第四話 編入生 Act02:出会い
朝食を終えたレナは、昶に教科書・参考書の入った鞄を持たせて教室へと向かった。
ちなみに本日の朝食はハズレだったらしく、昶の顔は真っ青である。
「今日はなんだったの?」
「ジャムパン。ただ、なにを間違えたんだか知んねぇけど、甘いんだかすっぱいんだかよくわかんねぇ味だった」
想像しようとしても頑張ってみるレナであるが、全く想像できない味であった。そんな料理なんだか毒物なんだかよくわからないものの実験台なんて、死んでもごめんである。
「さすがに……、それには同情するわ」
「同情するなら、俺にまともな物を食わせてくれ」
「確かに、そんな危険物を食べさせられた日くらいなら、いいかもね。なんだか、見てるこっちの方が辛くなるわ」
「ありがと……」
セインとの約束は食堂で断っているので、今日は教室のすみっこで休んでいるのもいいだろう。代わりに、明日はいつもより練習時間を延ばすと言ったら、喜んで了承してくれた。
肌に感じる火精霊の気配が、ちょっとだけうきうきしている感じがしたのは気のせいではあるまい。
もっとも、週三回レナ達の講義中にやっていれば十分だと思うのだが。
「静かにしてなさいよ、ってぇ……そんな元気もなさそうね」
「任せてくれ。今なら講義中一ミリも動かない自信がある」
朝にシェリーとやった時の元気はどこへやら、グロッキー寸前の昶はレナに続いて教室に入った。
いつものように最後尾を陣取ったレナの目の前に、赤紫色をした海藻のような物体があった。いや、よくよく見ればポニーテールにも見えなくはない。
さらに言えば、かたわらには見慣れたバカでかい大剣が立てかけてある。
つまりこの海藻みたいなポニーテールの正体は、
「シェリー、あんたいったい……、なにがあったの?」
シェリー=ド=グレシャス。レナの友人の一人である。喧嘩ばっかりしているが。
「いやね、朝練から帰った時小腹がすいてたから、部屋に残ってたスティックパン食べたんだけど……」
「当たったのね」
「当たったんだな」
机に突っ伏したまま、シェリーはうんうんと頷いた。
さきほど振り返った時の顔色など、昶に負けず劣らずの真っ青ぶりである。
「あんな部屋にあるもん、よく食おうと思ったな……」
「なによぉ……。原因はアキラじゃないぃ。あ゛ぁ、なんで朝食ってあんな遅いのよぉ。お腹すいてたら朝練で力でないじゃなぃ」
と、一人でぶつぶつ言うシェリー。本人曰く、昶との練習でお腹がすきすぎてしまったようである。
だが、昶はシェリーに一言物申したい。まともな物が確実に食べられるだけ幸せだろうと。こちとら定期的に大ハズレの入ってるロシアンルーレット方式だぞ、と心の中で猛抗議する昶であった。
さすがにあんな姿のシェリーに、追い打ちをかけるようなことはできない。日本男児として。
「そういやあんた、最近練習相手ができてどうとか言ってたけど、アキラのことだったのね」
「おーい。自分のサーヴァント捕まえて、『これ』とはなんだ『これ』とは」
と、レナの『これ』扱いに異議を申し立てる昶。
さすがにそれには、ちょっと傷付く。そこはせめて名前で呼んで欲しい所だ。
色々と問題はあるが、三週間ほど同じ部屋で過ごした者同士なのだから。
「あたしに黙ってたからでしょ。確かに、好きに出入りできるように鍵は渡したけど、どこに行くかくらい教えなさい」
「あ、そういや鍵返してなかったな。ほい」
昶は胸ポケットの一つから、レナの部屋の鍵を取り出した。元々は予備だった物を貸してくれていたのだ。
「いいわよ。なんか用があった時に来れるように持っときなさい」
「でもさぁ」
「そーれーにー、予備の鍵ならもう作っちゃったわよ。今さら返されても迷惑だから、アキラが持ってなさい。命令よ」
「へいへい」
相変わらず、強引な女の子である。
こっちの意見は頑として聞かない所とか、昶の父親といい勝負だ。もっとも、こんな可愛い女の子の言うことなら、最後には聞いてしまうわけであるが。
そこに暴力まで加われば、これはもう素直に従うしかない。
昶はしょーがねーなー、みたいなため息を一つつくと、レナの部屋の鍵をそのままポケットにしまった。
『もしもの時はあたしのことを頼りなさい』って言いたいのだろう。そう思うと、ため息をつきながらでもついつい顔がにやけてしまう昶であった。
と、そんな風にレナを見つめていると、ついつい髪へと目が行ってしまう。今日はいつもと違う髪型なので、ついつい見つめてしまうのだ。
リボンで止めた姿も、これはこれで可愛いものである。
「レナ」
「ん?」
「いや、今日は髪型違うんなぁって思って」
「あぁ、今朝は寝癖がひどくてね……。まとまりそうになかったから」
とか言いつつ、目の前で完全にノックアウト状態の赤紫の海藻を凝視している。
やっぱり羨ましいのだろう。機嫌が悪い時は、決まってこの話ばかりしていた記憶がある。
どれくらいの頻度かと言えば、数えるのが面倒になるくらい。実は十回以降は数えてないのだ。
「でも、あれだぞ。に、似合ってると、思うけど……」
「そそ、そうなん、だ……」
──あ゛あぁぁああああ、俺なに言ってんだよ! 違うだろ、そうじゃねぇだろ!
──え、え、あれ? アアア、アキラったらいきなりなに言い出すのよ!
思っていたことがぽろっと出てしまった昶と、まさかそんなことを言われると思っていなかったレナ。
明後日の方向を見ながら乾いた笑みを浮かべていたレナを元気付けようと、なにか言わなければと数秒間考え、最初に思った“リボンも可愛いなぁ……”くらいしか思い付かなかったのである。
で、テンパった結果がこれだ。
両者共に赤面して、なんだかよくわからない妙な──ぶっちゃけちゃえばピンク色の──空間が形成されつつあった。
のだが、
「お~お~二人とも見つめ合っちゃって。お姉さんヤケドしちゃうかもぉ」
あ゛ぁぁ、お腹がぁぁ……、とか言いながらも、いつも通りのシェリー。その一言で昶とレナは凍り付いた。
ここは教室であって、レナの部屋ではない。二人はわたわたて慌てながら視線をそらした。
誰もこっちを見てないよなぁ、と周囲を見回すと、
「……リンネ」
レナがぼそりとつぶやく。
目の合ったリンネは、自然を装って二人から教科書へと視線を移した。
「他は……ないな」
「みたいね」
まあリンネだけなら、と二人は(一応の)安心からため息をつく。
「そういえば、あんたさっきから元気そうね。教室に入る前は今にも死にそうだったのに」
「シェリー見てたら、腐ってないだけマシに思えてきて、な」
昶は人差し指でシェリーを示しながら、苦笑いして見せる。
うるさい~、と力なく反抗するシェリーであるが、お腹の痛みに声にならないうめき声を上げていた。
「あんたの頑丈さもたいがいなもんね、アキラ」
「ほめてないよな、けなしてるよなそれ」
そんな感じで、今まで部屋でしていた分の会話を一気に消火していく昶とレナ。
初めは強引に一緒の部屋に入れさせられて──、トラブルもけっこうあったが、今はそれほど嫌ではなくなっていた。
男女が同じ部屋というのは多分に問題があるが、一緒にいた時間の分だけ互いがどんな人間なのかわかってきたのだ。
とそんな時、講義の開始を告げる鐘の音が響いた。
今日の一時限目は歴史の講義である。内容は確か、今から約八〇〇年前の小国が乱立していた時代についてだ。
この辺りは幼い頃から家で勉強させられていたので、レナにとっては退屈な講義の一つである。
ところが、今日はいつもと様子が少し違った。
「遅いな」
「そうね」
セインとの修練に付き合う以外は、昶もレナの授業に付いてきている。
この講義は、レナ達の担任であるレイチェル先生の担当だ。昶が傷だらけで召喚された時の講義の担当者も、そのレイチェル先生である。
時間に厳しいあの先生が、講義開始の合図が鳴ったのに来ていない。なにかあったのだろうか。
休みなら代わりの先生が来るし、休講ならば知らせがあるはず。だが、誰も来る気配はない。
生徒の方もそんな気配を察したらしく、大半はそれをいいことに私語を始める。
各教室は簡単な実習や実演をしても音が漏れないよう、防音の術式が部屋全体に刻み込まれているので、雑談ていどの音が外部に漏れることはない。
レナは耳栓を持ってくるべきだったと後悔した。
「っさいわねぇ」
「ホント、勘弁して欲しいわよ」
と、自分の席で突っ伏しているシェリーが、レナの意見に同意を示した。
起きていたらしい。
「せめて寝させて、このお腹の痛みから私を解放してぇ」
今にも魂が抜け出しそうな表情で懇願するシェリー。なぜだろう、普段があんななだけに猛烈に苛めたい衝動に駆られる昶とレナであった。
「だらしないわね。そんな姿、グレシャスのおじ様が見たら泣くわよ?」
「いいのよ。パパは家を大きくすることしか頭にないんだから。今年はずっと王都に行ってるから、年末も帰れないって言ってたし、どうせ私なんてどうでもいいのよ」
と、ため息なのかうめき声なのかわからないような音を発しながら、不満を垂れ流す。
シェリーの父親とも何度か会ったことのあるレナからすれば、豪放磊落で非常に明るく、多少強引ではあるものの悪い印象はない。
そんなことを考えていると、ガラガラガラ、と突然扉を開ける音がした。その音に、ついさきほどまで雑談に興じていた生徒達はが、一斉に押し黙る。
現れた人物はレイチェル先生であった。四〇代ほどの女性で、物腰が柔らかく性格も温厚、しかも魔法の実力もかなりのものと有名な人物だ。
本日はいつもの赤紫ではなく、紺色の法衣である。
「皆さん、静かにしてください」
エコーのかかった声が教室中に木霊した。風精霊の力で空気に干渉し、声の振幅を増幅しているのである。
さしずめ、この世界のマイクとスピーカーといった所だろう。
先生の一言に、小さな声で話していた生徒達も完全に口をつむいだ。
「う~、お゛なかがぁ……」
と思われたが、約一名の例外いたようである。
「今日は皆さんに紹介したい人がいます。どうぞ」
開けたままの扉からは、一人の少女が入って来た。
肩口で乱雑に切りそろえられた髪と大きく人懐っこそうな瞳は、闇夜と同じ艶やかな漆黒。
同じ黒目と黒髪だが、昶の黒とは明らかに質が違う。
身長はレナとシェリーの間くらいで、ほっそりとした体型に健康的な張りのある肌をしている。
そして発動体は、一メートル半はありそうな大きな杖。上の方には包帯のような白い布が巻かれている。
そんな女の子はすーはーと何度か息をすると、きりっとクラスを見渡し口を開いた。
「アイナっていいます。よろしくお願いします」
と、アイナは深くお辞儀をする。
身体の角度が元の位置に戻ると、その顔は満面の笑みで彩られていた。
見ているこっちまで、元気が出てきそうである。
「皆さんと勉強ができるって聞いて楽しみにしてました。『よろしくお願いします』はさっき使ったから、仲良くしてください」
教室中から歓声が飛び交った。
「ようこそ、この学院へ」
「こちらこそ、よろしく」
「ねえねえ、好きな食べ物は?」
「出身はどこ?」
「得意な属性は?」
「兄弟や姉妹はいる?」
「サーヴァントと契約はまだ?」
「ファーストキスは済ませた?」
「今日の下着の色をぜひ!」
「彼氏はいる?」
「ぜひオレの彼女に!」
「もしくは彼女とか?」
「こら男子、バカなこと聞くんじゃないの!」
「うるせー黙ってろ!」
前半の質問は女子、後半の頭の悪い質問は男子である。
「静かにしないか。アイナが話せないだろ」
と、ミゲルがクラス全体を一喝。あとで聞いた話だが、ミゲルはクラスの委員長とからしい。他人にも厳しいが自分にはそれ以上に厳しく、口が少し棘々しいものだから第一印象はあまり良い方ではないのだとか。
とてもミシェルの双子の弟とは思えないほど、正反対の性格だ。
クラス委員の言葉に半ば暴徒と化しつつあった生徒は、小さな談笑ていどにまで沈静化する。
そんなクラスにレイチェル先生は柔らかく微笑みつつ、アイナの紹介を再開した。
「はいはい、嬉しいのはわかりましたから、まずは落ち着いてください。それと、彼女は王都の奨学制度を受けられたほどです。気を抜いていたらあっという間に追い越されてしまうかもしれないので、皆さんも気を引き締めて講義に臨んでくださいね」
アイナは先生の言葉に、にぃ~、とさらに表情をほころばせる。ほんの少しだけ照れているのか、頬がほんのりと赤い。
と、ここで再び教室中がざわめいた。さっきまでの和気藹々とした空気と違う、驚きや畏敬といったものが感じられる。
先生の発した単語に『すげぇ』と驚愕する者と、その後の照れ笑いに『可愛ぃ』と賞賛する者とがいた。ちなみに昶は後者である。
と、なぜか前の方から不穏な気配が……。不穏な気配というか、もはや殺気である。
恐る恐るレナの方に視線を落とすと、昶の想像した通り絶対零度の眼光が自分をにらみつけていたのだ。
もし眼力で人が殺せるとしたら、今のレナなら十分に可能だと断言していいだろう。対物理・魔力障壁を軽く貫通しそうな目が、昶の眉間の辺りを正確に貫いていた。
「……レナ?」
「あによ?」
いきなり不機嫌度がメーター最大値を振り切っている。
いったいなにが原因なのか、さっぱりわからない。アイナの方を見て『可愛いなぁ』とは思ったが、それは関係ないだろう。たぶん。
「あのさぁ。し、奨学制度って、どんなやつなんだ?」
とりあえず昶は少しでもこの視線から逃れるため、別の話題を提供する。
「この国が魔法の勉強を全面的に支援してくれる、っていう制度のことよ。マグスになるには、学校で魔法を学ばなくちゃいけないって話しは前にもしたわよね?」
「あぁ。確か最初の日に」
最初の日とは、もちろん昶が目を覚ました日のことである。
あの時はかなり驚いた。
「魔法学校の授業料は桁外れに高額だから、貴族の中でも払えないって人もいるくらいなの。つまり、魔法を勉強したくてもできない人達のための制度ってわけ」
「いい制度じゃねえか」
昶は本心からそう思った。
だが、次の瞬間にはその思いもあっさり打ち砕かれた。
「じゃあ、この学院にも何人かいるんじゃねえか?」
「そうでもないわよ。一定の条件を満たさないといけないから」
「条件?」
一瞬の間を置いて、レナは口を開く。まるで自嘲するかのように。
「マグス適性審査」
「適性審査?」
「そう」
レナの顔が、とたんに暗いもので塗り固められる。
教壇のアイナとは反対に、見ているこっちの方が心配で苦しくなりそうなほど、レナは重苦しい表情をしていた。
「魔法の勉強をするには、桁外れに高額な授業料がかかるって言ったわよね。つまり、それで優秀なマグスにならなかったら、お金の無駄遣いになってしまう。それを回避するために、マグスの素養が極めて高い人を選定する必要があるの」
「レナやシェリーや、リンネにもあるんだろ? クラス委員のあれにも」
「ミゲルって呼んであげなさいよ。まあ、あたし達も普通の一般人から比べたらかなり高い方ね。でも、それじゃ奨学制度は受けられないの」
「じゃあ、どれくらいだったら受けられるんだ?」
「現役の王室警護隊の隊長と同じくらい」
昶は一端自分の思考にストップをかけた。
王室警護──つまり、いかなる状況においても国の最重要人物を守れるほどの技量を持っている、と解釈していいだろう。
そんな人材が、簡単に見つかるとも思えないが。
「バカねぇ。そういう意味じゃないわよ」
昶の表情から内情を察したらしいレナは、補足説明を加えた。
昶はそんなにわかりやすい表情をしてたのか、と若干苦笑い。
表情で考えていることを見抜かれるとは、魔術師──正確には陰陽師だが──の端くれとしては失格もいいところだ。
「最終的に、『そこまでいけば大成功』ってわけよ。目標がそれくらい高ければ、例え失敗しても損にならないくらい優秀なマグスになるしね。まあ、その選定をやってる元老院の子供なんかはどうだかわかんないけど」
「アシズ?」
聞き慣れない単語に、昶首をかしげた。
「簡単に言っちゃえば、国内の有力な領主の中から、国政を決める議員に選ばれた人達の組織のことよ」
「確かに、それなら自分の子供を強引に引き込むとかできそうだもんな」
「まぁ、才能の無いあたしには、縁のない話だけどね」
そこで昶は、なぜレナの表情が重くなったのかを悟った。
自分にマグスの才能がない。
昶も何度かレナの口から聞いたことがある。
思った量の精霊をなかなか引き寄せられないようなのだ。精霊をどれほど正確に制御できるかが魔法を成功させる鍵なのだが、レナはそのセンスが壊滅的に欠乏しているらしい。
しかも、魔法を使おうとする度に、違和感のようなものが付きまとってうまく集中できないという話も、シェリーから聞いている。
自分の思っているように魔法が使えない。口には出さないだけで、それはレナにとって一番のコンプレックスに間違いなかった。
「そうか? 俺はそうは思わねえけど」
だが、昶はそれを否定する。
今はどうであれ、レナの潜在的に有している才能を昶は感じていたから。
「あんたはマグスじゃないでしょ。わかるわけないじゃない」
「んなことねえって、俺が保証する」
嘘偽りの一切存在しない、真にそう思っている昶の顔がそこにあった。
「まったく、どっからくるのよその自信は」
吐き捨てながらも、まんざらでもないようにレナは苦笑する。少しだけだが、重くのしかかっていたなにかが、なくなったような感じだ。
「さあ? その辺に転がってるんじゃねえの?」
「はぁぁ。こんなヴァカに心配されるなんて……」
と、レナは普段よりグレードアップした『ヴァカ』、で昶を非難した。
「でも、ありがと」
だが、自分のことを気遣ってくれた昶に、少しだけ感謝の気持ちを表すのだった。
「…………」
「な、なによ!!」
昶は信じられないという表情で固まったまま、おもむろにレナの額に手を当やると、もう片方の手を自分の額へとやる。
突然昶の取った奇行にレナの脳はあっという間に処理限界を突破し、わたわたと意味もなく両腕を振り始めた。
「ち、ちょちょちょっ、ままままま待ちなさい、な、な、なにするのよ!?」
「いや、風邪かと思って。熱があったら休んだ方がいいだろ」
「ち……、違うわよ。大丈夫、風邪なんてひいてないから」
「顔が赤いけど?」
「い、いつもこんな感じ、よ……」
──も~、変なとこで気ぃ使わないでよぉ、なんか熱くなっちゃうじゃないの、バカ、もうわけわかんない!?
と、絶賛混乱中のレナの隣に、自己紹介を終えたアイナがやってきた。
「えっと、よろしくお願いします」
「よろしく。あたしはレナ」
よく見ると、アイナの笑顔はけっこうぎこちなかったりした。少なくとも、緊張しているのが一目でわかるくらいには。
自分の恥ずかしい所なんて見せてられないとばかりに、レナは乱れた前髪や服装を整えつつ、アイナに向き直った。
「大丈夫よ、そんなに気を張らなくても。わからないことがあったらなんでも聞いてね」
「は、はい。ありがとうございます。あの、早速で恐縮なんですけど………」
「ん?」
「教科書見せていただけませんか?」
レナはなんのためらいもなく、教科書をアイナへと差し出した。
そんなわけで遅れて始まった講義は、レナにとって退屈極まりない歴史である。
家にいた頃に、すでに学校で学ぶ程度の教養を身につけていたレナにとっては、はっきり言って無駄な時間でしかない。
歴史の教科書をアイナに渡すと、自分は分厚い参考書を片手に一人で勉学を始める始末である。
隣でその様を見ていたアイナは、講義内容などさっぱりといった感じで呆然としながらレナ見つめていた。
「レ、レナさん、それは?」
「魔法戦闘の基礎理論。属性の相互関係について」
昶も気になってレナのノートをのぞいてみる。
基本的には全く意味不明だが、図形の意味だけはわかった。
真ん中に大きく描かれた正方形は四大元素──つまり地水火風の四属性を示すものだろう。四つの頂点からはそれぞれ実線・破線・一点鎖線の三種の矢印が伸び、様々な脚注が書き込まれている。相生や相剋のような類であろう。
参考書の方に目をやると、棒人間が三段階の距離に離れている図が描かれていた。恐らくは、射程距離ごとの有効な呪文について書かれているのだろう。それっぽい魔法の絵も、図の中に描かれている。
「いつも思うが、それだけできてなんであれなんだ?」
「う、うっさいわね。座学と実技は別なのよ、仕方ないじゃなぃ」
今はレイチェル先生が教壇で、ちょっとだけ昶の興味をそそる話をしていた。
わかりやすく言えば、戦国時代のレイゼルピナ版みたいなものだ。
数十にも上る共同体のような小さな国が、覇権を争っていたとかなんとか、そんな内容である。
「…であり、アプリスプの民と呼ばれた…」
魔法の基礎理論についてはほぼ完成していたが、当時は今の一割程度しかマグスは存在せず、一騎当千の戦力として重宝されていたらしい。
それが時代の変遷につれて、“魔法を教えるノウハウ”も確立されていったのだと、レイチェル先生は雑学を披露する。
「でもさ、座学が得意なのはわかったけど、授業は受けた方がいいんじゃないのか?」
「いいのよ。全部知ってることだから」
「そうか? 俺は見てて面白いけどな」
と、今度は大きな二枚の地図が黒板に貼り出された。当時の地図と、今現在の地図なのだろう。
当時の方は、地球の世界地図でいう欧州よりも細かく分かれている。
それに対して、現在のものであろう地図では国の数は二割弱。大国と呼べる国土の国は三つしかない。
よくもまあここまでまとまったものだと、昶は感心するのだった。
と、その時だ。
「レナ、これ」
突然シェリーがお腹を押さえながら、一枚の紙切れを手渡して来た。
「発案者は、ミシェルみたいょ。どう思……ぅ?」
レナは乱雑に書かれた文章の羅列を走り読みすると、
「いいんじゃない? 楽しそうだし、厨房のおじさんにはあたしから頼んでみる。でも費用はカンパだからね?」
「わかってる」
と、シェリーはレナから紙切れをひったくって紙飛行機を折ると、ミシェルの方へと放り投げた。
正確に折られた紙飛行機は、真っ直ぐなラインを描きながら、ミシェルの頭へと突き刺さる。
ミシェルはそれを引き抜いて確認すると、爽やかな笑みを浮かべた。
「ミシェル=ド=マグヌスト、いかがしましたか?」
「あ、先生、え~っとですね……、今日も素敵です!」
「あら、では週末の休日にはデートでもしていただこうかしら?」
「そ、それはちょっと……」
そこらかしこで苦笑と哀れみの囁きが上がる。
これには昶も吹かざるを得ない。
ここ最近の授業を見てて分かったが、ミシェルという少年は三日に一回は笑いを持って行くという強者(クラスのボケ担当その一)だということがわかった。
戦績は、『はははは~、アンジー、エリザベス、ケリー、そんな、三人に迫られたら、ぼくは困ってしまうよ』との謎の寝言に始まり(調査の結果十割方妄想だと他の男子生徒が言っていた)、教科書のラクガキを見つかり、授業中に隣の女子生徒を口説いたり(成功率ゼロパーセント)、最悪なのは自分の足につまずいて女子生徒を押し倒す等々、とにかくネタに尽きない少年である。
今日はこれに、『中年の女性教師を口説く』という伝説が加わることとなった。
ゴーーーン、ゴーーーン、ゴーーーン……。
低くも荘厳な鐘の音が響き渡る。
「では、今日の授業はこれまでとします。それと、明日は飛行実習がありますから、各自、自分の“杖”を忘れないように」
一同が礼をすると、先生は教科書を持って退出した。
ミシェルも親指を立てた後、教室を出る。
先ほどのデートの件でも弁明しに行くのであろうか。
「あ゛ぁ、もう限界!」
と、シェリーは全速力で教室を出て行った。
腐ったスティックパンを食べたり、終始お腹痛いと言っていたので大方の想像はつくのだが。
「……もうちょっと女の子らしくできねぇのか」
本当、レナではないがシェリーはもう少し女性としての慎みを持って欲しいと、思わずにはいられない昶であった。
「シェリーってば、昔からあぁなのよ。『トイレ~!』って叫ばなくなったぶん、少しはマシになってるけど」
「やめてくれ、これ以上俺の中の女の子像を壊さないでくれ……」
と、レナは昶の危ない発言に引きながらも、確かにシェリーはどうやっても普通の女の子像と結びつかないわよ、とか思っていたりした。
もっとも、そこがシェリーの魅力の一つであることは、言うまでもないのだが。
「そういえばさぁ……」
がっくりとうなだれていた昶であるが、ようやく精神状態が安定したのかがばっと頭をあげ、
「さっき『昔から』って言ってたけど、そんなに付き合い長いのか?」
そんなことを口にした。
「言ってなかったっけ? あたしとシェリーって、幼馴染みなの」
「初めて聞いたよ」
と、レナとシェリーの関係について新事実が発覚した所で、次の講義開始の鐘が鳴った。
レナはアイナに貸していた歴史の教科書をしまうと、代わりに錬金術の教科書を取り出す。
鐘が鳴ってから一分もしない間に、ひょろっとした線の細い男性教師が講義を始めた。
ちなみに、お腹を壊したシェリーが全快になって帰ってきたのは、授業終了五分前(ネフェリス標準時で)のことであった。