第四話 編入生 Act05:壊された平穏
レイチェル先生の反応は驚くほど的確で、そして迅速だった。
聞き慣れない轟音に身をこわばらせる生徒達と違い、一瞬も怯むことなく指示を飛ばす。
「全員空へ! 学院の方へ向かってください!」
幸いにも轟音が聞こえてきたのは、学院がある方向とは正反対の方角であった。
だが、それだけではだめだ。
この音の正体を知っていたレイチェル先生は、すぐさま次の行動に出た。指示を飛ばすと同時に、巨大な氷の盾を作り出す。
魔法は通常、呪文を唱えることによって術のイメージを強固に固め、その効力を最大限発揮するのだが、今回はその手間も惜しかったらしい。
明確なイメージを与えられないまま構成された氷の盾は、通常の氷と同等の強度を持つことしか許されなかった。
だが、それを補って余りあるほど巨大で分厚い、氷の壁が形成されたのだ。
全長約五〇メートル、全高約十メートル、厚さ約二メートル。
普段の温厚なレイチェル先生からは想像もつかない、とんでもない力業である。
「早く! 私も長くは保ちません!!」
その間にも、生徒達は次々と離陸を始めた。初めは氷の壁に隠れるように低空で、速度が付き距離が開いてきたら一気に数百メートル上空へと上昇する
レイチェル先生は脂汗をながしながらも生徒が全員上空へ逃げたことを確認すると、氷の壁の制御を放棄。自らの身体を守る最低限の氷の盾──それも上位の防御呪文──を形成しながら、上空へと退避を始めた。
「嘘……」
シェリーは、今自分が見ている光景が信じられなかった。
森から飛び出してきた“なにか”が次々と氷の壁に突き刺さり、抉り、穿ち、破壊する。
先ほどの氷の壁を見ただけで、レイチェル先生が自分達よりどれほど高みにいるかわかる。
その氷の壁が、レイチェル先生からの魔力供給を断たれた瞬間、絶え間ない攻撃によって瞬時に氷塊へと変換されたのだ。
文字通り一瞬、一秒保ったのだろうかと。そんな刹那の時間だった。
森から飛び出してきた“なにか”は氷だけでは足りないのか、周囲の木々をなぎ倒し、緑の絨毯をこそぎ取り、地形さえも変容させていく。
明確な敵意を持った攻撃だった。
先生のおかげでなんとか避難できたが、そうでなければ自分達は今頃……。
しかし、冷静になってみるとなにかおかしい。
そう、たった今レイチェル先生の氷の壁を粉砕した、あの攻撃である。
「レナ、あれってなんなの?」
シェリーは隣にいる博学な友人にたずねる。
しかし、そのレナも森から飛び出してくる攻撃に釘付けになっていた。
すると、不意に森からの攻撃が止んだ。が、それもまばたきする程度の間。一拍の静寂を置いて、今度は森のあちこちから火の手が上がり始める。
それも一つや二つではない。七つ、八つ、九つと、炎の塊が次々と際限なく膨れ上がるのだ。
爆発による余波が、避難中の生徒達に襲いかかった。
まるで壁にぶち当たったかのような衝撃が全身を叩き、続いて訪れる熱波が薄い衣服を抜けて肌を焼く。魔法文字によって多少の防御力を備えた制服では、まったく役に立たない。
静けさと穏やかさに満ちていた空間は、一瞬にして戦場へと豹変した。
「ちょっとレナ、大丈夫?」
「…レ、レナ?」
「……え、あ、ぅ、うん。ごめん、大丈夫」
森の方に気を取られていたレナは、シェリーとリンネの呼びかけで意識をこちらへと引き戻し、その頭で現在の状況を冷静に分析する。
シェリーの速度に合わせているせいか、足並みが全体より遅い。殿を務めるレイチェル先生を除けば、今見た限りでは最後尾だ。
しかし、無理に引っ張ればその瞬間にバランスを失って落下しかねない。
残念ながら、レナとリンネが協力しても、シェリーの体重を支えられるだけの飛行力場は発生させられないのである。
「…シェリー、急いで」
「そうは言ってもね、リンネ、わぁっ!? 私、飛ぶのは苦手なんだから!」
だが、状況はシェリーの事情などまったく考慮してくれない。
これまでより一際大きな爆発が起こり、全身の骨を折らんばかりの衝撃波が三人に襲いかかったのだ。
吹き飛ばされながらも辛うじてバランスを保っていた三人に追い討ちをかけるように、今度は高熱を伴った大気が津波のように押し寄せる。
先の爆発でそれを十分に理解していたレナとリンネは、必死で呪文用の魔力を錬り上げた。
時間の許す一瞬の間に魔力を練り上げた二人は、指輪をはめた手を熱波に向けて突き出す。
「エアロスティンガー!」
「…フロストウォール!」
魔力に牽引された精霊素は、唱えられた呪文に従ってまたたく間に形を変えた。
レナの掌からは長大な尾を引いて風の槍が飛び出し、リンネの呪文に呼応して尖形の氷の盾が形作られる。
風の槍は熱波の中心部を抉って威力を減退させ、また氷の盾は熱波を正面から受けるようなことをせず、中央の尖った形を利用して熱を周囲へと逃がす事に成功した。
だが、しょせんはそれだけのことでしかない。
それは水鉄砲で山火事を消せないのと同義だ。
消しきれなかった熱波の一部が、三人へと襲いかかる。
「熱っ!!」
「シェリー!?」
「…なにを!?」
二人を押しのけるようにして前に出たシェリーは、とっさに指輪をはめた右手を下方に向けた。
掌から直径一メートル以上の淡赤色の光が同心円上に広がり、即席の盾を作り出す。
魔力の物質化。そう呼ばれている技能である。
不完全でまだまだ形成には時間のかかる物質化を、シェリーは極限の状況下の中、一瞬でやり遂げたのだ。
シェリーの張った魔力の盾は高音の熱波を阻み、すんでの所で三人を守り切った。
とりあえずの危機を脱したことで、レナとリンネは安堵から大きなため息をつく。さすがはシェリー。魔法戦では一年生でトップの成績だけのことはある。
だが、今度はどこからともなく、おかしな異臭が漂って来た。吐き気をもよおすような、なにかが焦げたような不快な臭い。
その正体は、すぐにわかった。
「なにバカなことしてんのよ、あんたは!」
「…シェリー、手、手が」
魔力の物質化はポピュラーではあっても、簡単に習得できるような技術ではない。
間に合ったとはいえ、熱波の余波は物質化した魔力の盾をすり抜けてシェリーの右手を焼いたのである。
「ってて、やっぱ難しいわね。物質化」
火傷の激痛に耐えるシェリーの額からは、不自然なほど大量の汗が流れ出ている。
掌から肘にかけて真っ赤に腫れ上がり、肌の表面を覆い尽くすほどの水膨れができていたのだ。
すぐに治療をしなければ、感染症を引き起こしかねない危険な状態である。
「レナが苦手な魔法を成功させてくれたんだから。私だってこれくらいしないと。ね?」
顔面を真っ青になにながらも、シェリーはいつものようなイタズラっ子の笑顔で二人に笑いかける。
悲鳴を上げたいほど痛いはずの火傷を、必死に我慢して。
だが、そんなシェリーの頑張りをあざ笑うかのように、更なる脅威が眼下の森から飛び出してきた。
キュワーーーーーーーーーーーーーーー!
明らかに人間でない者の声が木霊する。
目を凝らして見ると、未だ断続的に発生する爆発の中から飛び出す影が見えた。
しかも、そのどれもが人間よりも遥かに大きい。
小さいものでさえ、くちばしから尾まで十メートル以上はある。
太く尖ったくちばし。全身を覆うのは、保護色となる深緑とこげ茶色の羽毛。鷹の足をそのまま巨大化させたような、屈強な脚部と鋭利な鉤爪。そして最大の特徴は、咆哮と共に吐き出される炎の塊。
シュバルツグローブ北部に広く分布する鳥竜種──フラメルである。
普通はテリトリーに侵入しない限りは温厚な性格のはずなのだが、今のフラメル達は明確な怒りの意志をまき散らしていた。
「レナ、あれって!?」
「フラメルよ! 鳥竜種だから全体的に見れば弱い方だけど、あたし達なんかじゃ相手にならない!!」
「やっぱり、第三級危険獣魔指定の……!!」
鳥竜種はと、名前の通り鳥の姿をした竜種である。羽毛の下に強靭な竜鱗を備え、各種精霊素や多少の魔力を制御する能力を備えている。
だが、その本質があくまで鳥である彼等は、獣魔全体から見れば脆弱と言えるだろう。
フラメルが第三級であるように、鳥竜種は最も危険な種類でも第三級までしか存在しない。
しかし、第三級ということは第五級のノム・トロールよりずっと危険なのだ。
「…逃げる!」
リンネの意見に全面的に賛成の色を示す二人。
それもそのはず。いつもと違う発動体で慣れない空での戦闘である上に、相手の数は十以上。しかも現在進行形で増加中だ。
この戦力差で立ち向かう者がいれば、ぜひ代わっていただきたい所である。
それに例え三人が本来の力を使えた所で、中途半端に傷付け怒らせるのが関の山だろう。
レナ、リンネ、シェリーは全力で杖を飛行させた。
しかし、相手は仮にも竜。その速度は三人の比ではない。
「あなた達、早く!」
レイチェル先生は呪文を唱えながら、短い杖を振るった。
たちまち十数本の氷の槍が生み出され、フラメルの集団を迎え撃つ。
だが……。
────バチ、バチバチ────バリバリバリバリバリバリ!──────。
再び森の中から攻撃が再開されたのだ。
高速で直進と屈折を繰り返しながら、フラメルの集団に襲いかかる。
雷、とでも呼ぶべきなのだろうが、あんな雷が存在するのだろうか。
あんな、全てを飲み込むようなドス黒い色をした雷なんて。
鼓膜に突き刺さる轟音と共に、空間を引き裂いて突き進む力の奔流。
暴力的なまでに圧倒的な黒い雷は、逃げようと、あるいは反撃しようとしていたフラメル達を、次々と撃ち落とす。第三級危険獣魔に指定されているフラメルを、まるで赤子の手をひねるかのように。
そんな様子を呆然としながら見つめていると、狙いを外した流れ雷がレナ達の方へと飛来する。
「え……?」
「嘘!!」
「……あぁ!?」
シェリー、レナ、リンネは、自分達の元に迫る黒い雷―黒雷―を見つめる。
スローモーションのように迫るそれを見て、避けられるかも、とレナは思った。
黒い雷は、本来の雷と同じ速度ではなかったからだ。
だが、身体の方は全く言うことを聞いてくれないのである。
いや、『思考速度が身体に追い付いていない』と言った方が正しいかもしれない。
直撃することはわかっていても、冷静な部分が避けられないと判断を下していた。
だが、レナは黒雷を見つめる。
その先の先の先の先の先の先の、ずっと先にいる、誰かを……。
「危ない!」
そんなレナの思考に、突然誰かの声が割り込んできた。
アイナである。アイナは乗っていた杖を大きく振りかぶると、黒雷を切り裂いたのだ。
杖の周囲には、爆発的な光量を放つなにかがまとわりついていた。
「大丈夫ですか!!」
アイナは振り切った杖を器用に振り回し、その上にまたがる。
間違いない。先ほどシェリーの見せた、魔力の物質化である。
杖を芯にして、瞬間的に“魔力の大剣”を作り上げたのだ。
しかも、シェリーの物質化とは桁外れに密度が高い。
「あ、うん大丈夫。シェリーが心配だけど」
初めこそ驚いていたレナであるが、そんな猶予はない。すぐさま思考を切り替え、シェリーのことを指し示した。
先の熱波を防いだせいで、右ひじから先に重度の火傷を負っている。
そのあまりにグロテスクな光景に、アイナは思わず表情を歪めた。
「わかりました。私がなんとかしますから、二人は先に行ってください」
「でも…」
「大丈夫です!」
レナが言い終わるより先に、アイナがそれを否定する。
まっすぐな、力強い目で。
「私、飛ぶのだけは自信がありますから」
「それは、わかってるけど……」
なにかを言おうとしたレナであったが、状況はそれを待ってくれるわけもない。
「早く! 来ましたよ!」
アイナの言葉に、三人は後ろを振り返る。
黒い雷の弾幕をくぐり抜けたフラメルの一団が、四人の方に迫ってくるのが見えた。
もう、時間は残されていない。
「頼んだわよ」
「…先に行く」
苦渋の決断を強いられたレナとリンネは、シェリーをアイナに任せることにして先行することを選んだ。
自分達では、シェリーを伴って飛ぶだけの技量はない。
人一人を浮かせる飛行力場で精一杯。二人分、リンネと協力しても一人半の体重を支えなおかつ飛ぶなんてことは、今の二人には到底不可能であった。
二人はシェリーとアイナのことを気にしながらも、みんなの所へ向かう。
と、その時、
『な、なにこれ!?』
不意にレナの左目に、今見ている場所以外の光景が映し出された。
「リンネ、上昇!」
状況を認識するより先に、レナは叫んでいた。
反射的に上昇した二人の足下を、間を置かずして二体のフラメルと黒い雷が通り過ぎたのだ。
見えたていた、のである。
背後からフラメルがやって来ることも、黒い雷が飛んでくることも。
「…レナ、今の?」
驚きに、リンネは目を丸くする。
なんでわかったのか、と目で訴えていた。
「あたしにもわかんない。いきなり、目に映ったから言っただけだし……」
なんでそんなものが見えたのか、レナ自身にもさっぱりわからない。
不気味ですらあるが、命が助かったのだ。
詮索するのは、この場を脱してからでも遅くはないだろう。
シェリーに回していた飛行力場を全て速度に費やし、レナとリンネはどんどんと高度を上げていった。
「…二人は?」
「大丈夫みたい」
未だ危険地帯ではあるものの、ようやく一息つける場所までたどり着いたリンネとレナは、シェリー達の方を振り返る。
軽く数百メートルは離れているので、ここからでは点にしか見えない。
だが、その周囲には十体を超えるフラメルと、黒い雷がひしめき合ってるのが見えた。
しかも、フラメルの数はついさっき二人がいた時より、確実に増加している。
そんな中を、アイナはシェリーの左手を引っ張りながら、巧みな杖さばきで襲いかかるフラメルと黒い雷を次々と回避していく。
見事としか言いようのない卓越した飛行技術であるが、二人にはシェリーの右手も気がかりだった。
あの右手で杖をつかんでいるのだ。それ相応の痛みが、シェリーの右手を苛んでいるだろう。
「助けに行くのは」
「…無理」
助けに行きたいだが、二人にそんな力はない。
それがよけいに悔しくて、心の真ん中に『無力』の二文字が強くのしかかってくる。
「よね。呪文唱えようにも、あれじゃ当たっちゃうかもしれないし」
「…うん」
時折、フラメルの吐き出す炎と狙いを外した黒雷のお陰で、その場にとどまることさえ叶わない。
レナとリンネそんな流れ炎と雷を回避しながら、威力圏外までの離脱を開始した。
アイナはシェリーの手を握ったまま、ひたすらに回避運動を続けていた。
こう言ってはあれだが、シェリーの実力はクラスの中でもダントツで下手だ。
実質アイナは、二人分の体重を一人で持ち上げているようなものである。
「もうちょっと頑張って下さい」
アイナの細腕では、シェリーの身体を支えるのはかなり辛い。
女の子の中では高めの身長に加え、細い見た目とは裏腹に強靭でしなやかな筋肉に包まれた身体は、アイナが想像していた以上に重かったのである。
「そんなこと、言われたって……!!」
シェリーはアイナに引っ張られるまま、飛行力場を発生させ続けるので精一杯だった。
あまりの不規則な動きに脳髄がかき回され、目の前が真っ暗になったり真っ赤になったりするのをすでに何度も繰り返している。
これ以上速度を上げられては、意識を保っていられる自信はない。
「また来た!」
回避不能な攻撃が迫り来る。
アイナはその場で回転しながらシェリーを前方へ投げつけ、その勢いを殺さぬまま杖を持つ腕に大量の魔力をそそぎ込んだ。
「はあぁぁあああ!」
一瞬の物質化にその全てを注ぎ込み、アイナは杖を斬れぬ物のなき名剣へと作り変え黒い雷を迎え撃つ。
「よいしょっと!」
自身の回転に加え、腰、肩、腕の引きも使い、白い大剣と化した杖で黒い雷を斬り裂いたのだ。物質化していた魔力は黒い雷を撃ち落とした瞬間に、まるで幻であったかのように霧散する。
アイナは振り回した杖にまたがると、バランスを崩して落下しかけているシェリーに向かって加速した。
「あ、ありがと」
「こっちこそ、乱暴にしちゃってすいません」
アイナはシェリーのウエストを抱き、なんとか大勢を立て直させる。
シェリーの安全を確保した所で、アイナは周囲の状況を確認した。逃げ出すのが一歩遅れたせいで、フラメルが飛びかっている空間から抜け出せない。
しかも、黒い雷が怒涛のように押し寄せてくる。
なんとかしなければと、アイナは首と視線をめまぐるしく動かした。
各フラメルの位置と予測進路、黒雷の大まかな射出点を確認し、空中に三次元的な行路を描き出す。
黒い閃光が見えた瞬間には右にスライド。直後、シェリーの髪を黒雷が焼いた。
また、フラメルが口の中に炎をためているのを確認し、今度は直角降下を開始する。マントの端を焦がしながら、これも紙一重で回避した。
無茶苦茶な軌道を鳥ながら急加速と急制動を繰り返し、そこに時々ひねりまで加えてアイナは縦横無尽に宙を駆ける。
「ちょ、これ、酔う……」
「口を開けないでください。舌を噛みますから」
アイナは短く注意しながらも、周囲への警戒を怠らない。
怒り狂って突撃してくるフラメルを華麗にかわし、時折飛来する黒い雷を最小限の軌道で回避する。
が、空戦に関してはとんでもないレベルのアイナにも、想定できない事態は存在した。
黒雷の直撃を受けたフラメルが、別のフラメルのコースを阻害。もつれあった二体のフラメルが、いきなり真上から落ちてきたのだ。
「すいません!」
「ちょっと待っ、キャァッ!!」
アイナはシェリーを再び放り投げ、その反動自らも反対側へスライドする。直上からの落下も、なんとか回避したのだ。
まったくもって、恐ろしいほどの思考速度と判断力である
「あっ!? アイナーーー!」
「えぇっ!?」
だが、フラメルが通過した向こう側に、シェリーの姿はなかった。
アイナは下方へと視線を移すと、撃ち落とされたフラメルの羽の隙間に赤紫の髪の毛を発見する。
「シェリーさーーーん!」
アイナはすぐさま、杖の角度を真下へと向けた。
黒い雷とフラメルをかわしながら、最短ルートでシェリーの元へと翔る。
「っぷは!!」
シェリーは自力で羽の間から這いだし空中に飛び出したのだが、杖は中央からぽっきりと折れてしまっていた。
これでは、もう役に立たない。
そう判断したシェリーは杖を放り投げ、両手両足を広げて安定姿勢を取る。
「間に合え!」
アイナは自分にそう言い聞かせ、全身全霊で杖に魔力を注ぎ込んだ。自身の限界を大きく超えた速度で、アイナは一心不乱に突き進む。
「アイナ……」
「シェリー、さん!」
と、アイナがシェリー制服の裾をつかんだ。
しかし、目の前にはもう森の木が目前まで迫っている。
アイナは進行方向を下方から前方へと強引に修正し、木々の頂きをかすめるようにしてどうにか前進へと持ち込んだ。
かなり危なかったが、おかげでフラメルの集団から抜け出すことができた。
このまま低空で突っ切れば、無事安全圏までたどり着けるだろう。
「はぁ、ありがと」
「いえ、大丈……」
しかし、ほっとできたのもつかの間。
シェリーを後方に乗せようとした刹那、アイナの意識は轟音と共にかき消される。
ただ、最後の瞬間、危険を伝えるレナの声が、聞こえたような気がした。
レナの眼は、またしてもなにかを見ていた。
森のずっとずっとずっと、──────────ずっと奥。
全身を黒のローブで包みこんだそれは、ヒトであることだけは唯一読み取れた。
そして、右手には発動体が握られている。
長さ約二メートル、刃渡りが一メートルはありそうな大鎌。
まさに“デスサイズ”と呼ぶに相応しい逸品だ。
すると、黒いローブに包まれたその人間はいきなり大鎌を突き出した。
その瞬間、先端に暗黒色の魔法陣が形成され、不可思議な図形を描き出す。
「逃げてぇぇえええええ!」
聞こえないと分かっていても、レナは叫んだ。
網膜に直接映し出される魔法陣から、黒雷が吐き出されるのと、今見ている森の中から黒雷が飛び出すのは同じタイミングだった。
黒雷は水平飛行に入ったばかりのアイナの背中をかすめた。
窮地を脱したと思われたアイナとシェリーは、そのまま深い森の中へと消えてしまう。
「アイナーーー! シェリーーー!」
考えるよりも先に、身体が勝手に動いていた。
レナは二人の落下地点へと杖を走らせる。
「…ソニス、伝えて。アキラに」
そう言って、リンネは彼を解き放った。
そして、自分もレナを追って二人の元へと向かう。
親友と、クラスメイトを助けるために………。
そこは広い、広い部屋だった。
足元には足首まである赤い絨毯が敷かれ、金箔で装飾された調度が所狭しと並べられている。
いったい、どれほどの国民の血税を費やしたのだろうか。
男は皮張りのソファーへ優雅に腰掛け、目の前のテーブルに並べられた数十枚の書類の束を見つめていた。
「ふむ、計画は滞りなく推移しているようだな」
「正確には、五項目ほどの遅延が生じています。ですが、それも予想の範囲内です」
その男の隣には、まだ少女と言っても過言でないほどの若い女が立っている。
淡々とした抑揚のない口調からは、感情の起伏を感じ取ることはできない。
だが、その少女がただ者でない事だけは、その気配から察する事ができた。
漆黒のローブで全身を覆っているが、右目の下には不気味な刺青が彫り込まれていることは確認できる。
「それと、さきほど“ルーエ”からこのようなものが」
少女は小さく丸まった紙を、ソファーに深く腰掛ける男へと手渡した。
男はむしり取るようにして、その手紙をひったくる。
「ふむふむ、今日の“狩り”は誰だったか?」
「“ツーマ”です。彼なら何の問題もありません。どんな障害だろうと、自力で殲滅できます」
「そうでなくては困る、そのためのお前達なのだからな」
男は、それがさも当たり前かのように言い放つ。
が、少女の方は全く気にした風はない。自身も、それが当然の事だと認識しているのだ。
「それと、“ルーエ”の内部調査はどれくらい進んでいるのだ?」
「ほぼ完了したとのことです。現在は攻略方法について検討中だと」
「よしよし。計画は順調だな」
多少のイレギュラーはあったものの、事態は男の計画通りに推移していた。
「連中に伝えておけ。近々、会合を開とな」
男は立ち上がると、締め切った窓を開け放つ。
太陽の光がさんさんと降り注ぎ、不健康そうな男の肌に突き刺さった。
眼下に広がるのは広大な庭、次に十メートルを大きく超える壁が見える。
そしてその先には、多くの人々でにぎわう町の姿が。
「待っていろよ、必ず手に入れてやる。はははは、はっはっはっはっはっはっはっはっ……」
男は両腕を広げると、大きく高笑いをする。
男の名は、ヴェルデ。元老院の議長を務める男である。
初めての方、初めまして。最初から読んでくれた方、ありがとうございます。これにて四話を終わります。わ~い。はい、すいません。終わりませんでした。当初の予定では、アイナの登校初日から飛行実習を行う予定だったのですが、それでは色々不自然すぎると思い、一日遅らせることにしたんです。ところがぎっちょん、これがなかなか楽しくてついつい書きすぎて、結局四話の内では当初の予定範囲までいけませんでした。ようはあれですよ、「結末は次回に持ち越し」戦法。さて、この回から色々と動きがありましたね。その辺も想像(妄想?)しながら読んでいただけたら嬉しいです。
それでは第五話でお会いしましょう。