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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第二章:汝が力は誰が為に……
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Act30:名前を教えて

 聞き覚えのある声にアイナはビクリと身体を震わせた。得も言われぬ恐怖が手足を絡め取り、底なし沼に引きずり込まれるよう。

 赤く腫れた目でアイナは正面の牢屋を見やる。汚れてはいないが、農夫を彷彿とさせるくたびれたシャツとオーバーオールを着ている。しかし、発している気配は農夫のそれではなく、今にもこちらに襲いかかろうとする餓えた獣を思わせる。ただそこにいるだけにも関わらずこちらを押しつぶすようなプレッシャーに、息が詰まりそうだ。

 そこから更に視線を上げていくと、色素の抜けた真っ白な髪がとびこんでくる。その白い前髪の隙間から、キラリと赤い眼光が光ったような気がした。その瞬間、今度こそアイナの身体は凍りつく。

 私は、この人を知っている。まず先に身体の奥底に刻まれた恐怖が蘇り、続いてその時の情景が頭の中でフラッシュバックした。楽しいはずの創立祭、それを台無しにしてくれた人の内の一人で、昶を追いかけていった先で出会った闇精霊(レムレス)を使うマグス。しかもその後聞いた話だが、アイナの背中の傷を作った張本人でもあるらしい。

 この人が、そうなんだ……。以前は相手を見る余裕がなかったのもあって、アイナはじっくりと目の前の人物を観察する。見た目だけならクラスの中に居たって不思議ではない、どこにでもいそうな少年である。そう、見た目だけならば。

「アれ……この感じ。君、前に会ッたことあるよネ?」

 まるで以前のことなんてなかったかのように、あっけからんとした感じで話しかけてくる。戦ったことを忘れているのかとも思ったが、アイナはこの少年とは戦いの場でしか会ったことがないのだから、そんなはずはないだろう。

 年齢は自分と大差なく、その反面に言葉の端にどこか幼さのようなものを感じる。その幼さと途方もない戦闘力のギャップに、不気味さを感じざるを得ない。

「あァ、でモ名前を知らないッてことは、強クはないんだ。ボク、強い人の名前は聞くようにしてるから」

 強い人にしか興味ないからねとニヤッと笑ってみせると、そのまま硬い石の床に寝転んで大きなあくび。少なくとも、今は戦う意志はないらしい。

 それがわかったのもあって、どくどくと激しく脈打っていた心臓もだんだんと落ち着きを取り戻してゆく。極度の緊張で乱れていた呼吸も、自然にできるようになってきた。

「あ、あの……」

「ん?」

 聞きたいことは山ほどある。あなたは何者なのか、なんであんなことをしたのか、これからどうするつもりなのか……。

 でも聞きたいことがありすぎて、逆にうまく言葉にできない。声をかけたところまではよかったが、そこから先が続かなかった。

「ゆッくりでイイよ。時間はたッぷりあるんだシね」

 相手からの意外すぎる申し出に、アイナは不思議な気持ちになる。目の前の人物が、とてもあの時に昶と死闘を繰り広げていた人物と同一人物とは思えない。

 今だって戸惑っている自分を前にして、笑いながら紳士的な対応をしてくれている。そうして最初にでてきた質問は……。

「あの……なんで、こんな場所で大人しく捕まってるんですか?」

 と、なんとも間の抜けたものであった。

 昶に勝るとも劣らない力は、レナやシェリーと一緒になったとしたって足元にも及ばない。魔法の基本なんてするっと忘れて、本気を出せばこの牢屋だって簡単に壊して外に出られるはずである、なんて思っちゃったわけだ。

「あなたなら、こんな牢屋くらい、簡単に壊せると思うんですけど」

 いったいどんな回答をするのだろう。だが思っていた以上に、少年の答えはごく平凡なものであった。

「だッて発動体がないシ。まあ、ナシでも使えないッテことはないけど、たかが知れテるシ。発動体を媒介にシなきゃ、大きな力は使えないヨ」

「……あぁ」

 異世界から来た昶や朱音、ソフィアが例外なだけで目の前の少年は強力な力こそはあっても、自分と同じ世界の人間だ。発動体がなくてもある程度使えるというのも十分驚くべき点なのだが、身近にそんな例外が三人もいるせいでその感覚は薄れてしまっているらしい。

 この世界の人間は、発動体を媒介としなければ魔法を使えないというのが基本中の基本。いくらすごい魔法が使えても、発動体のない状態では昶と肩を並べることのできるこの少年も牢屋の中でじっとしているしかないようだ。

「ちなみにボクはココの近くに用事があッたんだけど、見つかッちャッてね。仲が悪いのモあッてこの通り。で、君は?」

「はいっ!?」

「君はどうしテ、連中に捕まッちャッてるの?」

「わ、私は……」

 そして今度は予想外の向こうからの質問にアイナは(きゅう)する。まさか向こうから質問してくるなんて思ってもみなかった。しかし、言おうとしたところで再び言葉につまる。

 それを口にすることそのものが、嫌でたまらない自分がいるのだ。

「……私は、アキラさんを、追いかけてきたらこうなりました」

 でも、どうでもいい相手だったからだろうか。すねたような鼻声でぶっきらぼうに答えた。

 言いたくないのに聞いてもらいたい、そんな相反する気持ちにアイナは戸惑いを覚える。しかし、鬱屈(うっくつ)した気持ちを内側にとどめておくこともこれ以上出来なかったのだ。胸の奥に居座っていたどす黒い何かが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。

 重苦しい声音は石畳を打ち、部屋中へと伝播してゆく。だが少年はそんな雰囲気もおかまいなしに、へえ、嬉しそうに笑みを浮かべた。

「アキラも来てルんだ。さッきまで寝テたから気づかなかッたよ。ほら、アキラって気配隠せるし」

「あなたも、魔力の気配がわかったりするんですか?」

 気配を隠せるという言葉に、今度は顔を上げて驚くアイナ。またここに一人、魔力の気配がわかる人が。とはいえ、相手は昶と同じ次元で正面から戦えるような人物である。

 むしろ、それくらいできなければ昶と渡り合うことはできないのだろう。魔力を察知する訓練中何度も言われたことが蘇ってくる。

 魔力を感じ取れるようになれば、自分がどれほど魔力を扱えるのかがわかるようになってくる。術を使うのに必要最小限の魔力というものが制御できるようになれば、より長時間の活動、大規模な術の行使というものができるようになる。それどころか相手の魔力の増減が察知できれば、これからどれほどの規模の術を使おうとしているのか、どのタイミングで撃ってくるのか、そういった兆候も見えるようになるのでより有利に戦闘を進められるようになるのだ、と。

「うン、珍シいみたいだけどネ。だから、アキラを見た時にはびッくりしたヨ。魔力の気配も完全に消せる上に、こっちの気配もバッチリ感じ取ってくるんだから」

 ほんとにアキラってすごくてさ、と少年は楽しそうに語り出す。これまで、昶とはニ度の戦いを繰り広げたらしい。そして驚くべきは、なんとレナとも戦ったことがあるらしく、昶の術も使ってきてとても楽しかったそうだ。

「そういえば、あの時はあそこで一体何をしてたんですか?」

「ん? それッて、どれのコと?」

「半年くらい前、シュバルツグローブでの出来事です」

 あの事件は、あらゆる意味でアイナの人生を劇的に変えてしまった出来事だ。あの一件がなければ、自分はどうなっていたのだろうと今でも考えることがある。

 レナ達とは今のような友達にはなっていたかもしれないが、昶と今のような関係になることもなかったろう。いや、友達というものだって表面的なものだけにとどめていたに違いない。やはり死に物狂いで自分を助けてくれようとした昶や、それを支えてくれたみんながいたから今のような関係になれたのである。

 しかし、だからといって許せるようなものではない。どこの誰のために、自分があんな目に遭わなければならなかったのか。アイナは固唾(かたず)を呑んで少年の言葉を待つ。

「あァ、あれは実験のたメの材料集め。前の雇い主カらの命令デ、エザリアッてのガ集めろッて言ってたから。まあ、この前のレイゼンレイドの一件でほとんどダメになッちャッたみたいだけど」

 ある意味、予想できてはいた。どこかの誰かが悪いことを(たくら)んでいて、そのためにあんな酷いことをして、それに巻き込まれてしまったんだろうと。でも、実際に本人の口からそう言われるとやはりやりきれないものがある。

「それだけですか?」

「ん? 今の話デ、どこカおカしいところガあッたかな?」

「その、何かよく分からない実験のために森を焼き払ったり、獣魔をいっぱい殺したり、私達を……」

「『私達』? じャあ、君もあの時シュバルツグローブにいたんだ」

「そんなことで、私は、怪我をして、大変な目に……」

 あまりにあっさり過ぎる物言いに、強張(こわば)っていた身体から力が抜けてゆく。石壁に背中を預け深いため息をつく。材料集め? 密猟でもなんでもいいから、誰にも見つからないようにこっそりとやってくれればいいのに。わざわざレイゼルピナ魔法学院の飛行実習のある日、しかも巡回コースにまで入ってこなくても。

「そウなんだ、それは運ガ悪カッたね。前の雇用主カらは、見られたら口封じしろッテ命令されてたから。まあ、今はそんなことシないから大丈夫だよ。こうやッて君とも話してることだし」

 時間が経つに連れて、悔しさがふつふつと湧き上がってくる。そんなどこの誰ともわからないやつの命令で、自分達はあんなに危険な目にあったのかと。

 その間にも、他にもこんなことがあってね、と少年は思い出話を語ってくれる。邪魔になった誰かを殺したとか、ミスを犯した誰を暗殺したとか、あるいは言うことを聞かない誰かに催眠や暗示をかけたとか。

 あまりに他人の命を軽く扱う前の雇い主とやらに、怒りはもう弾ける直前だ。シェリーでなくても直接会って一発ぶん殴ってやると思うだろう。もちろん、肉体強化をした状態で、だ。

 しかし、同時に疑問も浮かび上がってきた。そんな陰湿な行為を実行させられていたはずの少年の口調は驚くほど軽い。しかも、よくよく聞けば弱い者いじめみたいでそんなに好きじゃなかったとまで言い始めている。その二つが、どうやっても結びつかない。

 いくら仕事とはいえ、普通なら意にそぐわないことをやらされれば不満を持つだろう。だが少年からは、そのような不満気な雰囲気を全く感じないのだ。まるでどこか他人事のようで、ちぐはぐさが拭いきれない。

「なんで、そんなことをしてるんですか?」

「なんデッて? どウいウ意味?」

「だって、あなた、すっごく強いじゃないですか」

 その言葉は既に単なる質問ではなくなっていた。もっと強い、沈黙を許さないような気迫があった。

 どうにも、この少年が悪いことをするような人物に見えないのである。何が、あるいは誰が、何のために少年にそのような行為をさせているのか。アイナはカッと目を見開いて少年を見据える。

「アキラさんと同じくらいってことは、それこそ魔法兵としては引く手あまただと思うんですけど。だったら、どこの国の魔法兵にだってなれるじゃないですか」

 得体のしれなかった恐怖はいつしか純粋な興味へと置き換わり、アイナは少年の発する次の言葉をじっと待つ。アイナの気迫が伝わったのか、軽薄な表情はふっとなりを潜め少年は真剣な面持ちで考える。

「ウーん、それは無理なんじャないかなァ……」

 しばらくは天井を仰いで考え込んでいたが、少年は少し前のように軽い口調でそう呟いた。そこには達観も落胆もなく、まるで本でも読んでいるかのよう。いや、ほんの少しだが諦めたような寂しげな目をしていた。

「なんでです?」

「君の知らナい世界があるッテことだよ」

 魔法の技術的な問題でないなら、出自が関係しているのだろうか。だがそれならば、孤児院育ちのアイナだって同じだ。出自でもないならば、犯罪に手を染めてしまった、とかであろうか。

 少年に教える気はないらしく、何が楽しいのかわからないが面白そうに笑っていた。その何もかもをほっぽりだしたような姿がアイナの(かん)にさわった。まるで、学院に入学する前の自分を見ているみたいで。

「……アイナです。君、じゃありません」

「あれ、名前教えテくれるの?」

 敵? と自己紹介というのもおかしな話なのだが、先ほどきた女の人──アマネ──の話ではもうしばらくはこの状況が続くのだから、名前くらい知っておいたほうが色々と話しもしやすいだろう。

「だって、呼びづらいじゃないですか。君ぃ、とか。あなたぁ、とか」

「うーん、でもどうしよっかなぁ。名前もコードネームも秘密にしろって怒られちゃったばっかだしなぁ」

「おう、ちょっと邪魔するぜ」

 二人の間に割って入るように、無機質な鉄扉の向こう側からボサボサ頭の大男が入ってきた。




 牢屋の並ぶ部屋に入ってきたのは、パステルグリーンと右腕の複雑な紋章が特徴的な大男だった。大男は室内をキョロキョロ見回すと、目的の相手を見つけたとばかりに一直線に少年の目の前までやってくる。

「久しぶリ。いつ以来だッけ?」

「さぁな。お前がうちから出てった時以来じゃねぇのか?」

「あれ、そうだッけ。まあいいヤ、どうでもいいことだしネ」

 どうやら、大男と目の前の少年は知り合いらしい。あれ、知り合いなのに牢屋に入れられるってことは、仲は悪いのか。現にアイナの前で二人は憎まれ口を叩き合っている。

「で、何しにうちまで来やがったんだ? まぁ、おおかた検討はついてんだがな」

「ご想像にお任セするよ。まァ、たぶん正解なんジャない?」

「てか、それ以外だと源流筋に関する資料しかねぇわけだし、お前らみたいなのを抱えてる連中がマジュツ関連の知識が欲しいとも思えないし。ま、そのへんが妥当な線だわな」

 パチパチパチ、と少年は白けた拍手。大男の考えで正解、という意味だろう。アイナには何を言っているのかさっぱりだが、反対の牢屋に閉じ込められている少年は何らかの情報を持ち出すためにこの場所まで来たようである。

「でもさ、調べてるのッてどうせアマネさんでしょ? マサムネはそういうの全然ダメだッたし」

「適材適所ってやつだ」

「あ、ヤッぱりまだそうなんだ。マサムネもいい加減、アマネさんに頼リきリじゃダメだと思うな~」

 くふふふふと、少年は大男をからかって笑っている。二人の温度差にアイナのほうが萎縮してしまうほどである。大男が怒っていないのが、むしろ怖さを助長させていた。

「……茶化すってんなら、まあそれでもいいがな。残念ながら、お前との小芝居に付き合ってる暇はないんだ、オルディート=アプリスプ」

 大男が名前を呼ぶ瞬間、アイナをちらりと見やる。なんで私の方を? しかしその疑問が明確な形となる前に、薄ら寒いものが足元から勢い良く駆け上がってきた。

「…………やめてくれないかな? その名前なら、とっくに捨てたんだから」

 始めに少年から感じた恐怖は間違いでも何でもなかった。こちらの心を握りつぶしてくるようなプレッシャーに、再び身体が凍りつく。この肌に直接伝わってくるピリピリとした殺意は、まさしく創立祭の時に感じたのと同じもの。

 この少年が単純に悪い人でないというのも事実かもしれないが、自分くらいの人間なら簡単に捻り潰してしまえるだけの力を持っているのも事実。大男を挟んでなおこれだけの圧力、直接向かい合っていたらどうなっていただろう。最低でも気絶くらいは……していそうだ、うん。

「そっちの都合なんか知るか。で、オルディート、お前は何を探しに(●●●)ここへ忍び込もうとしたんだ?」

「そこまで知ってるなら、聞くまでもないだろう? ボク達も宝具の所在を示す情報が欲しいだけだよ。さすがに、域外なる盟約(アウター・レギオン)の情報網まではボク達でもカバーしきれないし」

「残念ながら、こっちもまだなんも掴んでねぇよ。まあ、掴んでたってお前にゃ教えてやらねぇがな」

 これだけの圧力を正面から受けて平然としていられるということは、この人も相当の実を持ったマグスなのだろう。もしかして、昶を追いかけて大変な場所に来てしまったのでは。

 マグスを大きく超えたマジュツシという存在がいるように、自分が知らないだけでとんでもない人がまだまだこの世界にはいっぱいいるんだ。鉄格子を挟んで対峙する二人を見ながら、アイナはまだまだ自分の知っている世界は小さいものなのだと改めて思い知らされたのだった。

「にしても、お前が一人とは珍しいな。アルマティカはどうした?」

「それこそ、マサムネに教える義理はないと思うけど?」

「それもそうか。まあ、せいぜい愛想つかされないようにするこったな」

「余計なお世話だよ。ティカがいなくたって、ボクは……」

 そこで初めて、アイナはオルディートと呼ばれた少年が素の表情をみせたように見えた。図星を突かれたのを恥ずかしがる姿は、まるで学院の講義室の一コマでも見ているよう。

「捕まってるやつに言われたって説得力ねぇっての。まあ、正直オレもアマネに勝てるかって聞かれるとアレなんだが」

「かっこわるー。それでリーダーとか笑えるよ」

「笑いたきゃ笑ってろ。いくら笑われようがお前をそこから出す気もないし、オレらのやることに変わりはねぇ。宝具を集めて、こいつらが安心して暮らせるようにするだけだ」

 大男はそう言うと、右腕をそっと撫でた。暗闇でよく見えないが、文字や記号が描かれているのが見える。魔法に関連する何かは間違いないのだろうが、それがどのような意味を持つものなのかはわからない。昶なら、あれがどんな魔法なのかわかったかもしれないが……。

「で、お前らは何のために宝具が欲しいんだ? 別に高尚な目的なんざいらねぇ。オレら自身、単に身を守る手段として欲しいだけだからな」

「欲しがってる人がいる。だから集めてるだけだよ。目的なんて知ったこっちゃないけど」

「そっか。んじゃ、お前の愛しのアルマティカにも警戒してるわ。あいつ確か、頭の中調べるえげつない魔法を持ってたしな」

 要件の終わったらしい大男は、それじゃあなと少年に背中を向ける。会話の内容についてはさっぱりであったが、重要な案件らしいことだけはわかった。この場所の人達がちゃんと暮らしていけるか、という。

「ここにいるやつら全員、魔力の気配がわかるんだ。変なマネ起こしたらその瞬間にその首ハネてやるから覚悟しとけよ」

 最後にひと睨みして、大男は部屋を出ていった。牢獄には再び静寂が訪れるものの、先程までは無かった肌に何かが突き刺さるような空気が漂っている。

 一変したのは、少年がもう捨てたと言った名前を呼ばれた時だ。『オルディート』という名前は、それほどまでに嫌悪するものらしい。名前とは、自分を表すための大切なもののはずなのに……。アイナがそう思っていると、不意に鋭い気配が丸くなった。何かを諦めたように、少年は気の抜けたため息をつく。

「まったく、好き勝手言ってくれちゃって……」

 こっちばっかり気張ってバカみたいでしょ? と少年はアイナに問いかける。軽薄というよりも無邪気さを覚える。なんと答えていいか迷うアイナに、少年はやれやれといった風に笑いだした。

「な、なにかおかしいですか?」

「ふふふふ、いいや……。ちょっと怖がらせすぎちゃったみたいだね。謝るよ」

 やっぱり意外すぎる言葉にあっけに取られて、どう対応すればいいのかわからない。

 この雰囲気の極端な落差に慣れるのには、まだまだ長い時間が必要そうである。

「もう聞かれちゃったし、オルディートでいいよ」

 名前のことだけでさっきはあれだけ怒りを露わにしていたのに、少年──オルディートはあっけからんとした様子で名前を呼ぶことを許してくれた。さっきまではあんなに怒っていたのにどうして? 豹変ぶりにちょっと付いていけない。

「名前。聞いてきたの、そっちだったと思うんだけど」

「でも、さっきは……」

「さっきも言ったでしょ? 知られちゃったから、もうどっちでも良いってこと。君……アイナの好きに呼ぶといいよ。何かないと不便なんでしょ?」

「わかりました。じゃぁ……オルディート」

「じゃあ、しばらくヨロシクね。アイナ」

 それじゃあ、アキラのこともっと教えてよアイナ、と少年──オルディートは楽しげに話しかけてきた。

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