表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第二章:汝が力は誰が為に……
160/172

Act20:……あんただったのね

 年に一度の一大天体イベントである北天流星群。そんな星の一団は長い長い時間をかけて、何十、何百と、北の空に白く長い尾を描き出した。

 大空をキャンバスに描かれる圧倒的スケールそれは、自然の芸術作品と言って差し支えない。

 こんな光景が存在するなんて、これは本当に現実? 幻ではなくて?

 リンネ以外の四人は初めて見る流星群の姿に、ただ息を飲むばかり。これに比べたら、自分たちの存在なんてちっぽけなものなのだと実感させられる。

 本当に大きくて、大きくて、大きくて……。自分の悩みなんて、本当に些細なものなんだなぁとレナは思った。

 昶にも言われた。まだできることはあったのか、と。

 目標にはまだ全然達してはいないけれど、やれることは時間の許す限り精一杯やった。自分の実力以上の力なんて出せないのだから、うまくやろうだなんて考えるだけ無駄なこと。だったら、自分のベストを尽くすまで。

幸い、レナの参加する競技は魔法戦とは言っても団体戦。自分一人で戦うわけではない。同じ競技に参加する者の中には、長年連れ添っていて頼りになるシェリーだっている。どこまで当てにできるかはわからないが、少なくとも自分よりも実力が上の先輩達もいる。

 そうだ、一人ではない。だからうまくいかなかった時の責任だって、一人で背負い込む必要はないのである。

 自分の中でそれが納得できただけでも、今日この場に来てよかったと、レナはそう思ったのだった。

 最後の白い尾が消えてから数分後、もう一度リンネの淹れてくれたお茶で身体を温めてから、五人は鉄鉱山を後にした。

 帰りのトロッコは行きの倍近い速度で、一気に斜面を下ってゆく。時々ブレーキをかけるだけで、リンネも楽そうだ。その代わりとばかりに、シェリーが灯している明かりの炎は風で何度もかき消えそうになっていて維持するのが大変そうだったのだが。

 それでも、しっかり息抜きはできたと思う。無意識の内に乗っかっていたプレッシャーも幾分か軽くなって、ほどよい緊張感となっている。身体が固くなりすぎず、かといって油断もしない。

 今日は、気持よく眠れそうだ。

「…じゃあ、ここからは、飛んで帰る」

 トロッコは事故を起こすことなく、無事鉄鉱山の(ふもと)までたどり着いた。ようやく、水蒸気の範囲外まで出てこれたらしい。

 ここからは、いつも通り空路での移動だ。

 五人は来た時と同じように、リンネを先頭にアイナとシェリー、レナと昶のペアが続く。

「そういえば、結局どれくらいい居たのかしら?」

 少しばかり眠気の漂ってきたレナは、先頭のリンネにたずねた。

「…たぶん、日付は変わってる、と思う」

 なるほど、いつもならもうとっくに寝ている時間というわけか。

 隣ではアイナも目をこすっていたり、シェリーなんかは大あくびをしていたりしている。

 競技についてはひとまず決心したものの、今度は開会式にちゃんと起きれるか不安になってきた。ただでさえ、睡眠時間はきっちり取らないとダメな方なのに。

 花形競技の一つである魔法戦の団体戦予選は開会式当日の日程ではかなり後ろの方に設定されているので、例え開会式に遅れてしまっても間に合うことには間に合うのだけれど。

「そういえば、レナってば朝は結構弱いほうだっけ?」

「そうなんですか!? ちょっと意外です」

 早朝練習のために早起きの習慣があるシェリーのつぶやきに、アイナが手を口元に当てて驚く。

「違うわよ。ちゃんと睡眠時間とらないとダメなだけよ。むしろ、みんなよく夜更かししても起きれるわね。そっちのほうが信じられないわ」

「つまり、おこちゃまなのは体型だけじゃないとですね」

 なんて、ぷぷぷっと笑いをこらえきれないアイナ。

「ん?」

 しかし、その一言はもれなくレナの逆鱗に触れてしまった。

 触れるというか、もぎ取っちゃうくらいの勢いではたいてきた。

「ア~イ~ナ~、今のは一体、どういう意味なのかしら~?」

 笑顔のまま眉間に深い縦ジワを作るレナは、ジリジリとアイナの方へとにじり寄る。しかもその動作は、アイナが予想していたよりもずっとスムースだった。

 危なげなくアイナの横までやってきたレナは、ガシっとアイナの杖を掴む。

 ちょっと前のレナならば、片手で杖に乗れるほど安定した飛行はできなかったはずである。不本意ながら、こんな場所で成長具合を確認できてしまった。

「ね~? どういう意味なのか~、ちゃんと教えてほしいな~?」

 得意だった空の上でまさかの逃げ場を失ってしまったアイナは、急に背中から変な汗が出てきた。

 後ろにいるシェリーは自分が乗せているからまだどうにかできるとして、レナの後ろに乗っている昶はどうなるかわからない。無理な飛び方をして、万が一昶が落ちてしまったら……。

 さすがのアイナでも、昶とシェリーの二人分の体重を支えられる自信はない。速さに関してならお任せあれだが、積載重量に関しては試したことがないのでわからない。

「えっとですねー、その、ほら、小さい子ほど睡眠時間って、長いじゃないですか?」

「うん、そうねー。で、それがさっきのとどう繋がるのかしら?」

「だから、つまりですね」

 ええい、こうなればもう言ってやる! レナさんだって後ろにアキラさんがいれば下手なことはできないんだし!

「睡眠時間が長い、イコール体型だけじゃなくて中身の方もおこちゃまってわけですよ!」

 うっはー、うんうん、すっごいすっきりした。同盟状態というのもあってここ最近溜め込んでいたイライラが、ここぞとばかりに噴出した。

 貴族なんてなんぼのもんじゃい、こちとら究極に狭き門な王都奨学制度が適用された奨学生なのだ。貴族にだって引けをとらないはずだ…………たぶん。

 一方でレナはといえば、心にロングランスが十本くらい突き刺さり、ノックアウト寸前まで追い込まれていた。

 い、一万歩譲って、幼児体型というのは認めよう。背は低いし、むむむ、胸もないし、くびれだって自信ないし。

 ででで、でもぉ、誕生日的には一番お姉さんだしぃ、座学の成績は良いしぃ、むしろ教えられるくらいだしぃ、シェリーに関しては幼少時代の補正だってあるしぃぃ。その辺で辛うじて均衡を保っていた“お姉さんな自分”の牙城が、大きくえぐられてしまった。

 前々から薄々は感じていた、自分の睡眠時間がちょっと同年代の子と比べて長いかなー、なんてことは。でもそれはきっと自分がそう感じているだけであって、これくらいは普通なはずだ。

 そう思っていた、思うようにしていたのである。ついさっきまで(●●)は。

 あぁ、あれは自分の勘違とかじゃなかったんだなぁ……。

「……ふふふ、ふふふふふふ」

 レナの口から、不気味な笑い声が漏れる。まるでお伽話に出てくる、悪の黒幕みたいなやつ。生命の危機を感じたアイナは、即座にレナから距離を取ろうと横へスライドする。

 しかし、アイナの杖はレナにガッチリと握られている。アイナが移動するのに合わせて、レナもぴっちりとついてきた。

「あれぇ? どうして逃げようとするのかしら?」

「そんな怖い顔であんな笑い方されれば誰だって逃げますよ!」

 半身を乗り出して近づくレナと、できるだけ距離を取ろうと身体を反らすアイナ。

 この不安定な杖の上でよくやる、と自分ではどうにもできない昶とシェリーはひっそりと思う。

「あの、一応言っておくけど、安全運転でお願いね」

「落ちたら俺とシェリー、飛べないんだからな」

 本当にそうなったら冗談じゃ済まない二人はレナを刺激しない範囲でやんわりと注意を促すが、当然ながら聞こえているわけはない。仮に聞こえていたとしても、堪忍袋の尾がプッツンしてしまったレナがそんな注意なんて聞いてくれるはずがない。

 普段は冷静な方なのに。いや、普段冷静な人ほど、キレた時は恐ろしいものだ。それを真正面から向けられているアイナは、堪ったものではない。

 だがしかし、その時間は唐突に終わりを告げた。何かを言いたそうにお腹に空気をためていたレナが、いきなり閉口したまま押し黙ってしまったのである。

 そして表情はそのままに額に脂汗が張り付き、ついでに顔色も白から蒼白へと急激に変化していく。

 バッとアイナの杖から手を離したレナはがっちりと自分の杖を両手で保持し、背中を丸めてうずくまった。

「レ、レナさん?」

「…どうか、した?」

 いきなりの変化に、アイナは戸惑いを隠せない。

 あまりの変化具合に、反撃するにもためらいを覚えてしまうほどである。

「な、なんでもない! なんでもないから……」

 斜め下を向いたまま、レナは近付いてくるアイナとリンネを制する。

「なんでもない割には、顔色悪そうだけど? もしかして、風邪でも引いた?」

 アイナの後ろから、シェリーもひょこっと顔を出す。

 こんな不信感全開の『なんでもない』を信用する人間が、どこにいようか。

「ほ! ほんと、大丈夫だから! 早く帰りましょ!」

 と、レナは速度を上げてリンネとアイナを追い抜く。

 確かに、アレは風邪を引いたというわけではなさそうだ。

 付き合いの長いシェリーは、ふむと過去のことを思い起こす。

 体調不良を隠せるほどの体力なんてないレナは、簡単に顔に出るので嘘をついてもすぐにわかる。で、結論を言えば、さきほどの反応はそういう類のものではない。

 嘘をついたり、無理をしているというよりは、何かを隠そうとしているような気がする。それも、とても恥ずかしいようなことを隠しているような。

 ん? 恥ずかしい?

 そこまで思ってからシェリーは、はてと考えこむ。

 恥ずかしいこと? こんな場所で? どうして?

 特に根拠はないが、あれは何か恥ずかしいことを隠そうとしている気がするが、自分はなぜそんなふうに感じたのだろう。

 シェリーが自問自答を繰り返す中、アイナとリンネもレナを追って速度を上げた。




 少しだけ時間を巻き戻す。

 アイナの杖を握っていたレナであるが、不意に下腹部へと猛烈な圧迫感が襲いかかってきたのである。

 そして、とても大事なことを忘れていたことを思い出した。

 そういえばあたし、今、ショーツ履いていませんでした……。

 流れ星が思っていた以上に綺麗で見入ってしまったことに加えて、ずっと履いてない状態が続いていたせいで慣れもあったのだろう。完全に油断していた。

 ──お茶、飲み過ぎた……………………。

 要約すれば、つまりは、水分が下腹部でたぷんたぷんしてるわけです。リンネの準備してくれたお茶を何も考えずに飲んでいたのが、こんな形で返ってくるなんて。もうちょっと考えて飲めばよかった。

 いや、そんな過ぎてしまったことは最早どうでもいい。問題は、この先どうするかだ。

 どうにかして、宿まで我慢しなければならない。しなければならないのだが、その道のりはとてつもなく長い。

 行きの山登りも体感ではなかなかのものだったが、こっちは到着地点すら見えないあたり絶望感もマシマシである。どう考えたって、我慢できる気がしない。

 その間にも、お腹の内側からチクチクと針で突き刺されるような痛みがこんばんは。お願いします帰ってください何でもしますから、といくら懇願しても残念ながら帰ってくれませんでした。

 ととと、とにかく、お腹に衝撃が加わらない範囲で速く飛ぼう。

「レ、レナさん?」

「…どうか、した?」

 その矢先、アイナとリンネが近づいてきた。

 心配してくれるのは嬉しいけど、今はこっちにこないでください。

「な、なんでもない! なんでもないから……」

 落ち着け、落ち着け、魔力の調整は大丈夫。少しずつ放出量を上げていけば、お腹への負担も少ない。

「なんでもない割には、顔色悪そうだけど? もしかして、風邪でも引いた?」

「ほ! ほんと、大丈夫だから! 早く帰りましょ!」

 シェリー、付き合い長いんだからせめてあんたはわかりなさいよ。普段は自然に核心をついてくるけど、こういう部分の洞察力はあてにならないんだから。

 察してくれない幼馴染を心の中で毒づくと、レナは姿勢はそのままに視線だけを前方にやる。下手に動いたら、辛うじて保っている均衡も崩れかねない。

 よし、前方に障害物なし、進路クリア、加速開始。

 抜群の安定感を保ったまま、レナは速度を徐々に上げ始めた。

 よ、よし。思ったよりお腹への負担は少ない。このまま可能な限り速ををあげよう、としたところで、バタバタと布のはためく音が聞こえてきた。

「ッ!?」

 はためいていた布とは、スカートである。スカートがはためくということは、下にあるものが露わとなってしまう。

「どうした? 急いでんじゃなかったのか?」

 急に加速の止まったレナに、昶はどうしたのかと問いかける。

 声が近い! 息がかかってくすぐったい! あと、お、お腹が……。

「え、えっと……」

 速度を上げればスカートが、しかし減速すれば我慢できる気がしない。

 もう言い訳を考えられるほどの思考は残っていなく、全てのリソースが下腹の方へと回されている。

 その間に、後ろからリンネとアイナが追いついてきた。

「レナさん、やっぱりちょっと変ですね」

「…おかしい」

「怪しいわね。何か隠し事かしら?」

 心配半分に疑い半分、アイナ、リンネ、シェリーはジジジィっとレナを見る。

 そして、昶もまた例外ではなかった。

「ほんと、どうしたんだよ? 来る前からちょっと変だったろ?」

 三人には聞こえないよう、昶はレナの耳元でそっとささやく。

 き、気付いてたんだ。

 どうやら昶は、出発前からレナの変化に気が付いていたらしい。それはつまり、自分のことをよく見てくれているという意味でもあるわけでだ。

 それはアイナに対して非常に優越感を感じるのだが、それが決定的なとどめとなってしまった。

 ──も、もうだめ!

 昶の声が、吐息が、耳をくすぐる。それはざわざわと全身を伝わり、ぶるっと身体が震えた。

 それが、レナの限界であった。

「み、みんな先行ってて! あたしちょっと、用事があるから!」

 半分叫ぶように言い残したレナは、返事も聞かずに急降下していった。




 いきなり降下を始められたせいもあって、昶は振り落とされないようにレナのお腹に回す手に力を込める。既に限界を振り切っているところへ、さらなる圧迫感。

 もうなりふり構っていられない。あぁ、もう!

墜落してるのではという勢いで、レナは眼科の森の中へと降下した。杖も何もかもをほっぽり出すと、そのまま水の音のする方へと走っていく。

 ただ単に後ろにいただけの昶のは、何が起きているのかさっぱりわからない。まあ、近くには獣魔の気配もないので、そこまで心配する必要はないのだが。

 レナの魔力の位置を把握しつつ、昶は持ち主に放り投げられた杖を手に取る。持ってみて思ったが、案外重い。先端にはまる宝石や装飾もそうだが杖の素材である木材そのものもしっかりしていて、鈍器としても使えそうなほどに頑丈そうだ。

 ところで、これは追いかけたほうがいいのだろうか。いけないのだろうか。

 まあ、来て欲しいなら既に声をかけられているか。

「あれ? アキラさん、レナさんは一緒じゃないんですか?」

「そっちこそ、シェリーはどうしたんだよ」

「リンネさんの方に移って頂きました。眠いので先に帰るって」

「まあ、もうだいぶ遅い時間帯だもんなぁ……」

 日本での生活と違って夜の時間を過ごす娯楽が少ないのもあって、昶も以前より早く眠るようになっているので、日付が変わるまで起きているというのは久しぶりかもしれない。

 いまさらながら、よく馴染んでるなぁと思う。

「それで、レナさんどっちに行ったんですか?」

「あっちだけど」

 と、昶はレナの消えていった方向を指差す。

「わかりました。私、ちょっと見てきますね!」

「あぁ、おい!」

 アイナは昶の静止も聞かず、レナと同じ水音のする方角へと駆けて行く。追いかけようとはしたのだが、なんとなく行かないほうがいい気がして一歩が踏み出せなかった。

 あの一種独特の緊迫感にはどこか既視感を覚えるのだが、思い出せない。

 あとついでに、思い出すだけの時間的な猶予も与えてくれなかった。

「あ、あんただったのねー!」

「す、すいません! それに関しては謝りますから! でも、いくらなんでも……はないですって~」

「全部あんたのせいでしょうが!」

 いつにも増して甲高い声の怒号が、辺り一帯に木霊した。

 そんなよく通る声のおかげで、どこにいるのか手に取るようにわかる。

「明日本番だってのに、なにやってんだか」

 最後まで手を焼かせやがってと、二人の仲裁に入るべく昶は重い足を持ち上げた。




「……………………あぁぁ」

 やった、やってしまった。ある意味で、人としてはやってはならないことを。激しい後悔の念に両手で頭を抱えてうなだれる。

 こんな屈辱は、生まれて初めてだ。自分がなんで、野生動物みたいなことをしなければならないのだろう。

 できることならば、このまま消えてしまいたい。もしくはそこの木にでも頭をぶつけて、この十数秒間の記憶を完全に消し去ってしまいたい。

 川辺にたどり着いたレナは水深を測ると、靴と靴下を脱ぎ捨てて真冬の川へと入った。

 入ったと言っても足首が軽く浸かるくらいまでで、流されてしまうような場所ではない。スカートを少しだけたくし上げて、素早くかがむ。その途端、今まで我慢していたものが待ってましたとばかりに一気に出て行った。

 川の流れる音に混じって、別の水音が聞こえる。真冬の寒さなんて吹き飛ぶくらい、レナは全身を紅潮させた。ぶるっと身体が震え、変な声が口端からこぼれ出る。

 恥ずかしさと同時に訪れる大きな開放感は、代用できる物などないほど。こう言ってははしたないけどちょっとクセになってしまうかもしれない。いや、決してそんなつもりは毛ほどもないのだけれど。

 ほら、あるじゃない。極度の緊張状態から開放された時の、あんな感じなのよ。ほっとするっていうか、一息つくというか、そういうたぐいの物であって決して変な意味では、

「……あ」

 と、自分に謎の言い訳を理路整然と並べようとして全然できていない体たらくを見せつけている、そんな時だった。

 不意に人の声が聞こえて、レナはバッと顔を上げる

「……ッ!?」

 わさわさと茂みをかき分けて出てきたアイナと、ばっちり目が合った。

「……レナさん、ちょっとお伺いしたいことがあるんですが、よろしいでしょうか」

「……な、なにかしら」

「…………………………我慢、できなかったんですか?」

「ぬぁっ!?」

 一部始終は、ばっちり把握されているそうです。死にたい……。

 ここはもう、せめて直接見られてはいないことに一縷の望みを託すしかない。

「しし、仕方ないじゃない! ちょっとお茶飲みすぎちゃって、それで……」

 最初は大きかった声も、最後はごにょごにょと何を言っているのかわからなくなってしまう。

 言われなくたって、自分でもわかっている。こんなはしたないこと、普通の人でもしないだろうってことくらい。だからここまで全身真っ赤っかになっているんだもの。記憶をなくす魔法、まじめに勉強したくなってきた、今すぐに。

 でも、せめて川辺まではちゃんと我慢できたことをほめて欲しい。だって、お腹がよじれそうなくらいの痛みを我慢していたんだから。

「レナさん」

「な、なによ?」

「トイレも我慢できないなんて、おこちゃま通り越して赤ちゃんと同じじゃないですかねぇ?」

「はぅぅっ!?」

 何か重たいハンマーのようなものが、レナのハートを粉々に打ち砕いていった。

「しかも、我慢できなくなるくらい飲み物のんじゃうなんて、計画性なさすぎですよ」

「うぐぅぅッ!!」

 打ち砕かれた心は更にローラーで更に細かく砕かれて、

「これ知ったら、絶対アキラさん幻滅しますよねぇ」

「…………」

 川の流れに乗って下流へと運ばれていきましたとさ。

 と、そんな感じでアイナからメンタルにダイレクトアタックの三連コンボをくらって打ちひしがれるレナの目に、あるものが映った。

 アイナのスカートのポケットから、白い布のようなものがちょこんと出ている。いや、白ではなく淡いオレンジ色をしているような……。

「ねぇ、アイナ。あたしもね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「えぇ、かまいませんけど」

 レナの変化に気付いていないアイナは、どんな言い訳(悪あがき)をしてくるんだろうと鼻息を荒くして待ち構える。

 しかし、今度はアイナの背筋が凍りつく番だった。

「そのスカートからのぞいてるの、何?」

 一瞬意味がわからず、アイナは下方へと目を向ける。

 するとスカートのポケットからは、絶対に見つかってないけないものが、やぁと顔をのぞかせていた。

「ん? あッ!? これはですね!!」

 肉体強化時のシェリーにも負けない速度で、アイナは片手をポケットにインするともう片方の手を広げて、ドンッとレナに突き出す。

「ハ、ハンカチですよ! 身だしなみの一種です!」

 思考時間わずか0.五秒、どうにかごまかそうと言い訳をひねりだす。

 が、そんな嘘に騙されてくれるようなレナではない。まるで獲物を目の前にした肉食獣のように、エメラルドのような眼光がギラリと怪しい光を放った。 

「へー、そうなんだー。それにしては、なんだか形が違うような気がしたんだけど」

「そそそ、そんなことはないですよー?」

 そんなすぐバレる言い訳を考えた二秒前の自分を殴りたい、猛烈に殴りたい、地平線の彼方まで殴り飛ばしたい。地平線見えないけど。

 仕切りなおしてテイク2とかできないでしょうかね? できないですよね、そうですよね、考えた私がバカでした。てか、レナさんがとても怖いです!

「じゃあ、ちょっと見せてもらってもいいかしら?」

 ぬあー、きたー。変な声が出そうになるのをどうにかのどもとでこらえたけれども、状況は悪化の一途をたどっている。

 後ろに下がろうにも視界確保が不可能な上に足場も悪いので、後退はできない。しかもレナから放たれる気迫のようなものが手足を絡めとってきて、まるで金縛りにあっているかのよう。

 確かに、前から怒った時は怖かったけど、ここまでじゃなかったような気がする。これも魔力か、魔力のせいなのか。

 そんな蛇に睨まれたカエルもとい、ニッコリと微笑まれたまま動けないアイナの近くまで寄ってきたレナは、ふわりとやさしい手付きでアイナの右腕に触れた。

 あ、これ、アカンやつや。

 その瞬間、まるでドラゴンと鉢合わせしたらこんな感じなんだろうなー、と思えるような悪寒がアイナの背筋を無限ループし始めた。

 そしてレナに一切抗えないまま、ポケットに突っ込んだ腕を引きぬかれる。アイナの腕と入れ替わるように、レナはスカートのポッケへと手を差し入れた。

「……ねぇ、アイナ」

「な、なんでしょう」

「これ、何かなぁ?」

 レナの手には、フリルの可愛いらしいパステルオレンジ色の三角形の布が握られていた。

「私の予想では、女性用下着、だと思いますけど」

「へー、偶然ねー。あたし今日、これと全く同じものを穿いてたのよ。お風呂に入ってる間になくなっちゃったんだけどね」

 上辺だけのほほ笑みが剥がれた途端、アイナはさっと目をそらす。これはどうつくろっても、弁明のしようがない。

 えぇ、見つかった瞬間にはわかってましたとも、こういう状況になるんじゃないかなぁってことくらい!

「ふふ、ふふふふふふ…………」

 レナの口端から、不気味な笑い声が漏れる。

 物語の悪役ならここから大声を上げて高笑いするところなのだろうが、残念、フィクションではなくこれは現実である。夢であればどれほど救われたことか、現実は無情である。

「あんただったのねぇぇえええええええええええッ!」

「す、すいません! それに関しては謝りますから! でも、いくらなんでも外でトイレはないですって!」

「全部あんたのせいでしょうがぁああああああああ!」

 レナの怒号に、身体が反射的に動いた。

 腕を引き寄せて縮こまりながら、杖に跨がらず持ったまま飛行術を発動。後方へと大きくジャンプする。

「あうッ!?」

 なお、後方不注意で太い枝で頭を強打した模様。そのままゆっくり着地できればカッコ良かったのだが、顔から地面に勢いよく落下した。

「因果応報ね、人の物盗んだから罰が当たったのかしら?」

 悶絶するアイナが後頭部をさすりながら見上げた先には、仁王立ちするレナの姿が。

 側に反射して降り注ぐ月明かりもあって、ある種の神々しささえ感じてしまう。

 しかしそこで、はてとアイナは思った。不本意にも風呂場で失敬してしまったレナのショーツは、さっきまでアイナの手にあった。

 時間的に見ても、レナはお風呂場から一直線に昶の部屋まで来たとしか思えない。部屋の位置的には、お風呂場から昶の部屋とは正反対にあるのだ。一度戻っていたのなら、最低でも倍の時間はかかるはずである。

 さて、では問題です。現在のレナのスカートの下はどうなっているでしょう?

「あの、レナさん。発言をしてもよろしいでしょうか?」

 恐る恐る、後頭部を押さえているのとは反対の手で挙手。

「なにかしら? 懺悔ならマギア・フェスタの後まで待ってあげるけど」

「大変お聞き苦しいのですが、スカートの下って、どうなっておられるのでしょうか?」

 その瞬間、空気が凍りついたのがアイナにもわかった。あぁ、やっぱりそうなのか……。

 レナからあれだけピリピリ放たれていた殺気は消失してしまったせいで、むしろ色々と察せてしまった。

 頭の中、真っ白になっちゃったんですね。

「おい、喧嘩してる時間あるなら、早く帰ろうぜ。明日から本番なんだろ?」

 と、二人の喧騒を聞きつけた昶が、茂みをかき分けてやってきた。その手には、レナの投げ捨てた杖が握られている。

 あ、アキラさん、と振り向くアイナと、動作停止状態から復旧したレナ。

 しかしそこへ神様のいたずらか、つい先程までいた鉱山の方角から強烈な風が足元を通り過ぎていった。その去り際に、風はレナのスカートをふわりと持ち上げて、

「………ッッ!?!?」

「ンッ!!」

 紅潮した顔を見られないよう昶は素早く顔を背け、レナはスカートの裾を抑えてうずくまる。

「む、向こうにいるから、早くしてくれよ」

「う、うん、わかっ……てる」

 昶は杖をレナに渡すと、逃げるようにその場を離れた。

 レナの方もさっきまでの気迫はどこへやら、両肩を抱いて小さくなったまま足元のほうを見てぶつぶつと言っている。

「ん?」

 とりあえず、窮地はどうにか脱出できたらしい。

 その瞬間を確認していなかったアイナは、安堵しつつも頭の上にいくつもクエスチョンマークを浮かべていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング
ポチッとしてくれると作者が喜びます
可愛いヒロイン達を掲載中(現在四人+素敵な一枚)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ