Act31:限界の向こう側
部屋を飛び出してからどれほど歩き回ったことだろう。始めの内は空から探し回っていたが、この暗闇で上から探せるはずもない。早々に諦めて、お祭り騒ぎで賑わう町中を当てもなく探し回った。
でも、見つかるはずなんて無い。何百、何千といる人の中から昶を見つけることなんてできるはずもない。それに昶が意図的に姿を隠しているとすれば、こちらの姿は丸見えも同然なのである。
そして恐らく、昶は意図的に姿を隠している。部屋は不自然なほどきれいに整えられているのに、お守り代わりに渡していた人形はテーブルの上に残されていたのは、忘れてくれというメッセージに他ならない。今までのことを全て無かったことにしてくれと、まるでそう言われているようだった。
────また、いなくなっちゃう……。
また自分の知らない内に、自分の大切な人がどこか遠くへ行ってしまう。そんなこと、もう耐えられない。気が付けば、周囲の人はまばらになっていた。店じまいの準備も始まっているのを見るに、もうすぐ日付が変わる頃なのだろう。
もうそんなに時間が経っちゃったの? 道を埋め尽くしていた人々は各々の家あるいは宿へと一人、また一人と戻ってゆく。それからもうしばらく歩くと、もう足元を照らす最低限の明かりがあるだけで、人の息遣いすらほとんど聞こえなくなってしまった。道端で酔いつぶれている人以外で、出歩いている人はほとんどいない。
街の人口が激増する時期というのもあって警邏中の兵士と時々すれ違うものの、こちらの制服を確認すると何も言わずに行ってしまう。こんな夜更けに女の子が一人で歩いていれば家まで送り届けられるところであるが、それも魔法学校の生徒であるならば話は別だ。
命の危険を犯してまで魔法学校の生徒に襲いかかるとする物好きもいまい。それでも、正義感の強い兵士は少なからずいるらしい。
「あの、マギア・フェスタに参加中の生徒さんですよね?」
やめとけと制止しようとする同僚を押しのけ、警邏中の兵士が一人話しかけてきた。
「明日はまだ大会があるのでしょう? もう時間も遅いですし、宿に戻ったほうがよろしいのではないでしょうか?」
マギア・フェスタ……そうか、まだ大会中なんだっけ。
まだ昶のこと、見つけられてない。
でも……。
「そう、ですね……」
声をかけられた時に、緊張の糸も一緒に切れてしまったのだろうか。今の今まで歩き続けた疲れが一斉に襲い掛かってきた。真冬の寒さで身体は芯まで冷え切り、手足の指先は感覚がない。足はまるで棒のよう、のどもカラカラに乾いていて、空腹で今にも倒れてしまいそうだ。
今日はもう、諦めるしかない、かな……。
自分の宿はどこだったっけ? 少し悩んでから方角を思い出したレナは、ふらふらと危ない足取りで宿に向かう。警邏中の兵士達も、レナのおかしい様子には気づいただろう。いくら魔法学校の生徒だからといって、こんな憔悴しきった子供を一人で帰らせるわけにはいかない。
結局レナは二人の兵士に送り届けられる形で、どうにか宿まで戻ったのであった。
あぁ、これは、あたしは夢を見ているんだろう。
だって、あたしのお兄さまは、もうこの世にはいないのだから。
あたしとロッテよりもうんと年の離れた、あたしの憧れだった人。頭を撫でてくれた優しい手も、褒めてくれた声音も、ありありと思い出せる。
あの日も今日みたいに寒かっただろうか。物心がついた頃には、お兄さまはもう魔法学校に通っていた。年に数回の長期休暇の時、あるいはお父様のお仕事に付いて行った時、普通の兄妹としては一緒に遊んだ回数は決して多い方ではないだろう。
お兄さまがお仕事をなされるようになってから、その回数はもっと少なくなった。でも、楽しかったという思い出だけはしっかりと覚えている。
そしてあの日も、お仕事から久しぶりに帰ってくるお兄さまをうきうきしながら待っていた。そう、待っていた……。
けれど、そこから先は覚えていない。他に覚えていることと言えば、とても冷たくなっていたお兄さまの手だけ。
そう、それがあたしにとっての、お兄さまとの最後の思い出。楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、喧嘩することも、もう新しく思い出を作ることはできない。
そんなお兄さまは悲しげに微笑みかけると、あたしからだんだんと遠ざかってゆく。追いかけようとはしたけど、重い足は上がらない。離れてゆく姿をただ見送ることしかできない。
まるで、今のあたしと昶みたいに……。
「…………」
わかってはいても、虚しく感じてしまうのはなぜだろう。
夢だと自覚していたのに、物悲しさを拭い去ることはできない。
「アキラ……」
無自覚に伸ばしていた手は、いったい誰に向けられたものなのか。
お兄さまに対してか、それとも昶に対してか。
突然いなくなってしまった昶を、無意識の内にお兄さまと重ねてしまっていたらしい。
でもあの時と同じだとすれば、この手が昶に届く日は永遠に訪れない。そんな結末だけは絶対に嫌だ。
「んん……、身体がだるい……」
変な夢をみていたせいか、昨日の疲れが抜けきっていないように感じる。
でも、だからといってなにもしない訳にはいかない。早く昶を探しに行かなければ。
しかし、どうやって探し出せばいい? あてもなく探したところで時間の無駄でしかないのは昨日でよくわかっている。
となれば、手段は一つしか残っていない。
「あれ、しかないわよね……」
身体の方はともかく、頭の方は一眠りできてすっきりしている。
それに今は、あの時よりも魔力の流れを感じ取れている。昶と繋げることくらい、造作も無いはずだ。
レナは自身の内側に向かって意識を傾ける。昶と交わした主従の契約、その繋がりを意識の表層へと浮かび上がらせる。自分自身を塗りつぶそうとする黒い衝動が怖くないわけなんてない。あの時の────昶の血に宿る力が暴走した時のことは、今もレナの心に消えない恐怖を刻みつけている。
しかし、そんなトラウマでさえ兄を失った時の恐怖とは比べるまでもない。自己という存在を明確に自覚していれば、あの黒い衝動にはいくらでも抗うことができるだろう。でも、昶は今すぐにでも探さなければもうきっと会うことは叶わない。根拠はないが確信めいた思いがレナを突き動かした。
──アキラ、どこ……? どこにいるの?───
久々に使う主従の契約みよって形成された、昶へと繋がる唯一の手がかり。再び開かれた絆は物理的な距離を完全に無視して、もう片方の心へ、魂へとその思いを繋げる。
──繋がった!
昶がどう思っているかはわからないが、主従の契約によって開かれた霊的なルートは術式に定められた通りの効果を発揮した。居場所はともかくとして、昶の力を感じ取ることができた。次はここから更に、今いるおおよその場所を探り当てなければならないのだが……。
──やっぱり……でも!
黒い衝動がレナの心に侵食してくる様子はない。だが、昶の方はそうもいかなかった。せっかく開いたこの通り道を無理矢理閉じようとしてくる。今ここで押し負けたら、手がかりは完全になくなってしまう。いくら昶が相手であっても、負けるわけにはいかなかった。
昨夜の疲れも何もかもを忘れ、レナは魔力の制御に全ての精神力を注ぎ込んだ。本来ならば、レナの制御できる魔力で昶に抵抗できるはずはないのである。もしかしたらレナに黒い衝動が向かないよう、昶の方が制御力の大半を割いているのかもしれない。
だが、今のレナにそこまで考えている余裕があるはすもなく、ただひたすらに昶の居場所を探し続ける。方角は? 距離は? 霊的なルートを閉じるか開け続けるか、制御権を争って二人の力がせめぎ合う。
完璧でなくたっていい、せめてその片鱗だけでも……。しかし、レナの思いとは裏腹に、どんどん昶の気配は遠くなってゆく。別のことに意識の大半を割いているとはいえ、魔力の制御に関しては昶には逆立ちしたってかなわないのだから。
数秒にも無限にも感じられた攻防であるが、その幕切れはあっけないものだった。ここではないどこかへ、どこへいるかもわからない昶へと伸ばす手が、一瞬だけ引っかかったのだ。
しかし、その一瞬で全てが決してしまった。昶のとの攻防を制しついに手が届いた、その気の緩みを見逃す昶ではなかった。制御の弱まった隙きをついて制御権を全て握り、契約を通じた霊的ルートを全て遮断してしまったのだ。
ようやく届いたと思った手は再び空をかき、不安ばかりが急速に募ってゆく。どうにか方角はわかった、ここから北の方……。レナは胸の前できゅっと両手を握り、昶の気配を感じた方へと向き直る。目の前にあるのは清潔な白い壁であるが、レナが見ているのはその遥か彼方にいるはずの思いを寄せる少年。
他に何か手はないか、諦めきれないレナは他に方法がないか蓄えている知識を全て再精査する。契約を通じた霊的なルートをもう一度開き直せないか、少なくとも数日は不可能だろう。それは既に何度も試しているが、手を伸ばそうとした端から払いのけられてしまう。
神経を尖らせているであろう昶が、こちらからアクセスしようとする度に全て押しのけているに違いなかった。他の方法、何でもいい、何かを探す、遠くにある何かを探す方法はないか…………。
──やれやれ、世話のやけるところは変わってないんだから────
頭の中で、何か懐かしい声が聞こえた気がした。懐かしくて、温かくて、優しい声だった。不気味さや恐怖はなく、不安や焦燥感がまたたく間に安心感へと上書きされていく。大丈夫、何も心配する必要はない、まるでそう諭されているような。
するとその直後、レナの中の感覚が激変した。まるでスイッチでも入れ替えたよう、自分の身体なのに、誰か違う人のもののような不思議な感覚が訪れる。これと近い感覚といえば、昶の知識を使って魔法を使ったり、魔力や精霊の力を感じたりしていた時が当たるが、これはもっと身近なもの、異世界の術体型ではなく自分達の正解の魔法則に準じている感じだ。
自分が見ていない方向が、壁の向こう側どころか隣の建物の中だって見える。視界が三六〇度になり、全ての障害物を無視して無限に伸びてゆく、それは不思議な感覚だった。精霊が少しでも感じられるようになった今ならわかる。これは、風精霊を使って視覚情報を拡張する魔法の一種だ。それも、アナヒレクス家に伝わる秘術の一つで……。
──あれ、でもあたし、この秘術のこと聞いたことあったっけ?
レナの頭の中に蓄えられた知識の中に、アナヒレクス家の秘術の情報はない。存在自体は知っているが、魔力制御がうまくいかなかったばかりに詳しいことはまだ教えられていない、そのはずである。そのはずなのだが、レナはその知識を知っていた。
これがどういう意味なのかわからないが、今はこの秘術に頼る他ない。レナは知覚範囲をどんどん拡大してゆく。この宿の周辺、どこに人がいるのか、数十人、あるいは百数十人の情報が絶え間なく頭の中へと流れ込んでくる。
しかし、次なる問題がレナへと襲いかかる。指数関数的に増え続ける情報量に、脳がとっくに限界を訴えているのだ。ただ探す範囲を広げるだけではダメだ。ますは範囲を限定しないと。
すると、知らないはずの知識が、知るはずのない秘術の制御方法が、レナをそっと手助けしてくれる。まずは範囲を限定するところからだ。まずは周囲三六〇度、球形に拡大させていた知覚範囲を北の一方向へと絞る。これだけで、かなりの情報量を削減できずはずだ。
範囲を限定したことで脳への負担は一時的に和らいだが、額の内側には鈍痛が走っている。しかも、だんだんと増える知覚情報に痛みの度合いは増してゆく。でもまだだ、まだ伸ばせるはず。数キロが十数キロ、更には数十キロへ、捜索範囲はどんどん広がる。
捜索を終えた手前の範囲の情報は放棄し、新たに前方の範囲に昶の姿がないか血眼になって探し続ける。それでも、先へ進めば進むほど増える情報量を抑えることはできない。鈍痛はいつの間にか内側から額を突き破ってしまいそうなほどの激痛に変わっていた。処理できる情報量の限界は、目前に迫っている。限界が来る前に、自分が倒れてしまう前に、お願い、見つかって────!
「…………レナッ!」
不意に聞こえたよく知る声に呼ぶ戻されたレナは、クラリとその場で崩折れたのであった。
昨日の夕食の途中、レナがその場からいつの間にか消えていたことにシェリーが気づいたのは、解散の少し前になってからだった。しかし、それほど心配はしていなかった。心当たりなら、あり過ぎるくらいにあったからである。
昨日の試合、昶ならばレナが一年生の司令塔としてどれだけ重要な立ち回りをしたかわかるはずだ。はたから見れば子供っぽいと感じるかもしれないが、褒めてもらったってバチは当たらないだろう。
レナから見れば昶は特別な存在ではあるが、同時に魔術と呼ばれる自分達よりも遥かに進んだ魔法とそれを用いた戦闘技術を扱う彼は、シェリー達にとっても偉大な師とも仰ぐべき存在なのである。その人から技術を学び、技量を伸ばしてきた成果が昨日の試合結果へと繋がっている。
話したいことも、ぶつけたい思いの丈もたくさんあるはずなのに、昨日は試合前も試合後だって昶は姿を表さなかった。だから探しに行ったのだろう。ちょっとくらい二人だけの時間があってもいいではないか。もっとも、問題はレナが昶を探し出せるかどうかにかかっているのだけれど。
「っと、起きてるかなぁ? レナ、朝は強い方ではあるけど……」
昨日、シェリーが訪れた時にはまだ戻っていなかったのは確認している。確か、日付が変わる前くらいだったか、そんな時間まで昶を探していたのだろうか?
まあ、それも聞いてみればわかるだろう。
「おっはよー、レナー。もう起きてるー?」
部屋の扉を軽くノックしてみるも、返事はない。今度はもっと強くノックしながら名前を呼んでみる。が、やはり返事はない。普段なら、このまま放っておいて先に朝食へ行ってしまっていることだろう。しかし、昨日の件もあってなんだか胸騒ぎがする。
おもむろにドアノブへ手を伸ばすと、鍵はかかっていなかった。シェリーは迷わず部屋へと入る。そこで目撃した光景に、言葉を失ってしまった。
胸の前で両手を固く結んだレナが、壁──いや、どこか遠くを見つめたまま固まっていた。いや、言葉を失った点はそこではない。遠くを見つめるレナの両目が、まるで絵の具でも垂らしたかのように真っ赤に充血していたのである。
「……レッ、レナッ!!」
シャリーは急いでレナの下までかけより、その両方を揺さぶって強く名前を呼んだ。何度も、何度も、何度も何度も何度も……。
「レナァアア!!」
十回ほどは呼んだだろうか、不意に力の抜けたレナの身体が後ろへ倒れ込む。間一髪のところで腕を差し込み、華奢な身体を支える。
「…………あ、シェリー」
シェリーの呼びかけは本当に聞こえていなかったらしい。呆けた顔のレナが、真っ赤になら目でこちらを見てくる。
「あんた、その目……。あぁ、それに鼻血もでてるじゃない」
目だけじゃない、鼻からもさらさらと血が流れ出していた。シェリーはそれをハンカチで軽く拭ってやりつつ、レナをベッドに座らせる。どう控えめに見ても異常だ、いったいレナは何をしていたのだろう。
「レナ、あんた何してたの?」
「…………アキラ、探してた」
「アキラを? なんで」
「…………いなく、なってたから。部屋、からっぽで。あたしが渡したお守り、置いてあって。それで」
「いなくたったって、なんでまた」
しかし、今は昶よりもレナだ。理由はどうであれ、いなくなった昶を探すために謎の魔法を使って探していたのだろう。目が激しく充血しているのは、許容量を超える視覚情報を一度に扱ったせい。アナヒレクスは風精霊の扱いに長けた一族。探索に関して強力な魔法の一つや二つくらい持っていても不思議ではない。
レナの現在の状態を鑑みれば、その効力はシェリーの知っているような探索魔法を遥かに凌ぐ能力なのだろう。シェリーの肉体強化は戦闘面において桁外れの性能を有して入るものの、ここまでの反動は経験がない。どれだけの魔法を使えば、こんな風になってしまうのか。
とにかく、この症状をどうにかできる人を連れてこないと。
「待ってて、師匠かソフィアさん連れてくる。鼻血出てるから、しばらくそのままにしときなさいよね」
レナの返事を待たずにシェリーは部屋から駆け出していった。再び訪れる静寂、わずかばかり小鳥のさえずりが聞こえるだけである。宙をさまよっていた視線の焦点が定まり、思考も少しづつ戻ってくる。
そして、そっと口元に笑みを浮かべる。
「みつ……け、た」
赤く染まった視界の中に、はっきりと映っている。ここにはいない、ずっと遠くにいる昶の姿を。方角と位置がわかったことで、知覚範囲はさらに限定できた。おかげで脳への負担も減り、まともに考えて身体を動かすこともできそうだ。額の内側の鈍痛はまだあるが、これくらいならまだ我慢できる。
この感覚が消えてしまわない内に、早く行かないとダメだ。おぼつかない足取りで立ち上がったレナは、とぼとぼと杖の前まで移動する。眼の前の情景と遥か遠くの情景が重なって見えるせいで距離感が多少おかしくなっているらしく、伸ばした手の手首に当たってカランと杖が倒れた。
手探りで杖を見つけると、絶対離さないよう手荷物の中から紐状のものを引っ張り出し左手と杖を強く結い上げる。これからどれだけの距離を飛ぶかわからない、例え感覚がなくなっても握っていられるようにと思いを込めて。
「……よし」
距離はともかく、方角だけはきっちりと把握している。窓枠に足をかけ、タッと空中へ飛び出す。ぼろぼろの身体にムチを打ち、北へ向かって飛翔した。
約1年ぶりの投稿ですね、はい、TRPGの沼にアホ毛まで浸かってしまいました。遊ぶ用のシナリオずっと書いててこっちがおざなりになって申し訳ないです。仕事もどんどん忙しくなってきて帰って書くスタミナも削られてなかなか書けなかったりして自分でもなんで書けないかなーとか思ってたりしますが、モチベーションが完全に下がりっぱなしなんですよね……。TRPGのほうが若干落ちつつあるので、根性で再開していきたいなぁと少しだけ思ってます。せめて月に1回くらいは更新できるようにがんばります。