第四話 編入生 Act03:悪だくみ?
レナのクラスの生徒達は、二時限目の錬金術の講義を終えると、食堂に集まっていた。
一つのテーブルに集まり向かい合って話している様は、いつもの食堂とは異質な空気を醸し出している。
もちろん、全員でお昼ご飯を食べるのではない。
時間の指定されている食事は朝夕の二回。昼食はとろうととるまいと、またなにを食べようと完全に自由となっている。
大半の生徒は多かれ少なかれ食事をとるが(ケーキばかり食べる人もいる)、昼食を抜かす人もちらほらとはいるようだ。
「それじゃ、準備を始めるわよ。アイナに会っても、絶対に言っちゃだめだからね」
「おぅっ!!」
「まかせとけって」
「そうじゃないと意味ないしね」
「ははっ。今からどんな反応するか、楽しみだなぁ」
「きっとびっくりするわよ?」
「いっちょ、盛大にいこうぜ」
レナの注意に対して、生徒達は各々の感想を漏らす。生徒達の口元を笑みが彩り、誰もが楽しそうである。
そわそわと言うか、わくわくと言うか、そんな空気に満ち溢れていた。
と、そこへ、
「お呼びでしょうか、レナお嬢さま。なにかなさろうとしているように見えますが、まさか悪だくみの相談ですか? それとも、まさか乱…」
「だー! もう、違うわよ! ちょっと手伝って欲しいことがあるの」
大人びた雰囲気の胸が大きいメイドさんがやってきた。具体的に言えばシェリーよりも大きい。年の頃は昶やレナ達より少し上と言った所だろう。
乱雑に切りそろえられた髪は日に焼けていて、ほんの少し赤味を帯びている。全てを包み込むような瞳は深い青色をしており、まるでサファイアのようだ。
もちろん、呼んだのはレナである。
レナはメイドさんに耳打ちすると、メイドさんの方はクスクスと笑い始めた。
「な、なによ! 別におかしくないでしょ!!」
「いえ、お優しい方だと思いまして。ふふふふ……」
と、図星を突かれたレナは紅潮しながらも声を張り上げて、
「べべべ、別にそんなんじゃないわよ。ふつーよ、ふつー!」
と、メイドさんの言葉を全面的に否定する。
「普段はそのように振る舞っておりますが、根はとてもお優しいことは、このセンナ重々承知しております」
「もう、それはいいから! コック長さんに、話通しておいてね」
「はい、お嬢さま」
話しを終えると、大人びたメイドさん──センナ──は、厨房の奥へと消えていった。
「レナ、いまの誰?」
クラスの女子に問いかけられた。
「あぁ、確か昔、レナの屋敷にいたわよね」
「なんであんたが知ってんのよ。そうよ、お父様が『知り合いがいた方がいいだろう』って、あたしのお世話係だったセンナも一緒に来たの」
シェリーの言葉を引き継いで、レナが簡単に紹介する。
レナとの対応が柔らかに感じたのは、二人が親しい間柄だったからのようだ。
少々過保護すぎるとも思わなくもないわけであるが、確かに妙な所でしっかりしていないレナが心配になるのはわからなくもない昶であった。
「ただ……」
と、その顔がいきなり苦いものになる。
「「「『ただ……?』」」」
全員がレナの台詞を復唱した。
「し……」
「「「『し……?』」」」
「し……、下ネタ好きなの」
レナの苦い顔が、さらに真っ青なものへと変貌していく。大方、過去にあった苦い思い出やら、その他の筆舌しがたい思い出を思い浮かべているのだろう。
とりあえず、それを聞こうとする無謀な人間はいなかった。
「まあ、材料関係はセンナがしてくれるらしいから、あたし達はテラスに荷物を運びましょう。言っとくけど、費用は全員で出し合うからね」
レナの言葉に生徒達は、『わかってるって』『そこまでがめつくないわよ』『心配しなくても大丈夫だよ』と答える。意気込みは十分のようだ。
その様子にレナはうんうんと頷きつつ、今度は発案者であるミシェルの方に目をやった。
「ミシェル、先生から許可はいただいたの?」
「あぁ、レイチェル先生にもオズワルト学院長にも、もらってきたよ」
ミシェルは白い歯をきらりと光らせながら答える。こういう小っ恥ずかしいことを簡単にやってのけるのが、ミシェルという少年なのだ。
「あんたの行動力って、時たま感心するわ、私」
と、そんなミシェルにシェリーが呆れたように口を開いた。
一時限目の時とは違い、今は血色の良い健康的な肌色になっている。
トイレに駆け込んで帰って来たのは、講義終了間際。自業自得とは言え、生理現象は止められないので担当の先生も許してくれたようだ。
「やらないで後悔するより、やって後悔する方が性に合ってるからね、ぼくは。それに、みんなでこうしてわいわい騒ぐのも、けっこう楽しいものだろう?」
「ふふっ、それもそうね」
得意気に語るミシェルに、シェリーは苦笑しながらも同意した。
成功すればそれに越したことはないし、失敗したら失敗したでそれはいい思い出になる。いつも天然ボケばかりかましているミシェルが、いつもよりかっこよく見える昶だった。
「はいはい。それじゃあ、早速準備を始めるわよ」
レナがぱんぱんと手を叩いたのを合図に、生徒達はぞろぞろと動き始める。
まずは、テラスの確保からだ。
初めての講義を終えたアイナは、レイチェル先生の案内で女子寮にやってきていた。
王立レイゼルピナ魔法学院は、全寮制の学校である。そこの生徒になったのだから、アイナに部屋があてがわれるのは当然のことであろう。
「ここがあなたの部屋になります。家具一式と生活必需品は、こちらで用意しておきました。あなた個人の荷物は、今週中には届くと思うので、もう少しだけ待ってくださいね」
「はい」
「それと、あなたが持ってきた衣類と制服は、そこのタンスに入ってますから。まあ、説明はこんなところかしらね。他に聞きたいことはありませんか?」
「いいえ、大丈夫です」
よろしい、と一言いうとレイチェル先生はアイナに部屋の鍵を二本手渡す。
「予備として二本渡しておきますが、できるだけなくさないようにしてくださいね」
「わかりました」
「初めての講義で疲れたでしょうから、夕食まで休んでくださいね。講義は午後からはないので、ゆっくりしてください」
「はい、ありがとうございます」
アイナは自己紹介の時と同じく、満面の笑みを浮かべる。
天真爛漫という言葉そのものを体現したようなアイナに、レイチェル先生は好印象を持ちながら部屋を去った。
「はぁぁ……。疲れたぁ」
アイナはベッドの近くまで歩み寄ると、発動体の杖をその辺にほっぽり投げて顔からベッドへと倒れ込んだ。
柔らかさはかなりのものらしく、ぽむっと何度か身体が跳ねる。
ベッドの柔らかさを十分以上に堪能してから、アイナはぐるりと半回転した。板張りの天井と、白塗りの壁が視界に入る。
この広大な空間が、今日から自分の部屋になるのだ。今まで使っていた部屋の倍以上ある。
それはアイナに優越感を与えると同時に、一抹の不安を抱かせた。
これまでの生活と一八〇度反対の生活。むしろ、不安に思わない方がおかしいだろう。
「はぁぁ……」
アイナはもう一度深いため息をついて、それも仕方のないことだと自分に言い聞かせた。
あんな長時間、“笑顔を続けた”のは初めてのことなのだから疲れても無理はない。
笑ってさえいれば、周囲の人は優しくしてくれる。例え辛く当たる人でも気味悪がってすぐにいなくなる。
それが、これまでの短い人生でアイナが見いだした処世術だ。
──院長先生。私、ちゃんとやっていけるか、不安です。
たった一人をのぞいて、アイナが真に笑える人はいない。それ以外の人に向ける笑顔は、全部嘘の笑顔。
自分を見つけてくれた元老院の人へ向けたものも、優しくしてくれたこの国の王様へ向けたものも、クラスの人や先生に向けたものも。
全部、全部、全部、嘘の笑顔だ。
全部、全部、全部、相手の良心を欺くための偽りの笑顔だ。
人はそう簡単に、誰かに優しくできない。
見ず知らずの人に、手を差しのべることはできない。
世界はどこまでも、人に優しくはできていない。
だから安易に他人を頼ってはいけない。頼れるのは自分自身だけだ。
アイナは自分にそう言い聞かせる。
これまでそうしてきたように、これからもそうやって生きていく。
世界に、他人に、自分自身に、嘘をついて生きていけばいい。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。アイナはひょいっと上半身を跳ね上げ、支給してもらったドレッサーの前に立つ。大きな姿見の鏡に、自分の姿が映った。
今までのような、その辺に落ちてそうな廃材で組み立てられたような代物ではない。
卑しくない程度に意匠を凝らした、気品と高級感の漂う見事な一品である。
こんな物を自分が使えるようになるなんて、今でも夢を見ているような気分だ。
その前で、アイナはにっと満面の笑みを作る。
自分で言うのもなんだが、美少女と言っていい。こんな外見に産んでくれたことだけは、両親に感謝している。まあ、顔すら知らなかったりするわけだが。
「それじゃ、夕食前に校内の見学でもして回りましょうか」
窓からは、中央の塔に備え付けられた時計が見える。
どうやら、自分で思っていた以上にベッドの上でぼうっとしていたらしい。夕食まで、ネフェリス標準時で約三〇分強。
この学院はかなり複雑な作りになっているので、早い内に見ておいた方がいいだろう。
普通の座学の講義は昨日のようにクラスの教室で行われるが、実習の時は別の教室や外庭で行われることも多いらしい。
半分近くは実習があるらしいから、早く覚えなくては。
アイナは発動体の杖を持つと、部屋の鍵がスカートのポケットにあるのを確認して、部屋を後にした。
部屋を出てすぐクインクの塔──学院の中央にある塔──に向かっていたアイナを、レナは間一髪のところで引きとめた。
レナが引き止め役に選ばれたのは、今日の講義で多少なりともアイナと関係を持ったからだ。友達かと問われればそうではないが、多少の会話を交わしたり教科書を貸したりしたのだから、順当な判断と言えるであろう。
「こうして歩いてみると、けっこう広いな」
とは、昶の談である。やることのない昶は、レナと一緒に行動するしかなかったというわけだ。
アイナが学院内を見て回りたいというリクエストにお応えして、レナが案内している。
レイゼルピナ魔法学院の構造は複雑にできている。隣の教室同士であっても一度外に出なければ入れない所があったり、かと思えば意味のなさそうな所で道が繋がっていたり、別の教室に行くのに複数の道があったり、といった具合に。
「本当ですね~。びっくりしました。特にダンスホールですか? あんなのまであるなんて、驚きました」
「パーティーやプロムなんかの時に使うの。ある意味、この学院で一番お金かかってる場所じゃないかしら」
今現在話しているのは、クインクの塔の北側にあるニヒルの塔──正確にはそこにあった巨大なホールについてである。豪華なシャンデリア、照明や音の反響を考慮した造り、オーケストラの演奏するステージ、大きく張り出したバルコニーまで設けられ、ここが学院ということを忘れるくらいの豪華さであった。
他にも、先生達の実験室や、魔具の保管庫、実習用に防御の術式が彫り込まれた教室、自習室、そして寮の地下に完備されているお風呂等々。
さすがに昶はお風呂場に入ることは許されず、外で待機させられるはめに。つい先日までレナの部屋で寝泊まりしていたわけであるが、やっぱり女の子の視線は相当気まずかった。
もっとも、学院の構造について全く知らなかった昶にとって、有意義な時間ではあったと言えなくもない。
「そろそろね」
レナがふと窓の外を見てつぶやいた。
「そろそろだな」
昶も窓の外に目をやる。日はすでに傾き山の陰に入り始めていた。
朱に染まった空は澄んだ空気とあいまって、非常に美しい景観を見せている。
夕食開始の時間までには準備を終えると言っていたミシェルの言葉を信じれば、もう大丈夫なはずだ。
「なにがですか?」
意味がわからずに首をかしげているアイナの言葉はあえて無視して、レナは向き直って言った。
「それじゃ、行きましょう。とっておきの場所があるの」
レナはあまりない胸を張ると、意気揚々とある場所へと向かって歩き始めた。
アイナが連れてこられたのは、食堂の隣に併設されたテラスだった。
軽食やお菓子など提供する場で、日の沈み始めたこの時間は開いていないとレイチェル先生は言っていた。
……はずだったが、
パーン、パーンパーン。
乾いた爆発音が連続して鳴り響き、正方形に切られた色とりどりの紙がパラパラと舞い落ちた。その他にもくしゃくしゃの紙テープが数十本も伸び、アイナは目をつむって驚きに身をこわばらせた
花火と似た臭いがするのは、黒色火薬が爆発したせいだろう。
事情を知らないアイナは、なにがどうなったのかまったく状況が呑み込めなかった。
しかし、食欲をそそられる豪華な料理があるのだけは、匂いでわかった。
「「「アイナーーー、レイゼルピナ魔法学院へ、ようこそーーー!」」」
アイナには、意味がわからなかった。
こんなはずはない、自分が生きている世界はこんなに優しくはできていない。
今までこんな風に迎え入れられたことがなかった。
むしろ、来なければいいのにと邪険に見られることの方が多かった。
だが、これだけはわかる。
自分の心が、嬉しいでいっぱいだ、ということだけは。
今まで築き上げてきた価値観が、音を立てて崩れ去っていくのがわかった。
だが、そんなことはどうでもいい。
偽りの笑顔の上を、一粒の涙が転げ落ちた。
人はなんの見返りもなく、誰かに優しくできる。
そんな人もいるのだと思えるだけでよかったから。
──ここなら、この学院なら、私はもう一度……人を好きになれるかも。
「……あ、ありがとぉ」
消え入りそうな声だったが、それは確かに全員の耳に届いた。
くしゃくしゃになって泣いているのに、とても嬉しそうな笑顔で。
それは嘘偽りのない、久しぶりの本心からの笑顔だった。
主賓のアイナはクラスの女子生徒に手を引かれ、一番奥のステージへと連行される。
たくさんの大きな松明が燃え上がり、まだ少し肌寒い暗闇を優しく照らし出す。
まるで心まで温めてくれるかのような、柔らかな光。
夜空に浮かぶ大きな月もアイナを歓迎しているのか、いつもより明るく感じられる。
「よかったな。嬉しそうで」
昶はレナの隣に寄り添いながら、悪戯っぽく問いかけた。
「あんなあからさまな作り笑顔なんてされてちゃ、こっちの方が気疲れしちゃうもの。これで少しはマシになってくれるといいんだけどね」
レナの方も、満足気にうっすらと笑みを浮かべる。
やっぱり根は優しいやつなんだなと、昶はレナをちらりと見やった。
「あ、やっぱ気付いてたんだ」
「当たり前じゃない。むしろ、気付いてないようなやつがいたら、そいつはマグスになる資格なんてないと思っていいわ」
と、レナは力強く断言する。
そのあまりに自信満々な姿に、昶はくすくすと笑い出した。
もぉ、とほっぺたを膨らませて怒るレナも、まんざらではないようだ。
「で、いつから計画してたんだ?」
「一限目の途中に、ミシェルから手紙が回ってきたでしょ?」
「手紙……?」
そういえば、と昶にも思い当たる節があった。
授業中にシェリーから回ってきた、あの紙だ。長い文章が一つと、その文章とはまるで別人が書いたような一文がいくつも。
なにわけわからないことをやっているのかと思ったら、こういうことだったらしい。
「って、あれかよ! よくそれでこんなのができるな……」
「当たり前でしょ? あたしを誰だと思ってるわけ?」
「う~~んとな~…………」
──あれ、なんだろう?
一瞬だけ昶は本当に悩んだ。
「ちょっと、そこそんなに悩むとこなの?」
「じゃあご主人様で」
「心にもないこと言わない!」
決して嘘ではない。心の片隅でうっすらと思っているのは、まぎれもない事実である。
まあ、実際にはほとんど嘘みたいなものであるが。
「じゃあお嬢様で」
「エロい目で見るな!」
「痛!!」
ローファーの踵で、思いっきり爪先を踏み抜かれた。
まるで一流のスナイパーのように、右足小指の先っぽをピンポイントで正解に踏みつける。
本日初めての、理不尽な暴力が昶の身に降りかかった。
「ちょっとレナ、なにやってんの?」
レナと昶を見つけたシェリーが、グラスに注がれた液体を飲みながら近付いてきた。
アルコールの匂いがしない所を見ると、フルーツ系のジュース類だろう。
「バカへの教育的指導よ」
「あらあら、お嬢さまったら。まさか殿方を辱めてお悦びになるなんて。そんな鬼畜な部分があるとは、このセンナも存じませんでした」
「なんでセンナがいるのよ!? ってそうじゃなくて、変なこと言わないで! あたしはそんな趣味、持ってないわよ!」
と、レナのことは完全に無視してセンナは昶に一礼した。
角度は六〇度、理想的な角度である。
全くどこから現れたのか、声を発するまで昶もセンナの存在に気付かなかった。
「初めまして、私はセンナと申します。昔はアナヒレクス家にて、レナお嬢さまのお世話係を、今はこの学院でご奉公させていただいております」
「は、初めまして。レナのサーヴァントの昶です」
初めはその大人びた柔らかな物腰と、包容力のある雰囲気にドキッとした。
だが、とてつもなく危ない感じがするのはなぜだろう。
しかも妙に懐かしい、ではなくすごく嫌な予感がする。
「アキラ様は、お嬢さまから、随分と仕打ちを受けておられるようですね」
「まあ、慣れましたけどね」
センナは、『躾よ! し・つ・け!』と叫ぶレナを完全に無視。
なんだか、もう慣れきってしまった、といった感じである。
なんか、もうながし方がプロ級にすごい。
「しかし、それはまだお嬢さまのほんの一面でしかありませんよ」
『なにも話さないで!』というレナの意見も、まるで聞こえないといわんばかりに淡々と話を続ける。
「普段は気丈に、と言いますかぶっちゃけ『違うわよ!』ドSですけど、『違うったら!』とても寂しがりやな部分もあっですね、雰囲気さえ作ってしまえば完全に『信じちゃだめー!』ドMになりま…。お嬢さま、会話邪魔をしないでいただきたいのですが。しかもどさくさにまぎれて三回ほど否定しておられたようですが、お嬢さまの特殊な性癖は熟知しております」
「あたしはそんなんじゃないし、『特殊な性癖』とか変なこと言わないで! バカが信じちゃうから!!」
昶から見た、そんなセンナの印象は、
『あのバカな姉と同類か……』
ただし、手を出さない分、センナの方がよく口が動くようだ。
「なにをおっしゃっておられるのですか? お嬢さまのことなら、スリーサイズも、胸の大きさを気にしていることも、その胸が大きくなっていないか毎日確認していることも、ちょっと大人ぶって際どい下着をご購入していることも、下の…」
「わーーーーーー! 言わないで言わないで言わないで言わないで言わないでええーーーーーー!」
『下の…』の続きは気になるが、レナはもちろんセンナも色んな危険なことだけは十分以上にわかった。
この手の手合いは昶の苦手とするタイプである。具体的に説明すると、主に言語で攻撃してくるタイプのことだ。
それはそれとして、朝には大きさのチェックをしてたのか、と昶はなんの役にも立たない知識を獲得したのだった。
「もういいからあっち行ってて!」
そんなレナの願いが届いたのか『センナさ~ん、ビーフシチュー追加~』との声が。
声の主はミシェルのようである。
「それでは、失礼します」
センナは『ただいまお持ちします』とミシェルに答えながら、中の厨房へと向かった。
レナは大きく肩を落としてため息をつく反面、シェリーは腹をかかえて、必死に笑いを堪えている。
近くにあんなの(昶の姉)がいなければ、昶も今頃シェリーと同じ側だったろう。
「ま、元気出せ」
「……なんかいつもと違うわね」
昶の妙なテンションを察してか、レナは昶に不審な目を向ける。
「いや、俺も近くに似たようなのがいたから……」
「………………」
お互い、もなにも言わずに俯くと、
──うん、困るよね、ああいう人種は。
二人ともそんなことを思った。
「ほら、二人とも~。テンション上げて、ステージが始まるわよ」
シェリーの指差す先には、楽器を携えた生徒達が演奏の準備に入っている。
そういえば、音楽の科目なんてなかったがちゃんと演奏ができるのだろうか。
そんな昶の心配をよそに、生徒達は見事にそろった演奏を始めた。
ゆったりとした、心の落ち着くような曲だ。
「まあ、いいわ。とにかくパーティーを楽しみましょ」
「そうだな。じゃ、料理でもいただくか。こんな機会、二度とないかもしれないからな」
レナと昶は口々にそう言うと、近くのテーブルに向かった。
この時ばかりは、昶も心から楽しんだ。
その光景を上から見下ろす者達がいた。
中央の塔の最上階、学院長室に二つの影がゆらゆらと揺らめいている。
「よかったのですか? 生徒だけにあんなことをやらせておいて」
「費用は全て生徒持ち、厨房のコック達も了承しておる。よいではないか。時期外れの編入生が打ち解けられるよう、このような催しを企画するとは。今年の一年生は良いクラスのようじゃな」
オズワルト学院長に話しかけるのは、この学院の秘書を務めているユーリという女性。
身長は一八〇、理知的な切れ長の瞳と、頭頂部の左やや後方にまとめられたサイドテールの髪は灰色。長さは肩甲骨よりも少し下まである。
見た目同様に有能な人物だが、性格はちょっとキツい。
「その割には、成績不振者や、素行に問題のある生徒がいるようですが?」
「若いうちは色々あるじゃろうて。大目に見てやりなさい。あ、ユーリくん、お茶を入れてくれんかの」
「緑茶でいいですか?」
「そうしてくれ、紅茶は好かんのでな」
「わかりました、少々お待ちを」
ユーリは学院長室の隣にある部屋から、ポットやら急須やら湯飲みやらを持って来た。
金属製のポットに入った水を、魔法の力で形成した炎で加熱する。
武器になるようなものを極力排除したために、ここには厨房のような火をおこす装置は存在しない。
「相変わらず、いい手際じゃなぁ」
「恐れ入ります。それとさきほどの続きですが、編入生の件、私は納得していません」
「なぜじゃ?」
「いくら王国の奨学制度を通ったからと言っても、この時期は不自然です。学期が始まってから、一ヶ月ほども過ぎたと言うのに」
急須に茶葉を入れ、沸騰したばかりのお湯を注ぎ込む。
緑茶独特の香りが、部屋中に満ち始めた。
あとは、お茶の成分が抽出されるのを待つばかり。
「文字の読み書きを学んでいた、と資料にあったではないか」
「ですが、彼女はまだサーヴァントすらいません。それに、彼女がいるだけでも、この学院の威厳を失墜させることにもなりかねないと思うのですが」
「威厳と言われてものう……。適性なら我が校の生徒の平均より、かなり高いのじゃが」
「そう言う問題ではありません。マグスはそれ相応の地位と志を持つ者がなるべきだと、言っているのです」
窓の外から、うっすらと楽器の奏でる音が伝わってくる。
下手ではあるが、聞けないほどではない。
まったく、どこから持ち出したのやら、とユーリは苛立ちを覚えた。
「地位はともかく、志を持ったマグスがどれほどおるものか」
「過ぎたことを言うつもりはありませんが、次からは私にもご連絡ください」
「あぁ、そうしよう」
ユーリは急須を傾け、湯飲みにお茶を注ぎ込む。
緑茶の香りが部屋に満ちると同時に、一本の茶柱が、
「おお!! これは縁起が…」
沈んだ。
「そ、そんに気を落とさないでください。たかが、茶柱ですよ」
露骨にがっかりしている学院長に、ユーリは慰めの言葉を口にした。
こう言ってはあれだが、あまりのがっかりように、笑えてくる。
その証拠に、ユーリは吹き出すのを我慢しているのだから。
肩がなわなわと震え口とお腹を押さえては、笑いがこぼれないよう、必死になっている。
「それはそうと、明日はその一年生の飛行実習の日じゃったな」
「はい。場所は北の密林地帯です。民家はないので、もし墜落しても問題はないかと」
「しかし、あの辺りは~~、あれじゃあれじゃ、大型の鳥竜種の生息地帯じゃなかったかのう?」
「はい、周回コースの近くに、“フラメル”の生息地がありますが、巣に近付かない限りは大丈夫でしょう」
「だと、いいのじゃがのう……」
学院長はお茶を飲み終えると、隣接された自らの部屋へと向かった。
「さて、それでは先に眠らせていただこうか。ユーリくん、仕事が終わったら消灯してくれて構わんよ」
「わかりました。お休みなさいませ、オズワルト学院長」
学院長は音もなく部屋を後にし、学院長室にはユーリのみが残される。
「まったく、あんなのが学院の長とは……」
ユーリは学院長の出て行った扉を親の敵のように、にらみつけた。
吐き捨てるような言動は、さっきまでの態度とは正反対。学院長に対して敬意の欠片すら見られない。
ユーリは学院の事務仕事を手早く済ませ、書類棚へと放り込んだ。
『ペテ・フェシオ・ツェフ・ポータ』
発動体である菜箸ほどの杖をかかげ、呪文を口ずさむ。
不思議な響きと、力を伴った言の葉が、ユーリの口から糸のように紡ぎ出される。
すると次の瞬間、空間に歪みが生じ、絵具を塗りたくったような暗黒の中から、一枚の紙が吐き出された。
「まったく、最悪のタイミング。あの学院長に振り回されっぱなしだわ。今度お灸でも据えてやるべきかしら」
その紙には、この周辺の綿密な地図と日付、そしてその日付の隣に文章が書き込まれている。
それから更に数枚の紙が吐き出され、ユーリはそこに書き込まれた情報を元に地図にバツ印と丸印を書き込んでいく。
そこへ更に、明日の飛行実習の進路を記入していと……。
「こうしてはいられない、早く閣下に報告しなければ……!」
ユーリは窓を開けて放ち、口笛を吹く。
眼下では、一年生が未だどんちゃん騒ぎを続けていた。
高貴な者の品性など、欠片も感じられない。
あんなもの、ただの子供の戯れではないか。
しかもその中心にいるのは、件の編入生。
あんなものがマグスになるなど、今の国はどうかしている。
「来たな」
窓から音もなく、小さな影が飛び込んで来る。
それは、足に書簡をくくりつけたフクロウだった。
ただのフクロウではない。魔力を関知し、特定の相手の下へと手紙を届ける獣魔の一種である。
ユーリはメッセージを書き込んだ紙を書簡に入れると、再び暗黒の空へフクロウを放った。
「あとは、運を天に任すのみ……か」
ユーリは明かりを消すと、自らも部屋を後にする。
そして回収した紙の一部には、このような文章が記載されていた。
『エリアゼクス、フラメル捕獲数、十七匹』