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マグス・マグヌス  作者: 蒼崎 れい
第二章:汝が力は誰が為に……
147/172

Act08:最後通告

 湯船で茹で上がったレナとアイナとソフィアは、他のメンバーに介抱されながらようやく宿についた。さすが学院が用意した宿なだけあり、部屋はそれなりに広く全て個室だ。

 ソフィアはシャリオに、アイナは朱音に、レナはシェリーに肩を借りて、それぞれの部屋のベッドに潜り込んだ。

「それじゃみんな、また明日ね」

 三人を部屋に送り届けると、シェリーが解散宣言をする。

「…アキラ、それで、電気機関車の話を」

「わかったわかった。話してやるから、まずは部屋行こうな。ここだと邪魔だから」

「昶、手出すんじゃないわよ」

「み、みなさん、おやすみなさい」

 これでようやく、一日が終わる。と思いきや、昶はリンネに連行されて行ってしまった。

 それを朱音が冷やかし、シャリオは全員にお辞儀をして自分のあてがわれた部屋へと向かう。

「う~ん、みんなどっか行っちゃったわね。で、シェリーちゃんはどうするの?」

「そうですねぇ。実はちょうど程よい眠気が来てて。ふわぁぁ……。このまま寝ちゃいます」

「そっか。じゃ、おやすみ」

「はい。おやすみなさい」

 シェリーを見送り、朱音はついに一人になった。この数日、なかなか慌ただしい毎日だった。

 実際、旅行気分で昶達を連れ回して、まさかの異世界は新鮮な経験がいっぱいで。空を飛ぶ船に乗れるなんて、夢にも思っていなかったが。

「さーてっと……。昶はリンネちゃんに捕まってるみたいだし、調度良いかな」

 朱音は自分の荷物をもって、あてがわれた部屋へと向かう。

 昶には好きにするよう言っているが、やっぱり自分の思いは伝えておかねばならない。特に、あの子達には……。




 お風呂でソフィアとそろってのぼせてしまったアイナであるが、冷たいベッドでごろごろしている内にかなり楽になってきた。

 初めて乗った水蒸気機関車の旅は、想像以上にキツいものだった。

 速度は遅い、座席も狭い、しかもがたがたよく揺れて気持ち悪い。

 マグスがいなくても動かせるのは確かにすごいけど、どうせなら楽な方がいい。しかもアイナにとっては、初めての外国である。

 新しい環境というのもあって、いつも以上に疲れてしまった。

 あぁでも、温泉はよかったかも。木の臭いが少しキツすぎたけど、気持ちよすぎてつい浸かり過ぎてしまった。お湯の温度も、心なしか高かったような気もする。

 それにしても、まさかソフィアやレナと一緒に運ばれてしまうなんて、不覚だ…………。

 アイナと一緒にいたソフィアはともかくてして、レナはなぜのぼせてしまったのだろう。朱音達となにやら盛り上がっていたようであるが。

 するとコンコンと、部屋のドアをノックする音がした。こんな時間に、いったい誰だろう。

 けだるい身体を起こして、アイナはドアを開いた。

「……ちょっと、いい?」

「……はい、どうぞ」

 やってきた客人は、アイナと同じくのぼせた果てに昶に介抱されていたレナだった。

 例のアイナが昶に告白した日以来、会話らしい会話はほとんどしていない。

 二人以外の人がいる時ならともかく、誰もいない場所では目線すら合わせないまでになってしまっている。

 そんな険悪な状態ではあるが、アイナはレナのことがよくわかっていた。だからなぜ、今レナが来たのかもわかっている。

 自分と同じく、あの人に思いを寄せている相手だから。

 ありがと、と短く答えてレナはアイナの部屋へと入った。

 一応は寝間着へと着替えているアイナとは違い、レナはまだ制服のままである。

 ベッドに腰かけるレナと向かい合うように、レナは室内の椅子を持ってきて座った。

「それで、どんな用で来たんですか?」

「わかってるくせに、何言ってるのよ」

 それはそうだ。今の自分とレナの間にある共通の話題なんて、

「あんたがどうするつもりなのか、もう一回確認しようと思って」

 昶のことしかない。

「アカネさん、アキラのお姉さん、来たじゃない」

「はい。とってもいい人ですね。あまり、お姉さんって感じじゃありませんでしたけど」

「けど、やっぱりすごい人よ。全力出したシェリーが、手玉に取られるくらいだから」

 昨日のフィラルダや今日の温泉でのシェリーの心酔具合を見れば、朱音がどれだけ強いのかわかる。そして恐らくレナ達がよく知る昶よりも、朱音は強いのだろう。

 だが、レナはそんなことを話しに来たわけではない。

 もう一度確認する。そこ言葉に隠された意味くらい、アイナにも察しが付いていた。

「それで、あんたはどうしたいのよ? 気持ちは変わった?」

「何のことですか? 言ってくれなきゃ、わかりませんよ」

 なにを知らないふりをしているのか。レナの胸中に、ふっと怒りが沸き上がってくる。

 きゅっと拳を握り思わず振り上げそうになるが、レナはそれをぐっと堪えた。今この場で力に訴えたところで、何も変わりはしない。それにレナの拳では、アイナには届かないだろう。

「アカネさんがアキラを迎えに来たことくらい、あんただってわかってるでしょ。いつまで逃げてるつもりなの」

 だから、言葉で訴えかける。今日までに、昶とは何度も話をしてきた。

 昶の国のこと、レイゼルピナに来る前の思い出の数々を。いくら口では嫌だと言っていても、それを語る昶の声音はとても優しかった。

 懐かしいのだろう、心のどこかでは帰りたいと思っているのだろう。だから、その背中を押してあげるのは自分達の役目であろう。それが今まで昶に助けてもらった、せめてもの恩返しでもあるのだ。

「逃げてる?」

 しかし、そのたった一言が、アイナの琴線に触れてしまった。

「逃げてるのは、レナさんの方じゃないですか!」

 今までずっとため込んでいた不満が、一気に爆発する。

 レナの言った、全ての言葉を、思いの全てを否定する。

「あ、あたしが?」

「そうです!」

 初めて見たアイナの怒りの形相に、レナも思わずたじろいだ。

「なんでもかんでも、物わかりが言いみたいに振る舞って、自分の気持ちに嘘ついてるのは、どっちなんです! 帰って欲しくなんてないくせに! ずっとずっと、一緒にいたいくせに!」

 お腹の中にたまっていたもやもやを、アイナは全てぶつけた。

 逃げてるのはどっちだ、嘘をついているのはどっちだ。無理やりに、受け入れたふりをしているのは誰だ。

 見ているだけでイライラする。物分かりのいいお嬢様、悲劇のヒロイン、そんなくだらないものを、嫌々ながら演じているレナが。

「悔しいですけど、アキラさんがレナさんのこと好きなの、わかっちゃうんですよ。アキラさん、なんだかんだで、いつもレナさんのことばっかり見てますもん。私のことなんて、全然見てくれたことなんてないのに」

 好きだからこそ、気付いてしまうのである。昶の視線の先には、いつだってレナがいることに。

 愛おしそうに、でもどこか苦しそうなそんな目。あれはどう見たって、大切な人にしか向けない目だ。

 アイナには決して向けられることのない、欲しくて欲しくてたまらない……。

「私、レナさんが羨ましいです。孤児の私と違って国内有数の貴族で、シェリーさんみたいな素敵な友達もいて、それにアキラさんからも好かれていて……」

 アイナは立ち上がり、レナの目の前までかつかつと歩み寄る。

 その時初めて、レナはアイナのことが怖いと思った。純粋な怒りの感情は、ここまで人を豹変させてしまう物なのか。

 レナはあっという間に、壁際まで追い込まれてしまった。

「なんで、なんですか! なんで私にないもの、全部持ってるんですか!」

 逃げようとするレナの肩を、アイナはがしっとつかむ。

 まだだ。まだ自分の決意も、想いも、募り募った羨望と嫉妬の念も伝えきれていない。

「その中のたった一つも、私は欲しがっちゃいけないんですかっ……!」

 肩をつかむ手が震える。

 激情と一緒に、涙がこぼれ落ちる。

 ぽろぽろと、一度溢れた涙は止まらない。

 堰を切って流れ続ける涙が、アイナの頬を濡らした。

「私は、アキラさんと一緒にいたいんです。私が今こうしていられるのは、全部アキラさんがいてくれたからです。始めの内は、そのお返しができたらって、そう思っていただけでした。でも、好きになっちゃったんです。好きで好きで、どうにもならなくなっちゃったんです!」

 涙がいくら出て来ようとも、アイナは止まらない。

 震える声が、痛切な声が、真っ赤に充血した目が、レナの心の奥深くまで突き刺さった。

 自分の気持ちばかり優先する嫌な奴だと、そう思っていた。

 だが、それだけではない。レナにもわかってしまうのである。同じ人に思いを寄せているからこそ、辛くてたまらないのである。

 アイナもぎりぎりまで追いつめられて、数え切れないほど思い悩んで、それでも昶を諦めきれなかった。

 そう、現実を受け入れようとしているレナと違って。

「だから、私の気持ちは変わりません。アキラさんが帰るんなら、私も一緒に連れて行ってもらいます」

 アイナの決意は変わらない。

 昶の邪魔はしたくない。だったら、自分の方が昶について行けばいい。単純な話である。

 しかし、その代償はあまりに大きい。行ってしまえば最後、二度とレイゼルピナに戻ってくることはできない。

「私にはレナさんと違って、大切なものって、そんなにないですから…………」

 つまりは、知人や友人達、今まで手に入れてきた全ての関係を捨てなければならないのである。

 それでもなお、アイナは今まで築き上げてきた関係より、昶を選ぼうとしているのだ。

「……なによ」

 ああ、もう。やっぱり抑えることなんて、できない。

「あたしだって、あたしだってねぇ! ずっと一緒にいたいに決まってるじゃない!」

 アイナを押し返し、その胸倉をぐっとつかむ。

「でも、会いたくても会えない人だっているの! あたしだって、もうお兄様にお会いすることはできないの!」

「……レ、レナさん。お兄さん、いたんですか」

「えぇそうよ。あたしがまだ幼い頃に死んじゃったのよ! だからもう、会いたくても会えないのよ!!」

 こんなことを言ったのは、アイナが初めてだ。昶にだって、自分から言ったりはしなかった。もうずっと前に死んでしまった、大好きだった兄の話なんて。

 今でも思い出すだけで、心臓を杭で貫かれたような痛みが走る。

 真っ赤で、真っ白で、冷たくなってしまった無残な兄の姿。

「アキラとアカネさんには、あたし、そうなって欲しくないの」

 もう、顔を思い出すのも難しくなってしまった。それが堪らなく悲しい。

 せめて、顔くらいはいつまでも覚えていたかったのに。

「羨ましいわよ……。あたしは、あんたが」

「レナさんが、私を……?」

「そうよ。悪い? 貴族のお嬢様が、あんたを羨んだら悪いの!」

 今度はレナの番だ。

 胸倉をつかんだまま、レナはアイナをベッドへ押し倒した。

「あたしだってね、行けるもんなら一緒に行きたいわよ! でもね、無理なの。心配がありすぎて」

 そう、羨ましい。羨ましくてたまらないのだ。

 昶に付いて、異世界まで行けるアイナが。そんな決意のできるアイナが。

「お父様は軍人で、この前みたいにマジュツシの戦いに巻き込まれるかもしれないし、妹はあたしにべったりで、弟は生まれたばっかりで、姫様だってまだ頼りなくて心配で……」

 しかし、そうするにはしがらみが多すぎるのだ。アイナとは、何もかもが正反対である。

「領民の人達の生活だって、考えなきゃならないのに。それなのに、それを全部捨ててアキラと一緒にいたいなんて、そんな無責任なこと、できるわけ…………ないじゃない」

 持っているが故の苦悩と、持たないが故の孤独。

 そんな二人が、同じ人を好きになるなんて。もし運命の女神が存在するならば、そいつはよほどひねくれた性格をしているのだろう。

「なんですかそれ、自慢なんですか! ふざけないでください!」

「痛っ!!」

 完全に頭に血が上っえしまったアイナは、レナの腕を振り払いって突き飛ばした。

 思い切り尻餅をついたレナに、今度はアイナが馬乗りになる。両肩を床に押し付けられたレナは、苦痛に顔をしかめた。

「ふざけてなんかないわよ!」

「どこがですか! 私がどれだけ辛い思いをしてきたと思ってるんですか!」

「分かるわけないでしょ! あたしだってね、お兄様は、あたしを抱きしめたまま死んでたのよ! 目を覚ましたら、血だらけになって冷たくなったお兄様に! それだって、あんたには分からないでしょ!」

 レナも無造作に手を伸ばし、アイナの髪をぐしゃっとつかんだ。

「い、いたっ!?」

「誰だってね、色んなことで悩んでんのよ! あんた一人だけが悲劇のヒロインじゃないのよ!」

「悲劇のヒロインを演じてるのは、レナさんの方じゃないですか!」

 アイナは自分の頭に伸びるレナの手を取り、無理やり引き剥がした。

 指の間からむしり取られた髪の毛が、ぱらぱらと床に落ちる。

「なによ、それはあんたの方でしょ!」

「レナさんの方です!」

 乱暴に振り乱したレナの手がアイナの頬をひっかき、お返しとばかりにアイナはビンタを見舞う。

 パーンと乾いたおとが室内を反響した。

「引っかかないでください! 傷残ったらどうするんですか!」

「あんたにはお似合いでしょ! この泥棒猫がぁっ!!」

「諦めてる人が、ふざけるなぁっ!!」

 取っ組み合った二人は、髪や頬を引っかきあいながらごろごろと壁際まで転がる。

 背中を強く打ったレナが、けほっと咳き込んだ。それを見逃さず、次はアイナが思い切りレナの頬を引っかいた。

 だがレナも、アイナのお腹に思い切り膝蹴りを入れた。

 二人とも既に息は切れ、あちこちに痣やひっかき傷ができ、血も(にじ)んでいる場所もある。

「はぁ、はぁ、お嬢様の癖に、けっこうやるじゃないですか」

「アイナも、けっこう荒っぽいことするのね」

「私だって、頭にくることくらい、ありますって。今のレナさん、見ているだけで腹が立ってくるので」

「それは、あたしも一緒よっ!」

 頬の血をぬぐいながら、レナはまだ床にへたり込んだままのアイナに飛びかかった。

 だがその襟首を、不意にだれかにつかまれた。勢い余ってそのまま半回転して、背中から勢いよく落ちる。

「二人とも、その辺にしときな。可愛い顔が…………もう台無しになってるみたいね」

「ア、アカネさん!? く、苦しいです……!!」

「いったぁぁ……。なんで、アカネさんが?」

 どこからか室内に入ってきた朱音は、呆れた表情で二人を見下ろしていた。




 朱音は二人をベッドの上に正座させ、上着のポケットからハンカチを取り出した。

「ほんっとに、何を流血沙汰にしてるのよ。やるなら痕が残らないようにしなさいって。傷残ったらどうする気? 女の子でしょうに」

 二人の頬の血を拭いつつ、朱音は度の過ぎた喧嘩をしていた二人を注意する。注意の方向性が少しおかしいのは、朱音のこれまでの人生を考えれば仕方のないことであろう。

「それじゃ、言い訳を聞きましょうか? どうしてあんな喧嘩してたわけ?」

「それは、レナさんが」

「何よ、先にしてきたのはそっちじゃない」

「はいはい、喧嘩するのは止めないけど、せめて痕の残らないやり方を覚えてからにしなさい。なんなら、私が身体で教えてあげてもいいけど?」

 再び喧嘩を始めようとしていた二人だが、さすがに朱音が相手ではシャレにならない。

 本気のシェリーどころか、昶でも恐らく及ばない、とんでもない相手なのだ。

「…………」

「…………」

 とはいえ、昶のことで争っていたというのは、言い出し辛い。

 目の前にいるのは、その昶のお姉さんなのだから。

「なるほど、昶のことなのね」

「ち、違います!」

「そ、そうですよ! 私達は別に……」

「二人とも、それ肯定してるのと同じだからね」

 予想通り過ぎる展開に朱音はさらに呆れ返る。言い返せない二人は、黙ってうつむいた。

「ほんと、わかりやすい性格してるわ、二人とも」

 単純なのか、嘘がつけないのか、それとも素直なのか。

 まあ、実は少し前から話の内容を聞いていたので、だいたいの事情は把握しているのだ。

 本当なら喧嘩が収まってからにしようと思ったのだが、このままだと危ないことになりそうだったので慌てて止めに入ったのである。

「そういえば、アカネさん、どこから私の部屋に入ったんですか?」

「そこの窓からよ。せめて鍵くらいかけときなさい。不用心なんだから」

 いや、そもそも窓から侵入されるなんて、宿側も考えてはいないだろう。

 アイナの部屋は四階にあるので、空を飛べるマグスでもない限りはどうやったって侵入できない。どこからともなく、壁伝いにやってきた朱音の方がおかしいのだ。

 一瞬だけ想像してしまったレナとアイナは、ぶるりと背筋を震わせた。

「ほんと、あの昶がねぇ……。女の子二人に取り合いされるようになるなんて。姉としては複雑な気分だわ。嬉しいような、寂しいような」

 朱音は一人、感慨深げにうんうんと頷く。

 とはいえ朱音も年頃の女の子であって、私より先に彼女二人も作りやがって、私だってまだ彼氏いないのに。とも若干思っていたりする。あぁ、悔しい。

「で、うちの弟の話からどうなって喧嘩になったわけ?」

「アキラ、元の世界に返してあげようって、あたしが言ったら、アイナが嫌だって……」

「一番帰ってほしくないくせに、そういうの言っちゃう自分に酔ってるレナさんにイラッと……」

 朱音の威圧感に圧されて、二人は気まずそうにぽろぽろと弁解を始める。

 とはいえ、両方とも言い分はわからないでもない。言い争ってる会話の内容は、少なからず聞いている。

 昶もそうであるように、レナやアイナもまたそういう年齢なのだ。

 その二人がどれだけの苦悩の末に、そのような結論に達したのか。それは先ほどの喧嘩を見ていればわかる。

「私は別に、二人とも逃げてたり、悲劇のヒロインを演じてるみたいには見えなかったけどねぇ……」

 朱音は正座する二人と目線を合わせ、その両肩をそっと抱いた。

「本当の悲劇のヒロインってのは、思い悩むことはあったって、そこでおしまい。自分から何かしようなんてしない。何にもせずに時間だけが過ぎて、気付いたら全部終わってるわけ」

 そう、朱音自身がそうであったように。

 命を落としかけた事故にあいながら、昶の重荷になりたくない一心で厳しいリハビリを乗り越えた。

 朱音は立ち止まらなかった。辛いことから目を背けても、誰に後ろ指を差されることもないにも関わらず。

「だから、あなた達二人は違う。あんな弟のために真剣に悩んで、こんな派手な喧嘩しちゃうくらいなんだから。本当の悲劇のヒロインなら、手なんて出さないわよ。周りに流されてるだけなんだから」

「……『あんな』って言うの、やめてください」

 優しく語りかける朱音に、レナは強い決意を持って言い返した。

「あたしもアイナも、アキラには何度も助けられたんですから」

「そうです。私なんて、アキラさんがいなかったら、今頃……」

 そしてレナに続いて、アイナも朱音に向かって言い返す。

 思い出すのは、編入してすぐの飛行演習。黒雷がかすめた背中は目も当てられないような状態で、放っておけばこの場にいることもなかったであろう。下手すれば、死んでいてもおかしくはなかった。

 そこを救ってくれたのは、他の誰でもない昶なのである。

 ものすごく痛いからと自分の肩を噛みつかせ、黒雷に冒された肉を削いで。肩から血が出るほど噛まれても、うめき声すらもらさず懸命にやってくれた。

 そんな人をあんな呼ばわりするのは、例え実のお姉さんであっても許容することはできない。

「ほんと、いい子よねぇ……。あなた達って」

 朱音は大きく息を吐き、気持ちの整理をつける。

 レナもアイナも、それに他の友人達も、本当にいい人達だ。だがそれゆえに、心苦しいものもあるのだ。

「だから、二人にはちゃんと言わなくちゃね」

 朱音は即座に気持ちを切り替え、二人から少し離れて立ち上がる。

 そこにはさきほどまでの優しさは一欠片もなく、ただただ眼光を鋭く光らせる魔術師の姿があった。

「もうわかってると思うけど、私は昶を連れて帰るために、この世界に来たの。ただ、無理やり連れて帰ろうって気は、さらさらないわ。こっちの方が、向こうにいた頃よりもうまくやってるみたいだし、それに私の義妹予備軍もいるみたいだしね」

 義妹予備軍という言葉に、レナとアイナはかっと頬を真っ赤に染める。朱音の義妹になるということは、つまり昶とチョメチョメな関係になるというわけで。

 いったい二人がどこまで想像もとい妄想してしまったのか気になるところではあるが、朱音はすぐさま話を再開した。おどけたのは一瞬だけで、再び険しい顔へと戻る。

「だから、最終的には、昶自身に決めさせようと思ってる。だから二人とも、あの子の邪魔だけはしないであげて」

 あくまでも静かな、しかしその辺の魔法兵とは比較にならないプレッシャーが二人にのしかかる。

 うむを言わせぬ圧力に二人はまばたきすら忘れて、朱音の話にただただ耳を傾けた。

「相談を持ちかけられたんなら、素直に自分の思ってることを伝えてあげればいい。けど、無理やり引き止めるようなことだけは絶対に言わないで。自分の立ち位置すら自分で決められない人間が、異世界で生きていけるわけがない。もし昶が自分で決められないようなら、どんな理由だろうと絶対に連れて帰る」

 聞き入っていた二人に目を細め、朱音は入ってきたベランダへと向かう。

「今日は、それだけを伝えに来たの」

 手すりへと軽やかに飛び乗り、最後にもう一度二人を振り返り、

「あと、アイナちゃんだっけ。こっちに来るのは、やめといた方がいいわよ。あっちもこっちも慣習だらけ、その魔法だってこっちじゃろくに役に立たないし、言葉だって通じないんだから。異文化圏で暮らすってのは、本当に大変なことなんだからね。それじゃ」

 アイナに助言を残して、壁伝いに自分の部屋へと戻っていった。

 姿がなくなってもなお、二人はそのまま動けずにいる。今もまだ目の前にいるみたいで、身体が縛り付けられているようだ。

 耳の内側では朱音の言葉が何度もリピートされ、頭の奥深くへと刻み込まれてゆく。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、昶がこの世界に残る可能性がほんのわずかでもあるということ。その事実に二人が気付くのには、まだ少し先の話である。




 いったいどれだけの時間が経ったのか。ようやくリンネから解放された昶は、吸い込まれるようにベッドへと飛び込んだ。

 のぼせてしまったソフィア──それ以前に戦力外であるのだが──はまだしも、朱音を巻き込めなかったのがきつかった。

 そもそも、電車がどうやって動いているのか知っているものか。たぶん、モーターで動いているのだろうが。

 そう言ったら今度は、モーターって何? から始まり、構造や材料はどうなっているのか、動力は電気なのか等々……。一応家庭教師の形式で中学校までの勉強については理解しているが、電車の仕組みや構造なんてその範囲外だ。

 朱音の持ってきてる荷物の中に、理科の教科書でもあってくれればいいのに。明日、真面目に聞いてみた方がいいかもしれない。

 これだと、昶の頭と体力が持たない。いや、もう既に手遅れか。

 そういえば、まだ制服のままだったな。着替えるべきか、このまま寝てしまおうか。一瞬悩んでやっぱり着替えようと、昶は重たい身体を持ち上げる。

 するとその瞬間、目の前にソーサーに乗ったティーカップが差し出された。

「長旅お疲れ様です、アキラ様」

「ッ……!?」

 聞き覚えのある声に、昶は反射的に声のした方とは反対側に飛んだ。

 反発の少ないベッドにも関わらず、ばっと身体が宙へと投げ出される。

「お前、いつから……」

「キャシーラの居場所は、アキラ様のおそばと決まっておりますので」

ベッドを挟んだ反対側、頭まですっぽり覆われたフードに身を包む人物が立っていた。

 キャシーラ=クラミーニャ。昶のお世話係として、レイゼルピナ政府から遣わされている人物である。

 だがその実体は、この世界の魔術師勢力である域外なる盟約(アウター・レギオン)──その戦闘部隊たる異法なる旅団(テリビリアス)の構成員なのだ。

 その魔術師勢力の中で育ったキャシーラの魔法はといえば、一般的な魔法兵を大きく上回るものがある。

 今回マギア・フェスタに参加する学院の生徒でも、キャシーラに勝てる生徒はごくわずかだろう。

「また気配遮断のローブかよ」

「はい。お陰で、アカネ様やソフィア様……アキラ様以外の源流使い(オリジネイト)の方々にも気付かれずに密航できました」

「一緒に来てたのかよ」

「水蒸気機関車では、貨物室に隠れておりました。機密が不十分で、とても寒かったんですよ?」

「そんなもん、俺が知るか」

 つまりキャシーラは昶達と同じ飛行船舶や水蒸気機関車にこっそり潜り込み、付いてきていたということか。全く気付かなかった。

 しかし、それも無理もない話だ。なにせキャシーラは昶の目の前にいるにも関わらず、魔力の気配はどこからも漏れてはいないのだから。

「で、なんでこっそり付いてきたんだ? 使用人を連れてる生徒なら、何人かいただろ」

 いつもならレナの世話に付いて来ているセンナは、今回は学院の方が忙しくてオズワルトが許可をくれなかったそうだ。

 とはいえ、専属の使用人を持っている生徒は、少ないとはいえ学院全体で十数人はいる。昶も今日の移動中に、何人も見かけている。

 使用人を連れてきてはいけないというルールがあるわけではない。ではなぜ、キャシーラはこっそり付い来たのか。

 つまり、口にはできない別の目的がある、という意味だ。

「察しがよくて助かります。さすが、アキラ様です」

「いいから、理由を話せ」

「……その、ですね。キャシーラ、マサムネ様からの伝言を預かっているのです」

「マサムネって、この前の」

 派手な髪型に荒っぽい口調、そして右腕にびっしりと刺青(いれずみ)を刻み込んでいたあの男だ。

 今度はどんな用があるのか。少なくとも、ろくなことではあるまい。

「あの、アキラ様。伝言をお伝えする前に、お願いがあるのですが」

 そう言って両手で丁寧に封筒を取り出したキャシーラは、やや(おび)えた目で昶のことを見つめていた。

「なんだよ、伝言伝えるだけなのにお願いって」

「その、内容が内容だけに、お怒りになられるかもしれなくて、その」

 たかが伝言──手紙を読むだけで何をそこまで。

 しかし、これで手紙の内容がろくでもないことだけは確定したわけだ。それも、昶が激怒するかもしれないレベルで。

「……はぁぁ、わかった。少なくとも、キャシーラを怒ったりはしねぇよ」

「あ、ありがとうございます。恐縮です」

 少しだけほっとした表情を浮かべるキャシーラ。しかし、不安そうなところは変わらない。

「いいから、あいつからの伝言を早く頼む」

「は、はい! では……」

 キャシーラは封を切り、その内側から汚れてくすんだ手紙を取り出した。

 昶の方にも、緊張が走る。

「お久しぶりです、アキラ様。アマネ=ミカドです。スメロギ様の代行として、私が書かせていただきます。では、さっそくですが、本題に入らせていただきます…………」

 それまでスラスラ呼んでいたキャシーラの口が、ぱたりと止まった。

 不審に思った昶は、キャシーラの方を見やる。

「どうした。続きはなんて書かれてるんだ?」

「そ、そそそ、そのですね、あのぉ……」

 肩がわずかに震えているだろうか。目を白黒させて、顔も蒼白を通り越して真っ白になり、額からはだらだらと冷や汗を流している。

 恐らくは、キャシーラも今内容を知ったのであろう。そこまで危ない内容が書かれているのか、その手紙は。

「もういい、かせ」

「あっ!? アキラ様!!」

 慌てふためくキャシーラを放置して、昶はひったくった手紙に目を通した。

 なんともご丁寧に、日本語で書かれている。じゃあ、今キャシーラが話していたのは日本語だったのだろうか。もし異法なる旅団(テリビリアス)で日本語が使われているとすれば、それはそれでシュールな光景だ。

 それにしてもまさか、異世界で日本語の手紙を読む日がこようとは。それに、昶よりも字が丁寧で文法もしっかりしている。

 しかし、そんなのんきなことを思っていられたのも、キャシーラが読んでくれた部分まで。そこから先の内容は、確かにキャシーラが怯えるには──昶を激怒させるには十分過ぎる内容が記されていた。

「一つ、質問してもいいか?」

「は、はい、どうぞ」

 怒ってる、やっぱり怒っておられますよね。極度の緊張で足元すらおぼつかなくなるキャシーラは、びくびくとしながら昶の次の言葉を待つ。

「お前らのリーダー、なんであいつなんだ? 絶対、アマネって人にした方がいいだろ」

 だが、昶から問われた内容は、ある意味で拍子抜け、別の意味で気まずさ満点のものだった。

「そ、それは、聞かないでいただけると……」

「俺が言うのもアレだけど、無計画で感情的すぎるだろ、これ」

「それにつきましては、申し訳ございません。見ての通りのお方ですので」

 どうやら、マサムネの性格に関してはキャシーラにも思うところがあるようだ。傍で付き従っていたアマネも、気分しだいで計画変更をするマサムネには困っていたのは昶も目撃している。

 だが、手紙の中身は笑っていられる内容ではない。母国語で書いてくれているおかげで、すんなりと内容は理解できた。

「マギア・フェスタの終了までにお前らのとこに行かないと、今度こそレナをさらってくって。レナは関係ないだろ」

「そ、それはキャシーラにもわかりません! レナ様は魔術師でもなければ、異世界から参られた方でもございませんのに。理由の方は、書かれておられないのですか?」

「さっぱり。こいつに書かれてる範囲だと、マサムネが会いたがってるらしいってことだけだ」

 手紙を読み終えた昶は、それをキャシーラに突き返した。

 キャシーラも手紙の内容に隅々まで目を光らせるものの、なぜレナを連れて行こうとしているのかはどこにも書かれていない。

 残された期限は約一週間。それまでに昶が異法なる旅団(奴等)の元へ行かなければ、今度こそレナが連れて行かれてしまう。

 昶は諦めたようなため息をついて、ソファーに身を投げ出す。

「ベッド使っていいぞ。俺はこっちでいい」

「そんなっ!? アキラ様がベッドをお使いください。キャシーラがソファーで寝ますので」

「いいって。どうせ、ぐっすり眠れそうにないんだからな」

「わ、わかり、ました」

 強烈な殺気を含んだ眼光に(おび)え、キャシーラはそれ以上口を開くことができなかった。

 昶はキャシーラに背を向け、荒れ狂う心の内を鎮める。

 自分の中の化物をどうにかできるかもしれない、異法なる旅団(テリビリアス)。そこへ『行くべきなのだろう』から、『行かなければならない』に変わってしまった。

 行かなければ、レナにその魔の手が伸びることとなる。それだけは、なんとしても防がなければならない。

「悪いな、姉さん。そっちには、帰れそうにないかもしんねぇ……」

 元の世界に戻ろうかとも思っていた気持ちは、再びゼロへと戻る。

 レナのためになら、こんな簡単に決めてしまえるのか。自分自身の下した結論に、昶は自嘲してしまう。

 決まったからには、あとは心の準備だけ。おあつらえむきに、期限まで時間にはたっぷりある。

 昶は決心が鈍らないよう、自身の胸にそれを深く刻み込むのだった。

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