Act23:大空へ
昶が圧倒的な実力差で一回戦の予選を終わらせた頃、アイナも予選レースのスタートを今か今かと待ち構えていた。だが魔法戦模擬戦の会場とは、様子が少し違っている。
「じゃあ昨日の打ち合わせ通り、今日は速度を抑えめ、特に前半はねぇ。あまり飛ばし過ぎると、明日のレースに支障が出るからねぇ」
「心配しなくても、全力出したらそもそも完走できないから安心して」
「それで安心できるやつなんていないっての」
同じ学校内でもギスギスしていた魔法戦組とは違い、飛行術レースに参加するレイゼルピナ魔法学院の生徒達は和気藹々としていた。
「アイナちゃん、緊張してる?」
「は、はい。ちょっとだけ」
と、隣の先輩から声をかけられた。しかもなんと、アイナを気遣う言葉である。
昨日までの無意味なまでの対立構造は一体何なのかと言いたくなる。
まあでも、それも仕方のないことだよなーと、アイナは半日前の深夜の出来事を思い返した。
命からがらレナから逃れたアイナが部屋まで戻ると、扉の前に見覚えのないひとが二人立っていた。
こんな時間に? しかもなんで上級生? もしかして新人潰し!?
ここ数日の間に、“優秀な先輩方”への印象は下限値を振り切って底辺をさまよっている。人ってあそこまで陰湿になれるんだなぁとアイナは自分のことを棚に上げて考えていたわけであるが、大会前に乱暴な挨拶に来られるようなことをした記憶はない。
うーむ、正面から行ったら絡まれるのは確実だし、今から外に出て窓から入るってのはどうだろう。って、窓には鍵かけてるから入れないじゃん!
じゃ、じゃあ、誰か他の人の部屋に泊めてもらう?
でも、シェリーさんは寝相悪そうだし、リンネさんは頼めるほど仲良くないし、レナさんは論外だし(特に今は)。もしかして、野宿待ったなしですか?
「あ、あの子じゃない?」
「顔に見覚えないし、そうかもねぇ」
げぇ!? 見つかった!! うだうだしている間に、やばい人達に発見されたようで、小走りに駆け寄ってくる。
どどどど、どうすれば。混乱しすぎて逃げるという選択肢が思い浮かばなかったアイナの元へ、二人の上級生がやってくる。どっちも女の人なのでそこまで威圧感は……あれ?
「あの、もしかして、一年生のアイナさんですか?」
片方の生徒がとても丁寧な口調で、そう聞いてきた。
わけがわからずに動揺しているアイナは、まるで借りてきた猫の子のように素直に首を縦に振る。
「よかったぁ……。本番前にようやく捕まったよ」
「実はね、私達も飛行術レースに参加するんだけど、その前にちょっと話しておきたいことがあって。夜遅くで悪いんだけど、少し付き合ってもらってもいいかな?」
断れる道理のないアイナは、機械みたいにうんうんと首を縦に振る。
飛行術以外はまるっきり一般人な自覚はあるので、見つかった時点でアイナは言いなりになるしかない。とはいえ、この対応からすれば悪いようにはされないとは思うけど。
二人に連れられて、アイナは一つ上の階へと移動する。そして促されるまま室内へ入ると、そこには十人以上の上級生の姿があった。
「リーダー、アイナちゃん連行してきました!」
やたらテンションの高い上級生に、ひぇっとアイナは身をすくめる。
れ、連行ってどういうこと? やっぱり変なことされるんじゃ!?
「こらこら、怖がらせてどうするんだ……。ただでさえ俺たち上級生の印象は悪いってのに」
たぶんリーダーって呼ばれた人かな、がやれやれって肩をすくめる。
「まあ、なんだ。上級生全員があんなだと思われていては困るから、その誤解を解きたくてこうして来てもらったわけだ」
「は、はぁ……」
状況がつかめないアイナは、ただただ空返事をするばかり。
え? 誤解を解く? どういうこと?
とりあえず座ろうかと促されたアイナは、その場にぺたりと座り込む。
きょろきょろと周囲を見回して確認するも、見たことのある顔は一つもない。やっぱり全員上級生だ。
「えーっとぉ、わかりやすく言うとねぇ……。下級生を敵視してるのは魔法戦のグループだけでぇ、それ以外のところはそんなことないよ~、ってことぉ」
「正確には、あっちほどいがみ合ってられる余裕が無いだけなのだけどね」
上級生たちは苦笑気に笑いながら、口々に説明してくれた。
まず、飛行術のレースは、予選と決勝で大きく性質が異なるそうだ。と言っても、違いは飛行距離だけであるが。ただ、その飛行距離は予選の約五倍にもなる総距離一〇〇キロにもなる。つまり予選でも二〇キロは飛ばなければならない。
決勝のレースを完走出来るだけのメンバーを残しつつ、予選を突破出来るだけの攻撃役と防御役を選定、更には決勝レースで対策を立てられないよう手の内は出来る限り温存しておかねばならないので、全力飛行や魔法の使用も厳禁なのだという。
「魔法戦は、言い方は悪いが脳筋の集まりだからな。実際、腕もいいから個人戦だろうが団体戦だろうが、正面からゴリ押しできちまうんだよ」
「でもレースはそうもいかへん。どれだけ速くゴールできるかにかかっとる。威力の低い魔法でも、進路を変えることくらいなら問題あらへんからな」
「いやぁ、むしろ少ない魔力で済む分、上位の魔法より厄介だと思うんだけどなぁ。飛んで来るまでが速いしぃ」
「……えっと、飛ぶだけじゃだめってことだけは、よくわかりました」
要約すると、チームプレイが非常に大事ということ。
相手を倒せばいい魔法戦模擬戦とはそもそも達成目標が違う飛行術のレースでは、いかに相手を出し抜くかに重きが置かれる。
そのため魔法戦模擬戦では輝かしい成績を収めているレイゼルピナ魔法学院であるが、飛行術に関しては多少優勝回数が多いくらいで毎回ギリギリのレースを強いられているのだそうだ。
そのせいもあって、大会では魔法戦模擬戦の選手が大きい顔をしているし、それに反対することもできないというちょっと悲しい構図が出来上がっているらしい。こうやってこそこそ大会前日に隠れるようにミーティングをしているのも、変な因縁をつけられないためなのである。
大会が始まってしまえば向こうもこちらにかまっている暇はなくなるし、学院ではそもそも講義中に顔を合わせることすら稀で一緒に行動することはまずないので構わないとのこと。
アイナの属する一年生は今のところ目立った派閥争いはないのだが、将来的にはこんな風になってしまうのだろうか。そんな風になるのは、ちょっと嫌だなぁ、なんて。
「えっとぉ、レースについての説明はぁ、こんな感じかなぁ。でね、それを踏まえてなんだけどぉ。アイナちゃんってどれくらい長く飛べるのかなぁ? あとぉ、速さもぉ」
おっとりとしたしゃべり方の先輩に問われて、アイナは反射的にビシっと背筋を伸ばす。や、やっぱりまだ、上級生に名前を呼ばれるのに慣れない。
「えっと、今のところ、どんなに長く飛んでても、疲れて飛べなくなったってことはないです……。速度も、少なくとも一年生の中じゃ一番速い……です」
そう言いつつ、アイナは渡された昨年の決勝レースのコースを見ながら、頭をひねった。それから、頭の中にイメージする。
自分の慣れている地形で、同じだけの距離を思い浮かべてみる。バテずに飛び切ることができるか。途中で戦闘になったとしても、飛び続けられる距離かどうか。
「うん。これなら、たぶん大丈夫です」
単純に飛ぶだけなら、余裕を持って完走できるだろう。
問題は回避や反撃の手段であるが、多少の遠回りをしてもスタミナには自信がある。魔法の攻撃も、最近は昶に特訓してもらっているので以前よりはマシになっているはずだ。
実用的に使えるかまではわからないが、物質化した魔力弾をばらまいて進路を妨害するくらいのことはできるはず。
「よし。なら、決勝に残すメンバーは決まったな」
「何があっても、アイナちゃんは決勝レースに送り届けるからね!」
「よ、よろしくお願いします」
「じゃあ、次は担当と編成を決めるぞ。夜もふけてるから、手早くな」
まさかあれほど怖かった先輩方が、こんなに頼もしく見えるなんて。
アイナは自分を取り囲むように立つ先輩達に、憧憬の視線を送る。必ず守ってやるとか、送り届けてあげるねとか、嬉しくて身体が震えてしまいそう。
「それでは、第三コースの選手は、スタート準備をお願いします」
風精霊の魔法を使った拡声器で、アナウンスされる。いよいよ、予選レースの始まりだ。
昨日までとは違って、胸の奥では熱いものが高鳴っている。程よい緊張感、速さに自信がある人達と競い合う、初めてのレース。楽しみでたまらない。もっとも、今日はかなり抑えめに飛ぶ予定になっているけど。
「じゃあぁ、最初はゆるぅ~くねぇ」
チームリーダーの先輩──昨夜のミーティングでリーダーと呼ばれていた人とは違う──に促され、全員が頷く。
レースは四人一でチーム。そして決勝レースに進めるのは、個人タイムの上位三分の一。上手く行けば全員が残ることもあるし、一人も行けない可能性だってある。
そもそも、飛行術は得意でも長距離が飛べない人だっているため、全員が残るのはやっぱり厳しいかな。そのため、昨夜はチーム編成をあれこれ考えたのだから。
「位置について、よーい」
────────ドォォォォオオオオオオオオオオンッ!!!!
スタートを告げるドラの音が、快晴の空いっぱいに広がった。
音と同時に、選手の足が同時に地面を離れる。発動体は魔法戦とは異なり、全員が大きな杖。これは、大きな杖が最も効率よく飛べるからである。
武器や小さな杖でも飛行術は可能だが、効果は発動体を中心とするためにやはり乗れるようなタイプがこういった速度を競うレースには適しているのだ。
参加校数十四校。出場チームは各学校三つで計四二チーム。予選レースは六つあり、各レースには同一校のチームが入らないようランダムに選定される。
予選レースでタイムを競うのは七チーム二八人。これだけの人数が一斉に空を翔ける様は圧巻であった。
──あまり速度を出し過ぎないように、えっと、これくらいで……いいかな?
しかし、そう感じるのはレースを外から眺める観戦者達だけ。当の本人達にはそこまでの余裕はない。先輩達ですら昨年の大会でもレースに参加したのは一人、補欠要員として来た者ですら二人しかいない。
そう、先輩達ですらこの大会に参加するのは初めてなのだ。自分の役割を果たすのに精一杯で、とてものほほんと眺めていることなんてできないのである。
まずは昨日の打ち合わせ通り、先頭からやや遅れ気味でスタート。置いてけぼりにならないよう、先頭集団との距離を保ったまま建物の二階あたりの高さで飛行する。あまり高度を取り過ぎると、今度は魔法が飛んできかねない。
市街地は障害物が多いために飛行は困難なものの、魔法による襲撃をあまり気にしなくてもいいのが利点だ。
アイナを中心として、前方左右に二人、後方に一人の逆三角形の陣形を取る。前方の二人が攻撃と防御を担当。二人とも予選レースこそ完走できるが、決勝レースでは半分ほどしか飛べないらしい。そのため、魔力消費が最も多くなる役割を担当してもらっている。もし決勝レースに残れなくても、戦力低下は最小限に抑えることができる。
後方の一人は全体の指示と後方監視だ。攻撃が飛んで来るのは前だけとは限らない。周囲の状況を観察しつつ、前方の二人への指示。時には自身でも魔法を使ってチーム全体を生き残らせる役割を負う、いわゆるチームリーダーだ。
この予選のチームリーダーは決勝レースでは攻撃や防御担当を担当するため、飛行技術、スタミナ、魔法、更には高い空間認識能力など、総合力が求められる。
そして最後に、三方から堅固に守られた中心のアイナ。このポジションは決勝レースでの本命となる。このポジションに求められるのは、飛行術のただ一点。
どんな攻撃でも回避する高い生存能力と飛行技術、長大なコースを余裕を持って完走できるだけの航続距離。誰よりも速く長く飛ぶことを求められるポジションだ。
言葉にすれば簡単だが、実行できる学生はそう多くない。事前の打ち合わせでも、完走できるのは半分の六人。更に余裕があるのはアイナと前大会参加者にその時の補欠も含めた三人だけであった。
レースの結果を左右する重大なポジションを任されたアイナは、他のことは全て上級生達に任せて飛び続ける。
恐らく、本気を出せば全速力を維持したままレースは完走できるだろう。しかし、それだと明日の決勝レースでは他の全学校から総攻撃を食らうハメになる。
とにかく今は我慢が大事だ。
さて、アイナのチームは集団の真ん中からやや前方で防御陣形をとったところで、各学校も高速飛行する中で陣形を整え終わったようだ。
先頭を行く集団は一人を先行させその後方に護衛役を一人、更に後方に二人という配置で地面すれすれを飛行している。一見すると後方からの攻撃を気にしている風にも見えるが、実態はその正反対だ。
前に出てくるチームがいれば片っ端から魔法で妨害してやろうとう、超攻撃型の布陣である。
この手の大きな杖は木材や金属の棒状の部分と、先端には魔力を効率よく収束させるための宝石が設えてあるものが多い。強力な推進力を得ようとすれば、収束率の良い宝石部分はおのずと後方に向けられることになる。つまり、前方よりも後方の方が攻撃しやすいのだ。
先頭集団がこのような陣形をとっているために、他のチームもなかなか前へと出ることができない。しかも今は市街地で障害物も多いため、どのチームも今は様子見といったところ。
他チームの陣形の確認、市街地を抜けた時にレースを優位に進められる位置取りと、既に高度な頭脳戦が繰り広げられている。
と、次の瞬間、角を曲がり損ねた選手が民家の壁に激突した。その姿はすぐさま後ろに流れてゆく。なるほど、レース前に渡されたアレにはそういう意味があったのか。
「うわぁぁ、痛そぉ」
「大丈夫だって、風精霊の防具つけてるんだし」
「耐久力は魔法戦模擬戦で実証済みだろ。単に壁に突っ込んだくらいなら痛いだけで済むよ」
先輩達も先ほどの衝突には、うわぁと眉を寄せた。
このような衝突事故も顧慮して、アイナ達飛行術レース参加者にも防御魔法を施した風精霊の石が渡されているのである。確かに事前の説明で多少の魔法なら防げるくらいの防御力はあると聞いているが、実際の現場を見た後だと痛いだけで済むとはとても思えなかった。
「じ、事故だけはしないようにします」
「それが賢明やねぇ」
「大丈夫、そんなヘマするようなやつはいない」
「心配するのは、他のチームから飛んで来る妨害の魔法くらいのもんさ」
上からも下からも攻撃の難しいギリギリの高度を維持しつつ、アイナ達は先頭集団との距離を維持し続ける。さすがにこの序盤で脱落するの者は少ないが、それでも他に二、三人は建物や道に衝突するのが見えた。
余力を残しているとはいえ、普段の倍近い速度は出ているだろう。しかもここは初めての場所で土地勘もないため、いつ自分が同じ目に合うかわからない。
他の学校の生徒以外にも、地形にも気を配らないと。
建物越しに見える森の木々が、だんだんと近付いて来た。まずは市街地を抜けて森の中を突き進み、中間地点で学校ごとに違うレリーフを受け取らなければならない。それがないと、たとえ上位のタイムでゴールしたとしても決勝のレースには駒を進められないのだ。
さあ、もうすぐ市街地を抜けて草原に出る。地形はあまり気にしなくてもいいが、今度は前や後ろからの魔法攻撃を警戒しなくては。
「市街地を抜けたらぁ、できるだけ低空でねぇ」
「わかってる」
「妨害を警戒して、最短コースはちょっと外れるからね、アイナちゃん」
「はい、大丈夫です」
細い脇道を抜けて九〇度以上のビッグターン。メルカディナスのメインストリートまで出た。まっすぐ先には、先頭集団の後ろ姿と一緒にもう街の外の景色が見える。
「さぁてとぉ、地面すれすれまで高度を下げてぇ。そろそろ攻撃が飛んで来るわよぉ」
号令とともに、四人は斜め下へと進路を取る。つま先が擦れそうなほどの低高度、少しでも操作を誤れば地面への激突は免れない。
そして市街地を出た直後、ようやくこのレースが本性を表した。先頭を飛行するチームの後ろ二人が、魔法を放ってきたのだ。一人は地面を、もう一人は頭を抑えるようにやや高めの高度から撃ち下ろしてくる。
風の砲弾は地面に突き刺さると一気に膨張して地表の構造物を巻き上げ、上からは人の頭ほどはある水の玉が爆弾よろしくばらまかれた。まだ距離に余裕があるおかげで難なく回避できたが、このままではやはり後手に回らざるをえない。早く森に入って別コースから中間地点まで行きたいが、前方チームの生徒がどんな魔法を使ってくるのかできるだけ確認もしておきたい。
すると、すぐ目の前のチームが反撃を始めた。風の魔法で土砂と水玉を左右へと押しのけ、空いたスペースから炎の槍が先頭集団へと牙を向く。
と、前ばかり見てもいられない。市街地を出たということは、後ろからも魔法が飛んで来るということだ。そう考えてるそばから、後方から一発飛んできた。音から察して、風だろう。
一瞬だけ後方を確認し、学校を確認。更に今度は前からも妨害の魔法が飛んで来る。こちらは既に確認済みの、炎の魔法。
魔力はレース後半まで温存しておきたいので、危ない場所からはさっさと立ち去るに限る。
「みんなぁ、進路を右にとってぇ。森に逃げ込むよぉ」
先輩の指示を受けて、アイナ達は直線コースを外れて森の中へと進路を向ける。さすがにこちらを追いかけてくる生徒はいない。
そりゃ、レースなんだから普通は最短ルートを通るもんね。だんだんと遠くなってゆくライバル達。飛び交う魔法も目に見えて密度を上げている。
巻き込まれるのを嫌がって最短コースからそれるチームも二つ。最短コースで撃ちあうのが四チームに、迂回しながら中間視点を目指すのが三チームか。
こっちには来ていないようだし、魔法の撃ち合いになるようなことはないだろう。少なくとも、あの魔法の中を飛ぶよりも森の中の方がずっと早くつく。
こうしてアイナ達は、真っ先に森の中へと入っていった。
他のチームから完全に隠れたこともあって、アイナ達は全力の八割近い速度で森の中を突っ切っていた。一応訓練はしているので魔力の気配が探せないか試してみるが、飛行術を使っている最中にできるほど上達してはいない。
練習をもっとしっかりと時間を取ってやっていれば、できるようになっていた…………かもしれない。たぶん。
「とりあえず、しばらくはドンパチせずに済みそうだな」
「速いもの勝ちだからねぇ。戦闘で無駄な魔力消費なんてできないからぁ」
先輩達の方も、少し肩の力を抜いて背筋を伸ばしてる。両手を離しているのに軸は全くぶれていない、絶妙なバランス感覚だ。
「あの、本当に遠回りのコースで大丈夫なんしょうか?」
アイナは後ろを飛ぶ先輩に、不安げにたずねた。
「たぶんねぇ。ほらぁ、ちょっと注意すれば音が聞こえるぅ」
言われてアイナは、風切り音の中に潜む戦いの音へと意識を向けた。
「あんなに魔法使ってたら、最後までもたないんじゃないかなぁってぇ。それでも決勝レースに出てくるようならぁ、きっちり対策立てなきゃだけどねぇ」
爆発音と破裂音、時々幹の間から閃光も見える。あんな濃密な魔法戦をまだやっているらしい。思い返してみて、アイナはゾッとした。
さすがにあんな魔法の雨あられの中を飛ぶのは御免被りたい。
「それじゃあぁ、一人偵察に行ってきてぇ」
「了解。じゃあ、ちょっくら見てくるわ」
一言いい残すと、攻撃担当の先輩は閃光と爆発音のひしめく激戦区の方へと流れていった。
「……あの、あれって大丈夫何ですか? その、もし見つかったり、流れ弾が飛んできたりしたら」
「そうだねぇ…………」
と、先輩はちょっと考えてから。
「じゃあぁ、そうならないよう祈っとこうかぁ」
とんでも驚きなことを言い出した。うん、やっぱりすっごく危険らしい。そんなところへさらっと『行ってきてぇ』なんて、やっぱり先輩は怖いものなんだなぁって、アイナ思いました。
「ま、まぁ、もしリタイアしちゃっても、レリーフは予備としてしっかり使わせてもらえるから、ムダになるわけじゃないから!」
後ろでお気楽に不穏当な発言を繰り返している先輩を見て、慌ててフォローを入れる前方の防御担当の先輩。でも残念、全然フォローできてないどころかこちらもリタイヤした時の話をそている。やっぱり怖いいです。
「そういえば、そのレリーフってどれくらいの大きさなんですか? あと重さとか」
えぇい、暗い話はなしなし。別の話題にしよう、せめて明るくなくてもダウナーにならないやつ。
というわけで、レースの関係のある話題を振ってみた。一応説明は聞いていたのだけれど、説明を聞いた時は後ろだったせいで実はよくわかっていないのである。
「あ、私も聞いてませんでしたー、てか聞こえませんでしたー」
前のほうを飛んでいる先輩は、挙手しながら後ろを振り返る。それに倣って、アイナもくるっと後ろを跳んでる先輩の方を見た。
「いやぁ、わたし確かに去年も参加したけどぉ、その時は補欠だったからねぇ。まあそれでもぉ、レリーフは見せてもらったんだけどねぇ。そこそこ大きくてぇ、あと見た目より重かったかなぁ」
アイナの隣まで進むと、先輩はこんな感じと両手で大きな四角形を作る。だいたい、大判の教科書を見開いたくらいの大きさだ。
「しかも頑丈な金属製だからねぇ。軽いの使ってるみたいだったけど余裕で十キロ近くあるからねぇ。肩紐の付いたバッグごと渡されるけどぉ、覚悟しといたほうがいいよぉ」
なんて、すごくいい笑顔で言うもんだから、前を飛んでいる先輩の顔がすごく青ざめていた。アイナは二人分の体重くらいまでなら大丈夫なのだが、防御担当の先輩はそこまで積める重さに余裕が無いのだろう。
そもそも防御魔法の担当になったのも、次のレースでは完走出来るだけの余裕が無いからなのだし。
「だ、大丈夫です! 私なら、全部持っても平気ですから!」
「あらぁ、すごいわねぇアイナちゃん。自分からトドメさしに行くなんてぇ」
「えっ!? いえ、決してそういう意図があったからではなくてですね……!!」
「いいもん。盾役頑張るもん……。ぐすん」
いじけた先輩をあわあわしながらフォローしつつ(フォローができたとは言っていない)。アイナ達は中間地点を目指して森の中を突き進んだ。