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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第二章:汝が力は誰が為に……
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Act13:激突、朱音対ソフィア!

 立ちこめていた水蒸気が、ようやくに晴れる。

 そこにあったのは、底冷えするような不敵な笑みを浮かべて相対する、朱音とソフィアの姿であった。

 桁外れの速度、桁外れの正確性、桁外れの威力。生徒達は別次元の戦いに、いつしか目を奪われていた。

「今のは、本気で身の危険を感じました」

「でしょうね。まさか私も、あんな対応をされるなんて思ってもみませんでしたから。」

 実際の戦闘時間は、地球換算で五分にも満たない。しかしその様子を見つめていた生徒達には、その倍以上に感じられた。それだけ、濃密な時間だったのである。

 足を止め、まるで固定砲台のように炎弾や閃光を連射するソフィア。

 一撃必殺の構えで、辛抱強くタイミングを見図る朱音。

 異なる二つの戦い方を、生徒達は存分に勉強できたことだろう。

「もしかして、さっきのが噂の禍焔術式ヴェルシュタイン・フレアですか?」

「ご想像にお任せします」

 朱音の問いを、ソフィアはやんわりとはぐらかす。

 しかし、朱音の予想で間違いないないであろう。

 まるで絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような、黒に近い混沌とした色の炎。そこから感じられた気配は火精霊(サラマンドラ)ではなく、紛れもない闇精霊(レムレス)のものであった。

 その黒い炎を纏った手で、嵐を纏った朱音の貫手(ぬきて)を防いだのである。

 本能的に抱いた危機感から、朱音は即座に手を引っ込めた。そしてその感覚は正しく、黒い炎をかすめた嵐は、一瞬の抵抗すら許されずに燃え去ってしまった。

「あんたら、もういいよ。帰んな」

 話しかけられた朱音の右腕から、五体の管狐達が次々と飛び出し御守りの中へと帰って行く。

 そして、腰に据えられた刀を、鞘から引き抜いた。

 銘を、小狐丸。稲荷明神と共に鍛えたと伝えられる、刀匠・三条宗近の名刀である。

 朱音が近接武器である刀を抜いたということは、この戦いが終盤にさしかかったことを意味する。

 これまでの、本来の戦いを封じていたとは違う。草壁流の、それも宗家の持つ突破力については、ソフィアもよく理解している。

 近付かれる前に決めなければ、こちらがやられる。いくらソフィアの方が格が上だとしても、草壁流の誇る近接戦での瞬間火力はそれだけの威力を有するのだ。

「それじゃあ……」

 ちゃきっと、朱音は軽く小狐丸を振るう。久々の感触を確かめ、軽く頷く。

「本番、始めさせてもらいますね」

 地面を踏み砕く勢いで、朱音はソフィアに向かって一直線に飛び出した。

 さっきまでより、一回り以上速い。鋭い踏み込みに、ソフィアはとっさに横へとスライドする。

「飛炎、一の太刀」

 一太刀目が空振りに終わったかと思いきや、目は既にソフィアを狙っていた。

 まだだ、まだ続きがある。朱音から発せられる気配に、ソフィアは急ぎ火精霊(サラマンドラ)を引き寄せる。

鳳仙花(ほうせんか)!」

 着地と同時に、小狐丸を振った勢いのままさらに回転し、吼えた。

 ソフィアの方向へ向けて再び振るわれた刃の軌跡から、無数の炎弾がはじけ飛ぶ。その内に内包する威力は、符術とは比べ物にならない。着弾した場所からは、高々と土煙が巻き上がる。

 だが、ソフィアの方も準備は既に終えている。集めていた火精霊(サラマンドラ)で、炎の盾を作り出した。襲い来る炎弾を、ソフィアは難なく防御してみせる。

 それと同時に、四つの火球も既に構成済みだ。この距離で、この速度に対処するには、この数が限界なのだ。

 ソフィアは朱音から距離をとりつつ、炎弾を広範囲にばら撒いく。

 これで朱音は、防御せざるを得ないだろう。その間に盾としていた炎を集め、圧縮する。

 土煙から飛び出したところに、奇襲をしかけるつもりなのだ。

 しかし、土煙を突き破って出てきたのは、朱音ではなかった。

「飛炎、三の太刀──茜穿(あかうがち)!」

 炎を押し固めてつくられた刺突が、弾丸のように向かってくる。

 ソフィアはとっさに、圧縮していた炎で迎え撃った。

 空中で衝突した二人の炎は、巨大な炎球となって消失した。発生した衝撃波は予想以上で、朱音とソフィアも大きく吹き飛ばされた。

「まさか、相殺とは……」

 飛炎の持つ威力に、ソフィアは絶句する。

 これは、想像以上の威力だ。先ほどまでの補助レベルの符術とは違う。近接武器を介した、絶破の一撃。

 早く大勢を建て直さねば。手放しそうになっていた火球の制御へと意識を延ばし、朱音を視界に納める。

 だがその時、既に朱音は猛烈な勢いでこちらに向かってきていた。

 なぜ武器を構えている時の方が、武器を持っていない時より速いのだ。わけがわからない。

「くっ!」

 ソフィアは奥歯を噛み締めながら、とにかく炎弾を放つ。距離を詰められるほど、勝機はなくなってしまう。

 朱音がいくら格下の相手でも、この距離はソフィアの間合いではない。

 五方向から最短時間で炎の閃光を放つのだが、

「オン・シュリ・マリ・ママリ・マリュシュリ・ソワカ!」

 真言を唱えて振るわれた朱音の刀は、なんと炎の閃光を一撃で斬り伏せてしまったのである。

 今のは、真言。烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、インド神話ではアグニと呼ばれる火神の力を、小狐丸へと宿したらしい。

 破魔の力で、魔術すら断ち切るとは。どちらかといえば学問に近い西洋の魔術師達と違い、朱音は退魔を旨とする魔術師の一門。こういった類いの破魔の術も、しっかりと身に付けているというわけか。

 わかってはいたが、この突破力はやはり異常だ。そもそも、正面の自分の攻撃はまだしも、後方からの火球の攻撃はどうやって察知した。

 ソフィアが理不尽さを感じている間にも、朱音は猛烈な勢いで距離をつめてくる。

 焦るな、冷静になれ。ソフィアは自分に言い聞かせ、後退しながら火精霊(サラマンドラ)を牽引する。

 真言によって宿っていた炎は一瞬だけ、今は何も纏ってはいない。破魔の力が宿っていないなら、手はある。

 ソフィアは火精霊(サラマンドラ)を押し固め、炎の盾を作り上げた。

 物質化(マテリアライズ)と組み合わせて作られたそれは、いわば実体を持った炎と言ってもいい。

「飛炎、五の太刀──」

 前方には盾、後方からは炎の閃光。追い込んでいると同時に、朱音も確実に追い込まれつつある。

 常に最善手を選び続けていなければ、結果は簡単に覆る。針穴に糸を通すように、朱音も気を引き締めソフィアを睨みすえた。

紅蓮腕(ぐれんかいな)!」

 ぼわっと、小狐丸が紅蓮の炎に包まれる。それは実体を持った、熱量の塊だ。斬るための刃ではなく、叩き潰すための形状。

 朱音はソフィアの作り上げた炎の盾を、正面から破壊するつもりなのだ。

 炎の塊が、炎の盾へと叩きつけられる。

 ごぉぉぉっ! と、身体の中心まで響くような振動が、二人に襲いかかる。

 これが、異なる炎がぶつかった音だなんて、誰が信じるだろうか。

 巨大な鐘楼を打ち鳴らしたような重低音。それは衝撃波となって、生徒達にまで届いていた。

「なんて馬鹿力ですか……。いくらなんでも、限度というものがあるでしょう」

「とかいいつつ、しっかりガードしてるじゃないですか」

「九割方壊しておいて、どの口がいいますか。まだ崩れていないだけです」

 朱音の炎とソフィアの炎は、ほんのわずかの差でソフィアに軍配が下った。

 しかし、本人の言うように限界だ。厚さ十センチはあろうかという盾であっが、朱音の炎に直接さらされた部位は、一ミリすら残っていない。次の攻撃を受ければ、あっけなく崩壊するだろう。

 故に、

「飛炎、六の太刀──」

 この勝負は、朱音の勝ちだ。

烈火刃(れっかじん)!」

 触れるもの全てを斬り裂く炎は、辛うじて形を保っていた盾を一刀両断にした。




 ちーん、と小気味よい音を出し、朱音は小狐丸を鞘に戻した。戦闘終了を意味するその音を聞いたとたん、生徒達の身体からも緊張が抜け落ちる。

 呼吸すら許されないような圧力に、誰もが冷や汗を流していた。

「以上で、模擬戦を終了します。少しでも自らの血肉にできるよう、精進するように。では、解散」

 ただ一人だけ平気そうな引率のメルチェリーダは、それだけアナウンスすると、どこかへ消えてしまった。

 とはいえ、すぐに動き出す者は一人もいない。誰もがその場に腰をおろし、さっきまでの戦闘を思い返していた。

「何よ、あれ……。レベル違い過ぎでしょう」

 シェリーはそう言うと、座るどころか全身を投げ出して寝転ぶ。

 見ているだけでここまで疲れるなんて。鍛えているはずの身体も、今はまるで数時間の修練後のように重く感じてしまう。

「前半はまだしも、アカネさんが剣抜いてからがすごかったわね……。後ろからの攻撃、普通に斬ってたし」

「それを言うならレナさん……。前半だってアカネさん、攻撃全部かわしてましたよ。空も飛べるなら私でもなんとかできそうですけど、アカネさん、走ってそれをやっちゃうんですから」

 そのシェリーの横に座るレナとアイナも、さっきの戦闘を回想する。特に本気になった後半からは、すごすぎてもはや参考にすらならない領域だ。

 ただし、どれほどすごかったかというのだけは、レナは辛うじて理解できた。二人の戦っている最中にずっと魔力を探っていたレナは、二人の魔力の運用法にただただ驚くばかりであった。

 まず、運用している魔力量そのものが、桁外れに高い。それが術を使う瞬間には、更に爆発的に膨れ上がる。

 普段の放出は最小限に、そして術を使う瞬間には最大限に。

 朱音は肉体強化、ソフィアは火球の維持。それを常に維持しながら、更に別の術も同時に行使し、なおかつそこに最大限の魔力を注ぎ込む。それは到底、マグス達に真似できるようなものではなった。

 昶が、自分はまだ平均レベルだとい言っていたのにも、納得せざるを得ない。

「どうしよ、ソフィアさん。なんか、みんな自信なくしちゃった感じなんだけど」

「どうしようもなにも、わたくし達はただ頼まれたからやったまでです。そこまでの責任は持てません」

 するとそこへ、少しやり過ぎちゃったかなといった風な朱音と、若干悔しそうに眉間にしわを作るソフィアがやってきた。

「いえ、自信とかそういうのじゃなくてですね……」

「違いすぎて参考のしようがないってだけですよ、師匠」

「そうですよ。私なんて飛ぶことしか能がないのに、そういうの全然なかったですし」

 レナ、シェリー、アイナはそうじゃないんですと必死にアピール。

 それを見て、朱音とソフィアはなおさらやり過ぎてしまった感が大きくなってしまった。

 やはり、やるにしてもこの世界レベルに合わせてやった方がよかったのかもしれない。

「しかし、よくわたくしの攻撃を正面から突破してこれたものですね。正直、負けるとは思いませんでした」

「何を仰いますか。あれだけ手加減してくれて」

「え……」

 朱音の口から出た言葉に、レナは絶句する。

「あれでも、まだ手加減してたんですか? ソフィアさん」

 あれだけの魔力に、あれだけの術。速度、正確性、威力。どれをとっても、ソフィアの術はレナの知る中ではトップクラスであった。

 それが、まだ全力ですらないだなんて。

「この人、それこそ地平線とかから狙ってくるようなスタイルなんだから。アイナちゃんも言ってたけど、空だって飛んでないし、術だって本気のやつじゃなかったしね」

 地平線から? 聞いていた三人は、それこそ口をあんぐりと開けて驚く。地平線からって、それでは相手の姿すら見えないではないか。

 しかも、あの凄まじい炎の術ですら、ソフィアの真の実力ではないらしい。魔術師の人達って、いったいどうなっているのだろか。常識の全く通用しない朱音やソフィアに、三人はただ呆然とするだけであった。

「ちょっと待ってください。わたくし、そこまで貴女に話した記憶はないのですが」

 するとそこで、話題のソフィアは待ったをかける。

 しわのよっている眉間に人差し指を添え、こめかみの辺りに浮かんだ青筋をピクピクと震わせていた。

 どうにも、嫌な予感がする。

「あぁ。だって、ここに来る前に聞いた話だし」

「誰ですか! そんな重要な情報を漏えいさせた馬鹿はッ!」

 残念ながら、嫌な予感は見事的中してしまった。他人の秘密をぺちゃくらと他人に話すなんて。しかもソフィアは、そんなミスをやらかしそうなメンバーに心当たりがあった。

「私がここに来る算段を付けてくれた、ビシャなんとかって錬金術師」

「あのヤブ医者錬金術師……。帰ったら目に物見せてやりますわ」

 やっぱりなぁ、とソフィアは半眼のままにたぁっと笑みを浮かべる。

 あぁ、これはヤバいやつだ。危ないクスリでも決めちゃってる感じの……。それはもう、楽しそうに笑っていらっしゃる。早く(物理的に)蒸発させたくてたまらない、的な。

 豹変したソフィアに、レナ達マグス三人は『やっぱりソフィアさんは苦手だ』と再認識したのであった。

「あぁ、でもほとんどの内容は、ネームレスの首領さんから聞いたんだけどね」

「…………お、お姉さま…………」

 だがそこへ朱音はもう一つ、残念な事実を伝える。

 そう、一番やらかしちゃっていたのはソフィアがいましがた怒りを向けた同僚ではなく、自らの敬愛するネームレスの長であったのだ。

 本当に大丈夫なのか、この組織は。

「いや~、嬉々としてしゃべってたよ。『あの子って、近接戦ならCランクにもやられそうになるのよね~』とか。『有視界戦闘だと焦って判断が鈍くなるのが課題でね』とか」

「お姉さま、いくら機械が苦手だからって、昨今の情報化社会でそのようなことを……」

 どうも、同僚はよくても上司には怒れないらしい。怒りたいのに怒れず、ソフィアは半分泣き出しそうな勢いで深いため息をついていた。

 というか、自分の弱点をそんなぺらぺら。言うのなら他人ではなく、ソフィア自身に言ってくれればいいのに。

 欠点そのものは自覚していても言われたことなんてなかったソフィアは、一人だけ背景が真っ黒になる勢いで、どーんと落ち込んでしまった。

「まぁ、いくら怒っても直そうとしないから、というか全然話聞かずに猫なで声で甘えてくるだけだからお灸を据えて来て、って頼まれてたのもあるんだけどね。『近付けば近付くほどボロが出るから、よろしく』って」

「わかりました。大いに反省しましたので、もうやめてください。わたくしが自信をなくしてしまいそうです……」

 手加減していたとはいえ、格下の朱音に負け、敬愛するお姉さまからもそのような評価をされていたと初めて知ったソフィアは、そのまま地面に埋もれてしまうくらいの勢いで、更に落ち込んでゆくのであった。




 朱音とソフィアが練習場で激戦を繰り広げているさなか、昶はまだ自室のベッドで転がっていた。

 別に、眠っているわけでもなければ、眠いわけでもない。眠気も残っていなければ、頭だってさえている。朱音とソフィアが戦闘を始めたことだって、気配だけでしっかりと知覚できている。

 焦っているわけではないが、時間は確実に迫ってきている。腹は決まっているのに、なかなか決めきれない優柔不断さがもどかしい。

 昶が異法なる旅団(テリビリアス)の元へと行かねば、レナが連れ去られる。その期限が、マギア・フェスタの終了時まで。

 どんなことがあろうと、レナに手を出させるわけにはいかない。しかし、今の自分にレナを守り通せるだけの力はない。しかも、昶の中にある魑魅魍魎達の意識がまた昶の身体を乗っ取り、周囲の人々に危害を加える可能性だってある。

 それをどうにかする答えも、異法なる旅団(テリビリアス)は持っているらしい。これだけの要素、答えは決まっているのに、どうして自分は踏み出せないのだろう。

 それが、どうにももどかしかった。数日前までは、時間はたっぷりあると持っていた。一日や二日もあれば、腹が決まるだろうと。

 だが、実際はどうだ。足踏みしたまま、進める気がしない。

 確かに、決心はいささかなりとも鈍ってはいない。異法なる旅団(テリビリアス)の元へと行く。そうすればレナへの危険もなくなるし、昶の中で暴走寸前の力だってどうにかなる。

 だが、決めることと、それを実行に移すのとは、また別のことだ。

 捨てきれない。捨てたくない。せっかく手に入れたものを、全て手放してしまうのがたまらなく恐ろしい。

 それがブレーキとなって、昶の心をぐるぐるに縛り付けているのである。

 こんな自分を知ったら、姉は何と思うだろう。

 男のくせして、女々しいなどとと思うだろうか?

 草壁の術者として、だらしないと思うだろうか?

 それとも見限られ、呆れ果ててしまうだろうか?

 もしかしたら、顔に出さないだけでもう知られてしまっているかもしれない。知っていて、あえて言わないだけなのかもしれない。

 朱音がそうしてしまうだけの理由を、昶は知っている。その原因と言うのは、他ならぬ昶自身なのだから。

 自分があの時、安易に式神を作りたいだなんて言わなければ。そうすれば、姉があんな目にあうこともなかったであろう。

 もしできるのならば、何度あの時に戻ってやり直したいと思ったことか。

「アキラ様、かなり根をつめられているようですが……。その、大丈夫でしょうか?」

 密室だった部屋に、突然自分以外の人間が現れた。ベッドから跳ね起きた昶は、しかし瞳に映った人物を見てすぐに警戒を解く。

「どうやって鍵開けたんだよ。この部屋、一応オートロックらしいんだけど」

「それはその、錬金術でこう……」

 侵入者はちらっと、手に持った鍵をかざして見せた。

 てへへとか恥ずかしそうに笑っているが、やってる行為は全然可愛くない。

「ったく、便利なもんだな……」

 侵入者の名は、キャシーラ=クラミーニャ。レイゼルピナ王国新国王から昶の世話係に任命されたが、その実体はこの世界の魔術師の流れを汲む組織の一員である。

「って、そんなのはどうでもいいんです!」

 ぷんぷんと話をそらそうとする昶を注意したキャシーラは、その目の前までトテトテとやってきた。

「とてもおつらそうで、見てられないんです」

「その原因を作ってるのが、お前らんとこのボスなんだけど」

「それは、そうですけど……」

 と、キャシーラはちょっと困り顔。しかもそのボスからの伝言を伝えたのは、自分であるわけで。

 あぅぅ、どうしたらいいのでしょうか。ため息をついてうつむく昶を見ながら、頭を抱えてうなり始めた。

「あ、あの、そこまでお悩みになられるものなのでしょうか……。キャシーラ、全然わからなくて」

「一緒に居るのは危険だってわかっていても、やっぱ離れたくないんだよ」

 キャシーラをなだめてから、昶はとつとつと語り出す。

 相反する二つの思いに苦しみ、悩み、答えを出せないでいる昶。その姿は、とても少年の物とは思えないほどに重い。それほどまでに、この話は昶にとって大きな問題なのだ。

「キャシーラだって、今の居場所から立ち去らないといけないって言われたら、嫌だろ?」

「確かに、そうですね……」

 居場所。その単語が、キャシーラの胸の奥深くに染み渡る。

「キャシーラの居場所は、今の場所が、初めて…………ですから」

 自分が自分でいられる場所、それはとても尊くて、奇跡的で、何物にも代えがたいものである。域外なる盟約(アウター・レギオン)には、そんな場所は存在しなかった。

 異世界から流れ着いた術者の血族達をただ仰ぎ見て、ただ生きるために己に課せられた責をただ(まっと)うするだけ。その役割を果たせない者は、容赦なく切り捨てられる。

 例え一般的なマグスよりはるかに優秀であろうと、それは同じ。生まれた瞬間に、全てが決まってしまう。

「そういえば、アキラ様は、域外なる盟約(アウター・レギオン)については何もご存じありませんでしたね」

「まぁ、そうだな。名前くらいしか」

「……あの場所は、鳥籠なのです」

 昶に促されて、キャシーラは昶の隣に腰を下ろす。

 そう言えば、この話は外の人に話すのは初めてだな。当時なら、こんなことをすればどうなっていたことか。

 それを思い出して、おかしいような、嬉しいような。でも、正しかったか間違っているかはわからないが、でもあの時に決心できたのはよかったと、キャシーラは再認識した。

域外なる盟約(アウター・レギオン)は、元々は異世界から流れついた方々が集まってできた、共同体のようなものだそうです」

「そういや、今でも集めてるんだったっけ。異世界から流れるいた人達を」

 とまあ、これはレナの父であるロイスから聞いた話であるが。

「えぇ。そこへ、それぞれの集落から追われてきた者達が加わったのが、今の域外なる盟約(アウター・レギオン)です。キャシーラ達は誰にも存在を知られることなく、ひっそりと暮らし続けてきました。ですが、そんな小さな集団がどことも交易を結ばずに生きて行くのは、やはり簡単なことではないのです」

 厳しい環境だからこそ、生きるための道を懸命に模索した。

 その結果が、課せられた役割を淡々とこなすこと。そうしなければ、生きてはいけないのだから。

「しかし、魔術師の方々の力は強大です。その力を恐れた国々から、討伐部隊が幾度となく派遣されたそうです」

 圧倒的な数で押し寄せるマグス達の連合軍。それらの勢力から自分達を守るために立ち上がったのは、他ならぬ魔術師達と、その(わざ)を受け継ぐ本家筋と呼ばれる者達であった。

「彼等は勇敢に立ち向かったそうです。一千倍とも、一万倍とも言われているマグス達に、正面から立ち向かい、そして一人残らず討ち滅ぼしてきました」

 魔術師達は自分達と同じ世界の者達だけでなく、この世界からも見放された者達も分け隔てなく守り通したそうだ。しかし、度重なる戦闘に、やがて魔術師達も疲弊していった。

 魔術師達や本家筋の人々を支えてあげられるのは、自分達だけだ。武器をとる者がいれば、魔法を学ぶ者もいた。頑丈な家を、街を作った者達もいた。水や食料の安定供給に尽力した者がいた。

 そうして助け、助けられ、支え合ってきた結果、今のような本家筋を中核とする域外なる盟約(アウター・レギオン)ができあがったのだ。

「ですが、そこのキャシーラの居場所はありませんでした。本家筋は強力すぎる力の流布を避けるために、術を完全に秘匿していますから。キャシーラの家系はマグスの一族です。だから、少しでもみんなの役に立てるよう、魔術を学びたかったのです。しかし、いくら教えを請うても、追い払われるだけで。それどころか、他の人々からも忌避されるようになってしまいました。教えていただけるのは、公開されている魔力の感知と制御する技術だけです」

 どれだけ憧れても、手を伸ばしても、決して届くことはない。

 同じ場所に住んでいながら、本家筋とそれ以外の術者の間には明確な(へだ)たりがある。

 知らなければ、まだよかったかもしれない。

 はっきりと届かないとわかっていれば、まだ救われていたかもしれない。

 しかし、どうしても知ってしまう場所に居る。手の届きそうな場所に立っている。

 キャシーラの魔術師に対する過度な憧れは、決して手の届かないことへの裏返しなのだろう。

「そんな、域外なる盟約(アウター・レギオン)の中でも居場所のなかったキャシーラに手を差し伸べてくれたのが、スメロギ様と、アマネ様だったのです」

 本家筋でない自分も、本家筋であるアマネも、魔術を教えることはできない。けど、学べるだけの環境なら用意してやるぜ。だから、来ないか?

「嬉しかったです。学んでもいいんだって、そう言ってもらえたことが」

 もちろん、キャシーラはそれまでスメロギにも、アマネにも会ったことは無かった。

 でも、迷いはなかった。与えられた場所で、定められた生き方しかできない域外なる盟約(アウター・レギオン)。自分を殺して生きてゆかなくてもいいだなんて、そんなことを思ってもいいだなんて。そこが初めて、キャシーラにとっての居場所になったのである。

「定められた生き方しか、できない場所、か……」

 それはそれで、確かに息がつまりそうだ。閉鎖的な昶の生まれ故郷よりも、もっと酷い。

「キャシーラにとっては、真・域外なる盟約ヴェルム・プロスペリスが居場所ですが、アキラ様には学院こそが、自分でいられる場所なのですね。納得いたしました。確かに、それは決めかねますね」

「俺も、この世界に来るまでは、居場所なんてなかったからな。色々と後ろめたいことがあって、親にはやりたくないことを強制させられてさ。すごく、居づらかった。だからさ、こっちの世界って、ものすごく居心地がよかったんだよ」

 今いる場所が、自分にとっての初めての居場所。そう言う意味では、二人はよく似ているのかもしれない。

「キャシーラは、どちらを選ぶにしても、アキラ様のお考えを尊重いたします。キャシーラだって、今の居場所を捨てるなんてこと、できませんから」

 昶は、そこで目を見張った。それは、本来キャシーラに課せられた役割とは、反する言葉だからだ。

 しかし、それすらも許容してくれる場所なのかもしれない。キャシーラの言う、真・域外なる盟約ヴェルム・プロスペリスは。

「ですが、これだけは、はっきり言えます。真・域外なる盟約ヴェルム・プロスペリスは、決してアキラ様の考えていらっしゃるような場所ではございません。スメロギ様の言葉は本物です。アキラ様が加わってくれるのならな、スメロギ様は本気でアキラ様のために動いてくれます。あのお方は、そんな方なんです。ただ、ちょっと……かなり不器用なところはあるんですけど」

 最後の方はやや自信がなさげだったが、それが昶を引き込むための方便とは、とても思えなかった。

 安心するように、誇るかのように、そして慈しむように、キャシーラは微笑んでいたのだから。

 救われたと言うのは、きっと事実なのだろう。同じように居場所を見つけた昶には、それがよくわかった。もっとも、自分に合うかどうかについてはわからないままだが。

「少し、おしゃべりが過ぎてしまったようですね」

「いや、ありがと。おかげで、なんとなく気分が軽くなった」

 とりあえず、ちょっと外で新鮮な空気でも吸ってくるかと昶はドアへと向かう。

 そんな昶に、キャシーラは背後から抱きついた。

「アキラ様がどちらを選ぼうとも、キャシーラは着いて行きます。悩み事があるのでしたら、どうぞキャシーラにご相談ください。それからくれぐれも、ご無理はなさらないでください」

 キャシーラの湿った声に、昶は振り返らずに聞き返す。

「どうして、そこまで言ってくれるんだ。そんなことを言われるような仲でもないと思うんだけど」

源流使い(オリジネイト)に憧れるバカな女、とでも思っておいてください」

 キャシーラは昶を解放し、行ってらっしゃいませと小さく手を振る。

 何を考えているかわからないキャシーラに頭を捻りながら、昶は部屋を後にする。

 ──今度は、キャシーラが誰かをお救いする番、ですからね。

 ドアを閉める瞬間、キャシーラが何かを行ったような気がしたが、それが昶に聞こえることはなかった。

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