第三話 初めてのおつかい Act02:リンネと一緒に
シェリーの部屋を片付けてから、ずいぶんと時間が経った。
現在の時刻はネフェリス標準時で六時前。地球で言えば、十二時前に相当する時間だ。
講義はすでに折り返し地点を過ぎており、もう少しでこの講義も終わる。
滑らかな手つきで黒板にチョークをすべらせているのは、この講義の担当であるディアムンド=ラ=ミリティファナ。
深緑に染まる頭髪を後方へと流し、切れ長の目は琥珀色の瞳を有す、学内では若手ながら実力派の教師である。
また、かなりの美形で、一部の女生徒からは憧れの的だとかなんとか。なんでも、右目の下にある泣きボクロに痺れるらしい。
ちなみにレナもリンネも、あとシェリーもその一部には入ってはいない。
だが、落ち着いた聞き取りやすい声音と、わかりやすく実践的な講義をしてくれるのもあって、レナの中では非常に優秀な教師として記憶されている。
「…………から、慣例的に地・水・火・風に次ぐ第五の属性と呼ばれている。物質化された魔力は静止時の質量がゼロなのは先ほど説明したが、運動時には圧縮された魔力に応じて質量が発生し…………」
今もディアムンドの口からは、つらつらと物質化についての講釈が述べられている。
余計な部分を一切排し、しかし大事な部分を確実に押さえた完璧な要約だ。
学校の教師が全てディアムンドのような講義をしてくれれば、どれだけいいだろうか。なんてことも思ったりすることも、しばしばである。
──なるほどねぇ、今度練習してみようか。
そのレナの隣には、ディアムンドの講義を真剣に聞いている昶の姿もあった。
昶の使用する術式の中に物質化の技能が必要なものはないのだが、習得している技能は多いに越したことはない。
もしかしたら、意外な所で役に立つかもしれないのだから。
それはそれとして、昶はディアムンドの講義に耳を傾けながら、教室をぐるりと見回した。
それから、隣でノートを取っているレナの肩をちょんちょんと突っつく。
「なに?」
それに反応して、レナはノートから昶の方に顔を向けた。
頭の回転に合わせて、ふさぁっと舞った髪の毛から甘いシャンプーの香りがただよう。
エメラルドのような愛らしい瞳が、まっすぐに自分を見つめていた。
たったそれだけのことなのに、昶の心臓はどくんと大きく脈を打つ。
怒った時はとにかく怖いが、こういうなんでもない時のレナの瞳は、本当に綺麗だと思う。
不意打ちのように向けられるその瞳は不思議な魔力でも持っているのか、昶はついつい我を忘れて見入ってしまうのだ。
「……ア、アキラ?」
いつまで経っても自分を見つめるばかりでなにもしゃべらない昶に、レナは首をかしげた。
しかもなんか、こうもじぃぃぃっと見つめられると、無性に恥ずかしくなってくるのだ。
もうさっさとしゃべりなさいよ、とレナは胸の内で思いを巡らせる。
「あぁ、うん。いや、そういえばけっこう席が空いてると思って」
レナの顔がいよいよ赤くなろうかという時になって、ようやく遠い世界から帰還した昶は先ほど思った言葉を口にした。
それを聞いたレナも、沸騰しかかっていた思考を落ち着かせて、周囲の状況を観察する。
「確かに……、そうね」
昶に言われるまで気にも止めなかったが、いつもより欠席している生徒が多いようだ。
普段なら多くても四人ほどの所が、今日は十人近くも休んでいる。
元々座席には余裕を持たせてはいるものの、講義室の座席数はけっこうギリギリだ。
そこへ昶が楽々座ることができたのも、そのような理由があったからである。
それに、時折咳き込む生徒が何人もいることを鑑みると、
「風邪でもはやってるのかしら?」
「そうなんじゃね? 他にも風邪っぽいの、何人かいるし」
そう結論付けるのが妥当であろう。
それならあの頑丈なだけが取り柄みたいなシェリーが、風邪をこじらせたのも頷ける。
「シェリーのやつ、大丈夫かな。さっきは元気そうだったけど」
「今頃お医者さんの診察を受けて、大人しくベッドで横になってるんじゃないの? それに、セインもいることだし」
──セインねぇ……。
昶としては、そのセインが心配だったりするのだが。
レナが講義を受けている間、昶はセインにも剣の手ほどきをしている。
セインたっての希望もあって、シェリーには内緒で行っている修練だ。
そういった経緯もあって、セインとはある程度深い仲の良い昶であるのだが、セインはとにかく口下手なのである。
コミュニケーション能力に全く自信のない昶から見ても、壊滅的なほどにひどい。
正確な発音と明瞭な発声は情報伝達手段としては確かに優れているのだが、とにかく会話するという行為そのものがアレなのである。
昶も会話能力が低いのも手伝って、いつも話しが続かないのだ。
そんなセインを話し相手にして、果たしてシェリー暇を持て余さずに済んでいるのかどうか。
「とにかく、軽く昼食を済ませてから、様子を見に行くから。どうせ、アキラも来るんでしょ?」
「そりゃ、気になるからな」
特にセインがちゃんとシェリーの話し相手を努めているか、という点で。
「そこ、レナ=ド=アナヒレクスとそのサーヴァント。仲が良いのはいいことだが、講義中の私語は慎めよ」
二人としてはちゃんと小声で話していたつもりなのだが、ディアムンドの耳にはしっかりと聞こえていたらしい。
いったいどんな地獄耳してるのよ、と口をついて出そうになるのをレナはなんとか堪えた。
昶に聞こえないくらいの音量だったとしても、あのディアムンドなら聞きとりかねない。
それでまたいじられるのだけは、レナもごめんである。
周囲から聞こえるくすくすという小さな笑いに顔面を真っ赤にしながら、レナは黒板の板書を大急ぎでノートに写していった。
レナと昶が大変恥ずかしい思いをした講義も終わり、そこへリンネも加えた三人は手早く昼食を済ませた。
それからレナは厨房で残った果物をもらい、それを土産に三人はシェリーの部屋へと向かう。
「てか、余り物なんかでいいのかよ?」
「いいのいいの。どうせ、味の良し悪しがわかるほど、繊細な味覚でもないんだから」
「…それは、ちょっと、ひどいんじゃあ……」
今日もレナのシェリーに対する評価は、辛口全開である。
毎度のことであるし、二人ともシェリーの人となりを知っているだけに、レナの言葉が正鵠を射ているのは間違いないのだが、もう少し言葉を選べばいいのにと思わずにはいられない昶とリンネであった。
もっとも、レナのシェリーに対する物言いが酷いのは、今に始まったことでもないのだが。
「まあ、もらったまではいいとして。腐ってはないだろうなそれ。余り物って、廃棄処分の予定だったやつとか?」
「大丈夫よ。それくらいの見極めなんて、できて当たり前なんだから。良いものを見定める眼力くらいなきゃ、魔法戦闘で相手の魔法を見切るなんて真似できるわけないじゃない」
まあ確かに、洞察力と言う意味合いではその通りである。
しかし、果物の良し悪しを見極める能力と、魔法の本質を見抜く能力は全くの別物だということを、果たしてレナは理解しているのやらいないのやら。
「…腐ってたら、食べなきゃいい、だけだし。それに、シェリーも喜ぶと思うし。だからぁ、えっと」
「リンネ、もうちょっと落ち着いてから話そうな」
と、ほとんど暴言みたいなレナの言葉に、フォローを入れようとしてわたわたしてしまっているリンネをなだめる昶。
「…ぅ、うん」
昶に言われてから、相変わらず低いままのコミュニケーション能力に、リンネはがっくりとうなだれた。
と、そんな風に他愛ない話しをしている内に、三人はシェリーの部屋の前へと到着する。
今回は風邪を引いているのを考慮して、コンコンコンと、レナはノックの回数を三度ほどにとどめた。
優しく叩かれた扉は、同じく三度軽やかな音を上げる。
それから少し遅れて、ごそごそと布団のこすれる音が扉を介して伝わり、ノックから十数秒してようやく部屋の扉が開いた。
「らっしゃーい、待ってたわよぉ。っくち!?」
シェリーの可愛いくしゃみに迎えられ、三人はそそくさと部屋の中へと入った。
「それで、お医者さんにはちゃんと診察してもらったんでしょうね?」
レナはテーブルに果物の入った籠を置くと、今朝と同じようにベッドの縁へと腰をかけた。
勉強机とセットになっているイスではリンネが足をぷらぷらとさせ、昶とセインは壁に背を預けたまま立っている。
「そりゃ、私だって早く治したいもん。苦手なの我慢してぇ、すみからすみまでちゃんと診てもらったわよぉ」
「それで、結果はどうだったんだ?」
「ただの、流行りの風邪だと言っておられました」
昶の質問には、隣でなんとなく気落ちしているらしいセインが答えてくれた。
こうなっている原因は恐らく、昶が危惧していな事態が起こったのだろう。
口下手なせいで話し相手すら務まらなかったという、悲しい事態が。
「安静にしてぐっすり寝てればぁ、来週には治るだろうってぇ」
「あれ? 薬とかはもらわなかったの? けっこうひどい熱が出てるのに」
「うん、さっきセインが言ってたけどぉ、最近風邪が流行っててさぁ、そのせいでストックしてた風邪薬、全部なくなっちゃったんだってさぁ」
「…薬、いつ、届くの?」
「早くてもぉ、休みが明けてからだってぇ、言ってたわよぉ」
二人からの質問に、億劫そうに間延びした調子でシェリーは答えた。
風邪薬は、飲み始めは早ければ早いほどいい。
それが、早くても三日もかかるという。
これでは、いくらなんでも遅すぎる。
シェリーが一番辛いのは、高熱の出ている今この瞬間なのだ。
「…私、買ってこよう、か?」
静寂を破って、ぽんと、リンネの口からそんな言葉が転げ落ちた。
それを聞いたレナと辛そうにしていたシェリーは、リンネの方を振り向く。
「そりゃ、買ってきてくれるなら、その方がいいけど……」
「いいってぇ、そんな気ぃ使わなくたってぇ。ほらぁ、私ってばぁ、体力には自信あるからさぁ」
「…でも、辛そうだし。そ、それに、前に私が風邪ひいた時も、シェリー、看病してくれたし……。だから、ちょっとは……恩返しが。私ばっかり、してもらってたら、嫌ってわけじゃないんだけど。その、私もシェリーに、なにかしてあげたくて、うぅぅ……」
レナもそしてシェリーも止めようとするのだが、必死になって言葉を紡ぐリンネの目を見ると、もうそんなことを言えなくなってしまう。
引っ込み思案で、なかなか人と目を合わせるのが苦手なリンネが長時間、それも視線をそらしそうになるのを頑張って堪えている姿を見せられては、もう誰にも止めることはできないだろう。
それに、リンネはこう見えても頑張り屋さんなのだ。
いくら理由を付けても、絶対に首を縦には振らないに決まっている。
仕方ないわねぇ、といった風にレナはため息を一つつくと、
「わかったわ。あたしも一緒に行くから、買いに行きましょ」
リンネに、呆れを含んだ笑みを向けた。
一方でリンネの方も安心したように、肩の力を抜いてレナに微笑みかける。
レナの思っていた通り、言い出したのは良いものの心細くてたまらなかったのだろう。
もっとも、リンネを一人で行かせることの方がシェリーの病状より心配なので、最初から付いて行くつもりであったのだが。
それじゃあ、とレナはベッドから腰を上げた。
と、その時、
「だぁ~めぇ!!」
「へばふっ!?」
レナが顔面から床へとダイブした。
そして昶は顔がボッと赤くなった。
「いったた……。もう、なにすんのよシェリー?」
「だってぇ、セインったらさぁ、会話が全然繋がんなくてぇ」
と、レナは足下に、なにやら違和感のようなものを感じた。
なんとなく、すーすーするような気がする。
「お願いレナァ、ここにいてぇ。このままじゃ私ぃ、退屈で死んじゃうよぉ」
そして、レナの前で涙目になって懇願しているシェリーの手には、焦げ茶色の布地が。
これはきっと気のせいだ。気のせいに違いない。
だがまあ、一応確認だけはしておいた方がいいだろう。
「今度食堂で売ってる一番高いデザートおごってあげるからさぁ」
そう思って、レナは自分の足下へと視線を落とした。
「シェ、シェ、シェリーのバカァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
シェリーの部屋に、鼓膜を突き破らんばかりにレナの怒号が木霊した。
「……ひでぇ目にあった」
「…レナにも、悪気があったわけじゃないし、えっと、ごめんなさい」
昶とリンネの二人は現在、校門近くに建てられている厩舎の前までやって来ている。
ここでは学院の先生や生徒達が、移動時に使う馬が飼育されているのだ。
本来ならリンネと一緒に行くのはレナだったはずなのだが、なぜレナではなく昶が一緒にいるのか。
その理由は、二人がほんの少し前までいた部屋の主にあった。
「シェ、シェ、シェリーのバカァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
防音処理が施されていようと関係ない。
間違いなく他の部屋まで、レナの悲鳴のような怒号は聞こえたことだろう。
「ゥア、ッアァ、アキラ、なにこっち見てんのよ! このバカ!」
「いでっ!?」
レナの投げたぶっとい参考書(シェリーの物)が、昶の顔面へと炸裂。
背表紙の部分が鼻を直撃した昶は、じくじくと鼻血を出しながら後方へと勢い良く倒れ込んだ。
更に落下の瞬間に後頭部を強く打ち、頭の前と後ろを押さえて悶絶する。
レナは目を潤ませながらも、昶のことをギロリとにらみつけた。
全身の血液が集まったみたいに、頬や額や耳や首までをかぁっと赤く染めている。
なぜレナがこんなに怒っているのかと言えば、それは自分が今とんでもなく恥ずかしい状態にあるからである。
崩した正座のように床にべちゃりと座るレナは、その足の付け根の部分を陶磁器のように白く滑らかな手で必死に隠していた。
その手に隠された部分のすぐ横からは、パステルカラーの淡いピンク色をした布がのぞいているのだ。
よく見れば、その布の縁が可愛らしいレースやフリルで飾られていることがわかるだろう。
つまりレナは今、スカートを穿いていないのであった。
「シェリー! 早くスカート返しなさいよ!」
しかし、シェリーはレナの要求を軽くスルーしてその肢体、より正確には太ももへと視線を注いだ。
黒いニーソックスの縁はうっすらと太ももに食い込み、そこから骨盤までを瑞々しい肌が蠱惑的なラインを描く。
手と同様、陶磁器のように白い肌はただ白いだけでなく、血色もよく非常に健康的だ。
あそこに顔をうずめられたらむちゃくちゃ気持ちいいんだろうなぁ、とか思い始めたシェリーの口から、じゅるりと涎が垂れた。
「シェリィイイイ!」
「はッ!?」
ようやっとどこか遠くの世界から帰還を果たしたシェリーは、今にも泣きそうになっているレナにスカートを返す。
むしり取るようにスカートを取り戻したレナは、懸命に涙を堪えながら素早くスカートを穿いた。
そして、
「アキラ!」
レナは昶に背中を向けたまま叫んだ。
今も肩がなわなわ震えており、それがどれほど恥ずかしかったかを物語っている。
「ひゃ、ひゃい……」
鼻をさすりながらようやっと立ち上がった昶は、びくびくしながら次に続くレナの言葉に耳を傾ける。
「リ、リンネと一緒に、く、薬買ってきなさい。今すぐに!」
「わ、わたりました!!」
レナとは別の意味で羞恥心に耐えかねた昶は、逃げるようにシェリーの部屋をとび出したのだった。
その後を追いかけるように、リンネもそそくさと部屋を後にする。
「ありがとねぇ、レナお姉ちゃ~ん」
「あんた、いい加減にしなさいよ……!」
レナは怒りと恥ずかしさで顔を赤くし、シェリーは気まずさから顔を真っ青にする。
そしてセインは、いつの間にか姿を消していた。
以上のような理由から、レナの代わりに昶がいるというわけだ。
基本的には単なるつきそいだが、なにかあった時は自分がリンネを守らなければ、と昶は自分に言い聞かせる。
リンネはまず、厩舎に併設されている宿直室へと向かった。
ここで簡単な書類手続きさえすれば、すぐにでも馬を借りることができるのである。
リンネは昶にも勧めたのだが、いかんせん昶は馬に乗れないのでそこは丁重にお断りした。
厩舎に入ったリンネは、宿直室で借りた馬具一式を、大人しそうな馬に手際よく装着していく。
てっきりこういうのは苦手だろうと予想していた昶にとっては、けっこう衝撃的な映像である。
リンネは手綱を引いて馬を厩舎から出すと、今度は見ている方がそわそわするほど危なっかしく馬の背中に乗った。
案の定、上手く乗れる自信はなかったらしく、大きく肩を落としながらほっと一息つく。
それから馬具に付属している発動体の固定具へ、細身の杖を差し込んだ。
リンネの方は、これにて準備完了である。
「大丈夫。俺は肉体強化あるし、走ってくよ」
リンネはこくんと頷くと、ぱしんと手綱を振るう。
それに呼応して、馬もゆっくりと走り始めた。
昶は体内を流れる五行を繰って身体能力を向上させると、馬と併走するようにして駆け出した。
学院を出たリンネと昶は、一直線に南下する進路を取っていた。
と言うより、それ以外に道がないと言った方が正しい。
王立レイゼルピナ魔法学院は、魔法という危険なものを扱う学校ということもあって、周辺の都市や村々から離れた位置に建てられているのだ。
もっとも、一番近い街なら馬をとばせばネフェリス標準時で五分ほどでたどり着くのだが。
だがリンネは馬に乗るのが苦手なのか、それとも昶がいるのであまり速度を出さないようにしているのか、けっこうゆっくりめに走っていた。
ちょうど、普通の人間が軽くランニングをする程度の速度だ。
それでも長時間続ければ疲れてくるものなのだが、昶は肉体強化の術式を用いているのでまったく平気である。
「…あの、大丈夫?」
「ん? なにが?」
「…その、ずっと、走りっぱなし、だから」
「あぁ、別に大丈夫だって。むしろ、もう少し速くてもいいくらいだし」
心配そんなに表情を曇らせているリンネに、昶は苦手な笑顔で答えてみせる。
無意識にならできるのだろうが、意識してやろうとするとどうしても不自然になってしまう。
だが、それでもリンネには昶の気持ちは伝わったようだ。
曇っていた表情は、ぱぁっと晴れて、見ているだけでぽかぽかとあったかくなるような微笑みに変わった。
そしてついでに、馬の速度も少しだけ上げる。
昶も置いて行かれないよう、歩幅を少しだけ広げた。
「そういやさ、リンネって手先は器用な方なのか?」
「…ん? どうして?」
「乗馬には慣れてなさそうなのに、馬具取り付けるのがすっごく早かったから、ちょっと気になって」
リンネは一旦昶から視線を外し、しばし思案してから再び向き直ると、
「…たぶん、器用な方だと、思う」
と、ちょっぴり恥ずかしそうに答えた。
すると昶の方も、あることを思い出した。
「そういや初めて会った時も、シェリーのオルゴール直してたっけ」
「…あ、うん。そうだった、かも」
あれは未だ昶の記憶にも鮮明に焼き付いている、嬉しかったのか恥ずかしかったのか、それとも怖かったのかよくわからない事件の日の朝の出来事だ。
鼻血を出しそうになりながらレナを着替えさせ、しかもレナを背負って部屋を出た時にシェリーの隣にいた女の子。
それがリンネである。
今にして思えば、レナは友達であるシェリーやリンネとの時間を削ってまで、自分のそばに居てくれていた。
やっぱり、普段はあんなだが、優しくて良い子なんだと昶は再認識した。
「オルゴール直せるってことは、機械とかにはけっこう強かったりは?」
「…ぅん、私の、家……そういうの、やってて。私も昔から、だから……機械は、けっこう得意」
「へぇぇ、意外だなぁ。得意なんだ、機械」
「…うん」
今度もちょっと照れながら、しかし少し誇らしげにリンネは微笑んだ。
つまり馬具を装着すれ手際が鮮やかだったのは、機械いじりで培われた手先の器用さの成せる業だったのだろう。
だがリンネが機械をねぇ、と昶はペンチやドライバーを手にするリンネの姿を思い浮かべてみる。
正直言うと、全然似合わない。
もっと言えば、機械油にまみれながらなにかを組み立てているリンネの姿なんて、イメージすらできない。
でもリンネが嘘をつくわけもないし、信じられないが本当のことなのだろう。
人間ってものはつくづく見た目だけで全てを判断してはいけないと、昶は考えを改めるのだった。
しかし、それと同時に今度は別の疑問が昶の脳裏に浮かんだ。
「じゃあ、なんで魔法学院に?」
機械いじりが得意なら、魔法の勉強をする必要もないだろう。
詳しくは知らないが、魔法を学ぶ学校があるなら、そういうことを専門に学ぶ学校があってもおかしくはない。
先ほどの表情からも、嫌いでないことくらい察しは付く。
いや、そこに一種の矜持のようなものを持っている、と言い換えても良い。
それなのになぜ、リンネは魔法学院で魔法を学んでいるのだろうか。
「…私の国、魔法がすっごく遅れてて。それで、ちょっとでも……国のためになれば、いいなぁって」
「国?」
「…う、うん。言ってなかった、かな? 私、留学生なの。メレティス王国って、レイゼルピナの隣の国の」
「初めて聞いた。そっか、留学生なのかぁ」
こくん、とリンネは小さく頷いた。
そういえば、レナやシェリーからそんな話を聞いたことがあるような…………いや、やっぱりないか。
まあ、別に自分に言うようなことでもないし、昶自身もそれを気にするような質でもない。
そんなことを言ったら、異世界人の身の上で女の子の部屋に居候させていただいている上に、学院長には生徒でもないのに色々と便宜を図っていただいている自分なんてどうなるんだ、と昶はリンネからは見えないよう顔を背けて苦笑いした。
しかしまあ、人種的な違いがないせいか今まで全く気が付かなかった。
もっとも、リンネが隣国からの留学生なんて新事実も、機械いじりが得意だったということの前には、霞んでしまうのであるが。
「そういや、機械が得意なのは家がどうこうって言ってたけど、具体的にはなにやってんの?」
「…えっと、基本的には、金属の加工……かな。あと、それを、組み立てたり。錬金術、使えると便利……だから。それを、今……がんばって、るの」
「なんか、けっこう本格的なことしてるんだな」
昶の問いに、しかしリンネは首を横にふるふると振って否定した。
それから、どこか遠くを見るようにして続ける。
「…私は、その、ちょっとつつかせて、もらってただけで。そういうの、まだ……、全部教わってない」
「でも、シェリーのオルゴール、直してたじゃん。あれだって、十分すごいと思うぜ」
「…あれは、歯車とか、ちょっと、割れてただけで。たぶん、高い所から、落としたんだと……思う、けど。その、割れてたの、錬金術で、くっつけただけ、だから。すごくも、ないょ」
「そんな謙遜しなくてもいいって。俺なんかじゃ、絶対直せないだろうし。少なくとも、俺にとってはすごいんだから、ここは素直にほめられとけって」
「…うぅぅ…………」
リンネはまるでレナみたいに顔面を真っ赤にさせると、遠くに見え始めた街に視線を固定したまま、馬を加速させた。