Act18:流星群
レナ達より一足先にお風呂から出たアイナは、下着だけの状態で脱衣場にあるベンチで横になっていた。
火照っていた身体の熱も少しずつ冷めてきて、ぼーっとしていた頭も少しはマシになってきたかも。だが、それでもまだ熱い。暖房器具でも使っているようで、廊下と比べても脱衣場の中は随分暖かいのだ。
魔法技術か、それとも科学技術か。メレティスならば、恐らく後者だろう。
ぜひとも、寮の部屋にもつけてもらいたいものである。無理だろうけど。
──レナさん達、よく入ってられるなぁ……。
けだるそうにお風呂の方を振り向くアイナ。レナ達が出てくる気配は、まだない。
出てくるのは、変な目で見てくる先輩方だけである。
のぼせているのがそこまで珍しいか、見せ物ではないので早く着替えて出て行って欲しい。こっちはまだ着替えるだけの気力すらないのだ。
なんてことは口が裂けたって言えないので、心の片隅で思っているだけにする。
そういえば飛行術の競技はレースらしいけど、どういった感じになるのだろう。みんなの話では、完走時間を競うタイムトライアルだそうだが、コースはまだ発表されていない。
まあ、森の中だろうとノンストップで突っ切れるだけの技術はあるので、大抵の障害物なら簡単に突破する自信はある。動く障害物まではわからないが。
と、色々なことを考えている内に、だんだん頭がはっきりしてきた。
身体にたまっていた熱も抜けたかな? アイナは、ひょいと立ち上がる。
よし、もう大丈夫そうだ。残っていた水気や、わき出てきた汗をぬぐい、アイナは着ていた制服に袖を通す。
この後は流星群を見に行くらしいので、寝間着に着替えるのは帰ってからだ。季節柄、汗もそれほどかいていないので、そこまで不快な感じはない。
「…………」
アイナは再びお風呂の方を見やり、耳をそばだてる。
わずかだが、レナとシェリーと思わしき声が反響している。もうちょっとなら、大丈夫かな?
アイナは、自分の制服を入れていた籠の隣に納まっている制服を見やった。
折り目に沿って丁寧に畳まれたそれは、本人の性格を如実に表していると言えよう。
そう、これはレナの制服である。更に近くには、レナの制服より一回り小さい制服(綺麗に畳まれたもの)と、二回り以上大きい制服(脱ぎ散らかされているもの)もある。もちろん、前者がリンネ。後者がシェリーだ。
ちなみにアイナの制服は中間点あたりで、畳まれてはいるが折り目は雑である。
が、アイナが見ているのは制服の折り方ではない。その上にちょこんと乗った、彩り豊かな下着の方である。
シェリーは伸縮性のよさそうなダークレッド。
レナのはフリルの可愛らしい淡いパステルオレンジ。
リンネのはドット柄っあるが、二人と違って上の方はない。
アイナはもう一度後方を警戒しながら、パステルオレンジのそれへと手を伸ばす。
「うわ、なにこれ……」
滑らかな肌触りって、こういうののことをいうに違いない。不格好に立った毛はなく、触れた感じもつるつるのすべすべ。思っていたよりもずっとよく伸びて身体のラインにぴったりフィットするのに、締め付ける感じもない。そのくせ装飾まで可愛いときたもんだ。
まるでこの世の物とは思えないような質感に、アイナは絶句した。
いつぞや、レナはアイナを羨ましいと言ったことがあったが、下着一つですらこれだけの差である。
立場を入れ替えられるとしても、レナにはきっと耐えられないだろう。だってこんな下着、持ってないどころか存在だってアイナは今日まで知らなかったのだから。
「…………」
アイナは生唾をゴクリと飲み込みながら、レナのショーツを凝視する。
触れただけでも筆舌に尽くしがたい手触り、実際に身に付けたらどれほどのものなのだろう。
いや、さすがにレナの身に付けたものを穿こうだなんて思わないけれど、ちゃんと綺麗に洗って乾かせば……。
って、ダメダメ。それだけは絶対にダメ。人の物を盗んじゃうだなんて、いくらレナがライバルだからっていっても、やって良いことと、悪いことがある。
「アイナ、さっきは調子に乗りすぎてごめんね~」
「ひゃいっ!?」
お風呂の扉が開いたと思ったら、いきなりシェリーが後ろから肩をつかんできた。
不意をつかれたアイナは、口からついつい変な悲鳴をもらしてしまう。って、驚いている時間はない。
シェリーに気付かれる前に、レナのショーツをどうにかしなければ。
ちょっとでも手を動かせば、即座に見つかってしまう。最小限の動きだけでレナのショーツを隠匿するには、これしかない。
シェリーの不意打ちから一瞬でこれだけの思考を行ったアイナは、レナのショーツを最小限の動きでスカートのポケットへと突っ込んだ。
これは盗んだんじゃない盗んだんじゃない、日頃の感謝を込めて綺麗に洗濯してこっそり返却するだけだから!
「ん? なんかすごい汗かいてるけど、大丈夫?」
「だだだ、大丈夫ですよ。お、お風呂上がりで、ちょっと暑くなってるだけです!」
謎の免罪符を頭の中で延々と復唱しつつ、どもりながらもどうにかシェリーに返事をする。
会話の流れ的にも自分の言った内容的にも、おかしなところはきっとどこにもなかったはずであるたぶん。
しかし、次なる刺客がアイナへと襲いかかった。
「……あれ?」
身体を拭き終えたレナが、籠の中をごそごそと探している。
なにを探しているのか、容易に想像がついた。なぜならレナの探しているものは、アイナのスカートポッケにインしている状態なのだから。
一難が去らぬ内にもう一難までこんばんは。できれば一難さんには回れ右してお帰り願いたいところであるが、事態はそう都合よく進むはずもない。
背中をぞわぞわとした感触が撫で回し、ふいたばかりの場所から変な汗がダバッと吹き出した。
まままま、まずはこの場を離れることが先決だ。うん、そうしよう、それしかない。
「わ、私、先にアキラさんのところ行ってますね!」
アイナはシェリーの手からするりと抜け出すと、早歩きになりそうな足を押さえてひとまず風呂場から脱出したのだった。
「のぼせてたのは治ったみたいね。よかったよかった」
「…それより、早く行こう」
一人頷くシェリーを、既に着替え終えたリンネがせかす。
まだ時間に余裕があるとはいえ、流星群は待ってくれない。早め早めの行動が大切である。
「おっと、そうだった。あ、リンネは先行ってて。私らもすぐ行くから」
こくりと頷いたリンネは、じゃあと先に脱衣場を後にする。
一方で、レナはと言えば、
「レナも早くね」
「わかってるわよ。あれぇ……」
どこにいったのよとぶつくさ言いながら、籠の中を引っ掻き回す。しかし当然、探し物が見つかるはずもない。
その間にもシェリーはぱぱっと着替えを済ませ、二人を追って行ってしまった。
「…………あぁ、もぉっ!!」
レナは恥ずかしさから顔を真っ赤にしながら、ブラを掴み取った。
「流星群?」
一番に昶の部屋へとやってきたアイナは、お風呂での一部始終を話した。
案の定、昶の部屋には朱音がおり、その朱音と難しそうな話をしているソフィア、そして今日ソフィアが連れて帰ってきたシャリオもいた。ちなみにシャリオは、ソフィアの膝でうたた寝している。
「アカネさん達もどうですか?」
問われた朱音は、天井を眺めながらしばし思案する。
「ん~、ソフィアさんはどうする?」
「わたくしはご遠慮させていただきます。シャリオがこのような状態なので」
そう言いながら、ソフィアはシャリオの頭をそっと撫でた。気持ちよさそうに、ソフィアの膝でごろんと寝返りを打っている。
確かに、これでは離れるわけにもいかないだろう。
「じゃあ、今回は私もいいかな~。みんなの邪魔しちゃ悪いし」
と、朱音もソフィアに便乗する形で辞退する。
いつものメンバーで行ってこいという、朱音なりの気遣いなのだろう。
明日からはマギア・フェスタの本番。会場はバラバラ、ゆっくりする時間はなく、大会が終われば昶もどうなるかわからない。
最後の思い出を作ってこい、そう言っているように昶には聞こえた。
「ってわけだから。昶、みんなのエスコート兼、ボディーガードよろしくね」
「行き先知らないのに、エスコートもくそもあるか。あと、ボディーガードなんて必要ないだろ。全員、銃持ったおっさんよか強いんだし」
「そういう問題じゃないの。男の子ってのは、女の子を守ってあげるものなんだから」
「言われなくたって、そういう状況になればするって」
今までだって、そういう状況になればそうしてきた。朱音に言われるまでもない。
そう、どんな時だって…………。
この数ヶ月の日々が、昶の脳裏を通り過ぎ去ってゆく。
いつだって逃げずに、正面から立ち向かった。格上の相手だろうと、草壁の血に宿る力が使えなくとも。友を守るために、愛しい人のために。
「なに辛気臭い顔してんのよ」
ふっと影が差した昶の背中を、朱音はばちーんと力強くはたく。
「これから流星群見に行くんだから、もっと楽しそうにしなさい」
暗い顔してたら楽しいものも楽しくなくなるぞと、朱音はにぃっと笑って見せた。
「…アイナ、説明、終わった?」
「っよし、リンネに追い付いたー!」
するとそこへ、タイミングよくリンネとシェリーがやってきた。
この唐突さといい、無計画さといい、発案者は恐らくシェリーだろう。
「はい、アカネさんとソフィアさんは、今回は遠慮されるそうです」
「残念、師匠にも見せたかったのに」
どうしてですか~? と、シェリーは朱音に食い下がる。
可愛い愛弟子(しかし身長はシェリーの方が高い)からのお誘いに満更でもない様子の朱音だが、そこはきっぱり断った。
こういう場合、ほいほいと付いて行く方が野暮というものだろう。
「私やソフィアさんがいちゃ、余計な気を使わせちゃいそうだからね。だからいいの」
「お馴染みのメンバーで楽しんできてください。新参者は新参者同士で、ゆっくりさせていただきます」
それに流星群なら部屋からも見えるでしょうから、とソフィアは結びに付け加える。
二人の魔術師からのはからいを肌で感じ取ったリンネ達三人は、軽い会釈を返した。
と、一連のやりとりが終わったところで、ようやくレナがやってきた。
「遅かったじゃない、レナ」
「ちょ、ちょっとね……」
少しばかり走ってきたのか息はやや乱れ気味、風呂上がりもあいまってか頬もピンクに染まっている。
その姿を見た瞬間、昶は全身に電流が走ったような気がした。そしてなぜか、視線を外してしまう。
どうしてだ、レナの風呂上がりの姿ならこれまでも何度か見たことがあるが、こんな風になった経験はない。
そりゃ、ドキッとしたことはあるが、その度合いが全く違う。
どう説明すればいいのだろう、とにかく色香が──ようはむちゃくちゃエロいのだ。
なにがどうとかではなく、そこにいるだけでもう。たたずまいから指先の仕草、息づかいまでもが普段と微妙に異なっている。
って、なんでそんなとこばっかり冷静に分析しているんだよとセルフツッコミを入れつつ、昶は部屋の入り口で待つレナ達の元へ向かう。
「レ、レナも行くのか?」
「う、うん、行く……」
こんな短い会話ですら満足にできないなんて、どうしちまったんだ俺は。
しかし浮かんだ疑問を処理できるだけのリソースはなく、バカみたいに脈打つ心臓をなだめるのでいっぱいいっぱいだ。
「それじゃ師匠、アキラちょっと借りていきますね~」
「…失礼します」
「じゃあ、行ってきます!」
最後に部屋を出たアイナが、勢いよくドアを閉める。
レナも何かを言おうとしていたが、はてさて何を言いたかったのか。
「ここからでも流星群、見えますかね?」
「いざとなれば、見える場所まで飛んで行けばよろしいでしょう」
「うわ、なにそれすごい寒そう……」
全く冗談に聞こえない辺りが、ソフィアと朱音らしい。
一陣の風が、窓をカタカタと鳴らして通り過ぎていった。