Act15:桜銀色の標
アイナを散々連れ回し、食べ歩き、満足したところで、シェリーはようやくリンネ達と合流した。というよりも、正確には昶が気配を探って合流たわけである。
二人は長テーブルとベンチの用意されたスペースの一部を占拠し、戦利品の処理に当たっていた。標準時で三〇分少々、いったいどれだけのお店を回ったのか。見ているこっちがあきれるほどの量がある。
参考までに、シェリーの手元には串が十五本、パンを包んでいたらしき紙袋が七枚、脇にはスイーツだったと思われる木皿が五枚ほど積み重ねられていた。
連れ回されたアイナはといえば、満腹の上にあちこち歩き回ったせいで顔が真っ青になっていた。お腹は満たされたであろうが、今にも吐きそうな状態で机に突っ伏している。
ここまでくると、お腹がすいていた方がマシだっただろう。
「あんた、何やってんのよ……」
そして開口一番、レナはシェリーの傍らに手をついてお説教を始めた。
繰り返すが、レナのほうが年齢的にはお姉さんである。
「いやぁ…………。アイナとお昼ってあんましたことなかったし、最初の内はけっこう目とかキラキラさせてたから、ねぇ?」
「なにが『ねぇ?』よ。そんなんで同意するわけないでしょ」
つまりは、調子に乗ってあれこれ買いまくって食べさせた結果いつの間にかグロッキーになっていたと、そういうことらしい。アイナの隣に座ったリンネは、その背中を小さな手でゆっくりとさすってあげていた。
大丈夫だと強がる表情が、何とも心苦しい。これにはシェリーも悪いことをしたと思っているようで、素直にごめんなさいと謝った。
「それで、そっちはどんな感じだったの。私とアイナはまぁ、こんな感じだったけど」
と、シェリーはまだ残ってる串十数本とスイーツ四皿、菓子パン五つ、大量のフライドポテトを眺めながら聞いてみた。それはもう。祈るような目で。
「じゃあ、俺は串焼き五本くらいもらう」
まあ、この惨状を見ればとても二人で食べきれる量ではないだろう。
昶がため息をつきながら手を伸ばすと、レナとリンネも仕方ないわねといった感じで助け舟を出す。
「あたしはパンケーキ二つ。メープルとイチゴジャム」
「…唐揚げの串。でも、シェリー、買いすぎ」
元々そこまでお腹がすいていたわけではないから、食べあるきのできる場所を選んだはずなのに。なぜシェリーがそんなに買い込んでいるのか、その方が疑問である。
そんなにお腹が減っていたのなら最初から言ってくれればいいのにと、リンネは眉をハの字にしてぷんぷんと抗議した。
そう、これは地元民の沽券に関わる一大事なのである。アンフィトリシャ商会とそのネットワーク、なめてもらっては困るのだ。
「わ、わかったから、少し落ち着いて。ね?」
と、シェリーはクリームでコーティングされたミカンを一粒、リンネの目の前へと差し出す。甘い香りには逆らえず、リンネは思わずパクリ。ふぁぁ、これはなかなか…………侮れないおいしさ。
「…つ、次からは、ちゃんと言って」
「わかったから、そんなに怒らないの。ほい、もういっちょう」
今度は、ホイップクリームとブルーベリーがトッピングされたパンケーキ。むむむぅ、やっぱり甘いものはご飯とは別なのだろうか、揚げ物いっぱい食べたあとなのにお腹がすいてきたような気がする。まあ、せっかくシェリーが気前よく食べされてくれてるんだし、うん。
頭の片隅でほんのちょっとだけ食べ過ぎてないかなーとか、太ったりしないかなーとか考えたリンネであったが、もうどうでもいいやと差し出されたパンケーキをパクリとほうばっていた。
ふむふむ、ホイップクリームの甘みとブルーベリーの酸味が絶妙な割合、いい感じでお互いを引き立てあっていて非常に美味でございます。
「すっかり餌付けされてるわね」
「まぁ、いいんじゃね。あれ一人で処理するのも大変そうだし。シェリー、俺にもなんか甘いのくれ」
「それが済んだら、どっか気晴らしできそうな場所にでも行きましょう。あ、あたしのもそれちょうだいよ」
昶とレナもシェリーの近くに陣取ると、ちょっとだけと思いつついつの間にかあれやこれやと長テーブルに置かれた物へと手を伸ばすのであった。
勝手に人のもんに手を出しやがってと恨み節のシェリーと少しだけ顔色のよくなったアイナも戻り、五人は街中をぶらぶらと散策していた。
飲食関係のお店がほとんどではあるものの、中にはそうでないものもいくつかある。運の試される景品くじに、おもちゃの弓矢での射的、あっちのは恐らく輪投げで、その向こうにある広場では大道芸人が面白い芸をしている。
さすがに金魚すくいとかお面屋はないかと、昶は昔を思い出してクスリと笑った。
「あの辺のって、景品もらえるやつよね? 去年レイゼンレイドで見た」
「景品って、そんな大したもの置いてないでしょ」
食べ物以外の屋台に興奮するシェリーにレナが鋭い釘を差すのだが、全然聞く様子はない。それどころか、
「ちっちっちー。わかってないな~、レナは」
「な、なにがよ」
「こういうのは、雰囲気を楽しむもんなんだって。いくら景品がしょぼくて、あ~買ったほうが確実なのにな~とか思っても、言っちゃだめなの。わかった?」
むしろ無駄遣いしちゃおうぜと誘ってくる始末。こぶしを握り、顔を突き出し、お祭りについて持論を豪語し始める。
そもそも、これはお祭りではなく魔法競技会なのだが、そこのところを忘れているのではなかろうか。シェリーならありえる話だ。
もっとも、お祭り騒ぎという意味でなら、マギア・フェスタはここら辺の国々一帯では最大のお祭りであろう。これに比肩し得るイベントは、少なくともレナの知っている中には存在しない。
と、レナがそんなことを思っている間に、シェリーは一人弓矢の射的屋に向かって全力で走っていっていた。
「なんか、さらっと武器とか魔法関連の品物売ってる店まであるな」
他にどんなものがと眺めていた昶は、その中で明らかに異色の雰囲気を放っている一角を見つけた。
兵士の身に着けそうな武器防具から、魔術的な気配を発する武具──発動体も見受けられる。他にも魔法耐性のある衣服や、魔法薬のお店もある。こういうのは、魔法競技会や魔法が公然のものとして存在しているこの世界ならではのものだろう。
「あぁ、その辺は競技会に参加する生徒や、その応援に来た生徒達目当てのやつよ」
それを目にしたレナは、別段珍しいものではないと付け加える。
「…参加するのは、どこも将来有望な、生徒達だから。出てるお店は小さいけど、あれ、全部おっきいお店のやつ」
「顔を覚えてもらうのと、運がよければ新しいお客もつかめるから、どこも全力よ。特に消耗品なんかだと、魔法学校とか、都市警備隊とかが大量購入するから。偽物で一儲けしようとか考えてる悪徳業者が入る隙間なんてないから、そこは安心していいわ」
「…ああいう武具の販売は、事前に申請が必要。販売エリアも決められてるから」
言われて見れば。武具や魔法に関連する商品を販売しているお店だけは、赤を基調とした制服に身を包む兵士達が周囲を見張っていた。
手にはライフルっぽい形状の銃が握られているので、変なちょっかいを出す輩もいないだろう。
「ああやって警備してる場所のは、公認だから安心して使えるってことか」
「そうね。それ以外の場所で売ってるのは全部悪徳業者だと思っていいわ」
と、気配がないと思ったらいつの間にかアイナがいなくなっていた。
三人はシェリーが弓矢でヒャッハーしているのを視界に収めつつ、アイナの姿を探す。
幸いにも、アイナはすぐに見つかった。魔力で近くにいるのはわかっていたのでそこまで焦ってはいなかったが、見つかってよかった。
ちなみにそのアイナがどこにいたかと言われれば…………武具や魔法具の販売スペースで、食い入るように杖を見つめていた。
遠目にも、新品なのがわかる。それと同時に、遠目にもとってもお高そうな雰囲気なのも。
「なんか、早速引っかかってる感じね」
「…アイナの杖、そんなにいいのじゃないから。気持ちは、わかる」
同じ杖の発動体を使っているレナとリンネは少し思うところがあるのか、呆れと同情の入り混じった難しい顔をしている。
言われるまでもなく、二人の発動体がそこそこ以上にいい代物なのは、見ればわかる。強力な魔力にも耐えうる宝石に、十分な魔力伝達率と強度を併せ持った木材で構成される杖は、もしかしなくとも本人に合わせて作られたハンドメイドだろう。
それに対してアイナのものは、強度こそそれなりだが魔力の伝達率はそこまでよくないし、宝石だってはまっていない。普段は目に付くような場所には行かないからいいが、こんな場所にあればいやでも見入ってしまう。
見るに見かねたレナとリンネは、やれやれといった風体でアイナの下へと向かっていった。名家のお嬢様に大商会のお嬢様が相手となれば、相手はさぞ緊張することだろう。特にここメレティス国内において、アンフィトリシャ商会の持つ力は絶大だ。
もしかしたらメレティス全土に店舗を展開できるかも、なんてのも絶対にないとは言い切れない。あの製造部の乗りのよさを見た後だと、なおさらそう思えてくる。
二人の背中を見送りながらシェリーの監視でもしてようかと、昶は後方を見やる。
すると雑踏の中に一人、異様な存在感を放っている人物がいた。まるでそこに人なんていないかのように、誰にも気に留められることのない。しかし、滲み出る風格は学院の生徒達と一線を隔する、まるで歴戦の魔法兵のよう。
相反する二つの気配が、反発する事無く共存している。
そしてその人物は間違いなく、昶のことを凝視していた。まるでありえないものでも見たような、それこそオバケでも見てしまったかのような。
「あれぇ? あれれぇ?」
その人物は大仰なリアクションをしながら、大股で近付いてきた。
「もしかしてさ、君たちって」
身長は、そこまで高くない。せいぜい、一五〇前半くらい。ストロベリーブロンドの髪をバレッタで束ね、いたずらっ子を思わせる目はまるで猫のよう。
ルビーのように赤い瞳は、にやにやと底なしの、あるいは底を隠した明るさを湛えている。
「レイゼルピナ魔法学院の生徒だったりする?」
ストロベリーブロンドの少女は、後ろで杖の発動体を見ながらあれこれ言っているレナ達を見ながら言った。
「そ、そうですけど?」
「やっぱりね~。見覚えのある制服だと思った。どうりで、すれ違う魔法学校の生徒がみんなピリピリしてたわけだ」
昶の答えに、少女は得心がいったと腕組みをしてうんうんと頷く。
いきなり声をかけてきて、いったい何者なのだろう。
「失礼ですけど、あなたは?」
警戒しつつ、昶は少女にたずねた。
危険ではないが、不審である。ぬぐえない違和感が、いつまでも付きまとう。
一見普通の生徒にも見える。だが、普通の生徒がこんな風格を持ち合わせているだろうか。
答えは否だ。もしかして、また異法なる旅団の関係者なのでは。疑心暗鬼になっている昶の脳裏には、そんなありえない考えまで浮かんでしまう。
「あ~、こめんごめん。私は聖リリージア代表校の生徒だよ。まぁ、コーチみたいなもので、競技に参加するわけじゃないんだけどね」
そんな昶の胸の内を知ってか知らずか、少女は自らの所属を明かす。
聖リリージア、聞いたことのある名前だ。確か、アナヒレクス領に行った時、レナの父親が連れてきたイェレスティオとかいう青年が聖リリージアがどうとか言っていた覚えがある。
「あなた達は、競技に参加するの?」
「えぇ、一応」
とりあえず、敵意は感じられないから大丈夫だろう。警戒はしつつも、昶は相手に合わせて質問に答えた。
とはいえ、油断はできない。他の魔法学校の生徒が敵意むき出しの中、なぜこの人はこんなにも友好的に接してくるのか。それ以前に、どうして見ず知らずの相手に声をかけてきたのか。
「ほうほう。一年生で代表とは、なかなか将来が有望そうな子達だ。ところで君」
そこで、少女の声音が変わった。
先ほどまで瞳の奥底に隠れていた本性が、一瞬だけ垣間見えたような気がした。
「なかなか面白いね」
「面白い、ですか?」
「うん。面白い」
ぞくりとした。まるで、冷や水を浴びせられたかのよう。
こんな感覚、この世界ではほとんど経験がない。あるのは、たった二人だけ。
しかし、あれはどちらもマグスとしては規格外の存在、それどころか一人に関して言えばマグスではなく魔術師であり、下手な戦略兵器よりも危険な存在ときている。
この目の前の少女が、そんな二人と同格だとでもいうのだろうか。
「どこがです。髪の色とか目の色が黒いから、とかですか?」
「あぁ、うん。それも珍しいといえば珍しいんだけどさぁ……」
その理由を、昶は次の少女の言葉で理解した。
「君からは、何も感じられないからさ。不思議だなーって」
「っ!?」
この段階になって、昶はようやく違和感の正体に気付いた。
目の前の少女からは、魔力の気配が全くないのである。そう、まるで魔術師達のように…………。
「そんな警戒しなくてもいいって。大会前に、私も問題は起こしたくないから」
距離をとって腰の刀へと手を伸ばす昶に、少女は大慌てで手を前に突き出して待って待ってと制する。
『それとも、こっちの方がヒソヒソ話はしやすいかな?』
『念話まであっさりできるとか、たまげたな』
耳からではない。今度は頭の中へと、直接言葉が流れ込んでくる。
広く普及してはいるものの、念話を使うにはそれなりの技量が求められる。レイゼルピナ魔法学院の生徒でも、使える者はそこまで多くはない。
逆を言えば、念話の使える術者は一定以上の実力を有しているという証左でもあるわけだ。
『それほどでもないよ。それを言うなら、君だって普通に切り返してるじゃない』
「おっと、こっちでもヒソヒソ話はできないか。あっちの青い子のサーヴァントなら、全部聞けちゃうもんねぇ」
少女はリンネ、より正確にはその頭の上で眠りこけている青い鳥を見て言った。
いったいいつから、自分たちのことを見ていたのだろう。そこに気付いただけでも、凄まじい観察力といえよう。
「まぁ、忠告ってほどではないにしても、一つだけ教えておきたいことがあってね。おっと、迎えが来ちゃったみたいだ」
意識の隙間を縫うようにして、少女は昶のすぐ横まで近寄ってきていた。全く反応できなかった昶は、ただただ目を見開いて驚く。動けなかったというよりも、気付いたら隣にいたのである。
いったい、いつ動き出したのだろう。全く知覚できなかった。まだまだ、この世界にもこんなマグスもいるのか。
「メリッサ先輩! そんなところで何をっ!?」
「あっちに、ちょっと変わったお店があったからさ。行ってみるといいよ」
メリッサと呼ばれた少女は更に顔を近づけると、昶の耳元で意味深な言葉を残した。
雑踏の中で消えそうな声を、昶は確かに聞いた。つまりは行けと、そう言いたいのだろうか。
「それにしても君、聞いてたよりずっと可愛い目をしてるんだね」
似たような意匠の制服に身を包んだ男子生徒にせかされて、メリッサは昶から離れる。
そして最後に、置き土産とばかりに昶の心をえぐる一言を残していった。
「まるで、何かに怯えているみたいだ」
初対面の人間にも見透かされてしまうほど、自分は酷い顔をしているようだ。
メリッサは現れたときと同じように、いつの間にか雑踏の中へと消えてしまっていた。
メリッサの言っていたことがどうしても頭から離れなかった昶は、教えられた場所に向かっていた。
レナ達の気配はしっかりと察知できている。まだ、先ほどの場所から大きく移動していない。
そちらにも気を配りつつ、昶は周囲の人々を注視する。先ほどの場所よりも、さらに奥まった場所だ。日当たりも決して良いとは言えない。
服装や屋台なども、先ほどまでの場所と比べて質素でみすぼらしいイメージを受ける。ついでに言えば、商品の値段も一回り以上安く設定されていた。
いくら混雑していてもあちらは中流層以上の場所で、実際には大半がここのような雰囲気なのだろう。
しかし、その中に見知った顔があるわけではない。そもそも、レイゼルピナ国内ですらほとんど出歩かないのに、学院関係者以外の知人などいるはずがないのである。
だがそうなると、メリッサの言葉の意味が余計にわからない。
もちろん、昶にはメリッサとの面識はない。会ったのは今日が初めてだし、それどころか名前すらも知らないのである。
──そういや、本人の口からは聞いてないな。
メリッサという名前は、彼女を探しに来た生徒が呼んでいたものだ。もしかしたら知らないだけで、誰かの兄弟姉妹という可能性はある。
しかし、それ以上に不可解なことがあった。
──君からは、何も感じられないからさ。
あくまで昶の勘であるが、メリッサは魔力の気配がわかるのではないだろうか。
この世界のマグスは、基本的に魔力の気配を感じ取ることができない。
もし例外があるとするならば、
──域外なる盟約の関係者、なのか……?
そうとしか考えられない。
キャシーラの話によれば、源流筋と呼ばれる魔術師の血を引く家系は、その業を外部へ伝えることを極端に嫌っているが、魔力の察知や制御方法といった全ての術の基礎となるような部分まではその限りでないという。
源流筋でないキャシーラが魔力察知の能力を持っているのは、源流筋の術者からしっかりと指導を受けたがらなのだそうだ。
割合としては非常に少ないが魔力察知のできるマグスはいるものの、そのような人物が会ったこともない人間にあのような言葉を投げかけてくるだろうか。
むしろ域外なる盟約の関係者で、昶のことを少なからず知っていたと考えるべきだ。
実際、キャシーラを昶の下に送り込めるだけの力は持っているのだから、魔法学校に入学させることくらい造作もないだろう。
「あら、アキラ様ではございませんか」
どこからともなく、名前を呼ばれた。それも、今度は聞き覚えのある声だ。
昶は思わず、声のした方向を振り返る。
「お久しぶりでございます。キャシーラから聞き及んでいます。マギア・フェスタにご参加なさるそうですね」
まさか、こんな場所で再会することになろうとは。
「アマネ=ミカド……」
「おや、源流使いの方に名前を覚えて頂けるなんて。身に余る光栄です」
異法なる旅団団長、スメロギ=マサムネの片腕。
そして土御門の流れを汲む源流筋の一門。
アマネ=ミカドはごく自然な振る舞いで、優雅に一礼して見せた。
「魔術師の家系のくせして、よく言うよ。それなら、キャシーラに色々教えてやれっての」
「残念ながら、他者の指導をするほどではありません。まだまだ未熟ですゆえ。その理由も、アキラ様なら存じ上げていると考えますが?」
「まぁ、そうだな…………」
アマネの答えを、昶は否定できない。なぜなら昶もアマネと同じく、自らの持つ術に関してはレナ達マグスに一切教えていないからである。
熟知しているからこそ、安易に教えてはならない。それこそ、この世界の魔法体系を根本から揺るがしかねない。
人外なる存在と戦うために進化した秘匿された魔術と、万人の知るこの世界の魔法との間には、それほどまでの隔たりがあるのである。
「で、あんたらはこんな場所で何してんだ?」
「見ての通りの、御食事処です」
「だから、なんでわざわざ飯屋なんてやってんのか聞いてるんだよ」
「それはもちろん、貴重な外貨獲得の機会だから、です」
なにかおかしなことでも? とアマネはニコニコと笑顔を振りまきながら、手元の葉物野菜を手際よく千切りにしてゆく。普段からよくしているようで、手慣れたものだ。
しかし、昶が聞きたいのはそんなことではない。
「あんたら、域外なる盟約の戦闘集団って聞いてるんだけど。最近は飯屋も兼業してるのか?」
「いえいえ。今のご時世、傭兵だけでは組織の維持はできませんからね。こうしてコツコツ、外貨を稼いでいるのです。我々は、外部との交流を一切持っていませんから」
先日、キャシーラも同じことを言っていた。
域外なる盟約は世界の爪弾き者達が寄り合ってつくられた、共同体のようなもの。彼らは自分達の存在を誰にも知られないよう、外部との交流を一切持たずにひっそり暮らしていると。
わざわざこんな場所でこっそり御飯処をしているくらいなのだから、嘘ではないのだろう。 味もなかなかいいようで、立ち食いの席にも関わらず入れ替わりでどんどんお客が入っている。
また一人、昶の横を通ってカウンターに入っていった。
「もっとも、先日の一件でそちらの元老院保守派の方々から大金を頂きましたので、しばらくは部隊運営も安定しそうです。その節は、ありがとうございました」
ここにレナ達がいれば、即座に暴れ出していたことだろう。
エザリアが王都を襲ったあの事件に、異法なる旅団も一枚噛んでいたようだ。
あの戦いでいったいどれだけの惨劇が引き起こされたことか、それをありがとうなどと。正気を疑いたくなってくる。
こちらを煽っているのか、それとも天然なのか……。
今のは、昶も思わず手が出そうになった。とびかかりたい気持ちをぐっとこらえ、辛うじて平静を保つ。
昂ぶりそうになっていた血流は、寸前のところでいつも通りに戻った。
「組織を維持ね……。親玉の域外なる盟約からは、何の支援もしてもらってないのかよ?」
「そういえば、対外的にはそのように名乗っていましたね」
思い返してみたらまだ説明していませんでしたと、アマネは一言謝って続けた。
「我々は、域外なる盟約からは完全に独立した組織です。字面のインパクトから、域外なる盟約の戦闘部隊とは名乗っていますが、実際にはなんの関係もありません。ですから当然、支援は受けられない、というわけです」
いい感じに揚がりましたねと、アマネは油で満たされた鍋からなにかを取り上げる。
それを先ほど千切りにした葉物野菜に乗せて茶色いソースをかけて、それと湯気をあげる白いご飯!?
昶が目を皿のように見開いている間に、カツ定食が先ほどやってきた客の方へと流れていった。
お米もそうだが、まさか異世界くんだりでカツ定食を目にする日がこようとは。
アマネが日本人の血を引いているというのに、昶は妙に納得がいった気がした。
「あの、アマネ様?」
「先ほどからお話をされているのは、いったい……?」
調理が一段落したのか、アマネの奥から二人の男が顔を出す。
こちらはアマネとは違い、日本人っぽさは全くない。完全に魔力の制御もできているわけではないらしく、わずかながら魔力の放出が感じられる。
恐らくは、キャシーラよりも下位のマグスだろう。
「そういえば、あなたがたにも話していませんでしたね」
アマネは二人を手招きしてそばまで寄ってこさせると、耳元で小さくささやいた。
「こちら、クサカベアキラ様。現在スカウト中の、源流使いの方です」
「オ、オリジッ!?」
「そそそ、それは、失礼しました!!」
昶の正体に気付いたとたん、二人は居ずまいを正して一礼した。
アマネがもういいですからと言うまでそれは続き、ようやく頭を上げたかと思えば二人は戦々恐々といった感じでカウンターでの作業を再開した。
「源流使い、ねぇ…………」
その言葉を、昶は自分の口から発する。
その言葉に込められた、尊敬、畏怖、憧憬、嫉妬、崇拝、恐怖。永遠に届くことのない存在を象徴する、その一言を。
「そんなに貴重なのか? キャシーラやあんたの話からすると、けっこうな頻度でこっちに召喚されてるっぽいんだけど」
「そうですね。魔術とは違った技術や知識を身に付けた方は多くいらっしゃいますが、魔術師を名乗られる方はごく限られます」
と、アマネはそこで一度言葉を切った。
身近にある幻想、とでも言うべき存在なのだろうか。源流使いというのは。
源流使いであることは、本人がその身に宿した術によってしか証明することができない。
物的証拠は何もなく、異世界の存在も観測できない以上、それは周囲の人間が“そう”と認めること──他者の主観によってのみ認識される。まったく、とんだ幻想があったものだ。
「現在、域外なる盟約にいる源流使いの方は、片手で数えられるほどしかおりません。源流筋は、血筋と業は絶やさぬよう、苦心しているので、それなりの数はいますが」
「片手で数えられるくらいねぇ……」
ということは、魔術師が召喚される割合は、二〇、三〇年に一度あるかないか、というレベルなのか。
そう考えれば、確かに源流使いは貴重な存在だろう。
いつまた、周囲の国々から危険視され、討伐隊を送り込まれるやもしれない。
そんな時、源流使いがいればどれだけの戦力になるか。
自分やソフィアがレイゼルピナからどのような扱いを受けているかを考えれば、よくわかるだろう。
下手な軍勢なら、たった一人でもどうにかしてしまう、できてしまうのである。
域外なる盟約が、あるいは異法なる旅団が、魔術師の確保に躍起になっている理由はまさしくこれなのだ。
「ところでアキラ様、そろそろお返事は考えていただけましたか?」
「なんのだよ?」
「我々の下へ来ていただけるかどうか、です」
「あぁ、俺が行かなきゃレナをさらってくって脅してきたアレのことか」
忘れたい悩みを、しっかりとほじくり返してきやがって。
不満を隠そうともせず、昶はげんなりしてアマネにつっかかった。
そして、疑問をぶつける。
「そもそも、なんでいきなりレナが出てくるんだよ。あいつは、なんも関係ないだろ。そりゃ、俺の主ってことにはなってるけど……」
「いいえ、それは違います」
昶が話すのを遮って、アマネは強い否定の意を見せた。
「スメロギ様は、レナ様がアキラ様の主だから、そのようなことをおっしゃったのではございません」
そしてあの時のことを思い出しながら、もう一度否定の言葉を重ねる。
「アキラ様とは無関係に、彼女にどうしてもお聞きしたいことがあるそうです」
これまでの柔らかだった物腰から一転、研ぎ澄まされた闘気が鎌首をもたげた。
昶は身を以って、アマネの実力というものを知っている。
気配まで他人に擬装できる変身術、並の獣魔を圧倒する式神。異世界の地でなお連綿と受け継がれてきた力の系譜は、決して侮れるようなものではない。
それどころか、異世界の地で独自の進化を──自分達の知らない土御門流となっているはずである。
対処を誤ればどうなるか、結果は火を見るよりも明らかだ。
「で、そのレナに聞きたいことってのは?」
「そこまでは、お答えすることはできません。申し訳ありませんが」
アマネは毅然とした態度のまま、深々と頭を下げ謝辞を述べる。
いくらけしかけようと、アマネが答えることはないだろう。むしろ、親玉であるスメロギの方が、調子に乗って応えてくれそうだ。
自分が行けば本当にレナに手出ししないのか、その判断をしたかったのだが。
「重ねて申し上げますが、期限はもうすぐです。良い返事が聞けることを、期待しております。それでは、失礼致します」
それだけ言い残すと、アマネもカウンターの方へと向かう。
この後、メリッサのことを完全に忘れていたのに気付いたのは、しばらく経ってからだった。