Act27:あの人が居ない風景
マギア・フェスタの開催期間は四日間。しかし最終日は表彰と閉会式とセレモニーが行われるので、競技の行われる日数は実質三日間だ。魔法戦模擬戦の団体戦は初日に予選リーグ、二日目に決勝トーナメントを準決勝まで進め、三日目に三位決定戦と決勝戦という日程になっている。
団体戦に参加しているレナ達がこの日行う試合の数は三つ。まだ二つの大事な試合が待っていたわけであるが、どちらも危なげなく突破した。一回戦でお互いの実力を確認した一年生と二年生は連携とはいかないものの互いの動きに気を使うようになり、結果として全体の動きが良くなったのである。
土台のしっかりとした二年生が前線で真っ向から撃ち合い、ほころびを見せた場所にシェリーを軸に一年生が機動力を活かして切り込み戦線一息に食い破る。元々が他校の生徒に比べて高い技量を持っているレイゼルピナ魔法学院の生徒達は、本来の力を十二分に発揮して明日の決勝戦まで駒を進めたのであった。上級生との心の壁は相変わらず存在するものの、今朝までのようなピリピリとした対立的な雰囲気はなくなっていた。
最初からこうだったら今日までどれだけ楽だったことか。いくらレイゼルピナ魔法学院が生徒主体の校風とは言え、もう少しどうにかならなかったのかと先生達に文句の一つでも言ってやりたいところである。もっとも、過ぎたことをグダグダ言ったところで仕方がないので、今回は水に流すとしよう。そして自分達はああなるまいと、一年生達は心に決めたのであった。
そんなわけで、明日の決勝戦の景気づけという名目で試合後にレナ達はリンネおすすめのお店でお肉パーティーを催す運びとなった。上級生達を誘うなんてことは太陽が西から登ってもできないので、大会に参加した一年生とその他数名のゲストの十人ちょっと。なのでリンネ以外の錬金術の部門の参加者や、ミシェルやミゲルを始めとした団体戦の補欠組の姿もある。
流石に明日も試合のある者は控えているが、既に観戦だけになった者は少なくないアルコールが入っているため、完全な無礼講となっている。
「いや~、リンネちゃん様様だよ~。こんな美味しいお肉食べたことないかも~」
「明日から、いや今日からリンネ様と呼ぶべき、いえ呼ばせていただきます」
「リンネ様万歳!」
「…そ、それはちょっと、恥ずかしいので……。今まで通りで、いいです」
あまり言葉をかわしたことのないクラスメイト達から持ち上げられて、リンネも対応に困っている。でも、恥ずかしがってはいてもまんざらでもないようだ。
「失礼しまーす。追加のお酒とお肉をお持ちしましたー」
「空いたお皿とお酒の瓶をお下げしますね。あ、ありがとうございます」
「はい、追加ですね。はい、はい、承りました。少々お待ちくださいませ」
地元補正のかかっているリンネの存在感は今日も遺憾なく発揮され、何も言う前にお店で一番広い完全個室へと案内され、最上級であろう柔らかく肉汁たっぷりのお肉が次々と運ばれてくる。各テーブルの鉄板の上では料理人が絶妙な焼き加減と味付けで肉を焼き上げ、生徒達それを我先にと取り合うように平らげていった。
その中でも一人別次元のお肉を消費している大食漢はといえば、
「お兄さん! ドラゴンの霜降りステーキ、もう一枚!」
「かしこまりました。それにしても、お姉さん、まだ食べられるんですか?」
「だってもう、美味しくって美味しくって。今日逃したらもう食べられないかもしれないし」
「また来ていただければ、ご提供させていただきますので大丈夫ですよ」
明日試合があるわけでもましてや学院の生徒でもない、草壁朱音その人であった。ちなみに本日の活動は、レナ達の試合観戦で興奮しすぎてしまい座席を壊してしまったことくらいである。調子には乗りつつも他の女性陣がまったりお肉を堪能しているのに対し、こちらは最低でも男子二人分以上はお食べになられている。
「朱音さん、あの、こう言ってはなんですが、少しはしたないですわよ?」
「プライドでお肉は食べられないって偉い人も言ってるからいいの」
「誰ですか、その偉い……あ、いましたわね、そういえば」
朱音がここに来るために誰に頼ったのかを思い出して、ソフィアは軽い頭痛を覚えた。あの人なら言っても不思議ではない。
「そうそう、ソフィアさんのところの親玉」
「確かに、プライドでご飯は食べられませんけど……。あなたはそこまで食べ物に困るようなことはないでしょうに」
「装備の維持費と学費稼ぐのが大変なんだって。これでも向こうじゃ苦学生やってんだから」
「ですが、いささか以上に食い意地の張りすぎです。少しは自重なさい」
「残念ですが断らせていただきます。それにこれでも抑えている方ですから。友達にもっとすごい人がいるので。あ、その薄いのも美味しそう」
「……これは、何を言ってもダメそうですわね」
真面目で好感は持てるが淑女から程遠いことのわかった朱音のことは諦めて、ソフィアは自分の皿に視線を戻した。卵入りのつけダレにくゆらせたお肉を口に運び、とろけるような感触と肉汁を堪能する。先程ああ言った手前がっつくような真似はしないが、正直今まで食べた中で一番美味しいお肉だと思う。
しかし、あまり食べすぎて体重が増えたなんてことになれば目も当てられない。一回の運動量が馬鹿にならない朱音はそのあたり全く気にしいてないどころか気にしたこともないが、そんなのはレアケースであってソフィアもそのあたりはきちんとしているのである。
その代わりとばかりに、一切れごとにその余韻にひたり美味しさから思わず吐息が漏れる。
そうしてお腹も少し膨れてきたかなと思ったところで、視線をテーブルの反対側に移した。そこには女子生徒数人に囲まれてもじもじしているシャリオの姿がある。
「へぇぇ、うちの学校に入学するんだ」
「じゃあ、後輩になるんだねぇ」
「は、はい。その、よろしくお願いします」
「あぁぁっ! もう、可愛い! 弟にしたい!」
「よし、みんなの弟にしよう! そうしよう!」
「それはちょっと、困ると言いますか……」
助けてほしそうな目を向けてくるが、来月になれば学院での生活が始まる。集団生活に慣れさせるためにも、ここは心を鬼にしなければ。ソフィアは内心今すぐにでも女子生徒を追っ払いたい衝動を飲み込み、満面の笑みで手を振った。
この世の終わりみたいに目を潤ませるシャリオに胸は痛むが、これもシャリオのためである。いきなり何十人もいる教室にこのまま放り込むのはさすがに可哀想なので、まだ人数の少ないこの辺りで慣れさせておかないと。姉心かあるいは親心? とは不思議なものである。
そんな騒々しくも楽しげな雰囲気の席で、レナは隅っこに座ってちびちびと水だけを飲んでいた。大半の一年生が参加しているという意味は、裏を返せば数名は参加していないという意味だ。
その参加していない数名の内の一人が、昶なのである。居ないのはわかっているのに眼で追いかけてしまう、見つけられないとわかっているのに気配を探ろうとしてしまう。そしてその度に、ひどく落ち込んでしまう。
今日こそは褒めてもらえると思っていたのに、魔法では力になれなくても一年生を動かす司令塔として試合をうまく運んだのに……。
胸が苦しくて食事ものどを通らない。やけ酒でもしようかと柄にもないことを考えたりもしたが、明日の決勝戦が残っていると持ち前の責任感がそれを許してくれない。これが最後の思い出になってしまうかもしれないというのに、そのための時間すらないだなんて。
負の思考がループして、気分は沈む一方だ。こんな調子で、明日の決勝戦を乗り切ることができるのだろうか。
「あたし、ちょっと外で風にあたってくるわ」
「はいよ、いってらっしゃーい」
シェリーにひとこと言い残して、レナは席を立つ。暗い自分が居てこの雰囲気に水を指すのも悪いし、何より今は静かに時間を過ごしたい。レナは物音を立てないように足を忍ばせ、人知れず部屋から抜け出した。
どこもかしこも人でごった返しているこの時間、静かに過ごせる場所はそう多くない。レナはひとっ飛びして、近場で一番背の高い建物の上まで移動した。居てほしい時に居ないのってこんなに寂しいものだったのか、言葉をかけてもらえないのってこんなに痛いものなのか。
レナは自分の両肩を強く抱いて夜空を見上げた。そして今まで以上に寂しさがこみ上げてきた。騒がしいのは騒がしいので、いくらか気分を紛らわせるのに役立っていたらしい。無駄とはわかっていても、やはり気づけば昶の気配を探して魔力察知のために感覚を研ぎすませていた。
どんな苦境でもめげないであろう力強いこの感じはシェリー。小さくても弱くはない、自己主張はしないが確かな存在感のあるこれはリンネ。陽気な中にも芯がぶれないイメージはミシェルで、陽気さの代わりに頑固な生真面目さを漂わせるのはミゲルだろうか。
他にも、今日共に戦ったクラスメイト達の気配もしっかりと感じ取れる。
しかし、その中に朱音やソフィアのものはない。二人の気配は先日の模擬戦でしっかりと覚えている。朱音のそれはシェリーのよりも遥かに強く太陽のような輝きがあって、やはりどこか昶と似ていた。そしてソフィアの気配も普段見せている態度とは正反対で、何者にも阻むことのできない剣のよう。
そんな強力な気配も、戦いの時以外は全く感じ取ることができない。そういう意味でも、昶を感じられないというのは残念に思う。遠く離れていても気付ければ、この胸の痛みも少しは和らぐと思うのに。
あぁ、このままじゃいけない。レナは邪念を追い払い、自分本位の考えを捨て去る。今大事なのは自分がどう感じているかではなく、昶がこの数日どういう思いで過ごしていたかの方だ。
思い返せば、ここ数日ずっと様子がおかしかったような気もする。ちょっとよそよそしくなったというか、半歩離れた位置にいたというか。マギア・フェスタや朱音に言われたことで頭が一杯になっていたせいで気付けなかった、といえば言い訳になってしまうかもしれないが。
どうかしたのか、何か悩みでもあるのか、そう声をかけるだけでも違っていたかもしれない。自分に余裕がなかったように、昶にだって余裕はなかったはずである。この世界にとどまるか元の世界へと戻るか、究極の選択を迫られているのである。むしろ余裕がある方がおかしい。
それなのに自分達のことを気遣ってそんな素振りは見せず、しかも最終日まではきっちりと練習に付き合ってくれた。シェリーはコーチとしての役割を最後まで果たせとぼやいていたが、レナは十分最後まで付き合ってくれたと思っている。
ならいや、今からでも遅くない。それを伝えに行こう。
確かに気配は追いかけられないが、行ける場所なんて限りがある。大会会場と、あとは自分の部屋くらいものものだ。今日のパーティーに参加していないということは、十中八九部屋にいるに違いない。
そうと決まれば早速宿へ戻ろうと杖にまたがったところで、レナの動きが止まった。もし寝ているとすれば、迷惑になるのではないだろうか。自分と同じく、昶も明日は試合が控えている。試合数だって、自分達よりずっと多い。
でもでもでも、この気持を今すぐ伝えたいのは本当だし、明日まで我慢するだなんて絶対無理だし、あぁどうすればいいんだろう。
それに、この二日ほどろくに会話もしてないせいで、最初になんていえばいいのかもわかんないし。おはよう……は朝の挨拶だからこんばんは? それとも部屋に入るからお邪魔しますの方が適切? なんだかんだで出会った日から顔を合わせなかった日なんてほとんどないし、隣りにいるのが当たり前みたいになってたからいざ気持ちを固めるとどうしたらいいのかわからない。
「あたしって、こんなに意気地なしだったっけ?」
思わず問いかけてしまう。もちろん、応えてくれる人間は誰もいない。一人になりたくて、こんな場所に来たのであるからして。が、もしいたならば全員が意気地なしだと答えたことだろう。事色恋沙汰に関しては、と脚注は付くが。
頬を触ると、冷たい手が気持ちよく感じるほど熱く火照っていた。でもそれは、自分の本当の気持ちをこれでもかというくらいはっきりと表していた。それはそうと、男の子の部屋に行くって、なんかこう、そういう関係っぽくて恥ずかしくなってくる。しかも夜の部屋だと余計に……。
「って、何考えてるのよあたしは」
最近その手のちょっと大人向けの恋愛物語が学院で流行っているわけなのだが、思わず思い出してしまったではないか。忘れろ、忘れろ、平常心を保たなければ。
より熱く火照ってしまった身体を十分に冷やしたところで、改めて行動を確認する。部屋を訪ねて起きていれば、言いたいことを伝える。寝ていれば起きるまで部屋で待っている。決して変な意味ではない、変な意味では……。ましてや流行っている大人の恋愛物語のようなにゃんにゃんなことなんて決してない、断じてない。
「よし、行こう」
けっこうな時間一人悶々と悩んでいたレナであるが、一度動き出してしまえば行動は早い。自分達の宿へ……昶の部屋を目指して全速力で飛び始めた。
ついてしまった……。パーティーをほっぽりだして宿へと戻ってきたレナは、昶の部屋の前で立ち尽くしていた。軽くノックをしたあと、返事があれば部屋に入る。返事がなければこっそり中に入る。どっちにしても入るんじゃないかと言われればその通りなのだが、そこはそれ複雑な乙女心というのがあるのだ。
やっぱり寝ていたら悪いよねと、ドアを叩こうとした手が何度も胸元に戻ってくる。さっき決心したばかりなのに、既に揺らいでいる自分が本当にだらしない。いっそ出てきてくれたらもう後戻りできなくなるのに。
いやいや、そんな受けの態度ではいけない。そう思ったからどんちゃん騒ぎを抜け出して帰ってきたのだ。後ろを何人か通り過ぎていく人に不審な目を向けられること六回、ようやくレナは部屋の扉をノックした。
ドキドキ……‥ドキドキ……。自覚できるくらい鼓動が跳ね上がり、全身の血管がぴくぴくしているのがわかる。心臓は痛いくらいに早鐘を打ち、期待と不安が津波のようになって襲い掛かってくる。
無限にも感じられる数秒が過ぎたが、中から返事はない。まだ早い時間帯だが、本当に寝てしまっているのだろうか。でも、あとに引く訳にはいかないのだ。
レナはカラカラに乾いた喉つばを飲み込んでうるおし、今度はドアノブへと恐る恐る手を伸ばす。そして音のしないようにそっとドアノブを捻り、まるで盗みに入る泥棒のように部屋の中へと入った。入って一歩目で扉の方に向き直って素早く閉める。他人に聞こえるのではないかと思えるほど、心臓はこれでもかと高鳴っている。
寝ているとはいえ、振り返ればもう昶がいる。そういえば、日頃は修練と言っては早朝から起き、夜は遅くまで起きていることが多いので寝顔なんてほとんど見たことがないのではなかろうか?
記憶が正しければ、王都防衛で負傷してベッドで横になっていたのを世話していたのが最後だろうか。あの姿は痛々し過ぎたのであまり思い出したくはないのだけれど。
今日何十度目になるかわからない決意とともに、レナは昶のいるであろう後ろに振り返る。
────だが、そこに昶の姿はなかった。
普通なら外出しているところなのだろうが、部屋の様子がそれを完全に否定していた。
まず、昶の持ってきたであろう荷物がどこにもないのである。それどころか、これから誰も泊まっていない部屋のように人の存在感そのものが抜け落ちていた。
ただ、一つを除いては……。
レナは部屋に備え付けられている机に近付き、それを手に取る。
「……アキラ」
昶に渡した、自分を模した人形。死んでしまった兄から貰った、命の次に大切な宝物。それがここにある意味がわかったレナは、その場で崩折れる。流れ出る涙が頬を伝い、絨毯に丸いシミをいくつも作ってゆく。
泣くことすら忘れて、レナはただ呆然とすることしかできなかった。