Act28:対面
メルカディナスを出てから、どれくらいの時間が経っただろうか。太陽は既に真上を通り過ぎて傾き始めているので、昼はとうに過ぎているのだろう。昶はお腹のすき具合も加味しながら、そんなことに思いを巡らせていた。
もっとも、頭を空っぽにしてただ馬の背に乗っているだけなので腹の虫がごねだすのはもう少し先の話だ。身体も頭を使わないと、案外腹は減らないものである。
「アキラ様、本当に休憩をしなくて大丈夫なのでしょうか? 馬には慣れていらっしゃらないと伺っていますが」
「キャシーラに捕まってるだけだし、そもそもとことこ歩かせてるだけだろ? むしろ、ずっとこうしてるだけのほうが俺的には疲れるんだけど」
「と、申されましても……。アキラ様を走らせるなんてそんなこと恐れ多くてキャシーラにはできません……。それに、これはこれで役得……」
「役得? なにが?」
「いえいえいえ! なんでもございません! あ、馬での移動はここまでです。ここからは徒歩で参ります」
半日以上、三頭の馬を乗り継いで移動を続け、伐採場があったであろう廃村までたどり着いた。切り口は黒く変色しているし、人の気配もまるでない。工業が主産業に移行しつつあるメレティスでは、こういった元伐採場も増えてゆくことだろう。ならず者集団にはうってつけの拠点である。
ここまでの道もだんだんと細く歩き辛くなってゆき、最終的には道なき道を……か。ようやくといった感じで馬の背中から降りた昶は、ぐっと背筋を伸ばす。それと同時に、キャシーラの腰に回していた手もほどく。残念そうな深い溜め息をはくキャシーラだが自分に課せられた任務もいよいよ終盤、あとちょっとだと気合を入れ直す。
「歩くって、どれくらいなんだ?」
「三〇分もあればつきます。ここまでくれば人目も無いに等しいですから。あ、でもちゃんと隠匿と警報の結界は張ってあるので、見つけるのも侵入するのも一筋縄ではいかないですからね」
「まあ、こんな場所まで来る物好きはいないよな。あ、荷物なら俺が持つから、貸してくれ」
と、昶はキャシーラに手を差し出す。
「いえいえ、そんな!? 滅相もございません! 荷物運びなんて仕事、アキラ様に……」
馬にくくりつけていたリュックやリュックを降ろしていたキャシーラは、両手を激しく振って拒否する。
しかし、
「女に重い荷物持たせて案内してもらう方が俺の精神衛生的に悪いんだよ。それに、こっちは肉体強化だって使えるんだから多少の荷物くらいなんともないって」
地面に置かれたリュックやバッグを軽々と背負い持ち上げてしまった昶は、早く案内してくれと暗に促す。お仕えしなければならない人に雑用をさせてしまった申し訳無さと優しさに板挾みされて、嬉しいのやら申し訳ないのやら。少しだけ悩んだキャシーラは一瞬だけうっとりと惚けるにとどめ、言われたことを実行すべくこちらですと切り株の間を抜けて森の中へと足を踏み入れた。
昶も背中のリュックと両手のバッグを持ち直すと、足早に進んでキャシーラを追いかける。後悔にも似た思いが胸の奥からだんだんとこみ上げてきた。
本当にこんな場所まで来てしまったと、改めて実感が追いついてくる。これから向かう場所は、いわば敵地も同然。一度は刃を交えた相手がトップを務める組織だ、緊張しない方がおかしいというものだろう。頼れる者は誰ひとりとしておらず、唯一の寄る辺であった草壁の血の力も現状では使い物にならない。
不安という感情が手を、足を、胴を、首を、全身を絡め取ってくる。この態度は、強がっているだけなのかもな。これから会うであろう人物の顔を思い出しながら、昶は無心に歩みを進める。
キャシーラの言っていた通り標準時で三〇分、地球なら一時間ほど歩いたところにソレは鎮座していた。
「こんな森のど真ん中にどうやって……」
「水精霊の結晶で人口湖を作ったんです。どうですか? すごいでしょ!」
なぜか自慢気に語るキャシーラは置いておいて、昶は目の前のソレに思わず目を奪われる。レイゼルピナの軍艦と比べて二世代くらい差があるのではなかろうか。
蒸気や風精霊を使った発電機構による大出力動力機関の搭載がようやく始まった、というのがこの世界の一般的な軍艦である。無論自重を持ち上げるのが精一杯で、金属製の装甲もまだ試験的に搭載を始めたレベル。
それがどうだ、目の前の船はどう見ても全金属製ときたものだ。船の前方には連装主砲が二基と後方に一基。側面には火精霊を利用した火線砲を配備している。そのフォルムはまさしく、第二次大戦中の駆逐艦といったフォルムをしている。帆船から抜け出し始めた印象を受けるこの世界の一般的な軍艦と比べてどこまで異質かわかるだろう。
明らかにこの世界にはない意思のようなものを感じる。
「あ、キャシーラじゃねぇか。久しぶりだなぁ」
「お久しぶりです」
渓流釣りでもしていたのか、網に大量の魚をつっこんだ男が現れる。魔力の気配はあまりうまく隠せていないので戦闘要員というわけではないが、組織内ではキャシーラより先輩に当たるのだろう。あ、美味しそうなお魚ですね、だろう? と口調からしてもキャリーラの方が下というのがわかる。
「あれ、でもお前、源流使いの偵察やって…たん…じゃぁ……」
釣り帰りの男は獲物の自慢でもしようと網を広げようとしたところで、ようやく目の前にいるのがキャシーラだけでないことに気付いた。キャシーラの後ろ、子供の体重以上はありそうな荷物を抱えていながら汗一つどころかまるで疲れを見せていない表情の少年が一人いた。
アマネと同質の黒い瞳と髪、レイゼルピナ魔法学院の制服、曲線を描く見慣れない剣、なにより少年からは一切魔力を感じない。釣り帰りの男は一瞬でその意味を悟り、そしてみるみる内に顔色を青くしていった。
「あ、はい。この御方が源流使いの……」
「草壁昶、よろしく」
そしてキャシーラの紹介と昶の名乗りがトドメとなり、一切合財を投げ捨てて背筋を正す。
「しし、失礼しました! すぐにご連絡いたしますので、中でお待ち下さい! キャシーラ、頼むぞ」
「わかりました。では、客間の方へご案内させていただきますね」
釣り帰りの男は釣果も釣り竿も置き去りにして、タラップを駆け上がって艦橋の方に消えてゆく。その間に昶はキャシーラに案内されて、近くに建てられた木造の建物の中へと案内された。ここを拠点にし始めてからかなり経つのか、平屋の建物が十件以上も森の奥まで続いている。
案内されたのは、見た目の通り簡素な作りの客間だ。とは言っても立て付けが悪いとかではなく、物が少ないせいでそう感じるだけである。壁紙も貼られてなくて木材が顔を出しているが、これくらいのほうがむしろ落ち着く。キャシーラは慣れた手つきで緑茶を淹れた湯呑みを昶の前に差し出した。
どうぞと促されて口に含むと、懐かしい味と香りが広がる。そしてちらっと前方に目を向けると、やたらニヤニヤとしているキャシーラが目に入った。どうでしょ、すごいでしょ、って感じのニュアンスは伝わってきたが、ソレを口にするとなんか負けた気がするのであえて視線を外して湯呑みの中のお茶を一気に飲み干す。
「お、マジで来やがったのか」
驚きよりも、思った通りだったという意味合いのほうが強かっただろうか。入り口から聞き覚えのある声がして、昶はすっと背後を振り返る。予想通り、そこには忌々しい記憶しかない男──真・域外なる盟約の長たるスメロギ=マサムネが相も変わらず憎たらしい表情で立っていた。
パステルグリーンのぼさぼさ髪、着古したというにはボロが目立つ衣服、二メートル近い高身長にも関わらず細さを感じさせない筋肉、右腕の刺青、思い返すだけで腸が煮えくり返る。とはいえ、その内の半分は自分に向けられたものだが。
「ようこそ、オレ様の城へ。歓迎するぜ」
「さっそくもてなしてもらってるよ」
無邪気に口元へ笑みを浮かべたマサムネは、昶の前にどっかりと腰を下ろす。それに少し遅れて、もう一つの見知った顔がやってきた。
「申し訳ございません、少し遅れてしまいました」
マギア・フェスタで屋台なんてやっていたマサムネの腹心、アマネ=ミカドだ。キャシーラとは頻繁に連絡を取っていたのだろう、待ちに待った日がやってきたとばかりに息を弾ませているし目元も喜色がにじんでいる。
「それから、お待ちしておりました、アキラ様」
そして無言でマサムネの後ろに移動する。なんか以前見たときもこんな配置だったような気もする。
「よし、まずは祝賀会の準備からだな。盛大にやるぞ!」
「スメロギ様、今のうちの財務状況はわかっておわれますか?」
ウキウキしているマサムネに、アマネは鋭く切り込んだ。
さっきまでの嬉しそうな表情とは打って変わって、うすら寒い物を感じるのは気のせいではない。が、そんな気配に気付いていない人物が一人いた。
「いんや?」
「なんで、私達がマギア・フェスタで飲食店なんてやってるとお思いなんですか?」
「えーっと…………なんでだっけ?」
語気の強さから把握はできたのだろうが、それより先に口が開いてしまったらしい。顔にヤバイと書いてあるのが昶でもわかる。
この人絶対ウソはつけなさそうだな。半ば脅されてここまで来た昶であるが、このたった一コマで目の前の男が哀れに思えてきた。
「はぁぁ……。ささやかな会食でよろしければ、準備させていただきます。それよりも、まずはクサカベの血に宿る悪鬼を押さえ込む方法を探すのが先ではないでしょうか?」
「あぁ、そうだったな、アッキ、アッキ。キャシーラ、ハヤテを呼んできてくれ。書庫で調べ物をしてるはずだ」
「はい、わかりました!」
元気に返事したキャシーラは、行って参りますと昶に耳打ちして部屋から出てゆく。昶と同じ距離を移動してきたのでかなり疲れていると思うのだが、ケロッとしている。身の回りの世話をしてくれているので忘れがちだが、キャシーラの戦闘能力もレイゼルピナ基準で見ればかなりのものである。戦闘に必要な体力も身につけているのだろう。
「いいやつだろ?」
送り出したマサムネが昶に問いかける。
「こんな組織にはもったいなさすぎるくらいいいやつだと思うよ」
「なんなら、嫁にもらってくれてもいいんだぜ」
「ゲホゲホ……な、なにアホなこと言ってんだよ」
アマネが淹れ直してくれたお茶がのどにつまった。こいつ、自分の部下をなんだと……。
「いやいや、あいつの好意はマジだからな? それくらいわかんだろ?」
「好意は確かに伝わるけど、それとこれとは別だろ」
「でも、言ったら喜ぶと思うぜ?」
残念ながら、昶も喜ぶキャシーラの姿が簡単に想像できてしまった。キャシーラの源流使いへ抱く好意と言うか、崇拝の念は相当なものがある。もしマサムネからそんな命令をされたとしても、喜んで引き受けてしまう。
「まあ、お前らがくっついてくれたらもうここから離れらんないだろ? そしたらうちも万々歳ってわけだ」
「そういうのは黙ってなきゃダメだろ」
「アキラ様、もうご理解いただけていると思いますが、スメロギ様にそういうのは求めてはいけません。どうせできないので」
「あ、やっぱそうなんですね」
「おい、なんでお前らいきなり仲良くなってんだよ。説明しろよ」
一人だけ理解できていないリーダーに、昶とアマネは深いため息をつく。戦闘能力はかなりのものだが、組織の長としての能力としては圧倒的に欠けている部分があるのは否めない。この人もだいぶ苦労してんだな、なんて敵ながら同情してしまう。敵、というのも今となっては違うか。
「スメロギ様、ハヤテさんを連れてきました」
そこへ小柄な優男を伴ってキャシーラが帰ってきた。彼女が女性としては高めの身長というのもあるが、それを加味しても男の背丈は小柄の部類に入る。
「クサカベ流の流れを汲んでいます、ハヤテ=クサジシです。キャシーラから聞きましたが、あなたがその、クサカベ流の源流使いの方ですか?」
「あぁ、草壁昶だ。よろしく」
「こ、こちらこそ! あぁ、本当に自分と同じルーツの人と会えるなんて……夢みたいだ」
キャシーラとは別の意味で感激しているハヤテは、感無量と言った風に目を潤ませていた。ここって、一応敵地だったよな?
昶は自分が連れてこられた場所ってどこだったっけ、と本気で考え込んでしまった。もはや崇拝レベルのキャシーラ、上司の愚痴をこぼすアマネ、そして歓迎ムードの同族らしいハヤテ。
もっとこう、尋問的なものがあって自分の持っている術について洗いざらい聞かれたりするものかと思っていたのだから拍子抜けもいいところである。
「それでハヤテ、クサカベ流について、現状を教えてやれ」
「あ、はい。わかりました」
ハヤテはマサムネではなく主に昶の方へと視線を向けながら、これまで調べ上げた情報について簡単に要約して説明してくれた。
「確実性を期すために自分達の術や存在意義について、かなり詳しく書かれていました。ここが異世界で、同族以外に字が読めないからというのも手伝ったのでしょう。ただでさえ識字率は低いのですから、異世界由来の文章は読めないと考えてもおかしい話ではありません。実際、比較できる文書は存在しないので翻訳も不可能ですからね」
外部への漏洩を防ぐ目的でこの手の情報は口伝や、文書に残すとしても暗号化するのが常である。しかし、異世界では暗号化なんてそもそも意味も持たない。文字そのものが暗号のようなものなのだ。実際、エザリアもこの世界での研究資料についても自分が読みやすい形で残していたおかげで、昶やソフィア達も内容を理解することができた。
迂闊と言えばそれまでだが、今だけは異世界のご先祖様に感謝しなければならない。
「ただ、先程も述べましたように、術の原理や、その力をどのように扱うべきか、自分達後からはどのように使うべきか。そういったことは書かれているのですが、緊急時の対処についての記述はどこにも……。過去を振り返れば、自我を飲み込まれていった術者についての記述があるので、何かしらの対策は考えられていたと考えるべきなんですけどねぇ」
「飲み込まれて討伐されたか、二度と術は使わなかったとか、そんなんしか無かったんだっけか?」
「はい、現状は。ただ、お話を伺った限りではアキラ様は一度自分の中の怨霊に取り込まれながらも、再度自我を取り戻しています。これは過去の記述を遡っても見られない事象なので、そこに解決の糸口があるもかもしれません」
と、ハヤテは部屋の隅に積まれた紙の束を見やる。膝丈くらいまでありそうな束が、どんどんどんと三つ並んでいた。
「複製してある資料はけっこうごっそり持ち出してあるので、調べる文献がなくなるなんて事態はたぶんないと思います。もっとも、量が多すぎて手に負えないともいいますけどね」
「そこに積んであんのが、調査済みのものんらしいぜ」
まあ俺様は読めないんだけどな、とマサムネはなぜか胸を張って言った。そういや、この人は源流筋の出身じゃなかったな。
術を一切使わずに残りの人生を過ごせば、これ以上酷くなることはないらしい……か。が、そんなことは恐らくできないだろう。自分の力を必要とする場面で、我が身可愛さにだんまりを決め込んでいられるほど昶は我慢強い方ではない。
戦わねばならない時が来れば、進んで前へ出る自信がある。例え力を行使すること自体に迷いがあろうと、無意識の内にそれを選択してしまう。誰かの影に隠れていることなんてできない、そんなことでは大切な人を一人だって守れやしない。
退魔の術は、草壁の血統に宿る力は、そのために存在するのである。例えその根源が、遥か昔から続く怨念であろうとも。そのためにも、この血に宿る怨念の意思を押さえ込む方法をなんとしても探し出さなければならない。この先もずっと、退魔の者として生きていくためにも。
「それでは、さっそく資料探しの作業に入りましょう。ちょうど私も手が空いていますし、夕食までの間はお手伝いさせてください」
「助かります、ミカド副長」
「キャシーラは夕飯の献立を考えておいてくださいね。ささやかではありますが、この場にいる五人でささやかな会食を開こうと思いますので、それも考慮して」
「わかりました!」
「では、参りましょう」
アマネの指示を受けて、ようやくこの場が動き出した。まずはキャシーラがウキウキしながら部屋を出てゆき、ご一緒にと促された昶はハヤテとアマネについて書庫のある建物へと向かう。
そして客間には一人、ソファーにどっかりと座ったマサムネだけが残る。
「あれ、リーダーってオレだったよな?」
いくら実務はアマネに丸投げとは言え、これはこれでかなり、いやだいぶ悲しい。とはいえ、なにかやってアマネの逆鱗に触れて一人だけ会食で飯抜きなんてのも御免なので大人しくハヤテの要約してくれた資料でも読むとしよう。
そう思い至ったマサムネは、山になった紙の束の上からこちらの言語に訳された要約文に目を通し始めた。
「……これ持ち出したとかいうレベルじゃねぇだろ」
書庫に案内された昶の第一声がこれである。
「まあ、そうなりますよね、普通」
「自分達でやっておいて恐縮ですが、そう思います」
それに対して、ハヤテとアマネもばつが悪そうに答えた。それもそのはず、目の前にある蔵書の量ときたらとても『持ち出してきた』で済ませるにはあまりに膨大すぎたのである。軽く見積もっても最低六桁冊はくだるまい。
「まあ、なんといいますか。私やミカド副長を含め、現在の源流筋の過度に閉鎖過ぎる体質をよく思っていない源流筋出身者がそこそこな人数居まして」
「人数が少ないのもあって、外部の人には厳しくても身内には甘いものでして。組織の立ち上げ前までに蔵の奥で埃を被っていた複製本をこっそり持ち出し続けていたら、いつの間にか」
流出より途絶えることを危惧しているらしい源流筋の人々はとにかく定期的に資料の複製を続けており、同じ資料であっても複製した年度の違う複製本が五冊も六冊もあるのだそうな。
もちろん、各タイトルの複製本が何冊あるのかも把握していない状況なので、保管している源流筋の人々も『何かの本が減ったかもしれない』くらいにしかわからないのだそうだ。無論、組織立ち上げ直前にはこれが最後と一気にかっさらっていったそうだが、それ以前に持ち出された資料も相当数に上るらしい。
自分の方が口伝を重視しているのはこういうのを危惧してのことなのだろうなと、昶は伝達方法の長所と短所について再認識するのであった。
「ところで、アキラ様はご自分の術の原理についてどこまで把握しておられるのですか?」
参考までにと、ハヤテはメモの準備をしながら興味津々に昶を見上げる。
「そういえば……。陰陽術の方はともかく、草壁の血の方に関しては術の原理についてほとんど教わった記憶がないような……」
漠然とあまりよろしくないものを使っているような感覚はあったが、力の引き出し方について教わったことはあっても原理について聞かされたことはない。
今回の件で過去に草壁の一族が討滅してきた悪鬼の類の怨念、呪いといったものを糧としているというのがようやくわかったくらいだ。もっとも、わかったところで史上最悪にタチの悪い代物、としか形容のできないものであったが。
普通の人間ならば発狂しているところだ。現に双輪乱舞で昶と深くつながってしまったレナは、身動きがとれないほどの苦痛に苛まれていた。
教えるにはまだ早いと、判断されてのことだろう。朱音ならば、もしかしたら草壁の血に宿る特別な力の原理について聞かされているのかもしれない。
「そうなのですね。そういえば、アキラ様はおいくつでいらっしゃられるのですか?」
「十五歳、だったかな……。確か、元の世界ではまだ誕生日来てないはずだから」
それを聞いた途端、ハヤテは腑に落ちたという風に頷いた。
「あぁ、それでしたらまだ時期尚早と判断されても仕方がないかもしれませんね」
それと同時に、十五歳でここまでの力を持っている源流使いという存在に改めて畏敬の念を抱いた。
「でしょうね、自分でもそう思いますよ。折り合いつけるの難しそうですし。そういえば、ハヤテさんはおいくつなんですか?」
「背が低いせいでなかなかそう見えないのですけど、これでも二五歳でして……」
今度は昶が驚く番だった。物腰や雰囲気からなんとなく年上なような気はしていたが、姉より年上どころかほとんど一回りも差があるとは思ってもみなかった。
「めっちゃ年上だったんですね……。えっと、なんかすいません」
「気にしないでください。私の実力なんて、キャシーラとどっこいどっこいですから」
「いやいや、そういう問題でもないでしょう……」
こういう年上ばかりだったら元の世界でも過ごしやすかっただろうに。ないものねだりになってしまうが、一人くらいは居てもよかったのではなかろうか。わざわざ異世界まで来なければ会わせてくれないあたり、この世界に神という存在が存在するならばよほど頭の中身が捻くれている上に抉れているに違いない。
それに、はるか昔に分派したとは言え元は同じ流派に属する術者、今まで話しにくかったこともスラスラと言葉にすることができる。『同じ流派』という要素がハヤテを身内と判断させているからだろうか。敵地の中ではあるが、いつしか昶は味方を得たような気持ちになっていた。
「ハヤテ、それにアキラ様も、口だけでなく手もきっちり動かしてくださいね。まさか、本の表題が読めませんとはおっしゃりませんよね?」
「その点は大丈夫ですよ。これよりもっと古いの見ながら、術の習得とかやらされたこともありますから」
まず中身はともかく資料を探すのが先決だ。表題や冒頭をパラパラとめくり、三人は草壁流に関係がありそうな資料を片端から本棚から出して平積みにしてゆく。難点があるとすれば、内容のかぶっているものがそこそこの数あるところだろうか。書き写している内にどれがどれだかわからなくなったのであろうが、先程のがばがばな管理状態を思えばさもありなんといったところか。
この中から目的の記述を見つけるのはなるほど、なかなかに骨の折れる作業だ。
「アキラ様、手を動かしながらでいいので、聞いていただきたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「別に構いませんよ。あと、様はできればやめてください。なんかむず痒いです」
では、と前置きをしてハヤテはこれまで調べたことを順序立てて頭のなかに並べてゆく。先程までのやりとりで、昶が草壁の血統に宿る力についてどの程度理解しているのかは概ね把握した。
その点も考慮して、ハヤテはミカド副長も聞いておいてくださいと呼びかけた。
「現在の時点で判明しているクサカベの血統に宿る力について、今のうちに理解していただこうと思いまして」
「……そうですね。俺も詳しくはわかっていないんで、教えてくれると助かります」
何がヒントになるかわかりませんしねと、アマネもそれに同意した。
域外なる盟約の草壁の源流筋の人間が聞けば発狂するところだが、残念ながら止める人間はこの場には居ない。興味半分、恐怖半分、昶はハヤテの言葉を待つ。
「クサカベ流の術者は、過去に討伐した人に害を成す人外の存在達の、怨念や呪いをその身に宿しています。恐らく、私も例外ではないでしょう。時に自然災害にも例えられる彼らの呪いです、普通ならこうして立って話すことも困難なはず。しかし、私達はこうして不自由なく生活できているし、時には彼らの力すら利用して戦うこともできる。それを可能としているのが、これです」
ちょうどそれに関する資料があったのだろう、ハヤテはそのページを見開いて昶とアマネの前に差し出した。
「転陣……式?」
「これがクサカベの血に宿る特別な力、ということですか?」
疑問符を浮かべる昶とアマネに、ハヤテはそうですとひと言うなずいてその資料を平積みにした山の上にぽんと置いた。
「転陣式と呼ばれるこの『エネルギー変換術式』こそが、クサカベの血統を特別なものたらしめている元凶と言って間違いないでしょう」
よりわかりやすく言い直されたことで、二人は転陣式がどういった代物なのか理解した。確かに、これはとんでもない術式だ。使い方を誤れば、世界のパワーバランスが崩壊しかねないほどの劇物である。
「エネルギー変換術式、か……。それで強力な呪いも、自分の力として使うことができたっ……てわけか」
「その通りです。むしろ、クサカベ流独自の術体系は、この転陣式を中心に構成されていると言ってもいいほどです。呪いを無害なエネルギーへと転換する浄鬼、霊的な力へと転換する鬼気、そして呪いそのものを攻撃へと転換する百鬼。大まかにはこの三種類に大別できます。心当たりはありますか?」
「……あぁ」
特に最後の百鬼に関しては記憶に新しい。
────────百鬼纏甲────────────
呪いの言葉が脳内で反芻する。
不死身の魔術師すら圧倒する暴力の権化は、その代償として昶の身体そのものを要求してきた。どうにかして突っぱねることができたが、もう一度できるかと問われれば自信はない。
呪いそのものを攻撃へと転換する術か、それで普段では抑え込まれている怨念の意思が表まででてきちまったわけか。そう考えれば辻褄は合う。
あそこで百鬼を使わなければ怨念の意思が表に出てくることはなかったのだろう。しかし、使っていなければ自分がこの場所に立っていられたかどうか。
──これも運命ってか? やってられるか。
ふっと自嘲がこぼれる。全ては自分の実力不足が招いた結果でしか無いのに、運のせいにしようとするなんてな。資料を持つ手から力が抜けた。自分はこんなにも弱い人間だったのかと、呆れを通り越して笑いたくもなる。
「アキラさん? どうかなさいましたか?」
「いえ、ただ、まだまだ半人前だなって思って、それだけです」
多少修羅場をくぐってきていい気になっていたツケが回ってきたに過ぎない。今まで考えてこなかった、自分の力とどう向き合っていくかという問題。
それらを全て清算して再び歩き出せるようになるまで、途方もない時間がかかりそうだ。
「怖がらせてしまったとしたら、申し訳ないです」
「大丈夫です、自分の力について知るいい機会になりました。ありがとうございます」
先程までと比べて、昶の態度は少しぎこちなくない。未知の恐怖と既知の恐怖、今秋の場合は後者の方が勝ってしまったのだろう。『化物の怨念』より、『なんかよくわからない何か』の方が精神的に楽だ。
しかもその『化物の怨念』はまたいつ自分に牙をむくのかわからないのだから。それを少しでも和らげてあげられればと、アマネは今夜の会食楽しみにしていてくださいね、と昶に語りかけるのだった。