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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第一章:若き陰陽師と幼きマグス
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第五話 黒衣の者 Act01:現実となる予感

 飛行実習にてシュバルツグローブを訪れたレナ達は、謎の襲撃者に遭遇した。正体不明の黒い雷に襲われ、さらに追い打ちをかけるように、第三級危険獣魔に指定されている鳥竜種フラメルが襲来する。シェリーを助けようと奮起したアイナは黒い雷に撃たれ、墜落する二人を追いかけてレナとリンネが森へ降り立つ。それを知った昶達は、急ぎシュバルツグローブへ向かうのだが……。


「さあ、僕と遊ぼう(死合おう)よ」

闇より暗い切っ先(狂者)が、獲物(弱者)を求めて夜を引き裂く。

 レナとリンネは杖を失ったシェリーと意識のないアイナの姿を脳裏に思い浮かべながら、ありったけの魔力を注ぎ込んで突き進む。

 それも、木々にぶつかりそうなほどの低高度で。

「リンネ、もっと速く!」

「…でも、これ以上、は」

 もとより二人とも、“上手く乗る”ことはできても、“速く飛ぶこと”はできない。

 綺麗なフォームで走れるのと、早く走れることが同義でないのと同じように。

 レナは自分の力のなさを呪った。

 だが、二人が止まることはない。ただ、シェリーとアイナが消えた場所へ向かって飛行する。

「リンネ!」

「…わかってる……!」

 木の葉がクッションになってくれていることを祈って、レナとリンネは危険な空を突き進む。

 その頭上では、いまだに黒い雷とフラメルが飛び交っていた。




 学院の北側にある大山林地帯──シュバルツグローブ──での異変など露知らず、昶はセインとの手合わせに追われていた。

 知っての通り、セインは上位階層(ヒューネラ)の中でも上位に属する精霊である。

 単純な筋力も、人間よりずっと上だ。

「うっ!?」

 左下からの右上への逆袈裟切り(ぎゃくけさぎり)を正面からまとも受け止めてしまい、昶の身体は後方へと大きく吹き飛ばされた。

「……! ってぇー!」

 肉体強化は行っていたものの、心構えができていなかったせいかけっこう痛い。全身の骨と筋肉がぎしぎしと軋み、悲鳴を上げているのがわかる。

 五行の流れを調整するだけでは、余裕がなくなってきたのだろう。

 元々筋力的にはセインの方が上なのだから、その差を埋めるには相手の動きを先読みしなければならない。

 初めの方こそ、ずぶの素人であるセインの動きは簡単に読めたが、それなりに経験値を積んでスムーズな動きが可能になった今では、元々の筋力があるのもあってかなり難しい。

 いや、技術的にはまだまだなのだが、土台となる身体が筋力的な意味で強靭なのもあって、とにかく一回の攻撃が速く力強いのである。

 血の力を使えばまだまだいけるのだが、昶はその力を使うつもりはない。

 この力は、本当になにもかもを破壊するためのものでしかないのである。

 ノム・トロールと戦って誰かを守るような力とは、存在理由が根本から異なるのだ。それに、使うと気分が悪くなる。

 理由はわからない。心身には異常が見られないし、呪術的要因も見られない。

 だが、使いたくない。

 気分が悪くなるのと同時に、あの時(●●●)のことを思い出すから。

「大丈夫ですか?」

「まあ、なんとか。シェリーから聞いてるでしょ。俺も、肉体強化が使えるんで、ちょっとやそっとじゃ怪我なんてしませんって」

「そういえば、そうでしたね。(マスター)がいつもお世話になっているようで」

「いや、こっちも練習相手になってもらってるっていうか。その、恥ずかしいからそういうのいいですって」

 最初は固い印象を受けたセインだったが、こうして付き合ってみると表情はけっこう豊かだったりする。

 怪我をした小鳥を治療したり、他のサーヴァント──中でも掌サイズの小さなやつをかわいがったり、まるで普通の女の子のように可愛かったりする時もあるのだ。

 とは言っても、実際は『とても物騒な女の子』に、カテゴライズするので精一杯なのだが。

「でも、上達するのめちゃくちゃ早いですね。もう普通に形になってるし」

「そうでしょうか? 自分ではまだまだの気がしてならないのですが」

 この前レナに聞いた話では、セイン級の上位階層(ヒューネラ)の精霊とまともに渡り合おうと思えば、王国軍の中でもかなり上位の者でなければ不可能とのことらしい。

 つまり、昶のやっていることは相当無茶に近いわけである。

 むろん、向こうもそこの所はわかっているらしく、それなりにパワーをセーブしてくれてはいる。

「そろそろ休みましょうか」

「そうですねぇ……。朝やって、昼にちょっと休んでからまたずっとやってるし……」

 と、昶がエリオットに軽食を作ってもらうかどうか真剣に考えていると、新たに別の気配が近寄ってきた。種類は地精霊(グノーメ)

「うぃーっす」

 ミシェルと契約を結んでいる精霊、カトルであった。

 中位階層(ミーミル)妖精型(ピクセス)に属する地精霊(グノーメ)で、攻撃系の力に突出した力を持っている。その代償として、飛行力場を作れなかったり、気配を探る感覚が鈍かったり、感情面が幼かったりするのが特徴だ。

「どした? やけに眠そうだな」

「いやー、聞いてれよ兄ちゃん。昨日勢いに任せて調子に乗っちゃってさ、疲れてたからさっきまで寝てたんだぜ」

 カトルはこの前の事件から、昶のことを“兄ちゃん”と呼ぶようになっていた。

 本人の言葉を借りれば『あの凶暴女(レナ)と同じ部屋にいて死んでねぇとか、すげぇ……。今日から兄ちゃんと呼ばせてくれ!』とのことらしい。

 あれは昶自身も不本意なことだったのだが、まあ、多少の気まずさと恥ずかしさに目をつむれば、なかなか楽しかったりしたわけで。

 ってそうではなく、精霊って寝るのだろうか。確か意志を持ってはいるが、純粋なエネルギー集合体だったような気がしたのだが。

 と思った昶は、そのことをセインに聞いてみると、

(わたくし)や一応カトルもですが、人間の身体を模して“器”を形成していますので、睡眠も疲れをとるのに有効だとは思います。(わたくし)も日に一、二時間ほどの睡眠を取っていますので」

「でも、すげー少ないんだな」

「模してあるだけであって、そのものではありませんから。どちらかと言えば、娯楽の側面が強いですね。必ずしも取る必要はありませんので」

 精霊達の肉体(器とも言う)は、自らの属する属性の精霊素を圧縮して作られている。

 以前セインも言っていたが、精霊達は空気中の精霊素を取り込むことで、肉体の維持によって消費された精霊素を補充している。

 つまり、“寝る”という行為そのものは大して意味はないのだ。

 まあ、精神力の回復という面では多少の意味があるようだが。

「なんか、便利だなぁ。俺なんかまだ少し眠いのに」

 と、昶はあくびを噛み殺しながらセインに返す。

 目の下にわずかながら(くま)ができているのだから、嘘ではない。昼に一旦休憩を入れたとき、近くの窓で確認した。

「それよかさ、俺っちの(マスター)知らねえか? さっき起きたらいなくてさ、教室にも食堂にもいなくてさぁ」

 昶はセインと顔を見合わせる。どうやら、カトルは飛行実習についてなにも知らないようだ。

(マスター)達なら、北方のシュバルツグローブへ出かけています」

「え?」

 セインの口から発せられた予想外の言葉に、カトルは間の抜けた声を漏らした。

「飛行実習だったかな? 空を飛ぶ練習の一環なんだってさ。だから、レナ達一年生のクラス、今日は誰もいないぞ」

「えぇっ!! それマジか、マジなのか!? 俺っちなんにも聞いてないぜ!!」

 この時点で、カトルが本当に知らなかったことが確定した。

 まあ、本当に聞いていたのかどうかも怪しくはあるのだが。

「聞いていなかったのではないですか?」

「うっせい! そんなことは………」

 『そんなことは』の続きを待つのだが、なかなか出てこない。

 カトルの額からなぜか冷や汗が流れ出す。

 しかも、視線はあてもなく宙を彷徨いだした。

 更に言うと、叫ぶ途中の大口を開けて固まったまま、微動だにしていない。

 ──お前絶対聞いてなかっただろ、自業自得じゃねえか。

 とか昶は思いながら、よくわからない慕い方をしてくれる精霊に冷たい視線を送る。

「はぁ、なにをやっていたのですか……」

「う、うるせえー! 俺っちにだって、たたた、たまにはミスくらいあらあ!」

「攻撃力に突出した能力のせいで、記憶の許容量も小さいのでしょう」

「んなことねーーーっ!」

 おっとりとした大人のお姉さんと、それに向かってわがままを言って聞かない幼児の図が完成である。カトルの声が変声期前の少年の物なのも手伝って、よりいっそうそのように見えてしまう。

 しかし、あなどるなかれ。膝丈程度のミニボディで、カトルはセインと正面切って力比べをしたほどなのだ。こと攻撃に関して言えば、カトルは上位階層(ヒューネラ)に匹敵する力があるのである。

 もっとも、セインにはぼこぼこにされたが。

「カトル、そんくらいにしとけって。俺やセインも居残り組なんだからさ」

 昶はあえてカトルとは視線を合わせず、その向こう側を見やる。

 カトルも昶の視線を追って、同じ方向へ首を回した。

 空を飛べない鳥竜種、犬猫や狼、ユニコーン、その他にも様々なサーヴァント達が、(マスター)の帰りを今か今かと待ち焦がれている。

 今回同伴したサーヴァント達は、実は十にも満たない。

 ほとんどが、この学院に残っているのだ。

 カトルもその内の一柱に過ぎない。

「ま、兄ちゃんが言うんなら」

 カトルはそれで納得してくれたようだが、キッとセインをにらみつけるのを忘れない。

 どうやらこの二人、口には出さないが大きな確執があるようで、こういう互いに会話するときなんかだと、カトルは露骨に攻撃的な態度を取るのである。

「そういやレナ達、今どのへんにいるんだろ?」

「すでに正午を過ぎていますので、こちらに向かっているのではないでしょうか?」

 と、昶とセインが自らの(マスター)の帰還について話し合っていると、そこにカトルも割り込んできた。

「でさ、ラグラジェル。どんぐらい遠くに行ってんだ?」

「セインと呼んでいただけませんか、カトル」

「誰が呼ぶもんか」

 ここでもやっぱり、反抗的な態度である。

 カトルはぷいっとそっぽを向きながら、でも気になるのかちらちらと横目で見ながらセインに続きを促してきた。

「では、話を戻しましょうか。行き先ですが、ネフェリス標準時で片道約二時間弱で着く、シュバルツグローブの開けた平原地帯だそうです」

 ──こっちの二時間だから、地球では四時間くらいか。長くねえか? 落ちたらどうすんだよ。

 と思う昶であるが、実際はそれほど心配するようなものではない。

 たいていの場合は、一緒に飛行しているグループの生徒同士が助け合えば、事足りるのだ。

 シェリーのことを、レナとリンネが助けていたのを見れば、想像しやすいであろう。

 それに、慣れれば普通に歩くより楽に移動できるので、昶の想像しているよりは、ずっと簡単なものである。

 逆に地球では、それほど長時間の飛行が可能な術が稀なので、利便性と言った面ではこの世界の魔法は優れているとも言える。

 それに、大型獣魔の生息地から外れていて、なおかつ視界の効く場所で何度か休憩もするらしいので心配は無用だろう。

「シュバルツグローブってーと、俺っち達の仲間や、魔法を使う生き物なんかもいるんだろ? 大丈夫なのか?」

「地上に近付かない限りは大丈夫らしいぞ。それに、そういう生息地帯は避けて通ってるらしいし」

「なるほどなぁ。確かに、あいつらだって無駄な戦いはごめんだろうしな」

「どのみち、(わたくし)達にできるのは待つことだけです」

 と、セインが最後にしめくくる。

「そうだな」

「だよなぁ。(マスター)、俺っち暇だから早く帰って来てくれよ~」

 セインの意見には賛成を示したものの、カトルは置いて行かれたのがよほど残念だったらしい。

 口は悪いが、けっこう主人思いなんだなぁ。

 と、昶はふと思うのである。




『助けて』




 ──今、声がしたような……。

 昶はセインと向き合うと、無言でうなずいてきた。

 そして、それはカトルも同じようである。

「今のは?」

「わかりませんが、確かに聞こえました」

「俺っちもだぜ」




『助けてください』




 また聞こえた。

 鼓膜を介さず、頭の中に直接伝わって来る不思議な感覚だった。

『誰だ?』

 昶も問い返す。言葉ではなく、心の中から。

 これと似たような術を、昶は知っていた。

 “念話”、思考内容を口語で相手に伝える、あるいは互いの意志あるいは意味を交換し合う話法。

 ただし、後者のような芸当はかなり上位の力を持った者にしかできないのが、その後者の念話の場合“言語”の壁がなくなるという特徴がある。

 今のは、まさしくそれに該当するものだろう。

『通じた。お願いです、(マスター)達を助けてください』

 今まで希薄だった思念が、一気に密度を増した。

 どうやら、思念を飛ばす方向を昶一人に絞ったようだ。

(マスター)って?』

『リンネです、リンネ=ラ=アンフィトリシャ』

 その意思が流れ込んだ瞬間、背筋の凍る思いがした。

 これなら少ない護符でも式神にして付けていれば、という後悔の念が昶の中で膨れ上がる。

「リンネのサーヴァントだ。レナ達に、なにかあったらしい」

「本当ですか……!?」

「なに!!」

 と、昶とセインの感覚が、同時になにか(●●●)を捉えた。

 感じる力は、薄い水精霊(ウンデネ)風精霊(シルフ)に、そして魔力。

 ただし、魔力はそれほど強いものではない。

 力の総量から考えても、あまり大きい方ではないだろう。

 ──そういや、出発前のリンネの肩に鳥がとまってたっけ……。

 と、昶が今朝のことを思い出していると、

「あれでは?」

 セインが雲のスキマを指差した。その先には、こちらへ向かってくる一羽の鳥が見える。

 全体的には青の強く彩度の高い空色。長い尾は身体の二倍ほどの長さがあり、先にいくほど空色から黄色のグラデーションになっている。外見はスズメを二回りほど大きくしたような感じだ。

 昶が止まりやすいように手を掲げると、身体に比べて少し大きめな翼をはためかせながら、ゆっくりと人差し指へ舞い降りた。

「“スピリトニル”じゃねぇか、珍しいな」

「“スピリトニル”?」

 この鳥の種類なんだろう。

 能力の検討はつくが、確認のために昶はセインに聞いてみた。

「精神に干渉する能力を持った鳥です。先ほどのも、その能力を使ったのでしょう」

 本来は相手の精神に干渉して、幻術を見せる程度の能力しかないらしい。

 天敵から逃げるために進化した能力とのことだ。

 しかし、サーヴァントには(マスター)とのコミュニケーション能力が必須である。

 高い知性があるとはいえ、鳥が人間の言語を理解することはできないし、人間も鳥の言語を理解することはできない。

 恐らくは契約した時に付加される能力として、上位の念話能力が備わったのだろう、とセインが話してくれた。

 ──俺がこっちの言葉がわかるのも、その契約の副産物ってわけか。

 自分の中の疑問──なぜ言葉が通じたのか──が晴れたことに満足感を覚える昶であったが、すぐさま大事なことを思い出す。

 リンネのサーヴァントは言ったのだ。『助けて』と。

『まず、なにがあったのか説明してくれないか?』

 昶は自分の人差し指に止まる鳥の目を見ながら、強く問いかけた。

『説明するより、見ていただいた方が』

 リンネのサーヴァントの思念に疑問符を浮かべる昶だったが、次の瞬間にはその言葉の意味を理解していた。

 流れ込んできたのだ。恐らくは、リンネのサーヴァントが見たらしい光景が。

 それはリンネとレナが、落下していくシェリーとアイナに向かって飛行している映像だった。

『友達を助けに行かれました。自分は助けを呼ぶように言われて。オレンジの髪の子と一緒でした』

 リンネのサーヴァントは、更に補足説明を入れてくれた。

 どうやら、昶の嫌な予感が現実になってしまったらしい。

「なにがどうなってんのかはよくわかんねぇけど、シェリーとアイナが森に落っこちて、レナとリンネが助けに行ったらしい。で、どうする?」

 言いながら、昶は背後を振り返る。そこにあったのは、刺々しいまでの気配を振りまく二柱の精霊の姿だ。

 昶も含め、答えはすでに決まっているようである。

「先生方に任せていては、後手後手に回るのは目に見えてますから」

「俺っちも行くぜ。兄ちゃんの(マスター)には、悪いことしちまったからな」

『俺達は先に行く。学院長にも知らせてくれ』

 昶はそう念じて、リンネのサーヴァントを宙へと解き放った。

 セインは昶とカトルを飛行力場で持ち上げて飛び立つと、学院を囲む城壁を越えた所で二人を降ろした。

 昶とカトルは大地を蹴り、セインは大気を切って突き進む。

 それぞれの(マスター)のもとへ。

 そして、学院の全職員に緊急召集がかかったのは、ネフェリス標準時で五分後のことであった。




 みんなから離れて、どれくらいの時間が経っただろうか。

 一時間以上経ったかもしれないし、まだ一分にも満たないかもしれない。

 頭上は巨大な木々によって完全に遮られ、その上にある空の情報は完全に寸断されている。

「ぷはーっ!」

「…っぱぁ」

 レナとリンネの頭が、水中からちゃぽんと浮かび上がった。

 シェリーとアイナは分厚い葉っぱのクッションを通り過ぎた後、川の真ん中へ落下していたようである。

 ぷかぷかと浮かんでいるシェリーとアイナを見つけた二人は、迷うことなく着水した。

 二人分の浮力を発生させられないのもあるが、一刻も早くシェリーとアイナのもとへ駆けつけたかったのだ。

 枝に引っかかったり、水に打ちつけられたとかでひっかき傷や青痣(あおあざ)ができているが、命に別状はないだろう。

 レナはシェリーの身体を、リンネはアイナの身体を、それぞれ抱き寄せた。

「ぇぐ、がぁ、はぁ、リンネ!」

 レナは杖の浮力も利用して自分の身体を川岸へ持ち上げると、リンネに手を差し伸べる。

 リンネもその小さな手で、しっかりとレナの手をつかんだ。

 水を吸って重くなっていたが、川の流れが緩やかなのも手伝ってリンネとアイナもなんとか岸へとたどり着く。

 シェリーとアイナが息をしているのを確認すると、レナは四肢を投げ出して倒れ込んだ。

 リンネも腰が抜けたように、ちょこんと座り込む。

「…大丈、夫?」

「うん、ちょっと水飲んだけど、なんとか。リンネは?」

「…大丈夫。アイナ、軽かったし」

「そぅ、よかったぁ」

 レナは持ち上げていた首を再び降ろす。

 小さな胸の膨らみが、せわしなく上下している。体力のない身体には、着衣水泳はかなりの負荷だったろう。

 しかも、意識を失った人間のオマケ付きならばなおさらだ。

「それで、これからどうする?」

「…意識が戻るの、待たないと」

 二人の意識が戻らない以上、片方が助けを呼びに行くこともできない。

 いざという時に一人だけでは、二人を運ぶことなどできるわけがないのだから。

「へっくち!」

「…服、乾かした方が、いいかな?」

「それならせめて洞窟みたいなとこないかしら。誰もいないからって脱ぐのも……。それに、火はどうするの?」

「…私は、使えない」

「あたしもよ」

 いつまでも濡れた服のままというのも嫌だが、火がないのなら乾かしようもない。

 日光の届かないシュバルツグローブの森は、昼間でも肌寒くまた多湿である。

 自然に乾燥するのを待っていたら、何週間かかることやら。

 それに上空からは、未だにフラメルの鳴き声が降り注いでいた。

 降りてくる気配がないのはせめてもの救いであるが、当分森の上には出られそうにない。

 それにアイナはともかく、制服が水を吸って重くなったシェリーの身体を運ぶのは、二人には荷が重すぎる。

 どちらかが目を覚ますまでは、ただ待つしかないのだ。

「とりあえず、マントからなんとかしましょ」

 二人はマントを外すと、雑巾のように絞って水を切った。




「ぅぅ……」

 背中がズキズキと軋む。

 身体のあちこちに軽い痛みがある。

 そして、右腕が焼けるように熱い。まるで、熱湯の中に腕を突っ込んでいるみたいだ。

 朦朧(もうろう)とする意識の中、ほんの少しだけ回復した思考で考えを巡らせる。

 ──私、杖が折れて、落ちたはずじゃ。

「…起きた?」

 周囲の状況確認に努めるシェリーの耳を、よく知る友人の声が叩いた。非常に心配そうな声音である。

 これは、本がと機械いじりが大好きで、よく自分の部屋によく本を借りに来る、小さな子の声。

 白味がかった水色の髪を、黒く長いリボンでツインテールにまとめていて、髪とは正反対に瞳は深い深い青い色をしている。

 泣く寸前のような顔は、十歳前後の子供のように幼く見えた。

「どっち?」

「…シェリー」

 カサカサカサ、と地面を覆う草むらを踏みつけて、視界の外からもう一人の人物が現れる。

「大丈夫? 痛いところとかない?」

 さっきの子より幾分か身長は高めだが、こちらも小柄な女の子だ。自分が大柄なのもあるが、この二人に関しては平均よりも小さい。

 いつもはおろしているオレンジの髪を、シックな黒いリボンでツインテールにまとめている。

 この子がツインテールとは、なかなかレアなショットかもしれない。

 つりすぎなほど大きな瞳は、今は心配そうに(うる)んでいる。

 それでも、エメラルドのように鮮やかな瞳が曇ることはなかった。

 ──へぇ、こういう顔もけっこう可愛いじゃない。

「なにバカみたいな顔してんのよ。聞こえてるならはっきりしなさい!」

「……お願いだから、耳元で叫ばないで」

 あとから来た方の女の子の叫びが、鼓膜に鋭く突き刺さった。まあ、これもいつものことなのだが。

 それを合図にして、シェリーの意識は急速に覚醒へと向かう。

 まず最初に、先ほどの二人の名前が呼び起こされた。リンネとレナ。

 その次に知覚できたのは、自分の状態と周囲の状況だ。

 びしょ濡れの制服は川に落ちたのが原因だろう。

 下着の中まで濡れていて、正直かなり気持ち悪い。これなら、すっ裸の方が万倍マシである。

 周囲の景色から察するに、完全に森の中にいるようだ。

 森の中の新鮮だがジメジメとした空気が、シェリーの肺をいっぱいに満した。

「よかったぁ……。どっか痛むところはない?」

「全身痛いわよ。特に右腕がね」

 シェリーは気怠(けだる)そうに身体を起こすと、こきこきと肩を鳴らす。

 もっとも、シェリーにとって打撲や擦り傷なら日常茶飯事なので、さほど問題ではない。

 だが、火傷の方は別だ。早々に処置しなければ。

 シェリーはとりあえず、右腕だけを川の中に突っ込んでから話しを続けた。

「まあ、私なら大丈夫だから気にしないで。それよりも、問題はアイナの方よ」

「どういうこと?」

「…詳しく、話して」

 シェリーの珍しく真剣な表情に、レナとリンネはごくりと唾を飲む。シェリーがこういう顔をする時は、たいていろくなことがないのだ。

「黒い雷に撃たれたのよ」

 シェリーはアイナをうつ伏せにしてマントをはぐった。すると、背中を一直線に横切るようにブラウスが黒く焦げていたのである。

 しかも川の水を押しのけて脂汗が吹き出し、顔も少し火照(ほて)っている。

 額に触れるとかなりの高熱だった。恐らく、三八度以上はあるだろう。

 火の属性を得意とするため、シェリーの感覚は熱や温度に敏感になっている。その感覚がアイナの状態を的確に伝えてくれた。

「早く熱を冷まさないと、それに処置も」

 シェリーがそう言うと、レナは素早くアイナのブラウスをたくし上げる。

 背中にはブラウスの焼けた跡と同じような火傷が現れた。太いミミズ腫れのような火傷が痛々しい。

「それでシェリー、手当てってなにをどうすればいいの?」

「って、私に聞かれても。別に私、火の魔法をよく使うからって、火傷ばっかしてたわけじゃないし」

 と、シェリーが返答に困っていると、

「…基本は、一緒。水で冷やして、患部を、濡れた布なんかで覆えば、いぃよ」

 ぐったりしているリンネが、横からアドバイスをくれた。

「シェリー、ナイフ貸して。どうせどっかに隠し持ってんでしょ」

「どうせって……。まあ確かに、いつ戦闘になってもいいようにいつも持ってるけどさぁ」

 と、シェリーはスカートのポケットから小さな果物ナイフを取り出す。

 それを受け取ったレナは、躊躇(ちゅうちょ)なくマントの端を切り始めた。

 掌大に切ったものを折りたたんで患部にあてがい、包帯状に切ったものでそれを身体に巻き付ける。

 シェリーもレナから返してもらった果物ナイフで、同じように自分のマンとを包帯状に切って右腕にぐるぐると巻きつけた。

 現状では、この辺りが限界だろう。

 と、そこへ、

「…シェリー、じっとしてて」

 ふらふらとふらつきながら、リンネがシェリーの隣に腰を下ろした。

 そして、

「…治療する」

 シェリーの右腕に、両手をかざす。

 中指の小さなグリーンサファイアのはまった指輪が、力強く光り始める。それに続いて、リンネの掌にも淡い光が灯った。

「いっ……!?」

「…我慢、して」

 肘から先いっぱいに広がる水ぶくれとどす黒い赤で染まったシェリーの右腕を、火傷は別種の痛みが駆け抜ける。

 腕中を針で刺されるような、そしてむず痒いような、そんな感覚だ。

「…治ってきてる、証拠。でも、もうちょっと時間がかかる、から」

「そっか。それまでは、じっとしてるしかないわね。っくち」

 と、シェリーにしては珍しい、可愛いくしゃみが森の中に響く。それからシェリーは、近くでぐったりと眠っているアイナへと視線をやった。

「レナ……。あれ、なに」

 トーンの低いシェリーの声が、二人の鼓膜を揺らす。

 なにか(●●●)、とは問わない。この場の誰もが、シェリーの言葉が指し示すものをわかっていたからだ。

「あれは……」

 レナは、なわなわと震える自分の唇を、懸命に動かして言葉を紡ぐ。

暗黒魔法(●●●●)

 心臓を鷲掴みにされたような痛みに耐えながら、レナはその単語を発した。

 自分ではどうにかなったと思っていたのだが、やはり人が過去の呪縛から逃れるのは簡単ではないようだ。

 これでは、(アイナ)のことは言えないな、とレナは自嘲する。二度三度、深呼吸して呼吸を整えるとレナは説明を再開した。

「昔色々調べたことがあるんだけど、結局ほとんどわからなかったわ。わかったのは名前と、あたし達の使ってる魔法とは同系統だけど、仕組みが全然違うってことくらい」

 これには、シェリーもリンネも暗い顔をする。

 あの黒い雷の持つ力は圧倒的だった。第三級危険獣魔に指定されているフラメルを、ああまで一方的に撃ち落としたのだ。

 せめてどんな性質のものかわかっていれば、ある程度の対策は講じられるのに。

 と、そこへ更に、

「あと、“暗黒魔法”に関する知識を得ることは、それ自体が禁止されてるみたいよ。どんなものか知っているのは、国の上層部のほんの一握りだけみたい。あたしも、家の古い書庫でようやっと見つけたくらいだし。お父様も、特一級の王室機密だってことだけは、教えてくれたわ」

 嬉しくない情報が追加される。

 知ることを自体を禁止されている魔法。

 その魔法が知ることを禁じられていること、またその魔法の存在自体も、知る者はほとんどいないだろう。

 これは、そういう類の話だ。

 シェリーも、お伽噺程度には聞いたことがある。

 存在そのものが禁忌とされる魔法が存在する、と。

 それがこの、黒い雷──暗黒魔法なのだろう。

「だからあの雷についてはよくわかんないけど、系統が同じようなものなら、治癒魔法でなんとかなると思うわ」

「…シェリーの、終わったら……。頑張って、みる」

 弱々しい声だが真剣な眼差しのリンネは、より一層両腕に魔力を込めた。

 それからしばらくして、シェリーの治療は終了した。時間にすれば、五分程度──ネフェリス標準時で──だろう。

 すでに体力の限界だったリンネは、精神力も限界に達したようだ。

 その場にへたりこみそうになるのを、後ろからレナが支えてやった。

「それじゃ、アイナの治療は無理ね。先に休める場所を探しましょ」

「レナの言う通りよ。あんまり無茶しちゃだめよ。リンネ」

 納得はいかないが、二人の言い分がわからないリンネではない。

 いつ助けが来るかもわからないのだから、それまでの居住空間も確保しなければならないし、服も乾かさなければならない。

 それになにより、アイナを安静な場所で看病しなければ。

「所でシェリー、杖はどうしたの?」

「私のは折れちゃったし、アイナも途中で手放しちゃったから分かんないわ。早く行きましょ。洞窟なんかがあればいいんだけどね」

 シェリーはアイナを軽々と背負って立ち上がる。まだ切ったマントを巻いたままだが、腕の火傷は確かに治っているようだ。

 それに続いて、レナはリンネに肩を貸しながら、ゆっくりと森の奥へと消えていく。

 そして、それと入れ替わるように、一つの影がその場所へとやって来た。

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