後の力を振り絞り、声にならない声が、形にできない思いが、その口からそっとこぼれ落ちる。

「…………ぁ、……け……ぇ」

 誰かが叫んでいる。でもやっぱり誰かはわからない。

 前にいる鳥はなんだろう。くちばしの中がすごく熱い。

 今、自分はどんな状態なんだろう。

 痛いのか痛くないのか、なにを考えているのか、なにもわからない。

 目の前の鳥が大きくのけぞる。

 レナは力なく、まぶたを閉じた。

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可愛いヒロイン達を掲載中(現在四人+素敵な一枚)
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