第三話 初めてのおつかい Act04:帰還
行きは特に何事もなく、店長、昶、リンネの三人はフィラルダに到着した。
いや、正確には少しあった。
フィラルダの入り口まで後少しとなった所で、ついに雨が降ってきたのでえある。
昶は上着を脱いで頭から被り、リンネはマントを外して頭から羽織ったのでそこまで濡れなかったのだが、濡れた身体に冷たい風はなかなか堪えた。
昶でも身体の芯まで冷えるほどの風邪だ。その隣のリンネは、がくがくと肩を小刻みに揺らして震えていた。
「すいませんでした。まさかここまで激しくなるとは、思わなかったもので」
ちなみに、店長に至っては川の中でも泳いできたのかと言わんばかりに、ずぶ濡れになっている。
昶やリンネと違ってもろの雨を浴び続けていたのだから、それも当然だ。
「今すぐ兄貴に言って、替えの服とシャワーを用意してもらいますから」
それでもなんとか本降りになる前に到着した一行は、大急ぎで店長のお兄さんが経営しているというお店──そこの搬入口へと入り込んだのである。
元々雨具でない昶のジャケットやリンネのマントは、絞ればたっぷりと水を吸い込んでいた。
とりあえず昶は、ポタポタと水の滴るジャケットを、適度な強さでぎゅぅぅっと絞る。
するとまるで洗面器でもひっくり返したかのように、じゃーっと水が溢れ出た。
それを見ていたリンネも、マントの裾をきゅっと絞ってみる。
こちらも昶ほどではないにしろ、指のスキマを縫ってこぼれ出た水の滴りが床を濡らした。
「っくち……!!」
鼻を赤くしたリンネが、小さくくしゃみをする。
屋内に入って風がなくなったとはいえ、すでに身体は完全に冷え切っていた。
準備ができたら、いの一番にリンネを温めてやらねばならない。
まだ準備ができないのかと、昶のイライラが最高潮に達しようとした時、
「今兄貴が大急ぎで準備してくれてます。とりあえず、こいつで身体を拭いてから、上がってきてください」
昶はごわごわになった薄っぺらいタオルを二枚受け取ると、大きい方をリンネに渡してやる。
二人は髪や顔、びちゃびちゃになった服の水気をぬぐうと、店長の後を追って上の階へと向かった。
「すいませんなぁ、荷台を直していただいた上に、弟の我儘まで聞いていただいて」
リンネを早々に送り出した昶と店長は、店長のお兄さんに連れられて店の居住スペースに連れてこられていた。
お兄さんのやっている店は、一階が荷物の搬入口兼倉庫、二階が雑貨屋、三階が住まいというちょっと豪華な作りになっている。
と言っても自分で建てたわけではなく、前の持ち主が事業に失敗して売りに出していた物件を、格安で譲り受けたのだそうだ。
道と同じ高さに店である二階があり、階段を上ったり下ったりすくことなく店内に入ることができるようになっている。
昶はさらに服のあちこちを絞りながら、ごわごわのタオルで水気を吸い取っていった。
もうほとんど、雑巾のようにしか見えない。
「はっくしっ!!」
ずずずーっと鼻を鳴らしながら、昶は大きなくしゃみをした。
身体を鍛えているので多少の寒さは平気なのだが、濡れるとやっぱり違うのだ。
それでも、リンネのようにがくがく震えるまではいかないが。
「どうぞ、ホットミルクです」
すると昶の目の前に、湯気の沸き立つカップが差し出される。
昶はカップを受け取りながら視線を上に上げると、先ほども見た、笑いじわの目立つ男の顔が目に入った。
背丈は昶と同じくらいで、がっしりとした身体つきではあるものの、適度にあちこちがたるんでいる。
相手に警戒心を抱かせないような、親しみやすい雰囲気のある人だ。
「ど、どうも」
昶は適当に相づちをうちながら、ホットミルクを口にした。
甘く濃厚な香りが口の中にふわぁっと広がり、お腹の中心から全身をぽかぽかと温めてくれる。
少しとろっとしていて粘度は高めだが、口当たりはさっぱりしていて思いのほか飲みやすい。
昶はちびちびとホットミルクを飲みながら、窓の外へと目をやった。
下の搬入口に入る前より、明らかに雨の量が増えている。
雷までも伴ってまるで滝のように降り注ぐ豪雨は、フィラルダ一帯を蹂躙していく。
昶はゆっくりと遠ざかっていく雷鳴に耳を傾けながら、半分になったホットミルクを一気に飲み干した。
「すいません。シャワーが一台しかなくて。あ、ホットミルクのおかわり、いかがですか?」
「大丈夫です。ありがとうございました」
昶が軽く会釈をすると、いえいえこちらこそ、と店長のお兄さんも頭を下げた。
「もうしばらくすればやむと思いますので、もう少しだけご辛抱ください。どうも、ちょっと大きな通り雨らしいので」
「よかったぁ。それなら、明るい内に学院まで帰れそうです」
「すまねえな、兄貴。なにからなにまで、全部やってもらって」
「まあ、弟のミスは兄がフォローしないとな。そうだろ?」
その言葉に、弟の店長は面目ねぇ、と照れながら答える。
その可愛さと容姿の厳つさにギャップがありすぎて、昶も店長のお兄さんも思わず吹き出した。
「それにしても、今学院ではそんなに風邪が流行っているんですか?」
「らしいぜ。うちの店にも学院の生徒さん達がけっこう来てな、薬や薬草も全部なくなっちまったよ」
「その風邪引いちゃった俺の知り合いも、身体が頑丈なのだけが取り柄みたいなやつなんで、ちょっとびっくりしました」
「なるほどなぁ。それなら、今週はその辺を多く仕入れてみるのもいいかもしれんなぁ。学院ほどひどくはないんだが、フィラルダでも風邪気味の人が増えていてな。本格的に流行りだしたら、薬も足りなくなりそうだ」
店長のお兄さんは顎に手を当てて、真剣な思案顔。
以前より価格は下がってきているのだが、レイゼルピナではまだ成分を凝縮した薬は高価な品物として認知されている。
一般市民の間で広く使われているのは、薬と同じ成分を含んでいる薬草の方だ。
どちらをどれだけ買い付けるか。難しい所である。
「あのぉ、すげー寒そうなんですが、本当に大丈夫ですか? ホットミルク、まだありますけど」
「いえ、俺はこのくらいならまだ慣れてますから。それよか、店長の方が寒そうですよ? 俺よりも、店長の方が飲むべきでしょ。風邪引きますよ?」
「いや、だがなぁ……。お得意様の生徒さんに、風邪を引かれるわけにぁ……」
と、店長は寒いにも関わらず、どんどん額から汗を流していく。
店長もずぶ濡れになっているのだが、昶とリンネを気遣ってからか、まだホットミルクを飲んでいないのだ。
いかに屈強な身体を持っていようと、寒さに勝てないのはすでに昶で証明済みである。
リンネほどではないにしろ、店長は昶よりも肩をがくがくと揺らして震えていた。
「俺、学院の生徒でも、ましてや貴族とかでもないんで、そんな気を使ってくれなくていいですから。なんか、逆に調子狂うんで」
昶は店長に苦笑して見せる。
「…だったら、私も」
と、昶と店長のお兄さんが話している所へ、リンネの声が割って入ってきた。
「…私も、貴族じゃない、から。そういうの、いい」
確か服を用意してあるとは言っていたが、どう見ても“代わり”と言っていい代物ではない。
白を基調にした、ふわりとした生地のシンプルなワンピースだ。
襟元や袖口、スカートの裾には、あくまでそれ着ている人物を映えさせるための、上品なフリルやレースがひっそりとあしらわれている。
そしてシンプルさを補うように、胸元には青いリボンが結ばれ、同じく青い色の小さなボタンがアクセントとして、あちこちに散りばめられていた。
リンネは違うと言っているが、その姿は上流階級のご令嬢のそれにしか見えない。
昶と店長は生唾を飲み込み、お兄さんはやっぱり見立ては間違っていませんでしたね、とにっこり微笑んだ。
「弟の荷台に載せた物から拝借してきました。学院の生徒さんに買っていただこうと思って、仕入れていたものの内の一つです」
と、店長のお兄さんはさらりと言った。
だがそれにしても、まるで最初からリンネのために仕立てられたのではないのかと思えるほど、そのワンピースは似合っている。
穏やかな気性のリンネにシンプルなワンピースを組み合わせることで、表面へと滲み出る上品さが制服の時よりも格段に上がっていた。
「…アキラ、風邪引く前に……シャワー」
「ん、あ、あぁ。そうだな」
茫然自失からようやく回復した昶は、ホットミルクのなくなったカップを店長に差し出すと、シャワーを浴びに向かった。
それからネフェリス標準時で十分と少々、石畳にも穴を開けそうな勢いだった豪雨は完全にやんだ。
濃い灰色の雲は、はるか東の方へと移動している。
まったく、迷惑な通り雨であった。
「んじゃ、また明日も来るわ」
「おぉ、帰り道には気を付けてな」
店長が手綱を振るうと、二頭の馬はゆっくりと加速しながら荷台を引き始めた。
漢は黙って……、となにか言おうとした店長であったが、男でも風邪は引くし引いたら商売にも影響が出ると正論で言いくるめられ、結局昶の次にシャワーを浴びたのであった。
昶には、よくわからない世界の話である。
店長はお兄さんの家に置いてある自分の着替えを、昶は背格好がほとんど同じなお兄さんの服──使い古したポロシャツと作業ズボン──を借りた。
別に不満があるわけではないのだが、扱いの差がリンネとはえらい違いである。
「よかったな。雨上がって」
「…うん」
行きと同じく、二人は荷台の後方で揺られていた。
違うのは、二人の乗っている荷馬車の荷物である。
空っぽだった荷台には、薬の瓶や薬草の束の他に、学院の生徒──主に女生徒──を対象にした冬物の衣服や、アンティーク、高価な食器の類がひしめき合っている。
それら荷物の上に幌をかぶせ、二人はその上の荷物のない部分に座っているのだ。
荷台の壁に背中を預け、ぼーっと空を見つめている昶の肩を、ちょんちょんと誰かがつついた。
誰なのかはわかっている。
馬を操っている店長をのぞけば、同乗者は一人しかいない。
「ん?」
あくびをかみ殺しながら、昶は視線を上から自分の隣に移動させた。
白いワンピースを着た、いつもの十割増しくらいの上品感を漂わせるリンネの姿が映る。
ただし、その目には一昔前の少女マンガ並に、お星様がいっぱいだ。
「…さっきの、機械。もう一回……見たいん、だけど」
なるほど。
昶は胸中で苦笑しつつ、ピアノブラックの携帯電話を差し出した。
リンネはそれを繊細な手つきで受け取ると、パカッと画面を開く。
またたく間に液晶画面は明かりを灯し、FLASH映像の待ち受け画面が現れた。
リンネは心ここに在らずと言った様子で、食い入るように次画面を見つめる。
「…この、絵の動くやつ、どうやってるの?」
「詳しいことは俺も知らねぇけど、液晶ディスプレイって言って、液体と個体の真ん中みたいなやつを電気で動かしてるらしいぞ」
「…電気? こんなに小さいのに、これ、電気で動いてる、の……!?」
リンネにしては珍しい慌てた声に、昶もちょっとだけ驚いた。
目を大きく開けて、昶の顔をのぞき込んでくる。
その状態にドキッとした昶であるが、リンネの方は恥ずかしさなんてどうでもよくなるくらい驚いているようだ。
「…メレティスでも、まだすごく大きなのしかないのに、それがこんなに小さくて……。絵を動かすのも、どうやってるんだろぅ」
「あ、あのぉ。リンネ、さん?」
「…ふぇ?」
自分の世界に入り込んでいたリンネは、昶の声によって呼び戻された。
どうやら、自分でも気付かない内に自分の世界へと入り込んでいたらしい。
幸いにも、声が小さすぎて昶に聞かれることはなかったようだが、心の声が口に出ていたことに気付いたリンネは、この上ない羞恥心を感じていた。
「…す、すいません! 私、えっと、こういうの見ちゃうと、自分……が抑えられなくて。それであの、変なこと言っちゃったり、して、うぁぁ……」
責めていたわけではないのだが、誤解に引っ込み思案の性格が手伝って、暴走してしまったようだ。
顔全体が赤くなって、頭頂部辺りからはぷしゅ~っと煙を上げている。
そしてリンネは、暴走した思考回路と勢いにまかせて、
「…ア、アキラ、さん!」
「な、なに?」
「…わ、私を、アキラさんの国に、連れて行ってくだひゃい!!」
とんでもない台詞を口にした。
一歩間違えれば、プロポーズとも取れる言葉である。
そして言ってしまってから気付いたのか、リンネはさらに頬を赤く染め、頭頂部から湧き出る煙も増量させて縮こまってしまった。
だが、リンネの気持ちもわからないわけではない。
自分の専門分野上で未知の技術に触れた時、それは非常に興味がそそられるだろう。
昶がレイゼルピナで魔法と呼ばれる技術体系に、非常に興味があるように。
「…い、今の……。聞かなかった、ことに……」
「わかってるって。もう忘れた」
レナにも、これくらい可愛げがあれば……。
まったく残念である。
「…それで、これって、なにする機械……なの?」
それからしばらくして気分が落ち着いた所で、リンネは再び話しかけてきた。
やっぱり、未知の機械への興味が抑えられないようだ。
これが最先端のスマートフォンなる代物なら、もっと面白いことになっていただろうが。
昶は携帯電話に関する少ない情報を頭の中で整理し、できるだけ意味を噛み砕いてからリンネに説明してやった。
「えっとぉ……、携帯電話っていって。どんな場所からでも、離れている人と一瞬で連絡がとれる道具」
「…メレティスの、電気通信器より、すごい。ところで、どこでも、なら……。今も、できるの?」
「いや。今はちょっと無理かな」
昶は画面の左上に目をやるが、あるのは“圏外”の二文字だけ。
ふと諦めにも似た感情が膨れ上がり、昶は自嘲的な笑みを浮かべる。
嫌な思い出ばかりの場所でも、戻りたいと思っている自分がいる。
そんな自分がいることに気付いて、昶は自分が嫌になった。
リンネはなんで昶がそんな表情をするのか気になるのだが、なんとなく聞いてはいけないような気がした。
マグスにとってなくてはならない洞察力──その洞察力が、昶の微妙な表情からそれを無意識の内に読み取ったのだ。
リンネは別の方向に話題をそらそうと、再び昶の持つ不可思議な機械について話し始めた。
「…じ、じゃあ……他にはどんな、機能が、あるの?」
「あぁ。メールって言う、手紙みたいに文章を、遠くの人に送る機能とか、かな」
昶はメールフォームを起動させると、新規作成を選択し入力画面をリンネに見せてやる。
「それで、下にあるボタンで文字を書けてだな、上の動く絵のでる所にそれが出てくるってわけ」
適当にキーを操作して、“おはようございます”と表情させる。
リンネはもちろん字は読めないが、昶の操作で次々と文字が表情される画面に、目を輝かせた。
「…すごぃ」
ほんと、色気を感じるほどうっとりしている。
いや、もっとこう、悦に浸るとか、恍惚とした表情を浮かべているとか、とにかくいつもと違うのだ。
「…他には? 他には!」
リンネはさらにぐいぐいと昶の顔をのぞきこんでくる。
ネットサーフィンは無理なので、それじゃあ写真や録画機能でも見せてみようかとも思ったのだが、
「悪いな、リンネ」
昶は携帯電話をリンネに預けると、荷台から勢い良く飛び上がった。
そしてまっすぐに振り上げた手刀によって、今まさに馬を、あるいは店長を撃ち抜こうとしていた矢を、真っ二つにへし折る。
「んじゃ、ちゃっちゃと済まそうか」
昶は全身を脱力させ精神を集中させると、体内の霊力を繰って四肢に力を込めた。
突然荷台がきしみ揺れたことに、店長は動揺を抱いた。
何事かと大慌てで馬を止め、後方を振り返る。
「盗賊の連中来たんで、追っ払います。くれぐれも、馬車動かさないようにしてください」
昶は大声で店長に指示を出してから、リンネの方を見つめて言う。
「馬車の方、しっかり守ってくれよ」
発動体を持ったリンネが力強く頷いたのを見て、昶は周囲の盗賊達へと意識を向けた。
相手はマグスではない一般人だ。
なので、魔力の気配で相手の数を探ることはできない。
最低でも二人以上はいるのだろうが、それさえもさだかではなかった。
すると、どこからともなく再び矢が飛んできた。
それを昶は強化された動体視力でやすやすと捉え、余裕を持って回避する。
茂みや大きな岩がごろごろしているが、この辺りは非常に見晴らしが良い。
よって、隠れられる場所も必然的に限定されてくる。
昶は足下に落ちている石ころを拾うと、矢の飛んできた方向へと投げた。
驚異的な加速度を得た石ころ──それでも加減はしてある──は、射線上にあった巨大な岩に突き刺さり、乾いた音を立てて砕け散る。
するとすぐさまその岩の両端から盗賊が現れ、再び昶に向けて矢を放った。
今度は合計二本であるが、昶はこれも簡単によけて見せる。
だが、盗賊の計画はすでに次の段階に移っていた。
「ひぃっ!?」
盗賊の姿を確認した店長は、厳つい見た目からは想像もつかないような悲鳴を漏らす。
粗末な大斧を上段まで振りかぶり、前方からまっすぐに荷馬車へと向かってきた。
だが、
「…水精霊!」
リンネがそうはさせない。
呪文を用いた魔法は一般人には強力すぎるので、リンネは望む形を強く思い描き、精霊素を物質化させる。
水の壁は盗賊の足を止め、接近を阻むことに成功した。
と、その様子に昶が気を取られている内に、岩陰から盗賊達が跳び出して来る。
それぞれが手に大きめの鉈を持ち、左右から昶へと振り下ろしてきた。
だが、ノム・トロールの攻撃すらやすやすとかわす昶には、恐ろしくともなんともない。
それどころか、肉体強化中の昶の身体には、刃が立つのかどうかすら怪しかった。
昶は軽く拳を握ると、今まさに振り下ろされようとしている鉈と、動きを合わせるようにしてそっと拳を添え、
「なにぃ!?」
「バカな……」
拳の人差し指と中指で、鉈を白刃取りしたのである。それも二本とも。
昶の人間離れした超人技に、盗賊二人もどよめき立った。
だが、まだ終わらない。
「このぉおおおお!!」
岩陰からもう一人、まだ幼い少年の盗賊が現れたのである。
昶よりも小さな身体には不釣り合いな大斧を振りかぶり、一心不乱に振り下ろした。
だが、完全に動揺していた。
恐らく、武器を持ったのもこれが初めてなのだろう。
そして、その結果もたらされるであろう未来も自覚している。
それゆえに、人を殺すことへの恐怖と躊躇いが、肉体へも影響を及ぼしているのだ。
大斧の軌道上には昶の腕だけでなく、仲間である盗賊の足まで入っている。
もし腕が切断されれば、間違いなく昶の腕を戒める盗賊の足まで切り落としてしまうだろう。
「ったく!!」
しかし、昶も黙って腕を切り落とされるわけにはいかない。
大斧を狙って、思い切り右足を蹴り上げた。
しっかりとグリップされていなかった大斧は宙を舞い、少年の真横へと蹴り飛ばされる。
そして二人が仲間に気を取られているスキを突いて、昶は白刃取りしたままの鉈を強引に振り回した。
突如手の内に発生した無茶苦茶な力の前に、盗賊二人は本人の意志とは無関係に鉈を手放してしまう。
そしてついでとばかりに、昶は二人の鳩尾に肘打ちを叩き込んだ。
数歩下がって力尽きた二人の下へ、少年が駆け寄る。
少年は昶のことをキッとにらみつけるが、昶は相手にもせず頭をかきながら終わったかな、と小さくつぶやいた。
「分が悪い、引くぞ!」
いつの間にか、前方から後方へと回り込んでいた盗賊が、仲間達に指示を出す。
恐らくは、彼がリーダーなのだろう。マグスが相手では勝ち目がないと、冷静な判断を下したのだ。
昶やリンネが攻撃してこないか警戒しつつ、リーダーはうずくまっている二人に肩を貸し後退していく。
「……ちっくしょう!」
だが、少年だけはそうではなかった。
リーダーに肩を借りる一人から弓と矢をひったくり、昶へと狙いを定める。
圧倒的な力の差を見せつけられた直後だ。
恐怖で身体が震え上がる。
こっちは三人がかりでしかも武器まで使っていたのに、無手の一人にあっけなく制圧された。それも一瞬で。
必死で涙をこらえ、自分達の存在を否定するような存在──昶──へと、今まさに矢を放とうとしたその時、
「ひぃっ!?」
べきっと、なにかが壊れる音がした。
それから左手に、猛烈な痛みが襲いかかる。
昶が鉈の柄をへし折り、少年の弓をめがけて放ったのだ。
矢が少年の手から放たれる前に弓を破壊し、左手にもダメージを与えた。それだけである。
「……ッ!!」
「かっはっ!?」
そして一瞬の間に少年との距離をつめ、ボディに一発入れる。
アッパー気味にお腹を殴られた少年の身体はふわりと浮き上がり、背中からあっけなく地面に落ちた。
「くそっ」
リーダーは歯噛みしながら、その光景を見つめる。
マグスに加え、超人じみた技を使う人間までいるのか、と。
両肩は仲間二人に貸していて、少年を助けに行くことはできない。
だがそこで、誰もが予想だにしない事態が起きた。
「…血、出てる」
てくてくてく、と昶の前へ出たリンネが、発動体の杖を自分の隣に置いて少年の左脇へと腰を落とし、その手をきゅっと握ったのである。
「……ぇッ!!」
展開に付いていけず混乱する少年には目もくれず、リンネは少年の怪我の状況を確認する。
折れた弓か、それとも鉈の柄かはわからないが、確かに少年の左手の甲からは、たらたらと血が流れていた。
リンネは怪我の部位に目をやりながら、左手をかざした。
すると指輪にはめ込まれたグリーンサファイアが強く光り出し、続いてリンネの掌にも、ぽわぁっ、と光りが灯る。
まるで電流でも流れたかのようが少年の左手へと襲いかかり、それに呼応するようにしてなんと傷口がふさがり始めたのだ。
傷口はみるみる内に小さくなり、標準時で十秒を数える頃には完全にふさがっていた。
「…これで、よし」
治療を終えたリンネは、発動体を持って立ち上がる。
「…盗賊は、もう……やめてね」
それだけ言うと、荷馬車の方へと戻っていく。
吸い込まれそうなほど透明感のある、とびきりの笑顔。
やはり少年も例外に漏れず、食い入るようにリンネを見つめていた。
昶もそれ以上はなにもせず、リンネに続く。
二人を乗せた荷馬車は、何事もなかったかのように出発した。
それから三日後、
「っくしゅっ!?」
「はいは~い、レナちゅわ~ん。あ~んして」
レナは自室のベッドで横になっていた。
原因は、現在絶賛流行中の風邪である。
「自分で食べられるわよ、もう!!」
レナはシェリーの手からフォークを引ったくると、お見舞いのナシをグサッと刺して口へと運んだ。
が、そこは色んな意味で用意周到なシェリーである。
予備のフォークで切り分けたナシを突き刺し、レナの口元へとやった。
普段に輪をかけて体力の減っているレナは、諦めてシェリーの差し出してくるナシにあ~んとかぶりついた。
ちなみに、味の方は非常に甘く、水分たっぷりで火照った身体には心地良い。
「は~い、いい子いい子~」
「ったく、だから止めなさいってば。まったく、元はと言えば、シェリーのせいなんだからね」
「だ~か~ら~、こうして看病しにきてあげてるんじゃない」
「……あんた、ただからかいにきてるだけでしょ」
そうなのだ。
付きっきりでシェリーの看病をしていたレナは次の日から体調を崩し始め、昨日にはごほごほと乾いた咳を、そして今日は朝から高い熱が出ているのである。
それものどを重点的にやられているらしく、声もがらがらだ。
一方でシェリーはと言えば、三日前の夕方から薬を飲み始めて翌日には症状の大半が収まり、今日なんかはもう完全回復である。
「たっだいまー」
と、そっと開け放たれた扉の向こう側から、昶が現れた。
しかも片手には、シェリーが厨房にお見舞いにと強引に渡されたモノ同様、編み上げの籠に入ったナシが見える。
どうも、コック長の実家から腐るほど大量に送られてきたらしい。
「おっかえりーってぇ、アキラも貰って来ちゃったんだ。それ」
「わりぃか。エリオに強引に渡されたんだよ。お願いたから持って行ってくれって」
シェリーの言葉の意味を、昶はレナやシェリーの手元を見た瞬間に察した。
なるほど、シェリーもつかまされたのか。
「げほげほ。それで、どこ行ってたの?」
「あぁ、この前借りた服返しに」
と、昶は短く説明する。
リンネの方はあの服がいたく気に入ったらしくてご購入されたようだが、昶のはただの借り物である。
自分で手洗いし、朝食を終えてから返しに行ってきたのだ。
「てかシェリー、なんで講義中なのにいるんだよ?」
「なに言ってんのよアキラ。講義なんかよりレナの看病の方が大事でしょ」
まあ、本音は弱ってるレナをからかいたいだけであろうが。
それよりも担当の先生に謝れ心の中できっと泣いてるぞ、とか思いながら、昶は店長に聞いた話を思い出す。
どうやらあの日以降、あの近辺で盗賊に襲われた人はいないらしい。
盗賊家業から足を洗ったのか、それとも別の場所へ移ったのか。
昶としては前者を祈るばかりであるが、とりあえず昼食の時間にでもリンネに教えておこう。
「ところでアキラ、今晩私の部屋にでも来る? このままじゃレナに風邪移されちゃうかもよ?」
と、レナの反応を横目でのぞき見ながら、シェリーは昶に問いかける。
「いいって。お前の部屋にいたら、それだけで風邪引きそうだから」
「うっわ、そこまで言う? 今私の乙女心に、一生直らない傷が付いたわよ!」
だったら、見せていただきたいものである。その、乙女心とやらを。
昶とレナは三文芝居に精を出すシェリーに白い目を向けながら、それぞれ切り分けられたナシを口にする。
「それに……」
と、昶は視線を宙に彷徨わせながら、台詞を続けた。
「レナの看病、しなくちゃいけないだろうしな。夜中になにかあってもいけねぇし」
「…………」
レナはすでに赤くなっている顔を更に赤くして、隠れるようにもそもそと布団の中へと埋もれてしまう。
言ってしまってから昶も恥ずかしくなり、頬を赤くさせながらもう一つナシをかじる。
「ほほぅ……」
その様子に、シェリーは口元を隠してニヤリと笑い、
「相変わらず、夫婦してますなぁ」
「してねぇ!」
「してないわよ!」
高性能爆薬を使用した爆弾に勝るとも劣らない言葉を置き土産に、ダッシュで部屋を後にした。
二人っきりになったレナと昶は、なんだかピンク色のもどかしい空間に身をもじもじさせていた。
初めての方初めまして、久しぶりの方お久しぶり。魔術物大好きな蒼崎れいです。最近読み始めた人にはあれかもしれませんが、実はこれ十一話の後に書いてます。そしてすいません、なんか全然落ちてないです。もう一部くらい書こうと思ったんですけど、そんな中身のない回なんで、そのまま終わらせた結果しまりのない感じになってしまいまして……。三部目辺りがピークでしたね、いやほんとに。
まあ、それはともかく。今回はあれです。リンネファンのための、リンネの魅力を全力でお届けした回です。なんか、作中で一番人気の高い可能性のあるリンネちゃんです。守ってあげたくなる系のヒロインって、やっぱいつの時代も強いんですね。前々から機械いじり大好き設定があって、どこにぶち込んでやろうかと思ってたんですが、ちょうどいいと思いまして。あぁ、可愛かった。書いてても可愛かった。それだけです。
それでは、次話または最新話でまたお会いしましょう。